大正4年1915年地中海にて連合中央同盟の海軍は熾烈な通商破壊防衛戦により多数の艦艇を失っていった、特に1月3日にはテゲトフ級2隻と多数の艦載艇水雷艇による襲撃により前弩級戦艦ゴライアスが大破底着フォーミダブル、イレジスティブル、オーシャンが撃沈インプラカブルがオーハン軍に鹵獲された。エングランド海軍が被害を被るのを横目にフランカ海軍はマルセイユ目前でシャルルマーニュとゴーロアを撃沈されエングランドを笑えなくなっていた。そんな中四季島第6艦隊および第1護衛艦隊派遣軍の先遣隊を乗せた輸送船団が地中海に出現手薬煉引いて待っていたオーハン艦載艇部隊を松型搭載の3年式40㎜機関砲(史実ボフォース40㎜)で薙ぎ払った。木造船体の艦載艇は40㎜弾のシャワーによりいともたやすく蜂の巣にされていった。
四季島海軍を1番の脅威と認識した中央同盟艦隊はテゲトフ級2隻と鹵獲したインプラカブルを主力とした艦隊を四季島艦隊にぶつけようとしていた。対する四季島軍はこの動きを察知本国よりベルギウムのに向かう途中の第5艦隊と合流その後エングランド海軍所属の超弩級戦艦モナークとANZAC軍団輸送船団(オーストラリア・ニュージーランド軍団)と合流輸送船や護衛艦艇合わせ200隻ほどの部隊をオーハン軍は襲撃するも頼みの綱のテゲトフ級とインプラカブルは快速で斬り込んでくる第5艦隊に戦列を乱されモナークの攻撃にさらされた。突撃を敢行する艦載艇水雷艇部隊は四季島艦隊の40㎜機関砲や輸送船の25㎜対物砲の弾幕射撃により戦列を乱されてください離脱せざるを得なかった。
2月1日オーハン海軍は鉄路によりドイツから輸送された艦載艇小型水雷艇200隻を地中海に投入、インドシナから輸送されていたフランカ軍船団を襲撃護衛艦艇4隻と20隻の輸送船すべてを撃沈した。
これに恐れを抱いた連合各国は四季島帝國に護衛艦隊の追加派遣を要請。フランカは四季島に護衛艦艇を発注、発注された四季島帝國は急場しのぎとして桃型護衛艦(桑型の輸出モデル)12隻を売却。
とは言え対処療法では通商路維持は難しくマルタ島に司令部を置く四季島帝國海軍地中海艦隊司令部は敵根拠地トリエステ攻撃を
連合軍司令部に提案するもドイツの潜水艦対策に追われるエングランド、フランカ両国は作戦参加を拒否、仕方なく作戦は延期された。
その頃欧州戦線に四季島陸軍先遣隊1個軍が到着すぐさまベルギウム戦線に投入された。投入されたのはロイ・ユング大将率いる第3軍ですぐさまイーペルを奪還そこを起点にブリュージュを奪還し戦線最北方に防御陣を構築した。これによりフランカ領内では史実に近い形で戦線を構築する事となったがベルギウム領の完全制圧にはならなかった。その頃を西部戦線中央及び南部ではドイツ航空隊が猛威を奮っていた。
史実より速くフォッカーの懲罰が発生偵察機しか持たぬ連合軍航空隊は壊滅的な被害を被っていたしかし四季島44年式を購入していたベルギウム航空隊はなんとか奮戦するも時速100㎞しか出せない44年式は敗北。唯一抵抗できていたのは四季島軍から有償援助された3年式12機であった。
しかし中央南部で航空優勢をとるドイツ航空隊は北部に展開する四季島空軍との空戦により多数の出血を強いられていた
ドイツ航空隊参謀「先日までに97機。手酷い被害だ」
ドイツ航空隊指揮官「四季島の補給能力はどうなっていやがる、こっちも同数、いや各国に有償寄与された機体を含めば戦闘機だけでも200機は撃ち落としてぞ」
ドイツ陸軍参謀「ともかく制空権を得てくれとは言わん、せめて優勢は保ってほしい、四季島の爆撃機の猛威を振るっているんだ」
ドイツ航空隊参謀「それはわかっている、だが今の機体じゃ互角は可能でも優勢は取れん」
ドイツ航空技術士官「今以上の機体を出せとは現状では不可能です。既存機種の増産で手一杯なんです。」
ドイツ航空隊参謀「ここまで損害が増えたのは海軍にも責任がある、出撃しない海軍の資材を航空機生産に向けたいのですが?」
ドイツ海軍参謀「なんだと!海軍になんの責任があるのだ」
ドイツ航空隊参謀「地中海とドーバー海峡の輸送路を寸断できていないではありませんか、アレらを寸断出来れば四季島の補給線を破壊できると言うのに」
ドイツ海軍参謀「無茶を言うな、四季島の護衛体制は万全に近いのだぞ、貴官は海軍に死ねというのか」
ドイツ航空隊参謀「そこまでは言って無いが、せめて岸壁の花となっている戦艦を出さずに出来ないなどとは言ってほしくはないな」
ドイツ海軍参謀「大洋艦隊(ホーホゼーフロッテ)にはエングランド本国艦隊牽制という任務があるのだ。補給線寸断に出せるものは無い」
ドイツ陸軍参謀「海軍を庇うつもりはないが、航空隊で輸送船は沈めれないのかね?」
ドイツ航空隊参謀「無理だ、我が航空隊は洋上飛行などやらせた事がない」
会議とは名ばかりの責任の押し付け合いなすりつけ合いは数日間続き最終的には全力を上げてタイプ3(3年式)鹵獲を目指す事とした。
5月3日ドイツ航空隊は全面攻勢にでた俗に言う5月大空戦の開始であった。この空戦には当時のドイツ航空隊の6割に相当する1800機を投入対する連合軍航空隊は2400機を投入したがフォッカーに対処できるのは四季島の3年式のみでありその3年式も四季島空軍の108機ベルギウム航空隊の24機エングランド陸軍航空隊の36機の合わせて168機と数的劣勢であった。
勢いに乗るを中央同盟航空隊の飛行船が5月10日にパリを空襲3隻が参加したのみであったため被害は少なかったがフランカ軍は前線より飛行隊を引き抜かざるを得ず。それにより中部戦域の制空権は完全に中央同盟に奪われた。しかし北部戦域では3年式2型が配備されると完全に中央同盟航空隊は殲滅されかけていた北部には600機のフォッカーを配備したものの四季島軍とのキルレは1:5〜1:10と圧倒的に劣勢に陥っていたそれどころか44年式3型を装備したベルギウム航空隊36機と3年式1型を装備したエングランド海軍飛行隊42機が参加すると防衛線を食い破られかけていた。後の歴史家と戦史家はこの状況中部と南部の制空権を中央同盟が保持していなければ戦争は早ければ16年の夏には終わっていたと評した。
15年6月10日ドイツ軍司令部は航空戦の中止を宣言した。中央同盟損害672機連合軍損害1724機キルレ約1:3を達成した。が北部でのキルレは12:1と北部に送られた機体672機中撃墜されたもの361機撃墜したもの32機と圧倒的なスコア差を叩き出されていた。
6月11日イタロス軍攻勢を開始するもオーハン軍の防衛線に阻まれ停滞。
6月20日四季島遣欧軍第2陣として第1第2軍到着同時に3年式2型装備の2個戦闘飛行隊72機4年式双発爆撃機装備の1個爆撃機飛行隊36機が到着イーペル近郊に展開した。
この報告に恐れを抱いたドイツ軍はベルギウム戦線にさらなる増援を派兵したかったが東部戦線のルーシ帝国軍が進撃を開始した為現状の戦力で持ちこたえなければならなかった。一応参謀本部は前線後方10kmに予備陣地を構築後退の裁量を前線司令部に与えるなど後退しやすいように準備していた。
同時期フォッカーによる中部南部戦域の連合軍航空隊の損害が2500機を突破あまりの被害に連合各国は四季島に3年式の輸出を要請要請された四季島は3年式800機を輸出20隻の航空機運搬艦と護衛の第2第4艦隊第2第3護衛艦隊が本土より出港。
船団は途中シンガポールでエングランド東洋艦隊やフランカ太平洋艦隊からの護衛とANZAC軍団やインド軍団インドシナ軍団が乗った輸送船や民間商船と合流最終的に船団編成は以下のようになった
四季島艦隊
船団旗艦水上機母艦鈴原
浪速型防護巡洋艦2隻
雷型護衛艦12隻
航空機運搬艦24隻
輸送船15隻
水上機24機
積載航空機960機(補給増援機体含む)
第2艦隊
金剛型超弩級巡洋戦艦4隻
出雲改型装甲巡洋艦4隻
吉野型防護巡洋艦8隻
磯風型駆逐艦24隻
第4艦隊
多摩型旗艦級防護巡洋艦1隻
鳳凰丸
鳳翔型空母2隻
吉野型防護巡洋艦4隻
磯風型駆逐艦12隻
艦載機82機
第2護衛艦隊
多摩型旗艦級防護巡洋艦1隻
松型大型護衛艦3隻
桑型護衛艦16隻
第3護衛艦隊
松型大型護衛艦4隻
桑型護衛艦16隻
エングランド艦隊
旗艦戦艦クイーン・エリザベス
巡洋艦3隻
駆逐艦12隻
ANZAC軍団輸送船20隻
インド軍団輸送船28隻
フランカ艦隊
旗艦戦艦ダントン
ダントン級2隻(旗艦含む)
巡洋艦2隻
駆逐艦10隻
桃型護衛艦24隻
インドシナ軍団輸送船28隻
商船46隻
合計330隻
船団はインド洋を通過しスエズに7月25日に到着補給と整備を済ませ7月31日にスエズ運河を超え地中海に進出。これを察知していたドイツ地中海艦隊とオーハン艦隊は出撃艦隊は弩級戦艦3隻準弩級戦艦2隻弩級巡洋戦艦1隻巡洋艦5隻駆逐艦12隻艦載艇150隻小型水雷艇80隻潜水艦15隻航空機27機水上機3機と護衛艦隊と真っ向勝負することは厳しい編成であった。
次回地中海の死戦