銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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第十九話 ラグナロク(1)

宇宙暦798年12月31日、午後10時、

同盟への亡命者一時収容キャンプ<ノヴァヤ・ロージナ>──

 

 キャンプと命名されてはいるが、テントが林立しているわけではない。フェザーン行政府より100キロほど離れたここでは、仮設の住宅が多数建設され、電気、水道、通信といったインフラが整備されている。亡命希望者で財産の有り余っていない者、つまり、ほとんどの人間はここを一時的な住まいとする。同盟側で受け入れ先が見つかったら、ここからフェザーン宇宙港に移動し、同盟へ旅立つことになる。なお、この移動時は帝国に妨害されないよう、細心の注意が払われる。フェザーン行政府もバックアップする。商売には信用というものが大事、という原則はフェザーンも重視する。

 

「暖房、つけないんですか」

 

「いいのよ」

 

 フレデリカの言葉に、アリッサは一言そう言った。彼女達が居るのは、仮設住宅から少し離れたところにある五階建てのビル、管理棟の一室だった。会議室のような場所であるそこからは、収容キャンプ全体を見ることができる。暖房をつけていないから、室温は寒いどころではない。恐らく氷点下にはなっているだろう。フレデリカもアリッサも防寒コート姿だった。なお、余計なトラブルを避けるために、コートは軍支給のものを貸し出してもらっている(もちろんフレデリカは自前のものだ)

 

「あれに興味があるんですか」

 フレデリカは窓の外、とある点を指し示した。仮設住宅のある場所、その中央部分には広場がある。物資の分配とかが行われる場所だった。もちろん、何もない時には亡命希望者のレクリエーションにも利用される。今、そこでは火が焚かれいて、人々が騒いでいるように見える。会議室は照明すら点けられていないから、外の様子ははっきりと分かる。

 

「ええ」

 

「年越しの祭り、ですよ。帝国でもやっていると思うのですが」

 

「ええ」

 

「フェザーンに支社がある同盟企業からカンパを募ってます。希望者にはビールかもう少し強めの酒が分配されているはずです。泥酔するほどには配れませんけどね。でも、新年を祝う気分にはなれるはずです」

 

「あれは、私たちの罪──」

 

「??」

 

「彼等にも、かつては平和な暮らしがあった。そのはずよ。それが奪われたのは、戦争。内戦。そして、戦争で儲けているのは私たち。ならば、あれは私たちの罪。そうではなくて?」

 

「直接的な要因とは言い切れません」

 

「そんなことはないわ」

 

「アリッサさん。悲劇がある時、誰しも要因の一つや二つ、思いつくものです。そして、それは大体当たっています。ですが、本当の要因が別にあることもあります。どんな時でも、要因を追求することを怠ってはなりません。第一、彼等に平和な暮らしがあったと、どうして言い切れるのでしょう?」

 

「中尉さん。それは士官学校で教わったの?」

 

「私もフレデリカでいいです。アリッサさん。これは、ヤン少佐の受け売りです」

 

「少佐の?」

 

「はい。少佐はもともと憲兵だったそうです。いろいろあってフェザーンに来た、そう言ってました。本当の要因は、時間をかけて、足を動かして、頭を使って追い求めるものだそうなんです」

 

「道理で」

 

「道理?」

 

「なんか、軍人なのに、警察官っぽいって思ったのよ。軍人って、要因には興味がない。でも警察官は、要因以外は興味がないのよ。そんな感じがしたの」

 

「そうなんですか。アリッサさんは警察官のお知り合いがいるんですか?」

 

「いるわよ」

 

「そうですか」

 

「……冗談を真に受けないで頂戴。警察官の知り合いは、テレビドラマの中にしか居ないわよ。父様や母様にはそういう知り合いは沢山いるかもしれないけど」

 

 後ろでドアががちゃりと開いた。入ってきたのは男性の軍人と女性の軍人……のように見えて女性の方は軍人ではないようだ。アリッサと同じく、軍用コートを着ているためにそう見えるだけだった。

 

「遅くなりました。フィールドワークに付き合わされたもので」

 そう言ったのはヤン・ウェンリーである。

 

「いえいえ。我儘を言ってごめんなさい。でも、滅多にない機会だから、自分の足で歩いてみたかったのです」

 

 アリッサはドアの方を振り向いた。女性の方の顔を確認すると、満面の笑みを浮かべた。

 

「ヒルダさん!」

 

「アリッサお姉様!お久しぶりです!!」

 

 ヒルダこと、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフはアリッサの方に駆け寄ると、二人手を取り合ってきゃいきゃいと再会を喜び合っていた。こう見ると、年相応、いや、まだ未成年の二人のようにしか見えない。二人の女性は今一瞬、自分達が背負っている立場というものを忘れていた。一人は、大財閥の次期総帥、もう一人は、門閥貴族のご令嬢である。

 

 

 

 ヤンは会議室の照明を点けた。暖房のスイッチも入れる。ほどなく室内は暖かくなり、全員がコートを脱ぎ、着席した。ヤンが外で買ってきた紙パックのオレンジジュースを配って歩く。

「中尉、こちらはヒルデガルド・フォン・マリーンドルフさんだ。今日の特別ゲストだよ」

 

「よろしくお願いします」

 ヒルダが一礼した。

 

「マリーンドルフ? では、あの……帝国北朝の名門の?」

 

「恥ずかしながら、父が帝室にご奉公しております。私のことは、ヒルダと呼んでください。皆さんと同じく、仰々しい呼び方は苦手にしておりまして」

 

 ヤンは室内を見回した。一見、女子会(と余計なおっさん)に見まごうような風景だが、今からここで話し合われるのは、銀河の、いやそれは言い過ぎだな。銀河に住まう人類の行く末を決めるかもしれない事項についてである。アリッサ・ラインフォルトがそう決めたのだ。もちろん、ヒルダを呼んだのもアリッサである。

 

 

 

「そういえばヒルダさん」

 

「何ですかアリッサ姉様」

 

「新年パーティー、ヒルダさんは出なくて良かったのかしら。あたしは毎年さぼっているから分からないんだけど、ヒルダさんは出なければまずいんじゃないの?」

 

「今年は中止です」

 

「中止」

 

「公的な催しのかなりの割合が中止になってます。自粛というものですね」

 解説したのはフレデリカだった。

 

「直接関係するのは南朝だけのはずだけど」とアリッサ。

 

「どういう事情があるかは分かりません」

 

「でも、今年は同盟大使館のパーティーも規模を縮小しているのではなかったかしら」

 

「そう……でしたっけ」

 ヒルダの指摘にフレデリカはとぼけてみせた。確かに同盟大使館の年始パーティーは、例年なら高級ホテルの大規模バンケットルームを貸し切って行われるものだが、今年だけは大使館内で行われるひどく小ぢんまりしたものになっていた。フェザーンの政情を慮って、と報道官は説明していた。

 

 

 

「少佐」

 アリッサが言った。

 

「何でしょうか」

 

「お約束したにもかかわらず、こんなに遅くなって申し訳ありません」

 アリッサはそう言って頭を下げた。

 

「まだ年内です」

 ヤンは腕時計を指し示しながら答えた。ですが、ほんの少し、心配してしまいました。まだまだ私も人ができていませんね。

 

「今からお話しするのは」

 アリッサはそこで言葉を切った。しばらくして話し出す。

 

「私が知る限りの帝国の政変に関する計画。一般的には『ラグナロク』と呼ばれているものです」

 そう言って、アリッサは備え付けのディスプレイの電源を入れ、手元の端末を操作した。しばらくすると、本の一ページを切り取ったようなものが表示された。

 

「何ですかこれは?」

 そう言ったのはフレデリカ。

 

「論文……それも帝国公用語の……そりゃそうか」

 これはヤン。

 

「帝国科学アカデミー……そこに掲載された論文ですね」

 左上にあった文字列を読み取ったヒルダ。

 

「そう。十五年前、当時わずか十七歳の少年がこの論文を提出した。彼は十六の時に帝都工業大学を飛び級で入学し、翌年にはこの論文を科学アカデミーに投稿したわ。誰だと思う?これを書いたのは。まぁ、書いてあるんですけどね」

 

「……ブルーノ……フォン、シルヴァーベルヒ……もしかして!」

 ヒルダが息を呑んだ。

 

「そうよ。若き頃のシルヴァーベルヒ。現統帥本部総長。そしてこの論文のタイトルは、『帝国の経済運営を永久ならしめるための超越計画(プロイエクト・トランスツェンデンツ)』というもの。帝国における物流の拠点を惑星から切り離し、独立で運航する人工構造体に移行させることによって、地政学、紛争、経済の一時的な拡大や縮小、偏在、あらゆるリスクを低減させることができるというものよ。彼は、このような人工構造体が銀河に最低五つあれば、人類領域全体を効率的に統治可能という結論をここで書いているわ。もちろん、構造体に必要な機能と能力も。宇宙港、居住区域、取引所、通信施設、倉庫、そして自己防衛機能、航行能力、ワープ能力。ヤン少佐、貴方ならピンとくるのではなくて」

 

「ええ」

 ヤンはうなずいた。

 

「動く要塞。その正体がこれですか」

 

「いいえ。そこまで当たってはいないの。論文を詳しく読まないと分からないけど、ここで提唱する人工構造体を実現するなら、最低限でもアムリッツァ要塞より二回りほど大きなものを造らなければならないわ。話によると、当初構想されていたアムリッツァ要塞のスペックであれば大体合っているそうだけど。そしてこれが」

 アリッサは、オレンジジュースの紙パック、そこにストローを突き刺すと、一口ジュースを飲んだ。

 

「『最終戦争計画(プロイエクト・ラグナロク)』、その最初の一歩」

 

 

 

「壮大な構想ですね」

 フレデリカがぽつりと言った。

 

「壮大……そうだな。夢物語という言葉が似合いそうだが」

 ヤンは同意した。ただ、言われてみると、人類は可住惑星や軌道コロニーに居住しているとはいえ、可住区域に対して惑星はあまりに広すぎるというのは事実である。社会生存に必要な場所はそれほど広くなくともよいのだ。

 

 自由惑星同盟で最大の人口を有する惑星ハイネセンだって、人類が居住に使用している地表面積は、惑星全体の1パーセントにも満たないそうだ。人類にとって、宇宙は広すぎると言われるが、よくよく考えると惑星だって人類には広すぎるのである。

 

 そして地政学──社会的リスクに対して地理が与える影響を考察する学問──の視点から考えると、惑星の存在する位置、それこそが惑星の価値を決め、そしてそれを巡って数多の動乱が発生した。もちろん、人類が地球という惑星のみに居住していた時代もそうである。この計画は、人工天体によって、そういう地政学リスクを調整してしまおうというものである。野心的という意味においては、バベルの塔すら及ばないだろう。

 

「でも、計画は進行していないのでしょう?現実が許さない」

 

「そのとおりよ少佐。でも、この論文を読んだ父様は感激したらしいわ。翌年にはシルヴァーベルヒをラインフォルトに入社させて、シルヴァーベルヒがニ十歳の時、ラインフォルトグループのロジスティクスを管轄する部門のトップに据えた。まぁ、後はご存じの通り。反対する勢力を実績でねじ伏せて、帝国軍務省と提携して帝国軍のコンピュータシステム刷新を行った。これを見た宰相、リヒテンラーデ侯はシルヴァーベルヒと直談判して、彼を軍に引き抜いたのよ。そして、それと並行して、ラインフォルトでは大規模構造体についての推進・ワープ技術への投資を行った。父様、シルヴァーベルヒ、帝国政府が何を考えていたのかは分からない。分かるのは、アムリッツァ要塞に航行機能が追加されたことだけ。昨年実証実験が成功しているから、今頃は運用に関する問題を洗い出している頃合いでしょうね」

 

「現実を計画に合わせることを優先した、そういうことですか」

 ヤンはジュースのパックにストローを突き刺した。だが、飲むことはなかった。

 

「一体、この要塞がどう使われるかは分からないの。今まで話した内容も、計画の概要を『知らされて』から、つてを辿って調べただけなのだから」

 

「ちょっと待ってください」

 ヒルダが割り込んだ。

 

「姉様が今言った『計画』というのは、シルヴァーベルヒさんの計画、とは違うのですよね?」

 

「そうね。ごめんなさい。ここからは、帝国の内戦にまつわる話になるわ。内戦が勃発してから三十年、いや、四十年が経とうとしている。内心ではもう、戦争に飽き飽きしている。もともと、リヒャルト陛下の政策をよく思わない、従来の門閥貴族が起こした利権維持のための闘争、そのはずだったけど。終わらない内戦の中で、ほとんどの貴族は利権を失ってしまった。それは南朝だけでなく、北朝もそう。代わりに北朝では、父様のような財閥が跋扈し、南朝では生き残ったブラウンシュヴァイク一門が全てを総取りにした。戦争の意義なんてなくなってしまったの。ほとんどの人々にとっては」

 

「だから、戦争を終わらせるのですね」

 フレデリカが言う。

 

「終わらせること自体は問題ないわ。みんなそう思っている。問題は、どうやって終わらせるか、よ」

 

「それなら分かります。戦争の終結は終わりではない。終わった後どうするか、そこを十分考えないと戦争はまた始まる。十分考えてもそうなるかもしれないのが皮肉ですが」

 ヤンがそう言って、またジュースを飲もうとして、やめた。

 

「二度と戦争を起こさないためには、人類全てが滅ぶしかない」

 

「誰の言葉かは知りませんが、そういうものかもしれません。ニヒリズムが過ぎるとも思いますけどね。アリッサさん」

 

「人類の滅亡がニヒリズムかどうかは、私には興味がない。何故なら、戦争の終わりが始まる時、私は死ぬのだから」

 アリッサの声は、平静を保っているようで、震えていた。

 

 

 

 一分ほども会議室では動きがなかった。誰もが、その言葉を解釈するのにしばらくの時を要した。その後、フレデリカが立ち上がろうとして、ヤンに押しとどめられた。

 

「その先をどうぞ。アリッサさん」

 

「二年前、私のもとに一通のメールが来たわ。そこには、私の身の安全を確保する代わりに、私が持っているラインフォルト本社の株式議決権、それを委任してもらいたい、そういう話だった」

 

「……重大さの割に、ずいぶんとふわっとしていますね」

 

「少佐もそう思うのね」

 

「身の危険を感じるのですか」

 

「感じないわ。今は。でもいずれ、命を狙われることは分かっている」

 

「そもそも、株式議決権をどれだけ持っているんですか。委任とはいえ、数パーセント程度の議決権では、影響力はあっても限定的なものでは──」

 

「53パーセントあるわよ」

 アリッサの言葉に、ヤンは紙パックを倒してしまった。

 

 

 

「53パーセント……」

 フレデリカが呆然として繰り返した。

 

「ということは、ラインフォルトは事実上姉様が支配下に──」

 

「ヒルダさん。私はあんなのを好き勝手したい。そう思ったことはないわ。譲られたのは7年前、家を出ていく時に引き換え条件として押し付けられた、と言った方が正しいかしら。株主総会があるたびに、どこかの弁護士が、委任状に代理でサインするだけの議決権。委任状の実物も見たことはないのよ。でも、この『現実』が抑止力になる」

 

「テロへの抑止力でしょうか」

 

「そういうこと、少佐。感情的な要因ならともかく、論理的な思考のもとに組み立てられたテロ計画には抑止力が効く。成功しても効果がないことを示すのは一番よ。万が一、父様、母様が凶刃に倒れても、私が議決権を持っていればすぐに私がコントロールできる。一気呵成にラインフォルトを壊滅あるいは併呑することはできないの。それが抑止力」

 

「それにしても……それでアリッサさんは今、身の危険を感じないのですか?」

 ヤンが不思議そうな顔をして尋ねた。

 

「別に。議決権のことは限られた人しか知らないはずだから。ラインフォルト本社は株式を公開していないから情報も公開されていない。それに私にはシャロンがいる。あの人の腕前は相当なものよ。少佐や中尉は聞いていると思うけど」

 ヤンとフレデリカは互いに顔を見合わせた。アリッサは、カリンの定時報告の能力を過大評価しているようだった。

 

「でも情報は漏れていたようね。そして、身の安全と引き換えに、議決権を寄越せと言ってくる人がいたわけよ。もちろん最初は断ったわ。無視した、と言うべきかしら。そしたら、向こうは退かずに再度出てきた。遠からず帝国は一つになるから、従うのが身のためだ。そう言ってきたのよ。誇大妄想と片付けるのは簡単だけど、一体、誰がそう言ってきたと思う?」

 

「……誰なんですか」

 ヒルダが訊いた。アリッサはわずかに口の端を歪める。

 

「リッテンハイム侯ウィルヘルム三世」

 

 

 

「……」

「……」

「……とんでもない方向から、とんでもない人物が出てきましたね」

 ヤンがため息をつきながら言った。およそこの世は驚きに満ちている、とはいうものの、今夜は驚きっぱなしでお腹いっぱいだ。そして、お話にはまだまだ続きがあるのだろう。

 

「リッテンハイム侯はわざわざフェザーンに来て、私の目の前でそう言ったわ。帝国の激変の前に、安全を保障できるのはこの私しかいないのだ。そこまで言ったのよ」

 

「なるほどね。リッテンハイム侯は激変を仕掛ける方というわけですか。とりあえず実態を脇に置いておくならば。それで何と答えたんです?」

 

「まぁ、賛成ともそうではないとも取れる、玉虫色を」

 アリッサは露骨に目を逸らしながら答えた。

 

「タマムシ、ね。でリッテンハイム侯は?」

 

「私の見る限り、大満足で帰っていったわ。相当自信がありそうな感じだったわね。最初は誇大妄想もここまで、そう思っていたけど、そうではないことが段々と分かってきた」

 

「南軍はそこまで追い詰められているんですか。兵士が戦闘を拒否するというのは、よほど待遇が悪いか戦況が悪化しているかのどちらかです。士官となれば尚更です。それまで首都で暮らしている士官が出征を拒否するなんて、軍隊の体を為していない」

 ヤンが訊く。

 

「私は軍の専門家じゃないから分からない。でも、知り合いからの情報によると、士官学校を卒業して間もない将校たちによって、クーデターの謀議は実際に行われている。向こうの治安当局に潰されなければ、それは現実のものになる」

 

「アリッサさん。その知り合いって、誰なんです」

 

「……少佐。それは言えない。でも、彼の情報は真実よ。私の命をかけてもいい」

 

「わかりました。まとめると、リッテンハイム侯が、士官学校の卒業生を指嗾してクーデターを仕掛けさせている。実現可能性はさておき、侯爵殿はこの計画が必ず成功すると信じている。しかし、それでも分かりませんね。ブラウンシュヴァイク一門を排除して自分が南朝のトップになりたい。まぁそうだとして、それがアリッサさんの持つ株式議決権とどうリンクしてくるのです?それに、アリッサさんが生命の危機にある、という話と全く繋がりません」

 

「そうね。それが、南朝のクーデターと北朝のクーデターがリンクしている、という事実に繋がるの」

 

 

 

 ヤン外3名の「会議」は一旦休憩となった。会議が始まってから一時間近くが過ぎ、アリッサはともかく、他の三人は頭に詰め込まれた情報を整理する時間が必要だった。自販機で飲料を買い、あるいは廊下で頭を冷やし、十分ほど経った後、会議を再開した。会議は再び、アリッサの独白から始まった。

 

「リッテンハイム侯の計画はまだあった。北軍の有力者と協同関係ができていて、南北同時に政変が起きると。南北の同志は、政体を刷新し、帝国は再び一つになる。新しい政界、財界、軍により、銀河帝国は生まれ変わると。さらに、北朝で開発された新兵器が投入された暁には、帝国は叛乱軍に対し絶対的な優位を確立するであろうと」

 

「……でも、分かりません。そこで何故、アリッサさんの生命が危機に晒されていることになるんですか」

 フレデリカが不思議そうな顔をして言った。

 

「まぁ、分からない話ではない。革命というものは、暴力が全てを塗り替える現象だ。暴力というものが存在する限り。暴力の向かう先は、それまで『持てる人』であることがほとんどだから、アリッサさんの懸念は分からないでもない。革命の仕掛け人が分かっているのならば、手を組むのは悪いことではない」

 ただ、手を組んだとしても、それがどれだけ我が身や財産の安全を保障してくれるかは分からないと思うけどな。ヤンはそう思った。

 

「……その北軍の有力者が誰か、聞いたんですか」

 質問をしたのはヒルダであった。

 

「ピンポイントでは教えてはくれなかった。ただ、アムリッツァ軍管区の要人、極めてトップに近いスタッフの誰かであると」

 

「でもそれって、ほとんど特定できていないですか?軍管区そのものをクーデターに引っ張りこめる協力者、それも確実性が高いとなれば、トップのラインハルト・フォン・ミューゼル大将に多大な影響を与えられる、それも自らの決裁で部隊を動かしても周囲から怪しまれない立場の人間でしかあり得ない」

 ヤンが髪をいじりながら訊いた。

 

「そう。それは後で分かった。当の本人から打診が来たから」

 アリッサの言葉にヤンは目を瞠った。

 

「アムリッツァ軍管区の参謀長、ジークフリード・キルヒアイス少将から会談の要請が来たわ。ミューゼル司令官も同席するって。何を話したいのかは教えてもらえなかったけど、ここまで来たらどういう議題かは自明ってことね」

 

「連動するクーデターの相談、ということですか。それにしてもナンバーワンとナンバーツーが直接乗り込んでくるとは。何故そうなったのでしょう」

 

「分からない。秘密を漏らしたくなかったのかもしれないし、自分達なら事を仕損じることはない、と思ったのかもしれない。あえて推測するならば……キルヒアイス少将は、あるいはミューゼル大将は私を確認したかったのかもしれない」

 

「確認」

 フレデリカが繰り返した。

 

「この陰謀劇の紛れもないキーマンであるこのわたし。どういう人間なのか、そこが見たかったのじゃないのかしら。それを見れば、どう対応するのがいいのか、それが分かると思ったのかもしれない。まぁ、私がそう考える、というだけで、向こうがそう思っているかどうかは分からないけど」

 

「で、結果はどうなったのですか……ってもしやまさか」

 ヤンはアリッサの方を振り返った。

 

「そうよ。その顛末は貴方達が一番よく知っている」

 ヤンは困惑した。あの大物(キングピン)の一件にそのような裏があったとは。もう半年前のことになるが、あのことは昨日のように思い出すことができる。全てが秘密のままで行われた作戦。

 

「……そうなんですね。何故あんな所で誘拐されていたのかと思ったら、そういうことだったんですか。軍管区の司令官が誘拐された、あるいは作戦区域から離れた所で発見された。そうすれば、軍管区を大掛かりに調査する理由ができる。まさか、もしかしてアリッサさん。それを知っててご自分で罠をかけたんじゃないでしょうね」

 

「となると、話は綺麗に繋がるんだけど、そうじゃないの。あれは私も知らなかった。いつまで経っても来ないと思ったら、いろいろあったらしくて、勝手に帰ってしまった。私から見たらそうなるわね。でも、後日こちらで入手した情報によると、アムリッツァ要塞の警備隊で大規模な粛清人事があったそうね。アムリッツァ軍管区も一枚岩じゃなかったってこと。そう思っている。でも、あれで私の運命は定まった」

 アリッサは瞼を閉じた。

 

「定まった」

 

「いつか近い将来、私は殺される、ということよ。当然よね。リッテンハイム侯はラインフォルトとの繋がりを利用して帝国を手に入れようとしている。ならば、ミューゼル大将やキルヒアイス少将にとって、私さえいなくなればリッテンハイム侯を追い落とすチャンスが大きくなる。そして、二人にとって私は、自分達を失脚させようとした仇敵よ。そうなってしまったの」

 

「……納得できません」

 そう言ったのはヒルダだった。全員がヒルダの方を振り向く。

 

「私には納得できません。それだけ分かっていながら、姉様は自分が殺されるのを黙って受け入れるつもりだったんですか!私を誰だと思って。私に迷惑がかかると思って遠慮したんですか!!」

 

「ヒルダさん、落ち着いて」

 フレデリカがなだめようとした。

 

「落ち着いてなんていられますか!すぐに父に通信します。それなら先手を取れます。軍管区の一つや二つ!!」

 ヒルダの目からは涙が流れていた。

 

「無理です!」

 ヤンは声を張り上げた。滅多にないことだった。

 

「ですが!」

 

「無理です。この段階になって伯爵家にできることはありません。軍務尚書でも、帝国宰相でも、いや、皇帝でもできることはありません。アリッサさんがマリーンドルフ家を巻き込まなかったのは、別に遠慮したからではないのです。クーデターというのはですね、起こす方も防ぐ方も兵隊がいないと始まらないんです。そして、今の段階では、起こす方は準備が大体できている。この状況では、たとえどんな権力があっても止められません。おそらくアリッサさんが貴方に言いたかったのは」

 

「とにかく生き延びろ、と。突き付けられた要求を無碍に拒否するな。だが、迎合もするな。とにかく時間を稼げ。そうすれば生き延びるチャンスが出てくる。伯爵家、民政尚書、そういう肩書が利用できる。そうじゃないんですか」

 ヤンがアリッサの方に振り返る。アリッサはしばし呆然としていたが、しばらくしてこくんとうなずいた。

 

「……その通りよ。私が望んでいたのは、この件にマリーンドルフ家が介入しないこと。そうすれば、全てが終わった後に一番望ましい形になる。私が生き延びていれば。そしてそれは同盟に託すことにした。それにしてもヤン少佐」

 

「なんでしょうか」

 

「貴方が少佐で、本当によかったと思うわ。だって、もし貴方が大将だの元帥だのになっていれば、今頃、銀河帝国は地図の上から無くなっているはずよ。これだけの情報で、ここまで分かるのですから」

 

「私は……軍人になろうと思ってなったわけじゃありません。まぁ、詳しい話は長くなるから言いませんが、とにかくそうなんです。大将だの元帥だの。そんなものになりたいと思ったことは一度もないですよ。それにです。もし仮にそんな立場になったとしたら、自分についてくる何百万という将兵に死ねと命じなければならない。彼らの死に対して得られるもの、それは何なんでしょう。何百万の死より尊いのでしょうかね」

 

「どうでしょうね。そういえば、似たようなことを父様に聞いたことはあったわ。我々が造る戦艦で、宇宙船で、敵味方何万という人が死んでいるって、それをどう思うかって」

 

「お父様は何と答えたのですか」

 

「武器のことで悩むのは時間の無駄だと。争いを求める人々は、自分が手に入る武器を使って争いを続けるのだと。たとえば、それが銃、刀、棒きれ、あるいは石ころだったとしても。悩むなら、争いを止める方法で悩みなさい、と」

 アリッサの言葉に、ヤンはしばし考え込んだ。その後口を開く。

 

「ラインフォルトの総帥とは、随分と哲学的な人間なんですね」

 

「哲学的……父様をそう言う人は初めてだわ。私が知る限り」

 

 直後、部屋に電子音が響き渡った。全員が反射的に身構える。

 

 ぽーん。ただいま、宇宙暦799年1月1日、午前0時0分をお知らせします。

 

 程なく、全員が椅子にへたれこんだ。

 

「……なんともまぁ、風情のない新年だこと」

 そう言ったのはアリッサ。

 

「花火も、スパークリングワインも、乾杯もない新年ですか」

 答えたのはヤン。

 

「新年の祝いも、抱負もない」

 これはフレデリカ。

 

「姉様の言っていることが正しいなら、誰も体験したことのない一年になるでしょうね」

 こちらはヒルダ。ちょっと言っていることが矛盾しているような気もするが。

 

「そういえば一つ聞いていませんでした」

 ヤンがアリッサに言った。

 

「何かしら」

 

「リッテンハイム侯が言っていた新兵器、というのは動く要塞のことでしょうけど、何に使うのでしょう?どうやって同盟に対し優位を確立するのでしょうか」

 

「ああそれは」

 アリッサはしばらく考え込んだ。

 

「結局、私にも分からないの。要塞については秘密厳守らしくて、父様もよく分かっていないみたい。もしかしたらリッテンハイム侯か、キルヒアイス少将ぐらいしか知らないのかもしれない。ただ、ヒントはあるわ」

 

「ヒントですか」

 

「最初にお見せしたあの論文よ。あの中に、自由惑星同盟側のどこに配置するのが適切か、それが書いてあるの」

 

「少なくとも、惑星ハイネセンではないんでしょうね」

 

「そうよ。ガンダルヴァ星域、惑星ウルヴァシーと、エル・ファシル星域の惑星エル・ファシル。特に前者は同盟領域へのアクセスに最適、そう書いてあるわね。ああ、論文のコピーは後で差し上げるわ。だから、少佐には同盟を動かしてほしい。同盟のために。今、手を打っておかないと、同盟にとってまずいことになるわ」

 

 ヤンとしては迷いどころである。アリッサ・ラインフォルト嬢の話は、論理的に繋がっているように見えてそうではない所がいくつかある。例えば、何故帝国が同盟への短期決戦を挑むか、という点である。まぁ、これは分からないでもない。内戦が終結した時、敗北した陣営に所属する戦力は、勝利した陣営にとっての脅威となる。古来より、中途半端に残った敵にどう対処するかは勝利者にとっての悩みの種だった。敵国に攻め込ませてすり潰すというのは、まぁ選択肢の一つだ。それだけの金があれば、だけど。アリッサのシナリオが現実となれば、棄民という目的のための侵略作戦も大掛かりなものになるだろう。もし、それが現実となるならば。

 

 そこまで考えなくとも、帝国の両方で、その内戦を終わらせようと工作が行われているこの状況は、同盟ではあまり検討されていないものだ。プラン通り内戦が終結した後、帝国と同盟の軍事バランスは帝国に一時的だが大きく傾く。同盟市民、軍人、政治家がほとんど考えてもいなかったシナリオが現実味を帯びてくる。

 

 だが、そうであるが故に打てる手は限られている。いや、無いと言った方がいいかもしれない。

 

「正直、何をすればいいのかよく分かりません。我々の手の及ばぬ所で話が進み過ぎています。ですが」

 ヤンはそこまで行って黙った。部屋のあちこちを眺めながら、言葉を紡ぎだそうとする。だが、言葉は出てこない。本当に途方に暮れているらしかった。さらにしばらくして、小さくうなずくと話し出した。

 

「自由惑星同盟から戦争というものが消え去って50年が経ちます。この平和により、同盟の国力は大きく成長し、帝国に近づきました。帝国は二つに割れ、互いに争い、同盟に攻め込む余裕はなくなりました。これも同盟が民力の涵養に力を注ぐことができた大きな要因です」

 ここで、ヤンはジュースを一気に飲み干した。

 

「いつの間にか、同盟の市民の間にはこんな空気が流れるようになりました。帝国は互いの面子に固執する余り、不毛な争いを続けてやめられない。だが、同盟はそれを尻目に国力を育成することができれば、国力で帝国を凌駕することもできると。この考え方は間違っていないと思います。ただ、それは」

 

「それは?」

 アリッサが訊く。

 

「それは今じゃないんです。未だ同盟にとって、帝国の背中はまだまだ先なんです。そして、帝国も立ち止まっているわけではない。人材は居る。人口もまだまだ同盟より多い。潜在能力は侮るべきじゃない。今日、いや、昨日でしょうか。私はそれを学びました」

 

「ですから、私は、それに報いなければならない。一人の同盟軍人、いや、同盟市民として。どうせ私は一介の少佐に過ぎない。ならば自由にやらせてもらう。自分のやりたいことをやっても、大して問題にならない。出世を考えなければ尚更のことです」

 

「では、お姉様に協力していただけるんですか」

 

「これからいろいろな事をお伺いすると思いますが、それには協力していただきたい」

 ヤンは、ヒルダの方を向かずにアリッサにそう言った。

 

「分かりました。ドアはいつでも開けておきます。たとえ深夜でも構いません」

 

「遺憾ながら、アリッサさんではなく、ラインフォルト財閥の力を借りることになるかもしれません」

 

「なるべく協力しましょう」

 

「ありがとうございます」

 ヤンはアリッサに深々とお辞儀をした。あわててフレデリカもそれに続く。

 

 その後、会議はとりとめもない話に移行し、午前二時ごろに終わりとなった。ずいぶんと後になって、ヤンはこの日の、この会見のことを思い出すことがあった。そして、自分の仕事に重大な見落としがあることを再確認したのであった。何故、アリッサ・ラインフォルトはリッテンハイム侯と会おうとしたのか、何故、取引をすることになったのか、そもそもリッテンハイム侯が何故ラインフォルト嬢をターゲットにしようと考えたのか、であった。

 

 もし、そのことについてもう少し掘り下げていれば、これから起こるあらゆる快挙と愚行、英雄的または卑劣な行為についてもう少し何かできたのではないか、その時ヤンは思ったのであった。ただ、それは全てを知った後だからこそできる、所謂後知恵なのかもしれなかったが。

 

 

 

 宇宙暦799年1月4日、同盟大使館──

 

 ヤンとフレデリカは新年休暇も一部返上して報告書の作成に取り掛かった。アリッサの告白にはそれだけの価値があると確信していた。実際、軍のデータライブラリを検索し、アリッサの告白を基にデータを検索すると、重要度が低いと判定されていた情報で、彼女のストーリーを補強するような事実がいくつも出てきたのである。

 

 南北で連携するクーデター計画、そして、首謀者はいずれも南北朝で重きを為す要人。これを座視して、万が一クーデターが成功するようなら、同盟は建国以来最大の危機を迎えることになる。ムライに報告書を見てもらい、同盟として十分な備えをしておくように動いてもらうつもりだった。報告書のプレゼンは、新年休暇が明けた一月四日、その日だった。

 

「南朝のリッテンハイム侯ですが、現在唯一就いている公職が、帝都ツォンドルフにある士官学校の理事です。同盟が入手した情報によると、リッテンハイム侯は、士官学校の学生や、卒業して間もない若手士官と貴族、平民に関係なく付き合っているそうです。若手の将校は、終わりの見えない、それでいて目的が失われた戦争に拒否感を抱いている。そこに、目立たないように、腐敗したブラウンシュヴァイク一派というプロパガンダを流しているとしたら、この話にも説得力が出てきます」

 フレデリカが資料を指し示しながら説明する。

 

「翻って北朝も、統一によって得るものは大きいですが、軍隊だけはそうではありません。北軍で現在採用されている軍管区制は防御に偏重した体制です。攻撃について言えば、軍管区の自由度があまりに大きすぎ、適切なコントロールが困難です。さらに、南北の統一により軍そのものの大改革も必要となります。特に軍管区の指導者層は、粛清のリスクが高いと考えられます」

 

「南北が統一を志向して同時にクーデターを起こす場合、我々がこれまで想定していた、南北の総力戦による軍事的消耗は起こらないことになります。南北の軍事力が保持されたままの新帝国が出現した場合、軍事バランスは一気に帝国に傾きます。特に、帝国が新規に開発した、可動要塞は軍事的なインパクトが極めて大きく、同盟は危機に晒されるでありましょう」

 

 だが、予想に反してムライの反応は渋かった。ムライ中佐は提出された報告書を二度読み返して、ヤンやフレデリカの方を見もせずにこう言った。

 

「少佐らしくもない失敗だな」

 

「どういうことでしょうか」

 反発したのはフレデリカの方だった。

 

「敵国の民間人を巡る陰謀、それは大いに結構。まぁ、生命の危機に晒される民間人を何とかしたい、それも個人の心情としては理解できる。しかしだね、政変は我々の専門ではない。敵国の情報分析には専門家がいる。我々の出る幕ではあるまい」

 

「ですが万一、リッテンハイム侯が南の政権を掌握したとすれば、フェザーンに武力を差し向ける可能性はあります。リッテンハイム侯にとって、北の財閥との結びつきは生命線です。アリッサ・ラインフォルトさんは重要人物です」

 

「仮にそれが正しいとしてだね。敵はいつ、どれぐらいの陣容でやってくるのかね。それが分からないじゃないか。シルヴァーベルヒの構想だけでは、動きようがない。第一、十五年前の論文だぞ。まぁ、この論文自体はよくできていると思うがね。だが、何か敵が不穏なことを企んでいるから、こちらから先に叩いてしまえ。それは国家がやることじゃない。いくらそれらしい理屈を並べ立てても、だ。第一、同盟にはそこまでの実力はない。今の同盟は、情報を咀嚼して、正しく判断する能力を大きく欠いている。これだけでは、有事に有効な対策を行うことはかなわない」

 

「それは……」

 そこまで言われると、フレデリカも黙る他はない。

 

「我々の役目は、同盟の国土を護ることにある。ならば最優先課題は、帝国のフェザーン回廊を介した侵攻、これを止めることだ。動く要塞が飛んでくるならば尚更だ。いつ、どれだけ。それが分からないでどう止める?」

 

「備えることです」

 ムライの問いにヤンはそれだけ答えた。

 

「備える?いつ、どれだけ備える?」

 

「今すぐに、できるだけ」

 

「話にならない。少佐らしくもない、曖昧な返答だな」

 

「それ以上、何も分からないからですよ。帝国から作戦計画書でも譲ってもらわない限り、敵がどれだけ来るかなんて、分かりようもありません。課長が言っていることこそ無茶ぶりというものでしょう。それに、敵が全面攻勢を実現したら、その瞬間に同盟は終わります。今の同盟は大量動員体制は整っていない。フェザーンに駆けつけられる兵力は、フェザーンに近い星域に駐留している艦隊から抽出するとして、数千隻がいいところでしょう。敵の大軍を止めることは叶わない。でも、それだけあれば小部隊によるフェザーンの制圧には十分対抗できる」

 

「何がやって来るか、既に分かっているような感じではないか」

 ムライの返答に、ヤンは静かに言った。

 

「そうではありません。敵がそれだけしか来られないようにして、敵の意図をくじくのです。少なくとも、フェザーン回廊を使用した短期決戦を諦めさせなければ。それは我々、特務支援課の役目ではありませんか、課長」

 

「……少佐も成長したな。上官をこき使うようになるとは」

 

「いつもこき使われていますからね。そもそも、敵が本気でフェザーンに手を出すというのはどういう状況でしょうか。それは、北にとって、あるいは南にとって自分達の計画が十分に上手くいった時ということになります。ならば、それを崩さねばなりません。我々が使えるカードは、フェザーン自治領であり、ラインフォルト嬢であり、同盟軍です。相手より格段に弱いカードだとは思いますが、これを使って敵の計画をできるだけ妨害する。そうすれば、我々が状況をコントロールできるようになる可能性が出てきます。ラインフォルト嬢にはそのために動いてもらいます。もっとも、できるのはそれしかありません」

 

「最後のカードである、同盟軍の方は、こちらでやろう。クブルスリー大将と話をする。というかルンビーニの第六(艦隊)、ポレヴィトの第七(艦隊)にはもう話が出ているらしい。私の知る限りでは。クブルスリー大将ならもう少し知っているだろう」

 ムライ少佐が報告書を抽斗にしまいながら言った。

 

「有難くあります」

 

「だから、カードの使い方はお前に任せた。ヤン少佐」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年1月4日、同盟ルンビーニ星域、惑星カスティリオーネ──

 

「幕僚チームの半数が休暇だと」

 

「例年通りです」

 第六艦隊司令官、ムーア少将の怒気を含んだ声に、副官は表面的に戸惑いつつそう答えた。

 

「ハイネセンからの訓令は伝えてあったはずだが」

 

「誰もまともに取り合わなかったのでしょう。待機警報も出ていないのに休暇を却下できるわけもありませんから」

 

「この非常時に何を考えている!」

 爆発するムーアに、副官はこれまた表向き畏まってみせた。いや、非常時だと思っているのは貴方だけでしょう。内心でそう思っている。

 

 ハイネセンからの訓令というのは、昨年12月28日に届いたものである。年末休暇の前に統合作戦本部から訓令が届くのはいつものことなのだが、一年間の勤務に対する労いの言葉、来年の勤務に対する期待といういつもの語句に加え、こんな一文が追加されていた。

 

「各部署、年末年始の勤務にはシフトに高度な柔軟性冗長性を確保し、如何なる事態にも臨機応変に対応できるよう対処されたし」

 

 ムーアはじめ、受け取った将兵は誰もが首をかしげた。そもそも軍隊は24時間365日即時対応即時行動が原則である。ただ、平時の軍隊はそんな即時に動けるような態勢になっていないから、何が起こるか分からないから動く態勢だけは整えておけよ、という言葉は分からないでもない。ただ、根拠も何もなしにそう言われても、はいわかりましたと答えて準備万端整える人間はごく一部に限られる。そんなに準備して欲しいなら戦闘待機命令でも出せよ、そう言う人がほとんどであろう。

 

 そういうわけで、ムーアが副官を怒鳴りつける今の状況が出来上がっているというわけだ。そもそも、第六艦隊は構成人員のほとんどがルンビーニ星域周辺で募集された兵員であり、年末年始をできれば家族で過ごしたいと思う人ばかりである。副官もその一人だ。ムーアはそうではなく、留守艦隊の第十一艦隊から転身して第六艦隊の司令になっている。ある意味、浮いている存在だ。

 

「今、動かせる艦艇はどれほどだ」

 

「即時待機状態に入っている艦艇は500ほどです。御存知だとは思いますが」

 

「500だと!10000ある編制艦艇の5%だと!」

 

「年末年始ですからしょうがないです。第一、10000隻のうちルンビーニに駐留しているのが3割ぐらいしかありません。他は、周辺星域の警備に出ておりますし。この3割が出動態勢を整えるのは今月後半になってからでしょう」

 

「全艦が出動態勢を整えるのには、どれほどだ」

 

「それは……統合作戦本部から戦闘出動命令が出ないと。周辺星域の警備をおろそかにするわけにはいきませんから」

 

「何故艦隊が揃って出動できんのだ!」

 ムーアがどんと机を叩く。

 

「では、司令が統合作戦本部に掛け合って、艦隊が請け負っている警備任務を解除して頂けませんか」

 

「隣接したバラトループ星域のその先はフェザーンだ!南朝の皇帝が重病で明日をも知れぬ命なのだよ。二つの帝国はこれを機に大きく動く可能性がある。その時に、我が艦隊は休暇で動けませんでしたなどというのは言い訳になると思うのか!」

 それを聞いてまたそれか、と、副官は心の中だけでため息をついた。今まで、同盟は主戦場としてイゼルローン回廊を帝国が突破し、アッシュビー・ラインで決戦を挑む、という作戦計画で全て動いてきた。フェザーン回廊を突破するというのは、フェザーン自治領の主権を踏みにじる行為であり、経済的影響が無視できない。だから、帝国は(北であろうと南であろうと、統一した場合であろうと)そのような作戦を考えないだろう、そう言われてきた。

 

 それがどうも方針が変わりつつあるらしい。昨年末ぐらいからである。ムーア少将が初動態勢がどうのと言い出したのは。こちらとしては、初動態勢云々を改善するのに組織や任務の変更も、物資の蓄積も行っていないのだから、何言ってるんだこいつ、となるわけだが(組織の上下関係がなければそう言いたかった)、どうも、ハイネセンでは、フェザーン自治領を通り道にした帝国の侵攻作戦、という話がブームになっているらしい。

 

 確かに、皇帝が死ぬというのは(2つある帝国の1つだけとはいえ)大きな変化だろう。でも、そういう変化があったとしても、防衛計画の大枠は変化しない、そういう話ではなかったのか?一体何が軍首脳部で起きているのだろう?

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年1月13日、北朝首都オーディン──

 

 アンネローゼ・フォン・ミューゼルはその日、簡単な朝食を済ませると、仕事部屋のセントラル・ヒーティングのスイッチを入れ、少し厚着をして仕事に取り掛かった。セントラル・ヒーティングの効きが悪くなっていて、室温がなかなか上がらないのだった。ただ、仕事の量は例年に比べ少なかったため、暇を持て余している状態だった。

 

 アンネローゼは分かっていた。マスコミや政府発表は南朝皇帝の重病による「自粛」の影響で経済が落ち込んでいると言ってはいるものの、本当のところはそうではないことを。

 

 不況がやって来ているのである。軍事予算が膨張を続けていること、財閥系企業が人員整理を始めていること、戦勝のための国債購入が(半ば強制的に)行われていることから、民間消費が落ち込み、それをあてにしている企業の業績が悪化している。アンネローゼは宮廷がらみの仕事をしているが、それだけではない。ヴェストパーレ男爵夫人の許可を得て、仕事が少ない日は慈善団体の手伝いをしていた。刺繍教室の講師とか、夫の戦死で寡婦となった人を支援する募金活動であるとか、そういうものである。

 

 こういう業務に携わっていると、経済の落ち込みが骨身に沁みるというものなのだ。企業からの支援が減少したり打ち切りになったり、あるいは、教室に来ていた人が突然来なくなったり、仕事の悩みを打ち明けられたり、ということである。今のところ、アンネローゼ本人の収入には影響がないのだが、それもいつまで続くのだろうか。

 

 さらに、南朝皇帝クレメンス陛下(北朝でこういう物言いをするのは、皇帝の弟だからである)の崩御に伴い、大々的な軍事作戦が行われるというのは公然の秘密である。新年だからといって祝賀ムードになりにくいのは、そういう事情もある。今年のオーディンに吹く風は、いつにも増して冷たく感じる。そういう声が根強い。

 

 もちろん、弟ラインハルト、そして弟の親友ジークフリード・キルヒアイスのことは気にかかる。ただ、彼らのことなら大丈夫、という妙な確信があるのも確かだった。まぁ、幼年学校出たての見習士官ではあるまいし、今のラインハルトは軍管区司令官、500万を超える大軍のリーダーである。ここまで成り上がると、よっぽどのことがない限り死ぬことはない。周りが死なせないのだ(そうラインハルトは言っていた)。

 

 ただ、ラインハルトの人生が順風満帆なままなのか、それは気になる。栄達したのは喜ばしいが、それによって、普通の人が歩むべき道を歩めなくなった、としたらそれは喜ばしいことであろうか。丁度、芸能人やプロスポーツ選手が、栄光と堕落の道を突き進んでしまうように。結婚して家庭を持つ、それはまだラインハルトにとっては早いだろうが、いずれ視野に入るだろう。いくら顕官となっても、家庭が崩壊しては意味がない、アンネローゼはそう思うのだ。もっとも、アンネローゼ本人も家庭は持っていないのだけれど。

 

 スマート端末を立ち上げ、メールをチェックする。仕事に関するメールに交じって、一通のプライベートなメールがあった。差出人は、ジークフリード・キルヒアイスであった。

 

 アンネローゼはメールを開いた。ごく質素な、テキストデータだけのメールは、キルヒアイスらしさが表れている。そうアンネローゼは思っていた。時候の挨拶に、近況報告、そろそろ出征が近いですが必ず勝って帰ります、アンネローゼ様もお体ご自愛ください、みたいな代わり映えのしない文章が綴られた後、最後にこんな一文があった。

 

「この戦争が、銀河最後の戦争になると思います。戦争が終わったら、アンネローゼ様に大事な話があります。それでは、御機嫌よう」

 

 この一文を読んだ時、アンネローゼの内心で不安感が湧き上がってきた。いや、いずれこうなることは分かっていた。でも、アンネローゼもそれを知らず知らず避けてきたのであった。本来なら喜ばしいことのはずなのに、この胸の中の不安は何だろうか。やはり、あのことにケリがついていないから、なのだろうか。でも、その問題が解決することは恐らくあり得ないだろう。この心の中の不安は、恐らく墓の中に持っていくしかないのかもしれない。

 

 アンネローゼはメール機能を閉じた。コミュニケータが着信を告げていたからだ。通信はヴェストパーレ男爵夫人から来ている。仕事の話だろうか?

 

「ミューゼルです」

 

「アンネローゼさん?ちょっと時間あるかしら?お話ししたいことがあるのだけれど」

 

「ええ、構いません。そちらに伺いますか?」

 

「助かるわ」

 

「仕事の話でしょうか?」

 

「そうね」

 アンネローゼは、ヴェストパーレ男爵夫人の声に、困惑を感じた。

  

「ところで、先に聞いておきたいんだけど。アンネローゼさんは、ラインフォルトと仕事はしたことがあるのかしら?」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年1月29日、南朝首都ツォンドルフ──

 

 南朝、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の端にある、宮内省特別分館には、報道記者達が泊まりがけで詰めていた。一年前、そこはただの空き地だった。新無憂宮のいくつもある関係者入口の近くであり、小さな警備隊詰所があるだけの場所だった。しかし、皇帝が倒れ、宮内省の医者だけではなく、民間の専門医が出入りするようになると、それについてくるように記者が押し寄せるようになった。夜討ち朝駆けで記者が張り付き、コメントを求めるようになると宮内省はメディアに対し、記者達をどうにかしろと言い出した。

 

 メディア側の返答は、新無憂宮内にメディアセンターを作れ、であった。記者の待機所と記者会見場、通信設備に放送用スタジオ、その他もろもろを詰め込んだ建物を造れ。なんなら資金は出してもいい。

 

 この要求に対し、宮内署は当初憤慨していたが、結局折れることになった。宮廷警察からの突き上げがあったのである。取材を許可した記者が、新無憂宮を「ついでに」うろつき回るのが困る、というのが理由であった。宮廷を歩き回ってパパラッチの真似事まで始めるとあっては、何とかしなければならなかった。記者を押し込める場所があれば、動きも制限できるというものである。

 

 新無憂宮に急遽建設されたメディアセンターは、「宮内省『特別分館』」と名づけられ、取材記者は特別な取材許可がない限り、基本ここしか入れないようになった。だが、それで十分だった。皇帝の病気に関する取材はここに居れば十分できるようになったからだ。それでも、必要な機能に二階建ては狭すぎるとか、仮説のメディアセンターは外見が見すぼらしすぎて問題だとか、いろいろ不満はあったようだが。

 

 国内はもちろん、北朝、なんと同盟のメディアまで詰めているそこは、常に人でごった返していた。ツォンドルフ総合新聞記者、パウルス・エーベングートもその一人であった。

 

 エーベングートは元々民政省担当の記者であった。だが、皇帝が倒れて入院となり、それが長期化して新無憂宮に移送、ということになって、応援に派遣されたのであった。

 

 さらに言うと、エーベングートには兄が居て、首都ツォンドルフからいくらか離れた地方都市で病院を経営していた。専門は脳神経外科であった。昨年の七月、丁度皇帝が新無憂宮に移送という時期に、医師団の会見が行われた。発表された症状は、「虚血性可逆性神経障害」であった。一時的な神経障害であり、回復の見込みはあり得るという発表であった。エーベングートは兄に、この症状の詳細を問い合わせたが、回答は意外なものであった。虚血性可逆性神経障害とは、短期間で症状が回復した時にそう診断されるものであって、回復していない状態でそう発表するのは誠実な態度ではない、というのである。その情報を基に記事を書いたところ、大反響があった。エーベングートは社内で表彰された。

 

 それから、陛下のご病状のことはエーベングートに聞け、ということになってしまった。肩書は民政省から宮内省の担当記者に正式転属となり、記者会見を聞いては兄に問い合わせて記事を書き、社内とか提携した放送チャンネルに配信する、という生活になった。記者会見場の一つでエーベングートが記事(というかそれ以前のネタ帳)を読み上げ、それを聞いている記者から質問を受けて、必要ならば兄に質問してそれに返す、そんな日々であった。

 まだ家族が居なかったのがせめてもの幸いだっただろうか。休みどころか、家に帰れるのは三週間に一日もあればいい方だったのだ。

 

 仕事にやりがいはあったが、実際きつい仕事だった。記者団の中で段々エーベングートは有名人になっていったが、本来彼の担当ではないクレームも寄ってくるようになった。医師団長より偉そうとか言われることもあった。宮内省からもマークされるようになった。突然記事を取り上げられ、上司と一緒に抗議する、ということもあった。その間に、皇帝は元々あった心臓の症状が悪化し、「その日」が近づいていることが明らかになった。首都ツォンドルフは、自粛ムードに包まれ、黒色が目立つようになった。

 

 

 

 1月29日、首都ツォンドルフは一日中雪が降っており、気温は正午でも摂氏一度を切っていた。宮内省特別分館の中はそれなりに暖かかったが、暖房のおかげというよりも詰めている記者の熱気がそういう状態を作っていたのだろうと思われた。

 

 時間は午後3時、正午の記者会見と、午後6時の記者会見の丁度真ん中である。この時間は、常に忙しい記者でも少し余裕のある時間帯となる。エーベングートも同様で、コーヒーとケバブの昼食を終えると、夜の記者会見後に本社に送る記事をどうするか、それを頭の中で考えていた。

 

 コミュニケータが着信を告げた。エーベングートはコミュニケータを取って通信を開始した。相手は同僚の記者で、宮内省侍従の動きを追う方を担当していた。

 

「こちらエーベングート」

 

「パウルスか。今、自宅に戻っていた侍従長が大慌てで出ていった」

 

「記者会見の準備じゃないんだろうな」

 

「今日の昼に久しぶりに帰宅した侍従長だ。それはないだろう。医師団長の動きは掴めるか」

 

「そういえば医師団長も帰宅していたな。今どうしているか、それは他に聞いてみないといけないが、侍従長と医師団長が急遽登城……いよいよか」

 

「ああ、いよいよだ」

 通信はそれで切れた。エーベングートはコミュニケータであちこちに通信を始めた。エーベングートだけではない。密かに聞き耳を立てていたらしく、周りにいる記者もあちこちに通信を始めた。緩んでいた記者室の空気は一気に張り詰めた感じになった。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年1月29日、午後8時。

 南朝の公共放送および、全ての民間チャンネルが、予定されていた番組放映を一斉に中止、クラシック音楽の演奏映像の放映を開始した。

 

 後世の歴史家は、この瞬間を最終戦争(ラグナロク)の開幕、そう呼ぶようになる。

 




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第二十話 ラグナロク(2)
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