翌朝、ポケモンセンターに泊まった蕾が、ジョーイさんに預けたポケモンの治療を待っていた。蕾はまだ、ポケモンの治療のことはよく分からないし、専門知識もない。ポケモンに関する本をかじった程度であり、それを実践できる勇気はないが、それでもあのポケモンのだしていた、様々なタイプの属性を出してしまう症状など、どれも思い当たらなかった。
日も昇った時間帯に¨治療中¨のランプは消灯して現れたジョーイさんに蕾が近づく。
「ジョーイさん」
蕾は心配さを抑えきれずに尋ねた。
「大丈夫です。あの子の一命は取り止めましたよ」
「はぁああ~良かったぁ」
「ひとつ、聞いてもいいかしら?あの子は貴方のポケモンなの?」
「違いますよ。きのみを探してたら、たまたま見つけたんです」
「では、あのポケモンの名前も何も知らないの?」
自分のポケモンで無いにも関わらず必死な形相で懇願していた少女に、これには驚いた顔をしたが、ジョーイはあのポケモンの生態を簡単に伝えた。
「あの子はしんかポケモン『イーブイ』と言うの。この辺りには生息しないポケモンなのよ」
「そうだったんですね。見たことないポケモンだったから、驚いちゃいました」
「すぐ別のポケモンに変わってしまうからイーブイとしての姿は珍しいのかもしれないわね。でもどうしてイーブイを持っていたの?」
少し視線を泳がせながらも、蕾は感想を述べた。
「私のポケモンじゃないんです。本当なら私が連れてっちゃいけなかったと思うけど、あの人たちには預けたくなくて」
「それってどんな人たちでした?」
「えっと…白衣を着た眼鏡の人でした。ただ、すごく怖い人たちで…なんだかあの子を心配して探している感じがしなかったから」
「最近この辺りで研究している人達ね。でも、何か気になるわ――念のため、入院してイーブイの精密検査をしてもいいかしら」
ジョーイは言い、手を頬に沿えた。
「はい。ぜひお願いします」
ジョーイに言われて返事をする。ハナダシティのジムに挑戦するには気が散ってしまい、このポケモンが安全と分かるまで傍にいるつもりでいた。
一
ポケモンの集中治療室のカプセルで身体を小さく丸めたイーブイは大人しくしていた。
「どう、イーブイ?調子は大丈夫かな?」
朗らかに気遣う少女の声に顔だけは向きを合わせるも、すぐに丸くなってしまう。ただ今は仲良くなれるのは重要ではない。必要なのは無理に関わるのではなく、いちポケモンとして元気になれるかだ。
ジョーイは看護師ポケモン『ラッキー』から手渡させたカルテから、この時間までに現れた技の種類を記録したデータを読み取る。
「こんな症状は始めてね。確認できただけでも草タイプ・悪タイプ・氷タイプ・電気タイプ・水タイプ・炎タイプ・エスパータイプ・フェアリータイプ…イーブイは様々なポケモンに進化できるポケモンだけど…こんなに複数なのは専門家の人に聞いてみないと分からないわね」
「それならオーキド博士に聞いてみます。何か分かるかも知れない」
少し駆け足気味にポケモンセンターのパソコン画面へと向かう。慌ただしい蕾に、「廊下は走らないように」のスタッフの注意も軽いお辞儀で澄ましていた。慣れないボタンを人差し指で入力すれば、機械的な音を鳴らし、画面にオーキド博士の顔が映る。
「おぉ、君は蕾だったか?元気にしとるかの」
「はい、博士!この間もグレーバッチを手に入れたんですよ」
「どうやら少しずつトレーナーとして成長しとるようじゃな」
「えへへ。あ、そうだった!博士に相談したいんでした」
「ワシに相談とな?」
それからイーブイの状態を知っている限りに伝えた。複数の技を漏えいさせている現状を。ハナダシティには生息していないイーブイのことを。ひととおりに伝え終えれば、画面のオーキド博士は顎に手を当てていた。
「ふむ…イーブイが複数の技をだしとるというのか…近くに行ってみないと分からんな。ワシがハナダシティまで行こう」
「え!?マサラタウンからハナダシティまでは遠いんじゃ」
「なに、心配いらん。すぐに着くから外で待っとくれ」
どうやって来るんですかと思う瞬間、電話機能を遮断してしまう。蕾はしばらく青空の広がる白い雲を眺めてから、思い出した様にパソコン画面を閉じる。結局私にできるのは、待つしかなかった…
二
「オーキド博士…すぐに着くって、どうやって来るのかな?」
抱えたニーちゃんのふよふよした肌に顔をうずめて、オーキド博士の到着を待った。透き通った水の噴水に小さなバタフリーが花壇の蜜を飲む穏やかな光景。この穏やかな待ち時間は、旅をしている蕾には、幸せな時であった。
不意に眼を閉じると、立っているのもやっとな風が左右から吹き荒れる力に耐え切れず、ニドラン♂を抱えたまま、天と地をひっくり返してしまう。
「――わきゃあぁああああ!なになに!?」
「おぉ蕾!待たせたかの?」
逆転したままで上からオーキド博士と目が合う。隣に巨大な羽を持つ恰幅の良いポケモンに気後れしてしまった蕾を他所に、腕に包まっていたニドラン♂はオーキド博士とポケモンに、今にも襲わんとばかりに威嚇している。
「は、博士…そのポケモンは…」
「珍しいポケモンは聞くよりも実際に見て触れた方がいい。ワシもそのポケモンに興味があっての。早く着きたくて移動用にカイリューを連れてきたんじゃ!!」
ニーちゃんの棘に注意しながら、頭や顎を撫でていく。少し身震いをするも、ゆっくりと脱力して蕾の腕に身体を預ける。威嚇していた様子からは想像できないほど弛緩していた。
「で、でんじゃらすじーさんだ…」
移動用にカイリューを連れてこうそくいどうで飛んでくるオーキド博士に一点、と蕾は心の中で呟く。爆風で花壇から零れた土や噴水の水で濡れた石レンガやその残骸が被害を物語っている。きっとハナダシティのジムリーダーがこの場を納めてくれるだろうとオーキド博士は、その場を離れた。
「いいのかな…これ」
※いい訳がない。
カバンには液体や電線コードの類を敷き詰めたオーキド博士の用意したポケモンの遺伝子を研究する道具を揃えていた。ほんの数秒で小型のパソコンに紫や水色の多彩な遺伝子のホログラムが映し出される。しかし、このプログラムのデータは隣にいたジョーイに違和感をもたらすには十分な情報であった。
「これは極めて不思議だな。イーブイは周囲の環境の影響を受けやすいポケモンでな。ポケモンの中でも極めて不安定な遺伝子を持つせいで一部の鉱石や天体・精神から発せられる放射線から容易に突然変異し、様々なタイプのポケモンに変わる――つまり進化すると言われておるのじゃ。だが、このイーブイの遺伝子はどれにも該当しないな」
「オーキド博士。ではイーブイは遺伝子の属性反発で異常があるのですか?」
「その可能性もあるが、ポケモンは不思議な生き物だからな。ワシらの知らない世界でも当たり前な出来事として起こしておるかもしれん」
知らない世界、の言葉にいささか引っ掛かりがあった。何か別の見解があるのだろうかと考え、しかしそれ以上は憶測を試すわけにいかず、軽く顎を引く。
「ワシもイーブイの精密検査をしても良いじゃろうか?」
「オーキド博士がいるなら心強いですね。お願いします」
そう言い、役割を分担して器具を取り付けたイーブイを調べた。
三
私は誰なんだろう。何で人間がいるんだろう。何で人間は私を傷つけるんだろう。役に立っていないからかな。あの人たちは何をしているんだろう。私は誰を恨めばいいんだろう。
ここまで逃げてきたのにまた戻るのかな――もう、戻りたくない。あの暗い場所に戻りたくない。どこへ向かえばいいのかも分からず、明るい世界も不安で暗かった。世界は広いはずなのに、私はひとりぼっちで――消えちゃうのかな。
…そういえば…私を助けてくれた子は誰だったんだろう。覚えているのは陽のように暖かい声と温もり。だめだ――思い出したら眠くなってきた。寝たらダメ…まだ気を強くもたないと。
茶色いポケモンはじぃと機械音に聞き耳を立て、二人の様子を観察していた。
四
高く昇っていた太陽も落ちて夕焼けに差しせまる。床を踏みしめ、軽く辺りを見回しながらコイキングやニドラン♂と遊ぶ蕾。だがオヤツのきのみを与えている時は、あのイーブイを心配していたからか、デザートを一緒に食べる気はしなかった。本来なら歩き疲れて、オヤツを食べているか、仮眠をするかのどっちかだ。
オーキド博士が現れたのはそんな時であった。疲労に抗いながら目を細めて、オーキド博士からの朗報を待つ。
「待たせたの。イーブイの調子はよくなったぞ」
「ホントですか!?ありがとうございます」
「それとイーブイの遺伝子を調べとったら…驚くべき発見があったのじゃ!」
「驚くべき発見?それは何です??」
早口にまくしたてるオーキド博士に、蕾は首をかしげて問いかける。
「あのイーブイの不安定な遺伝子の中に、ワシですら見たことのない遺伝子を発見したんじゃ!それも、他のイーブイにはないものだ。もしこれが分かれば、世紀の大発見だ!」
「ふぇ…あの子にそんなものが」
蕾のほうでは、ただの一般的なポケモンでしかなかったことが、動揺をより増長させた。
「じゃがの…その遺伝子が何か分からん事には…それまでは何とも言えないの。ワシの知り合いにも見てもらうが…」
オーキド博士は、改めて蕾の眼を見る。
「蕾、君があのイーブイを連れて行ってくれないか?」
「え、どうしてです?」
「さっきジョーイから聞いたがの。イーブイを狙っておるのはワシらとは違うはぐれ研究者じゃ。ワシもおろか、他の研究者があのイーブイを持っとるだけで力づくでも奪いに来る。そして、周りの人間やポケモンにも被害をだしてしまうのじゃ」
どこにでもいる一匹のポケモンの希少価値から生まれる事の重要さに気付けば、少女は萎縮してしまった。私はポケモンチャンピオンになりたい。でも、それ以上に危険に巻き込まれてあの子を守っていく大それたことは不安でしかなかった。
「…警察のジュンサ―さんは――」
「警察に預けたとしてもあのイーブイの持つ遺伝子の価値を思えば、罪を犯しても奪い取ろうとするじゃろう。頼りにはならないんじゃ」
オーキド博士の否定に、ますます萎縮してしまった。それだけ狙われるポケモンを私が持っていても大丈夫なのだろうか。蕾は断る理由を必死に考える間もなく、オーキド博士に両肩を掴まれて、正面から向き合う。
「あのイーブイが新種のポケモンであることはワシと蕾だけの秘密じゃ!決して誰にも言ってはならんぞ!!」
「わ、分かりました」
とても断れる雰囲気ではなく、熱気に押されて返事をしてしまい、蕾が正直にうなずくと、
「これからの旅はさらに困難となろう。旅の助けになる道具を渡すぞ」
「博士…これって――」
「ポケモン図鑑といってな。出会ったポケモンを自動的に記録してくれる最先端のハイテク機械なのじゃ。これがあれば、ポケモンの特性や技を調べるのにも役立つぞ」
「ありがとうございます!大切にしますね」
ポケモン図鑑をリュックに仕舞い、少し間が空けば、ポケモンセンターの外から大声で呼びかける女性の声が聞こえた。
「この付近で突風と思われる風が発生しました。危ないですから皆さん、離れて下さい!」
「これはしまった!また何か分かれば連絡するぞ――こい、ラッキー!!」
オーキド博士はそう言ってから、ポケモンを出す。
「さらばじゃ!!ラッキー『テレポート』」
看護師ポケモンでお馴染みのラッキーと一緒に姿を消したオーキド博士。見送った瞬間、どういうわけかイーブイの苦しく切なげな表情が脳裏に蘇り、近寄ってきたニーちゃんを抱えて瞳を閉じた。
同時刻。ラッキーによる『テレポート』をしたオーキド博士はどこかの大木の頂上にいた。
「うおお!なぜ木のてっぺんにワープしてしまったんじゃあぁああああ!!」
「アンラッキー!!」
白髪の初老とラッキーの叫び声が、夕焼けの森林に響き渡った。
五
虫ポケモンの音も静寂に漂う深夜のポケモンセンターで椅子にもたれながら、これからポケモン達との関わり方を考えていた。だが、いくら考えても悪い考えばかりが先走る。不安な気持ちを感じ取ったのか、ニドラン♂は小さく「キィ」と鳴き、モンスターボールのコイキングは小さく震えていた。
「…ニーちゃんとコーちゃんがいれば、何でもできるよね。ごめんね、大丈夫だから」
気を楽にすると眠気に襲われてしまい、イーブイをひとりにさせたくなくなという想いから、ジョーイさんに同じ部屋で寝る許可を取った。集中治療室の暗い雰囲気は自然の明るさも無く、人工的な建造物に囲まれた暗さは独特な怖さがあった。カプセルベット上で包まっていたイーブイの様子は変わらず、耳をピクピク立てて子刻んでいる。
「私…怖くなっちゃったから一緒に寝たいな――お休みね」
毛玉の様なフワフワした感触をたしかめてから、冷えた石に寝袋を敷いてニドラン♂と眠る。眠気に襲われて集中していなかった彼女は気づけなかった。ポケモンセンターに訪れたイーブイが初めて耳をペタンと後ろに倒したのを…