「で、ちなみに、ブラウンシュヴァイク公は生きているのかね」
「死亡していますね。旗艦ベルリンの爆沈と運命を共にしています。ただ、敗戦の混乱で死亡が公的に確認されているわけではないようです。他の門閥貴族も同様です。南軍は崩壊状態にありますから、そういうことをやる状況にないのかと」
キャゼルヌの質問にフォークが答えた。銀河帝国(元北軍)は、フェザーン自治領に対して、フェザーン自治領に逃亡したブラウンシュヴァイク公の引き渡しを要求していた。
奇妙な要求だった。そもそも前提として、フェザーン自治領は帝国の領土である。高度な自治権を与えられているが、帝国の領土だ。帝国の治安警察は(フェザーン治安警察に日常業務を委譲しているものの)フェザーンでも警察権を実行できるし、今までもそうしてきた(但し、高度な政治的案件に限定されてはいるが)。そんなにブラウンシュヴァイク公の身柄が欲しいなら、勝手に踏み込んで持っていけばいいだけのことである。
それでありながら、このような要求を突き付けてくるというのは、一つの理由しか考えられない。
「つまりは、北軍はこれからフェザーン自治領に踏み込むけど、それはフェザーンの落ち度であって銀河帝国の落ち度ではないよ、ということか」
「そして、ご丁寧に帝国第3艦隊がエックハルトからアイゼンヘルツに移動中だよ。金髪の天才、常勝将軍がフェザーンにたどり着く時が」
参事官の中佐が芝居がかった口調で言う。
「フェザーン自治領最後の日、というわけだ。フェザーンはどうしている?」
「自治領主が同盟大使館を詣でてますよ。一刻も早くフェザーンに艦隊を展開しろと。借款ならいくらでも応じると言ってますよ」
「フェザーンとの協定で艦隊は展開できません、そう言ってやったらいいんじゃないですか。そういう条件を突き付けてきたのは向こうでしょう」
「フェザーンから沢山借りとけばよかったなぁ」
フォークの言葉に、中佐は残念そうにつぶやいた。
「返さなくていいんだから、借りるだけ借りとけば、さぁ。国防予算だって少しはマシになったろう。機動要塞が確認できた後に、それやっとけばよかったんじゃないのか」
「大した後の祭りだ」
キャゼルヌが断定するように言う。フェザーンが踏み倒される借金なんか認めるわけないだろう。自分の首に縄が巻かれるその時まで。
前面スクリーンには、両軍の戦力配置が表示されている。そして、下には戦力値も表示されている。曰く、
『自由惑星同盟軍 12個艦隊稼働可能。戦力101000隻』
『銀河帝国軍 10個艦隊稼働可能。戦力98000隻』
参考資料1 自由惑星同盟星系図
「戦力は同盟の方が多いんですね」
フォークが誰宛というわけでもなく言った。
「そりゃそうだ。帝国はつい一月前まで全力で殴り合ってたんだ。よくあれだけ残ったと言えるかもしれないぜ」
キャゼルヌが返す。
「北軍改め帝国軍は知っているんですか。敵の方が多いことは」
「情報収集能力が及ぶ限りは、な。ということは、多分、知ってる」
「敵の方が多いのに、攻めようとしている。普通は、敵の方が多いと分かっていて攻めるのは、馬鹿のやることだと言われます」
「でも、速攻と遅攻、どちらがいいかと言われると、速攻の方がいい。感覚では分かるよな。フォーク君」
「まぁそれは。我々は同盟軍人ですからね。軍の状況も分かってる。でも、敵は知らないでしょう?それって、ずるくありませんか?」
「そうかもしれない。でも、折角のシミュレーションだ。常識なんて振りかざしてもつまらないだろう。それに組織というものは」
キャゼルヌはマグカップのコーヒーを一口飲んだ。新しいコーヒーメーカーはなかなか評判が良いが、おかげでコーヒー豆の消費が早い。
「非常識と相対する時、その本当の実力を垣間見ることができる」
宇宙歴799年3月13日、フェザーン回廊に帝国第3艦隊がワープアウトした。フェザーン自治領は、ブラウンシュヴァイク公の捜索と、調査状況の報告を条件に、艦隊の即時撤収を求めたが、帝国はそれを無視、3月14日には惑星フェザーンの軌道を制圧した。この時、フェザーンでは停止状態にあった「首飾り」の再起動が議論されたようだが、遅すぎるということで却下された。
第3艦隊は、一万を超える歩兵を惑星フェザーンに降下させると、フェザーン行政府の重要施設の占拠に入った。自治領主府、同盟大使館、宇宙航路局、公共放送センター、中央通信局、軌道エレベータ制御センター、物資流通センター、治安警察本部、地上交通制御センター、水素動力センター、そして「首飾り」制御センターであった。インフラの背骨を押さえ、未獲得の情報を奪取する、常識的な作戦であった。
結果から言うと、施設の占拠は順調に進んだが、帝国軍が得られたものは少なかった。同盟大使館は、設置していたサーバから機密データをきれいに消去していたし、フェザーンの各省庁も機密性の高いデータはサーバから消去していた。持ち出して地下に隠れたかどうかは分からなかった。ただ、民間に与えた影響は最小限だった。公共放送は放映を停止したが、ネットワーク、レガシーなインフラストラクチャー、治安システムはほぼ通常通りに稼働していた。
そして、フェザーン主要設備の占拠がひと段落したことを確認した第3艦隊は、占拠要員だけをフェザーンに残すと、フェザーンを去って行った。推進剤の補給すら行わなかった。
「どういうことなんだ」
後方支援本部の少佐が困惑して言った。
「後から例の機動要塞が来るから、それに任せるのでしょう。到着まであと5日なら」
これはフォーク。
「実に嫌な動きだ。5日あれば、ルンビーニ星域の第6艦隊、ポレヴィド星域の第7艦隊が出師準備を完了するんだよ。止まってくれりゃいいのに。こりゃ、第6、第7のどちらかがやられるぞ。第7艦隊なんて未充足状態だ。敵艦隊に傷すらつけられないだろう」
「第7艦隊をいたぶるために、敵の艦隊は慌てて出ていった、と?」
「さぁな。通り魔でもあるまいし、一発殴って引き上げるためにフェザーンに踏み込んだとは思えんよ。ただ、後続部隊があるとはいえ、1個艦隊で何をするのか。後続と合流した方が、より確実に作戦が行えるはずなのに。機動要塞だって使えるはずなのになぁ」
少佐が目をしばたたいた。
「ねぇ。もしかしたら、これ、ヒントかもしれないよ」
参事官の中佐が、大画面用の端末を操作した。大画面に動画が表示される。動画は、とある人物の演説を中継しているものだ。テロップには、銀河帝国戦勝式典での帝国宰相演説、とある。
「ここに集まりし臣民諸君。私は、銀河帝国を代表し、諸君らの多大なる献身に、深く感謝の意を申し述べるものである。諸君の献身、健気がなければ、この戦争がこのように早く終結することはなかった。(中略)、さて、諸君皆々は、諸君らの最も親しき人を頭に思い浮かべていただきたい。もし子供であれば父親を、妻であれば夫を、生娘であれば恋人を思い出していただきたい。頭に思い浮かべた人々が側に居るならば、それは幸いなことである。もし、遠くに居ても無事であることが確信できるなら、それも幸いなことである。戦地に居て、帰らぬことになってしまったならば、それはとても悲しむべきことである。ある人の悲劇は、ここに集まった全ての人々の悲しみである。ここで、その悲しみに対し、黙祷を捧げたい」
「帝国宰相?リヒテンラーデ侯爵……でしたっけ」
フォークが思い出しながら言った。
「そうだよ。宰相になって十年以上経つだろう。この人も長いよなぁ」
情報部の大尉が言う。
「しかし、本物の演説動画と全く変わらないな。これがAI自動生成なんて信じられないよ。演説の傾向を入力することによって、こんな動画ができるなら、ウチも政治家なんて要らないかもしれんな」
参事官の中佐が面白がるように言った。戦略級のシミュレーションをやる時には、支援ソフトウェアとして、政治家、貴族等のインタビュー動画やこのような演説動画、同盟であれば新聞記事や政治家の発言を自動的に生成して閲覧できる機能がある。これは、戦略の検討には政治がしばしば不可分の存在となるためで、より正確な判断を行えるようにするためだった。
「諸君らの愛した人々は死んだ。しかし、これは終わりではない。否、始まりなのだ!この戦いで散っていった人、愛すべき人々に刃を突き立てた卑劣漢に対する裁きを下さねばならない。旧態依然たる門閥貴族は滅んだ。何故か?それは、我々が戦うのは正義の戦争だからである。だが、正義の戦争、悪に対する裁きは、まだ続けなければならない。それは、自由惑星同盟を僭称する、共和主義を信奉する叛徒共に対するものである。彼らは自由や共和主義を主張しているが、実際あるものは金儲けと利己主義だけである。彼らは門閥貴族共に武器を売りつけ、帝国の一統を妨害し続けたのである。これだけでも、叛乱軍が有罪であることは一目瞭然である!(中略)」
「これは、利己主義と拝金主義に染まった、愚劣なる叛徒に対する裁きの鉄槌である。神の放った怒りの炎に、必ずや彼らは屈するであろう!」
動画再生が終了して、中佐は室内を見回した。わけが分からず困惑しているのは、フォークと後方支援本部の少佐、おそらく、という表情をしているのはキャゼルヌ。完全に理解しているのは情報部の大尉だった。
「こいつは煽ってるな」
情報部の大尉が一言それだけ言った。
「ですね」
参事官の中佐が答える。眉をひそめ、目を逸らしている。
「ろくでもないことが始まる、か。未知の敵に攻め込もうとする時、敵に対する憎悪をかき立てるのは常套手段だ」
キャゼルヌが言う。
「そんな一般論だったらいいんですけどね」
情報部の大尉が、低い声で言った。
「宰相は『裁き』という言葉を使った。裁きとは、上位の人間が下位の人間に行うものです」
悲劇の幕は3月16日に開いた。16日にポレヴィド星域に出現した帝国第3艦隊は、同盟第7艦隊に襲い掛かった。第7艦隊は辛うじて出師準備は整えていたが、実態は基幹要員しか存在しない留守艦隊であり、戦力はどれだけ多く見積もっても3500隻余りであった。司令官のホーウッド少将は、動ける限りの戦力を動員し、ポレヴィド星域惑星ルジアーナの前面に立ちはだかった。惑星ルジアーナでは、民間人の退避が進行中であり、圧倒的に劣勢であっても逃げるわけにはいかなかった。問題は、惑星ルジアーナには2億近い民間人が居住しており、どれだけ時間を稼いでも避難には間に合わないことだった。今や、
同盟第7艦隊は、可能な限りの抵抗を行った。しかし、アムリッツァ方面軍の最精鋭艦隊である第3艦隊を相手にしては、誤差レベルの影響しか与えなかったであろう。3月16日正午に始まった戦闘は、4時間で完全決着した。もちろん、同盟第7艦隊の雲散霧消という結果で。
しかし、悲劇はまだ始まってもいなかった。帝国第3艦隊は惑星ルジアーナ軌道を制圧し、脱出しようとする民間人を片っ端から拿捕すると、惑星ルジアーナの造船コロニー、軍需工場コロニー、軍需基地、そして、
惑星地上にある軍需・造船工業地帯にレーザー水爆ミサイルを撃ち込んだのだった。南朝(北朝向けもあるが主に南朝)向けの軍需物資輸出で潤っていた工業地帯は、その日、遺跡へと変貌した。もちろん工業地帯にあるものが工場だけであるはずがない。
【ポレウィド星域での戦闘結果は以下の通り判定する。
北軍
第3艦隊:11000⇒10500
同盟
第7艦隊:3500⇒300(指揮機能喪失。指揮官戦死判定)
惑星ルジアーナは統治機能停止。北軍によって行われた攻撃により、惑星ルジアーナの工業生産力は80%消失。民間人の死亡は4109万6749名。尚、統治機能の喪失により死亡者数は今後増大する模様。
以上の戦闘結果および経過は、自軍陣営には、フィルタリングの後伝達するものとする】
「よんせん……まん」
参事官の中佐がコーヒーカップを取り落とした。割れはしなかったが、机の上にコーヒーがぶちまけられる。フォークは腰がぬけて、座席にへたり込んだ。後方支援本部の少佐は、信じられない、と繰り返している。辛うじて平静そうに見えるのは、情報部の大尉とキャゼルヌだった。
「やりやがった……マジかよあの野郎……やりやがった」
「考えられる可能性、その選択肢の中で最悪」
そう言うキャゼルヌの表情は凶悪そのものだ。
「最悪も最悪、さらに最悪、いくら言葉を重ねても足りないぐらいだ」
「大尉、でも想像していたんだろう?」
「……どれだけ考えても、この手が最高です。最小のリソースで最大の利益が得られる。自分の考えが間違っていなければ。ただ」
「この命令を下した人間は手を汚したな」
「汚したで済む問題ではない。こいつは人間をやめたんです。間違いない」
「理性が蛮行にブレーキをかけてくれるなら、これほど有難いことはない。だが、歴史はその反証に満ち満ちている。そして」
「そして?」
「今の我々では、奴等に勝てない。全く抵抗することもできない。それを見せつけられたんだよ」
その日、演習終了後、統裁官宿泊施設の売店では、ビールを始めとするありとあらゆるアルコールが売り切れたという。北軍、同盟の売店も同様だった。
禍々しい北軍の
影響は治安の悪化や民政の混乱だけに止まらなかった。同盟所属惑星は、軍に対して民間人の避難を要求し、受け入れられない場合は帝国に降伏すると迫った。ポレウィド星域に隣接するランテマリオ星域の惑星ラーティゴストでは、現地政府が『革命軍』に打倒され、『革命政府』が帝国への臣従を申し出るという事態まで発生した。その暴挙が成功したかどうかは微妙なところである。確かに惑星ラーティゴストでは、帝国軍が直接手を下した死者は存在しなかった。ただ、南軍への武器輸出を理由とした、工場、インフラストラクチャーの破壊は行われた。抵抗が無かった故に、破壊はより徹底的に行われた。
当初、ランテマリオ星域に侵攻した第3艦隊に対し、完全充足の第1、第6、第12艦隊による包囲作戦が立案された。但し、その実現は困難が伴うことが判明した。同盟領内の航路は避難する民間船により渋滞状態にあり、移動するだけで通常に倍する時間がかかることが明らかになった。また、惑星で発生した物資の買い占め・隠匿・流通網の混乱により、軍ですら満足な補給が受けられない状態だった。また、フェザーンに最も近いルンビーニ星域に駐留する第6艦隊は、周辺の星域政府により、代替の防衛力の供給がないまま移動したら同盟から離脱すると宣告されていた。要は、アッシュビー・ラインに駐留する3個艦隊を持ってこい、というわけだった。
3月20日から3月末までの戦闘でランテマリオ星域は帝国軍が完全に掌握。それだけでなく、ランテマリオ星域に隣接するマル・アデッタ、ガンダルヴァ、リューカスの3星域に帝国軍の部隊が確認されていた。戦禍は既に
もちろん、同盟軍も手をこまねいていたわけではない。ガンダルヴァ星域に侵入した部隊は、駐留していた第8艦隊がすぐに撃退した。他の部隊も、同盟軍の部隊と接触するとすぐに撤退した。3月末になって、ようやく行動の自由を回復した同盟軍は、第5艦隊と第8艦隊がランテマリオ星域に雪崩れ込んだが、仇敵第3艦隊は帝国領に撤退しており、代わりにアムリッツァ要塞と随伴の3個艦隊が展開していた。同盟軍2個艦隊は戦うべきか、退くべきかについて逡巡したが、戦力比で1対2の状態(同盟軍15000隻、帝国軍30000隻)おまけに向こうには機動要塞もあるとあっては、撤退を選ばざるを得なかった。
参考資料2 宇宙歴799年3月下旬戦況
「とんでもない所に居座られてしまいましたね」
フォークが言った。
「こうして見ると、ランテマリオ星域は交通の結節点だなぁ。でも、防衛拠点はない。小惑星帯が多いし航路の整備が遅れているから、開発が遅れているんだなぁ。でも、ここから奥に行かれると中核星域だからなぁ。シミュレータの同盟政府は何て言っているんだい?」
キャゼルヌが聞いた。
「一か月以内に、敵艦隊および要塞を完全に撃破せよ、だそうです」
「政府としては、すぐにでもあんなのに出て行って欲しい、というか生きて返したくはないだろう。逃げられたら政権が潰れるどころじゃない、与党が壊滅するかもしれない」
「政局の方はシミュレートされていませんが」
「まぁそうだよねぇ。それにしても我が軍はよく止まったよねぇ。当事者だったら、相手が倍だろうが復讐したいとは思わないかい?」
「でしょうね」
「まぁこれも演習だから、ってことか。それにしても、気に入らないな」
「何がです?」
フォークが不思議そうに聞く。
「今になってこんなことを言うのもなんだが、この演習の『設定』が、だよ。演習の期間は6か月。そして3か月が既に経過している。残り3か月の間にあの要塞がどうなるか、が今、焦点となっているわけだよ。設定された期間がもう少し長ければ、帝国には距離の問題が大きくのしかかってくるはずだ」
「短期決戦を演出するために、短い期間が設定された、と?」
「別に半年という期間が短いとは思わない。だが、時間というのは捉え方だな。もう少し長ければ勝てる……いや、これはそういう話じゃないのか。そういう考え方を牽制するために、こういう行動をしているのかもしれない」
「???」
「お前らもう少し真面目に考えろ、ってことだ。フォーク君。確かにね、改めて実感したよ。こんな情景を見せられて、
「そう……ですね」
統裁コンピュータが宇宙歴799年4月の開始を告げた。帝国軍は相変わらず動き続けるようだった。
4月2日、帝国軍は3個艦隊と機動要塞、つまり全力でもってジャムシード星域に侵攻、駐留している第5艦隊を急襲した。第5艦隊は奮闘したが、10倍の数を持つ相手には衆寡敵せず、早々に敗退した。
【北軍
3個艦隊:30000⇒29500
機動要塞E 残存耐久力80%
同盟
第5艦隊:3500⇒1500】
帝国軍は、補給基地、工廠等の軍事基地の破壊に1日を費やした後、4月5日ケリム星域に侵攻した。ここには第11艦隊(と第5艦隊の残存兵力)が存在していたが、やはり帝国軍の敵ではなかった。
【北軍
3個艦隊:29500⇒28500
機動要塞E 残存耐久力80%
同盟
第5艦隊:1500⇒1000
第11艦隊:3000⇒1500】
さらに帝国軍は、撤退した両艦隊を追撃する格好で、4月9日、帝国軍はついにバーラト星域に進出した。惑星ハイネセンではパニックが発生し、様々な混乱事態が起きたが、さすがに帝国軍はハイネセンには手が出せなかった。惑星ハイネセンには、中核星域全体から集められた5個艦隊、42000隻が展開していたからだ。帝国軍は同盟に対し降伏を勧告したが、同盟軍は一蹴、逆に帝国軍への逆襲を開始した。
【北軍
3個艦隊:28500
機動要塞E 残存耐久力80%
同盟
第1艦隊:12000
第3艦隊:3000
第8艦隊:12000
第9艦隊:3000
第12艦隊:12000】
「奴等を逃がすな!」
第1艦隊旗艦、エピメテウス艦橋に、司令官ホーランド大将の怒声が響き渡る。首都星域に踏み込まれるという屈辱と引き換えに、確固たる数的優勢を確保したのだ。勝利は絶対条件である。だからこそ必死にもなる。
対する帝国軍は、敵の進撃に無理に対応せずゆっくりと退く。そして、敵の部隊を要塞主砲射程内に引きずり込んだら主砲で叩く戦術に出る。9日の戦闘は、双方共に3000隻ほどを失う、痛み分けという結果に終わった。
4月10日、帝国軍は同盟軍の戦線を迂回し、側面に回り込む構えを見せた。同盟軍としては戦線を再構築して逃がさなければよかったのだが、機動要塞の進行方向が問題だった。要塞は惑星ハイネセンに接近する方向に前進していたのである。
敵要塞をハイネセンに近づけるな、と厳命されていた同盟軍は、不本意ながら敵要塞を包囲するように艦隊を再配置する他なかった。もちろん帝国軍はそのような意図を見過ごすはずはない。要塞を包囲する同盟軍のその外側から包囲するように布陣し、猛射撃を浴びせかけた。
結果、二日目は帝国軍の大勝に終わった。だが、失ったものがなかったわけではなかった。アムリッツァ要塞こと機動要塞Eは、その耐久力に大きなダメージを負ったのである。特に主砲射撃システムに行われたミサイルの飽和攻撃は痛かった。その後に行われた半ば自殺的な艦艇の突入により、主砲の射撃は不可能と判断された。
【北軍
3個艦隊:28500⇒20500
機動要塞E 残存耐久力50%
同盟
第1艦隊:12000⇒9000
第3艦隊:3000⇒1500
第8艦隊:12000⇒10000
第9艦隊:3000⇒1000
第12艦隊:12000⇒7500 】
これにより、帝国軍はバーラト星域での戦闘を断念し、後退に入った。しかし、それは同盟も予想していた。数では帝国20500に対し、同盟は29000隻と依然優勢である。後退戦を続ける敵に執拗に追撃を繰り返した。帝国としては、要塞の主砲が使用不可能である事実を知られるわけにはいかず、要塞を守りつつ、主砲が生きているように見せかけながら後退をするしかなかった。4月11日、バーラト星域での戦闘は、帝国軍のリオヴェルデ星域への撤退という形で終結した。同盟軍の勝利だった。
【北軍
3個艦隊:20500⇒15500
機動要塞E 残存耐久力45%
同盟
第1艦隊:9000⇒8000
第3艦隊:1500⇒1000(指揮能力喪失)
第8艦隊:10000⇒9000
第9艦隊:1000⇒500(指揮能力喪失)
第12艦隊:7500⇒6500 】
参考資料3 宇宙歴799年4月上旬戦況
もちろん同盟軍も、帝国軍をバーラト星域から追い出して、それで満足するつもりはなかった。既に敵要塞を包囲する仕組みは出来上がっていた。バーラト星域には第3、第9の残存兵力のみを配置すると、第1、8、12艦隊はケリム⇒ジャムシード⇒ランテマリオ星域と移動し、退路を遮断した。エリューセラ、タナトス、タッシリ、リューカスには、アッシュビー・ラインに駐留していたはずの第2、4、10艦隊と、ルンビーニに駐留していた第6艦隊を配置、リオヴェルデ、ロフォーテンにある軍施設は完全に破壊または移動して敵の補給を妨害したのであった。
今度は帝国軍が窮地に立つ番だった。戦力をすり減らし、要塞は傷ついている。さらに、補給拠点の役割を期待されていた要塞には、3個艦隊が一か月以上作戦行動できるだけの物資を溜め込んでいたが、それも激戦に次ぐ激戦で枯渇していた。帝国軍は、敵の意図を知りながら、決戦場へ誘導されていった。そうせざるを得なかった。
バーミリオン星域へ──
「
「
バーミリオン星域で決戦の火蓋が切られたのは、4月20日だった。帝国軍は、損傷の激しい要塞の防御を諦め、残存兵力をかき集めた臨時戦隊を編成した。同盟軍がこの星域に雪崩れ込んでくるのは明らかである。ならば、可能な限り撃破して血路を開く。そう決めたのだった。まずは、リューカス星域から突入してきた、ムーア少将率いる第6艦隊である。
帝国軍は遮二無二距離を詰めて、接近戦を挑んだ。損害に構わず短期的に敵を撃破する作戦である。優勢な敵の攻撃に、さしもの第6艦隊も耐えきれず、たちまち消耗させられる。
しかし、艦隊の撃破よりも前に、同盟軍の増援が早かった。タッシリから移動した第10艦隊が現れ、帝国軍に突入する。その6時間後には、第2、第4艦隊も到着した。
消耗した帝国軍に対し、完全充足の4個艦隊が襲い掛かる。この時点で、戦闘というよりは虐殺に近い状況になっていたが、同盟軍は気にしなかった。彼らは怒りで我を失っていたし、そもそも政府から敵を殲滅せよ、という命令を受け取っていた。政治としても、これだけの被害を被った以上、落とし前をつけるしかなかったのである。
戦闘が終結したのは4月21日、午後4時12分だった。機動要塞と共に同盟領に進行した3個艦隊30000隻のうち、降伏することができたのは300隻にも満たなかったという。そこから生きて帝国の土を踏めたのは何隻いただろうか。
返す刀で同盟軍は要塞に襲い掛かった。要塞も可能な限り抵抗はしたが、主砲が使用不可能となっている状態では、できることは限られていた。同盟軍の強行突入によりワープドライブの一部が破壊されると(フェザーンからの情報流出により、ワープドライブが通常航行にも使用されていることが判明していた)、要塞は自己コントロール機能を失い、自壊した。要塞が自らの死に道連れにした同盟軍は、500隻だった。
同盟軍は戦勝に沸き立った。数えきれないほどの人が死に、数えきれないほどのインフラストラクチャーが破壊された。しかし、仇は討つことができた。それも完全な形で。傷ついた同盟全土で戦勝が祝われた。
帝国軍、大挙してヴァンフリート星域に襲来。
その急報が届くまでは。
帝国軍がイゼルローン回廊に殺到し、機雷網を強行突破しようとしている報は4月24日に届いた。イゼルローン回廊観測隊の報告によると、帝国軍は複数個艦隊により突入し、損害が出るのも構わず機雷網の強行突破を敢行した。スピードを何よりも重視する方針により、千隻以上の損害が出たが、帝国軍は意に介さなかった。
帝国軍は4月25日にヴァンフリート星域に襲来、そしてそれを『無視』して前進した。いかな要塞網アッシュビー・ラインとはいえ、それはそこに駐留する機動戦力なくしては機能しないのであった。アッシュビー・ラインに配置された3個艦隊、それは今日のような事態のための伝家の宝刀であった。しかし、それはもう抜いてしまっている。
もちろん同盟軍も手をこまねいていたわけではない。至急、がら空きになったアッシュビー・ラインに戦力を再配置せんとした。しかし、それまでに帝国軍が軍需設備を徹底的に痛めつけたことにより、消耗した物資の補給すらままならないのであった。さらに、それまでの作戦により、同盟艦隊はアッシュビー・ラインより離れた場所に位置している。
それでも何とかしなければならなかった。各艦隊から状態の良い部隊を引き抜き、6000隻程度の兵力が抽出された。それは臨時の編成ということで、第13艦隊のナンバーが割り当てられた。任務は一つ。帝国軍が来る前に、惑星エル・ファシルに到着すること。そして、帝国の攻撃に対して可能な限り持久すること、である。
同盟軍第13艦隊が惑星エル・ファシルに到着したのは5月2日、帝国軍がエル・ファシル星域に突入したのは5月3日であった。わずか1日の時間しかなかったが、第13艦隊はエル・ファシル星域の防衛機能の70%を起動させることに成功していた。後は、帝国軍がエル・ファシル星域を掌握するのを一分一秒でも遅らせることであった。
戦闘は5月3日に始まった。襲来した帝国軍は5個艦隊、ゼークト大将の第1艦隊、アイヘンドルフ大将の第2艦隊、ミューゼル大将の第3艦隊、レンネンカンプ中将の第5艦隊、アイゼナッハ中将の第8艦隊である。
帝国軍の方針は一貫していた。被害を意に介さず、敵を殲滅する、そして惑星エル・ファシルを陥落させることである。但し、軍需施設への攻撃は可能な限り制限された。それが被害を増大させることに繋がっても問題ない、ということにされた。
「ただ感嘆あるのみ」
もし公式戦史があるとしたら、第13艦隊の奮戦をそう評したであろう。第13艦隊はあらゆる機会を捉えて敵の足を止めようとした。しかし、それだけだった。もちろん、同盟軍は第13艦隊を見殺しにしようとしたわけではない。しかし、第1艦隊、第2艦隊がエルゴン星域方面に配置されている状況では、早期の救出は望めなかった。
第13艦隊が消滅──したのは翌々日の5月5日であった。旗艦より発せられた訣別の通信は以下の通りだったとされる。
「状況は悪化し、完全に包囲さる。第13艦隊は最早存在せず──」
これが悲壮でなくて何であろうか。
そして、さらに翌々日の5月7日、エル・ファシル星域は帝国軍の手に落ちた。同盟軍最大の防御線が消滅したその瞬間だった。
参考資料4 宇宙歴799年4月下旬戦況
それでも同盟軍は抗戦しようとした。しかし、アッシュビー・ラインの陥落という政治的インパクトはあまりにも大きく、国民の継戦意欲は地に堕ちていた。また、同盟軍に遺されていたのは、物資の消耗した、戦力の欠けた艦隊であり、帝国軍がアッシュビー・ラインを利用して籠った場合、奪還できる可能性は0に近いとされた。
エル・ファシル星域が陥落してから二週間後の5月21日、同盟軍はついに投了した。この演習における投了とは、陣営の無条件降伏を意味する。
同盟は敗北したのだった。これ以上ないぐらいの完全な敗北だった。
宇宙歴798年10月6日(現実時間)、惑星ハイネセン、レストラン『
「演習の終わりを祝して」
「「「「乾杯」」」」
乾杯の音頭と共に、4つのワイングラスと、1つのスパークリングウォーターのグラスがかち合わされた。テーブルに居るのは、チュン・ウー・チェン少将、ジャン・ロベール・ラップ中佐、マッツ・フォン・クラインシュタイガー少佐、ヤン・ウェンリー少佐、フレデリカ・グリーンヒル中尉である(階級順)。彼らは、二十日にもわたった図上演習のお疲れ様会をここでやっているのだった。どうでもいいことだが、全員私服である。
さすがに二十日ともなると、隔離状態で演習を続けるには精神的疲労が大きすぎた。演習終了後は三日の休暇が与えられたが、それだけでどうにかなるものでもなく、ヤンは統合作戦本部人事局(仮の職場)で、どうでもいい仕事をしながら何日か時間を潰さねばならなかった。
「まぁ、君達、お疲れさん。さすがに三週間ともなると身に堪えるねぇ」
チュン・ウー少将が言った。身に堪えるとは言っているものの、この人が一番平静を保っているように見える。
「艦隊戦闘演習よりずっときついですよ。これは」
そう言うのはラップ。
「狭い場所に隔離されるってのは、意外とこたえますなぁ。タンクベッドで何とかなるものでもないし」
クラインシュタイガーがそう応じた。
「……演習が始まる前に、美容室に行くべきでした。今度から気をつけます」
フレデリカがぽつりとつぶやいた。しばらくしてテーブルが笑いに包まれる。他の四人はフレデリカが冗談を言ったと思ったのだが、フレデリカ自身は実に真面目に感想を述べたつもりだったのだ。
「ヤン君。どうかね、今回の演習の感想は。電撃戦、苅田狼藉、後詰決戦。基本的に君が提唱したコンセプトで作戦を進めたわけだが。統合作戦本部は大騒ぎだよ」
「統合作戦本部のどこが大騒ぎなのかは知りませんが、近寄りたくないですね。さぞかし自分は悪魔のように言われているでしょう。チュン・ウー教授」
「まぁそう気に病むなよヤン。あの作戦はあくまでシミュレーションだ。それに作戦の責を負うとしたら、このテーブルの全員だろう」
ラップが取りなすように言った。
「六か月という期間を切り出して、演習をやるとなるとどうしてもそうなるな。帝国軍は勝つには勝った。だが、勝った後のことは考えられていない。あの時点で北軍陣営の国庫は破綻同然だった。兵士に六月の給料は払えなかったんじゃないのだろうか。それを忘れちゃいけない」
クラインシュタイガーが重ねて言う。
「第一、同盟領内の戦争で、純粋に艦隊戦力だけに限れば、帝国軍と同盟軍の損害は大して変わらない。ただ、帝国は徹底的に補給設備やインフラを叩き続けた。そして、元々貧弱な同盟の補給能力は、領内を移動させられて、設備を破壊されてさらに痩せ細っていった。同盟が負けたのはそこが大きい。でも、実際、そううまくいくかどうかは分からないな」
ヤンがワイングラスを一気にあけて語った。
「そう。シミュレーションでは実現可能、でも、実際はリスクが大きすぎて実行できない。そういう軍事作戦はある。だが、演習というのはそういうもので、紙の上で実現できるものは、現実にも再現可能である、というのが軍の考え方だし、政治もそういう考え方をする。そこを忘れちゃいけない」
チュン・ウーは講義するように語る。
「今まで、同盟は二つの帝国は永遠に争い続ける、そう考えていた。フェザーンはその財力でもって、帝国の動きを止めることができる、そうも考えていた。もちろんその可能性はある。だが、そうならない可能性はある。それがこの演習で示されたのだよ」
「そして、万一、帝国が統一を果たしても、同盟が自ら戦うことを選ばないのであれば、戦闘が再開するのはずっと先になる、そういう考え方にも疑義を突き付けたわけだ。これは、所謂『不都合な真実』というやつだ。そろそろ、この真実に向き合うべき時が来たんじゃないか、そう思うね。そのために、この演習がセッティングされたとも思える。これはただの想像だがね」
チュン・ウーの言葉に全員がうなずく。
「だが、ヤン君の言うとおり、この演習がすごく『ゲーム的』であるというのは同意だ。現実には存在しない『ルール』を悪用しているような、そういう印象を受ける人は多いだろう。だから、この演習にはいろいろな評価が下されると思う。もちろん、我々としてはどうでもいいことだが、正しい方向に物事が動いて欲しいものだね。何が正しいのか、そう簡単なことではないのだが。そういえば」
「そういえば?」
「そういえば、三日前にドーソン大将に呼び出されたのだが」
「ドーソン大将」
ヤンが言った。統合作戦本部長のドーソン大将は、軍政畑の出身で政治家との繋がりが強いことは誰でも知っている。このような同盟内を荒らしまわるような演習は、決して好まないはずである。
「で、何て言われたんですか?」
ラップが聞く。
「随分と派手にやったそうだな、だそうだ」
「それは誉め言葉と受け取ってよろしいのでしょうか」
「多分ね。ヤン君」
「で、他には?」
クラインシュタイガーが身を乗り出して聞いた。敵と決めた人間には容赦をしないドーソンである。さぞかしきついことを言ったに違いない。
「何もない」
「何もない?」
「そう。何もなかった。少なくとも今回の演習に関して言えば」
「おかしいですね。あのねちっこいドーソン大将が」
ラップが首をかしげて言った。
「まぁ、何でもかんでも陰謀論に結びつけるのは良くないが──」
「掘ると面白いものが出てくるかもしれないな。誰か専門家に頼んでみたらどうだ」
チュン・ウーはにやりと笑いながら言う。
「それにしても……」
ヤンがぽつりとつぶやいた。
「それにしても?」
ラップがヤンの方を振り向いた。
「今回の作戦、納得いかないな」
「どうして?そもそもヤン。お前が描いた絵だろう?」
「いろいろと気に入らない所はあるんですが、特にあの機動要塞。どうも気に入らないんですよ」
「おいおい──第一、あんな奇妙奇天烈な代物を作ろう、そう言い出したのはヤン、貴様じゃないか」
「そう。でも、あれは私のアイディアじゃない」
「「「え」」」
クラインシュタイガーとフレデリカがヤンの方を振り向いた。チュン・ウーは何も言わずワインを飲んでいる。ヤンは一瞬、息を止めると話し出した。
「これ以上言えないが、機密情報が私の所に回ってきた。だから利用させてもらった。でもこの計画を提出して、情報部がゴーを出したんだ。ということは、帝国、それも北軍はこのアイディアを実現段階にまでこぎつけている」
ヤンの言葉にテーブルは静まり返った。
「つまりはだ」
チュン・ウーはワインを飲み終えて言った。
「現実には制約が多く、運用に苦労しそうなものを、帝国、いや、北軍はわざわざ造ろうとしている、と言いたいのかね?」
「そうです。今回設定した『機動要塞E』は、アムリッツァ要塞の想定スペックを基に計算していますが、運用コストだけは、統裁コンピュータが指定してきた。恐らく情報部が計算をしたんでしょうけど、要塞と3個艦隊を同盟領内で動かすためだけに、残りの帝国軍は一月、活動が大幅に低下しているんです。おかげで、同盟全軍をアッシュビー・ラインから引き剝がすことができたんですが、帝国の全体に制約をかけるような兵器を作る意味があるんでしょうか?」
「百歩譲って同盟領侵攻作戦に適さないとしても、だ」
ラップが割り込んだ。
「帝国の内戦にはてきめんだったじゃないか。完全な奇襲効果で、南軍はわずか一か月半で敗北したぞ。あれを実現させるためだけにでも、やる価値はあると思うぞ」
「そうだなラップ。そうかもしれない。ただ、要塞を改造することだけが勝利の唯一の道ではないような気がするんだ。南朝の皇帝が死んで、その後の政治的混乱につけ込むやり方もある。いや、そっちの方が常道じゃないだろうか。皇帝の死は、門閥貴族、ブラウンシュヴァイク公とその反対側の争いを必ず引き起こす。今回、南朝の政治的混乱はあまりクローズアップされなかった。あくまでも、ブラウンシュヴァイク公の能力、それだけにフォーカスが当てられたんだ」
「侵攻作戦より先に、動く要塞があった。そう言いたいのかな」
チュン・ウーが手酌で新しいワインを注いだグラスを持ち上げながら言った。
「南朝の皇帝、余命がいくらあるかは分かりませんが、その死に乗じた攻勢が北軍では企てられています。まぁこれは既定路線でしょうが、この要塞がどう、その作戦に関わってくるのか、もしかしたらこないのか、それが分からないのです。いや、関わってこないということはないのか。ならば、どのように使ってくるかが分からない。そこが気に入りません」
ヤンの言葉に、三人の男達がしばし考え込んだ。フレデリカだけは、目の前のビフテキ相手に格闘していた。冷めると固くなってしまうからだ。
「ヤン・ウェンリー様でいらっしゃいますか」
突然、ウェイターが割り込んできた。
「何でしょうか?」
「通信が入ってきております。ムライ、という方からです」
そう言われてヤンはポケットをまさぐったが、そこにはコミュニケータが入っていなかった。ここでは、コミュニケータは持ち込み禁止であり、電源を切って入口で預けることになっているのだった。
「店内の通信機でお話しください、こちらです」
「随分と派手にやったようだな」
「ご存じなんですか」
固定式コミュニケータには相手の顔が映っている。ムライは随分と上機嫌そうだった。
「まぁ、つてを辿って、概略は入手させてもらった。面白い。実に興味深い。で、だ。フェザーンにはいつ戻るのかね」
「今、事後研究会の最中ですから、あと一週間もすればハイネセンを出ますよ」
「それはいかん」
ムライの語気が荒くなった。
「いけないのですか」
「いけないんだ。すぐにでも戻ってこい。明日、ハイネセンを出立しろ。大丈夫だ、統合作戦本部の方には私が話をつけておく。もちろん、グリーンヒル中尉も一緒に、だぞ」
「どうして。そんな急に。何かあったのですか」
「何かあったどころじゃない」
ムライの声は、知らず知らずのうちにボリュームが大きくなっていった。
「ついにやったんだよ。向こうが会う気になったんだ。秘密計画『
ムライはそれだけ言って一方的に通信を切ってしまった。ヤンは、そんなに大事な話なら、軍の秘話回線を使えよ。そう思いながらコミュニケータの電源を切ったのだった。
それにしても。
どうにもこうにも、物事は悪い方向にばかり転がるな。
ヤンはテーブルに戻った。お疲れ様会はまもなくお開きにしなければならない。
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第十八話 その日まで
(お話の内容により、上下分割の可能性があります)