宇宙歴798年9月10日 午前11時より少し前──
自由惑星同盟、首都星ハイネセンには十二のコロニーが周回している。これらは軍の設備として使用されており、宇宙艦隊の停泊・整備に使用されるコロニーもあれば、技術開発の拠点として使用されているコロニーもある。そして、軍人の教育、研究専用のコロニーもある。
その部屋は、一般的なオフィスビルの会議室と大して変わらなかった。コの字型に机が配置され、椅子がそれに対応するように置かれている。机の上には端末が置かれており、それを使用する主人を待ち受けているようだ。机が置かれていない方向の壁には、大型ディスプレイが設置されている。まだ電源はついていない。
その『会議室』には一人の人間しか居なかった。その男、三十代後半の中年士官は椅子の一つに腰掛けながら端末を覗き込み、あれこれ作業をしている。傍らにはコーヒーが入っていたであろう紙コップが置いてあったが、もうすでに空になって乾いていた。
がちゃりと会議室のドアが開き、一人の若い士官が入ってきた。スマートで優秀な士官、というのに姿形を与えたような風貌をしている。敢えて言えば血色が悪く、陰気そうな印象ではあるがまぁ普通と言えるだろう。士官は、座っている士官に近づくと、びしっと敬礼をしてみせる。
「アンドリュー・フォーク大尉であります。キャゼルヌ大佐ですね?」
キャゼルヌと呼ばれた方の中年士官は、振り向いて相手の姿を確認すると、のろのろと立ち上がって答礼した。
「おお、君が噂のフォーク大尉か。アレックス・キャゼルヌだ。今回はよろしく頼むよ」
「有難くあります。自分も、大佐の噂はいろいろと聞いております」
「どのような噂かな、大尉」
「はい。軍で一番冗談の下手な人であると」
キャゼルヌはそれを聞いて露骨に目を逸らした。フォークは口元だけでにやりと笑う。少なくとも、フォークはこのような場面でお追従を必要とする立場ではないしその気もないわけだ。フォークは宇宙歴789年卒業の士官学校生で、全学生の首席として卒業した。普通に軍のキャリアを過ごしていれば、三十代で将官は確実である。階級でキャゼルヌを追い越すのは時間の問題であるはずだ。
「この定例演習に参加するのは初めて……ではなさそうだな」
キャゼルヌは、フォークの軍服にある略綬を認めてそう言った。
「はい。昨年、参加致しました。艦隊戦闘演習の方に」
「ほう。そりゃ凄い。さすがエリートだ」
「大したことはありません。使い走りのようなことをやっていました」
フォークは内心かけらも信じていないこと(実態は別として)をさらりと言ってのけた。アンドリュー・フォーク並みの士官だと、謙遜も不似合いに思えるものだ。
「出る杭は打たれる。誰だって、生意気な若造はぺしゃんこに潰してやるか、息を吸う暇がないくらいこき使うか、そうしたいものだ」
「ブルース・アッシュビーはそんな上官を徹底的にとっちめたそうですが」
「そしてその後、上役に気を遣わないことだけをアッシュビーに学んだ士官が大量発生した、と。まぁ、励みたまえ。ここから君を出世させるような論文が生まれるないとも限らないからな」
「微力を尽くします」
「ああ。ここはフリーデスクだから、どこでも好きな場所に座ってよろしい。第一、我々は統裁官で、ここは統裁担当の
図上演習──
その起源については諸説あるが、西暦19世紀、ヨーロッパ・プロイセン王国で成立した
演習の対象は戦争だけではない。早くから天災、国内政治、外交等当人にとっての課題をより良く解決するためのツールとして図上演習は取り入れられてきた。もちろん、避難訓練のように『実際に人を動かす』方が効果は高いのだが、費用や準備を考えるとそう簡単に『動く』演習ができるわけではない。それに、よく出来た『演習』を準備するというのは、戦争準備と大して変わらないことが多いから、余計にやりづらいといえる。
だから、人々はテーブルの上での戦争に熱中する。地図を戦場に見立て、駒を兵隊に見立てる。二千年経って少しは進化した──かと思いきや、使用されるテクノロジーも大して変わっていない。計算尺がコンピュータに、紙の地図がディスプレイに表示される地図に変わったぐらいだ。
まぁこれは、人間が機能的な意味で進化していないことが原因である。人は二つの眼でものを見るのは変わらないし、思考する脳は一つしかない。なればこそ戦争を指揮する側は、抽象化した情報で判断を下すしかないわけだ。
もちろん、自由惑星同盟でも(恐らく銀河帝国でも)図上演習は数限りなく行われている。士官学校で行われるシミュレーション、省庁で行われる状況演習、最高評議会で行われる緊急事態対応訓練、その他にもいろいろある。が、単に図上演習というと、恐らくは自由惑星同盟軍の図上兵棋演習を指すだろう。それも、9月に行われる定例の図上兵棋演習を指すことがほとんどだ。
惑星ハイネセンを周回する軍専用のコロニー、自由惑星同盟訓練センターで行われるそれは、軍幹部、参謀、それらの卵である若手士官を集めて行われる。もちろん、集められた人々が同じ図上演習に参加するわけではない。最も大規模で、派手で、一般メディアにも公開される演習と、非公開で、いろいろな状況を想定して行われる『研究会』がある。研究会の種類はいろいろあるが、長いものは一か月近くにわたって行われる。
フォークやキャゼルヌが参加する『研究会』は、その長い方である。長い期間行われる演習というのは、ある『傾向』が存在する。まず、戦場が限定される戦術ではなく、銀河全体を対象とする戦略を取り扱う。ゆえに、戦術的な優劣は殆ど問題にならない。戦闘は、事前の準備と、両軍の大まかな戦闘計画、そのデータを基にコンピュータがシミュレーションし、結果を出す。例え、ブルース・アッシュビーが化けて出たとしても、倍の敵を翻弄することは不可能だ。
両軍には兵力と状況が提示され、最終的な『目標』も提示される。これらの情報は、敵に開示されている場合もあるし、秘密にされることもある。これは、研究会の目的によって変化する。但し、公知の情報までは秘密にならない。
一つの図上演習には、基本三つの集団が存在する。まずは『自軍』、つまり自由惑星同盟軍を指揮する集団だ。そして、『敵軍』。言うまでもなく銀河帝国側を指揮する集団である。南北2つの帝国があるのに、なぜ帝国を指揮するのが一つだけなのか、というと、演習の主体は常に同盟軍だからである。南北の帝国が死力を尽くして殴り合う、というのは大抵の場合、図上演習の意図ではない(もちろん研究会の内容によっては、そういうタイプの演習も存在する)。南北の帝国があって、どちらを実際の人間が指揮するかは、演習の内容によって変わるが、大体は北軍を指揮することになる。理由はもちろん、アッシュビー・ラインの向こう側が帝国北朝の支配領域だからだ。そして、南軍の指揮はコンピュータが担当する。
そして最後は『統裁官』、平たく言ってしまえば審判である。特定の趣味を持つ人からすれば、
図上演習が出来たばかりの頃は、こういう作業は人間が行っていた。山のような図表や計算式を利用し、双方の戦力を比較して結果を出す。偶然を計算に入れなければいけないときは、サイコロを振る。但し、そのような時代はすぐになくなった。現在の図上演習においては、こういう事務作業はコンピュータが行う。統裁官がやる仕事は、コンピュータが出してきた結果をチェックし、両軍の意図がアクションに問題なく反映されているかどうかをチェックするものとなる。コンピュータの誤作動、あるいはシステムの意図しない動作により研究会がぶち壊しになった事例は少なくない。
そして、統裁官の重要な仕事は、レポートである。自軍、敵軍は自分達の見えている情報しか知ることができない。だが、統裁官はそうではない。二つの勢力がせめぎ合う状況を俯瞰して見ることができる。演習の進行、結果は統裁官がまとめ、それが軍の各所に送られるから、責任は重大と言っていい。また、そこから得られる知見を纏めて論文とするのも、統裁官の仕事だ。ここから軍のシステム更新に繋がることだってあり得るのだ。
自軍、敵軍、統裁官。ここに挙げた三つの勢力であるが、軍の教育用コロニーにある別々のビルに指令室がある。当然ながら、特別な理由がある場合を除いて、両軍間の通信は禁止である。軍と統裁部との通信もチェックされる。演習での『ずる』は禁止だからだ。ご丁寧なことにビルの中には宿舎があって一通りのものが揃っている。つまり、演習が終わるまで隔離されているということだ。軍は、演習を演習ならしめるために一通りの措置は講じているというわけだった。
統裁官室はがらんとしている。フォークとキャゼルヌの二人しかいないから当然だ。
「おかしいですね。そろそろ集合時間のはずですが」
「おおかた、宿舎で時間ぎりぎりまで仕事をしているんだろう。演習が始まれば、片手間に仕事なんてやっていられないからな。フォーク君、君はどうなんだい?」
「万事遺漏なく、引継ぎを行いました」
「結構。長期間の演習ともなると、その期間の仕事をどうするかが重要だからな。君も演習期間中、周りの様子を良く見ておくんだ。陰でこそこそコミュニケータを使ってそうな連中は、仕事の引継ぎに失敗したか──」
「──あるいは、引継ぎができないような重要な仕事をしているか、どっちかだ」
「了解いたしました」
フォークはそう言った。内心で、そんなご高説を垂れるお前はどうなんだ、と思っている。今だってデスクで仕事しているじゃないか。
「今回の統裁官は、五名ですか。私と、大佐殿を除けば、国防委員会付参事官、後方作戦本部輸送担当、情報局から一名ずつ、ですね」
「そうだな。皆、忙しい中来てくれている。頼りにしないとな」
「『自軍』は、ビロライネン少将が指揮官ですか。部下は……」
「どうした?」
「いろいろな艦隊から幕僚が派遣されていますね。それも司令官付ばかりです」
「お、お前さん。よく見ているな。で、そこからどう考える」
「情報畑のビロライネン少将ですから、帝国側の情報収集に力を入れるでしょう。そして、それを基に、自軍の行動を決定するでしょう。統合作戦本部長を擬するのには適当です。行動の妥当性判断や、改善を行うのが幕僚の役割かと」
「パーフェクトだ。フォーク君」
キャゼルヌはぱちぱちと拍手しながら応じた。
「君の回答で過不足はないと思うが、敢えて付け加えるならば、ビロライネン少将は国防委員会と付き合いもある。職務上、な。つまり、政治的ファクターも大きいと考えられる。少将は苦しくなるだろうな。
「そうですか」
フォークは少しむっとして言った。キャゼルヌが自分の『解答』にケチをつけたと思ったらしい。
「北軍を担当する敵軍は……ほぅ。チュン・ウー・チェン教授……失礼、少将が指揮官ですか。士官学校で授業を受けたことがあります。部下は若手の士官が多いですね。ジャン・ロベール・ラップ中佐、マッツ・フォン・クラインシュタイガー少佐、おや、ヤン・ウェンリー少佐ですか。幽霊戦艦の
「ほほぅ。君もヤン・ウェンリーを知っているのか」
「大佐はお知り合いなんですか?」
「士官学校の下級生でね。何故か付き合いがある。幽霊戦艦以外にも、あいつにはいろいろと伝説があるよ。災難を自ら引き寄せるタイプらしい。そして、ラップ、クラインシュタイガー、ヤン、この三名は士官学校同期だよ。787年卒業だ」
「同期」
フォークはそれだけ言って、実に嫌そうな表情をした。フォークが士官学校の同期にどう思われていたか、それだけでよく分かる。
「730年マフィアならぬ、787年マフィアですか」
「研究会の世界がそのまま現実になればそうなるがな」
「それに……フレデリカ・グリーンヒル中尉?中尉で参加とは」
「異例と言えば異例だが、フェザーン同盟大使館の推薦が出ている。敵軍のプレイヤーとしては格好だろう。やはり、敵を知らないのに敵のふりはできないからな」
「総参謀長がねじこんだのでは」
「そりゃお前さんが総参謀長を知らないだけさ。もし総参謀長にそんな権限があれば、彼女は外される方だろうな」
「何故です?」
フォークが不思議そうな顔をして聞いた。
「そこは軍の中の噂話から判断してくれ。他人の内輪話を広めるのは、私の趣味じゃない」
「了解です」
フォークはしぶしぶ口にした。キャゼルヌからすれば、フォークが自分に面白からざる想いを抱いたことはよく分かる。思っていることがすぐに顔に出るんだな、キャゼルヌはそう思った。
キャゼルヌは端末を動かして、今回の研究会の実施要領を呼び出した。研究会の目的は「近い将来の同盟・帝国の政治的変動を基に軍事的なシミュレーションを行う」とある。同盟、北軍、南軍の兵力は、概ね現状と同じ状態に設定してある(帝国は、情報収集結果より評価した値に設定してある)。状況開始は来年、宇宙歴799年1月1日がスタート、演習期間は最大で半年だ。想定では、状況開始から終了までにかかる実際の時間は20日程度とみられている。
今回特徴的なのは、799年1月1日に、南朝皇帝の崩御というイベントが発生することが決定していることだった。南朝皇帝が重病に伏せっているという事実から、このイベントが設定されていることは言うまでもない。
さらに、この演習では帝国北軍に『ハンデ』が与えられている。これは別に珍しいことではなく、与えられない方に対してストレスをかけることで、緊急時の対応を考えさせることが目的だ。だからこそ、『ハンデ』は同盟軍ではなく、帝国軍に与えられるのである(ちなみに、同盟側にハンデが与えられる場合は、帝国の崩壊をシミュレーションすることが目的になることが多い)。
今回の『ハンデ』は、「帝国北軍は、一つの事象に限り想定可能ではあるが現実的とは見なされない事象を実現可能とする」というものだ。簡単に言うと、「一回だけ君の願いを叶えてあげる」ということである。同盟軍内では、『
キャゼルヌは額をもんだ。実は、演習が始まる前にヤンを自宅に呼んで『歓迎会』を行ったのである。その時にそれとなく方針を聞いてみたのだが、
「秘密です。チュン・ウー少将からも止められていますので」
ときっぱり断られてしまったのだ。あのヤンをしてそこまで言わしめる、今回の研究会は何なのであろうか。ヤン・ウェンリーも人の子だから、エリートの集団に呼ばれて緊張しているのだろうか。それに──
チュン・ウー・チェン少将は士官学校戦史研究科の教授である。戦史研究科に所属していたヤン・ウェンリーのことも知っているはずだ。戦略レベルの研究会に、戦史研究科所属の教授が呼ばれることは珍しくないのだが、戦史を例にしてエキセントリックな手を打ってくる例がある。
奴ら、絶対とんでもないことをやらかすだろう。
それが何かはさっぱり分からないが。
宇宙歴798年9月10日 午後1時──
統裁官に任命された士官達が指令室に集合し、研究会が始まった。まずは、統裁官のトップであるキャゼルヌによる挨拶、概要説明、注意事項等の説明があり、大まかなスケジュールが示される。状況開始は明日の9時から、基本的に現実の1時間が1日にあたり、現実の1日で8日が進むことになる。但し、両軍と統裁官の合意により経過のペースを速くしたり、遅くしたりすることは可能だ。
「事前に配布した資料に書いてあるが、同盟、帝国の北軍と南軍の戦力配置は基本、根拠地に配置してあるものと見なす。帝国の艦隊は基本フル充足、同盟は稼働状態にある艦隊はフル充足とするが、留守状態の艦隊、3、5、7、9、11だな、この艦隊は3割充足と指定する。つまり3000隻だ」
「随分と大盤振る舞いですね。留守艦隊の戦力なんて1500あればいい方なのに」
後方作戦本部から来た少佐が交ぜっ返すように言った。
「両軍からの行動方針の伝達、それによるアクションの判定は基本コンピュータがやるが、不明確な箇所があれば適宜チェックして問い合わせるように。プレイヤーから抗議が来て切り戻し、なんてやりたくないからな。意地の悪い連中になると、伝達データに罠を仕掛けることもあるらしい。それに騙されるなよ」
キャゼルヌは注意事項の伝達をそれで締めくくった。
「では、フォーク大尉」
キャゼルヌはフォークに目くばせした。フォークは、指令室の端末を操作すると、全面にある巨大スクリーンが起動した。巨大スクリーンには、帝国、同盟双方の星系図が表示されている。帝国支配下の領域は、北軍が紺で南軍が濃緑、同盟は赤で塗られている(ちなみにフェザーンは白)。後は簡単なマークで両軍の戦力配置が表示されており、右上には演習上の日付と、本当の日付が並列で表示されている。そして下には、
『自由惑星同盟軍 12個艦隊稼働可能。戦力99000隻』
『銀河帝国北軍 9個艦隊稼働可能。戦力100000隻』
『銀河帝国南軍 8個艦隊稼働可能。戦力95000隻』
と表示されていた。戦況の優劣は大体、星系図とここを見れば判断可能だ。
「さて、北軍の連中はどう動いてくるのやら」
情報局の大尉がつぶやいた。状況が開始されるまでに一日あるから、今は北軍の行動を必死にチェック&練り直している頃だろう。北軍には魔法のランプがあるから、上手く使えば戦局を優位に進めることは可能だ。勝利だってできるだろう。同盟側は、帝国の戦局をウオッチしながら動きを決めることになる。
「内戦に決着がついて、敵が消耗しきっていたとすれば、きついなぁ」
国防委員会付の参事官である中佐が、周囲に聞こえるように独り言を言った。それだけ聞くと意味が分からない。だが、国防委員会や同盟の政局を理解しているとこの言葉は分かる。北軍と南軍が潰し合いをやって、戦争は終わるけど双方グロッキー。だとしたら、同盟は今こそ勝利のチャンスだということで攻め込まなければいけない。だが、現在の同盟軍は長距離遠征に関する補助艦艇や専用の人員を全く欠いている。帝国侵攻作戦に関する研究もまるで進んでいない。それを指しているのだ。
「何が起きるにせよ、戦時体制、いや、駐留基地から艦隊を自由に動かすだけでも一苦労なんだ。おまけにこちらは事が起きたことが明らかになるまで動けない。どっちにせよ、自軍は苦労させられるだろうなぁ」
後方作戦本部の少佐が言った。統裁官だから他人事と割り切ってしまえばそうなるが、南朝の皇帝の死、それはほぼ確実な近未来の現実だ。だとすると、この研究会で明らかになる『不都合な真実』があるとしたら、それに向き合わないといけない。
そんなことをいろいろ話しているうちに、中央のスクリーンに文字が表示された。
【北軍、799年1月1日~14日予定行動入力終了。行動妥当性検証中】
「おいおい」
キャゼルヌが当惑したように言った。随分と早いじゃないか。今回は、帝国の動きを同盟が探知し、それに対応して行動を起こすタイプの演習となる。だから、北軍が事前に作戦を考えておき、統裁用コンピュータに入力しておくことは可能だ。だが、状況開始は明日で、それまで考える余裕はあるはず。何もこんなに早く指令を出さずとも──
そんなことをキャゼルヌが考えている間に、統裁官室がざわざわし始めた。中央スクリーンにいろいろ表示されている。統裁用コンピュータが、北軍の行動計画を検証し、結果を表示しているのだった。
【オーディンに駐留せる4個艦隊、オーディンを進発。カストロプ、マリーンドルフを経由しマールバッハ星域へ侵攻する計画。突発事項なき場合成功と判定。所要時間9日の予定】
【シャンタウに駐留せる第7艦隊、フレイヤ、レンテンベルク要塞へ移動。成功と判定。所要時間3日】
【シャンタウに駐留せる第2艦隊、1月12日よりキフォイザー星域へ侵攻する計画。突発事項なき場合成功と判定。所要時間3日の予定】
【アムリッツァに駐留せる第8艦隊、アムリッツァ要塞を進発。フォルゲン、ハーン、シャーヘン、アルメントフベール星域を通過し、キフォイザー星域へ侵攻する計画。突発事項なき場合成功と判定。所要時間15日の予定】
そして、一番下にこう表示されていた。
【アムリッツァ要塞にて行われていた秘密工事が完了。アムリッツァ要塞は自走能力、ワープ能力を獲得せり。以後、本
キャゼルヌは手に持っていたペンを取り落とした。横でフォークの独り言が聞こえる。声が震えているのがはっきりと分かる。
「なんて……インチキ……」
突然現れた『機動要塞E』に、統裁官室は怒号が沸き起こった。いくら『魔法のランプ』とはいえあんなものはやりすぎだ、というわけだった。その声は、機動要塞Eのスペックが公開されたことによりさらに大きくなった。簡単に言うと、宇宙戦艦2万隻を収容可能な移動モジュール。移動能力は低速宇宙船程度(宇宙戦艦の巡航速度についていくのがやっと、というレベルであるが通常空間航行には問題ないレベル)。無補給での移動可能期間は一か月程度。つまり、直径数十キロにもなんなんとする人工天体でありながら、宇宙艦隊の機動に追従可能というわけだった。消費物資量も特段高いわけではない(1つの要塞が1個艦隊規模の補給物資を食いつぶして問題ないならば)。確かにやり過ぎだった。
情報局の大尉が、コンピュータに再審査を要求した。何かの間違いか、空想論が過ぎると思ったのである。返答は『妥当』だった。つまりは、この機動要塞は、北朝が尽力すれば実現可能なオブジェクトだ、そう誰かが判断しているわけである。北軍は、この秘密巨大兵器を、南軍打倒の総攻撃に使おうとしているのであった。
「なんだこいつは。たまげたなぁ」
参事官の中佐が言った。
「いくらなんでもこんな力技は駄目だろ。一体こいつで何をするんだ」
後方作戦本部の少佐が応じる。
「南の連中を打倒するに決まっている。ただ、こんな派手な作戦はどこかで漏れる。同盟としてはなるべく早くキャッチしないとな」
情報局の大尉が言った。これだけ派手な作戦をやっていても、あくまで内戦だから、同盟がこれを知るにはタイムラグが生じる。
「統裁官と両軍が別のビルで良かったな。フォーク君」
これはキャゼルヌ。
「そうなんですか」
フォークにはピンときていない。
「ちょっと前まではあったんだよ。都合の悪い展開に頭にきて、八つ当たりする連中が」
キャゼルヌはそう答えた。ただ、どうにも腑に落ちないのは、あれだけの秘密兵器を手にしておきながら、作戦そのものは全軍を動員した多方向同時飽和攻撃だ。だが、同様の作戦を採用したキフォイザー星域侵攻作戦は失敗している。一体これから何が起こるのだろう。
統裁官が知っている情報はもちろん、両軍にそのまま開示されることはない。そのため、統裁官(というかコンピュータ)は、両軍の情報収集能力を基に、今起きている状況をフィルタリングする。両軍はフィルタリングした情報を見ることになるから、こちらで起きている状況を向こうが知るのはかなり時間が経った後、ということもあり得る。
『自軍』(分かりやすさのため、以後同盟と記す)が機動要塞Eの存在を知ったのは、状況開始から(演習内の時間で)十日も経った後だった。帝国も新年からしばらくは新年祭の影響で、情報活動が不活発になる(一般市民からの目撃情報を得にくくなるという意味)。そして、同盟は情報活動の重心を、オーディンから出た4個艦隊の動向検知に振り向けていた。
当然ながら、同盟陣営の動揺は大きかった。当初は、帝国が新たな宇宙要塞を複数、秘密裏に建造したと思われていたのだった。その説が否定されたのは、機動要塞Eがキフォイザー星域にワープアウトし、南軍経由でその情報がもたらされた後だった。
同盟側では議論が沸き起こった。このまま放置していては、南軍の壊滅は時間の問題、そう考えられた。阻止するにはアッシュビー・ラインに駐留している艦隊を帝国側に侵攻させ、北軍に兵を引かせるしかないと思われた。
ただ、議論の結果、その選択肢は否定された。アッシュビー・ラインに駐留している同盟三個艦隊は、いずれも新年祭休暇で即時の動員が難しいか、あるいは新年祭以降の部隊交替に向けて根拠地へ帰投中だった。一か月以内に帝国領内へ殴り込みをかけなければいけないのに、それでは遅すぎる。
帝国領侵攻と称して、即時進発可能な艦隊を動員する、所謂『見せ金』も提案されたが、コンピュータは『否』と返答した。アッシュビー・ライン駐留部隊を除く他部隊は、即時作戦行動可能な物資を集積していなかった。手持ちの物資で作戦行動をさせると、500隻とかそのようなレベルになってしまう。結局、同盟は北軍の大攻勢を眺めて見ることしかできなかったのだ(もちろん、可能な限り作戦行動準備は整えてはいたが)。
「なんなんですかね、これは」
統裁官室でフォークが呆れたように言った。本来なら、フォークも同盟または北軍陣営の作戦計画チェックをやらなければいけないのだが、北軍陣営は既に作戦計画を提出しているし、同盟は作戦行動そのものが取れないから、統裁官は皆、スクリーンを見ながら暇を潰す羽目になっている。
「まぁ、これが我が軍の実力、ということさ」
キャゼルヌは達観したように言った。
「何でもかんでも無駄を削れ、コストを下げろ。そういう発言に従っていればそうなるさ。民主主義国家としては、無駄に投資する金はないから他に回せ、という発言を規制することなんかできない。まっとうな発言だよ」
「でも、必要な時に軍は何もできてないではないですか!」
フォークは詰め寄る。
「一個艦隊がそれなりの期間、作戦行動をするのにどれだけのカネがかかるか、知っているだろう?今の同盟艦隊が全艦、宇宙を飛び回ったら、一年経たない間に国防予算は底をつく。ま、ちょっとこれは削り過ぎかもしれんが」
「ですが……む。ちょっとこれは」
端末を覗き込んだフォークが険しい顔をした。どうやら北軍側から作戦計画が入力されたらしい。
宇宙歴799年1月10日に始まったマールバッハ星域での戦闘は、激しい砲火の応酬となり五日が経過した。南軍の帝都親衛艦隊4個艦隊と、ヴァルハラ軍管区の4個艦隊はどちらが優勢ともいえない激戦を繰り広げている。艦隊の練度としては北軍に軍配があがるかもしれないが、南軍もここを突破されると、首都のブラウンシュヴァイク星域に踏み込まれることになるから必死である。
そんな南軍に凶報がもたらされた。キフォイザー星域のガルミッシュ要塞、そのすぐ前面に謎の宇宙要塞がワープアウトし、攻撃を仕掛けてきたというのである。それと同時に、シャンタウ、アルメントフベールからそれぞれ1個艦隊が雪崩れ込んできた。
ガルミッシュ要塞に拠る郷土防衛艦隊、4個艦隊はすぐさま迎撃に出た。だが、謎の宇宙要塞はワープアウトしただけではなく、艦隊に追従してガルミッシュ要塞に接近しようとしている。さらに、要塞からは駐留していると思われる1個艦隊が出撃し、要塞の援護を行っている。
情報収集と観測の結果、謎の要塞は、アムリッツァ要塞に機動能力を付加したものであることが分かった南軍は、アムリッツァ要塞の接近を待ち、ガルミッシュ要塞の要塞砲をもって、アムリッツァ要塞を攻撃しようとした。確認できている北軍の兵力は3個艦隊、南軍の兵力は4個艦隊あるから兵力は優位だ。宇宙戦艦の主砲で要塞にダメージを与えるのは至難だが、要塞の主砲なら話は別。
アムリッツァ要塞が接近して主砲を使用するなら、こちらも要塞砲を使うことができる。ガルミッシュ要塞側の主砲、その射程内で相手の足が止まるなら好都合。撃破の可能性は高い。最悪刺し違えになってもその時はその時だ。
「「
数時間の後、アムリッツァ要塞、ガルミッシュ要塞は互いに主砲が撃ち合える距離まで接近した。双方の要塞主砲が撃ち合いを続けながら、南軍はアムリッツァ要塞の機動力を奪おうと艦隊を要塞に接近させた。
だがその実行は困難を極めた。要塞のワープドライブと思われる構造体は把握できても、通常航行を行うためのスラスターが見当たらなかったのである。それでいて、謎の要塞は機動しているのだ。ならばワープドライブを、と思って攻撃をかけようとしたが、要塞側の砲撃、要塞内に駐留していたらしい艦隊からの攻撃、攻め込んできている2個艦隊の妨害、これらを乗り越えてダメージを与えるのは不可能に近い所業だった。戦果は全くあがらず、損害ばかり積み重なった。逆に、ガルミッシュ要塞の宇宙港に、敵要塞主砲の直撃を受け、設備が大きく損壊する有様だった。
郷土防衛艦隊の1つが作戦困難に陥った時点で、南軍は方針を変更した。まず、侵攻してきた2個艦隊をこちらの2個艦隊で拘束する。残りの兵力で、要塞を護衛している艦隊に圧力をかけて撤退に追い込む。その上で、南軍の部隊から決死隊を募り、敵要塞の機能に損害を与えるというものだった。護衛艦隊が要塞内に撤退するタイミングが、敵要塞の最大の弱点だからだ。
しかし、それは北軍の、要塞側の目論見通りだった。南軍が再編成のため、攻撃を停止した隙を狙って、要塞は、ガルミッシュ要塞から離れる方向に移動を始めた。南軍はすぐさま追撃に入ったが、無理な攻撃は南軍側の被害を増やすだけだった。
結局、あまりの被害に、南軍が先にタオルを投げた。南軍は要塞の追跡を断念し、戦力の再編成を行わざるを得なかった。
南軍は4個艦隊のうち、第7艦隊を完全に喪失、残りの3個艦隊(5、6、8)はそれぞれ25%の戦力喪失と判定された。攻め込んできた北軍3個艦隊(2、8、9)も、それぞれ20%の戦力喪失と判定されたが、ガルミッシュ要塞が宇宙港にダメージを受け、艦隊の整備機能を失った状態とあっては、北軍の完勝と言わざるを得なかった。北軍は、アムリッツァ要塞を南朝首都ブラウンシュヴァイク星域にワープさせると、駐留艦隊以外(2、8)は一旦後退して、休養と再編成に入った。もちろん、南軍の残存艦隊を自由に動けないようにするための措置だ。
【キフォイザー星域での戦闘結果は以下の通り判定する。
北軍
第2艦隊:11000⇒9000(著者注:数値は艦隊所属の戦闘艦艇数。以下同じ)
第8艦隊:11000⇒9000
第9艦隊:11000⇒8000
機動要塞E:機能に異常なし。耐久力5%減少
南軍
第5艦隊:10000⇒7500
第6艦隊:10000⇒8000
第7艦隊:10000⇒2000(指揮機能喪失)
第8艦隊:10000⇒8000
ガルミッシュ要塞 宇宙港機能損傷。復旧まで2か月。耐久力20%減少
キフォイザー星域は依然南軍の支配下に在り
以上の戦闘結果および経過は、自軍陣営には、フィルタリングの後伝達するものとする。なお、ガルミッシュ要塞は宇宙港の損傷により、修理が完了するまでの間、自衛を除く要塞機能を喪失したものと判定する】
参考資料 キフォイザー星域会戦概略図
統裁コンピュータの表示に、統裁官達は一斉に顔をしかめた。
「まぁ、いきなりあんなものを見せられて、なぁ」
情報部の大尉が言った。
「南軍としては、むしろよくやった。そう言えるかもしれんね」
参事官の中佐が言う。
「というかあんな秘密兵器、いくら敵軍とはいえ隠しておけるのか」
後方作戦本部の少佐は呆れたように言った。
「さぁ、でもコンピュータはそう判断している。ならばそれに従う他あるまい」
これはキャゼルヌ。
「ところでマールバッハ星域の戦闘はどうなった」
キャゼルヌの言葉にフォークが端末を操作して答えた。
「痛み分けですね。両軍4個艦隊ずつ、8個艦隊が15%の損害を出した模様。北軍はマールバッハ星域を確保。南軍は、2、4艦隊がブラウンシュヴァイク星域に、1、3がアルテナ星域に後退だそうです」
「南軍は艦隊を2つに分けたか。首都とガイエスブルク要塞、両方守らなければいけないのは痛いなぁ。あんな機動要塞さえ出てこなければ、マールバッハでもう少し粘れたものを」
参事官の中佐が言った。
「首都を捨てて逃げるわけにはいかないから、やらざるを得ないだろう。(アルテナの)ガイエスブルク要塞に退いた方にミュッケンベルガー元帥が居る、ということは、各地の戦力を総ざらえして、ブラウンシュヴァイク星域にて後詰決戦を挑むのだろうな」
「でしょうね」
キャゼルヌの言葉に中佐が答えた。統裁官は、別に階級とかそういうルールは無しでやろうとキャゼルヌはそう決めていたのだが、軍人というのは階級を抜きにして話をするのは、それはそれで慣れないものだ。
「ちょっと思ったんですけど」
フォークが要領を得ない顔で参事官の中佐に聞いた。
「どうした」
中佐は不思議そうな顔をして答える。
「北軍は、南軍の首都へ行くんですよね」
「そうだ。何がおかしい」
「いや、なんというか……なんで、北軍は首都を目指すんですか?」
「なんでって……首都が陥落すれば戦争は敗北だろう。ならば勝利のために首都に行くことは、何がおかしい」
そこまで言って、中佐も首をひねった。フォークが感じている違和感に気づいたらしい。
「南軍の本拠地は、ブラウンシュヴァイク星域よりさらに奥、アルテナ星域のガイエスブルク要塞にあります。要塞E、いや、あのアムリッツァ要塞がガルミッシュ要塞との戦闘で大したダメージを受けなかったのは幸いですが、南軍を完全に崩壊させるには、首都よりもガイエスブルク要塞に行くべきです。首都を陥落させることにどれだけのメリットがあるのか……」
「皇帝がいないからか」
中佐がぽんと手を叩いた。
「ですね。元首のいる場所が政府で、そこが首都。それが国のシステム。本来ならば皇帝を連れて奥地へ逃げる。そして持久戦に持ち込むのがパターンですが、それが使えないんですね」
フォークがうなずきながら言う。
「だとすると、ブラウンシュヴァイク公の政治的威信は、ブラウンシュヴァイク公本人にとって裏目に出てくるな。南朝は確かにブラウンシュヴァイク家の支配下にある。ただ、それは南朝の皇帝から与えられたという前提があるわけだ。ブラウンシュヴァイク公は皇帝から宰相に任じられたからこそ権威がある。そして、ブラウンシュヴァイク公の威勢は、対立する門閥貴族を無視できるほど大きなものじゃない」
「だとすると」
「そう。今のブラウンシュヴァイク公は、英雄として振舞うしかないんだよ。敵がやってきたらそれを防ぐ盾になる。弱い民草を守る宰相。そう動くしかないんだ。そして、そのような状況では生命的リスクは格段に高まる。よく考えられているよ。悔しいな」
「悔しい?」
フォークは中佐に聞いた。中佐は小さく首を横に振っている。
「今、同盟では南朝皇帝の死をどう考えている?老人だから、病気だから死ぬのは仕方ない。せいぜいその程度だろう。これだけの政治的リスクがあることを知る人間はほとんどいない。今まで同盟が考えてきた帝国内戦の動き、それがひっくり返りかねないとは考えないだろう。第一、同盟に数多いる呑気な人間が、この盤面を見たらどう思う?」
「……なるほどそうか」
フォークが手を叩いた。
「分かったようだね」
「帝国の軍事的重心が、オーディンとブラウンシュヴァイク、ガイエスブルク要塞に移っている。ということは、帝国はしばらく引き籠って同盟に関わる余地はない、そう見えるかもしれないですね。とにかく楽観的に見たいなら、そう見える。帝国がこちらに襲い掛かってくることは考えない。同盟がそれに対応できる備えがあるかどうかも調べようとしない」
「……今回の研究会、そこが目的なのかは分からない。一体これからどうなるんだろうね、フォーク君」
中佐は紙コップのコーヒーを飲もうとして空であることに気が付いた。コーヒーマシンに歩いていく。そのコーヒーマシンはやたらと濃いコーヒーを出すので、統裁官達の評判は悪かった。無闇に室外に出られないのならば、通販でコーヒーマシンを買うべきだろうか、フォークはそう考えた。
キフォイザー星域の会戦から四日後、ブラウンシュヴァイク星域外縁に、アムリッツァ要塞が出現した。北軍は要塞と駐留1個艦隊、南軍は少々損害を受けた2個艦隊である。
ほぼ奇襲となったキフォイザー星域と比べ、南軍は万全とは言えないが備えをしていた。ブラウンシュヴァイク星域は、有人惑星ツォンドルフ、ヴェスターラントの外郭に大規模な小惑星帯が存在する。そのために、星域外から首都ツォンドルフを突こうとすると、侵入ルートは限られるのである。ここを機雷堰で塞ぎ、敵の侵入を阻止する。さらに、要塞にダメージを与えるため、小惑星に推進装置を装着したものを数十個用意した。これだけでは数が足りないが今も星域内では製造が続けられている。動く敵に当てるのは至難の技だが、直営艦隊を排除し、進行ルートが限られている状況では可能性がある。
さらに、惑星ツォンドルフは防衛部隊が撤収し、無防備惑星宣言を出している。防御力が無いことを内外に宣言する無防備宣言は、攻めてくる敵の自尊心とか美徳とかに縋るものだが、南軍が星域の防衛に尽力している限り、「勝手に見捨てた」形にはならない。皇帝もいないから、玉体を誘拐される恐れもない。そして、防衛資源を集中できるメリットはある。
「「
ブラウンシュヴァイク星域、小惑星帯の近傍で、南北軍の交戦が開始された。さすがに1対2の戦力比では、劣勢な方がどうにかできる可能性は低い。北軍の要塞駐留艦隊は、ダメージを受けて要塞内に撤収した。
南軍は今がチャンスと敵要塞攻撃に入る。超長射程ミサイルが連打され、配置の間に合った「隕石」が、要塞に突進する。
ミサイルは敵の対空砲火を搔い潜って、要塞の対空砲台や小型艇の発進口を破壊する。恐らく、センサ類にもダメージを与えているだろう。但し、「隕石」は全く効果がなかった。要塞が自由に機動できる空間では、当てることなどできっこない。
南軍は、一旦戦闘を終了し、小惑星帯の内側へ入ろうとした。すると、要塞が移動し、駐留艦隊の一部が出撃して小惑星帯を突破しようとする。さはさせじと南軍が応対し追い返すが、引き返そうとすると、再び要塞が前進してくる。
こうなってくると南軍の方が先に疲弊してくる。要塞を「押し返す」ことのできる長射程ミサイルも「隕石」も数が限られるのだ。そうなると、要塞主砲の射程ぎりぎりに展開して射撃する必要がある。そうなると、じわりじわりと主砲の射撃が艦隊を「かすめて」損害が積みあがっていくのであった。
【ブラウンシュヴァイク星域での戦闘経過を提示する。
北軍
第9艦隊:8000⇒3000
機動要塞E:機能に異常なし。耐久力10%減少。残り85%
南軍
第2艦隊:13000⇒10500
第4艦隊:13000⇒11000
ブラウンシュヴァイク星域は依然南軍の支配下に在り】
「2個艦隊でも苦戦しているんですか。これじゃどうにもならない」
統裁コンピュータの情報を見たフォークがキャゼルヌに言った。
「ガルミッシュ要塞の4個艦隊が早々に使えなくなったのが大きいな。アムリッツァ要塞はアムリッツァ軍管区下だから、本来ならガルミッシュ要塞側が何とかするものだ。建前論からすると、ガルミッシュ要塞駐留艦隊が取り逃がすのは大失態と言える。本来なら、ガルミッシュの部隊は、要塞を足止めして、カウンターパンチで北軍後方に浸透して擾乱攻撃を行うのが定番だ。時間をかければかけるほど、南軍の戦になる」
「首都の部隊は、ガルミッシュ要塞の尻ぬぐいをさせられていると?」
「建前論から言えばそうなる。実現可能性を考えなければ。だが、ブラウンシュヴァイクの南軍もやることが中途半端だよ。敵要塞を倒せないと思うのなら、小惑星帯の外に出るべきじゃない。さらに言うとだ」
キャゼルヌはスクリーンの一点を指差した。
「今戦っている2個艦隊は、ブラウンシュヴァイク公と甥のフレーゲル男爵の艦隊だ。偶然の話なのか、合理的判断なのかは分からんがリッテンハイム侯とミュッケンベルガー元帥の艦隊は後から来る。来られるならば。恐らくキフォイザー星域から第五艦隊、メルカッツ提督の艦隊も来るだろう。だけどな」
「だけど?」
「これは同盟にもある話だけど、贅沢で訓練が行き届いた部隊ってのは、損耗から立ち直るのが難しいんだ。部隊が消耗したから補充を送っても、こういう部隊にとっては量が全然足りないってことになるし、普通の部隊には存在しない装備ってのが結構あるんだよ。特別な部隊のために特別にリソースを用意するってのは、後方支援にとっては結構面倒臭い。これがブラウンシュヴァイク公の部隊ならどうなると思う」
「どうなるんですか?」
「あの2個艦隊、駐留拠点に戻ったら、よっぽどの事情がない限り、二度と出てこれない。北軍が退却して仕切り直し、なら別だが、退くつもりないだろうからね」
キャゼルヌの指摘は当たっていた。要塞との消耗戦を繰り広げていたブラウンシュヴァイク、フレーゲルの2個艦隊は、救援にやってきたメルカッツ提督の第5艦隊、ガイエスブルク要塞から駆けつけてきた、ミュッケンベルガー、リッテンハイムの1、3両艦隊によって、何とかヴェスターラントの根拠地に戻ることができた。しかし、両艦隊の士気は思ったより低下していた。
この時点のブラウンシュヴァイク星域の兵力は、
【北軍
第9艦隊:3000(再編成中)
機動要塞E:機能に異常なし。耐久力残り85%
南軍
第1艦隊:9000
第2艦隊:10500(再編成中)
第3艦隊:12500
第4艦隊:11000(再編成中)
第5艦隊:7500
ブラウンシュヴァイク星域は依然南軍の支配下に在り】
と、数では南軍が圧倒していた。しかし、第2、第4の2個艦隊は再編成未完了を理由に出撃を拒否、アムリッツァ要塞をブラウンシュヴァイク星域から追い出す作戦は、ずるずると延期されていった。
途中、アムリッツァ要塞がブラウンシュヴァイク星域中心部に侵攻する動きが何度かあった。だが、これも小惑星帯近辺の機雷堰、その内側に南軍が布陣し、長距離ミサイルと「隕石」をつるべ打ちすることで撃退に成功した。ここでも出撃しなかったブラウンシュヴァイク公は、その作戦能力、というか戦意を疑問視されるようになった。
また、弱り目に祟り目というか、首都星ツォンドルフにも問題が発生した。北軍の機動要塞が出ていかないため、ブラウンシュヴァイク星域は物資の搬入に大きな制限が生じていた(機雷堰で封鎖されているため)。当然ながら、食料品、生活必需品を中心にインフレが発生した。首都郊外の工廠では、長時間労働と低賃金に喘ぐ労働者がストライキを敢行した。通常ならあり得ないことだったが、監視しているはずの憲兵隊が、無防備惑星宣言のため撤収していたことがこれを可能にした。
南朝はすぐさま憲兵を投入してストライキを鎮圧したが、無防備惑星宣言を行った惑星に(憲兵とはいえ)兵士を投入したことは、投入を決断したブラウンシュヴァイク公への批判を招き寄せた。行き当たりばったり、かつ戦意の低いブラウンシュヴァイク公への批判の声は日に日に高くなっていった。
これにはブラウンシュヴァイク公も抗しきれなくなり、ブラウンシュヴァイク星域に集結した5個艦隊で決戦を挑むということになった。だが、2月になったこの時点では、北軍も
・マールバッハ星域から来た4個艦隊
・フレイヤ星域から来た1個艦隊
計5個艦隊が到着しており、北軍と南軍は5個艦隊同士(損耗した北軍の要塞駐留艦隊はカウントしない)。数の点では同等だが北軍には機動要塞があるため、南軍が戦力不利な状態になっていた。統裁コンピュータの情報を基にすると以下のようになる。
【北軍
第1艦隊:8000
第2艦隊:10000
第4艦隊:8000
第5艦隊:8000
第6艦隊:8000
第9艦隊:3000(再編成中)
機動要塞E:機能に異常なし。耐久力残り85%
南軍
第1艦隊:9000
第2艦隊:10500
第3艦隊:12500
第4艦隊:11000
第5艦隊:7500
ブラウンシュヴァイク星域は依然南軍の支配下に在り】
参考資料 ブラウンシュヴァイク星域会戦概略図
2月4日に始まった戦闘は熾烈なものになった。ブラウンシュヴァイク星域小惑星帯の外で行われた戦いは、士気は依然南軍が高く北軍を「押す」格好となった。南軍の作戦は、とにかく要塞に近寄ることなく、敵を圧迫して撃破する。敵の1個艦隊に集中砲火をかけ、撃破していく作戦である。
北軍も、なるべく要塞から遠ざかることなく、疲弊した艦隊はそうでない艦隊と交代させ、持久を図る戦法に出た。
戦闘は三日ほども続き、両軍がいい加減疲労しきった後に変化が訪れた。北軍の1個艦隊が戦場から離れ、ブラウンシュヴァイク星域の小惑星帯、戦場から見ると反対側に移動しようとしたのだった。そこは機雷堰で封鎖されているが、そこが突破されると無防備な惑星ツォンドルフに直撃される恐れがある。
南軍はすぐさま迂回艦隊の捕捉撃滅を試みたが、残った北軍が妨害に入る。迂回艦隊を叩ききれないと判断した南軍は、第5艦隊を分派し、迂回艦隊を拘束させた。すると、北軍はさらに1個艦隊を分派した。南軍も第1艦隊をこれに当たらせる。
この時点で北軍要塞と相対するのは、ブラウンシュヴァイク、リッテンハイム、フレーゲルの3個艦隊である。しかしここで、北軍は一気に総攻撃をかけてきた。損害をものともせずに相手を押して押して押しまくる猛攻撃である。損害を受けて稼働状態にないはずの第9艦隊まで出撃してきた。
この猛攻撃に、もともと戦意が怪しかったブラウンシュヴァイク、フレーゲルの艦隊が音を上げた。それに合わせて、リッテンハイムの第3艦隊も総崩れとなった。
戦局は決した。惑星ヴェスターラントに逃げ込もうとした3個艦隊は、自らが敷いた機雷堰に阻まれ困惑することになった。前に機雷堰、後ろに敵艦隊と挟み撃ちになった3個艦隊は壊乱状態となり四散、ここに至り星域防衛部隊の士気も崩壊、どこの誰かも分からない処置によって、機雷堰の機能は停止した。
宇宙歴799年2月7日、ブラウンシュヴァイク星域での戦闘は終結。南軍の政府は機能を停止した。
【ブラウンシュヴァイク星域での戦闘結果は以下の通り判定する。
北軍
第1艦隊:8000⇒6000
第2艦隊:10000⇒7000
第4艦隊:8000⇒7000
第5艦隊:8000⇒7000
第6艦隊:8000⇒7000
第9艦隊:3000⇒2000(再編成中)
機動要塞E:機能に異常なし。耐久力5%減少。残り耐久力80%
南軍
第1艦隊:9000⇒6000
第2艦隊:10500⇒3500
第3艦隊:12500⇒5000
第4艦隊:11000⇒3000
第5艦隊:7500⇒6000
ブラウンシュヴァイク星域は北軍により制圧さるものと判定する。
以上の戦闘結果および経過は、自軍陣営には、フィルタリングの後伝達するものとする】
「わずか一か月ちょい、ですか」
フォークがため息をついた。南北軍の戦闘は、とにかく戦意が低く、だらだらした戦闘が続いていつの間にかお開きになる。そういう一般的なイメージとは全く違う戦闘がそこにあった。
「やっぱりあの機動要塞かね」
情報部の大尉が言う。
「かもしれません。視覚的効果は絶大ですし、単体戦闘ハードウェアとしての能力も大きい。自力で動けるというのはむしろ絶対的でしょう」
「弱点を研究しないとなぁ。何度か手合わせしたり、スパイを潜入させたり。そうすると分かるんだよ。核融合炉に直結する排気口とか、そういうのが」
大尉が言った。多分、素人に分かりやすく話しているのだろう。口調からフォークはそう判断した。
「フォーク君。これからどうなると思う?」
キャゼルヌの試問に、フォークはしばらく思考をめぐらせた。
「まず、政体の統一と艦隊の再編成、これに最低限一か月。そして戦力の補充と再配置。帝国も痛んでいますから、まずは機動要塞をアムリッツァに戻し、防備を整えるはずです」
「攻勢に出るとしたらどうする?」
「どんなに早くても、統一帝国の攻勢は四月になるでしょう。帝国も痛んでいますから、攻勢に出るとしたら、南北両軍を集結させた、5、6個艦隊を集結した大攻勢、アッシュビー・ライン完全制圧を目論む作戦にならざるを得ません。そうでなければ、帝国国民の士気は保てないでしょう。攻勢に出るならば、ですが」
「そうか……そうだな。普通に考えるならば、攻勢に出ることはない。他にやることが一杯あるからな。だが」
「だが?」
「それはフォーク君。君が答えてみろ。多分考えていることは一緒だ」
「……一体この演習は何のためにあるのか、でしょうか」
「そうだ」
キャゼルヌはコーヒーが入っていた紙コップを握り潰した。
「同盟側の参加者を見ただろう?艦隊の参謀が沢山いる。つまり、艦隊を動かすことが目論見の中に入っている。でも、帝国が自分の後始末をするだけで期間が過ぎてしまうならそういうことはしない。すごく、ゲーム的な思考だけど、統一した帝国と、同盟の衝突はあるんだよ。問題はそれがどういう形で出るかだ」
「もっと怖い想像がありますよ」
参事官の中佐が割り込んできた。
「もし、北軍がこの勝利を想定内としていたらどうします?」
「どういうことですか?」
フォークは聞いた。
「我々は、北軍が、あるいは南軍がもう片方に勝利する。そのために全力を注いでいると信じている。だが、これほど早く終わる内戦、となるともっと怖いことを想像してしまう」
中佐は一息入れて、続けた。
「北軍は、いや、帝国軍は同盟領への侵攻をスケジュールに入れている。ならば、通常は考えない手をプランに入れていたっておかしくはない」
「通常は考えない手?」
フォークが中佐に聞き返す。
「まぁ、我々は統裁官ですから。帝国軍の手をそこまで読む必要はないですね。いずれ分かります」
「え、なんで……」
フォークは狼狽したが、中佐は肩をすくめてそれ以上何も言わなかった。キャゼルヌもうんうんと頷くだけ。
フォークの、いや、中佐の想像は間もなく実現した。ゲーム内の時間で799年3月初頭、帝国はキフォイザー星域に旧南軍の3個艦隊を集結させ、同様にアムリッツァ要塞も進出させた。帝国は政体の統一やシステムの変更もそこそこに、艦隊を動かし続けていた。そして、ゲーム内799年3月11日、統裁コンピュータは以下のメッセージを表示した。
【北軍、キフォイザー星域に集結せる機動要塞E、第15艦隊、第16艦隊、第18艦隊を進発。目的地はフェザーン星域突発事項なき場合成功と判定。所要時間10日の予定】
(著者注:南軍第5、6、8艦隊は、それぞれ15、16、18艦隊に名称変更)
【北軍、フェザーン政府に、フェザーン自治領に逃亡せるブラウンシュヴァイク公の身柄引き渡しを要求する。フェザーン自治領政府は回答を保留】
その頃、帝国軍(旧北軍)担当
「それでは『教授』、始めます」
「分かった。ヤン君、存分にやり給え」
チュン・ウー・チェンとヤン・ウェンリーのやり取りを眺めているジャン・ロベール・ラップは、随分と芝居かかっているな、そう思っていた。演習の場所ではリラックスのためとして、堅苦しい階級の問題は捨て置かれることが多いが、ここはさらに極端だった。司令官を務めるチュン・ウー・チェン少将は、自分のことを『教授』と呼ぶように要求し、同様に参加者は階級で呼ぶことを禁止した。結果、司令部というよりは研究室のゼミのような雰囲気になっている。一番それを歓迎したのがヤン・ウェンリーであることは言うまでもない。
ヤンがフレデリカに目くばせをして頷いた。フレデリカは端末に向き合うと、検討した戦闘計画を入力する。入力が終わると、統裁コンピュータがそれをチェックし、同盟軍の対応と比較計算して戦闘判定が行われるだろう。
「ヤン」
ジャン・ロベール・ラップがヤンに話しかけた。
「どうしたラップ」
「いよいよだな」
「いよいよだよ。そう気負うことじゃないと思うが」
「まぁそう言うなよヤン。たとえ
クラインシュタイガーが少し心配そうに聞く。
「クラインシュタイガー。現実と仮想は違う。むしろ、現実のものにしないために仮想があるといってもいい。仮想で検証したら、その原因を探り、備えなければならない」
ヤンはどこから調達したのか、ガラス製の紅茶ポットからカップに紅茶を注いだ。
「現実でそのようなことを起こさないために、我々がやるんだ。我々がその手を
ヤンはそう言って紅茶をすすった。それを見つめるクラインシュタイガーは、そんな血なまぐさい話をしておきながら、よく紅茶を味わえるものだ、と内心ため息をついた。クラインシュタイガーは、前面の巨大ディスプレイを見る。その右上には、今回の図上演習で北軍チームに与えられた命令が記されていた。そのために、我々はこのようなとんでもない計画を実行に移そうとしている。
『帝国北軍を指揮せよ。
どのような手段を使っても良い。
全宇宙を征服せよ』
次回タイトル
第十七話