宇宙歴798年10月22日、惑星フェザーン──
久しぶりにフェザーンに戻ったヤンは、宇宙港の地上出口から出て、随分と変わったな、そう思った。ヤンが、ハイネセンに出張したのは8月の中旬。その時は日光も強烈で蒸し暑いフェザーン行政府だったが、今は、日光も街の風景も秋そのものである。いや、その秋もそろそろ終わろうとしている。
フェザーンの大きなイベントとしては、来月3日に予定されている感謝祭である。11月3日は、惑星フェザーンに最初の植民団が降り立った日として知られている。感謝祭という名前は、独立とか植民とかを大っぴらに祝えない(帝国の政治的に)フェザーンにおいて、祝祭を可能にするレトリックだった。
何か寂しいな──
無人タクシーで移動するヤンは、外の景色を見ながらそう思った。何事にせよ派手好きなフェザーンである。確か、去年は感謝祭の飾りつけも随分と派手にやっていたと思ったのだが、今年はそうでもないらしい。言われなければ気づかないほどであった。
やはり、南朝の皇帝が病気だからだろうか。
ヤンは想像した。ヤンが知る限り、銀河帝国で皇帝が病に倒れると、いろいろな行事が自粛される。不幸にも亡くなると、『服喪』という名目でやはり自粛されるそうだ。そのため、帝国ではエンターテイメント産業がなかなか育たない、そう言われていた。まぁ、そうでなくとも帝国では門閥貴族とか、そういうパトロンがないと、娯楽はやっていくのが難しいらしいのだが。
感謝祭でこれでは、新年祭もずいぶんと小ぢんまりとした寂しいものになるだろうな。ヤンはそう思った。そういえば、今年の新年祭は行政府のパーティーに引っ張り出されて、有力者の間をたらいまわしにされたんだっけな。来年は今年の分まで楽しもう、そう決めていたんだけどな。
「待ちかねたぞ、少佐、中尉」
久しぶりに入る特務支援課のオフィスでは、ムライとパトリチェフが待っていた。
「不満は宇宙港の軌道エレベーターに言ってください」
ツッコんだのは驚くべきことにフレデリカの方だった。朱に交われば赤くなる、ということらしい。
「急いで戻ってこい、と言われましたので急いで戻ってきましたが」
これはヤン。
「そうだ。君に会いたいという人物がいるからな。なるべく早く会わせようと思ったんだよ」
「一体誰なのですか」
「それは会えば分かる」
ムライ、パトリチェフ、ヤン、フレデリカの4名は同盟大使館の奥にある、小ぢんまりとしたビルの中を歩いている。宿泊施設のように見えるが、窓はなく、エレベーターと廊下の間には守衛付きのゲートを通過しなければならない。つまりは、これは宿泊施設ではなく拘置所である。
「まさか犯罪者じゃないでしょうね」
「ここが犯罪者を入れておく場所だとしたら、少佐もまだまだですなぁ」
そう言って、パトリチェフはガハハと笑った。
「クイズをする暇はないから言っておく」
ムライが口を挟んだ。
「ここは、同盟にとって保護すべき人間を一時隔離しておく場所だ。大体は帝国の重要人物が亡命する際に、準備が整うまでここに居てもらう。まぁ、帝国に逃げ出したサイオキシン麻薬の売人を連れ戻す時にも使うけどな。ただ、あまり居心地のいい場所ではないことは事実だ。でも、今回は仕方なかった。当人も同意しているしな」
「だから、一体誰なのですか」
ヤンはいらいらして言った。
「だから、それはもうすぐ分かる」
ムライは収容所?の一番奥にある部屋に着くと、インターホンを押した。ヤン少佐を連れてきた、とムライが言うと、鍵が解除されるような音がした。ムライが中に入る。パトリチェフ、ヤン、フレデリカも続いた。部屋に入るとアルコールの匂いがする。
「いよぅ」
部屋の中、椅子に座っている男が手をあげた。テーブルの上にはウィスキーの酒瓶がいくつか空になって放置してある。
「ロイエンタール少佐!」
フレデリカが驚いて言った。
久しぶりに見るロイエンタールの姿は、以前とは全く違っていた。髪は伸び放題(それまでも長髪気味だったが)、無精髭も生えている。でも、人間的な魅力というのは不思議なもので、見ればロイエンタールと分かるものである。いや、ヤンとしては一目で気づかない不明の方を恥じるべきかもしれなかった。
「一体どうしてここに」
ヤンは聞いた。ロイエンタールは一瞬迷ったような顔をした。
「中佐、説明していないのか」
「驚かせようと思ってな。ヤン少佐。ロイエンタール帝国北軍少佐は、一か月ほど前に同盟大使館に保護を求めてきたんだ。秘密裏にな。今のロイエンタールは、帝国のお尋ね者だ。帝国の治安当局に捕まれば、
「なんと」
ヤンはそう言ったまま、あたりを見回した。過大な情報を入力されて、どう処理していいか分からない状態だ。
「一体全体、何があったのですか」
フレデリカが聞く。
「……もう少し鋭いと思っていたのだが」
ロイエンタールはがっかりしたように言った。
「情報工作?」
「詳らかに話せば千言万語でも足りないが、簡単に言えばそうだな」
ヤンの言葉にロイエンタールはそう返した。
「ロイエンタール少佐の表芸は、北朝弁務官事務所の情報分析官だが、社会秩序維持局の一員という顔も持っていてな。弁務官事務所の内偵も行っているのだよ」
「二重スパイ!」
ムライの言葉に、フレデリカはそう反応した。
「お嬢さん、そう早合点するものではない。ちょっと、この中佐に頼まれてな。とある所にスパイを潜り込ませる手伝いをした。その時に、北朝の監視を片付ける必要があってな。上手くやったと思っていたんだが、しくじったらしい。それでこちらに逃げ込んだ次第だ」
ロイエンタールが苦笑しながら言う。
「スパイ?」
フレデリカが再び言った。
「まぁそう身を乗り出さなくてもいいだろう。今から説明する」
ムライはそう言うと、壁掛けディスプレイの電源をオンにした。端末を操作すると、一人の軍人の顔写真と経歴書が映し出される。
「カーテローゼ・フォン・クロイツェル。階級は伍長、戦闘艇操縦資格保有者、特殊地上車両操縦資格保有者、格闘術検定二級。こんな女の子がスパイ?」
ヤンがムライに訊く。
「そうだよ」
「スパイの専門訓練はどうしたんですか」
「そんなものは必要ない」
「またですか。なんで中佐はそう、素人を使いたがるんですか」
「適材適所だからだよ。相手の懐深く入る時にはな。素人の方がいいんだよ。誰も信じてはくれないけどな」
「そりゃ信じないでしょうね」
「もちろん、それなりのバックアップ体制は整えるし、相手次第だよ。でも、警戒している相手にスパイでございと送り付けても意味はないと思うんだよな。どっかの坊ちゃん嬢ちゃんの方が、相手は隙を見せる。そちらの方が、得るものは大きいと思うんだよな」
「ロイエンタール少佐はどう思いますか」
突然話を振られたロイエンタールは、少し考えて答える。
「同盟軍人が何を言おうと、俺には関係のないことだ」
「そうはぐらかさなくてもいいじゃないですか」
「答えるのが面倒だ」
「で、クロイツェル伍長はスパイとして活躍しているんですか」
フレデリカがムライに聞いた。
「ばれた」
「ばれた!?」
「翌日に、大使館に差出人不詳の封書が届いたよ。曰く、『カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長は帝国公用語の教育の要あらん。ムライ中佐のお考えや如何』だそうだ」
「……一体何のために潜り込ませたんですかね」
ヤンがぼやく。
「いいんだ。カリンはあれで結構楽しんでいるようだからな」
「まだいるんですか?」
「いるさ。『対象』の運転手をやっている。定時連絡もある。彼女にとってすれば、やることは何も変わりない」
「いいんですかそれで」
フレデリカが呆れたように言う。
「いいのさ」
ロイエンタールが引き取った。
「向こうは帝国人だ。でも、同盟が差し伸べる手を振り払うことはない。そういうメッセージだ。今のところはそれで十分と思えるがな」
「帝国人……なんですか。そういえば、『向こう』の話を聞いていませんでしたね」
「そうだな。この際だから話しておこう。だが、ここから先は機密事項だ。分かるな?」
ムライの言葉に、ヤンとフレデリカは同時にうなずいた。それを見て、ムライは端末を操作した。ディスプレイには、20代前半の女性の顔写真と、経歴が表示された。
「アリッサ・アルベリッヒ……」
ヤンは経歴書の氏名欄を読み上げた。
「アルベリッヒ工業デザイン研究所所長……フェザーン自治工業大学卒業後、工業デザインを主とするベンチャーを立ち上げ、某大企業の製品デザインを担当する、若手の期待デザイナー……」
フレデリカの読み上げる声に、なんかうさんくさいな、ヤンはそう思った。年齢は24。金髪ロングヘア―に赤い瞳、魅力的といえば魅力的。いや、上の方の魅力的と言うべきだろう。フレデリカと比較しても遜色はない……そういうのはおいといて。
「この若手起業家が『向こう』なんですか」
「そうだ」
フレデリカの質問に、ムライは大きくうなずいた。
「素人スパイを送り込む価値があるほどの、ですか?」
今度はヤンが聞く。
「
その言葉にヤンはしばし目をぱちくりさせると、ディスプレイの女性の写真とムライを互いに見比べた。
「それ、本当なんでしょうね」
「なんで私が嘘をつく必要があると思うんだ。少佐」
「それ、本気で言ってます?」
その時のムライの表情、信頼していた部下に裏切られたかのような愕然とした表情に、ロイエンタールは爆笑した。つられてフレデリカも笑い出した。笑わなかったのはヤンだけであった。
「なるほどなるほど。スパイ・マスター、ムライ中佐殿の真骨頂、見届けさせてもらった。まぁ、中佐の言うことに間違いはない。親と喧嘩別れして、17の時にフェザーンに移住しているそうだ。帝国としては、必要なのは財閥であって、中のファミリーではないのだろう。いろいろ偽装しているから、彼女の正体を知る人間もわずかだ。そして、俺は彼女の依頼を受けて、面会する人間が信用に足るかどうかを見定めているわけだが……ま、ヤン少佐なら問題はなかろう」
「……三重スパイなんですか」
「何重かを見定めるのは無駄だから止めた方がいいぞ、中尉。というわけでな、ヤン少佐。このロイエンタール少佐にコンタクトを取ってもらって、ラインフォルト次期総帥殿に面会をしに行くんだ。帝国戦略の専門家であるヤン少佐が、な」
またしてもムライがとんでもないことを言い出す。
「え、今、なんて言いました?」
ヤンは混乱しつつも反応する。
「そして、ラグナロク計画の当事者をこっちに引き込むんだ。引き込む、というのは過剰な表現だな。できるのはせいぜい、帝国領土以外に火の手が及ばないように押しとどめるぐらいだからな。でも、責任は重大だ。のんびり帝国を眺めていたら、少佐が演習でやったことが現実になってもおかしくない」
「そうだな。非常に興味深い内容だった」
ロイエンタールが続ける。
「……中佐。もしかして、ロイエンタール少佐に演習のデータ、渡したんですか」
「そのとおりだ。交換条件だからな」
ムライはなんでもない風にこたえた。
「いやぁ……いくら交換条件だと言っても……軍事機密法、知らないわけないですよね。下手すると、特務支援課全員、軍刑務所行きですよ」
ヤンとしては呆れる他はなかった。今から内部通報した方がいいんじゃないのかとも思う。
「その時は地下に潜って、民間軍事会社でも開業することにしよう。というのは冗談だが、これはロイエンタール少佐のお守りのようなものだ。諜報の成果、ということでしかるべき時にしかるべき場所にこれを差し出せば、やりようによってはお尋ね者の汚名を雪げるだろう。大っぴらに、今、公表することはない。少佐はそう言った。私は信じている」
「ずいぶんと信用しているんですね」
ヤンが嫌味(のつもり)を言った。
「俺に言わせれば、アリッサ・ラインフォルトにコンタクトを取る意義と比べれば、安すぎるぐらいだ。で、中佐殿、会合はいつセッティングするんですか」
ロイエンタールはそう言って、グラスに残っていたウィスキーを一息に飲み干した。
「今夜だ」
それを聞いて、ロイエンタールは苦笑し、ヤンは天を仰ぎ、フレデリカは、やっぱり船の中で美容室に行っておくべきだった。久しぶりの家の掃除もしていないのに、とぶうたれた。パトリチェフはそれを見てにやにや笑っている。
その夜──
富裕層向けタワーマンションにはあらゆるものがある。コンシェルジュに、オンライン、オフライン問わない様々なサービス、豪勢な施設。
「そして、この景色。不夜城フェザーンを一望できる場所はそう多くない」
ムライが窓の外を眺めながら言った。
ムライ、ヤン、フレデリカ、ロイエンタールが訪れたアルベリッヒ工業デザイン研究所は、そんなタワーマンションの一室にあった。居住施設を改造して造られたオフィスには、いろいろな道具や、地上車や宇宙船と思しき模型が置かれているが、デスクは一つしか置かれていない。他に人が座れそうなものは、今、ヤン達が座っている大型の応接ソファーぐらいのものだ。
「で、そちらがヤン少佐で、グリーンヒル中尉と……あれ?」
「オスカー・フォン・ロイエンタールだ。よろしくな、嬢ちゃん」
ロイエンタールは他の三人と同じく私服姿ではあるものの、伸び放題の髪も散髪し、髭もきれいにあたっていた。その姿を見てぽかんとしているのはフレデリカである。
「紹介しよう、と、言っても今更かな。彼女が、カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長だ」
「うん。よろしく……いや、伍長と言われましても」
ヤンは困惑した。目の前に居る薄赤色のロングヘアーと青紫色の瞳を持つ快活な少女は、軍服どころか
「いやー。でも、私の趣味じゃないので。帝国貴族だとこうだって、シャロンさんが言ってねー。無理矢理着させられているんですから。それで、帝国公用語しか喋っちゃだめなんですよ。ひどいでしょ。スマート端末も帝国語設定にされちゃったし。中佐がそれでいい、って勝手に言っちゃうからですよ」
「帝国公用語研修をさぼった報いだと思いたまえ。第一、ちっともへこたれていないようじゃないか」
ムライが答えた。ムライはこのクロイツェル伍長と面識があるようだ。
「まー、ね。護衛と言われても、今のところ敵が来る気配はないですし、日々控室でお茶飲んで、雑誌読んで、外に出る時は運転する。それだけですし。あー、外で駐車する時に係員に上から目線であれこれ言われるのは嫌ですね。中佐やシャロンさんに言われなければ、腕の一本や二本、へし折ってやったものを」
「伍長、やったら営倉じゃ済まないからな」
「はいはい、分かりました。あ、そろそろ来ますよ」
別室に続くドアががちゃりと開いた。入ってきたのは、映像で見たままの金髪ロングヘア―、紅い瞳の女性だった。映像から分からなかったのは身長ぐらいである。まぁ、高くもなく低くもなく、という感じか。彼女の横に居る女性は、これまた見事なぐらいにロングのエプロンドレスが似合う女性で、藤色の瞳と腰まで届く長い藤色の髪を持つ、少々きつめの美人だ。身長は170センチ後半ぐらいはあるだろう。その高身長に見合うプロポーションをしていることはヤンにも分かる。
二人は、ソファーに近づいてきた。座っていた四人とカリンは立ち上がって、一斉に敬礼した。
「夜分、突然の訪問を失礼致します。私共は──」
ムライの挨拶を金髪の女性が押しとどめた。
「ご用件はロイエンタールさんから承っております。自己紹介も必要ありません。もちろん、私のことも御存知なんでしょう?」
「はい」
「ならば。お初にお目にかかります。私がアリッサ・ラインフォルトです。アリッサでいいわ。ラインフォルトの名前には、ちょっとした思いがあるので。いいかしら」
本当に短い挨拶が終わると、四人とカリンはソファーに座った。カリンは辞退しようとしたが、アリッサがそれでいいと言ったのだ。
「こちらは、シャロン・クリューゲル。今日はこんな格好だけど、いつもは私の秘書をしています。シャロンと呼んで頂戴。本人もそう希望しているわ」
「シャロンでございます。よろしくお願い致します」
藤色ロングヘアの女性はそう言って深くお辞儀をした。シャロンは一度別室に戻ると、キッチンカートにティーセットを載せて戻ってきた。人数分の紅茶を配ると、そのまま別室に下がろうとする。
「シャロン?」
「何でしょうか」
「いちいち言わせないで。貴方もここに居るべきよ」
アリッサの言葉に、シャロンは何か言いたそうだったが、そのまま空いている席に座った。
「では、単刀直入にいきましょう。ヤン少佐はどなた?」
「私ですが」
ヤンが手をあげて答えた。
「同盟の見解をお伺いしましょう。帝国軍がフェザーンに攻めてきたとき、同盟軍はどうやってそれを防ぐのかしら?」
沈黙の時間が十五秒ほど流れた。その後、ヤンは紅茶を一口飲むと、ちらっとシャロンの方を見て口を開く。
「現状は、何もありません」
「本気で言ってるのかしら」
アリッサの声には苛立ちが含まれている。
「自由惑星同盟とフェザーン自治領の間には協定が結ばれています。同盟がフェザーンに展開できる軍事力というものは存在しません。フェザーンと同盟の間を警護する警備隊は配属されておりますが、戦艦のような大型艦は配備が認められておりません。水雷戦隊──ああ、失礼。巡航艦や駆逐艦主体の小艦隊、数にして500もないでしょう──それがあるだけです。ご質問の通り、帝国軍が本格的にここに攻めよせてきたら、ひとたまりもないでしょう」
「とすると、帝国がフェザーンを焦土にしても、見ているだけということかしら」
「失礼ですが、おっしゃっていることの意味が分かりません」
ヤンは、シャロンの方を見る。目じりが少し上がっている。
「フェザーンは帝国の一領土です。高度な自治権を有していることは確かですが、帝国の領土であることはいかなる資料にも明記されていることです。自国の領土をどうにかしたいのであれば、焦土にする前にやれることはいくらでもあるはずですが」
「もし、焦土にすることが事前に分かっていたとしたら?」
「分かるはずがありません。少なくとも、自分達が丸焼きにされることをフェザーン自治領当局が知っているのであれば、同盟に相談が持ちかけられるでしょう。同盟大使館でも何か動きがあるはずです。ですが、大使館は何も動いていない。中佐、そうですね」
ヤンの言葉にムライはうなずいた。
「今現在、帝国がフェザーンを焦土にしようとしている。そう言っているのは、知る限り貴方しかいないのです」
「そう……少佐。貴方は分かっていると思っていた。貴方は同盟軍首脳部に分析報告を出したそうね。帝国の内戦に大きな変化がある時、帝国のいずれかはフェザーンを経由して同盟に侵攻する可能性があると」
ヤンはムライの方を見た。ムライは目をそらす。ムライかロイエンタールかどちらかは分からないが、一体この人に何て吹き込んだのだろう。だが、今の会談は簡単にぶち壊しにして済むものではない。ヤンにもそれは分かっていた。
「私は情報の分析報告を出したわけではありません。ただ、現在同盟の勢力伸長が著しい、というのは帝国が二つに分かれているからであり、二つの帝国の国力は合計すると、同盟のそれを上回ります。同盟の国力が帝国のそれを凌駕するのは、内戦がさらに三十年ほど続く必要があります。さらに言いますと、今、自由惑星同盟は、国力の成長に専心している状況であり、国防は遺憾ながら二の次にされていると言わざるを得ません。もちろん、これは帝国が内戦状態にあることから選択されているわけですが」
そこまで言って、ヤンはカップの紅茶を飲み干した。
「それでいて、防備はイゼルローン回廊のみを重視し、フェザーン回廊は等閑視されています。もし、帝国がその状況を知悉し、短期間で同盟を打倒するという方針を設定したのであれば、フェザーン回廊を入口とする大規模侵攻は取り得る選択肢の一つであるでしょう」
「そこまで分かっているのなら」
アリッサは責め立てるように言う。
「そこまで情報分析ができているのなら、何故同盟は動かないの?今、そこにある危機に対応できないのが自由惑星同盟なの?自由と民主主義は、外敵の侵攻にも為すすべのない張り子の虎なのかしら」
「情報というものは──」
ヤンはテーブルの上にある紅茶のカップを眺めた。
「それだけでは意味を持ちません。それは正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。嘘の情報、誤った判断に誘導するために整形された情報、そんなものは世の中に溢れかえっています。ですから、貴方がいくら将来の危機を主張しようとも、我々はそれを信じるわけにはいきません。さらに言うと」
「情報を基に組織が動くとき、それは千、万、十万、いや、それ以上の人間が情報を共有していることを意味します。軍隊において、上官は部下を命令一つで動かすことはできます。ですが、軍隊が動くときは補給が必要です。補給をするには、複数の部隊が協力しなければなりません。命令一つではできないのです。さらに、補給を断続的に行うなら、物資の生産が必要です。それを行うのは軍隊だけではなく、民間の協力も必要です。それがいかに重要であっても、情報一つで世の中は動かない。備えがあり、敵の動向を予測した上での情報でなければ、具体的な行動には出られないのです。ラインフォルトの皆様ならご存じのはずですが」
「それが分かっていながら、私達に会おうとしたのは何故ですか。同盟軍が備えを欠いているのはご存じのはずだ。それでありながら、危険があることを知っていて、何故オーディンに戻らず、このフェザーンに居るのですか。いろいろ事情がおありとは想像しますが、命の大切さには替えられないはずです。それとも私が、同盟軍の方針に影響力を及ぼせるほどの権力を持っている、そう思っていたのですか?」
状況はいつしか、ヤンの方がアリッサを問い詰める格好になっていた。アリッサは肩を震わせている。
「シャロン」
「お嬢様。短慮は──」
「お客人を、出口まで送ってさしあげて」
「待ってください」
立ち上がったのはロイエンタールである。
「先程ヤン少佐が言ったことは、貴方も十分承知のはずだ。それでも貴方は会おうとした。そうではないのか」
「私は、同盟が、帝国のフェザーン回廊を経由した侵攻作戦に対し、具体的な防備策が存在する、そう聞かされたから会おうと決断したのです。聞かされたことと今のヤン少佐の言葉はまるで正反対よ」
「……」
ムライは何も言わない。どうやら、この会談をセッティングするために披露したセールストークに、そのような類のものがあったのかもしれない。
「……いいんですかそれで」
口を開いたのはなんとカリンだった。
「特務支援課を呼びつけておいて、その言い方はなんなんですか。あの日、私が同盟大使館から来たことがばれたあの日、言いましたよね。いつしか自分にも役に立ってもらう、って。私はまだ何もしちゃいないんです!アリッサさん。貴方は、まだ迷っている」
「カリン、黙りなさい」
シャロンがたしなめるように言った。
「ラインフォルトの要人が同盟と密談する、それだけでも大問題なのに。大した話もせずに追い返すなんてあり得ないでしょう。今日の夕方、大慌てで盗聴器や隠しカメラの調査をしたのは何なんですか。警備用カメラに細工をしたのは何ですか。今日、ムライ中佐達にどうしても言いたいことが──」
「まぁ、待ちたまえクロイツェル伍長」
止めたのはヤンだ。
「少佐!」
「この場でいくら話をしても、まだまだ我々とアリッサさんの間には溝が深い。帝国と同盟だからそれは仕方のないことです。もしかしたら、機が熟するのを待つべきかもしれない。なれば、お互い胸襟を開いて話ができるかもしれません。もし皆様がそう希望するなら、我々は一旦お暇すべきでしょう」
「おい、ヤン少佐……」
ムライが心配そうに語りかける。
「ですが、どうしても聞きたいことが二つあります。よろしいですか」
しばらくしてアリッサが言う。
「いいでしょう。但し、回答できないこともありますわ」
ヤンはそれを聞いてしばし黙った。きょろきょろと視線を動かす。ヤンも何か迷っているようだった。しばらくして腹を決めたのか、視線をテーブルに落としたまま言った。
「帝国は、北軍は、何故あの『動く要塞』を隠しているのですか」
しばらく、一分ほども、その部屋は動きを止めていた。いや、立ち上がったロイエンタールが座ったのを例外としなければならないが。
「『動く要塞』とは何かしら」
「私の知る限り、北軍の統帥本部が主導しているのは明らかです。アムリッツァ要塞で行われた秘密実験、何故あれが秘密のままになっているのかも不思議ですが、統帥本部が関わっているなら、ラインフォルトがバックアップしているのは明らかです」
「……」
「私には分からないのです。あれだけの軍事的インパクトを持っている兵器が、未だに隠されていることを。戦局を一挙に決するだけの力を持つ兵器が、秘密のままになっている。ということは、使うべき場所が決まっている、そう思うしかない。私が、フェザーン回廊を使用した帝国の侵攻を可能性として列挙しているのは、これがあるからです。もし、南軍に勝つためにあれを持っているのなら、秘密にしておく必要などないのです」
アリッサは数秒ほど考え込むと、右手をさっとあげた。それに反応するようにシャロンが立ち上がる。どこからか全く見えなかったが、彼女はブラスターを取り出し、ヤンに狙いをつけている。
「貴方は知り過ぎているわ。そして、見る限り知っているのは貴方だけ。それなら、貴方を排除すれば世はなべて事も無し。残念、本当に残念──」
「アリッサさん。下品な脅しはおよしなさい。本気でそう思っているならもう撃っているはずだ。己の内心の動揺をそんな形で表に出すべきではない。もし、貴方がラインフォルトの総帥になりたいのならば──」
「見透かしたようなことを言わないで。誰があんなのの
アリッサが激高した。
「それに、です。エネルギーパックを装填していないブラスターを突き付けられても、こちらとしては何もできません。まぁ、シャロンさんは最初から撃つつもりがなかったのでしょうけど」
全員の視線がシャロンに集中した。シャロンはブラスターを下ろすと、グリップにあるスイッチを操作した。もし、エネルギーパックが装填してあれば、カートリッジが飛び出てくるはずである。
……何も出てこなかった。
「シャロン……」
アリッサが茫然と呟く。
「お嬢様。稼働状態のエネルギーパックは熱を持っております。装填したまま隠し持つのは、いささか熱うございますので。それに、ヤン少佐ではございませんが、このようなやり方は品が良いとは申せません。あのことは話すことに、決めたのではなかったのでしょうか」
シャロンはそう言ってブラスターをテーブルの上に置いた。
「……そうなの?でも、先に進んだら後には退けないわ。垂れた蜘蛛の糸が切れたら、後は地獄に落ちるしかない……それでもやるしかないの?」
「やるべきかと」
「……」
アリッサは数分も黙ったままだった。意外と思い切りの悪い性格なのかな、ヤンはそう思った。だが、下手な急かしや煽りは禁物だとも思っている。相対的な話にはなるが、いくら時間をかけてもいい。とにかく、彼女が自らの意志で前に進むことが肝心だ。そう思っている。
「分かったわ」
アリッサの言葉にガッツポーズをするカリン。
「だが、今は言えない。真実を話すのならば、あともう一人呼ばなければいけない。だから時間を頂戴。大丈夫。今年中に、またセッティングするわ」
「……分かりました。少なくとも、こう考えてよろしいのですな」
ムライが言う。
「貴方がたと我々は、特定の、機密と表現しうる情報を共有する意志がある、と」
ムライの言葉にアリッサはうなずいた。
「でも、それだけでは不十分だと思います。今、この場で共有する秘密を一つ、追加しましょう」
アリッサは一回深呼吸した。
「私達が調べたところでは、クーデターの企みがあります。北と、南。両方で。最悪なことに、それは連動している」
ヤン、フレデリカ、ムライの三人は、シャロンが運転する地上車で同盟大使館に向かっていた。日付はとっくの昔に変わっている。本来ならロイエンタールも同乗するはずだったが、座席に押し込められるのは俺の趣味じゃないと、暗闇の中に歩いて消えていった。危険じゃないのかな、とヤンは思ったが、彼にとっては我々を引き合わせることこそ至上命題だったのさ、とムライは言った。それが終われば自分の任務は終わりということ。それに、あんな牢獄暮らしはもう懲り懲りだろう。いくらアルコールがあったとしても。
「ヤン少佐」
シャロンが運転席から話しかけた。
「何でしょう」
「何故、ブラスターにエネルギーパックが入っていない、そう思ったのですか」
ヤンはしばらく考えていたが、その後答える。
「秘密、です」
「教えてはくださらないのですか」
「いい言い訳を思いつかないもので」
それを聞いたシャロンは、ウフフと笑い出した。アリッサお嬢様の前で、そんな命知らずな真似をする人は久しぶりですわ。それともう一つ。
「何でしょうか」
「ヤン少佐は、質問したいことが二つあるとおっしゃいました。その二つ目をお伺いしておりませんでしたわ」
「……そういえば忘れてました。あの……これはむしろ、シャロンさんへの質問なんですが」
「私に……ですか?」
「淹れてくれた紅茶があまりに美味しかったもので。どこの茶葉を使っているのかと」
しばらくして、地上車内は爆笑の渦に包まれた。ヤンの元に同盟シロン産の最高級茶葉が届けられたのは、一週間後のことであった。
宇宙歴798年、帝国暦489年、10月30日、アムリッツァ要塞宇宙港──
宇宙船というのは、孤独な存在である。一度宇宙に飛び出し、無線連絡を切ってしまえば、外とは隔絶された存在になりうる。いや、宇宙港に停泊している状態でもそうかもしれない。そこには治安維持当局が使用できる監視カメラも盗聴器も存在しない。指定された方式以外の外部通信が極めて難しい環境で、そのようなものは存在することが非常に難しい。
つまりは、ちゃんとした準備さえ整えてしまえば、密談はいくらでもできる。そういうことである。
「ウォルフガング・ミッターマイヤー中佐です」
第3艦隊旗艦、戦艦タンホイザーの司令部控室に到着したミッターマイヤーは、入口のインターホンを押してそう言った。スピーカーからは短く、入れ、と指示が出る。ミッターマイヤーはドアに手を近づける。ドアは自動で開いた。
中に居るのは、第3艦隊、いや、アムリッツァ軍管区の最高幹部達だった。曰く、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将、軍管区司令官。ジークフリード・キルヒアイス少将、軍管区参謀長、パウル・フォン・オーベルシュタイン准将、軍管区副参謀長である。ラインハルトは司令官執務机に、キルヒアイスとオーベルシュタインはソファに座っていた。ミッターマイヤーはラインハルトの前に立つと、敬礼した。
「ミッターマイヤーであります」
「よろしい」
ラインハルトは答礼すると、空いた椅子を指し示した。ミッターマイヤーはそこに座る。程なく、従兵が入ってきて四人にコーヒーを配っていった。
ウォルフガング・ミッターマイヤーはここ一年で、度々環境を変更させられていた。フェザーン弁務官事務所の勤務が終わり、オーディンに戻ったのが昨年十月。そこで中佐に昇進し、軍務省勤務になったところまではよかった。だが、昨年末に起きたアムリッツァ要塞の南軍による襲撃、その状態調査を命じられて今年一月にアムリッツァ要塞に赴任、そして戻ってきたのは今年の三月であった。それに加え、今年の七月にアムリッツァ軍管区への転属を命じられ、八月には赴任せねばならなかった。
軍、それも士官と転勤は切っても切れぬ存在だが、もう少し配慮があっても良いのではないか、ミッターマイヤーは内心そう思っていた。出張が同じ惑星、期間も二、三日、長くても一週間とかそういうものならともかく、二か月出張して戻ったらすぐに転勤、これでは家族と顔を合わせる暇もないというもの。実の父親からも、最近の軍務省はおかしいんじゃないのか、皆、こんなに出張や転勤が続くのなら、軍に行く人間は誰もいなくなってしまうぞ。そう言われたほどであった。
もっとも、彼の父親は息子が軍隊に行くことを歓迎していたわけではなかった。本人としては自分がやっている庭園業を継ぐものと勝手に思い込んでいた節がある。ただ、ウォルフガング・ミッターマイヤーが軍に行く、と言い出した時、それほど強く止めようとしなかったのも確かだった。そういう親子だった。そう言う他はない。
いずれにせよ、ミッターマイヤーとしては、愛妻のエヴァンゼリンには感謝してもしきれなかった。家庭を顧みない(外部から見るとそうなっている)夫であるにも関わらず、不満一つ言うことなくついてきてくれる、というのは有難いことこの上なかった。アムリッツァ軍管区に転属、となっても何も言わず惑星アムリッツァについてきてくれた。これがこの上ない幸運でなくて何であろうか。
そういうわけで、ミッターマイヤーは、家族に感謝しつつ、軍に対する小さな不信感を心の底に抱えつつ、任務に精励している、というのが現状である。
「惑星アムリッツァには慣れたか」
ラインハルトがミッターマイヤーに聞いた。もちろん、ミッターマイヤーよりラインハルトの方がずっと年下だから、年下に上から目線で質問されている、ずいぶんと奇妙な状況である。最初はミッターマイヤーも違和感を覚えたものだが、すぐ慣れた。士官、兵士の崇敬ぶりはそれほどのものがあった。
「何とかやっております。皆様には多大なるご支援を頂いております」
ミッターマイヤーは答えた。その他にラインハルトはいくつか質問をした。いずれもどうということはない世間話に近いものだった。ミッターマイヤーはわけがわからない。
しばらくして、今度はオーベルシュタインが話し出した。
「ミッターマイヤー中佐。貴官はフェザーンで弁務官事務所の警備を担当していたそうだが」
「その通りであります」
「こちらで調査したところ、情報局の『仕事』を手伝っていたそうだが」
「その通りであります」
ミッターマイヤーの背中に冷や汗が流れた。確かに、ロイエンタールとの個人的な付き合いで仕事を手伝ったことはある。大体は秘密工作の退路を作るために、あるいは工作そのもののために、その外側をもっともらしく歩いてみせる、その程度のことであった。ロイエンタールは、言い訳がしにくい汚れ仕事までは持ち込まなかったからだ。
「ミッターマイヤー中佐。そこまで緊張するものではありません」
キルヒアイスがにこやかに笑いながら言った。
「我々は、中佐の経歴を買っているのです。このアムリッツァ軍管区には、艦隊戦闘に識見のある人は大勢います。ですが、『繊細な』仕事の経験者は少ない。だから頼むのです」
ミッターマイヤーは体を強張らせた。今、頼むと言ったな?一体何を?
「貴方も御存知とは思いますが、我が軍は近々、南軍に対する大攻勢作戦を仕掛けることになっております。作戦名は『ラグナロク』。これはご存知ですね」
ミッターマイヤーはうなずく。
「この作戦は、南朝のクレメンス陛下のご逝去と前後して行われるものですが、遺憾なことに、このタイミングで北朝内部でも政変の動きがある、そういう情報が入ってきております」
「本当ですか」
ミッターマイヤーは驚いたようなふりをした。だが、別に意外とは思わない。このような激変の中で、自分達だけが何もない、そんなことはないのだ。
「アムリッツァ軍管区の士官には、家族をオーディンに置いてきている人がいくらかおります。基本、軍管区に配属されたら、家族を伴うものですが、人には事情がある。これは仕方のないことです」
「ですので、オーディンに万一の事態があった際には、いち早く駆けつけ、そのような人々の安全を確保してもらいたいのです。もちろん、それ以外に若干のお願い事をする可能性はありますが」
ミッターマイヤーは、『若干のお願い事』より前を内心で切り捨てた。要は、オーディンでの企み事があるから、その鉄砲玉をやれということじゃないか。しかし、これを聞いてしまったということは……
「やってくれるか、ミッターマイヤー」
「……妻はアムリッツァに引っ越して三か月も経っておりません。これでまたオーディンに戻るというのは、不憫でなりません」
ミッターマイヤーの抵抗だった。妻を引き合いに出すのは己の美学に反することは分かっていた。子供が居たら少しは状況が変わっただろうか。
「もちろんそうではない」
オーベルシュタインが言った。
「時が来るまではここで待機してもらう。一朝有事の際は、オーディンに急行して任務にあたってもらう。その指示はこちらでやる。ミッターマイヤー中佐にはそれまで部下の訓練を指揮してもらいたい。もちろん、必要な設備はこちらで用意する」
しばらくの後、ミッターマイヤーは小さくうなずいた。ラインハルトは大きく手を叩くと、決まりだな、そう宣言した。
「というわけで、だ。ミッターマイヤー。卿は今から大佐だ。軍人にとって、いざという時に頼りになるのは階級だからな。辞令と階級章はすぐに届けさせる。それでは、職務に戻ってよろしい」
ミッターマイヤーは何も言わず、敬礼だけして退室した。
「いささか強引に過ぎるのではないか」
ミッターマイヤーが退出した後、ラインハルトはオーベルシュタインにそう聞いた。面識があるならともかく、いきなり呼び出して同志になれ、と言われても戸惑うだけだろう。
「我々には時がありません。段階を踏んでいては機を逸します」
「オーベルシュタインに同意します。ラインハルト様」
キルヒアイスが後添えした。外見も、性格も全く違う二人であったが、何故か二人はウマが合うのである。オーベルシュタインがここにやって来たのも、キルヒアイスの推挙であった。どういうツテかは分からないが、軍務省でくすぶっていたオーベルシュタインを一本釣りの要領で引き抜いてきたのである。献策は当を得ているし、事務仕事ができるから、ラインハルトとしては不満はない。だが、ラインハルトとしては、いつの間にか軍管区司令部で重きをなしているオーベルシュタインを見て、なんでこうなったかな、と思うことはあった。軍管区という閉鎖空間では、よそ者は自然と遠ざけられる。そういう空気になってしまうのだ。
「それに、だ。何故、我々はこんなことをしなければならないのだ」
「ラインハルト様」
キルヒアイスはふくれた。それについては何度もご説明したではありませんか。
「分かっている、分かっているさ。キルヒアイス!もう我々は過去の我々ではない。帝国に3つしかない軍管区のリーダーだ。我々は、自分達の部下を守る義務がある。勇戦敢闘だけではやっていけない。そうであろう。それ以外にも必要か?」
「いえ。もう十分です。ラインハルト様」
「先んずれば人を制す……それはそうだろう。しかしな、制した後、我々は責任を取らねばならない。生きるためとはいえ、なぁ」
「郷愁ならば非番の時にしていただけますか」
オーベルシュタインは低い声色で言った。こういう物言いが敵を沢山作るのだが、本人は気にしていないようだ。
「わかった、わかった。もういいオーベルシュタイン。郷愁は後にさせてもらうさ。とりあえず、ミッターマイヤーの部隊への諸手配は抜かりなく頼むぞ」
「御意」
「あと、キルヒアイス。『ラグナロク』のための物資の準備状況はどうなのだ」
「滞りなく進んでおります。予測との誤差はほぼありません」
「よろしい。後方支援部隊をねぎらってやらないとな。ずいぶんと苦労しているだろう」
「はい。ラインハルト様」
ラインハルトは二度手を振った。用事は終わったので退出しろ、そういうサインだった。
宇宙歴798年、宇宙歴489年11月上旬、南朝首都ツォンドルフ某所──
瀟洒を形にした南朝首都ツォンドルフではあるが、当然ながら開発に取り残されたスラムというのは存在する。帝都の開発当局から見捨てられ、治安当局から無視され、一般市民が近づこうとしないその場所は、当然ながら犯罪の温床となっていた。犯罪の温床となったら、次は犯罪組織がそこに根城を築く。その場所から犯罪が消え去ることは期待してはならない。犯罪組織を利用しよう、そう考える輩がいる限りは。
そんなスラムの中に数百はある廃ビルディング、そして数千はある、日の光すら入らない密室の中に男達は居た。室内を照らすのは電球が一つだけ。長机が部屋の中央にあり、折り畳み椅子に彼らは座っていた。入口には男が一人、待機している。外を監視していることは明らかだった。
その会合を仕切っているのは、長机に座っている男の一人だった。
「……優先目標をリストアップした。新無憂宮の宰相公邸、皇室警察司令部、保安本部、侍従詰所、財務尚書公邸、帝国新報本社、帝国公共放送本社、帝国通信本社……」
「数が多すぎるな。絞れないのか」
「首都機能を一気に抑えないと失敗するぞ」
「もっと同志を集めよう。ウィリー先生も協力してくれるだろう」
「ウィリー先生を巻き込むのは賛成できない。いざという時の備えにしておかないと」
議論は百出してまとまりがない。
「諸君、この義挙に失敗は許されない。無意味な発言は控えてもらおう」
「無意味とは何だ。貴様の計画に穴があるなら塞ぐしかないではないか」
「さっきから聞く限り、建設的な意見とは認められない。優先目標以外にも確保しなければならない場所はあるのだ。最優先と第一優先含め、占拠しなければならない箇所は32箇所に及ぶ」
「冗談じゃない。こっちは2個連隊しか動員できないんだぞ。そんな多数の拠点をどうするんだ」
「だから説明したはずだ。拠点の制圧は新無憂宮を優先する。後は、交通の要所を押さえて、官庁街を切り離す。そのために連絡拠点を制圧するのだ。ブラウンシュヴァイク大通り、帝都大橋、あと、ここと、ここ。帝都のトラムも押さえておけば問題ない」
「防空指揮所は優先目標ではないのか」
「本当はそうしたいのはやまやまだ。だが、即時反応する憲兵、近衛の司令部を押さえれば時間は稼げる。それで代替するほかはあるまい」
闊達な議論が繰り広げられている、と言えばその通りだが、もう少しまとまりがなないものか。机の端に座っている男はそう思った。黒髪に碧紫色、背はやや高い程度、体つきに贅肉は認められないが、マッチョマンとは程遠い、容姿は社会の大方が魅力的と認める程度である。
さて、どうしたものか。男は考え込んだ。君側の奸を除く、一言で言うのは容易いが、こうやって計画を考えてみるとなかなか難しい。奸一人を除くだけなら大したことはないが、それでは世の中は動かない。死ぬのは怖くないが、命を捧げて何の意味もありませんでした、では死にきれないというもの。いや、もしかしたら、自分は命すら惜しんでいるんじゃないのか、そう思えることすらある。あの
「おいシュヴァルツァー」
隣の男に呼びかけられて男は我に返った。あ、ああ。何だい。
「何だその態度は。大義の成就に向けて話をしているのに、自分は知らんぷりか。フェザーンで生まれ育ったお前には、帝国のことなどどうでもいいのだろう」
「確かに育ったのはフェザーンだが、生まれたのは帝国だ。言いがかりはよしてもらおうか」
シュヴァルツァーと呼ばれた男は反論した。
「第一、貴様の態度は目に余る。ウィリー先生のお気に入りだかなんだか知らんが、非番の時にはどこぞをほっつき歩いているそうじゃないか。同志の獲得にも興味がないのなら、貴様は帝国の未来に関心のない、反動主義者だと──」
「やめんか!」
会議を仕切っていた男が叫んだ。
「シュヴァルツァー大尉は一連隊のE中隊長だぞ。こいつを外して義挙が成功すると思うのか。それに、帝室への忠誠は俺が担保する。シュヴァルツァーのことをどうこう言うのはやめておけ」
隣の男は、しぶしぶ座りなおした。
「済まない。それで、何だったかな」
「蹶起趣意書だ。お前が担当だったろう」
「蹶起趣意書?あ、ああ。ここだ」
シュヴァルツァーは懐からメモを取り出すと、長机に滑らせた。義挙に関しては、電子的な記録は一切遺さない、そういう取り決めだった。メモを受け取った男は、中身を一読すると大きくうなずいた。
「うむ。よろしい。後はウィリー先生にも見てもらうことにしよう。さすがだシュヴァルツァー。古文書に通じている人が書けば、趣も違うというもの。諸君、何度も言ってきたことだが、これは帝国の将来を思っての義挙である。ブラウンシュヴァイク一党の専横は最早見過ごしてはおけぬ。そればかりか、帝室の簒奪を企んでいることは皆が知る通りだ。これを放置しては帝国の護りたる軍人の名折れというもの。立ち上がらぬ人間は己を愧じなければならない」
男の演説はなおも続く。シュヴァルツァーは適当に相槌をうちながら、頭の中で思案をめぐらせた。俺は、ウィリー先生が絶対他の人には言っていないだろう秘密を知っている。先生はああ言っていたが、本当に義挙を止めなくてよかったのだろうか?あの企みは本当に成就するのだろうか?
次回タイトル
第十九話 ラグナロク(1)