サントアンヌ号の中央広場の片隅。
立ち話をするドレスコートをした人に眼をくれず、オクタン焼きを食べ終えた男は二ョロモ菱餅やアチャモ饅頭をテーブルに並べ、パケモンバトルをするトレーナー達を終始見ていた。ほのかに立ち昇っていた湯気が無くなるほど、この男は長い時間、技を指示するトレーナーとそれに応えるポケモンの姿を見ながら、それを肴に食べ物をつまんでいる。そんな時に、彼のポケナビから着信音が響いた。
「おう、もしもし?」
「やっと繋がりました!今どちらにいますか!?置き手紙一つ置いて、一週間も連絡なしは流石に見逃しませんよ!!」
金切り声を上げる女の声に、男は平然とした態度で割り切る。
「それは悪かった!カントー地方に強い『ミニリュウ』がいる話を聞いて、いてもたってもいられなくなってな!」
「それなら電話くらい繋がる様にして下さい!!こっちは貴方のいない間の書類整理やら全部やるはめになったんですよ!」
「かなり敏感なミニリュウでな!ポケナビの電波でも危険を察して逃げちまうんだ。まあ、今日の朝にやっと捕まえたんだが!」
「もういいですよ。それで…今どこにいますか…」
電話の女性スタッフからすれば、この男の行動力の速さは今に始まったことでない。だが、一度決めたことには素早く言動に移せる性分は、長所でもあり、他を振り返らない短所でもあった。
「ちょうどサントアンヌ号が止まっていたからな!二日すれば、シンオウ地方に向かうからそれまでバカンスだ!それまで、そっちはよろしくな!!」
「あぁ、ちょっと待ってください。クロツグさ――」
「じゃあ、任せたな!」
それだけ言い、クロツグと呼ばれた男はポケナビを一方的にきってしまう。クロツグ――彼は、かつて現チャンピオンであるシロナとの激戦を繰り広げた人物であり、バトルフロンティアのフロンティアブレーンを務めている長でもある。それは、地方のジムリーダーとは比べられない実力を持っていた。
「まぁこのまま帰るには勿体ないな…せめてミニリュウとつり合えるポケモンとトレーナーがいればな――おう?」
ひとり語りを続けようとした言葉は、オレンジ色の髪に透き通った眼をした少女に遮られる。出すポケモンは進化前のポケモンを二匹であり、それをふまえてもなお、お互いに彼女とポケモンは尊敬し合っていた。
サントアンヌ号にはエリートトレーナーやカントー地方とは異なるバッチを帽子に付けたトレーナーも乗車している。だが大半は元から逸脱した強さのあるポケモンを繰り出すばかりにあり、ポケモンの実力を引き出せるトレーナーには、それを扱える器を備えていない。つまりポケモンの実力を発揮する前に勝敗が付いてしまい、トレーナー自身が成長していないのだ。
「ポケモンを愛する心…そしてお互いを尊敬する動き…中々いい筋をしているな」
現に少女の勝敗は、敗北ばかりではあるも、最終進化したポケモンを一歩まで追い詰めていたのが、その証明だ。
「俺の見立てはどうか、バトルすれば分かることだな!!」
勢いよく立ち上がったクロツグの勢いに、座っていた椅子は数センチ後退する。椅子を整えず、彼の足と視界はフードに膨らみのある少女――ツボミを捉えていた。
一
一口サイズの料理やデザートを調理するコックだけでないサントアンヌ号の中央広場にはポケモンバトルをするフィールドも常備されている。必然的にポケモンバトルをするトレーナーと鑑賞する観客の構図となり、常に新しい刺激を求めようと、人の視線は自然に向かっていた。
他のトレーナーより身長差も一段と低く、幼いツボミは大人の気迫に自分からは積極的に声はかけず、バトルフィールドで立ち見をしては、声をかけられたトレーナーのみ対戦をしていた。バトルフィールドに立つ時はオレンジの帽子を深く被り、何度も戦い慣れた彼女の眼はのほほんと対戦者を見ていた。
「いけ『デンリュウ』!」
「あれって何のポケモンだろ?でんりゅう…だっけ」
ポケモン図鑑を取り出してポケモンを映し出せば、大まかな情報と生態に関する解説が流れる。
「可愛いかも…でもカントー地方にはいないポケモンかぁ。タイプはでんきかな――それなら…『ニーちゃん』お願い!」
「デンリュウ『かみなりパンチ』!」
「ニーちゃん『どくづき』!」
右手に電気の弾かれる音を鳴らしながら腕をひくライトポケモン『デンリュウ』に、素早さで小柄なニドラン♂を見切れずにいる。上体を捻りながら近づくニドラン♂は、デンリュウがパンチの度に接近をしなければならない欠点を、ツボミとニドラン♂は見逃さない。
「ニーちゃん『にどげり』!」
小さな足から飛び出した脚力の勢いに腹部からめり込まれたデンリュウは脱力する。
「ちぃ!だったら『バタフリー』!」
「そっちなら、お願い『コーちゃん』!」
宙回転しながら現れた蝶ポケモン『バタフリー』と地面に一定間隔で跳ねる『コイキング』は比べても対照的に優美さの差がある。先に進化前のポケモンに負けたトレーナーにとって、最も弱いポケモンの登場には彼のプライドを逆なでする侮蔑を免れなかった。
「馬鹿にしてんのか!?バタフリー『エアスラッシュ』!」
「コーちゃん、天井まで『はねる』!」
羽を広げて羽ばたくたびに鋭利さのある風を巻き起こす。ツボミの指示から天井に向けて跳ねたコイキングは天井にまで身体全体を叩きつけ、近くにあったシャンデリアを揺らす。これに驚いたのはトレーナーだった。バトルフィールドから天井まで3メートル以上はある高さまで飛び上がるコイキングなどこの目で見たことがなかった。
「そのまま『たいあたり』!」
ツボミにとって今に始まったことではない。尻尾で叩く攻撃やヒレで身体を支えるバランス感覚。何度も『はねる』を繰り返して高く飛び続けた結果で生まれた瞬発力。コイキングにとって個性を活かした戦い方だった。
天井を尻尾で弾いた落下速度を体当たりに乗せた攻撃に、バタフリーは地に伏せてしまう。
「負けんな!『ねむりごな』!」
「避けるよ!思いっ切り飛び跳ねて!!」
黄色い鱗粉に反応し、バタフリーを尾で叩いた衝撃で天井まで跳ね上がる。再び全身でのボディアタックに鱗粉は拡散し、バタフリーは伸びてしまった。トレーナーはバタフリーをボールに戻してからツボミに近づく。
「…いい勝負だったな」
「対戦ありがとうございました」
軽い握手を交わしたツボミはある一つの達成感があった。イーブイを守り切る強さとポケモンを預かる責任感を持てるほどに、明確な自信はない。トレーナーとしてポケモンを信頼し、長所を伸ばす戦い方を信じてきた。負ければ自分の指示を振り返り、勝てばポケモン達と喜びを分かち合う。そのやり方が間違いではない実感を得ていた。何度目かの戦いをするうちに、彼女はイーブイに声をかける。
「いける、イーブイ?」
「エヴゥブイ~」
フードで丸くなる毛玉は、形を崩さずに返事のみで動かない。
「相変わらずかぁ…もうちょっとは、認めてもらいたいよぅ」
出会ってから一度もバトルをしないものの、お決まりの反応には慣れていても辛いものであった。
「おいどうかしたか!?」
「大丈夫ですよ。えっと…コーちゃん、お願い!」
少し戸惑いつつ、コイキングを選び出す。区切りのつくまでポケモンバトルを行った時、ツボミはニドラン♂とコイキングに向き合う。
「さ…今日はいっぱいバトルできたね。せっかくの船に来たから、あと一回だけバトルしてからゆっくりしようね!」
二匹のポケモンは一鳴きをし、モンスターボールに収納される。
「反省会の前にちょっと休憩っ!!」
言い終えてすぐに、ツボミの気持ちはすぐにデザートへと向けられた。旅の道中は簡単なお菓子を手作りはしてはいても、シュフの作る本格的なお菓子は砂糖や粉の質は圧倒的によく、旅では保存の効かない材料で作られたデザートはご馳走であった。
「このショートケーキ綺麗だなぁ!目に入れても痛くなさそう…いっただっきま――ぶわぁ!!!」
「君のバトルは実に素晴らしい、俺と勝負してくれ!!」
「あぁあああああ!!!目がぁ~目が~ぁあああああ!!!」
ツボミの背中にボディアタックに近い衝突から顔全体にショートケーキを押し潰してしまう。一般的な少女の身長より低いツボミが、三十㎝の差がある人間の、ましてや男性の衝突に耐えられるはずもない。少女の叫びに凄惨な顔をしている現状に、フードで丸い毛玉状態を解いたイーブイは深い息を吐いた。
「ブィ~」
鳴き声からイーブイの瞳は青白く光りだす。両目に入ったクリームの激痛に手で抑えていたにも関わらず、ツボミは前にいる人や物をはっきりと識別できていた。
(これってイーブイのお蔭?目は閉じてるのに、目の前に何がいて、何があるのかが分かる)
現実離れした出来事は激痛でパニックを起こしていたツボミを現実に引き戻すには充分であった。
「ふ(す)みません~シャワー室までふ(連)れてって下さい~」
「かしこまりました。それではご案内します」
スーツ姿のウエイターは顔中にクリームと潰れた苺をくっつけた人にも、まぁこんな人もいるだろう、とした対応でツボミをエスコートしていく。とり残されたクロツグは一瞬だけ考え込むも、すぐに顔を上げた。
「バトルをやり逃したか。確かサントアンヌ号には特別なバトルフィールドがあったな。詫びも兼ねてそれを借りるか」
こう決めたクロツグの行動は早い。まずはサントアンヌ号の船長に運行状況を確認する。またVIPルームにいるサントアンヌ号のオーナーにバトルフィールドの予約と彼女以外のトレーナーの人払いを約束させた。フロンティアブレーンでなく一般トレーナーとして、クロツグが心を騒がせたのは、久しぶりのことであった。
二
豪華客船であるサントアンヌ号は個室部屋も煌びやかだ。そこに備え付けてあるシャワー室も銀製の浴槽とシャワーで統一されており、ここで長時間の入浴も退屈させない作りであった。投影した視線から呻き声を上げたまま、ツボミは途中で変わった女性ウエイターに服を脱がされてしまう。生まれたままの姿となり、そのままシャワーを浴びるも、勢いの無いシャワーは不満であった。
「ふへぇ~顔のクリームが落ちても身体に纏わりついてくる。何か気持ち悪いなぁ」
船の構想とはいえ、水圧はどうしても低くなってしまう。元々、この豪華な外装や内装はウィシュ地方で創設されたサントアンヌ号は、水圧や電機の供給は水の都『アルトマーレ』の自家発電技術を参考にしていた。自ら水と電気やガスを生み出す技術ではあるも、限りない資源の節制でシャワーの水圧の低さがネックであり、建造当初からのミスなのは管理者のみ知る課題であった。身体の水気を拭き取り、服を着替えてからバスタオルで髪をゴシゴシ拭き、浴槽の扉を開けた
「ひどい目にあった…男の人だと思うけど誰だったんだろ?」
彼女自身は何が起きたのかは分からなかったが、根に持っている様子はない。少しだけ湿った短髪に火照った身体には、ほのかな湯気を漂わせていた。
「お客様、ご加減の様子はいかがですか?」
「えっと…大丈夫です」
「それはよかったです。先ほどぶつかってしまったお客様がお詫びに特別なバトルフィールドでポケモンバトルをしたいとのことで…準備が出来ましたらお声をかけて下さい」
これには流石のツボミも顔をしかめて怪しんでしまう。広間にあったバトルフィールドでさえも十分すぎる物であり、それ以上の物は想像できない。また自分よりも強いトレーナーは沢山いて、結果はどうであれ、負けているバトルの方が多い。何故私は特別というフィールドに招待するのか。それともどこかで特別なイーブイと分かってしまったのか。彼女の内面から、開いた隙間に絶え間ない不安で塗り替えられていた。
「あの…お客様?どうかされましたか?」
「!何でもありません。ちょっとだけ待って下さい」
そんな問答はウエイターの声で瞬間に過ぎ、少女の目に光が戻ると、ツボミは決まって愛想笑いをして誤魔化した。そんな少女の顔を見つめ、何事も無かったかのように、部屋を見廻してから部屋を出る。部屋でニドラン♂とコイキングにキズくすりで傷を癒してから、ウエイターに声をかけた。
「準備できましたよ」
「了解しました。では、私の後について来てください」
赤いじゅうたんを踏みながらウエイターの後を付いていくと関係者以外立ち入り禁止の札のあるドアを開ける。忙しなく動き回るコックやウエイターの通路に足を止め、顔を見上げてウエイターに身体を向ける。
「こんなに人がいっぱいいて…あの、ここを通りますか?」
「傍からは忙しく見えますが、私達は互いに当たらない歩行ルートに合わせて効率的に動いているのですよ」
「あっ…はぁ…」
「ルートを外れてしまうとすぐに当たってしまいますからね。歩行をあわせますのでその後について来てください…こちらです」
それでもまだツボミはウエイターの後に付いていくのは楽ではあるも、彼女にとっては働く大人の緊張感や圧迫感に、胸の内から焼付く痺れには慣れないし、明らかに場違いな少女のツボミは早くこの場を離れたかった。
「あのぅ…特別なバトルフィールドってどこにあるんです?中央広場にあったものでも立派だったのに…あれ以上何ですか」
「それは何よりです。ご案内しているバトルフィールドはチャンピオンや四天王、ジムリーダーなどの御忍びで来られた方向けにある専属トレーナー向けのフィールドとなっています」
「益々分かりませんよ~。私なんか、まだ半年も経っていないトレーナーなのに…誰の招待なんですか」
「申し訳ありませんが、トレーナーに関してはお答えできません。我々のバトルフィールドは外部からは見えない所に設置してあります。これは外からバトルフィールドを見られず、マスコミやメディアを気にしない為の処置です。しかし、入るにはこのスタッフ専用の通路を通らなければならないですが…話している間に着きましたね」
ウエイターは扉の前に立ち止まり、ポケットに入っていたカードキーを手渡す。
「ここからはこのカードキーを取っ手にかざして御一人で進んで下さい。しばらく前に進めば長い螺旋階段があります。そこを昇れば、バトルフィールドにつきます。私はここで、お客様のお帰りをお待ちしていますね」
カードキーを手にしたツボミは扉の取っ手にかざすと¨ガチャリ¨という金属音が鳴り、薄暗い道を進めば、螺旋階段が目に付いた。ふと顔を見上げると、少女は、大人の行き交う道やポケモンバトルをした精神の疲労から地団駄の一つも付きたくなった。ビルの五階建てに相当する高さまである階段を昇らなければならないからだ。
ゆっくりでも歩いていけばいい――
それだけなのに、なんだか億劫だ。
一人、螺旋階段を昇りながら、ツボミは思った。学校でモンスターボールをポケモンに当てられなくてクラスメイトに無視されてきたのと違う。一人前のトレーナーとして認めてもらう為にママの手伝いをしても、相手にされなかったのとも違う。今までの思い出から彼女には想定できない覆いかぶされたものに、一瞬だけ自分では分からないものに力負けした。想いが根負けした。せめてツボミは強気に取っ手を掴みながら歩いていく。
ようやく螺旋階段を昇り切った通路を真っ直ぐに進めば、スポットライトで土の敷き詰められたバトルフィールドが眼前に広がった。薄暗い場所から明るい場所へと、目が慣れてくると見覚えのある男性がたたずんでいた。
「え…オクタン焼きのおじさん!?」
「なんだそれは…俺の名前はクロツグだ!」
バトルフィールドには腕に手を組んだクロツグに、その隣で落ち着かない様子で周りを見渡すミニリュウ。落ち着かないミニリュウはクロツグの名乗り初めてからは身体をゆっくりと伸ばしていた。
「最高のバトルフィールドだろ!?ここは予約なしでは滅多に使わせてくれないのだがな――急だが使用許可が下りて運がいいぜ!!ハッハッハァ!!」
大きな声で高々と笑うクロツグの声は高圧的であるも威圧的ではない。ツボミは道ですれ違ったスタッフとは違う雰囲気に、覆いかぶされていた何かの感情が剥がれた気がして、落ち着けていた。
「ここに来たからにはバトルがしたくて来たんだろ?俺は君のバトルを見て興味が湧いて誘った!ポケモンを愛する心とトレーナーを信じる心…それをこの俺と――」
言い終える前に、クロツグの投げたモンスターボールからは、三日月を思わせるポケモンが現れる。
「――この『クレセリア』にぶつけてみろ!!!」
ポケモントレーナー独特の闘気に当てられたツボミは、反射的にニドラン♂が入っているモンスターボールに手を伸ばした。これが最も信頼しているポケモンであり、最も愛しているポケモンだからだ。それに鼓音する様に、ボールにいたニドラン♂も確かな脈音を震わせていた。