朝、目が覚めて適当に手を伸ばす。
床に転がっている本の内、漫画を拾ったら漫画を読んで過ごす。ゲームを拾ったらゲームをやって過ごす。リモコンを拾ったらテレビを見て過ごす。
閉じられた空間の中で自分が決めた唯一のルール。
俺は引きこもりだ。ニートって言い換えてもいい。少し前に起きたこと、そして人の目が気になって外に出られなくなった。
もうすぐ2年になる。死ぬほど苦労して勉強して入った大学もいかなくなり、油断してると自分がなんの専攻だったかすら忘れてくる。勧められたバイトは履歴書を書くたびに大学の名前を見て吐いて、そのままだ。電話の音も怖くなり、2度と出るのはやめた。
両親はあの手この手で出そうとしたが、最初の1年ぐらいで諦めた。いっそ捨ててほしい。とどめを刺してほしい。
はっきり言おう。死にたいと思っている。でも、死ねない。10年前にとある約束をしたからだ。この状況で考えること自体馬鹿みたいなのかもしれない。だが、俺の命をつなぎとめているはそれだけだ。
「馬鹿みたいだな……」
ぼんやりと独り言をつぶやく。1日の中でもほとんどしゃべらないのに、久々に口から出た。最後にいつしゃべったかわからないが、人の言葉と動物の言葉を足して2で割ったような音にしかならなかった。
ふと気が付く。俺は先ほども話した日課であるベッドから手を伸ばして今日するべきことを決めるはずだったが、いくら手を伸ばしても何もない。
そもそも今寝ている場所がベッドですらない。地面が固い感覚すらなく、ただ、周りが薄暗い闇としか感じないのだ。
確かに俺は締め切った部屋でほとんど1日をすごしているがここまで暗くはならない。
「よう、お目覚めのようだな。素敵な朝は過ごせたかい?」
振り返ると、悪魔がいた。
そう、今見ているものはあまりにもわかりやすく、人ではない存在だった。まず、夢であることを疑ったが、考えてもしょうがないことなのでやめた。
ついに、ため息が出る。
人間ここまで追い込まれると、とうとう人外の存在に出会ってしまうのかと。
「悪魔か……殺すならできる限り楽に殺してくれ。あるいは早めに」
目の前にいるのがなんだろうが、殺そうとしていようが、別に抵抗はしない。俺が禁じているのは自殺だけだ。病気で死のうが、誰かに殺されようがそこまでは考えない。
どうせ死ぬなら可能な限り痛くないように死にたいと思っているが。
「おうおう、冗談すら通じないとはこりゃガチだな。」
悪魔の声は恐ろしく軽い。しかし、軽薄な同級生よりましだと思うのは、俺が引きこもりだからだろうか。
こちらの言動など全く気にせず悪魔は言葉を続ける。
「俺はお前にとある契約を交わしに来ただけだ。心配するな。契約を認めようが認めないが、お前の命をすぐこの場ではとらない」
「つまり、場合によっては時間がたったら命の問題になるということだな」
「おーかしこい!話が早い奴は嫌いじゃないぜ」
「さっさと要件を言え」
悪魔の願いなんてどうでもいいが、聞かない限り話が進まなそうなので聞いておく。
「おう、教えてやる。お前は人間が嫌いだろう?そして人間を怖がり、傷つけるのも同じぐらい嫌っている。そして、人間のことを信じていない。このまま朽ち果てて死んでいきたいと思っている。ここまではいいか?」
「……」
「沈黙は肯定とみなすぜ。否定したかったらいつでもいいがな。そこでだ。とあるゲームをしようじゃないか。お前に少しの間、とある力をやる」
「力……?」
「ああ、その力を使えば、お前は他人から認知されなくなる。そうすれば、だれもお前を傷つけることなんてできないし、お前を見ることもできない。つまり、お前は誰の視線も、もっといえばだれの存在も気にしなくていいわけだ」
考えたこともなかった。どこまで行っても人は俺のことを見て、俺を傷つけるという錯覚をどうしても抱いてしまう。そのことに絶望していた。
もし他人が俺のことを認知しなくなるのならば、確かにひきこもる理由はなくなる。
「で、対価は?」
「4年間の中でお前は最も愛したいという存在を見つけろ、そして愛されろ。できなかったらお前の命を奪う。どうだ?」
あまりにもうさんくさい契約だった。
しかし、心の中で即、決断が出た。もちろん楽にできるからじゃない。どうあっても達成が不可能だからだ。逆に考えれば、俺にとっては報酬と対価は反対方向にある。
あと、4年だけ、その不思議な力を使って、せいぜい生き延びれば「死」が報酬として与えられる。
どうせこのまま静かに朽ち果てるしかないと思っていたが、やはり両親に迷惑をかけたくない。なら、その力をフルに活用し、極力誰にも迷惑をかけず、生きれるだけ生きてそれから死ぬ。短くてもいいから、人らしく生きることができるのならば、そっちの方が何倍もましだと思った。
「いいだろう」
「よし、契約成立だ」
こうして俺の人生はこの時から残り4年と決まった。
先ほどの出来事から約数分後……。天空のとある世界。
「で、私の手筈通り行ったのかしら?」
「あいよ。間違いなくやった。4年後、あいつが誰かを愛して、誰かに愛されるっていう二つの条件がない限りあいつが死ぬっていう条件であいつの空気感を限りなく薄くする能力をくれてやった。最もあいつにとっては条件は逆に伝わったと思うがな。あんたの指示通りだ」
目の前にいる、白いローブを着た美しい天使に対し、悪魔は少しだけ忌々しそうに声をかける。はっきりいってこれはただ働きに近いのだが、逆らうことができないのだ。魂を奪えず、負の感情も生み出せない仕事など、本来は悪魔の仕事ではない。
「よろしい。契約は果たされたわ。あなたは自由よ。魔界に帰るなり、彼以外の人間を騙すなり好きにしなさい。もっともこれは私個人の契約だから、他の天界関係者が守ってくれるとは思わないことね」
「俺としてははありがたいが、本当にいいのか。悪魔を開放するなんざ、天界にとっちゃ大きな罪だろ。あんなさ」
冴えないという言葉は続かなかった。瞬間、悪魔の全身の毛を一つ一つ撫でるかのようないくつもの光線が放たれたのだ。チリチリとした感覚が全身に伝わる。
脅しというにはあまりに多すぎるその力の連鎖はすでにわかりきっている実力の差を大いに見せつけられた。
「あら、悪いわね。私がこの世で最も愛している御方の悪口を言いそうな気配がしたから。それでどうしたのかしら?」
ニコニコと微笑みながら目は全く笑っていない。
「なんでもねえよ……」
後ろの壁を見なくてもわかる。ちょうど自分自身より少しだけの大きな形の悪魔の影絵ができているだろう。もし次に余計な口を聞いたらそのまま自分が影になることは間違いない。
「そう、最後に覚えておきなさい。私のすべてはあの方のため、あの人のためなら私は世界なんてどうでもいい。例え数千の神と敵対したとしても構わない。最後にあの御方のそばにいるのは私よ」
全く、これだから女神というのは恐ろしい。
悪魔というのは平等だ。呼び出されたり、あるいは本当に必要な人間のところに出張して対価と引き換えに望みをかなえる。多少、だましたりすることはあるが、少なくとも相応の願いでかなえる。
それに引き換え神や天使は不平等である。気に入った人間を見たらどこまでも愛し、どこまでも周りの迷惑なんて考えない。
ただその中でも、一般的なイメージで言うならこいつの方がよっぽど悪魔である。
「まあ、俺には関係ない話だな」
契約は終わったことだし次はもう少しまともな契約を交わせるやつのもとへ行こうと悪魔は去っていった。
「ふふふ……。もうすぐ私が救い出してあげますわ。誰にも渡しません♡愛しい貴方様♡」
続く(?)