銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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第二十一話 ラグナロク(3)

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月20日、シャンタウ星域──

 (南朝クレメンス帝の国葬、その二日前)

 

 星系警備隊の仕事は、ひどく軽視されている割に多岐にわたる。刑事事件の取り締まり、もちろん宇宙海賊の取り締まり、事故対応、故障した船舶の対応(但し重大な故障に限られる)、救難対応、交通整理、他にもいろいろある。

 

 そして、今日はそんな警備隊に新たな仕事が加わっていた。

 

「航行禁止区域はコンピュータに設定したか」

 

 警備艇『エムデン』艇長のブラント中尉の質問に、航法士が答えた。

 

「もう終わりました。新しい哨戒ルートもです」

 

「よし」

 ブラントは答えるとスクリーンに表示されている星系図をにらみつけた。シャンタウ星域は、オーディンとアムリッツァを結ぶ交通の結節点である。アムリッツァの向こうはフェザーンまで続く通商ルートが続くのだ。だから、シャンタウ星域は軍民関係なく多数の船舶が行き来する。

 

 だが、シャンタウ星域と呼ばれる宙域が船舶で埋め尽くされているわけではない。船が行き来するのは、警備が行き届き、設備が充実した一部の航路のみである。地上車が草むらを移動できるといえども、通常、舗装された道路しか走らないのと同じだ。

 

 ブラント中尉が登場する警備艇『エムデン』が哨戒するのは、そういう船舶の通らない宙域である。航法支援衛星も、通信衛星も、通常は警備艇すら滅多に通らない宙域。宇宙海賊でもなければ通らない宙域。だが、今日だけは違っていた。突如として、そこに航行禁止区域が設定され、エムデンはじめ15隻の警備艇が、船舶の侵入がないかどうかを哨戒することになったのだった。

 

「軍の考えていることは分からないですね」

 レーダー手が言う。

 

「想像したって始まらんさ」

 ブラントが答える。エムデンの乗組員は、もう3年も同じチームを組んでいる。軍隊というものは理不尽で、それでいて軍人は高圧的、支払いも渋い。それがブラント達の認識だった。ブラント『中尉』といっても、彼らが所属しているのは軍ではなくて、航路管理局の方の警備隊である。警備隊で中尉、となると航路管理局──つまり警察官だと巡査部長あたりになるだろう。

 

「まったく、戦争をおっぱじめるなら、早めにやってほしいもんだ」

 航法士が言った。

 

「だといいんだけどな」

 ブラントはそう答えた。南朝の皇帝が死んでから、もう三週間は経つ。噂では、皇帝が死んだら即時に軍の大攻勢が始まる。そう言われていた。それが一週間、二週間経ち、三週間経っても動きがない。

 

 兵士はただひたすら待たされるためにフラストレーションが溜まる。その八つ当たりは星系警備隊に向かうことが多いのだ。やたらと特別扱いを要求する、やたらとスピード違反をする、切符を切ろうとすると凄む(公的な命令書を提示できなければ、交通違反は適用されると何度も周知されていても)。踏んだり蹴ったりである。

 

 だが、戦闘が始まると、彼らのうちの何割かが死ぬ。それも事実である。3年も同じ船で同じクルーが勤務することなどおよそあり得ないのだ。それを考えると、一概に彼らを煙たく思うこともできない、ブラントはそう思っていた。

 

 警備艇『エムデン』は、先程航法士が設定した哨戒ルートを自動的に進む。搭乗員達がやることは、付近を航行する船舶がいないか。いたら、航行禁止区域を進むような違法行為をしていないかを確認することだ。だが、エムデンが今進んでいるのは、普段なら船舶を滅多に見かけない宙域だ。こんな場所を軍が航行禁止区域にするのは、普通なら演習とか訓練のためだけど、こんなご時世に演習などあるまいと思う。それに、演習ならこんなだだっ広く航行禁止区域を設定したりしない。

 

 今のところ、異常は何もない。いつもなら何もない宙域をわざわざ捜索しているのだから当たり前だ。退屈とさえ言えた。さらに言うと、今回の哨戒では高レベルの通信制限がかけられている。使えるのは主に(いろんな種類の)パッシブ・センサであり、レーダーのようはアクティブ系走査機器は使用が厳しく制限される。だから、退屈ではあれど緊張を解くことが難しい、労力の割が合わない哨戒といえた。

 

 

 

 異常を発見したのは、哨戒が始まって三時間ほど経った後だった。

 

「重力センサに反応」

 

「予想質量と数は」

 

「現在計測中」

 レーダー手の動きが慌ただしくなる。この地点に何者かがワープアウトしてくるということであった。確かに、宙域の状態は安定しているからワープアウトには適しているが、やはり通常ではあり得ない。どの宙域でも、ワープイン、ワープアウトは指定された場所で行うことになっている。そこは航路管理局が丹念に整備維持を行っていて、ワープ事故を最小限に留める努力が続けられているのだった。

 

「数量、極めて多数──なんだこれは。でも予想質量は──兆トンを超える──いや、質量からすると数量の方が!」

 

「正確に報告しろ」

 ブラントが怒鳴った。

 

「わかった、これは……衛星クラスのワープアウトです!予想質量50兆トン、緊急警報を!」

 レーダー手が言い終わらないうちに、警報が艦橋に響き渡った。同様の結論に達したコンピュータが、自動で警報を発したのであった。

 

「予想ワープアウト地点から離れろ!」

 ブラントの命令に従い、エムデンは緊急退避行動を取った。自動航行システムが停止され、全速力で予想ワープアウト地点から離れようとした。彼らの努力はぎりぎりの所で間に合った。数分後、エムデンの背後で、ワープアウトした時に観測される閃光(ワープ時に行われる空間の圧縮と膨張の影響だと言われている)が見られ、同時にエムデンは大きく揺さぶられた。大質量ワープアウト時に観測される次元震動だった。

 

「状況報告!」

 ブラントは叫んだ。各所から報告が入る。損傷の報告は入るものの、艇の機能に影響はない。事実上無傷だということであった。一安心である。

 

「トニオ。どうした。センサに何が映ってる」

 ブラントはレーダー手に呼びかけた。レーダー手はそれに答える代わりに、端末を操作し、メインスクリーンにカメラの映像を映し出した。

 

「おいおい……」

 ブラントはつぶやいた。カメラには、巨大な球体の映像が映し出されている。大きさは一目では分からなかったが、球体の表面に見られる人工的な構造物、その対比からするとまさに衛星クラスの大きさであった。

 

 そう、人工的な構造物、である。

 

 球体の表面には無数のランプが点灯しており、一部ではそのランプが連なって線を描いていた。宇宙港ではありふれた光景であった。

 

 それから考えられる結論は一つだった。ワープアウトしてきたのは、宇宙要塞である。

 

 

 

 エムデンの艦橋は静寂に包まれた。誰もかれもが言葉を失っていた。惑星、いや、衛星クラスの質量をワープさせるというのは実例がないわけではなかったが、あまりにコストが大きすぎ、なおかつ事故確率が高いから相応しくない、というのが通説だった。人工構造物、それも宇宙要塞をワープさせるなど、想定外、もっと言えば狂気の沙汰だった。

 

キャプテン(カピタン)、もしかして、あれ、動いてます?」

 航法士が周りに聞こえる声で言った。その声に動かされるようにレーダー手が端末を操作した。

 

「本当だ。一般的な宇宙船と同じぐらいの速度は出ています」

 レーダー手はうめいた。ワープするだけでなく、宇宙船と同じ速度で動ける宇宙要塞だと?どうすればそんなものができるのだ。

 

「おい、発光信号を送ってみろ。『当方、警備艇えむでん也。貴艦ノ名称ト行先ヲ承リタシ』とな」

 ブラントの言葉に、通信士は喜び勇んで発光信号を送り始めた。通信は制限されているから、古めかしい発光信号を使うしかない。本来なら、通常の警備任務なら事故が起こりそうな場面でしか使わないのだが、通信士は澱みなく信号を送ってみせた。

 

 反応は即時に返ってきた。

 

「宇宙要塞より返信!『ワレ、戦闘要塞らーずぐりーず也。貴艇ノ無事ニ安心ス。尚、既ニ送信サル規定ニヨリ、本要塞ハ最高軍事機密デアル。機密保持ニ留意サレタシ』」

 

「規定だと」

 ブラントはコンピュータのデータバンクを捜索した。あった。警備に関する規定に一文追加されていたのであった。哨戒時に発見したいかなる事物に対しても、公開を禁ずる。直属の上長のみに報告すべし、であった。定例通りの文章であるため、危うく見落とすところであった。

 

「総員聞け」

 ブラントは、艦内に通じるマイクを取って言った。

 

「皆、私と同じく肝を潰していると思うが、あの要塞の撮影を禁じる。ソーシャルネットワークで自慢話をするのも駄目だ。飲み屋でもしばらく口をつぐんでいろ。こいつは確実に憲兵が飛んでくる案件だ。軍刑務所で過ごしたくなかったら、おとなしくしていることだ」

 ブラントはマイクのスイッチを切った。航法士が近づいてくる。

 

「もしかして、これで戦争は」

 航法士が嬉しそうに言った。

 

「ああ、我々の勝利だ」

 ブラントの声も心なしかはずんでいる。軍の大攻勢にあんな秘密兵器が加わっているとは知らなかった。恐らく南軍は、あのような兵器に対処する手段を有してはいまい。

 

 警備艇の艦橋が騒がしくなった。規則も何もかも忘れて、乗組員達がおしゃべりを始めている。非番で休んでいる乗組員も艦橋に来ているようだ。数秒後、一人の叫び声が艦橋に響き渡った。

 

勝利万歳!(ジーク・ハイル)

 

 第一声は誰のものだったか結局分からなかったが、それに突き動かされるように、艦橋に居た誰もが万歳の叫び声をあげはじめた。勝利万歳、勝利万歳、皇帝万歳(ジーク・カイザー)もあった。公式軍歌である「ワルキューレは汝の勇気を愛せり」を歌いだす者も居た。ただ一人黙っていたのはブラントだけだった。

 

 ブラントは知っていた。この哨戒が終わったら、警備艇エムデンのチームは解散となることを。全員が艇から降りて、他の部署に転属になる。自分は昇進して、地上勤務になることが内定していた。もう、カピタンになることはないのだ。さらに昇進して、警備司令艦に乗り組む可能性がないわけではなかったが、そこで艦長になろうとも、それはカピタンではない。スタッフの進言に頷くための人形でしかない。

 

 ブラントがそのことを不満に思っていないわけではない。だが、乗組員達の将来が前線に出て戦死、というのでないならば、それは大きな喜びとしなければならない。ブラントはそうも思っていた。ブラントは小声で、誰にも聞こえないように一言だけ言った。

 

「万歳」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日未明、新無憂宮、宰相公邸──

 

 宰相リヒテンラーデ侯クラウスは、執務机の端末、その画面を見つめていた。その画面には、いろいろな図や文章が表示されている。

 

 端末のファイル名表示のところには、『作戦計画ラグナロク、実施要綱』と書かれていた。

 

 北軍が企画している攻勢『ラグナロク』は骨子の立案から考えると、5年の長きにわたって計画されている。それは軍事的攻勢はもちろんであるが、政治的な変化についても検討され、計画が立てられていた。戦争に勝利した場合、敗北した場合、引き分けに終わった場合、いろいろな可能性が検討されている。リヒテンラーデが読んでいるのは、そういう政治的オプションについて記載されているものだった。宰相が軍事作戦の細部に口を出すわけにはいかないのだった。

 

 今は午前二時、草木も眠る丑三つ時に敢えてリヒテンラーデ侯が起きているのは、一つの理由があった。信頼できる情報筋により、驚くべき情報がもたらされたのであった。本日未明(つまり今)、南朝の首都で政変が起きると。政変の目的はブラウンシュヴァイク公爵グループを南朝政界から排除することであると。

 

 まだリヒテンラーデ(というか北朝)にはその情報は来ていないが、いずれ確認できるだろうと、リヒテンラーデはそう確信していた。だからこそ、覚醒剤入りコーヒー(著者注:あくまでも未来の産物であり、適切な服用によって依存性は除去可能です)を飲みつつその時を待ち受けていたのだった。

 

 コミュニケータに着信が入った。リヒテンラーデは通信を確立すると、執務机のマイク&スピーカーに転送した。

 

「私だ」

 

「ヘルベルガーです」

 リヒテンラーデの秘書の一人だった。リヒテンラーデに付き合う形で徹夜仕事をしている。

 

「間違いありません。クーデターの趣意書が公開されました。やはり、ブラウンシュヴァイク公および親族の追放を求めていると」

 

「首謀者は分かるか」

 

「趣意書の署名によりますと、首都親衛隊の一部将校による蹶起と思われます」

 

「愚かな」

 リヒテンラーデは苦々しく言った。そんな若手の造反でブラウンシュヴァイク公を排除できると思うのか。瞬時に叩き潰されて終わりだろう。

 

「引き続き情報を収集せよ。ツォンドルフから発信される情報は細大漏らさず収集するのだ。統帥本部と協調してやるのだ。総長には繋がるだろう」

 

「今、午前二時でございますが」

 秘書が当惑して答えた。

 

「大事が起きる時、総長が不在なところを儂は見たことがない。あ奴の寝顔を見られるのは幸運というものよ。とにかくコンタクトを取れ。そうすれば軍務省の不寝番も叩き起こせるであろう」

 

「りょ、了解」

 秘書はそれだけ言って通信を切った。

 

 リヒテンラーデはため息をついて、端末に向き直った。恐らくクーデターは失敗するだろう。せいぜい一日か二日、ツォンドルフを混乱させるだけで精一杯だ。だが、それが号砲となる。南朝打倒の大攻勢『ラグナロク』の、である。

 

 リヒテンラーデは端末を操作し、ラグナロクの作戦計画を開いた。表紙についている、作戦概要を開く。作戦計画を真面目に読んだら、辞書一冊分では済まない。作戦概要からすると、ラグナロクは以下の三段階で進行することになっていた。

 

①南軍に対する同時多方面攻勢

②北軍予備兵力による、南朝首都ツォンドルフへの奇襲攻撃

③南軍正面戦力の撃破後の掃討作戦

 

 この作戦の秘中の秘は②であり、アムリッツァ要塞にワープ能力および機動能力を付加する改装を施し、これにミューゼル率いる第三艦隊を伴い、奇襲攻撃をかけることになっている。このためにどれだけ細心の注意を払って機密保持に努めたか、シルヴァーベルヒからは耳にタコができるほど聞かされている。宇宙艦隊司令部からの抗議を躱し続けることについてでもある。

 

 作戦が順調に、本当に順調に進めば、南軍に対し「極めて短期間で」勝利することが可能とされていた。まぁ、本当に、順調に、進めばである。

 

 ただ、本当に、順調に、作戦が進んでしまえば、次なる懸念が出てきてしまうのであった。それは、先程リヒテンラーデが読んでいた、ラグナロク計画の政治的オプション、その補遺に記されている。

 

 『超越(トランスツェンデンツ)』と呼ばれるそれは、内戦終結から可及的速やかに行われる、自由惑星同盟への侵攻作戦であった。動員可能な戦力を糾合し、秘密機動要塞も使って、フェザーン回廊から電撃作戦を実行する。作戦計画によると、三か月でガンダルヴァ星域惑星ウルヴァシーを占領し、帝国領土内からの恒久的な補給線を確保するとされていた。

 

 全く、全く以て素晴らしい作戦計画である。実現可能か、という側面に目を瞑れば。

 

 紙の上では実現可能な計画であろう。ウルヴァシーまで手を伸ばせれば同盟経済は大混乱になって持続不可能になるかもしれない。だが、帝国も持続可能かどうかは分からなかった。現在でも、経済的にぎりぎりの所で軍を運営している。天才システムエンジニア、シルヴァーベルヒの尽力なくば、とっくに軍は崩壊していたかもしれなかった。いくら戦力的に可能だとはいえ、同盟領への電撃侵攻など可能なのか、そういう意見は根強かった。

 

 ただ、この計画の提唱者および最大の後援者がシルヴァーベルヒ本人なのである。だから余計事態はややこしくなった。すったもんだの末、作戦の実行可否は、南軍の崩壊後に改めて決定するものとされ、ラグナロク計画では『超越』も見越した物資の事前集積を行うものとされた(だから準備期間が余計にかかった)。

 

 『超越』など早々に諦めて欲しいものだが。リヒテンラーデはそう思った。シルヴァーベルヒは天才だが、誰も彼もがシルヴァーベルヒやミューゼルのようにはなれないのだけどな。以前、シルヴァーベルヒは自らの将来について、40までに帝国宰相になると言い放ったそうだが、こういうのが分からない内は、宰相にはなれないだろうな。

 

 そんな中、私用のコミュニケータに着信が入った。一体誰が、そう思って発信元を確認する。直後、リヒテンラーデは驚愕し、慌てて執務室横の小部屋に飛び込んだ。いろいろ機器を起動した後、コミュニケータをある装置に装着する。直後、部屋の中央に3Dホログラムの像が浮かび上がった。

 

「リヒテンラーデであるか」

 北朝皇帝リヒャルト本人の像は、低い声でそう言った。リヒテンラーデはそのホログラム像に跪いている。今、リヒテンラーデと皇帝は、コミュニケータ経由で通話しているのである。

 

 リヒテンラーデは、呼び出しに遅れたことをいろいろ言い訳したが、皇帝はよい、とそれをあしらうと、南朝でクーデターが始まったことについて意見を尋ねた。リヒテンラーデは何故皇帝がそれを知っているのか、一瞬疑問に思ったが、慌ててそれをしまい込むと上奏した。蜂起については、兵力および同調者の少なさから、早々に失敗に終わるであろうと。

 

「そうか。だが、これにて大攻勢が始まるのであるな」

 

「はっ、我が軍の総力を挙げた大攻勢を実施致します」

 皇帝はそれに対し、分かった。存分にやれと言い、こう付け加えた。明日8時に朝食を共にせよ、と(この時に報告せよという意味)。リヒテンラーデは畏まって承ると通信は終了となった。

 

 面倒なことになった、リヒテンラーデはそう思った。皇帝本人がコミュニケータを用いて、近臣にあれこれ尋ねるのは最近よくあることである。そもそも、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の大規模修繕工事により、皇帝本人は離宮の一つであるベルヴェデーレ宮殿にしばらく「引っ越し」している状態である。皇帝としては、呼べば誰でもすぐに駆けつけてくるのだが、時間は取られるしいろいろ気まずいということで、こういうことになってしまった。もちろん、皇帝にコミュニケータを持たせ、通信設備を整えたのはシルヴァーベルヒであった。

 

 もちろん、皇帝が通信してきたとなれば、呼び出された方は即時対応せねばならず、3Dホログラムによる対面通話を行わなければならない。というわけで、呼び出される方とすれば、面倒が増えただけかもしれない。皇帝本人は結構面白いと思っているそうだから、余計始末に負えない。

 

 とにもかくにも、皇帝陛下にご進講申し上げるための原稿を作成しなければならない。

 

 リヒテンラーデは端末の講演原稿用プログラムを立ち上げた。どうやら、今夜は久しぶりに徹夜をしなくてはならないらしい。

 

 70過ぎても徹夜か。いつ楽になれるのだろう。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前7時、ベルヴェデーレ宮殿から差し回された地上車が宰相公邸前に到着した。リヒテンラーデ侯と、早朝に呼び出された彼の秘書が一名、地上車に乗り込んだ。地上車は音もなく走り出した。

 

 不審に気づいたのは秘書の方だった。いつも走っているルートと違う。これではベルヴェデーレ宮殿に到着するのが遅れてしまう。

 

 秘書が確認しようと運転手に繋がるインターフォンのボタンを押したときだった。リヒテンラーデを乗せた地上車が粉々に吹き飛んだのは。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前8時、宇宙艦隊司令本部──

 

 突然どやどやと入ってきた憲兵の一団に対し、最初に応対したのは、受付担当のフリック少尉であった。憲兵隊の先頭に居た大尉が言った。

 

「自分は憲兵隊のツィーゲ大尉である。ゼークト司令長官はいずこに居られるか」

 

「は?ですが、面会のご予定は──」

 

「緊急事態だ!宰相がテロの凶弾に倒れ、軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官にも殺害予告が出ている。一刻も早く、安全な場所に退避させなければならん!司令長官はいずれにありや!!」

 

 ツィーゲ大尉の怒声にフリックは仰天した。警備司令に連絡しようとしたが繋がらない。そもそも警備司令の勤務は午前9時からだから、繋がらなくてもしょうがないし、繋がらなかったら判断はフリックに委ねられることになる。もっとも、こういう時の判断は「上役が来るまで待ってもらう」以外は無いものなのだが。

 

 あれこれ弁明を繰り返すフリックに対して

 

「もういい。司令長官の居場所を教えろ。いや、教えなくても構わない。もし、司令長官に万一のことがあれば、責任は貴様と宇宙艦隊司令部に全て負ってもらうから、そのつもりでいろ!」

 ツィーゲ大尉のこの怒声はさすがに効いたらしい。フリックが司令長官室の場所を教えると、憲兵の一団は駆け足でそこに向かっていった。司令長官室では、主であるハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト大将が、副官のカルナップ大佐と朝のブリーフィングをしている所だった。乱暴にドアが開け放たれ、ツィーゲ大尉を先頭に憲兵隊が突入してきた。

 

「何用であるか!」

 カルナップの誰何をツィーゲは無視した。執務室に座る大将に向かって言った。

 

「ゼークト大将であらせられますか」

 

「そうだが」

 ゼークトが返答したその瞬間、憲兵隊の全員がブラスターを構えて発射した。複数から撃たれたカルナップはうめき声を出すこともできず絶命した。ゼークトは、咄嗟に執務机に隠れて応戦した。憲兵隊がカルナップの殺害に注力したため、わずかに一瞬の隙ができた。ゼークトは三発ブラスターを発射し、二発が命中し、二名の憲兵が倒れた。見事な射撃であった。

 

 そしてそれだけであった。数瞬の後、数発の光線がゼークトの体を貫き、カルナップと同じくゼークトは絶命した。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前8時半過ぎ、新無憂宮正門──

 

「いつになったら終わるのだ」

 大佐の階級章を着けた男がいらいらして言った。

 

「全員の認証が終わるまでお待ちください、ミッターマイヤー大佐。門は全て閉鎖しております」

 ミッターマイヤーに対応しているのは、フランク・フォン・ゼッレという軍医大尉である。帝国宰相の爆殺、軍務省、統帥本部、宇宙艦隊司令部に対する同時多発テロという未曽有の事態に、新無憂宮の警備隊は混乱どころではなかった。すぐさま犯人の追跡が行われたが、新無憂宮自体が広大な公園ほどの敷地面積を有しているため、探索はなかなかはかどらない。結局、ゼッレ大尉のような医者が受付をしているのであった。但し、警備隊司令はIDの認証が取れない人間は絶対に通すな、通したら銃殺だと脅したため、このような事態になっている。

 

 ミッターマイヤーの後ろには、数台の装甲車にトラック、恐らく一個中隊と思われる完全装備の兵が居た。実際、リストには300名近くの名前がある。認証を略式で済ませても十五分はかかるだろう。

 

「大尉、規則を遵守するのはよいが」

 ミッターマイヤーは言った。

 

「人は、何故にその階級章に相応しい給料を得ているか、それをよくよく考えるべきだ。規則を型通り遵守するだけなら、士官の給料は要らないのだ」

 ミッターマイヤーの言葉はもっともなように聞こえるが、要は恫喝である。だが、ミッターマイヤーは内心ほっとしていた。自分のような、アムリッツァ軍管区所属の兵が捜査と称して押しかけることは本来ならばおかしいのだ。もちろん、テロ攻撃の報告を受けて「お手伝いに来た」という建前はあるが、本来ならば首都防衛総監の指示を仰がねばならないところである。そういうところを無視して押しかけていることに疑問を持たれていないのは、すごく良いことである。とても良い。後は、早くここを通してくれないだろうか。

 

 ゼッレ大尉は警備詰所に戻り、数分してやっと戻ってきた。

 

「申し訳ございません」

 

「どうした、何かあるのか」

 

「いえ、ようやく全員の認証が取れました。どうぞお通り下さい」

 ゼッレの回答にミッターマイヤー以下全員がずっこけそうになったが、ともかく門は開いた。ミッターマイヤーは装甲車に乗ったまま、新無憂宮に乗り込んだ。入ってすぐ、中隊は3つに別れた。ミッターマイヤーは新無憂宮の外れにある森へと向かっていた。彼が持っているスレート端末には一つの点が記されている。ミッターマイヤーと1台のトラックはその点を目指して進んでいた。

 

 とある森の手前、広すぎて警備兵もろくに近づかないところで装甲車は停まった。装甲車はライトを森に向けて、発光信号を送った。しばらくして、憲兵の服装をした数名が森から出てきた。二人は負傷して歩くのも辛そうだ。先頭に居る大尉が装甲車に近づいてくる。ミッターマイヤーはハッチから身を乗り出すと、地上に降り立った。

 

「合言葉を。ダンツィヒ」

 大尉が言った。

 

「アウグスブルグ」

 ミッターマイヤーの返答を確認し、大尉は敬礼した。

 

「ツィーゲ南軍大尉、特務部隊に勤務しております。お出迎え感謝です」

 

「ミッターマイヤー大佐です。連絡は受けております。皆、あのトラックにどうぞ」

 憲兵?の一団は何の疑問も持たず、トラックに乗り込んだ。トラックは単独で新無憂宮を脱出し、宇宙港へと向かった。途中、人気のない高速道路で荷台に致死性ガスが散布され、全員が絶命するのは約一時間後のことであった。他の2つの隊でも大体同じだった。

 

 

 

 2月26日早朝、新無憂宮で起こったテロは未曽有の大事件となった。死亡者は要人だけでもリヒテンラーデ侯爵、クラーゼン軍務尚書、ゼークト宇宙艦隊司令長官。テロリストとの交戦で死亡した軍人等も含めれば、三十名近くが死亡、五十名近くが負傷した。シルヴァーベルヒ統帥本部総長が無事だったのは、統帥本部全体で徹夜仕事が行われていたため、テロリストの口八丁手八丁が通用しなかったためだった。早々に撃退されてしまったのである。

 

 ちなみに、事件の後、ミッターマイヤー大佐は警察に協力するという名目で新無憂宮に居座ることになる。そして、生き残ったシルヴァーベルヒに任じられる形で、新無憂宮の警備隊トップとして振舞うことになる。

 

 ミッターマイヤーおよび部下の振る舞いは至極常識的、紳士的でその点については問題がなかった。だが、テロ事件の捜査については、ほぼ放置という態度だった。まずは軍首脳部の再建が必要、そう主張した。もちろん、現場の検証、証拠の保全等は等閑に付された。

 

 結果、このテロ事件は、詳細な捜査が何ら行われず、真犯人の追求がまるで行われなかった点でも未曽有となった。このテロで生き残った要人は全て犯人と疑われるに足る背景があったが、シルヴァーベルヒ、ミッターマイヤー、そして上司のミューゼルやオーベルシュタイン、それぞれを追求しようという動きがあった時は、それぞれが顕職に就いた後であった。こうなってしまっては、彼らを追求しようという動きは自然消滅してしまったのであった。報告を受けたリヒャルト帝(当時)の反応も鈍かった。健康状態万全と言い難かったリヒャルト帝は、朝九時に起床し、報告を受けると、犯人を捕らえ、混乱した軍を復旧するようにと指示したのみだった。

 

 そして、物語のクライマックスはまだ始まってもいなかったのである。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前9時40分──

 

「大佐、こちらです」

 地上車から降りたミッターマイヤーは、目の前にある家のドアに駆け寄った。そこは、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将の実姉であるアンネローゼ・フォン・ミューゼルの自宅であった。ミッターマイヤーは、アンネローゼの安全を確保するようにラインハルトから命令を受けていた。

 

 ドアには一枚の紙が貼られている。防水処理が施された紙は埃で少し汚れていた。

 

「事情によりしばらくの間不在となります。

 お問い合わせは、ヴェストパーレ男爵夫人までどうぞ

                   アンネローゼ・フォン・ミューゼル」

 

 ミッターマイヤーはドアノブを回した。動かない。施錠されているようだ。

 

「内部に生命反応は?エネルギー反応は?」

 

「は!?」

 

「馬鹿者!早くやれ!!」

 ミッターマイヤーの怒声に、兵は慌てて地上車に戻り、探査機を運んできた。起動し、スキャンを行う。

 

「反応、ありません」

 

「扉は開錠できるか」

 

「中を確認したいなら、窓を壊せば入れますが」

 

「扉を開錠できるか、と聞いている。言っておくが、銃で壊すとかそういうのは無しだぞ」

 兵は扉に近づくと、錠を確認した。スマート端末で何やら検索する。

 

「錠は最近のものです。合鍵を手に入れる方が簡単だと思いますが。合鍵無しなら専門の工兵を呼ぶべきでしょう」

 

「では工兵を──」

 

「鍵ならここにありましてよ。大佐殿」

 後ろから聞こえた女性の声に、ミッターマイヤーと兵は振り向いた。地上車のドアが開いて、ドレス姿の貴婦人が降りてきた。

 

「私がヴェストパーレ男爵夫人です。ミューゼルさんの不在の間、この家の管理を任されております。大佐は何か御用でしょうか」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前11時半、戦艦タンホイザー──

 

 キルヒアイスは足早に通信室に入った。通信室は、小ぶりな会議室ほどの広さがあり、部屋の中央には大型の通信専用端末と椅子が配置してあった。通信する本人に必要なのは、相手の顔を見るディスプレイに、声を聞くスピーカー、こちらの映像を相手に伝えるためのカメラとマイク機能だけで、一般的な通信端末よりは随分と大型である。だが、軍用の通信装置だけあって、特殊機能だの秘密保持機能だのが加わった結果、大型の会議机ほどもある通信端末を通して通信することになっている。

 

 ミッターマイヤーの通信は衝撃的なものだった。アンネローゼが不在で、かつ家も空き家となっているとのことである。そしてミッターマイヤー曰く、ヴェストパーレ男爵夫人と名乗るご婦人がラインハルトではなく、キルヒアイスと話をしたいと言っているとのことだった。それもキルヒアイス本人だけで。向こうもミッターマイヤー他、誰も居ない状態で通信するということで、要は秘密会談を要求しているのだった。

 

 秘密会談自体は問題なかったが、すぐに会談というわけにはいかなかった。ヴェストパーレ男爵夫人側の通信機材が確保できないようで、結局、新無憂宮の軍務省にある、破壊を免れた通信機を借用した。

 

 キルヒアイス、正確にはラインハルトの方にも問題があった。今のラインハルトは一個艦隊と機動要塞『ラーズグリーズ』を率いて、敵地ブラウンシュヴァイク星域に踏み込んでいる。リッテンハイムの奇策により、首都に存在する敵艦隊は、大部分が動きを封じられているが、それでもブラウンシュヴァイクおよびフレーゲルが率いる(と、ラインハルトは信じている)艦隊の一部が戦闘を挑もうとしている。これを撃滅し、ブラウンシュヴァイク公を殺害するか、捕縛するか、そのいずれかがラインハルトの任務だった。いかな参謀長とはいえ、そのような任務を放り出して会談するわけにはいかなかったのだ。結局、連絡を受けてから、会談の実現までに一時間以上を要した。

 

「おはようございます。作戦中ですので、何か不足なものがあれば遠慮なくおっしゃってください」

 キルヒアイスは椅子に座りながら言った。頭が十分回っていないのか、陳情を受ける司令官のような挨拶になっている。

 

「ジークフリード・キルヒアイス閣下でございますか」

 スクリーンに映った女性はそう言った。

 

「いかにも。小官はジークフリード・キルヒアイスであります。アムリッツァ軍管区の参謀本部に勤務しております」

 

「私は、マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと申します。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の二級侍従女官、織部処に勤務しております。この度はお忙しいところお時間頂きありがとうございました」

 

「これはこれは男爵夫人、日々のお勤めご苦労様でございます」

 キルヒアイスは当惑しながら答えた。アンネローゼのパトロンとでも言うべきヴェストパーレ男爵夫人は、ラインハルトもキルヒアイスも何度か会ったことがあるし話もしている。むしろ、このようなしらじらしい挨拶を交わしていることが不思議ですらあった。

 

「グリューネワルト伯爵夫人ことアンネローゼ・フォン・ミューゼルの所在について申し上げたきことがございます。よろしいでしょうか」

 

「……どうぞ」

 キルヒアイスはそれだけ言ったが、心の中では不安が湧き上がってくる。第一、アンネローゼ・フォン・ミューゼルという本名ではなく、仕事上の通称であるグリューネワルト伯爵夫人という呼び方を使うこと自体、不安しかなかった。まさか、万一のことがあったのではあるまいな。

 しかし、ヴェストパーレ男爵夫人が述べたのは、キルヒアイスにとって予想もつかない一言であった。

 

「グリューネワルト伯爵夫人は、現在フェザーンに出張しております。ラインフォルトの関連会社が進めております新工業製品、これ以上は社外秘だそうですが、その開発プロジェクトに参画するためでございます」

 

「……ちょっと待ってください。アンネローゼ様は新無憂宮に勤務しているのではないですか。皇帝陛下にお仕えしているはずなのに、何故フェザーンに出かけなければいけないのですか。それもラインフォルトのために」

 

「グリューネワルト伯爵夫人は、新無憂宮に勤務しているわけではありません。私は侍従女官として勤務しておりますが、彼女は、私から業務を委託されている立場でございます。許可は必要ではありますが、新無憂宮以外で業務してはならないということはございません」

 ヴェストパーレ男爵夫人の言葉は淡々としたものだった。恐らくこの日に備えて準備していたのだろう。

 

「ですが、アンネローゼ様からは何も連絡がありませんでした」

 

「お二方を心配させたくなかった、というのと、機密保持契約の影響だと思います。新製品の開発は、情報漏洩に気を遣うそうでございますから」

 

「……事情は分かりました。ですが、1月下旬から旅客航路は規制が強化されているはずです。アムリッツァ軍管区を通る船舶は検問を通っているはずです。アンネローゼ様が居れば気づかぬはずがありません。客船は全て乗客リストを提出します」

 

「彼女がオーディンを出立したのは1月中旬です」

 ヴェストパーレ男爵夫人の言葉にキルヒアイスは息を呑んだ。そんなに前から!

 

「そもそも半年近くの契約期間だそうです。滞在先や必要経費は向こう持ちだそうですから、持っていく荷物も最小限だと聞いております」

 

「……分かりました。一つ、お伺いしてもよろしいですか」

 キルヒアイスの声はもう震えている。

 

「どうぞ」

 

「滞在先や契約したクライアントは分かっているのですか」

 

「分かっております。提供いたしますか?」

 

「お願いします」

 程なくして、データグラムが送信されてきた。キルヒアイスは自らのコミュニケータにそれを転送した。

 

「あと一つ。ヴェストパーレ男爵夫人、アンネローゼ様からは相談がなかったのですか。アンネローゼ様は、これまでオーディンを出たことがなかったはずですし、出ようとも思っていなかったはずです」

 

「相談は受けました」

 ヴェストパーレ男爵夫人の口調には澱みがない。

 

「では何故、止めて下さらなかったのですか。このような難しい時、不要不急の宇宙移動は生命のリスクがあるはずです。せめて、私達に一言相談があればサポートもできましたものを」

 

「その相談ではありません」

 

「では?」

 

「キルヒアイス少将。貴方のことについてです」

 

「……」

 キルヒアイスは何も言わなかった。アンネローゼが自分のことについてどんな相談をしたのか、もちろん想像はつく。だが、それを確かめる勇気はなかった。

 

「ミューゼルさんは、貴方のことを信じられないと。ウルリッヒのことについて事実をどうしても知りたいと」

 ヴェストパーレ男爵夫人は言葉を紡ぎ出し、傍らにあった紅茶を飲んだ。さぁ言ってしまったぞ。これを言ったらもう後には退けないが、アンネローゼのためにも言うしかなかった。

 

 

 

 三年前、ヴェストパーレ男爵夫人はアンネローゼに一つ提案を持ちかけた。アンネローゼは年齢が二十代半ばになっていたが浮いた話のひとつもない。だが、そろそろ人並みの幸福を得るべきだ、そう言ったのである。

 

 当初、アンネローゼの反応は否定的だった。十代半ば、セバスチャン・フォン・ミューゼルが作ってしまった借金に立ち向かわざるを得なかったのはアンネローゼだった。借金取りの中には当然ながら性根の悪い人間が多数居た。借金の肩代わりを申し出た人間は一人や二人ではなかった。当然ながら代償はアンネローゼ本人である。

 

 このような状況は、ラインハルトが幼年学校に入学したことで大分改善されたが、それでも諦めない人間は何人か居た。アンネローゼの性的魅力が災いしたと言えるだろうか。警察に相談したことすらある。

 

 そういうこともあって、アンネローゼは交際というものに尻込みしていたのは確かである。だが、ヴェストパーレ男爵夫人は本人の気持ちを無視してお節介を焼いた。多分、このままいったら結婚相手は現れないと、男爵夫人はそう考えたのであった。

 

 ヴェストパーレ男爵夫人が紹介したのは三十代後半の憲兵少佐だった。名前をウルリッヒというその男は、新無憂宮の警備隊、その小隊長をやっていた人物だった。アンネローゼと年が離れているのがネックではあったが、人柄は誠実だったし、いい噂も悪い噂も聞かない。外見もそれほど悪くないし、声色が魅力的という評判だった。男やもめという噂だったが、実際のところは分からなかった。

 

 ヴェストパーレ男爵夫人は、周囲の女官衆も味方につけると、やや強引にアンネローゼと引き合わせた。まぁいろいろあった末に、二人は交際を始めた。周囲からするとスローモー過ぎてやきもきする所もあったが、交際自体は順調に進んでいた。しばらくしたら結婚の話も出るだろう。そういう噂だった。

 

 そして交際は、唐突に破綻した。

 

 ウルリッヒに出張の命令が来たのである。北軍で定期的に行われる軍の内部監査、そのメンバーに選ばれたのであった。不正を防ぐために、監査員や警備員は(基本的に)無作為に抽出されるので、おかしいわけではなかった。だが、全く想定外の命令であった。

 

 とにもかくにも、ウルリッヒはアンネローゼにしばしの別れを告げ、オーディンを発っていった。

 

 そして、還ることはなかった。出張先のアルメントフベール星域で、搭乗していた駆逐艦が南軍の奇襲に遭い、撃沈されたのであった。生存者は居なかった。

 

 この報に、アンネローゼはもちろん、ヴェストパーレ男爵夫人やお節介夫人達もショックを受けた。ヴェストパーレ男爵夫人からの一報を受けたキルヒアイスは何度もアンネローゼに通信し、彼女の動揺を抑えようとつとめた。

 

「最初は気づいていなかった。でも、彼女の中で疑問はどんどん膨らんでいった。閣下、貴方は何度も通信で彼女を慰め、励ました。そのことに彼女は感謝していました。ですが、ウルリッヒのことについて、貴方は調査を行い、立て板のごとく調査結果が出たことに疑問を持っていました。アルメントフベール星域は南軍と境を接する最前線、それはいい。だけど、そうであるが故に調査は難航するはずだった。彼女もそれを覚悟していた。だが、そうはならなかった」

 

「……」

 

「思えば閣下、貴方が調査を担当したのが悪かったのかもしれない。もう既に、閣下はアムリッツァ軍管区の要職に就いていらっしゃった。適任と言えば適任です。ですが、あまりに適任に過ぎました。そこにミューゼルさんは却って疑問を持ってしまったのかもしれない。あと、これは私の胸の中に秘めておこうと思ったのですが」

 

「三年前、アムリッツァ軍管区の憲兵特別隊と名乗る人間が、ミューゼルさんの自宅周辺を徘徊していたこと、ウルリッヒの転属と共に全く見られなくなったこと。ミューゼルさんは知らなかったようなので、全部話しました」

 キルヒアイスはそれに関して何も言わなかったが、キルヒアイスがどう思っているか、それは表情を見るだけで分かった。明らかに青ざめている。やっぱり、お前がやっていたのか。となれば、ウルリッヒの戦死にも繋がっていると考えるべきだ。

 

「ミューゼルさんと閣下、お二方の間に何があるかは分かりません。知りたいとも思いません。ですが、閣下は、自分が知っていることの全てを、ミューゼルさん、いいえ、アンネローゼさんにお話しすべきです。そして、自分の率直な思いを伝えるべきであると愚考します。もちろん、直接対面して、です。何故、アンネローゼさんがフェザーンに行こうと思ったのか、私には分かりませんでしたが、今になってはっきり分かりました。彼女は、閣下の本当のことを知りたいのです。そうでないと、けじめがつけられない。だから、敢えてフェザーンに行ったのです」

 ヴェストパーレ男爵夫人は心の中だけでため息をついた。一体自分は何をしているのだろう。中学生相手の恋愛相談だってもっとまともなことを言うだろう。でも相手は少将閣下で、事の転び方によっては人類の最高指導者(の一人)になりかねない男である。

 

「お話はそれだけですか」

 一分ほどの沈黙の後、キルヒアイスは言った。

 

「私から申し上げることは、これ以上ありません」

 

「分かりました。では、業務がありますので失礼します」

 キルヒアイスはスクリーンの向こうの相手に最敬礼した。

 

「いえ、お時間頂きありがとうございました。こちらこそ失礼します」

 ヴェストパーレ男爵夫人も深々とお辞儀をして、通信を切断した。

 

 

 

 通信が終了してから二分後、キルヒアイスは通信室を出て、ラインハルトの待つ司令部控室に足早に歩いて行った。いつもの通り、その表情からは、通信がどのような内容だったか、窺い知ることはできなかった。

 

 ただ、一時間後、別な業務で超光速通信(FTL)を使用しようとしたとある士官は、表示用スクリーンに大きめのひびが入っていることを発見した。

 

 

 

「フェザーンだと!」

 報告を受けたラインハルトは驚愕した。キルヒアイスは、ヴェストパーレ男爵夫人の話した内容をかいつまんで報告した。もちろんアンネローゼの過去の話は抜いてある。

 

「ラインフォルトはどちらの味方なのだ」

 

「どちらというのは?」

 

「我々か、それとも敵か、だ!」

 ラインハルトはいらいらして控室を歩き回る。

 

「ともかく、フェザーンの弁務官事務所に連絡して、保護しましょう。こちらから警備員を送り込んでもいいです」

 

「失敗したらどうなるのだ」

 

「失敗などあり得ません」

 キルヒアイスは言い切った。もちろん、何の根拠もなかったが。

 

「だが、警備は送ろう。少しなら艦艇を送ってもいい。すぐにブラウンシュヴァイク星域の航路局に連絡して最優先の航路を確保するように言ってくれ」

 

「分かりました」

 キルヒアイスは司令官控室を出ていった。そして三十分後、顔面蒼白になって控室に飛び込んできた。

 

 

 

「リッテンハイムが!?」

 ラインハルトの声は既に悲鳴になっていた。

 

「はい。航路局が口を滑らせたので分かったのですが、南軍の第三艦隊から、三千の艦艇をフェザーンに向かわせているとの由。先陣は既にワープインした模様」

 

「リッテンハイムは何を考えている。確かに勝敗は最初から決したようなものだが、戦闘はまだ終わっていないのだぞ。ここ(ブラウンシュヴァイク星域)でのブラウンシュヴァイク一党の撃破掃討は全面的に協力する、そう言っていたではないか!」

 

「リッテンハイム侯に問い合わせますか」

 キルヒアイスは聞いた。

 

「……いいやだめだ。表面的にあしらわれるだけだろう。まだ休戦すら成っていないのだ」

 ラインハルトの言葉は事実だった。南北の政治的首脳部は今や除去され、戦争は大部分において無くなった。だが、それは正式なものではない。仮にでも首脳部を立ち上げ、休戦、講和、統合という道筋をたどる必要がある。もちろん、その計画は『ラグナロク』に記載されているが、ともかく今は南北双方が交戦中であり、敵軍の肚を探っても意味はない。

 

「目的は聞いたか」

 

「逃亡したブラウンシュヴァイク一党を、先回りして捕縛するとのことです。同盟に亡命するのを防止すると」

 

「馬鹿な!」

 ラインハルトは拳を机に打ち付けた。随分と危ない八つ当たりで、もしかしたら拳が痛んだかもしれない。だが、ラインハルトもキルヒアイスもそんなことを気にはしていない。

 

「連中の目的は姉上だ。姉上さえ押さえれば、我々を自由にコントロールできる。そうに違いない」

 

「同意します」

 キルヒアイスは頷いた。

 

「何としても止めなければなりません」

 

「だがどうする。我が艦隊は既に戦闘態勢に入っている。艦艇を引き抜くのは困難だ」

 事実だった。ブラウンシュヴァイクおよびフレーゲルの艦隊は、大部分が戦闘を停止しているものの、抵抗を諦めない、あるいは逃亡しようとしている艦艇はそれなりにいる。ラインハルトとリッテンハイムの艦隊がそれを撃滅することになっていたが、主担当はラインハルトである。ここでまとまった数の艦艇を引き抜いてしまうと、再編成等に手間取ることになる。それがどう作用してくるか分かったものではない。

 

「総攻撃用の予備800隻、あれを使いましょう」

 

「800隻?」

 キルヒアイスの言葉に、ラインハルトは訝った。確かに総攻撃に備えて配置している予備隊なら、引き抜いても大勢に影響はないだろう。だが、リッテンハイムが引き抜いた三千隻と比べて少なすぎる。

 

「この800隻は私が率います。必ずアンネローゼ様をお助けいたします」

 キルヒアイスのいつにない自信っぷりにラインハルトは不安を感じた。キルヒアイスの艦隊指揮能力は十人並みというのがいいところだ。だからこそキルヒアイスに艦隊を任せたことはない。せいぜい500隻程度の分遣隊を任せる程度である。

 

「どうやって」

 

「お任せください。フェザーンであれば、手はあります」

 キルヒアイスの答えに、ラインハルトは考え込んだ。キルヒアイスの「手」というのは恐らく、自由惑星同盟の力を利用するのだろうとは想像できた。だが、ここで同盟を大々的に戦闘に巻き込んだら、『ラグナロク』の最終段階である『超越(トランスツェンデンツ)』は実行可能ではなくなる。同盟領に対する電撃侵攻はできなくなるのだ。

 

 もともと、そのような作戦にラインハルトは消極的だったが、キルヒアイスは大いに乗り気で、同じく乗り気だったシルヴァーベルヒと組む形で、物資等の集積は進めていた。そこらへんの全体計画と整合性は取れているのか、ラインハルトは気になった。

 

 だが、聞くことはできなかった。それに、アンネローゼを救い出すのはラインハルトにとって最優先事項である。それこそ帝国の命運よりも。

 

「分かった。お前に任せる。艦艇の差配は、オーベルシュタインと相談してやってくれ」

 ラインハルトの言葉に、キルヒアイスは了解いたしましたと答えた。あと一つ、彼を連れて行ってもいいでしょうか。

 

「あの男を?」

 ラインハルトは聞いた。あれは、後々使える男だ。こんな所で使い潰しては勿体ないだろうに。

 

「確実を期します。彼が居れば百人力です」

 キルヒアイスの言葉に、ラインハルトはうなずいた。分かった。やれ。

 

 

 

 予備隊の派遣については、とんとん拍子に進んだ。キルヒアイスとオーベルシュタインの事務処理能力は高かったし、キルヒアイスの、いや、ラインハルトの威信というのもある。この艦隊ではラインハルトが右といえば右に向く、そういう気風なのである。

 

 準備が揃うまで二時間しかかからなかった。さて、戦艦タンホイザーから、800隻艦隊の旗艦であるチューリンゲンに移乗しようと、シャトル乗り場に向かうキルヒアイスを、意外な人物が呼び止めた。

 

「少将閣下」

 

「オーベルシュタイン准将、どうしました」

 キルヒアイスはにこやかな笑みを作ってこたえた。先程の焦りに満ちた感情は、毛ほども感じられない。

 

「ご武運をお祈りしております」

 オーベルシュタインは敬礼した。

 

「ありがとう、副参謀長」

 キルヒアイスも型通りに答礼した。

 

「それだけですか」

 

「いえ、参謀長殿がご出発の前に、どうしても申し上げたいことがございます」

 キルヒアイスは意外そうな顔をした。オーベルシュタインが前置きをすることは、ほとんどなかったからだ。

 

「どうぞ」

 

「閣下がどう思っているかは別として、小官は『超越』に反対です。不確定要素が多すぎます」

 

「ですが、条件が揃えば、『超越』作戦は実行されるでしょう。その条件は揃いつつある」

 

「とりあえずの戦争は終わるかもしれません。ですが、新たなる戦争が始まるだけでしょう」

 

「そうはならないかもしれません。私は『超越』を信じています。オーベルシュタイン准将」

 

「はっ」

 

「貴方は副参謀長であり、私のスタッフです。それは同意していただけると思うのだが」

 オーベルシュタインは黙ってうなずいた。

 

「ならば、最終的な決定権はミューゼル閣下および自分にあります。もちろん責任もです」

 オーベルシュタインは二度うなずいた。キルヒアイスが当然のようにラインハルトを自分と一体視するのは、外野からすると奇怪極まりないが、二人がそれを問題視したことはない。もちろん、オーベルシュタインもそれを受け入れている。

 

「了解いたしました。それでは、ご武運を」

 オーベルシュタインは再度敬礼した。

 

「ご武運、ありがとう。そしてあなたも」

 キルヒアイスは答礼し、去って行った。

 

 結果的に、二人が顔を合わせるのは、これが最後になってしまうのだが、もちろん二人ともそれを予想していなかった。いや、オーベルシュタインの方は何かうすら寒い予感があったかもしれない。

 

 

 

 




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第二十二話 ラグナロク(4)
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