銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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 「キングピン」と呼ばれる北軍の重要人物救出任務がヤンとフレデリカに命ぜられる。共同作戦として北軍より派遣されたエージェントとは。そして、キングピンの正体とは……



第十二話 キングピン

 

 宇宙歴798年4月29日 10:00──

 

 惑星フェザーン宇宙港には、特別な発着場がある。銀河帝国の軍人(と貴族)だけが使用可能な発着場である。莫大な貨物と旅客が行き交い、常に混雑しているフェザーン宇宙港でも、ここはゆったりとした空間を楽しむことができる。何時間も待たされることも珍しくない、宇宙港と地上を結ぶ軌道エレベーターも、彼等だけが使用できる専用のものが存在する。

 

 元々は、フェザーンが自治領となる際に帝国側が当然の条件として提示し、(内心はともかく)フェザーン側が受け入れたものだった。当然ながら、イニシャルコストもランニングコストもフェザーンが負担している。その後、帝国が2つに割れ、南朝と呼ばれる新しくできた方の帝国も、同様の施設を要求した。これについてはもめにもめたが、発着場を増設することと、大貴族用にパーソナルシャトル便を用意することで何とか合意した。このような特別扱いを、真に誰が欲しがっていたのか、実によく分かるエピソードであった。

 

 その宇宙港、地上側出口から一人の人間が出てきた。背は標準より高いが、顔は分からない。帽子とサングラスと医療用保護面(マスク)では、中身を知りようもないからだ。春の終わりにしては珍しくロングのトレンチコートを着ているため、素性も知りようがない。まぁ、こういうのは、お忍びでやってくる貴族等には珍しくない服装ではあった。当然ながら、誰も気に留めようとはしない。もし、注意深く観察する人間がいたとしたら、軍隊用のIDカードを使ってゲートをくぐっているのが分かっただろうか。後は、金髪の持ち主であることぐらいは分かったかもしれない。

 

 男はちらちらと周囲を気にしながら歩き、出迎え用地上車の待機所まで歩いて行った。既に待っていた地上車の扉を開け、乗り込む。地上車はすぐに発進して、宇宙港とフェザーン行政府その他を結ぶ高速道路へ向けて走って行った。

 

 それからしばらくして、帝国北朝の弁務官事務所、そのごく一部に奇妙な噂が流れた。噂が流れた部署では急に人々が慌ただしくなった。だが、しばらくしてぱったりと動きが止まった。少なくとも外部からはそう見えた。弁務官事務所を常に監視している南朝、そして同盟大使館は、何かあったことだけは分かったが、それ以上のことは掴めなかった。南朝も同盟も、「それ」を掴むためにハイリスクな手段を使うべきか迷ったが、逡巡する以上のことはできず、時間だけが過ぎていった。

 

 昼過ぎ、とある北朝の士官が同盟大使館のとある人物に面会を求めた。北朝弁務官事務所に対して行われたとある『工作』に対する抗議文書を提出する、とのことだった。そのようなことは日常茶飯事であるし、同盟としては抗議を受け止めて却下するだけなので何の問題もなかった。そう判断された。

 

 士官は大使館内に入っていった。素晴らしくも小さな戦争(スプレンディド・リトル・ウォー)の始まりだった。

 

 

 

 

 宇宙歴798年4月29日 23:00──

 

 自由惑星同盟フェザーン大使館、その一角に灯りが煌々と灯っている区画があった。さすがに午後11時を回るとなるとそのような部署は珍しい。

 

 それが大使館の外れにある、特殊作戦グループの会議室となれば尚更である。特殊作戦グループといえば、テロ攻撃に対処するための一騎当千の男達の住処だ。夜間に堂々と行動していては目立ってしょうがない。

 だが、今日だけはそれが許されていた。

 

 

 

 会議室の中で出撃準備が行われている中、仲間外れ状態で置いておかれている二人の人間がいる。一人はもちろん、我等がヤン・ウェンリー。もう一人は、誰にもよく分からない事情と理由でヤンの後ろをついて回っているフレデリカ・グリーンヒルである。

 

「少佐」

 フレデリカがヤンに錠剤と水の入ったコップを手渡した。ヤンは錠剤を受け取ると口に放り込み、コップで一気に流し込んだ。錠剤は特殊作戦用の覚醒剤である。中毒性、依存性は可能な限り低減(科学的表現)されており、飲めば一日二日寝ずに行動できる代物だ(但し、服用して、必要な作業が終了した後は可能な限り医師の診断を受けるべし、とされている)。

 

「中尉、君は大丈夫なのか。これからテロリストのアジトに殴り込みをかけるのだが。随分と落ち着いているようだが」

 

「そうですね。ハイネセン郊外のウィルダネス密林を縦断した時のことを思い出します。ジャングルの中で大蛇と鉢合わせた時は、死ぬかと思いました」

 ヤンはそれを聞いて、いやそうじゃないだろうとツッコみたかったが黙っておいた。

 

 

 

 同日 17:00──

 

「あの、課長、もう一度言ってもらえますか」

 

「問題は簡単明瞭だったはずだが、少佐」

 

「何から何まで理解できません。前提も、そして内容も」

 

 その日、一日中事務仕事をして、そろそろあがろうかと考えていたその時、ムライから緊急の呼び出しがあったのである。珍しく、特殊作戦グループ(汚れ仕事をする特殊部隊のことだと思えばよい)の会議室に呼び出されたと思ったら、フレデリカまで一緒に居て、誘拐事件被害者の救助をこれからやるから付き合え、というのである。警察でもないのに誘拐事件に介入するのも十分おかしいが、救出対象は敵国である帝国(北朝)の要人だというのだから、ヤンが混乱するのもむべなるかな、というものだ。

 

「まぁ、帝国の要人を何故救出しなければならないのか、それはおいておきましょう。後で聞きますけどね。最初から伺います。なんで、我々なんですか?」

 

「我々が、最も素早く暴力を行使できるからだ」

 

「北軍に任せないのですか」

 

「連中は知らんからな」

 

「!?!?」

 

「その要人──仮に『キングピン(大物)』としておこうか。偽名でフェザーンに来て、秘密裏にとある人物に接触しようとしたらしい。だが、情報が漏れていたのだろうな。拉致されて姿を消したそうだ。救出を依頼してきたのは、キングピンの随行員の一人だ」

 ムライの話は、いつも淡々としている。指令を出そうとしている時はいつもそうだ。

 

「訳が分かりません」

 フレデリカが口を開いた。

 

「護衛対象が捕まって、何故敵国に助けを求めようというのでしょう。それに、その口ぶりですと、キングピンとは何者か、ご存じないのですか」

 フレデリカの言葉に、ムライは小さくうなずいた。

 

「それは向こうも明かしていない。まぁ、漏れるといろいろ問題があるということなのだと思う。北朝に頼るといろいろまずい、南朝は問題外、こういう時はフェザーン内部でそれとなく飼っている私兵(ギャング)を使うものだと思うが、それもなかったのだろう。キングピン側としては珍しい手落ちだと思うが。だが、即座に同盟に、それも秘密裏に泣きついて取引を持ちかけるとは、なかなかどうして頭の回転が速い」

 

「取引、なのですか?」

 ヤンが尋ねた。

 

「そうだ。成功報酬は、北朝領内でMIA(行方不明)になっている同盟公人の釈放、それも10人を一気に送還すると言ってきおった。対象者リストと実施までの期間を提示してきている。連中、本気だよ」

 

「こちらを釣る餌ではないのですか」

 フレデリカが聞く。

 

「こういうのは保険というものがある」

 

「向こうが約束を破った時のための報復措置があれば、それは取引として認めていいことになる。今回の場合は、向こうが約束を反故にしたら、南軍が拘束している北軍の関係者が10人、獄中で『自決』することになるだろう」

 ムライの口調は淡々としたものだ。

 

「念のためお聞きしますが」

 ヤンが口を挟む。

 

「この作戦、当然ながら大使も御存知なんでしょうね。本当は軍か政府と言いたいところですが」

 

「知っているのはクブルスリー大将だけだよ」

 

「本気ですか」

 ヤンは驚いてたずねる。国家間(本当は違うけど)のセンシティブな案件を、独断で処理しようとしているからである。

 

「正常なルートで物事を対処しよう、それは誠に結構。だが、今回の場合は、そんなことをしても意味がない。情報が共有され、政治的ゲームが行われ、時間がただ過ぎていくだけだ。そして、千載一遇のチャンスは過ぎていく。ゲームプレイヤーがリスクに対処する前に、リスクを取ることが肝要だ。我々が手を汚し、世間は体面を保つ。もちろん、君は私のこの姿勢を告発することはできるだろう。ま、我々にもいろいろ対処の道具はあるがね」

 

「……分かりました。納得することにいたしましょう。どのみち、課長は私の上司であり、我々は貴方の指揮監督下にある。私も、そして中尉も」

 

 

「よろしい。感謝する」

 

「で、最初の質問に戻りましょう。何故、我々なんですか?」

 

 

 

 宇宙歴798年4月30日 0:30──

 

 街灯もまばらな林道を、ヤン、フレデリカ、そして名前も知らない帝国北軍の士官を乗せた地上車が疾走していた。目的地は詳しくは分からないが、フェザーン行政府から一時間ほど離れた郊外、そこに建っている山荘が目的地のはずだった。

 

 操縦席にはヤン、助手席にはフレデリカ、北軍士官はヤンの後ろに座っている。バックミラーを見ないと様子は分からないが、いかにも四角四面そうな堅物の男である。ヤン達の任務は、この男のお世話係──ひらたくいえば監視役であった。

 

 目的地の山荘では、以前より正体不明の武装グループが出入りしているという情報があった。要人がそこに監禁されているとして、武装グループの排除を担当する特殊作戦グループは既に先発している。三人はそれを後から追いかけている格好だ。素人がしゃしゃり出て奇襲を台無しにするわけにはいかないのだった。戦闘が一段落したら、北軍士官が現場を検分することになっている。

 

「で、旦那(マスター)。我々が救出すべき要人というのは誰なんですか。秘密にするのはいいですが、ヒントぐらい教えてもらわないと、我々が探しようがありません。旦那だけが探しても時間ばかりかかると思うのですが」

 ヤンは北軍士官に質問した。北軍士官は軍服こそ着用しているが、部隊章も勲章略綬も階級章すら着用していない。いくら秘密主義とはいえ、階級章がないのは規則違反ではないのかとヤンは思うのだが、それを質問しても回答する必要はない、ということになっていた。「旦那」というのは、階級で呼べないため、便宜的にそういう言い方をする、という取り決めであった。

 

「貴官に質問する権利はない」

 北軍士官の返答はこれで五度目、全く同じである。一体どういう生き方をしたら、こんな面白みのない人間になるのか、ヤンは不思議で仕方なかった。外見はどうということはない初老の男である。年齢の割に昇進が遅いのだろうか。こんな所で検分役を仰せつかっているということは、尉官だろうか。いや、あまりに下っ端だと「大物(キングピン)」の見分けがつかない可能性がある。相手次第ではあるが。

 フレデリカは、北軍士官と話をしようともせず、助手席で端末をずっと眺めている。本当はヤンとフレデリカは別の場所を担当するはずだったのだが、戦闘の素人である女子供を充てがわれた北軍が何と言うか予想がつかなかったので、ヤンと組ませることにしたのだった。

 

「少佐、『ゴースト』より通信。交戦を開始した模様」

 フレデリカが淡々と報告した。どうも、行く先には敵がいるらしい。ということは少しは見込みがあるということだ。『ゴースト』とは、現場に展開している襲撃チームのリーダーのコールサインである。

 

「了解、現地の部隊に状況を再度確認してくれ。もし親玉だとしたら、今いる兵力では制圧できないかもしれないからね」

 

「了解しました、少佐殿」

 

「旦那、どうやら空き家ということはなさそうです。確認をお願いしますよ」

 

「了解した」

 旦那はそれだけ言った。

 

 

 

 同日 0:58──

 

「本当にこれで全部なのか」

 

「全部です」

 旦那が三度目の質問をして、『ゴースト』が同じ回答を返した。ヤン達が目的地の山荘に到着した時、戦闘は既に終わっていた。『ゴースト』率いる戦闘グループは、警備にあたっていた武装勢力をあっさり蹴散らして制圧に成功していた。ただ、拘束されている要人らしきものは発見されず、手がかりもないようだった。敵の死者は7名。ちなみに味方には死者はもちろん負傷者もいない。

 

 今は山荘の中にある食堂のような場所に死体が並べられ、旦那が検分を行っていた。死体は野戦服と思われるものを着用しており、顔は覆面を着用している。ただ、こちらも所属を示すようなものは何も着けていない。装備もライフルと拳銃程度で、死守するにはあまりに貧弱と言えた。特殊作戦グループの手腕に疑問はないが、相手が脆すぎると考える方が自然だ。

 

 旦那の顔を見る限り、目的の人物は居ないようだ。といっても、味方以外に生存者がいないわけだから、目的の人物が死体で居たとしたら、それはとてもまずいことだろう。

 

 旦那はコミュニケータで通信をしながら、他の場所の状況を問い合わせているようだった。今回は帝国北軍?と同盟大使館で連合して、十か所もある想定地点に同時に攻撃をかけているはずだった。漏れ聞こえる声から想像するに、この作戦を北軍側で取り仕切っている『バルバロッサ』なる人物が居て、そこが指示や情報の提供を行っているようだった。

 

「中尉殿!」

 斥候に出ていた兵が戻ってきた。中尉というのは『ゴースト』ことライリー中尉のことを指す。襲撃作戦を取り仕切るのは『ゴースト』であるから、ヤンが少佐だろうがいちいち報告は上がらない。この場におけるヤン・ウェンリーは、お客様以外の何者でもない。

 

「少佐」

 『ゴースト』がヤンに近寄ってきた。比較的新しい地上車のタイヤ跡が複数見つかったとのことであった。ということは、ここはただの足止めで、対象者を連れて他へ逃げてしまった可能性があるということだ。

 

「逃げた先は特定できるんですか」

 

「地図を見る限り、ほとんど人家はありませんね。もちろん、廃屋も含めてです。予想するに、ここですかね」

 『ゴースト』はスレート端末の一点を指差した。ヤンも『ゴースト』も不必要なほど大声で喋っていた。別に『ゴースト』はヤンに報告したくてこういうことをやっているわけではない。本当に報告したいのは旦那の方なのだが、敵国の人間だし、指揮系統に関する取り決めがないためにこんなことをやっている。

 

「どうですか、旦那?追ってみますか?」

 ヤンは旦那に聞いてみた。旦那は数十秒ほど逡巡した後、コミュニケータで通信を試みた。だが、どうやら繋がらなかったらしい。

 

「少佐ど……いや、少佐はどう思う」

 ヤンは噴き出しそうになったが堪えた。旦那が尉官らしいという見立てはどうやら事実らしい。本来なら最上階級のヤンが仕切ってもいいのだが、あまりに帝国が秘密秘密とうるさいので、ヤンも適当にやって投げ出している状況だ。旦那、貴方が勝手にやってください。こちらもね、上司から押し付けられて迷惑しているんですから。

 

「そうですねー。ここを調査して何も出ないのであれば、追うべきだと思います。特別な事情がない限り、誘拐は早めの捜査が必須です。被害者が傷つけられるリスクがありますので」

 

「そ、そうか。なら追うことにしよう。目標はどこなのだ」

 

「地上車に転送しています。自動運転モードにすれば」

 ヤンが言い終わらないうちに、旦那は山荘を出て、外にある地上車に乗り込んで動力を起動した。ヤンとフレデリカを置き去りにするような格好で、転送した目的地へ移動しようとして──

 

 次の瞬間、大爆発が起こった。

 

 

 

 その瞬間、誰もが床に突っ伏した。ガラスの破片がぱらぱらと背中に降って来ていたが、爆発のある方向にそれほど窓がなかったのが幸いしたようだ。傷を負った人はいなかった。

 

「敵襲?」

 フレデリカが叫んだ。態勢を立て直した『ゴースト』が部下に指示を出す。部下がセンサーを起動させて周囲を探っているようだ。

 

「敵襲ではないな。続きがない。地雷かブービートラップだろう」

 ヤンはそう判断した。しばらくして部下が戻ってくる。周辺に敵兵はいないようだ。爆発は、タイヤ跡がある道路近くにあった低周波爆弾のもののようだ。ごく初歩的なブービートラップが設置されていたらしい。

 

「旦那はどうした」

 部下がヤンに耳打ちした。50メートル先で地上車だったものが燃え盛っているそうで、旦那は恐らくその中で炭になっているらしい。

 

 ヤンはうめいた。難しくなった、そう思った。コミュニケータでムライに通信をする。しばらくして繋がった。襲撃作戦自体は上手くいっているようだが、目標の確保はできておらず、帝国の方も焦っているようだった。捜索対象を更にピックアップし、そこに踏み込む準備をしているらしい。

 

「ということは、追跡した方がいいですね」

 

「そうだな」

 ムライの声は低く苦々しい雰囲気だった。どうもムライの方も当てが外れた、という感想らしい。確かに、秘密裏の作戦というのは失敗した時のリスクは高い。ヤンはあと二言三言話して通信を切った。

 

「ライリー中尉!」

 『ゴースト』が駆け寄ってくる。

 

「申し訳ないが一仕事してくれ。例のルートをチェックしてくれ。但し、ブービートラップや地雷には注意してくれよ。人命優先でな」

 

「人命優先、でありますか」

 

「作戦をしくじるのは問題だが、しくじったところで君達が恥をかくわけではない。だが、こんな戦場で君達を失うのはあまりに忍びないからね。分かるだろう?」

 

「少佐は?」

 

「とりあえずはここに残る。旦那の状況を記録しておかないといけない。後々、いさかいの種になるのは真っ平だから」

 

「了解いたしました」

 しばらくして『ゴースト』が敬礼した。

 

「では、お別れです」

 『ゴースト』は地上車に部下を乗せて去って行った。

 

 

 

 同日 1時45分──

 

 戦闘はついさっき終わったばかりだった。反撃は激しかったが、損害に構わぬ突撃でそれは粉砕された。フェザーン森林地帯、その中の開けた平地にある、とある宗教施設だったもの、そこに立て籠もっていた一個小隊ほどの武装勢力は、全て死体となっていた。

 

「閣下!」

 一人の武装した兵士が、建物の外に駐車していた野戦用地上車に入ってきた。中には、運転手と兵士が一人、中佐が一人、そして、やけに若く見える少将が一人座っている。

 

 平地には大型ヘリコプターと地上車、そして、武装した兵達が慌ただしく動いている。特徴的なのは、この地上部隊が帝国北軍のものであるにもかかわらず、弁務官事務所を表すマークとは別のマークを部隊章に用いていることだった。もちろん、兵士達もそうである。

 

「どうだった?」

 

「いえ」

 兵士はかぶりを振った。少将は目を細めるだけで特に反応はなかった。兵士は背を震わせた。目の前の将軍は、能力は有り余るほどあるが、部下の失態を受け入れる寛容さは持ち合わせていない。そういう評判だった。

 

「引き続き調査してください。手がかりになるものでも何でも、どこかにあるはずです」

 兵士は敬礼すると、地上車を出ていった。

 

「閣下……」

 年かさの中佐がおずおずと将官に話しかける。軍服さえ着ていなければ、親子に見えるかもしれない。もちろん、中佐の方が親で、少将の方が子供である。

 

「まだ時間はあります」

 少将はそう言い切った。だが、歯ぎしりしている所を見ると、その言葉はむしろ、周囲に対する言い訳のようである。中佐は黙った。昼前に、『目標』との連絡が途絶え、そして半日以上捜索に費やしている。本来なら、もう既に惑星フェザーンから引き上げ、合流地点へ急行していなくてはいけない、そのはずなのだ。

 今回の件、事件のあらましを知っているのは目の前の少将だけである。他の人間が知っているのは、『対象』が失踪したことと、可及的速やかに救出しなければならないこと、それだけである。ただ、中佐の方は薄々気づいている。目の前の少将がわざと『対象』の生命をリスクに晒した可能性について。自分の、そして少将の主人である『対象』であるはずなのに。

 

「同盟側から何か連絡は」

 

「ありません」

 中佐は間髪容れず答えた。同盟側の襲撃地点で何か情報があれば、連絡のために派遣した士官から連絡があるはずだった。それが無いということは向こうも空振りということだと思っていい。もちろん、同盟側のことを完全に信頼しているわけではない。だが、与えられるだけの餌をぶらさげて、強引に巻き込んでいるのだ。もし、一杯くわされているとしたら、どうしようもない。信じるしかない。

 

「閣下!」

 外から声がした。中佐が外に出て状況を確認する。どうも、同盟の兵士がどこからか迷い込んでトラブルになりかけているらしい。同盟側の兵士は、こちらを敵と勘違いしたらしく、すんでのところで同士討ちになりかけたが、何とかそれは回避したようだった。

 

「ポイントGで爆発があったようです。バウマンがやられたそうです」

 中佐の言葉に、少将は眉をひそめた。ポイントGといえば、同盟が担当する場所だったはずだ。こちらが派遣したバウマン中尉が死亡した、ということは──

 

「同盟の兵士はどこに」

 少将が聞いた。

 

「外で待たせてあります。武装解除も済んでおります」

 中佐が答えた。

 

「私が会いましょう。後、同盟軍の兵には武器を返すように」

 

 

 

「自由惑星同盟大使館付武官、サイモン・ライリー中尉であります」

 目の前の兵士もとい中尉は大声で申告した。別に中尉に遠慮がないわけではない。存在を周囲に知らせることは、秘密裏に「消される」リスクを低減させる。

 

「ご苦労。訳あってこちらの正体は明かせないが、君たちのリーダーであるムライ中佐の了解は貰っています。代わりに、私のことは『バルバロッサ』と呼んで欲しい。階級は少将です」

 

「はっ、失礼いたしました。バルバロッサ少将殿!」

 傍らに居た中佐がぎろりと『ゴースト』を睨んだような気がしたが、『ゴースト』もバルバロッサもそれを無視した。

 

 『ゴースト』はあらましを説明した。山荘を強襲し制圧したこと、目標の確保には至らなかったこと。こちらへ向かったと思われる地上車のタイヤ跡を確認したこと。先に向かおうとした帝国の士官がブービートラップに引っかかり地上車が爆発したこと。こちらへ向かおうとしたが、ブービートラップを探しながらの移動だったので時間がかかったこと、展開していた帝国兵を敵と誤認してしまったこと。辛うじて誤射は避けられたこと。

 

「分かりました。ご協力に感謝します。ライリー中尉」

 バルバロッサの受け答えは丁寧ではあったが、口調は固いままだった。要は、期待したけど欲しかった情報は無かったということだ。彼の中では焦りが煮えたぎっている。こんなはずではなかった。確かに、リスクの高い作戦ではあったが、得られるものはそれなりにあるはずだった。だが、まだハッピーエンドではない。今の作戦が失敗しては、これまでやってきたことが水泡に帰してしまう。

 

 バルバロッサは『ゴースト』との会見を切り上げ、地上車に戻ろうとした。

 

「少将殿……いや、少将閣下!」

 『ゴースト』の大声に、バルバロッサは立ち止まった。

 

「どうしました」

 

「いや……その肩のマーキングをどこかで見たような気がしまして。確か……ううん……どこだったけな。おい、『ローチ』何か見覚えないか」

 『ゴースト』は傍らの少尉に声をかけた。

 

「……中尉、あれですよ。押収したコミュニケータの中にこのマークみたいなのを彫ってあるのがあったでしょう。あの、やたらと高そうなやつ」

 

「あ、あれか」

 バルバロッサと中佐は思わず顔を見合わせた。

 

「中尉」

 バルバロッサがずいと身を乗り出した。

 

「そのコミュニケータはどこにあったのです」

 口調こそ淡々としていたが、内心は歓喜がむくむくと湧き起こっていた。

 そうだ、まだ天命は自分を見捨てていない。

 

 

 

 同日 1時35分──

 

 幸いなことに、焼死した帝国軍士官の遺体を取り出すのに時間はさほどかからなかった。火災は山荘にあった消火器で消し止めることができたし、シートベルトといった厄介な拘束具を中尉は着用していなかった。もちろん、焼け焦げた人間を取り出すには冷ますしかなく、山荘から水をバケツでもってきて死体にかけるしかなかった。これが一番きつかった。

 

「中尉、ご苦労」

 ヤンとフレデリカは二人して遺体を運び出し、とりあえず山荘の前に置いておくことにした。

 

「IDありませんね。身分を証明するものは何も」

 フレデリカは軍服(だったもの)を一通りあらためて報告した。軍人になりたての時は、このような死体をあれこれするのに嫌悪感を持つことはけして珍しくない。ただの中尉なのに、ここまで堂々と作業ができるのは、ある意味大したことだ。それが本人にとっての幸せかどうかは分からないけど。

 

「そうか。ならば、この旦那にできることはもうないな」

 

「少佐、いかがいたしますか」

 フレデリカが聞いてきた。確かに、『ゴースト』達は去ってしまったし、ここに居るのはヤンとフレデリカのみである。ここで何をすべきか、指示はない。ムライ中佐に連絡して新たな指示を仰ぐべきだろうか。

 

「そうだなぁ」

 ヤンはのんびりと言った。

 

「引き上げるのもいいけど、ちょっと『焚き火』をしていかないか。中尉」

 

 

 

 ヤンは胸ポケットから筒のようなものを取り出した。キッチンにあるボウルに水を満たすと、筒の蓋を開き、中にある粉状のものを水に入れた。途端にもくもくと煙がわきだし、床を流れていった。ドライアイスを放置した時のように。

 

「何ですか、これ」

 フレデリカが聞く。

 

「特殊発煙剤だよ。エル・ファシルで憲兵をやっていた時に、組織犯罪を取り扱う連中が使っていた奴だ。ドライアイスの煙と外見は変わらないが、少し工夫がしてあるそうだ。使い方の講習は受けただけで、使ったことはないけどね。今回は人探しだって言うから、念のため持ってきたんだよ」

 

「??何に使うんですか??」

 

「これ単体で使うわけじゃないよ。スマートデバイスに専用ソフトを入れておかないとね」

 ヤンはスマートデバイスを取り出すと、とあるソフトを立ち上げた。山荘の見取り図が表示され、2つの数字が絶えず変化しながら表示されている。

 

「センサーでね、煙の濃度を計測しているんだ。上の数値が、センサーで測定した数値、そして、下の数値が、この山荘の見取り図、風向き、その他から測定した『ありうべき数値』というわけだ。これで分かったろう」

 

 フレデリカはなおも首をひねっていたが、しばらくしてぽんと手を叩いた。

 

「なるほど!空気の漏れる場所ですね。ということは、この山荘に隠し場所があると」

 

「ご名答」

 ヤンは笑って答えた。

 

「私が所属していたわけではないが、組織犯罪捜査をやってる連中から聞いたことがあるんだよ。曰く、『どのような設計図も、信用するな』だそうだ。ならば、我々も山荘を少し改めてみることにしようじゃないか」

 

 

 

 同日 1時52分──

 

「こちらも異常ありません」

 

「そうかぁ」

 フレデリカの報告に、ヤンはそれだけ言った。失望しているのかそうでないのか、それだけでは分からない。でも、わざわざこんな新兵器?を持ち込んでいるのだから、成果があがることを期待しているはずだった。

 隠し部屋があるなら地下、それがヤンとフレデリカの推論だった。そのため、地下室、倉庫、トイレと探して回ったのだがいずれも異常なし。何か隠し扉や隠し階段があるものと想定していたのに(あるなら、想定しない空気の流れが見つかるはず)、ヤンが焚いた『煙』の濃度はいずれも想定の範囲内。特に、倉庫はいろいろなガラクタが放置されており(おまけに『ゴースト』達が家探しでいろいろ荒らしていた)、探すのが大変だった。それでも何もないのである。

 

「まぁ、『ゴースト』だって何か隠し扉や隠し部屋がないかどうか、一通り探ったろうからなぁ。仕方のないことか」

 

「一階と二階を探しますか」

 フレデリカが聞く。

 

「だがなぁ。この発煙剤は、閉め切った空間なら効果がそれなりにあるけど、開放された所では意味がないんだよ。扉を閉め切るにはさっきのさ──」

 帝国士官が発動させたブービートラップによって、ガラスの多くが破損していることをヤンは指摘した。

 

「でも、探さないわけにはいかないのでしょう?」

 フレデリカの言葉に、ヤンは頭をかいた。確かにその通りだった。

 

 

 

「やっぱりなぁ」

 ヤンはスマートデバイスの数値を見ながらため息をついた。想定した煙の濃度と、実際の測定値が離れすぎている。単純に、壊れた窓から煙が流れ出ているからそうなのだが、これでは測定になっていない。一階のホールやキッチン、遊戯室、いずれも同じだった。二階の寝室はややマシだったが、それでも大した発見はなかった。

 

「やっぱり、現実はドラマのようにはいかないか」

 ヤンの独り言は、自分に対するものだったか、それとも付き合わせたフレデリカに対する弁明だったか。今回の作戦、襲撃開始から一時間経って、特に成果があがったという報告がないということは、失敗に終わったとみるべきだろう。同盟の一部が、上層部の許可を得ないで勝手に行った共同作戦。それは、サイオキシン麻薬の取引というのならまだしも、とんでもないスキャンダルとして扱われるはずだ。恐らく、特務支援課の幹部──もちろん自分も含め──には何らかのペナルティが課せられるに違いない。まぁ、それはおいておくとしてだ。北軍の一部が、味方にも何の連絡もなく行っているこの作戦は、北軍内部も一枚岩でないことを示している。これは、内紛の一歩手前であることを示しているのだろうか。それとも、この作戦の結末──恐らく失敗だろうが──によってそれが露わになるのだろうか。

 

 いや、同盟だって一枚岩ではない。中核星域(コア・セクター)辺境星域(アウター・リム)の対立はそうだし、軍内部だって政治家と接近する軍人と、そうではない軍人はウマが合わない。統合作戦本部長のドーソン大将は前者で、宇宙艦隊司令長官のホーランド大将は後者だ。まぁ、あの二人は性格的にも合わないけどね。クブルスリー大将は、二人から距離を取っているものの、無関係であるはずがない。むしろ、政治家との付き合いが少ないだけに、後者に近いかもしれない。この『軽挙妄動』が、そういう対立に火をつけるのかもしれない。

 

「少佐!」

 ヤンの考え事を中断させたのはフレデリカだった。何度か呼びかけていたらしい。

 

「あ、ああ。済まない中尉。どうした」

 

「あ、いえ。こちらこそすいません。ちょっと不審なことが」

 

「不審?」

 

「二階のこのドレッシングルームですが」

 フレデリカはスレート端末の一点を指差した。

 

「ドレッシングルームがどうかしたのかい」

 

「何故、南向きの部屋にあるのでしょう?それに、窓が一つしかありません」

 

「……持ち主がそう考えたからじゃないのかな。第一、着替えの部屋に窓が沢山あっても意味がないはずだ」

 

「ええ。ですが、採光の悪い北側の部屋が寝室で、ここには窓があります。それに、面積も同じぐらいです」

 フレデリカはちらちらとヤンを見ている。何をしたいかはヤンにだって想像はついた。

 

「……そうだな。中尉の違和感を確認しに行く時間ぐらいはある」

 ヤンとフレデリカは階段を上って行った。

 

 ドレッシングルームには、ラックに女性ものの衣服がわんさか掛けてあった。武装勢力が分捕る前は、別の居住者がここを使用していたのだろうか。というか、この山荘がどう使われていたのか、ヤンには情報が全くなかった。

 

「やっぱり」

 フレデリカはふんと鼻を鳴らす。

 

「今度はどうした」

 

「この部屋、服が沢山掛けてあって、使用感を出しています。ですが、ドレッサーがありません。着替えをするのに化粧をする場所が無いなんてことはあり得ません」

 フレデリカは掛けてある衣服を片っ端から改めだした。ポケットのあるものはその中を探る。成果がなかったのか、今度は壁際にあるクローゼットを大開きにした。

 

「少佐!わかりますか」

 フレデリカは振り向いて言った。

 

「いや、何も。ただのクローゼットだと思うのだけど」

 

「図面と見比べてください。図面から推測すると、ウォークインクローゼット並みの奥行があるはずです」

 ヤンは目の前の光景と、端末に表示される室内の図面を見比べた。

 

「そうか。クローゼットにしては奥行が無さすぎる、そういうことなんだね」

 ヤンはうんうんとうなずく。今のフレデリカは調子がいいらしい。フレデリカはクローゼットの衣服を何着か取り出すと、奥の壁が少しだけ見えるようにした。

 

「感触は……特に異常は感じられません。ですが、ここで煙を焚けば、何か分かるかもしれません。隠し部屋があるとすれば、ですが……!!?!!」

 フレデリカは壁の感触を確かめようと、力を込めて壁を押し込んだ。次の瞬間、壁がぱかっと割れて、フレデリカは壁の『向こう側』に倒れ込んでしまった。

 

 

 

「あいたた……」

 

「大丈夫か、中尉!」

 壁の向こう側には、奥行数十センチ程度の空間があった。フレデリカはバランスを崩し、その空間に倒れ込んでしまっていた。クローゼットの奥にある「空間」には照明など存在しないので、中がどうなっているかは分からない。ヤンは懐中電灯で中を照らした。案の定、中には何の調度もない、空っぽの空間だ。いや、何か、物体が横たわっている。白っぽくて細長い、人体ほどの長さがあるそれに、フレデリカが覆いかぶさる形となっていた。

 

「は、はい。自分は……大丈夫ですが」

 

「中尉、その……君が尻に敷いているそれは何なんだ?」

 

「え、そんな……え」

 ヤンは、フレデリカが金切り声をあげるところを初めて目撃した。

 

 

 

「……」

 フレデリカは恥ずかしいのか、ヤンと顔を合わせようとしない。だが、尻に敷いていた物体を二人で抱え出し、隣にあるベッドルームに運び込んだ。

 

 予想通り、物体は人間だった。白っぽいのは、精神病棟で見るような拘束具を着用しているからだった。もちろん、口には猿轡が噛ませてある。呼吸はあるようだが、目を覚まさないところを見ると、睡眠薬のようなものを投与されているらしい。

 

「中尉、この拘束具を外してくれ。外せないようなら切り取っても構わない」

 ばつが悪そうにもじもじしている中尉を無視して、ヤンは拘束具を外していった。もちろん猿轡も外す。中から出てきたのは半裸の若い男性だった。下着以外何も着用していない。だが、特徴的なのは男の首から上だった。豪奢な金髪、整った顔立ち。いや、整ったどころではない。彫刻に命を吹き込んだと言ってもいいレベルである。もしこの人間が俳優ならば、トップスターも間違いなしだ。

 

「……どうやら、目的の人物はこの人、ということになるのかな。あれだけ北軍が慌てているところを見ると、どうやら相当偉い貴族の御曹司、ということになるのかな」

 フレデリカも男の顔をのぞきこんだ。何か不審なところがあるのか、首をかしげている。しばらくすると、端末を取り出して操作し出した。

 

「少佐」

 

「どうした」

 

「自分は、この人の顔を見た記憶があります。半年ぐらい前に出たファイブスターで」

 フレデリカの声はわずかに震えている。

 

「ファイブスター?軍の広報誌に?ということは、この人は軍人なのかい?」

 

「そうです。間違いありません。この人は──」

 フレデリカはヤンに端末の画面を見せた。そこには、目の前の人物と同じ金髪、同じ顔立ち、そして蒼氷色(アイスブルー)の瞳の顔写真が写っていた。写真の下には──

 

 

 

 帝国北軍、アムリッツァ軍管区司令官 ラインハルト・フォン・ミューゼル大将

 

 

 

 そう書かれていた。

 

「いやぁ……」

 ヤンはそれだけ言って後が続かなかった。フレデリカも似たようなものだった。

 

「この人が、あの、『帝国の若き将星』『常勝の天才』なのかい?」

 

「たぶん、おそらく」

 フレデリカはうなずいた。『常勝の天才』の勇名は同盟にもとどろいている。12歳で幼年学校に入学、16歳で見習士官として前線に出て、数十の戦いで無敗と喧伝されているのが、目の前のこの人物である。データが正しければ今年22歳だが、たったの22歳で大将閣下である。ヤンが22歳の頃はといえば、士官学校を卒業して士官のキャリアを歩み始めたばかりだったはずだ。

 

「……何でフェザーンに居るかは分からないが、こいつは大した大物(キングピン)だよ。これで、今までの帝国の動きも説明がつくね」

 

「そうですね」

 

「あのブービートラップは囮ということか。こちらの目を引き付けるための。もし引っかかっていたら──」

 

「一日単位で時間を浪費したかもしれません。そもそもあの隠し部屋では、酸欠になっていた可能性もあります」

 フレデリカが答える。

 

「そうだなぁ。しかしだよ。考えてもみろ。これだけの重要人物、それも敵国のだ。その生命を我々は手中に収めている、というわけだよ。北軍に3つしかない軍管区の最高司令官、その一人が忽然と消えたら、一体どうなるのかね」

 ヤンが冗談めかして言った。もしかしたら、今ここが歴史の分岐点、そうなのかもしれない。自分を、銀河さえも変えてしまえそうな瞬間が今、すぐそこに。

 

「どうなるのか、と言われましても」

 

「南北の軍事バランスが激変するでしょうね」

 いきなり第三の声が割り込んだ。声の方に振り向いた二人は、帝国の軍服を着用した男が、ブラスターをこちらに向けて立っていることに初めて気づいた。ヤンは、フレデリカが金切り声をあげるところを二度、目撃した。

 

 

 

 ヤンとフレデリカは反射的に手をあげた。目の前の男、長身で、燃えるような赤髪、ベッドに横たわる男ほどではないが、十分以上に端正な顔立ちの男は、表情を変えることなく、手を下ろすように指示した。

 

「皆さんが話をしていたことにつきましては、聞かなかったことにしておきましょう。ともかく、見つけていただいたこと、感謝いたします」

 目の前の男は、旦那とは違って規定通りに軍服を着用していた。年は若いが、略綬の数を見ると、相当死線を潜り抜けていることが分かる。階級章は──おいおい、少将閣下じゃないか。

 

「閣下」

 フレデリカが震える声で言った。

 

「もしかして、閣下はキルヒアイス少将ではありませんか。アムリッツァ軍管区総参謀長の」

 キルヒアイスと呼ばれた男は、一瞬驚いたような表情でフレデリカを見つめた。

 

「おや、同盟にも私の顔を知る人がいるのですね。いかにも。小官は、ジークフリート・キルヒアイス、アムリッツァ軍管区の幕僚チームのリーダーを務めております。もしよろしければ、お二方のお名前をお聞かせ願えますかな」

 

 キルヒアイスの声に、二人は自然と直立の姿勢を取った。敵国であろうと、階級が上の人間に示す態度は変わりない。殺し合いにもルールというものはある。それが現実だ。

 

「ヤン・ウェンリー少佐であります。自由惑星同盟大使館付武官を拝命し、勤務しております。こちらは同じく、大使館付武官のグリーンヒル中尉」

 

「フレデリカ・グリーンヒル中尉であります。お見知りおきのほど、よろしくお願い致します」

 

「なるほど。貴方が総参謀長グリーンヒル中将の」

 

「父をご存じなのですか?」

 フレデリカが驚いて言った。

 

「敵国の総参謀長を知らない──そう思われるのは心外ですね。例え、事実上の休戦状態であろうと、帝国と『叛乱軍』は相容れない存在、そのはずです」

 キルヒアイスの『叛乱軍』という呼び方に、二人はぎくりとした。3個艦隊、後方支援戦力も合わせれば500万の人間を配下に持つ男の言葉には妙な説得力があった。ヤンはといえば、特務支援課、特殊作戦グループの総力を集めても50人がせいぜいだろう。

 

「そ、それは失礼しました」

 

「いや、いいのですよ。司令官閣下は、とある理由により拉致監禁され、お二方はじめ同盟の尽力により救出して頂いた。それが事実です。我々は、皆様に大きな借りを作った。この借りはいずれ返すことになるでしょう。何らかの形で」

 

 キルヒアイスの「実力」はすぐに目にすることができた。キルヒアイスが通信を送ってから数分も経たないうちに、山荘は百人近くもの兵士に包囲された。未だ昏倒から覚めないミューゼル大将は、四人の部下に担ぎ上げられ、どこから調達したのか分からない救急車に乗せられて去っていった。それが終わると、包囲していた兵士達は、消えるようにいなくなっていた。

 

「本来なら、弁務官事務所でお礼を述べるべきところではあると思いますが」

 一部始終を見届けたキルヒアイスは、二人に言った。

 

「急用がありまして、これでお別れです。ありがとうございました」

 キルヒアイスが深々とお辞儀をする。ヤンとフレデリカは敬礼した。なんというか、そういう雰囲気だった。

 

「いえ、自分達は命令に従ったまでです」

 ヤンはそう言った。長身の権力者に頭を下げられるのは、どうにもこそばゆかった。

 

「なるほど。命令、ですか。いい言葉です。納得のいかない運命を受け入れるのには、いいまじないというもの」

 

「……」

 

「すみません。少し言葉が過ぎてしまったようです。ともあれ、貴君らの献身に敬意を表します。再戦の日まで壮健なれ」

 

 キルヒアイスはそれだけ言うと、山荘を出て、待たせてあった地上車に乗って去っていった。ヤンは、何故キルヒアイスが再戦という言葉を使ったのか、分からなかった。まるで再びドンパチをやることがわかっているみたいじゃないか。いや、そもそも、今回だって戦っているわけじゃないのに。

 

 

 

「もう午前3時を回ってます」

 

「そのようだね」

 フレデリカの言葉にヤンは答えた。腕時計は、午前3時10分を示していた。

 

「滅多にない体験をしたかもしれません」

 

「そうだなぁ。銀河に突如現れた、二人の若き天才、そして英雄と会えたんだよな。もしかして、今日の1日も、そんな英雄達の伝説、その一ページになるかもしれないよ」

 

「銀河の英雄達の伝説、ですか」

 

「記録に残れば、だけどさ」

 そこまで言って、ヤンはコミュニケータが着信を知らせているのを感知した。ムライからだった。通信を始めて最初の一言は、定時連絡を無視し続けたことに対する叱責だった。

 

 

 

宇宙暦798年、5月1日 21時 巡航艦『エルベ』艦内──

 

 昨日フェザーン宇宙港を発進した北軍の巡航艦『エルベ』は、全速力でアイゼンフート星域を航行中である。目標地点には北軍、アムリッツァ方面軍の分遣隊が待ち構えており、そこまで行って合流ができれば、とりあえずの安全は確保できたということになる。

 

 巡航艦内で、ラインハルトは軍医の診断を受けていた。多量の睡眠薬および自白剤と思われる薬物を注射されていたが、体調にはおおむね問題なし、とのことだった。

 

 キルヒアイスはといえば、自室にこもって出てくることはなかった。彼は、もちこんだ機器類を使用して、作戦中に押収したデバイス類の解析を行っていた。何か通信の記録が見つかれば、裏で手を引いている人間の手がかりが掴めるかもしれない。

 

 機器のブザーが鳴った。キルヒアイスは機器のコンソールを確認するとボタンを押した。手元にあるデバイスに解析結果が送られてくる。結果を確認したキルヒアイスは、満足気にうなずくと、コミュニケータを取り出して何処かに通信を始める。

 

「どうも。やっと正体が分かりました。警備隊司令のモルト少将を拘束してください。情報流出の大元はあの人です。傷つけるのは避けてください。尋問は私がやります」

 キルヒアイスは通信を切ると、コミュニケータを懐に仕舞い、解析機を片付け始めた。証拠となるデバイスは丁寧に保存する。解析結果をデバイスから仕事用端末に転送し、取り調べ用書類の作成を始めた。急がなくてはならなかった。エックハルト星域に展開しているアムリッツァ方面軍は、北軍の攻勢、その側面を援護していることになっていたが、度重なる総司令部の転進命令を無視してアイゼンヘルツ、アイゼンフート星域の南軍にちょっかいを出しては小競り合いをする、という動きを続けている。表向きにはそういう風に見えているはずだった。総司令部がしびれを切らす前に、戻る必要があった。方面軍の首脳部は口止めできるが、全軍はそうではない。

 

 キルヒアイスは大きく伸びをした。二十代前半の体力は、徹夜の一日二日はどうにでもしてくれるものだ。だが、キルヒアイス本人はそれを喜んで受け入れているわけではなかった。まだまだ仕事は残っている。今回の件について、情報を売った人間は特定した。だが、抵抗組織を一網打尽にして後顧の憂いを断つまでが自分の仕事である。

 

「そうなれば、最終戦争(ラグナロク)への障害はほぼ取り除かれることになる。後は計画の実行あるのみ」

 キルヒアイスは胸元からロケットペンダントを取り出すと、蓋を開いた。中には、一人の女性と二人の少年が写った写真がある。キルヒアイスはそれをしばし眺めると、蓋を閉じ、しまい込んだ。これからしばらくの間、過去に浸るという贅沢を味わうことはできないだろう。

 

「アンネローゼ様。今しばらくお待ちください。戦いのない世の中は、あともう少しでやってきます」

 ふと、キルヒアイスは自分が空腹であることに気が付いた。そういえば半日以上飲まず食わずで作業しているのだった。キルヒアイスは自室を出て、食堂に軽食を貰いに行くのだった。

 

第二部 完

 

 

 

 

 

 

 

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