第十三話 祖国は危機にあり ~ 自由惑星同盟の場合
参考資料1 自由惑星同盟星系図
参考資料2 自由惑星同盟宇宙艦隊 戦闘序列
宇宙歴798年7月初旬──
フェザーン行政府 バー「ギルガメッシュ・タバーン」
『乾杯』
『乾杯』
バーの片隅で二つのグラスがカチンとぶつけられた。そのテーブルには二つしか椅子がなく、アラサーの男二人が酒を酌み交わしている(多分、二人ともにアラサーという表現に抵抗を感じているだろうが)。
「アッテンボロー。そろそろフェザーン暮らしも長いだろう。親に顔を見せようとは思わないのかい」
「あー。先輩、いいのいいの。故郷は遠きにありて思ふもの。親は無くとも子は育つ。FTL通信も高いですからね。まぁ、新年の挨拶はちゃんとやってますから。ところで、副官の中尉殿とはうまくいってるんですか」
「おいアッテンボロー。その話をどこから聞いた。第一、彼女は同僚であって副官ではないんだけど」
「またまたぁ。大使館に出入りすればすぐ分かる話ですよ。第一、総参謀長の一人娘っていう時点で噂になるのは確定しているのに、その彼女を飼いならしている少佐殿が居るってことになると、いやでも耳に入ってきますよ。今日、連れてくればよかったのに」
「あのなぁ……」
まぁ、談笑している二人はもう分かりますよね。一人は経済誌の記者であるダスティ・アッテンボロー、もう一人は自由惑星同盟大使館、特務支援課課長補佐のヤン・ウェンリーである。
ヤンがフェザーンに赴任してから、もう一年になろうとしている。いつか一席設けようという話はあったのだが、この二人が顔を突き合わせて飲むのはこれが初めてだった。機会というものは無理に作ろうとしないと意外と無い、人生そんなものである。
会話は、主にアッテンボローが話し、ヤンがそれを聞く体裁だった。フェザーンの生活はアッテンボローの方が長いし、第一ヤンが持つ話題は門外不出のものがほとんどである。そういえば、実は少し前に敵軍の高級指揮官と会ってね……なんてことを言えるわけがないのである。まぁ、それはアッテンボローも理解してくれている。
「そういや、今度ハイネセンに帰るとして、先輩は士官学校以来ですか。久々の故郷はいいですねぇ」
「故郷ねぇ」
ヤンはひとりごちた。ヤンの出生地は一応惑星ハイネセンということになっていたが、ハイネセンで過ごした記憶がヤンには存在しない。子供の頃の記憶といえば、親の所有する商船の船橋または、船長室がほとんどである。
そのヤンに、首都星ハイネセンへの召喚命令が届いていた。曰く、9月に行われる定例図上演習に出席し、付随して行われる秘密研究会に参加せよということであった。一年に一回行われる定例図上演習というのは、軍にとって、実際の軍事演習と同じぐらい重要なイベントである。様々な戦略戦術の研究が行われ、結果は軍人のキャリアに大きく影響する(結果というのは勝ち負けというような表面的なものではないが)。ここに参加するだけでも、エリートの証と言っていい。一回参加するだけで、軍服に参加章の略綬が付き、他の士官との差別化ができる。
そもそも、ヤンは士官学校を卒業した後、すぐに憲兵隊に配属となり、地方の星域を転々としている。エリートコースを歩く場合、ハイネセンの統合作戦本部に勤務し、何年か過ごした後に地方に赴任する。真のエリートの場合、中佐や大佐までハイネセンを離れたことがない、ということもありうる。つまり、ヤンのようなキャリアを持つ士官が、ハイネセンに帰って何かをするだけでも、異例中の異例ということだ。それが定例図上演習への参加とは!
「いやぁ、先輩も出世したもんだ。そろそろ中佐昇進のお声がかかる頃じゃないですか。ここで気に入られたら、トリューニヒト議員とかから一本釣りされるかもしれませんよ」
「よしてくれよ。少佐だって私の身の丈には合わないんだから」
ヤンは背筋を震わせると、それを隠すかのようにグラスを一気にあけた。
そもそもヤンのようなキャリアを歩む人間が、三十にもならないのに少佐になる、というのは、退役前の階級前渡しという側面が大きかった。もし、軍隊への奉職を続けるというのであれば昇進はもっと遅かっただろう。大尉でエル・ファシル憲兵隊のどうということもない部署の課長、それでも問題はなかったはずだ。ヤンにとっての少佐という階級は、最終的な階級であり、軍人恩給に色をつけるための階級であるはずだった。人事局だって、ヤンがここまで少佐で居座るとは想定外に違いない、そう思えるのである。
「いくらなんでも、フェザーンに来てからトラブルがあり過ぎなんだ。どうして周囲の人間は、私が蟻地獄でもがき苦しむ様を眺めて楽しむような連中ばかりなんだ。アッテンボロー、お前もだぞ」
「でも、他人の不幸は蜜の味、と言いますよ。第一、先輩ときたらいくら蟻地獄に落ちても何故か這い上がってくるから、見ている側としては、大変だ助けようというよりは、次はどんなイリュージョンで脱出するのだろう、そういう興味がわきますよね」
「お前!」
さすがにヤンが気色ばんだのを見て、アッテンボローは笑って誤魔化すとヤンと同じようにグラスをあけた。ウィスキーのダブルを二つ注文する。
「でも、本当にどうするんです。本当に退役できるんですかね。うちんところにも意識調査票が来ましたよ。五年ごとのはずが、今年来ましたよ」
「……」
ヤンは黙った。意識調査票というのは、退役した士官でそれほど年をとってない人間を対象に、定期的に出されるアンケートである。質問は、簡単に言えば「もし声をかけたら、軍隊に戻ってくる気はありますか?」というものである。事情があって軍隊を急拡大させなければいけない時、問題は常にハードウェアより人材となる。必要になった時のために唾をつけておくのが、アンケートの目的だ。
当然ながらこのようなアンケートはあまり歓迎されない。事情があって軍を辞めたのだから、戻ってきますかと言われてはい、と答える人は少ないはずなのだ。政界でも反対の声は根強く、妥協の結果、このような調査は国勢調査の一環と位置づけられている。つまり、特段の事情がなければ、五年に一度しか行われないアンケート、そのはずなのだ。
ヤンも考える。何故、わざわざハイネセンまで行って演習に参加しなければならないのか。いや、ヤンには事情は十分分かっている。既に、参加する研究会の内容、議題、参加者の概要は伝えられているからだ。そしてヤンにふりかかっている面倒事の内容を考えれば、自分の立場は大体察しが付くというものだ。もちろん、それをアッテンボローに言うわけにはいかない。問題はそこではない。
問題は、政府、軍首脳部はそこまで覚悟を決めているのか、そこなのである。
「最近、同盟政府もずいぶんときな臭くなりましたよ。二週間前のアレ」
「アレ?何だっけ」
ヤンはしらばっくれた。
「もう、先輩は分かっているでしょう。トリューニヒト議員のアレですよ」
アッテンボローは指摘した。二週間ほど前に行われた、重工業企業向けの投資振興法案の審議で、次期国防委員長がほぼ確定しているヨブ・トリューニヒト議員によって行われた討論のことを指していた。
軍備増強のための設備投資に補助金の支出ならびに税制上の優遇措置を行うというものであった。当然ながら、賛成派、反対派で怒号の飛び交う事態となり、騒然とした状況の中、賛成派の重鎮と見なされていたヨブ・トリューニヒトは、討論でいきなりこう述べたのである。
「本会議にお集まり頂きました議員諸君、祖国は危機にある」
唐突に発せられた先制パンチに、議場は一瞬静寂に包まれたが、遅れて怒号が沸き起こった。危機などどこにあるのだ、お前の議席の方が危機だ、そういう野次が多かった。
「今、危機などどこにある、そうおっしゃられましたな」
耳ざとくそれを聞き取ったトリューニヒトは、怒号が大体静まった後でそう言った。
「諸君らは、私と同じく自由惑星同盟の下院議員である。つまり、選挙にて選挙民の清き一票によって選出され、四年間の任期を与えられた者達である。ならば問いかけたい。君達の任期の中、いや、それ以降も
そしてトリューニヒトは、南朝皇帝の死が、帝国内戦の大きなターニングポイントとなる可能性があることを指摘し、帝国内戦の状況変化に備えるためには、早い段階からの設備投資が必要であると訴えたのであった。もちろんこの後には、現在の同盟の軍需生産能力であるとか、帝国との戦力比であるとかの話が出てくるのだが、この話はここまでとする。
反対派議員を当て擦っているともいえるこの演説には、大きな感情のうねりが生じた。侮辱である、議会の討論に相応しくない、トリューニヒトに問責を決議すべきだ、そういう意見すらあった。まぁ、こういうのはヒートアップした議会討論にはままあることなので問責にはならなかった。だが、いつものトリューニヒトとは思えない、
「あれはねぇ。大変だったんですよ。軍需関連企業の株価は乱高下するし、フェザーンから帝国南北朝への軍需物資輸出はどうなるのか、とか、奢侈品の輸出入はどうなるのか、とか問い合わせが滅茶苦茶大変だったんですから」
「それが雑誌記者の仕事だろう。政治家は記者のために政治をするわけじゃないさ。まぁ、世の中、記者にいい記事を提供するために仕事しているような政治家もいるけど、さ」
「それもこれも、ふたつきまえのアレが原因ですかね」
アッテンボローが言う。
「そりゃそうさ」
ヤンはそう返した。
宇宙歴798年5月5日──
帝国南朝で、定例の園遊会に出席するはずの皇帝クレメンス二世が、突如出席を取りやめた。体調不良との発表であったが、同日、帝国病院への入院が発表され、南朝のみならず北朝の朝野も騒然となった。症状は過労と発表されたが、それがあくまで表向きの話でしかないことはすぐに広まった。噂を総合すると、症状は脳梗塞で、それもかなり重い症状らしい、とのことであった。
憂慮すべき事態であった。誰もが、皇帝崩御という未来を予定に入れざるを得なかった。
いや、憂慮どころではなかったかもしれない。クレメンス二世には皇太子がいなかったのである。クレメンス二世には多数の子供が居たが、成人したのは女性が二人だけだった。二人はそれぞれ門閥貴族の巨頭であるブラウンシュヴァイク公オットーと、リッテンハイム侯ウィルヘルムに嫁いでいる。そして、二人の子供も女子ばかりであった。
通常であれば、帝国宰相の位にあるブラウンシュヴァイク公の子が女帝となるべきであったろう(リッテンハイム侯は政治的闘争に敗北した結果、近年は逼塞状態とみられている)。しかし、そこに待ったをかけたのが、当のクレメンス二世本人であった。帝国宰相が女帝の外祖父となるのは権力の壟断であると主張し、リッテンハイム侯の子供を皇太女とすると言い出したのである。皇帝からしてみれば、ブラウンシュヴァイク公の孫が皇帝などになれば、それは帝位の乗っ取りのように見えたのだろう。
だが、そんなプランをブラウンシュヴァイク公がはいそうですかと受け入れるわけもなく、立太子(立太女?)の件は延び延びとなり、現在に至っているわけだ(そもそも引き合いに出されたリッテンハイム侯側も難色を示していた。ブラウンシュヴァイク公との政治戦争になることは確実だったからだ)。
こうなると、皇帝崩御の暁には、南朝の政治体制は激変するであろうということがほぼ確実になったわけである。南北朝もそうだが同盟も色めき立った。同盟側が憂慮していたのは、南朝の政治的混乱が軍事的混乱に結びつく可能性についてだった。過去、政治的混乱によって、万全の防備を誇った国家が崩壊した事例はいくつもあった。となると、同盟は統一した銀河帝国と久方ぶりに相対さざるを得ないわけである。それはいつのことになるかは分からない。
が、備えておかなければならない。トリューニヒトの演説もそこら辺が絡んでくるわけだ。
「いずれやらなければならない宿題を、やらなかった報いというわけさ」
ヤンが訳知り顔で言った。
「先輩は休みの宿題をすぐやる方でしたか?」
アッテンボローが笑いながら聞く。
「宿題の内容によったかな」
ヤンは答えた。ヤンはチーズをつまむと、グラスを空けて、お代わりを頼んだ。ヤンもアッテンボローもカクテルというものをあまり好まない。軍隊という場所で身に着けた流儀というものかもしれない。
「そうそう、宿題といえば」
アッテンボローは鞄を取り出してがさごそとあさった。
「お、調べてきてくれたのかい」
ヤンは嬉しそうに言う。ヤンはアッテンボローに帝国南北朝の経済についての説明をお願いしていたのだった。これも、ヤンがハイネセンでの仕事に必要な知識になるはずだった。
アッテンボローは、鞄から一冊の雑誌を取り出した。タイトルには「週刊 帝国経済 南北朝経済総まとめ」とある。
「俺が寄稿している雑誌じゃないですけど、南北朝の経済は、これがよくまとまってます。後で先輩に差し上げますよ。で、帝国の北朝は、先輩もご存知とは思いますが、大財閥が仕切っています。特に軍事ではそれが顕著です。一際大きい財閥が4つあって、四大財閥と呼ばれています。まぁ、ご存知だとは思いますけど」
アッテンボローは、雑誌のページをめくった。「四大財閥特集」と大書されたページが見える。更に捲ると、『ローゼンタール造船グループ』というページが出てくる。
「四大財閥の一つ、ローゼンタールは造船の大手で、北朝の輸送船の3割はここが造ってるんですよ。もちろん戦闘艦艇もやってます。軍需民需問わず、宇宙船関係の消耗品も強いですね。上は推進剤とか、エネルギーチャンバーの二次電池とかから、下はトイレットペーパーまで手広くやってます。製造ラインの自動化が進んでいて、最近は衛星まるごと無人でひたすら船を造り続けるようなものもあるそうですよ」
ヤンはふんふんと頷く。それを見たアッテンボローは更にページをめくった。次は『バイヤースドルフ・ソフトウェアエンジニアリング』と書いてあった。
「バイヤースドルフは、ソフトウェアの大手ですなぁ。OSからAIプログラムまで何でも手がけるソフトウェアベンダです。向こうのスマートデバイスのOSも、作ったのはここだそうです。もちろん、フェザーンでもみんな使ってますよ。自分も、です」
アッテンボローはポケットから普段使いでないと思われる新ピカのスマートデバイスを取り出した。姿形、UIはヤンが見慣れているものとあまり変わらない。
「これが帝国のスマートデバイスなのかい?」
「相変わらず先輩はメカに弱いですねぇ。バイヤーズドルフの新作、『エスペランザV』です。CM見たことありませんか?」
ヤンはかぶりを振った。
「最近帝国のテレビは、国営を除けば広告のない有料配信ばかりなんだ」
「先輩。折角フェザーンに居るのにそれはないじゃないですか」
「別にいいじゃないか。で、バイヤーズドルフはスマートデバイスしか作らないのかい?」
「そんなことないですね。軍需という意味からすると、艦船の操作系装置が強いですよ」
アッテンボローはさらにページを捲る。次は、『ビッテンフェルト鉱業』のページであった。
「ビッテンフェルトは鋼材の大手です。元は艦船に塗る塗料素材の会社から鋼材に手を広げて成功したって経歴がありますよ。面白いのが、三男のフリッツってのがとにかく会社に入るのが嫌で、軍隊に入ってしまった。そしたらあれよあれよと言う間に昇進して将軍になってしまった。喜んだ社長の親父が、軍を説き伏せて艦艇塗装色に黒色を追加させてしまったんだそうで。今では息子が指揮する艦艇はみんな黒一色なんだそうですよ」
アッテンボローが面白そうに言う。
「うへぇ、さぞかし本人は迷惑だったろうね」
ヤンは迷惑そうに返す。
「どうなんですかね。話だけ聞くと、不良か愚連隊が宇宙空間でたむろしてるように聞こえますけどね。愚連隊では将軍になれませんけど」
アッテンボローがまぜっかえした。
「ところで、一番有名なラインフォルトはどうなんだ?」
「あそこは、何でも作りますねぇ。上は宇宙戦艦から、下は地上車、スマートデバイス、果ては家庭用の家電まで、何でも、何でもです。
雑誌のページをさらに捲ると『ラインフォルト』と書いてある。
「珍しいね。同盟にはないタイプだよ」
ヤンが感想を述べる。
「あんな財閥が同盟にあったら、即刻反トラスト法で解体されているでしょうね。財閥の総帥であるフランツ・ラインフォルトって男がいるんですが、こいつが大した技術屋でね。でも、それを見出したのは先代の社長で、今のラインフォルト会長なんですよ」
「見出した?息子じゃないのかい?同じラインフォルトなのに」
「そうなんですよ。研究所に居た技術者だったらしいんですけどね、先代の会長が目をつけて、自分の娘に婿入りさせたんですって。で、この娘、いや、ラインフォルト夫人ですかね。これがまた大したビジネスマンあいやビジネスレディーで。財務とか会社の切りまわしは大体夫人がやっているそうです」
「へー。そりゃ凄いな」
ヤンの頭の中にフレデリカの姿が一瞬浮かんで、すぐ消えた。
「旦那のフランツも大した人物ですよ。特に
「こう見ると、だ。北朝は財閥抜きではやっていくのは難しそうだな」
ヤンが感想を述べる。
「無理でしょうね。特に戦争はやってられないでしょう」
アッテンボローが同意した。
「今じゃ軍の運営も財閥無しじゃやってられないでしょう。向こうの統帥本部、ウチの後方支援本部を二回りほど大きくしたような役所ですが、今じゃ財閥から人を招聘してトップに据えているぐらいですからね」
「それは知ってるよ。確か、シルヴァー……ベルヒだったかな」
ヤンが相槌を打つ。
「そうです。シルヴァーベルヒって人は、ラインフォルトの幹部重役だったんですけど、軍に転身していきなり統帥本部総長ですからね。就任した時は28歳だったそうですよ。宰相の抜擢人事とはいえ、受ける方も受ける方ですよねー」
「よくやるよなぁ」
「全くで。というわけで、現在の北朝は、特に戦争において財閥の顔色を窺いながらやってるわけです」
「だがなアッテンボロー」
「どうしました?」
「そうすると、財閥は戦争を終える意味がなくなる。戦争が終わってしまえば、今までの投資は相当数が無駄になってしまうだろうね」
「そうですねえ。だとしたら、北朝的には戦争はいつまでも続くということですか」
「というわけじゃない」
ヤンは否定する。
「いかな大財閥とはいえ、民力の疲弊を座視はできない。商人は政府と民衆を相手に商売を行う。政府は民衆が作る。これは民主主義でも帝政でも変わらない。ならば、疲弊した国民の行き着く先は分かるよな。だとすればだ。財閥にできることといえば」
「できることといえば?」
「より良い戦争の終わらせ方を考える、それぐらいだろう」
「そう上手くいくもんですか?」
「どうだろうね。国を牛耳るといえど、逆にいえば国があることが前提だからねぇ」
ヤンの言葉にアッテンボローはウンウンと頷く。
「では、南朝にいきましょうか。こっちは随分と単純です。基本、門閥貴族、それもブラウンシュヴァイク公とその係累の天下ですからね」
アッテンボローは雑誌のページをぱらぱらとめくった。『南朝、ブラウンシュヴァイク公の天下はいつまで続く?』と書いてあるページが出てきた。写っている写真は、ブラウンシュヴァイク家の現当主、ブラウンシュヴァイク公オットーであろう。
「自分の宮殿を皇帝陛下に差し出していたら、そりゃ権力だって握り放題でしょうねぇ」
「でも、南朝にはいろんな門閥貴族がいるんだろう?ブラウンシュヴァイク公がそんなに簡単に権力を握れるのかい?」
ヤンが聞く。
「内戦勃発当初はそうじゃなかったみたいです。ですが、内戦が長引くにつれ、経済力のない貴族から没落していって、結果ブラウンシュヴァイク公の天下になったみたいです。貴族といっても、内戦に勝つには持ち出しをしなければならないですからね」
「破産した貴族としてはいいところないなぁ」
ヤンの言葉にアッテンボローはそうですねぇ、と応じる。
「門閥貴族側もね、あまりの持ち出しの多さに悲鳴をあげて、出し渋りをした時期があったみたいです。そしたら、途端に南軍が劣勢になって押し込まれるようになって、その結果政変が起きたんですよね。その時就任した宰相が、容赦なく貴族から取り立てるようになって、自然とブラウンシュヴァイク公の天下になったみたいです。ブラウンシュヴァイク公に最後まで対抗したのは、並び立つ実力を持つと言われたリッテンハイム侯だそうですが、今は虫の息だそうで」
「歴史は繰り返す、だなぁ」
ヤンはため息をつきながら言った。元はといえば、オトフリート五世が貴族主義を改革するということで平民からの人材登用をはじめ、それに貴族達が反発した。オトフリート五世亡き後、奪われた権益を取り戻さんと立ち上がったところまではよかったが、平民達は力をつけ、それと対抗するのが精一杯。南朝が瓦解しなかったのは、むしろ北朝側が南朝を切り崩すことをほとんど行わなかったからだと言われている。
「北朝の方がいい方向に変われた、ということなのでしょう。何が『良い』のかはおいとくとして。恐らく、戦争に勝つ、という意味かな。南朝の門閥貴族も努力はしていますが、流石に泥水すすり草を噛み、なんてのはできないですよねぇ」
「でも、門閥貴族はまだいい方だろう。一般市民はもっと大変だろうよ」
ヤンはウィスキーをすする。
「ですね。南軍の宇宙艦隊は8個艦隊に分かれていますが、門閥貴族が指揮する親衛艦隊と、貧乏貴族や平民が指揮する防衛艦隊の2つに分類されるんです。もっぱら血を流すのは防衛艦隊の方ですね。でも、成り上がるには防衛艦隊の中で功績を立て、親衛艦隊に引き抜かれ、門閥貴族のお気に入りになるしかない。まぁ、嫌になりますよね」
アッテンボローはそこまで言って、ふぅとため息をついた。
「そうだなぁ」
ヤンも同意する。
「まぁ、ともかくだ。大体は理解できたよ。ありがとうアッテンボロー」
「どういたしまして。こんなのならいつでもどうぞ」
アッテンボローは雑誌を差し出した。ヤンは受け取ると、グラスの横に置いた。
「なぁアッテンボロー。これは印象論なんだが」
「なんですか?」
「同盟は、帝国の内戦がどうなるか、必死になって調べている。どうなれば同盟の利益になるか、それも調べている。だが、物事は外から調べるだけじゃ正解にたどり着くのは難しい。現地の空気、それが分からないと判断を誤る可能性は高い」
「そんなものですかね」
アッテンボローにはピンとこないようだ。
「例えばだ、アッテンボロー。もし、高級ワイン一瓶と、大手メーカーの安いビール一缶、どちらかをもらえるとしたらどっちにする?」
「そりゃワインでしょうね」
「自分が砂漠の真ん中にいてもかい?」
「んー。それは考えを改めますなぁ。ビールが冷えていれば」
アッテンボローは舌を出した。
「そういうことなんだ。前提が間違っていれば、自ずと間違った結論が導かれる。同盟は、帝国の内戦がまだ終わらない、そういう前提でいろいろ動いている。情報分析した結果も、内戦はまだ続くことになっている。だがそれは、自分の知りたい結論を必死に追い求めている可能性とも思える。そういう意味で、祖国は危機にあるのかもしれない」
ヤンはグラスに目を落としつつ言った。
「えー、そんな同盟に人材が居ないとも思えないんですがね」
「忘れちゃいけないアッテンボロー。人の『信じない心』をなめてはいけない」
「普通、それは『信じる心』なのでは」
「どっちだって同じさ。コインの表裏に過ぎないんだから」
ヤンとアッテンボローが飲み会をしている丁度同じ頃、惑星ハイネセン、統合作戦本部総参謀長室──
「キャゼルヌであります」
「入り給え」
総参謀長室に一人の中年士官が入ってきた。名前はアレックス・キャゼルヌ、階級は大佐、統合作戦本部の後方作戦本部で、軍需物資の管理統括を行っている。迎える方はもちろん、この部屋の主人である、総参謀長ドワイト・グリーンヒル中将である。
「夜分遅くなりまして、申し訳ございません」 キャゼルヌはそう言って頭を下げた。
「いいさ。娘も独り立ちすると、急に暇になってしまうもんだ。おかげで仕事に没頭できるというもの。ああ、君に真似をしろと言うつもりはないぞ。奥さんと娘は大事にしたまえ。でないと、私のようになるからな」
グリーンヒル中将はそう言いながら端末でキャゼルヌの書類をチェックしている。キャゼルヌとしては、大事にしすぎるのも考え物だけど、と心の中では思ったが口に出したりはしない。
「うん。書類の方は大体よろしい。詳しくは明日読ませてもらう。済まなかったね、突然の話で」
「まぁ、こんなことになると思っておりましたので」
キャゼルヌは何でもなかったかのように答える。グリーンヒルがキャゼルヌに要請したのは、同盟軍が定期的にまとめる、軍の戦闘能力評価、その補給に関する書類である。別にキャゼルヌ一人でこのようなデータをまとめるわけではない。後方作戦本部全体で取りまとめる書類であり、責任者は本部長のセレブレッゼ中将である。
基本、それぞれの戦区における物資集積状況その他をチェックし、データをまとめるのであるが、それだけではない。末尾に付ける『シミュレーション』が、部外者の話題となるのだ。シミュレーションとは、帝国が大挙して侵攻してきた時に、どれだけの防衛行動が取れるか、というものなのだが、通常ならアッシュビー・ラインに数個艦隊が大挙侵入した時のシミュレーションを載せるだけで充分なのに、今回は何故か、イゼルローン回廊、フェザーン回廊双方からの同時侵入をシミュレーションしろと、国防委員会から要請されたのである。
軍としては意図が分からなかった。確かに、南朝の皇帝が重病である、という事態から、南北の内戦が終結に向かうかもしれない、という予測を導き出すことはできる。だが、今までも内戦の戦況が北軍、あるいは南軍有利になったことはあれども、こんなシミュレーションをやれと言われたことはなかったのである。
特にショックを受けたのは後方作戦本部のリーダー、セレブレッゼ中将である。同盟の補給拠点は、主にアッシュビー・ラインと、その後方に集中している。これは、帝国の侵攻をイゼルローン回廊方面からと決めつけているからなのだが、フェザーン回廊からの侵攻となると、どこを防衛ラインと定めてもなかなか補給が安定しない。拠点が少ないからである。
セレブレッゼは、これを自身に対する中傷と断定したらしい。後方作戦本部で行われた会議では、シミュレーション自体への批判と自己弁護に関する演説を一時間近くもぶった後、そのまま昏倒してしまった。診断の結果、胃腸炎と判断されたが、入院が必要ということになった。
結果、シミュレーションはセレブレッゼ抜きでやることになり、残った人間で分担して行うことになった。その一部を充てがわれたのがキャゼルヌということである。
「君を昇進させてやらないとな」
グリーンヒルは端末の電源をオフにして言った。
「ありがたいですが、お気持ちだけ受け取っておくことにします」
キャゼルヌは答えた。
「昇進は嫌か」
「まぁ、今でも上の方とはぎくしゃくしておりますゆえ。若くして将官になる人間は歓迎されません」
「
「ホーランド大将みたいに、敵と決めた人間を完膚なきまでとっちめるのは私の性には合いません」
キャゼルヌは肩をすくめて答えた。
「まぁ私が彼の肩を持つわけではないが」
グリーンヒルがそう前置きした。
「あそこまで権力に対してがっつく男は珍しいよ。そして彼は成功した。前から、いつかあいつは墓穴を掘ると言う人間は山ほどいた。その可能性は決して少なくなかった。でも、ホーランドは成功した」
「わかります」
キャゼルヌは同意した。(少なくとも同盟では)平和なこの世界、軍人として出世するには政治家におもねるか、あるいは派手な功績をあげつづけるしかない。ホーランドは後者だった。軍事演習や図上演習で勝ち続け、軍改革の論文もどんどん出した。政治的に問題のある発言があるわけでもないので、昇進しないわけがないのである。特に、敵の抵抗をものともせず進撃を続ける『無停止攻撃』は彼の代名詞でもあった。そして今、ホーランドは大将まで昇進し、宇宙艦隊司令長官の地位にある。彼に残された昇進の階段は、統合作戦本部長と元帥の階級があるのみだ。
「ホーランドの本質が単なる目立ちたがり屋ではなく、
グリーンヒルはため息をついた。
「国防委員会ではないのですか」
「国防委員会だよ。私が気にしているのは、その国防委員会に吹き込んだのは誰か、ということだ。キャゼルヌ君、君は『ジークマイスター機関』という言葉を聞いたことはないかね」
「ジークマイスター機関」
キャゼルヌは険しい顔をしてオウム返しをした。もちろんキャゼルヌが知らないわけがない。軍神ブルース・アッシュビーは決して軍事的才能だけで勝利を積み重ねてきたわけではない。数多のスパイを用いて敵の情報を収集し、それを基に帝国軍の動きを丸裸にしてきたのである。ブルース・アッシュビーは、マルティン・オットー・フォン・ジークマイスターという亡命帝国軍人を特別顧問として統合作戦本部に迎えていて、対帝国の諜報機関ではないかと囁かれていたのもまた事実だった。
このジークマイスターをトップにした凄腕のスパイ集団、ジークマイスター機関は、テレビドラマの題材に何度もなっている。
そう、テレビドラマの題材、それがジークマイスター機関である。
「本気で言っているのですか」
「ジークマイスター機関が本当にその名前の通り存在するわけじゃないとは思うが」
グリーンヒルが咳払いをした。
「ブルース・アッシュビーが、対帝国の諜報網を駆使していたのは確実だ。軍も政府も未だに認めないが。そしてな、確たる情報じゃないが」
「??」
「その諜報組織は、まだ生きているらしい」
「本当ですか」
キャゼルヌは驚いた。
「アッシュビーが死ぬ直前に、730年マフィアの誰かに託したらしい。普通、諜報機関というものは新しい主人というものを迎え入れることは少ないのだがな。情報部の対帝国戦略研究所と組んで、とある問題の研究にあたっているそうだ」
「何の問題なんです」
「終戦、さ」
グリーンヒルはあっさり答えた。
「帝国南北朝が、この戦争を手じまいしたがっているか、手じまいするならどんな方法か、それだよ。諜報機関は要人の厭戦感情とかそういうのを探っているそうだ。そういえば、一昨年だったかエル・ファシルで帝国軍人を装ったテロ騒ぎがあったろう?」
「ありましたな」
「それのせいか、はたまたジークマイスター機関の成果であるかは分からないが、去年あたりから国防委員会の動きが変わったと言えば変わった」
「そうですか?いつも通りだと思いますが」
「去年、新型戦艦が正式採用されて、更新が始まっているだろう?当然ながら旧型艦は交換されて廃棄になるわけだが、まだ廃棄プロジェクトは進んでいない。そうではないかね?」
「確かに──」
廃棄されるはずの旧型艦が、処理されずに放置されているのは問題になりかけている。国防委員会が廃棄プロジェクトを承認しないからだが、その分各基地のスペースを圧迫しているわけで、いずれ問題となるであろう。この間、廃棄稟議が通ってない旧型艦を無断でスクラップにして、担当者が処分されるというニュースがあった。単なる連絡不行き届きだと思っていたのだが。
「なるべく早く装備を更新するために、廃棄は後回しになるというのが説明だった。まぁ、あのトリグラフ級は採用までにいろいろあったからな。だがここに、ジークマイスター機関、というか謎の勢力がストップをかけているかもしれない、そういう噂があるんだ。あくまでも噂、いや、これはまだ陰謀論のレベルだな」
「私は聞いたことがありません。言っちゃあ悪いですが、参謀長殿が陰謀論に首を突っ込んでいるようにしか思えませんが」
「そうだといいのだがな。そうなのかもしれない」
グリーンヒルは言う。
「だが、統合作戦本部長がドーソン大将というのも、偶然の一致すぎるといえばそうだ。政治家との癒着は置いておくとして、ドーソンという人物は後方支援のマイクロマネージメントに長けている。分かるだろう?」
「それはもう」
キャゼルヌは同意する。だが、ドーソンはやりたい仕事は完璧以上にこなすが、やりたがらない仕事を平気で部下に丸投げすることには触れないでおいた。
「彼が居るからこそ、そこそこの問題は問題とならない。そして、それを念頭に置くと9月に行われる定例図上演習、その秘密研究会で取り扱われる題材は、研究というより政治的衝撃効果を狙っているようにしか思えん。キャゼルヌ君も参加するのだろう?」
「ええ」
キャゼルヌはうなずいた。
「そう思わんかね」
「??いや、私は統裁官(審判)担当なので、詳しいことは何も」
「あ、そうか」
グリーンヒルは今気づいたような風をして頭をかく。
「統裁官には詳細が伝えられていないのだった。そうだった。忘れてくれ。まぁ、これは情報漏洩にはあたらないから言うが、帝国を担当するチームにヤン・ウェンリー少佐が居る。君は知り合いだと聞いたが」
「あ、はい。最近あまり会ってはいませんが」
「フェザーンではなかなかの有名人だそうじゃないか。本人は迷惑がっているようだが」
「そこまでは知りませんでした」
キャゼルヌも同じく頭をかいて答える。目の前の総参謀長が何を言いたいのか、いまいち掴めない。というか、グリーンヒルが一介の少佐に興味を持っている、という事実の方が驚きだ。ヤンが総参謀長の娘と『できている』とかいう根も葉もない噂は、事実ではないにしても根ぐらいはあると考えた方がよさそうだ。
「お、長話をしたな。もう遅いから帰りたまえ。ありがとう」
グリーンヒルは退出を促した。キャゼルヌも居座る理由はないので、そそくさと総参謀長室を後にした。
自室に戻ったキャゼルヌは荷物をまとめて帰る支度をした。もう午後9時を回っている。基本家族に逆らわないのが方針であるキャゼルヌとしては、また失点を作ってしまったと忸怩たる思いであった。
それにしてもジークマイスター機関とは!
キャゼルヌは顔をしかめた。機関の存在はともかく、そんなものを口の端に軽々しく乗せてしまうのならば、総参謀長の資質を問われても仕方がない。というか、キャゼルヌ本人がグリーンヒル総参謀長を信じられなくなっているというのが事実であった。
まぁ、それはまだ判断を下すべき時ではない。9月の図上演習、そこで何が見られるかそれ次第だろう。ヤンよ、お前は何を知っているのだ……
ヤンとアッテンボローの飲み会、キャゼルヌとグリーンヒル総参謀長の密談があってから数日後、フェザーン同盟大使館特務支援課──
「あなたがムライ中佐?」
オフィスで顔を合わせるなり、いきなりそう言われたフレデリカは目をぱちくりさせた。目の前の女性、いや、少女は入口の受付AIの案内も無視して、特務支援課のオフィスまで直行したらしかった。単に不審人物であればオフィスに入れるわけもなかったから、ムライがこの少女に許可を与えたのだろう。オフィスにはフレデリカしか居なかった。ムライとパトリチェフはいつもの通りだし、ヤンは出張のための手続きで外に出ている。
「いえ。私はムライ中佐ではありません。課長は別のオフィスに居ます」
「そうかぁ。じゃあ待たせてもらいます」
少女はそう言うと、オフィスにある応接セットのソファに腰掛ける──どころかごろんと横になった。テーブルの上にある来客用の菓子までつまみ食いをしている。あまりの事態に、さすがのフレデリカも固まることしかできなかった。階級章から見ると階級は伍長。目の前に五階級上の中尉様が居るのに、それを恐れるような雰囲気は全くなかった。薄赤色のロングヘアーと青紫色の瞳を持つ、見てくれは非常に魅力的な少女ではあるが、口調や態度から想像するに未成年どころか少年兵(少女兵という単語は存在しない)と思える。
「伍長、ここは仕事をするオフィスです。寝る場所ではありません」
しばらくの逡巡の後、フレデリカは少女にそう言ったが、直後、一体自分は何を言っているのだろうと後悔した。士官学校に入ったばかりの頃を思い出す。あの時の内務班長(士官候補生の生活態度を指導監視する下士官)のしごきはきつかった。もう二度とあんな所には戻りたくないが、ああいう『いびり』『しごき』にも一定のテクニックがあるようだ、フレデリカはそう思った。今の自分は指導をしているようでなんとも間抜けである。
「中尉さんは私の上官?」
突然少女が起き上がり質問した。
「なっ──」
フレデリカは絶句した。その反応は予想していなかったらしい。
「たとえ階級が上であろうとも、命令を受けるのは直接の上官以外にありません」
少女はそう言うと再びごろんと寝ころんだ。フレデリカとしては何か言ってやりたかったが、驚くべきことに言葉が出てこない。フレデリカは少女の胸元を見て驚愕した。戦闘艇操縦資格と特殊地上車操縦資格を持っている。そして連続勤務章を着用していないということは、彼女は天性のパイロットにしてドライバーにして、想像通り未成年の少女だということになる。
フレデリカは観念した。コミュニケータで、ムライ課長を呼び出したのであった。最初からそうすべきだった。
「やぁやぁやっと着いたのか。遠かっただろう」
ムライは、ソファに寝ころんでいる少女を咎めるでもなく、にこやかにそう言った。ムライの姿を認めた少女はすっくと立ち上がると直立不動の姿勢となり敬礼した。
「カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長、ハイネセン戦闘艇学校より参上致しました。カリンと呼んでください」
「ご苦労」
ムライも答礼する。その光景を見たフレデリカは、このカリンという少女にも、そういう軍隊秩序がちゃんと叩き込まれていたことに驚愕した。というか、やっぱり私、なめられていた?
「まぁ、そこにかけたまえよ、伍長。ついでに君も、だ。中尉」
「え、私が……よろしいのでありますか」
フレデリカが戸惑い気味に言った。
「問題ない。第一、彼女は特務支援課の新メンバーだよ」
「新メンバー!?」
「そうさ」
ムライは笑いながら言った。ソファに腰掛けたフレデリカとカリンを見て、ムライはベンダマシンにコーヒーを取りに行った。下の階級の人間のために、いや、他人のためにわざわざお茶汲みをするムライなど、フレデリカは今まで見たことがなかった。
「彼女はピッタリの人材なんだ」
ムライは紙コップのコーヒーを置きながら言った。
「人材というやつは、何が必要になるのか、事前に知るのは難しい。役立たずと指差して笑われる人間が、必要になることがある──おっとカリン、君のことじゃないからね──昔、あるところで大金持ちが鳥の鳴きまねしかできない男を家に住まわせていたそうだ。皆がそれを無駄だといった。だが、ある時、国で政変が起きて、大金持ちは国の外に逃げなければならなくなった。国境の関所は昼間しか開いていないが、追っ手はすぐ近くにいるから時間がない。その時、男が見事な鳥の鳴きまねをして、関所は朝が来たと勘違いしてドアを開けた。めでたく大金持ちは国外へ脱出できた。というわけさ」
「……おっしゃることの意味は分かりますが、意味は分かりません」
「傍目には役に立ちそうに見えなくとも、使いどころ次第では、人は皆、必要不可欠な人材である、ということだ。略綬を見れば分かるが、伍長は戦闘艇とシャトルの操縦資格を持っている。どころか、地上車の操縦技量も一流だ。素晴らしい。だがそれよりも何よりも、帝国からの亡命者の子孫で、未成年で女性というのがなお素晴らしい。私の求めている条件にぴったりだ」
「それって、どういうことですか」
カリンが口をとがらせた。
「いずれ分かる。とりあえず君は、しばらく待機してもらう。そしてその間に帝国公用語のトレーニングだ。一級、最低限でも二級は取ってもらうぞ」
ムライのその言葉を聞いて、カリンの顔から血の気が引いた。
「いや、あの、あたし座学の方は……」
「もうフェザーンに居るんだから観念するんだ。それでは、フォロウ、ミィ」
ムライはカリンを引き立てるように部屋を出て行こうとした。それまでのカリンの威勢は何処へやら。まるで青菜に塩がかかったかのようだ。
「ああそれと」
オフィスの出口でムライは振り返った。
「ヤン少佐に、そろそろハイネセンへの出張計画書を出すように言ってくれ。もちろん、君もだ」
「自分……でありますか?」
「そうだよ。君はヤン少佐についていって研究会に参加するんだ。言っただろう?」
「課長……それ、今聞きましたよ!」
フレデリカの大声が、特務支援課のオフィスに響き渡った。