そんな時、ヤンを二人の人物が訪れる。訪問の目的は、自由惑星同盟が記録を隠しているので調べさせてほしい、というものだった。
第一話 未来のスーパースター
「……かくしてティアマト会戦は我が同盟軍の大勝利として決着することになりました。この時、総旗艦ハードラックは残存している帝国艦隊の伏撃を受け、アッシュビー大将は重傷を負いますが、幸いにも致命傷とはならず一年後、軍務に復帰します。しかし、常勝将軍アッシュビーが復帰冒頭に述べた言葉は、大方の予想を裏切るものとなりました。(ベルの音)おほん。本日はここまで。次回は資料の240ページからとします」
講義室の大きさに比してひどく少ない学生が、がやがやと騒ぎながら出ていく。最後に残った学生(恐らく年齢からして、徴兵を延期した大学生ではなく、社会人学生であろう)は、大きく伸びをすると講義室内を眺め回し、荷物をまとめると講義室を出て行った。
エル・ファシル星系大学の中庭は、芝生が広がっている。今日のような四月の暖かい晴天の下では、絶好の昼寝スポットとなる。その学生も絶好の機会を逃そうとはせず、適当な樹の下に寝そべり昼寝に勤しもうとし……耳に装着しているコミュニケーターが着信音を鳴らしだした。
学生は大げさに舌打ちをすると、コミュニケーターと連動している腕時計を見て発信者を確認、もう一度舌打ちをした後に通信を開始した。
「大尉、今日は休暇のはずだぞ」
「申し訳ございません。少佐。少佐と面会をしたい、という方がいらっしゃいまして」
「???社内じゃないな。娑婆の人間か?」
「御明察です」
「民間人の対応なら広報の担当だろう。民事案件(一般的な用例とは異なり、軍隊に所属する人間の民間人とのトラブル等を指す)なら、何故私のところに話を持ってくる」
「司令がそう決めたそうです」
「は???」学生は目をぱちくりした。
「民事案件でも、特殊な案件だと。暇を持て余している総務部企画第三課長ならうってつけの案件だということで」
「あのなぁ……これはれっきとした退役後の求職活動であって、暇つぶしでもぐうたらではないと何回言ったら……」
「何回言っても信じてくれる人は増えませんよ。とにかく、面会は30分後にセッティングされています。すぐ戻ってきてください。ヤン少佐」
「……分かった。ラオ大尉。準備しておいてくれ。必要なら」
ヤン・ウェンリー少佐は三度目の舌打ちして、コミュニケーターの通信を切断した。
帝国と同盟の戦争が始まってから85年、宇宙歴745年、戦争は所謂「まやかし戦争(ファニーウォー)」と呼ばれる休戦期に入った。
その年に起こった「第二次ティアマト会戦」は、同盟軍の大勝利に終わったが、その勝利は単なる一時の勝利に留まらず、戦略環境をも大転換させることとなった。
第一に、その戦役で一方的な敗北を喫し、将官の大量戦死に伴って宇宙艦隊の統帥機能が大きく失われた帝国軍は、一時的に同盟領への侵攻作戦を停止し、同盟領との国境に大規模な駐留基地を建設することで、宇宙艦隊の機能が回復するまでの時間稼ぎを行おうとした。
第二に、その戦役で一方的に勝利した同盟軍は、宇宙艦隊司令長官ブルース・アッシュビーの重傷によって一時的に停滞状態に陥ったものの、幸いにしてアッシュビーは一命を取り止め、一年後に現役に復帰することができた。自由惑星同盟は、その歴史上において、初めて「主導権を握る」こととなったのである。
しかし、大方の想像に反し、アッシュビーが選択したのは「非戦」であった。現役復帰時の会見において、アッシュビーは帝国と同盟との国力差について詳細に述べた後、今まで同盟が帝国と戦争を続けてきたのは、いずれも帝国から戦を求めてきた故であるとし、「戦争に勝つには、国家としての力が敵を圧倒するものでなければならない」と述べ、戦術的勝利の積み重ねが最終的な戦争の勝利とはならない、と宣言し、戦争に勝つために戦術的な勝利を求めず、「戦わずして敵の兵を屈する」方針を発表したのである。
当然ながら、この会見は好意的・非好意的双方な視点から多くの議論を呼んだ。非好意的な意見としては、今まで帝国に対していくつもの勝利を重ねてきた指揮官が、突如帝国と戦いたくないと告白したのは許すべからざる敗北主義である、という意見が大多数だった。好意的な意見としては、軍や政治指導部が帝国との国力差を考えず、みだりに流血を続けるのは最終的に国家の荒廃を招く、という内容のものが多かった。実際、同盟内ではバーラト周辺の「中枢星系」とそれ以外の「外郭星系」の経済格差が拡大し続けており、アッシュビーの発言は「外郭星系」に住まう人々によって好意的に受け取られた。
戦傷より復帰したアッシュビーは数々の批判を意に介することなく「非戦」を推し進めた。イゼルローン回廊付近の星系の要塞化、恒常的軍事基地の建設、軍事設備を拡充することによる機動艦隊の前線駐留の推進、アッシュビーはその情熱を「非戦」に注ぎ続け、軍人の立場としてそれが実現不可能と分かると、迷うことなく政界に転身した。政界においても人には真似できないスピードで昇進を繰り返し、政界に転身して3年後には国防委員長の座についていた。政界においても、その能力を遺憾なく発揮し、軍に所属する「730年マフィア」の面々と二人三脚で「非戦」を推し進めた。
宇宙歴750年に起こった「パランティア星域会戦」は、そのアッシュビーの戦略構想は実現途中であったものの、アッシュビーの構想自体は全く正しいことを証明した。イゼルローン回廊を抜け出た帝国艦隊2個艦隊17000隻は、イゼルローン回廊を出るや否や同盟軍の哨戒網に引っ掛かり、パランティア星域において帝国艦隊は同盟艦隊の奇襲を受けることとなった。パランティア星域に設置された軍事基地を攻撃する途中で背後を突かれた帝国軍は、前面に軍事基地の自動攻撃設備、後背に同盟艦隊を迎え撃つ形となり一方的に打ちのめされた。それだけでなく、敗走中イゼルローン回廊において、帝国艦隊は突如現れた機雷堰に立ちすくんだ。無事に帝国領にたどり着いた帝国軍は、進撃開始時の5%にも満たなかったという。
またもアッシュビーに敗北した帝国軍は激高し、戦力の涵養に注力するために同盟領への侵攻を停止した。しかし、その後帝国軍が同盟領に侵攻することはなかった。宇宙歴761年、時のオトフリート5世崩御後、皇太子リヒャルト、その末弟クレメンツとの間に後継者争いが発生した。この争いは、オトフリート5世によって推し進められてきた平民階級の積極的な登用(宇宙軍はもとより、惑星総督、工部尚書等の技術官僚が特に顕著だった)を支持する平民と下級貴族、これに反対する大貴族とそれを支持する勢力との代理戦争であった。皇帝崩御後、ブラウンシュヴァイク公フリードリヒに唆されたクレメンツは、前皇帝より即位せよとの遺言を受けたと主張し皇帝即位に必要な国璽を奪取、新無憂宮の南方にあるベルヴェデーレ離宮にて即位を宣言、その後すぐにオーディンを離れてブラウンシュヴァイク星域を「仮の首都」と宣言した。
当然ながら長兄リヒャルト、後の皇帝リヒャルト三世側はこの即位を認めず、討伐軍を派遣したが、「リヒャルトは遺言、国璽なき皇帝」と宣言した皇帝クレメンツ二世の下に多くの大貴族が集結し、討伐軍は大敗を喫した。以後、帝国の主敵は「偽皇帝軍」となり、同盟軍は文字通り「蚊帳の外」に置かれることとなった。
「蚊帳の外」に置かれた同盟には、二つの選択肢が示された。ブルース・アッシュビーは既に亡くなっていたが、彼が情熱をもって築き上げた要塞線に依って「非戦」を貫くか、帝国領に雪崩れ込んで内戦に介入するか、であった。
同盟が選択したのは前者であった。要塞線と共同して帝国の侵攻に対処する、との方針のもと、同盟軍は機動艦隊の一部を辺境警備に充てており、辺境警備艦隊は動員を解除、徴兵制にも資格を満たした人間に限定されるが「延期」制度が導入され、国民皆兵とは必ずしも言えなくなってきた。要は、「攻撃したくても相当無理しないと攻撃できない」状況だったのである。
この状況を批判する人は少なからず存在したが、同盟はそれに見合った果実を享受していた。減税の実施、延期されていた辺境開発プロジェクトの再開、経済運営におけるフェザーン依存の脱却、いずれも「まやかし戦争」のもたらしたものであった。戦争の大義を主張する市民は少なからず存在した(当然ながら帝国亡命者にそれが多かった)が、それを支持する勢力が多数派になることは当分の間ない、そう見られていた。
エル・ファシル憲兵隊本部会議室ーー
「エル・ファシル憲兵隊本部総務部企画第三課長ヤン・ウェンリー少佐であります」
ヤンはそこまで言って、目の前の二人が民間人であることを改めて確認した後、軽く会釈した。敬礼は軍隊の中での儀式であり、民間人相手に軽々しく行うものではない、とされている。
来客は押しの強そうな中年男性と、まだ中学生だろうと思われる少年の二人。親子と思えないこともないが、発する雰囲気がまるで違うことから、ヤンはその可能性を排除した。中年の方は、ダブルのスーツをぴっちり着こなしており、一目見ただけで「やり手のビジネスマン」を感じさせる。少年の方は、どこにでもあるブレザーとズボンという服装だが、亜麻色の髪と端正な顔立ちはまさに「美少年」そのもの。大層もてているのだろうなぁと推測した。
問題なのは、この民間人の来客に総務部長でも憲兵隊司令官でもなく、何故、エル・ファシルに駐留している第二艦隊司令官のパエッタ少将が同席しているか、である。
「フライングボール?」
面会した民間人から送られてきた自己紹介データフラグメントを見たヤンは、思わずそう口にした。低重力環境で行われる球技であるフライングボールは、帝国のみならず同盟でも広く行われているスポーツであるが、ヤンはスポーツにほとんど関心がない(軍人であるにも関わらず!)
中年男の方は、トム・ローゼンハウスという名前、ハイネセン・フライングボール競技代理人連盟所属とあった。少年の方はユリアン・ミンツ、ハイネセン・シルバーブリッジ第五中学校とあったが、その後に続く情報が長かった。曰く「フライングボールU-15選手権、シルバーブリッジAC優勝、MVP」だの「フライングボールU-15リーグ、ハイネセン地区得点王」だの「フライングボール、ハイネセン・パルセイロAC U-18入団内定者」だの。見かけによらず、この少年はとんでもないスポーツエリート(の卵)のようであった。
「もしかして……ユリアン・ミンツをご存じありませんかな?」
ローゼンハウスが聞いてきた。言葉こそ丁寧だが、相手を世間知らずだと思っているのは、イントネーションで十分分かる。
「ええ。スポーツは疎いもので。申し訳ございません」
ヤンは慇懃無礼に受け流した。横になぜか座っているパエッタ少将から視線を浴びせられたような気がしたが、それも無視することにした。
ユリアン・ミンツという名前の少年は、やたらと興味深そうに室内を眺め回している。エル・ファシルにある艦隊司令官室には、国旗だの艦隊旗だの歴代司令官の写真だの勲章だの、興味ある人にはたまらない修飾物が山とある。
「ところで、ご用件の方は……」
「……おほん。申請については既に憲兵本部へ提出しておりますが」ローゼンハウスの目は、明らかにヤンを見下しているのが分かる。
ヤンは、端末で面会リストを紹介し、該当案件の情報を引き出した。そして、一瞬あっけにとられる。
「パーシャルライブラリの閲覧申請……ですか?」
「そのとおりです。詳細は申請にある通りです」ローゼンハウスはうなずいた。
申請情報曰く、殉職した親族の詳細情報を閲覧したい、とのことであった。そういう要求は少なくない、いやむしろ多い。親族が、命を落とした兵士がどんな状況で最期を迎えたのか、少しでも多くの情報が欲しい、という欲求は当然のことであるし、軍もできる限りの範囲でそれにこたえようとする。ただ、そういう要求の窓口は首都星ハイネセンにある情報統合ライブラリ情報閲覧センターであって、辺境惑星エル・ファシルではない。ハイネセンには、専門の対応職員もいるし、そこで情報が得られないとしたらどこへ行っても同様のはずである。
「親族への情報開示は、惑星ハイネセンの情報閲覧センターの管轄のはずですが」
「そうです。しかし、閲覧申請の結果は、殉職時の情報は欠落している、と」
「欠落?」
「いえ、しかしですな。情報統合ライブラリには全ての情報が集積されています。欠落などあり得ない」それまで黙っていたパエッタ少将が口をはさんだ。
「皆さんそうおっしゃいます。ですが、事実は事実です」
ローゼンハウスがデータを送ってきた。情報統合ライブラリの通知データには確かに「アリアナ・ミンツ搭乗哨戒艇『プレアデス1154』遭難記録は存在せず」とある。
「ちょっと待ってください」ヤンはそう言って情報を検索した。
ユリアン・ミンツの個人情報を検索すると、両親は両方とも軍人だった。マシュー・スタッフォード・ミンツ、宇宙軍大尉、第六艦隊広報部勤務、現在は惑星ウルヴァシーにて広報活動従事。ということは、今回の件で問題となっているのは母親の方らしい。
アリアナ・ミンツ、宇宙軍少尉(殉職時特進)、最終所属イゼルローン回廊特殊哨戒隊、宇宙歴790年4月16日殉職、そこまで見てヤンは顔をしかめた。イゼルローン回廊特殊哨戒隊というのは、もちろん国境守備と哨戒が任務であるが、それ以上に重要なのが、回廊に敷設した機雷群の点検と交換である。十億を超えると言われている機雷のチェックは、自動化がある程度進んでいるとはいえ危険な任務であった。帝国の哨戒部隊を追跡しているうちに、帝国側が活性化してしまった、いや、事故や故障でコントロールを失った機雷に巻き込まれて触雷そして殉職、なんて例も結構ある。ということは……
「もしかして、今回の件は、情報そのものが存在しないのではないですか?イゼルローン回廊にて殉職となると、単独航行任務も十分あり得ます。誰も分からないうちに、定時の情報送信もないうちに事故で殉職すると、遭難当時の記録は残りません」
「さよう。情報統合ライブラリの職員も同じ見解でした。本来ならばそれで問題なし、そうなるはずでした」
ローゼンハウスは、ユリアン・ミンツ少年の方を手で示した。
「ユリアン・ミンツ君は、同盟のフライングボール界をしょって立つ存在です。小学生の時からフライングボールを始め、中学ではU-13、U-15双方で優秀な成績を挙げています。いくつものプロ球団が、プロ契約を打診する中、ハイネセン・パルセイロACとの育成契約が内定となり、中学卒業資格取得後に発表される予定です。ですが……」
「ですが?」
「こちらをご覧頂きたい」
ローゼンハウスは紙片を差し出した。紙片に肉筆あるいは機械で文字を記入し相手に送信する、「手紙」と呼ばれる通信方式は、それが成立してから数千年が経過し、社会的意義はほぼ消滅した存在である。しかし、手紙をやり取りする制度は未だに継続している。性能は、データ通信に及ぶべくもないが、その秘匿性においてデータ通信を圧倒しているからである。名前さえ記入しなければ、それを提出した人を特定するにはひどく時間がかかる。
ヤンは紙片を開いた。紙片にはただ一行そう書かれていた。
「アリアナ・ミンツは健在であり、帝国臣民として某惑星に居住している……」
ヤンはそう言って、紙片とローゼンハウス、ミンツ少年を交互に見やった。ローゼンハウスは目を閉じてうんうんと頷き、ミンツ少年は微動だにしていない。
「正直言わせてもらいますが、この紙片の内容に信憑性は持てないと思います」
「そう口にするのは簡単です。ですが、信憑性が低いだけでは意味がありません。そういうものです」
「でしょうね」
ヤンは同意した。芸能人というのはスパイの隠れ蓑として格好の存在である。技能一つで身を立て、それさえあれば政治や経済の中枢に簡単にアクセスできる。そうであるが故に、親族が帝国に居住しているというのは、芸能人としては致命的なスキャンダルである。もしこんなことが表沙汰になって、騒ぎ立てる人がいれば、ミンツ少年はプロスポーツ選手になどなれないだろう。
「記録が見つからないのであれば、見つからない理由を確定させるべく、ここに参りました。該当期間の記録は、エル・ファシルにコピーが存在すると聞きましたので。ミンツ君はここに来るべきではないのですが、情報閲覧資格は親族にしか与えられないということですので」
「それはおかしいですね。調査するとすれば、まずはミンツ大尉にコンタクトを取るべきではなかったのですか」
「ミンツ大尉は第六艦隊と共に、現在哨戒活動中とのことでした。しばらく連絡は取れません」
「ああそれは」
父親のミンツ大尉は艦隊勤務、ということであれば、そこから離れることは難しいだろう。任務の内容如何では、連絡を取ることすら難しい。
「なるほど、わかりました。ところで、本筋からは外れますが、ユリアン・ミンツ君の学業には問題ないのでしょうか。エル・ファシルに来るまでに随分時間がかかるはずですが」
「それなら問題ありません。ユリアン君は既に通学しておりません。弊社内の施設で個別指導、あるいは通信教育を受けています。在学というのは、あくまで便宜上のことで」と、ローゼンハウス。後で聞いてみると、そういう教育を受けている少年少女は別に珍しくもない、とのことだった。
「わかりました。では、閲覧の準備を整えます。ただ、お時間を頂きます。開示する情報が機密情報でないことを確認しなければいけません」
いぶかる二人にヤンは再び言った。
「そういう、規則なのです。ご了承ください。」
少し話を戻すーー
同盟軍に関するあらゆる記録は、惑星ハイネセンのメインライブラリに保存されているが、それを補完する形のバックアップが、同盟領の中で6箇所設置されている。バックアップの内容は、設置場所近辺の記録が主なものであった。
当初の予定では、ライブラリ利用者の負荷を分散することになっていた。ライブラリの設計方針が固まった時期には、超光速通信は今より能力も低かったし、使用のためのコストもかかっていたからだ。ただ、超光速通信が当たり前のように使える現在では、この「パーシャルライブラリ」は、ほとんどバックアップ以外の役目は果たしていない。
だが、そうであるが故、首都星ハイネセンでアクセスできない情報がある可能性がある。システムは完全無欠ではない。記憶メモリは故障の可能性があり、データの同期は常に成功するわけではない。問題は、そのような可能性がどれだけあるかなのだけど……
「ユリアン・ミンツと会ったんですか?」ラオの驚き顔は別に珍しくもないが、その時の顔は普段とまるで違い、横の道で映画スターにでも会ったかのようであった。
「声を小さく。ラオ大尉」ヤンは口に人差し指を当てた。
「失礼しました。で、本物だったんですか?」
「何故私にそんなことを聞く。確かに顔は同じだった。本人確認チェックプログラムも同様だ」
「いやぁ。是非とも少佐と代わりたかったですなぁ」
「何故だい大尉」
「聞きたいことは山ほどありますよ。U-15杯決勝時間切れ間際の3ポイントシュートはどうやって打ったのか、とか、空中スピンの体重移動はどうやっているのか、とか。だいいちですね、『次代の大物』ユリアン・ミンツを知らないとなると、いくらなんでもそれは世間知らずと言われても仕方ないですよ」
「大尉。人はこの世の全てを知ることはできないよ。知っていることは知っているし、知らないことは知らないさ」
「失礼しました」ラオは形ばかりそう言ったが、小さく舌打ちしているのをヤンは聞き逃していなかった。
ヤンは端末を操作して、軍の情報規則をチェックしている。パーシャル・ライブラリを民間人に閲覧させる、というのは制度としては存在するが、実際そんな制度を利用した人はごく少数である。理由は言うまでもない、ハイネセンの情報統合ライブラリに閲覧を申請すれば事足りるからだ。FTLによる申請も可能だから、わざわざバーラトまで行く必要もない。だが、情報統合ライブラリが信用できない、となると話は別である。本人確認調査に過不足がないか、閲覧する情報の範囲は問題がないか、閲覧する場所と時間はどうするか、いろいろな申請事項を調べて申請する。パーシャルライブラリというのはありとあらゆる情報の集合体(の部分集合)であるから、関係のない情報まで見せるわけにはいかない。できれば、本人が確認する権利がある情報だけちょっと見せて、満足してもらってお引き取り願いたいというのが軍側の本音である。
「申請を以前やったことある人がいないかなぁ。いれば話を聞けるんだけど」
「私の知る限り、聞いたことないですね。なんでわざわざこんなエル・ファシルまで来るんですかね」
「そうだろうよ。それにだ、実の父親でもないのに、なんでこんな中年がいかにも保護者面しているんだ」
「未来のプロアスリートだと、実の親にできることはあまりありませんよ。スポーツ専門家の方がよっぽど役に立ちます。若手選手専門の代理人になると、教育とか生活とかのノウハウは実の親よりよっぽど持ってますからね。それに、アスリートの親、というのは結構大変なものらしいですし。」
そんなものか、とヤンは思ったが口にはしなかった。両親が共に軍人、という家庭は別に珍しくもない。この平和な世の中ーーまことにありがたいことだーーでは、そんな家庭の子供でも両親の愛を受けて成長することができる。ユリアン・ミンツという少年は、その貴重な例外ということらしかった。母親は事故死(多分)、父親は仕事に忙殺されて滅多に帰ってこない。家にいるのは父親代わりの代理人。まっとうに育ってくれればいいがなぁ。
ヤンはミンツ少年とローゼンハウス氏の身辺調査を行なっている。パーシャルライブラリの閲覧申請者に対し身元確認を行え、とされているからだった。申請者とは言い難いローゼンハウス氏については、調査をオミットしても規則違反とは認定されないだろうが、そのような横着は歓迎されないだろうから調査対象としている。
その他、閲覧情報の内容チェックであるとか、報告書の用意であるとかやるべき準備は山のようにある。最初、手続き内容についてハイネセンの統合情報ライブラリに問い合わせた時に、あまりの事務手続きの多さにヤンは目を丸くしたものである。ハイネセンではこんなことを日常的に行なっているのか、と。
本来なら、このような事務作業は全て部下に任せてしまうのだが、ラオ大尉の反応を見る限り、(そして身辺調査の内容を見る限り)ユリアン・ミンツ少年というのは大層な知名度を持つ少年らしい。そんな少年がらみの事務作業を周囲に任せていては、別の騒動が起こりかねない。だから、ヤンは「司令官直命対応中です」と面会をシャットアウトし、この仕事を一人で行っていた。
情報公開制度というのも、良し悪しだなぁとヤンは思った。主権者たる国民が、知るべき情報を知るというのは至極当たり前だとは思う。しかし、国民は公僕をそこまでこき使っていいものか。
何故この記録が重要なのか。ヤンは検索した公開記録のリストを眺め回しながらそう思う。もう全体を三度読み返している。機密に属するものがないかを事前に調べるためだ。もし軍機レベルの情報があれば、取り扱いや情報の開示は、より上のレベルで判断されることとなる。可哀想に、ミンツ少年とローゼンハウス氏は手ぶらで帰ることだってありえる。
だが、ヤンが見る限り、その可能性は低そうだった。航海記録を見る限り、中身は単調そのもの。出撃、捜索、機雷のチェック、途中で発見される帝国の艦船と思われる残骸、もしこの記録に読む価値があるとすれば、それは欠落している最期の部分となるだろうが、それが補充されることは永遠にない。あるとしたら、それこそ記録の改竄というものである。
何故この情報が重要なのか。何の変哲も無いこの記録が。何故、何故。彼等は何を欲しがっているのか。母親が帝国に居ないことの証明?それとも逆に母親が生きてて欲しいのか。二度と会うことができないとしても?ミンツ少年としては、そういう気持ちがあってもおかしくない。もし、ヤンが何もありませんでしたという報告書をまとめて提示したら、ミンツ少年は落胆するかもしれないな、そう思った。ローゼンハウス氏はどうだろう。一仕事終わってほっとするだろうか。ハイネセンからわざわざこんな前線惑星に来たのである。一刻も早く帰りたいだろう。いや、待てよ。
何故、エル・ファシルまで来る必要があったんだ?
「少佐、よくわかりませんが、そんなに面倒な案件なんですか?アレは?」
ラオ大尉がヤンの顔を覗き込んだ。ヤンの表情は平静だったが、目の下のクマは隠しようがない。ヤンが徹夜をしていたのは誰もが知っている。
「面倒じゃないといえば面倒じゃないし、面倒だと決めてしまえば面倒なことだ。それだけだ」
「さっきパエッタ司令官とすれ違った時に言われたんですけどね。こんなものに何故そこまで時間がかかるのか、と」
「機密情報の取り扱いは、厳正にやらなければいけないからかなぁ」
「嘘はもっと慎重につくものですよ、少佐」
ラオが呆れたように言った。ヤンから通常業務の取り扱いを押し付けられたラオとしては、ユリアン・ミンツの案件に何故時間がかかっているのか、それぐらいは教えてもらわないと、引き受けている甲斐がないと思っているが、ヤンはこの件についてやたらと秘密主義で、ラオにも殆ど何も話していない。
机の上にある個人端末が光り出した。外部からの着信があったことを知ったヤンはコミュニケーターを装着し、ラオを放り出して会話を始めた。
「あ、どうも。ヤン・ウェンリーです。ええ、例の件……ああ、そうですか。わかりましたか。二、三点聞きたいことがありまして。よろしいですか。あ、では、お願いします」
そしてラオの方を見て済まなそうな顔で言った。
「申し訳ないが、大事な話をするんで退出してくれるかな。埋め合わせはするから。事によっては、あと二、三日で片は着くはずだ」
「軍の皆様にも事情というものはおありだと心得ておりますが」
久しぶりに面会したローゼンハウスの口調からは、そんな事情など認めるつもりがないぞ、と内心思っていることがわかる。
「申請を出してから4日経っております。調査状況の経過報告ぐらい頂いてもよいのではないですか」
「お待たせして申し訳ございません」
ヤンは頭を下げた。
「いろいろ難しい問題がありまして。ですが大体問題はクリアされましたので、閲覧して頂こうかと思います」
「おお、それは有難い限り」ローゼンハウスの表情がほころんだ。そういう反応が返ってくるとは思っていなかったらしい。
「もちろん、閲覧資格があるのはミンツ君だけですので、直接ライブラリ施設まで来て頂くことになります。よろしいですね」
「ミンツ君を一人で行かせるのですか?」
「もちろん小官が随行致します。安全は保証致します」
「なるほど、わかりました」
「なお、今回はアリアナ・ミンツ少尉の航海記録を一通り見て頂きますので、かなり時間がかかるかもしれません。記録には、セキュリティレベルの高いものも含まれております」
「そんなに時間がかかるものなのですか?」
ローゼンハウスの眉がひくひくと動いた。
「軍機取り扱いの規則ですので、申し訳ないですが遵守をお願いします。閲覧情報の要約は、後で報告書の形でお届けし、ミンツ君に内容確認の上サインを頂きます。これで完了です」
一方のヤンは、話すこと立て板に水の如くである。
「ところで、お願いが一つあるのですが。」ローゼンハウスが切り出した。
「何でしょうか?」
「私も随伴してもよろしいでしょうか。もちろん、情報閲覧中は別室で待たせて頂きますが」
「よろしいのですか?お時間をかなり頂くかもしれませんが」
「構いません」
「そうでしたら問題ありません。ライブラリ施設の待合室がありますので、そちらをご利用下さい」
ヤンは大きくうなずいた。
ユリアン・ミンツとローゼンハウスを施設に招き入れたのは、その日の午後9時過ぎだった。随分と夜遅い時間ではあるが、ユリアン・ミンツの知名度を考えると、誰もいないこの時間がいい、ヤンはそう言ったのだった。
入口で簡単な手続きを済ませ(コンピュータに記録を残すだけだ)、ヤンと二人はライブラリ施設に入っていった。入口近くの応接室にローゼンハウス氏を通し、ヤンとユリアンは地下の記録室に降りていく。
二人が入っていったのは記録室の端にある閲覧室、と呼ばれる小部屋だった。中は応接室と大して変わらない。ちょっとした調度品と、ソファーとテーブルがあるだけだった。テーブルの上には、小型のデータ閲覧端末がある。
「では、ミンツ君。そこにかけてください。あと、閲覧の前にこちらにサインを」
ヤンはユリアンにスレート端末を差し出した。ユリアンはそれを受け取ると、何のためらいもなくタッチペンでサインした。多分、このようなことは慣れ切っているのだろう。
「ありがとうございます。機密認証が成功したので、君にも記録を見せることができます。そこの閲覧端末から見てください。といっても、量がそれなりに多いので、要約版も用意しました。そちらを読んでもらってもいいです」
「ありがとうございます。でも、そんなに畏まらなくてもいいです。」
「そうなんですか」
「何と言うか……マスコミを思い出すんで」
そこまで言われて、ヤンは一回うなずいた。
「そうですか。分かった。ミンツ君、アッシュビーラインの機雷網のことは知っているね」
「はい。イゼルローン回廊から、その出口の星域群に作られた要塞網がアッシュビー・ラインで、各所に機雷が敷設されているそうですね」
「そうだ。ま、機雷が集中しているのはイゼルローン回廊ぐらいだけどね。アリアナ・ミンツ准尉は790年当時、イゼルローン回廊の哨戒隊に勤務していた。勤務内容は、銀河帝国がアッシュビーラインの中に入り込んでいないか調べること、そして、それを防ぐための機雷がちゃんと機能しているか、そのチェックだ。大事で、重大な任務だよ。これから見てもらうのは、君のお母さんが遭難した時期の、搭乗艇の記録だ」
ユリアンは端末にかぶりついて閲覧をはじめた。公開情報には、文字だけではなく動画や音声も混じっている。ユリアンは最初、動画や音声も一つ一つ丁寧に見ていったが、途中から飛ばすようになった。おそらく、量があまりに多すぎることに気が付いたのだろう。ユリアンの向かいに座っているヤンには、ユリアンが何を閲覧しているかを見ることはできない。でも、ユリアンの反応から、大体何を見ているのかは察しがついた。半べそをかいているのは、母親の写真でも見たからなのだろうか。記録によると、ユリアンは産まれてからこのかた、ハイネセンの父親の実家に居て、母親とあまり一緒に居たことがないらしい。母親の生まれはここ、エル・ファシル。となると、退役してもハイネセンに移住するにはいろいろと制限がかかる(そうしないとハイネセンに人口が集中するからだ)。移住するのに手っ取り早いのは、イゼルローン回廊とかで危険な勤務に従事して、それを元に便宜をはかってもらうことなのだ。
一時間ほどして、ユリアンが端末から顔をあげた。
「少佐殿」
「どうした?」
「ありがとうございました」
ユリアンは立ち上がって一礼した。
「……うん。その、何と言ったらいいか。まずは、お悔やみ申し上げる」
「いいんです。母のことが分かって、嬉しかったです。」
ユリアンの表情は、どこか晴れやかな感じだった。ただ、涙が流れた跡はあった。
「実は……あまり母のことは覚えていなくて。小さい頃から、母は遠いところで働いている、そう父から聞かされていました。母が亡くなったと聞いて、父はすごくショックを受けていましたけど、自分はあまり実感がなくて……それを責められたこともありました。自分で自分がおかしいんじゃないかと思ったこともあります」
「そうか……済まなかった」
ヤンは言った。恐らく、軍にはユリアンの両親のような夫婦がごまんといるのであろう。両親と共に生活できないのは大いに問題があるとヤンは考えるが、上層部はそういうことを問題視していないらしい。
「ところで少佐、後は何かありますか」
「うん……今回の件についてはこれで終わりだ。だけど、もう少し付き合ってもらいたいものがある」
「何でしょうか」
ユリアンは首をかしげた。
「今は何も言えない。だが、しばらくここで無駄話でもして待ってもらいたい。これは大事なことなんだ。君の将来に関わるようなものだ」
「???」
ユリアンは要領を得ず、という感じだったが、ヤンはそれ以上何も言わなかった。仕方がないので、世間話をすることにした。宇宙旅行の話、惑星エル・ファシルの話、ハイネセンでの生活の話、そして当然、フライングボールに話は及んだ。
「ところでミンツ君」
「ユリアンでいいですよ。少佐殿」
「いやぁ。少佐殿なんて大げさな言い方は、私には似合わないなぁ。ヤンでいいんだけど」
「では、ヤン少佐」
「……じゃあそれで。アレだ。ユリアン君。君は、卒業したら……どうするんだい。あ、いや、そのまま選手になるのかい」
「……多分そうなるんですけど……」
「多分?」
「いえ……ローゼンハウスさんも、球団も、メディアの皆さんもそう言ってるんですけど、まだ入団の手続きはしてなくて……球団の人はみんないい人なんですけど、まだ迷ってます。父さんは、自分で決めろとしか言ってくれないですし」
ヤンはこくりと頷いた。父親としては、一人息子がいつの間にかまったく別の人間に変貌しているように見えるのだろう。マスコミが騒ぎ立てればそうなってしまう。もっとも、そうなるのは騒ぎ立てている内だけなのだが。
「迷ってるんだ。何か、やりたいことがあるのかい?」
「……実は、軍人になってもいいかなぁって……」
「軍人!?」
ヤンは目をぱちくりした。
「どうして?何か奨学金でも借りているのかい?」
「奨学金?ですか」
「あ、いいや。高等教育じゃないからお金の問題じゃないのか。ごめん」
「父さんと母さんの職場を、知りたいんです。父さんからは聞いてもはぐらかされてばかりで。フライングボールで忙しくなってから、会うこともなくなっちゃって……もし母さんがどういう仕事をしていたか、体験してみたいという思いもあるんです。それに……」
「それに?」
「父の友人に、よく薦められるんです。軍隊でもフライングボールはプレーできるって。それに、軍の勤務歴があれば、いざという時のセーフティーネットになるって」
ヤンはあんぐりと口を開けた。軍に公式のフライングボールチームがあるとは知らなかったが(多分士官学校のチームではないか)、士官や長期勤務の下士官を除けば、軍は短期間勤務者にそこまで手厚いサポートをできるわけじゃない。せいぜい就職口の世話ぐらいだろう。誰だいそんなことを言い出したのは。
「私から言わせてもらうならば……軍隊はそんな凄い組織じゃないよ。綺麗に見えるのは宣伝のせいさ。汚い所は普通にちゃんとある。入るまで分からないけど。それに」
「それに?」
「第一、軍人になったとしても、やりたい仕事ができるかどうかは分からない。私なんか、警官の代わりみたいなことをやってるからね。もっとも、何かをしたいと思って軍隊に入ったわけじゃないんだけど」
「そうなんですか?」
「そうさ。私の父は貿易商でね。年がら年中同盟領内を飛び回っていた。でも、私が高校生の時に事故で亡くなって、借金だけが残った。返せない額ではなかったけど、楽に返すには士官学校に入るのが一番手っ取り早かった。借金返済は猶予されるし、働きながら僅かだけど給金も貰える。」
「……」
「士官学校に入る前に、遠縁の親戚と名乗る人が来てね。士官学校に入るのはやめて、大学に入るのはどうか。と薦めてきたんだ。君の将来性を信じている、って言ってたけど、今になって思うのは、信じていたのは抱えていた借金の方ではないか、って思うんだよね。利息はほとんどつかないし、経済成長のおかげで借金もかなり軽くなった。貸している方としては泣きっ面に蜂だろうね」
「そうだったんですね。大変だったんですね」とユリアン。
「あ、ああ。そんな悲観するものでもないさ」ヤンは慌てて取りつくろった。
「まぁ、士官学校のカリキュラムは相性というものがあると思うけど、無事に卒業できて、仕事までくれて、そこは感謝しているんだよ」
「でも、やりたかったことがあるんじゃないですか?借金のために軍人になったんでしょう?」
「そうだな。だから、やりたいことをこれからやるんだ。私は、来年になったら軍隊を辞めるんだよ」
ヤンはさらっと口にした。
「そうなんですか!」
「うん。軍隊というのは、若い人を沢山必要とするところだ。反対に、中年や老人はごく少数しか必要としない。だから、私も中年になったら、軍隊を辞めなきゃならない。軍隊を辞めて、教師にでもなろうと思っている。どこかの惑星の中学校で、どうでもいい国史を教えるような、そういう人生になるだろうさ。でも、君は違う」
「君には本物の才能がある。もちろん、才能だけでは生きていけない世界だろう。でも、軍隊に居るよりは『いい』人生が待っているんじゃないか。私はそう思うんだ。軍隊というのは言われるほど大したもんじゃない。軍隊が必要とされない時代こそ、いい時代なんだと思う。」
「……」
「どうかな?」
「変わっていますね」
「そうかい?」
「ええ。変わっていますね。少佐は。今まで父の友人や知り合いには何人も会ってきたけど、全然違う」
「あー。それは申し訳ない。軍隊というところは、自分のような考え方をする人は多くないんだ。いろいろ事情がある。そこは理解してやってほしい。第一、誰もが軍人になりたがる時代じゃないしね。それに、軍隊が必要じゃない時代であっても、軍隊は無力であってはいけない。そうではないですか」
突然振り返って、ヤンは扉の方に話しかけた。鍵がかかっていたはずの扉が音もなく開き、扉の向こうにはブラスターを構えたローゼンハウスが立っていた。
「失礼。あまりにも長すぎて、待っていられなかったのですよ」
ローゼンハウスの口調には今までと変わったところはない。
「お待たせすると伝えていたはずですが」ヤンは答える。
「いささか時間がかかりすぎではないですか。客を午後9時に呼びつけるのも礼儀知らずと思いますが、もう2時間経っている。一体何がそんなに大事なのですか」
「いや。午後9時にセッティングしたのは貴方のご都合に合わせたつもりですが。時間をかけたのも、貴方の希望に合うものでしょう」
ヤンの口調はいつものものだ。だが、顔からはいつものビジネススマイルは消えていた。
「言っていることの意味が分かりませんな」
「でしょうね。公の組織、というと大きくなりすぎますから、軍隊についての秘密保持という話をしましょう。軍隊というのは、どんな情報でも秘密にしようとします。ですが、一から十までそうしていては、組織が成り立ちません。」
「ですから、公開する情報とそうでない情報を分けて、そうでない情報は念入りに隠蔽します。そういう組織の習性を知る人は、普通の人間とは異なる考え方をするようになります。」
ヤンはテーブルの上にあるデータパックを手に取った。
「ユリアン……ミンツ君の母親の遭難事故、それが欠落しているのは、ただの偶然でしかありません。出撃から遭難までの記録も特筆すべきことは何もない。それをわざわざ確認するという行為に何の意味があるのか。それを考えると、一つの推論が成り立ちます。」
「何かを隠しているからこそ、表向きには何もないと言うのだ、と。些か偏執狂的な考えだと思いますが、筋は通っていないこともない。そして言われた方は反論する術はない。軍事機密を何でも公開する訳にはいきませんから。そして貴方は、それを利用して押せないはずの横車を押した。そうではないですか」
「何が言いたいのだ」 ローゼンハウスの口調には嘲笑じみたものが見える。
「この記録、貴方はどうしても入手する必要があった。入手するのは簡単だ。手続きさえ踏めば入手できる。だが、その手続きが問題だ。当然、ミンツ君はこのことを知っている。そして、父親のミンツ大尉もいずれそのことを知るでしょう。いかな代理人といえど、雇い主が認めもしない家庭内のプライバシーに踏み込むことはしない。殉職した母親のことに疑義があるとしたら、答えるのは父親の仕事であり、貴方の仕事ではないはずだ。でも、貴方は敢えて家庭内のプライバシーに踏み込んだ。それは何故か」
「……」
「過去のデータを調べたかったのは、ミンツ君ではなくて、貴方だったのですよ。そうではないですか?」
「貴様の見解などどうでもいい。こうする理由はただ一つ。帝国がそれを望んでいるからだ」
ローゼンハウスはそれまでのビジネスマン風な姿勢をいきなりかなぐり捨てた。
「お前が持っているその情報を欲しがっている人間がいる」
「イゼルローン回廊で遭難されたと思われる艦艇の記録ですか」
「そうだ。それを渡せば見逃してやってもよいぞ」
見逃すって何をだ、とヤンは頭の中でぼやく。
「私はそんなものに興味は無いですし、今回の情報公開請求の目的でもないでしょう。第一、貴方は帝国の命令とはいえ、こんな任務はやりたくなかったはずです。」
ローゼンハウスは何も言わなかった。
「帝国艦艇の残骸から何か情報が取れるならまだしも、バラバラの残骸に価値があるとも思えない。軍としては、イゼルローン回廊に調査価値のない新しい残骸が増えても気にしない。そんなことを気にしていたら手間がかかってしょうがない。だから、誰も気にしなかった。私もそう思ったほどです。」
「ですが、ハイネセン情報統合ライブラリで貴方に対応した管理官に念のため問い合わせて、おかしなことに気がつきました。彼女は覚えていましたよ。ローゼンハウスさん、当事者でもない貴方が、情報の内容について事細かに質問していたことを。委任状まで持ち出して公開を迫ったそうですね。多分、その委任状も有効なものではなかったはずです。貴方がミンツ君の父親とコンタクトを取るのは難しいでしょうから」
ローゼンハウスの顔が真っ赤になった。
「でも必要な情報はなかった。なのに貴方はここに来た。引き下がればいいのに何故ここまでやってきたか。そう、貴方はミンツ君とこの星系まで来たかったんですよ。未公開の情報を閲覧する、それ以外の目的のために。だから、何もないこの情報に何かあるかもしれない、そう主張したのでしょう?そしてそう思っているのは、貴方だけなのですよ」
「罠に嵌めたのか!」
「ユリアン・ミンツ君は将来のある子です。私が想像するに、ミンツ君の将来性をネタにスキャンダルを起こそうとしていたのではないですか。」
「……」
「貴方はそんな少年のビジネスパートナーにはふさわしくない、そう思いましてね。第一、ビジネスマンは仕事相手にブラスターを突きつけないものです」
「貴様がおとなしく記録を渡していればそれで済んだのだ。何の問題もなかった」
「そう。そうすることもできた。だが、私の想像が正しければ、私が情報を渡していようといまいと工作は行われたでしょう。というか、私が貴方にデータを渡した、という事実が一番大事で、中身はどうでもいいんじゃないですか?如何様にでも書き換える意志が貴方にはあり、そして、その手段があるのでしょう?」
「きさま!」
「私は虎穴を用意し、貴方は虎穴に入った。そして虎と出会ってしまったのですよ。ローゼンハウスさん。貴方には軍施設への不法侵入、情報機密保持法違反、脅迫罪の嫌疑がかかっています。この後の申し開きは憲兵本部の担当官にしてください。」
「そんなものはない」ローゼンハウスの口の端が歪んだ。
「あるのは、ユリアン・ミンツ殺害容疑だけだ。そして、被疑者ヤン・ウェンリーは死亡、そうなるだろう」
ローゼンハウスはブラスターの引鉄に指をかけた。ユリアンは状況の悪化にようやく気付いたのか、ヤンとローゼンハウスの方を見ながら口をぱくぱくさせている。
「銃を撃たない私が被疑者になるとでも?」
「発砲した銃に偽の指紋や生体情報を付着させることなどわけもない。警察は未だにそんなものを頼りにしているが」
「なるほど、貴方は随分と自信がおありのようだ」
「減らず口しか叩かない奴だ!」
ローゼンハウスは引金を引いた。いや、引こうとした。二度、三度。ブラスターは作動しようとしない。慌ててローゼンハウスは銃の警告表示を確認し、あんぐりと口を開けた。
「ゼッフル粒子だと……貴様!」
「今ごろ気づきましたか。我々が窓もない場所で作業していたのは、秘密保持のためだけではないのですよ。別に無臭の可燃ガスでもよかったんですけど、ブラスターの安全装置が作動しなければ意味ないですから。その点、ゼッフル粒子のような微粒子爆弾は安全です。銃の安全装置を作動させるという意味において」
直後、ぱりんという軽い音がして、ローゼンハウスはくずれ落ちた。床には粉々になった陶器製の花瓶が落ちている。ユリアンの仕業だった。それから間もなく、どやどやとラオ大尉以下憲兵隊の面々が資料室に乱入してきた。
一週間後、エル・ファシル宇宙港の個室ラウンジにヤンとユリアンは居た。事件後、事情聴取が行われ、ユリアンは病院で診察を受けた。ユリアンの社会的立場からするとマスコミが押し掛けてきてもおかしくなかったが、憲兵本部が秘密主義を貫いたためにそれも無かった。おかげで、一通りの捜査が行われるまでの間、ユリアンは暇を持て余すことになった。ヤンは捜査のためにひどく忙しかったから、話をすることもできなかった。
というわけで、ユリアンが真相をヤンから聞き出すことができたのは、帰りの宇宙船を待つ中でとなった。
「ローゼンハウス氏は、帝国の情報機関のエージェントだったんだよ。恐らく」
ヤンは紅茶を一口飲んで言った。ビジネスクラスのラウンジだけあって、紅茶を淹れる道具は一通り揃っている。それがありがたかった。
「ローゼンハウス氏の本来の任務は、スポーツ界に自分の『資産』を作り、スパイ網を築くことだったんだと思う。スポーツ選手、それも著名な人物は、一般人より機密情報のアクセスがずっとやりやすいからね。ああ、『資産』というのは憲兵の用語で、スパイ網を行う人物のことなんだ」
「僕がスパイになるんですか?何故?」
ユリアンがたずねる。
「ここからは想像でしかないし、ユリアン君には些か失礼な話だが、もし、帝国でお母さんが健在だと言われたらどうするか。会いたいと伝えられたらどうするか。もちろん同盟側ではそんな証拠は無いし、ミンツ大尉は否定するだろう。でも、一旦ありもしない思い込みに囚われた個人は、決して元には戻れない。そういうものなんだ。これは、一つの仮定でしかないけれど、諜報のプロは心理戦のプロでもある。人を転がすことは難しくないんだよ。詐欺事件がこの世から無くならないようにね」
「ローゼンハウス氏はそうやってスパイ網を構築しようと思っていたんだろうけど、そんな中、帝国では困った事態が発生したんだと思う。」
「このご時世、帝国から同盟への亡命など日常茶飯事だけど、流石に監視がつけられている人物の亡命はそうではない。移動の自由がない軍人なら尚更だ。そういう人がどうしても帝国から脱出したかった場合、危険極まりないイゼルローン回廊を抜けようとすることだってあるんだ。もちろん失敗してドカン、ということだってある」
「帝国はそんな情報の流出があると信じていたんだな。そして、情報が流出したか否か、その調査がローゼンハウス氏に命じられたのだろう。ローゼンハウス氏は頭を抱えただろうね。何しろ、ユリアンの母親が遭難現場に居合わせた可能性があるんだ。それを報告しないわけにはいかない。でも、ミンツ大尉に知られたら契約解除は免れ得ない。それに、家庭のプライバシーに踏み込む代理人を雇おうとするアスリートはいない。つまり、ローゼンハウス氏は、今の仕事を続けられなくなるということだ。表の意味でも裏の意味でも。それが重大な任務だったらいいけど、今の帝国にそこまで気を回す余裕はない。内戦で手一杯だろうからね」
「それで、ローゼンハウスさんはどうしようと思ったのですか」
「想像に想像を重ねてのことだし、事実が分かるのはこれから後のことだけど……最悪の場合、ユリアン君が死ぬことになっただろう」
「!!」
「自分の資産が使えないならば、いっそのこと華麗に壊してやりたいと思っても不思議ではない。それが同盟軍や政府機関を巻き込むものであれば尚更だ。私の知る限り、ユリアン君は未来の大スター、そのはずだ。軍の施設内で死体で発見されただけで大騒ぎになるだろうね。そして、悪役とされた軍は散々に叩かれることになり、一般社会とのしこりを残すことになるだろう」
「そう……だったんですか」
さらに言うと、悲劇の舞台がエル・ファシルというのも見事だ。帝国との戦争が自然休戦状態となっている今、帝国への備えとして税金を飲み込み続けるエル・ファシルを無駄飯食らいと批判する声は根強い。そのような不満層に火を付けることになったかもしれない。
「何故それが分かったんですか?」ユリアンが聞いた。
「一言で言うと、何もなかったからだね」
ヤンは答えた。
「私も、今回の件で何か君にいい報告を届けたいと思って、いろいろ調べたんだ。でも、何もなかったんだ。ハイネセンで閲覧可能な記録以外のもので、何か関わり合いのあるものがないか、随分と調べたよ。でも、ここにある情報で、ハイネセンで見られないものはほとんどなかった」
「私も困り果ててしまってね。ハイネセンに問い合わせたのさ。ミンツ君とローゼンハウス氏の応対にあたった担当官とコンタクトを取ってね、どういうやり取りが交わされたのか、それを調べた。そうすれば、一体何を知りたいのか、その手がかりが得られると思ってね」
「……」
「その時の顛末は、君も知っての通りだ。やる気だったのはローゼンハウス氏、蚊帳の外だったのはミンツ君の方だった。そして、君の知名度の割に、ほとんど周囲に知られることなくここに来たことも不審だった。通信教育の担当者も、来年入団する……何だっけ……パルセイロACか。その職員も、君がここに居ると聞いて大層驚いていたよ。まさかとは思ったけど、ローゼンハウス氏の背後を洗ったら、いくつか資金の流れで怪しいところがあってね(おっと、これはここだけの話にしてくれよ)。そういうわけで、一芝居打った、というわけさ」
「……僕は、何も知らなかったのか……」
ユリアンはしょんぼりと肩を落とした。
「いずれにせよ、これは私の想像でしかない。裏付け調査はここからになる。軍内部で調査委員会が立ち上げられ、さらに詳細な捜査が行われるだろうけど、軍施設内部の事件だし、表沙汰になることはないだろう。ユリアンはハイネセンに戻って、元の生活を続けることになる。今までと全く変わらない。ああ、代理人は新しく探さないといけないだろうけど」
「今日の朝、その件で父から連絡があったんです。」
ユリアンがつぶやいた。
「父が退役するそうです。専門教育を受けて、僕の代理人になるって言ってます。」
「それはいい」
ヤンは大きくうなずいた。今ユリアンに必要なのは、絶対に信用できるビジネスパートナーであろう。ユリアン・ミンツは、これからプロアスリートのキャリアを積み、ヤン・ウェンリーなんかよりよっぽど重要な知り合いを沢山作るに違いない。だが、それでいい。平和な世の中、軍人の知り合いなんて多くても意味がない。それがヤンの思いだった。
アナウンスが鳴り響く。ハイネセン直行便の搭乗がまもなく始まるとのことだった。
「少佐。どうもありがとうございました。あなたは命の恩人です。できれば、もっと話をしてみたかった」
ユリアンは敬礼(の真似事)をしてみせた。
「そう言ってもらえるのは、私としてはすごく嬉しい。君のキャリアを、陰ながら応援させてもらうよ」
ヤンは腰からぴしっと45度曲げる最敬礼でそれに応じた。
翌日、ヤンとラオ大尉は、ヤンの執務室で報告書の打ち合わせをしていた。トム・ローゼンハウスのパーシャルライブラリへの不法侵入、帝国への情報漏洩未遂、これについて報告書を纏めて憲兵本部へ提出しなければならない。そうでなければ憲兵本部が捜査を開始することができないからだった。パエッタ少将は、いけ好かない憲兵本部に嫌みの材料ができたと喜んでいるらしいが、報告書を書く手伝いをしてくれるわけではない。
報告書の原案はラオが用意してくれていた。もっとも、所定の書式に従って、事実と調査結果を書くだけだから、大体のことはラオでもできる。できあがったものについて、足りない箇所を捕捉し、表現を穏当なものに書き換え、ついでにいちゃもんがつきそうな箇所については曖昧な表現に書き換える、それがなかなか苦労するところである。特に、人の文章のあら捜しに長けている憲兵本部が相手とあってはなおさらである。
「ラオ大尉」
「何ですか?」
「今回の件、どうにも腑に落ちないことがある。」
ヤンにそう言われて、ラオは怪訝な顔をした。
「アリアナ・ミンツ少尉の遭難記録がわざと欠落している、という話、結局欠落しているなどということはなかった。だとしたら、欠落していると言い出したのは、いや、欠落している可能性があるから調べようと言い出したのはどこの誰なんだ?」
「ローゼンハウスじゃないですか?報告書にはそう書くんですよね」
「まぁ、それが一番おさまりがいいからなぁ。他の理由を考えたとして、証拠がない。状況証拠だとしても」
ヤンは頭をかいた。
だが、頭の中では別の想像が浮かび上がっている。帝国が噂を立てたのだとしたら、何故あの事故なのか。どこにでもある、さして珍しいわけでもない遭難記録。そのために帝国はわざわざ事実の究明をはかり、結局スパイを一人潰す羽目になっている。情報活動としてはあまりに稚拙、少なくとも結果から見たらそうなるわけだ。
だとしたら、噂を立てたのはむしろ同盟の方ではないのか。どこにでもある、でも真実を究明するにはコストがかかる謎めいた事故、それに対してあれやこれやと疑惑をかきたてる。何か、機密情報を発見した「らしい」という情報を流して。ローゼンハウスはそれに引っかかった、いや、引っかからざるを得なかった、ということなのだろうか。
同盟情報部が垂らした釣り針、それに何かが引っ掛かればそれでよし、興味を示さなければそれはそれで放置。もしそうだとしたら、同じような問題がエル・ファシルだけでなく他の場所でも持ち上がっているのかもしれないし、そうでないかもしれない。もちろん、何の証拠もないし、そこまで証拠探しに精を出す必要性を、ヤンは認めていなかった。
「まぁ、今回の件は、この方向で報告書を出そう。憲兵本部からは私が報告書を出しておく。ラオ大尉、君は平常業務に戻ってよろしい」
ラオ大尉はぴしっと敬礼をして、執務室を出て行った。ヤン・ウェンリーは、ぼりぼり頭をかいた後に、再び報告書の原稿に向き直った。
「あ、そうだ。少佐」
「どうした?」
「訓練用ゼッフル粒子の持ち出しや室内散布なんてもう御免ですからね。あれ、爆破させずに回収するのに1時間かかったんですから」
「やっぱり爆破した方がよかったかな。一応、閃光と爆音がするだけのはずなんだが」
それまで言って、ヤンは頭の中でそれを否定した。だめだろうな。衝撃がないわけじゃないから。
「分かったよ。」
ヤンはそれだけ言った。ラオは今度こそ執務室から出ていった。
次回予告
年に一度の大演習、その準備に追われるヤン・ウェンリー。そんな中、一件の依頼が舞い込む。それは、乱闘事件で営倉に収容された軍人を演習に参加させるため、便宜をはかってほしいというものだった。
「あいつ……ポプランにとって、平和こそが一番の敵だった」
銀河英雄伝説 ファニー・ウォー 第二話「翼を持った少年達」