銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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第二十二話 ラグナロク(4)

 人類史上、帝国暦490年2月26日が最も重要な一日であることは論を待たないであろう。この日、帝国北朝では宰相リヒテンラーデ侯、軍務尚書クラーゼン元帥、宇宙艦隊司令長官ゼークト大将が一挙に落命、また、南朝では若手将校によるクーデター未遂事件があり、同日には南朝皇帝の遺書が公開された。遺書の内容は、後継者を北朝皇帝リヒャルト四世とするものであり、これにより南朝を長らく牛耳ってきたブラウンシュヴァイク一族の政権が崩壊した。南軍の首脳部は、新皇帝予定者、つまりリヒャルト四世に忠誠を誓うことを表明し、ブラウンシュヴァイク公と距離を置いていた官庁もこれに続いた。

 

 だが、二つに別れた帝国が一つに統合するまでには紆余曲折があった。二つの帝国で同時に政治的中枢が消滅したことは、新政権へのロードマップが消滅したことも意味していた。リヒテンラーデ侯はもちろん、ブラウンシュヴァイク公にも帝国統合の青写真があったことは、近親者のインタビューから判明している。公的な権力を有している人物により、二つの帝国を『結婚』させることは、統合の近道であっただろう。しかし、そのような人物が一挙に消滅した今、帝国を一つにする前に、まずは北、あるいは南で統合を前提とした新政権が確立することが必要となった。

 

 この新政権レースの先頭を走っていたのは、南朝で主導的立場に立っていたリッテンハイム侯ウィルヘルム三世であった。南朝皇帝リヒャルトより国璽を託されたと主張したリッテンハイム侯は、国璽の返納によるリヒャルト四世による帝国の統合を主張し、その上で、二つの帝国の有力者による寡頭制政権の樹立を主張した。

 

 表面的にはもっともらしく見える主張である。だが、現実を無視した空論であった。北朝には、突然差し出された南朝の領土を統治する能力はなく、その準備もなかった。確かに、北軍は南朝打倒の軍事作戦を企図していたが、打倒後も南朝の領土を直接統治する意図はなく、降伏した地方政府や貴族に統治を委任する計画であった。一足飛びに「一つの帝国」を実現させようとするリッテンハイム侯の提言は、各所から抵抗に遭ったのである。

 

 また、外部勢力──フェザーン自治領、自由惑星同盟の妨害工作もあった。彼等は直接的な軍事介入こそなかったものの、南北に所有していた秘密工作戦力を用いて、帝国の混乱状態を維持することに尽力した。

 

 このような状況で台頭したのは、アムリッツァ軍管区の司令官であり、南朝侵攻の先頭に立ったラインハルト・フォン・ミューゼル大将であった。彼は停戦(事実上の降伏であるが)した南軍の武装解除を優先し、同時に帝国内の流通網を開放することによって、物資不足による混乱の発生を防止した。これには、ミューゼル大将を支持したラインフォルト等の財閥の協力もあってのことである。帝国暦490年代前半、帝国の統合および、統一した帝国を主導するマリーンドルフ、ミューゼル、ラインフォルトの三頭政治体制、頭文字を取って「MMR体制」と呼ばれる政治体制のプロトタイプは、既にこの時に存在していたのである。

 

カール・レーフラー『フェザーンの政治的精神──帝国ナショナリズムと統一への対峙』より

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月13日、惑星フェザーン、アッシニボイヤ渓谷──

 

 時刻は5時45分、朝日が昇るまでにはあと数分の猶予がある。周囲はまだ暗く、地平線の端がぼうっと白み始めている頃合いであった。

 

 一人の女性がビルの屋上、そこに置いてあるベンチに座っていた。6時前ということは最低気温を記録する時間帯であり、いかな三月中旬とはいえ冬の寒さと変わらない。さらに、山風も吹きつけるとなれば、凍えるという表現が適切であった。実際、座っている女性も、白い外套の上にケープを二重に巻いていた。

 

 屋上に続くドアが開いて、一人の男が出てきた。男は女性の姿を認めると、ゆっくりとベンチに近づき、ベンチの空いている所に腰を下ろした。女性の方も別に気にする風はない。

 

「早朝、いつもここにいらっしゃるそうで」

 男が口を開いた。

 

「はい」

 女性は短く答えた。

 

「グリーンヒル中尉に先に聞いておくべきでした。館内くまなく探し回りました」

 

「それは……すみません」

 

「いえ、グリューネワルト伯爵夫人は大事なお客人なので、謝ることはありません」

 

 二人が居るのは、アッシニボイヤ渓谷その平地部分にぽつんぽつんと建っている建物群のうちの一つ、三階建てのビルの屋上に居る。そもそも居住地でも景勝地でもないここには、まともな建物はほとんどないので、屋上から見渡すのは山と緑と空、そしてわずかに建物の屋上、ということになる。普通の人間なら三日もすれば飽きると思うのだが、グリューネワルト伯爵夫人ことアンネローゼ・フォン・ミューゼルは、暇さえあれば毎日ここで外を眺めているそうなのである。

 

「飽きないんですか」

 

「少佐は飽きるのですか」

 

「分かりません。飽きるほど空を眺めるぐらい、暇が欲しいですね」

 ヤンはため息をつきながら言った。

 

「お気を悪くされたかしら」

 アンネローゼが申し訳なさそうに言った。

 

「いえ、全然」

 

「私も、弟も都会で生まれて、都会で育ちました。何もない場所といえば、空き地ぐらいのもの。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の中に住むようになってから、この世にはこんな広い場所があるんだと思いました。でも、まだまだ世の中は広かったようです。新無憂宮がちっぽけに思えるような眺めなんて初めてです」

 

「そうなんですか。私は……育ちが宇宙船の中なもので。無限の宇宙を見ながら育ちました。だから、時折見る建物がすごく珍しくて仕方なかった。子供のころですけどね。どうやら、正反対のようですね」

 

「どうも、正反対の場所で育ったようですね」

 

「そうですね」

 地平線の端がぼうっと光り出した。どうやら日の出の時間らしい。

 

「ヤン少佐は」

 アンネローゼが切り出した。

 

「怖くないのですか。もうすぐここは戦場になるそうですが」

 

「怖い。そうですね。死ぬのは怖いです。そう思っているんですが、死んだことがないので分かりません。怖いといえば、士官学校時代の教官のほうがずっと怖かったです」

 

「弟やジークと同じことを言うのですね」

 

「そうなんですか」

 

「昔、そんなことをよく話してくれました。昔のことです」

 

「……ミューゼルさんはどうなんですか。怖くないのですか」

 

「私は何も。恐らくジークは私を無傷で助けようと思っているでしょう」

 

「でしょうね」

 ヤンはうなずいた。

 

「同盟の人は、ずいぶんと変わっているのですね」

 アンネローゼがつぶやいた。

 

「どこが、でしょうか」

 

「私は、私自身の事情を皆様に話しておくべきでした。ジークのことを話すか迷って、結局話さなかったのです。最初に全部話さなかったのはアンフェアだったかもしれません。でも、誰もそれについて恨み言を言わなかった」

 

「うーん。あまりに予想外のことなので、却って何も言えなかったのかもしれません。少なくとも私はそうでした。でもですね、そもそもミューゼルさんを利用しようと思ったのは我々の方なのですよ。それにミューゼルさんはすごく協力的だった。だから、何も言えなかったのではないでしょうか」

 

 

 

 南朝皇帝の死に伴い大きく激変すると思われる帝国情勢について、自由惑星同盟はどのような手段を取るべきか。さらに言うと、助力を求めてきたアリッサ・ラインフォルト嬢にどのように応えるべきか。それについては、特務支援課内でいろいろな手段が考案された。

 

 だが、これといった名案は浮かばなかった。アリッサ嬢を死の危険から救い出すということは、フェザーン自治領を今しばらく生き永らえさせるということである。それも、今までと同様に自主独立の形で、である。

 

 そのためにはフェザーン回廊に勢力均衡の状態を作らなければならない。そのためには、自由惑星同盟もそうではあるが、フェザーン自身が危機感を持って、この情勢に立ち向かわなければいけないのである。

 

 だが、フェザーン自治領行政府には、その危機感が薄かった。そもそも、フェザーン自治領は形式上帝国の領土であり、今存在する自治権は帝国の都合でどうとでもなるもの、そのはずだ。今までそうならなかったのは、帝国自身が二つに分かれていたからである。だが、そういう前提は行政府やフェザーン市民に浸透していなかった。今までもそうだったから、今後もそうだろうという、根拠のない雰囲気が横溢していたのである。

 

 結局、ヤンとしては、いや、特務支援課としては耳をすませる、あるいはそのための準備をすることしかできなかった。唯一の例外はラインハルトの実姉であるアンネローゼ・フォン・ミューゼルをフェザーンに「招聘する」ことぐらいであった。

 

 これについても実現までにはいろいろな紆余曲折があった。敵陣営の有力者、その親族を人質に取って(何と修飾しようと結局これにつきる)交渉しようというのは、確実にその有力者を怒らせることになるからである。正当性がある(と本人が思っている)怒りは、残虐な手段の行使を容易にしてしまう。そもそも、帝国という国家では移動の自由が限定されているし、誰にも怪しまれずにフェザーンに旅行できる人間はひどく限られていた。アンネローゼを呼び寄せるというアイディアを最初に出したのは、アルベリッヒ工業デザイン研究所のオフィスで、日がなファッション雑誌を読んで時間を潰していたカリンだったのだ。ヤンはじめ同盟の誰も、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将の姉がそのような職業に就いていることを知らなかったのだ。

 

 ヤンは最初、このアイディアに否定的だった。だが、結局アリッサやカリンに押し切られる形でこの作戦にゴーサインを出した。もっとも、アリッサ達の方にも確たる見通しがあるわけではなかった。単に「自分達も何かしたい」という、いかにも人間らしい精神の発露と言うべきだったろう。

 

 状況が変化したのは、やはり2月26日だった。北朝の大規模テロ、南朝のクーデター騒ぎが起きたその日、それまでアリッサの下でどうということはない仕事をしていたアンネローゼは、アリッサにコミュニケータを示した。発信IDはジークフリード・キルヒアイスであった。通話はしていなかった。

 

 アリッサは驚愕した。アンネローゼが常日頃持っていたコミュニケータは、オーディンの自宅に電源を切って置いてあったし、今、アンネローゼが持っているものは、彼女がフェザーンに来てから買い与えたものだったからだ。そしてアンネローゼは話し出したのだった。彼女がフェザーンに来た本当の目的、そしてジークフリード・キルヒアイスの本心について。

 

 アルベリッヒ工業デザイン研究所は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。慌てて特務支援課を呼び出そうとしたが、その前にヤン、フレデリカ、ムライが血相を変えて飛び込んできた。(旧)南軍がまとまった数の艦隊をフェザーンに差し向けている、という情報をキャッチしたというのである。

 

 これらの情報を総合した結論は一つだった。南軍(後で判明するが、リッテンハイム侯の艦隊から分派した分遣隊だった)の意図は一つ、アリッサ・ラインフォルトそしてアンネローゼ・フォン・ミューゼルの身柄を確保することである。後者については明確にはなっていなかったが、その存在が知られれば確実にそうなるであろう、と想定された。北軍は情報が入らなかったが、南軍阻止のための行動を起こす可能性はあった。

 

 アリッサは即時に決断した。

 

 プライベート航空機をチャーターすると、フェザーン行政府から一万数千キロ離れた景勝地まで移動した。その後、そこから地上車を運転することさらに三百キロ、フェザーン行政府から見て惑星の反対側、まさに「地の果て」と呼べる場所にシャロン、カリン、アンネローゼの三人を誘ったのだった。そこには、かつてラインフォルトが建設途中で放棄した、傭兵の訓練センターがあったのだ。

 

 アリッサの判断は正しかった。その日の夜、アルベリッヒ工業デザイン研究所が何者かによって襲撃された。マンションは厳重に警備されていたはずだったが、全く阻止できなかった。研究所内は端末等は持ち去られており、机や書棚は荒らされていたが、金品には全く手がつけられていなかった。

 

 来るべきものがついに来たのだ。

 

 

 

「ミューゼルさんは大事なお客人です。私はそう思ってます。ですが、帝国から見ると、悪辣な共和主義者に拉致されたお姫様かもしれません。我々はさしずめ、悪の城、その最深部で待ち受ける大魔王(ルシファー)というところでしょうか」

 

「ずいぶんと酷いおっしゃりようですね」

 

「何と言われようと事実は変わりませんからね。でも、姫を助けようとする正義の騎士が来るならば、こちらとしては抵抗あるのみです。抵抗し、抵抗し、さらに抵抗して、騎士様には疲れてもらいます」

 

「疲れる?」

 

「倒したら、ミューゼルさんが悲しむでしょう」

 

「そう……かもしれません」

 アンネローゼがうつむいた。

 

「騎士が疲れてくれれば、交渉もできる。そうすれば、我等や彼らの考えていることが周囲に広まる。それが我々の狙いです」

 

「少佐、お取込み中すいませんが」

 いきなり後ろから声が聞こえて、ヤンとアンネローゼがびくっと背中を震わせた。

 

「アンネローゼさんを探しに行くと言って、一体いつまで待たせるのですか」

 フレデリカの詰問に、ヤンは頭をかいた。

 

「あ、いや。いや、あれを見てみなよ。何とも感動的な雰囲気じゃないか」

 ヤンは地平線の方を指差した。丁度日の出が終わったころだった。

 

「名勝絶景も三日で飽きます。ともかく、早くアンネローゼさん。訓練センターの隔離区画にお越しください。あと、少佐はオペレーションルームへ」

 

「そろそろか」

 

「帝国の通信をキャッチしました。第7艦隊に即時撤退を通告しています。衝突も間もなくでしょう。時間がありません」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月13日 7時15分、惑星フェザーン近辺──

 

「諸君!我々はここを守り通す!

 我々は自由のために戦う!

 今日死ぬのは我々ではない。敵だ!

 今日という日を覚えておけ。我々の名が歴史に刻まれる日だ!」

 

 スピーカーからは司令官、ホーウッド少将の演説が聞こえてくる。本人は煽っているつもりなのだろうが、周囲の反応はそれにノリきれていないというところか。ついていけない、というわけではない。艦橋に居る兵達の感情を推し量るとするならば、何故こうなってしまったのだろう、わけがわからない。そういうところだろうか。

 

 司令官ホーウッド少将とそのスタッフが座乗している旗艦、戦艦シザーリオは、艦隊に配属されてわずか一か月という新ピカの新型戦艦だった。待ちに待った新型艦ということで、喜び勇んでそれまでの旗艦ククルカンから乗り換え、さぁこれから完熟訓練、という所に命令が届いたのであった。命令が届いたのは一週間前、完熟訓練も兼ねてフェザーン回廊での演習を行えというものであった。

 

 艦隊将兵のほとんどに、疑問と不安が生まれた。二つの帝国で起きた混乱はもちろん知っている。南軍の残党がフェザーンに艦隊を派遣しているらしいという噂も広まっていた。ポレヴィト星域に駐留している第7艦隊は、フェザーン回廊と隣接しているから、フェザーン回廊で演習を行った実績がないわけではない。だが、最後に演習をやったのは五年も前の話だ。何故今になってこんなことをするのだろうか。それに加えて

 

 フェザーンに向かってくるらしい帝国艦隊と衝突したらどうなるんだ──

 

 第七艦隊は未充足状態であるため、艦隊の戦力としては1500隻ほどしかない。帝国側がまともな戦力をぶつけてきたら、まぁ勝てないわけである。それに、艦隊の中には実に嫌な噂が流れていた。ルンビーニ星域に駐留している第6艦隊も出撃準備を進めていて、一朝有事の際は合流するらしいのである。

 

 朗報と言えば朗報であるが、裏を返すと、もし戦闘になったならば、第7艦隊は勝てないから逃げます、とは言えなくなっているのである。

 

 そして、不安が現実になったのは二日前のことであった。帝国軍艦隊、およそ3000隻がフェザーン回廊にワープアウトし、惑星フェザーンに潜伏しているブラウンシュヴァイク公の逮捕引き渡しを要求してきたのだった。拒否するなら、帝国が代わりに強制捜査を行うということであった。

 

 これに対し、第7艦隊の対応は明確だった。惑星フェザーンの全面に布陣し、帝国艦隊のフェザーン占領を阻止するということであった。

 

 まぁ、原則的にはまっとうな判断である。帝国軍の要求を受け入れたら、フェザーン自治領は自治領ではなくなってしまうだろう。そもそも惑星フェザーンの軌道上は非武装地帯であることが、帝国・同盟・フェザーンの三者で結んだ協定で決められている。逃亡中とされるブラウンシュヴァイク公がフェザーンに潜伏している証拠もなく、軍隊を踏み込ませるなど暴虐、普通に考えればそうだ。

 

 だが、帝国と同盟の間に戦火がなくなってから五十年、いつかは戦火が復活するとは思ってはいたが、明らかに同盟はそのような準備ができていない。第7艦隊の状態を見ればそれは明らかだ。それでもやるのだろうか。ホーウッドが将兵の戦意を煽るような演説をしているのは、そういう将兵の内なる不安を感じていたからだったかもしれない。

 

 第一、戦艦シザーリオは昨年から配備の始まったトリグラフ型戦艦の先行試作型である。艦を操作するオペレーターの誰もが、大なり小なりしっくり来なさを感じている。おまけに艦の中には、本来の仕様にはなかった機器が取りつけてあったり、軍服を着ていない作業者が同乗していたりする。上の説明によると、新型艦のデータ取りをしているようだが、テストをしながら戦えというのはあんまりじゃないか、誰しもそう思うのであった。トリグラフ級戦艦は、第7艦隊に十二隻しか配備されていないのだ。

 

 もちろん、退役寸前の老朽艦を宛がわれるよりは、はるかにはるかにマシなわけだけれども。

 

「帝国艦隊より通信」

 オペレータが報告した。

 

「読み上げろ」

 ホーウッドは短く返した。

 

「貴艦隊に勝利の目はない。速やかに降伏されたし。降伏ができないのであれば逃げよ。当方は追撃しない」

 

「戦いたくないのか、なめているのか」

 ホーウッドは毒づいた。側にいる副官のヴァーリモント大尉とすれば、何故ここまでホーウッドが戦いたがるのかが分からなかった。二日前に帝国艦隊がワープアウトしてからというものの、同盟は惑星フェザーンの前面に立ちはだかるように布陣し、帝国は惑星フェザーンに接近しながら、どけ、いやどかない、という問答をずっと繰り返してきた。

 

 考えてみれば、フェザーンのために同盟が帝国と戦う、というのも法的根拠が怪しい話である。まぁ、気持ちは分かる。気持ちは分かるがフェザーンは帝国の自治領、というのが建前であるし、帝国は強制捜査を行うとは言っているがフェザーンの自治権を剥奪するとは言っていない(ここはかなり怪しい論理ではある)。非武装地帯に帝国が踏み込むことについて、同盟が実力をもって排除していいという法的な根拠はないだろう。事実、ホーウッドは帝国から撃ってくるまでこちらからは攻撃してはならないとまで厳命していた。無茶を通り越してる、という声が多かった。

 

 副官であるヴァーリモントは知っていた。ポレヴィト星域から進出する前、ホーウッドは誰も中に入れるなと厳命した上で、FTL通信室に籠りきりになって通信していたこと。フェザーンに進出した後も、通信室に入っては出てを繰り返していたこと。作戦に関して、スタッフに意図を周知させることを重視していたホーウッドが、今回に関しては秘密主義を貫いていることである。つまりは、上層部から相当はっきりと、無茶な命令が下っているということになる。

 

 上から厳命されたのだったらそう言えばいいのに。ヴァーリモントはそう思っていた。ホーウッドに対してカマをかけることすらした。だが、ホーウッドは反応しなかった。

 

 第7艦隊は、惑星フェザーンを背にする形で球面状に陣を敷いた。艦列をなるべく薄くして、それでいて数の多い敵艦隊に回り込まれないようにしたのである。惑星フェザーンを制圧させないためには、それしかなかった。敵に先手を取らせるという方針であれば尚更である。

 

「敵、接近を続けます」

 オペレータの報告に、ホーウッドは黙ってうなずいた。

 

「主砲射程まで、後どのくらいだ」

 

「このまま接近すれば三十分ほどです。敵は隊形を変更していますから、もっと延びるかもしれません」

 ホーウッドは再びうなずいた。敵の艦列は移動隊形から戦闘隊形に移行している。向こうもやる気なのだ。まぁ、向こうの方が数も多いし。

 

 敵はこちらの球面陣をさらに外から包囲するように布陣している。まずいな。包囲が完成してしまったらこちらとしては逃げ場がなくなる。本当はこんな所で戦いたくはなかった。フェザーンが『首飾り』を起動していればこんなことにはならなかったのに。だが、フェザーンを帝国から引き剥がすための深謀遠慮、その一つとあらば……本当にそうなるか分からないが、そういう計画だと思って信じるしかないのだ。でも、何とかならないものか。こちらから撃てればまだやりようがあるものの。やってみるか。

 

「おい、さっきの帝国からの通信、まだ返答していないだろうな」

 

「していませんが」

 オペレータが答えた。

 

NUTS!(バカめ)と返答しろ」

 

NUTS!(バカめ)、でありますか」

 オペレータが信じられない、という表情で聞き返した。

 

「そうだ」

 ホーウッドはそう答えて何も言わなかった。見え見えの挑発だが、敵の方が優勢なのだから、少々雑な攻撃でも押し切れる、そう思ってくれるかもしれない。しばらくしてオペレータが通信機を操作しだした。さっきのやり取りは艦橋に聞こえているから、こちらが何と応答したのかは大体みんな知っている。艦橋のざわつきが少しおさまった。皆、緊張のレベルをさらに上げたのだろう。

 

 

 

「叛乱軍から返答が来ました」

 

 帝国艦隊の旗艦、ハイデンハイムでは司令官のエルラッハ少将が貧乏ゆすりをずっと続けている。通信手はじめオペレータはなるべく彼の方を見ないようにしようと努めていたが、さすがに業務を放棄するわけにはいかない。

 

「読み上げろ」

 

「それが……」

 

「どうした」

 

「NUTS、だけであります」

 

「……どういう意味だ」

 通信手は一瞬黙ったが、その後報告した。NUTSというのは、同盟公用語の俗な表現でありまして、地獄へ落ちろ、という意味だそうであります。辞書AIからの回答であります。

 

「連中め!」

 通信手の想像通りにエルラッハは爆発した。艦橋にいる誰かに八つ当たりしなかっただけまだマシかもしれない。

 

「参謀長」

 

「何でしょうか」

 司令官席の横に立っている参謀長が訊いた。

 

「叛乱軍との交戦距離に入ったら、攻撃開始だ」

 

「ですが、まだ敵を包囲しきっておりませんが」

 そもそも、敵が進路を妨害し、このままだと交戦止む無しなので、逃げられないように包囲殲滅するはずだった。それなのに、今から攻撃を始めては、それができなくなる。攻撃しつつ包囲するというのは相当困難な作業なのだ。

 

「鶏を割くに牛刀を用いんや、だ。そもそも我が軍は叛徒の倍、戦力があるのだぞ。いちいちお行儀よく包囲して攻撃してみろ、戻った時に何と言われることか」

 参謀長にはエルラッハの言うことが大体分かっていた。というか、そもそも叛乱軍が抵抗をすること自体、想定に入っていなかった。フェザーン回廊で叛徒が演習をやっている、という情報は入っていたが、弁務官事務所(旧南朝)からの抗議ですぐに撤退するだろう、そう見られていた。叛乱軍はやる気がないのだ、戦ったことのない叛乱軍は、戦闘経験豊富な我が軍が鎧袖一触であろう、そういう雰囲気に満ちていた。

 

 第一、エルラッハの艦隊は、惑星フェザーンを制圧してからが本番のはずだった。惑星フェザーンに潜伏するブラウンシュヴァイク公一党の残党狩り、という名目でフェザーンの官庁、企業あらゆる所にリッテンハイム派のシンパを送り込む。抵抗すればそれはブラウンシュヴァイクに味方するというわけだから、制裁を加える。相手は賊軍なのであるから、法的根拠が多少怪しくても問題はない。フェザーン自治領は事実上我々のものになる。後、いろいろ細々とした命令が来ているが、これも問題なくこなせるだろう。

 

 権力さえ握ってしまえば、金も自動的に吸い上げることができる。当然ながらそれはリッテンハイム侯に献上すべきものではあるが、上前をはねること自体は節度さえ弁えていれば問題ない。そういうバラ色の未来を皆、頭に思い浮かべていたことは確かである。だが、その「未来」もリッテンハイム侯の胸先三寸であることも、また事実。不興を買えばどうなるか分かったものではない。

 

「全速前進して攻撃せよ。思いあがった叛徒共に思い知らせてやれ。さすればフェザーンも己の立場に気づくであろうよ」

 

 

 

「敵、速度を上げました。隊列変更は中断した模様」

 

「いや、包囲を一時中断しただけだ。方陣でこちらに向かってくるだろう」

 ホーウッドは舌なめずりをした。どうやら敵はこちらの挑発に乗ってくれたようだ。数が純粋に多いから、それでも問題ないとしたのであろうか。

 ホーウッドは再び、艦隊全艦に通じる通信を開いた。

 

「各員に告ぐ。指示通り、私が砲撃開始を命じるまで射撃を禁じる。最前列の艦は防御に徹し、みだりに攻撃をしてはならない。艦隊全体の盾となるのだ。戦列後方の艦は、データリンクシステムに従い、適宜攻撃せよ。少しでも持ちこたえるのだ」

 

 レーダー手の絶叫が、シザーリオの艦橋に響いたのは、ホーウッドの指示から八分十秒後である。

「エネルギー波、急速接近!」

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月13日、午前9時12分。

 五十年前に自然休止した、帝国と同盟の大規模軍事衝突が再開した、その瞬間であった。

 

 

 

 帝国軍の第一射撃は、同盟軍第7艦隊にほとんど被害を与えなかった。最前列の艦が防御に徹しており、射撃そのものも距離が遠すぎた。数隻の艦が小破した程度であった。

 

 だが、これは敵味方のどちらかが敗れるまで延々と続くシークエンスの一つに過ぎない。帝国艦隊はさらに距離を近づけ、砲撃を加える。

 

「巡航艦プリンストンより通信。攻撃開始はまだなりや」

 

「まだだよ。まだだと答えろ。あともう少し引き付ける」

 ホーウッドは艦橋正面の戦況スクリーンを睨みつけた。こちらは最前列を戦艦や重巡で固めている。砲撃は後方に配置した巡航艦やモニター砲艦の仕事だ。なれば、戦艦より有効射程の短い、巡航艦主砲の有効射程まで引き付けなければならない。データリンクシステムのために、最前列の艦はお互い同士をシールドで支援し合える距離感を保っているはずだ。リスクは最小限にとどめられる。

 

 だが、不幸な例外もあった。

 

 一隻の艦が戦列からほんのわずか飛び出した。彼女をカバーする三隻の巡航艦は、ほぼ同時に被弾し、シールド機能が弱体化したため、後退したのだった。彼女に対するカバーが一瞬剥がれたその隙に、同時に命中した三本のビームが、艦のシールドの薄い箇所突破し中枢部分に直撃、艦をバラバラに引き裂いた。生存者はいなかった。轟沈した艦の名は、かつて地球に存在した大海から命名された、戦艦パンサラッサだった。

 

 悲しむべき損失。だけど、涙は損失を洗い流すためにある。それが艦隊戦の流儀だ。

 

「敵艦列先頭、巡航艦部隊の有効射程に入りました!」

 

「よし、射撃開始(ファイアー)!チャンスだ!一気に押せ!」

 ホーウッドは自身のデスクを叩くと、そう叫んだ。

 

 

 

 帝国艦隊にとって、同盟軍の反撃は意外と痛かった。巡航艦の中性子砲、砲艦の光子砲、ミサイルの束が一気に押し寄せ、艦隊の先頭に立つ艦が次々と撃沈、損傷し混乱している。

 

「おのれ叛徒共め許さん!再度前進して接近戦に持ち込むぞ。さすれば火力で一気に押しつぶせる!」

 

「司令官」

 さすがに参謀長が黙り切れなかったのか、エルラッハに進言した。

 

「今からでも遅くありません。相手は防御に徹しています。包囲に切り替えれば損害も減ります」

 

「それは通常の戦の論理だ。ここはフェザーン回廊だぞ。華々しく勝てば、これからの仕事もやりやすくなるというもの」

 エルラッハの言葉は、非合理的なように見えて、ある意味当を得ている。軍事的に圧倒的な勝利というのは見栄えが良くないのだ。簡単に言うと「あれなら俺にもできる」と思われてしまう。剣闘士の試合が激闘に見えるのは、そう見えるように演出しているのと一緒である。

 

「進撃を継続せよ。十分距離を詰めたら接近戦をやるぞ」

 

 

 

「敵、前進をやめません」

 オペレータの報告に、ホーウッドは二度うなずいた。

 

「全艦に伝達。中央は後退、外縁は前進する。敵を引き込んで持久する」

 どうやら最悪の事態は避けられたようだ。いや、それはただの思い込みだろうか。

 

 

 

 それからの6時間程度、帝国エルラッハ艦隊と同盟第7艦隊は双方だらだらと撃ち合いを続けた。傍目にはそう見えた。帝国としては、前進は成功しているものの、敵に有効な打撃を与えられていないことが不満だった。同盟としては、敵の意図を止めることができず、後退している中央部の損害が深刻になりつつあることが問題だった。それは旗艦のシザーリオも例外ではない。中央部があまりに薄くなっているので、旗艦も盾の役割を果たさざるを得なかったのだ。そして、艦の撃沈、損傷によって盾は少しずつ薄くなっていく。

 

 突如、艦が大きく揺さぶられ、照明が消灯した。

 

「損害報告!」

 艦長が叫ぶ。報告を総合すると、3つある砲塔のうち1つが損傷し、射撃不能になったとのことだ。

 

「シールド機能はどうか」

 

「概ね問題はありません」

 

「ならば戦闘続行だ。戦いはいつもこれからだぞ!」

 ホーウッドはそう叫んだが、戦況は一刻ごとに深刻さを増していった。ニ十分後、さらに大きな震動が艦を襲った。

 

「今度はどうした!」

 

「シールド発生機に異常です。本艦は今や丸裸です。このままでは──」

 艦長が深刻な表情で報告した。

 

「……どうなる」

 

「このまま敵の砲撃が続けば、あと数分もつかどうか」

 艦長の報告を聞いて、ホーウッドは艦橋を眺めまわした。見る限り、各自任務を果たしているようには見える。いや、見えるだけかもしれない。視線の端にちらっと映ったのは、この艦に乗り込んでいる民間人、戦艦の製造会社の技術員だった。

 

「司令部機能を移す。適当な艦はどれか」

 ホーウッドは決断した。民間人がいなければもう少し粘るつもりだった。

 

「戦艦エピファネイアが状態良好です。本艦との距離も近いです」

 オペレータが即時にそう返したことについて、ホーウッドは苦笑した。任務に精励しているかと思ったら、逃げる準備は着々か。まぁ、それが軍隊の要領ってものだ。

 

「艦長、総員退艦を。あと、あの民間人は後方に送ってやってくれ。死んだら我々が嗤われるぞ」

 戦艦シザーリオはその後も二十分近く持ちこたえた。シザーリオの乗組員に死傷者が居なかったのはそのおかげだといえる。ホーウッドと司令部要員は、従来型戦艦エピファネイアに移乗し、指揮を再開したが、エピファネイアの幸運はシザーリオほどではなかった。移乗してわずか三十分でエピファネイアは被弾により核融合炉がダメージを受け、戦闘不能になってしまった。ホーウッド他が慌てて脱出シャトルに乗り込み、エピファネイアから離脱した直後、エピファネイアは爆発四散した。

 

「やはり新型艦は耐久力が違うのかな」

 ヴァーリモントは、ホーウッドがそう言ったのを聞いたが、エピファネイアに関して言えば、耐久力の問題というよりも艦列が疎らになってシールドが有効に使えなくなった方が主要因であっただろう。第7艦隊の中央部が薄くなり過ぎていたのである。

 

 それでもホーウッドは近くにあった戦艦リオンディーズに避難し、指揮を再開したが、一時間もしないうちにリオンディーズが機関部に被弾、航行不能となり、戦艦サートゥルナーリアへの移乗を余儀なくされた。

 

「このままでは突破されますぞ」

 戦艦サートゥルナーリアの艦橋で、参謀長が顔面蒼白となって報告した。第7艦隊は敵の艦列先頭を包み込むような形でどうにか持ちこたえている。だが、敵の突破を阻止するうちに中央部が薄くなりすぎてしまった。戦闘可能な戦力も、千隻を切ろうとしている。

 

「まだだ。可能な限り持ちこたえるしかない」

 参謀長は、艦隊の外縁部に居る艦の一部を引き抜き、中央部への補充に回そうと命令を出していた。敵艦列先頭との距離が接近しすぎており、実体弾での戦闘になりそうなのである。そうなると数の多い敵の突撃を持ちこたえることは無理になってくるのだ。

 

 その時、午後5時33分であった。

 

「敵の別働隊の模様、数、およそ800!」

 オペレータの報告に、参謀長の顔色がさらに青白くなった。別働隊に回り込まれたり、側面攻撃をかけられたりしたら、第7艦隊はおそらく終わりだろう。無駄な損害を重ねたくなければ、撤退を真剣に考えないといけない。

 

 だが、ホーウッドの指示はそれとは正反対だった。

 

「あの別働隊から目を離すな。だが、心配はするな。きっとうまくいく」

 

 

 

「北軍の艦隊?」

 オペレータから報告を受けたエルラッハは、素っ頓狂な叫び声をあげた。敵艦隊には随分と手こずらされたが、ようやく突破が成功しようとしている。後方に北軍の艦隊を発見したのはそんなタイミングだった。

 

「後方の艦隊に通信を送れ。所属と意図を確認するのだ。あと、助力とかそういうことを言ってきたら断れ」

 しばらくしてオペレータが困惑して報告した。

 

「後方の部隊、応答しません」

 

「繰り返せ」

 

「もう三回、繰り返しました」

 

「応答しないとはどういうことだ」

 

「まさか、こちらを攻める気ではありますまいな」

 参謀長の言葉にエルラッハは、はっとした。南軍は事実上戦闘を休止した状態になっているが、北軍がそうである保証は何もないのだ。

 

「後方の部隊、所属は分かるか」

 参謀長がオペレータに訊く。

 

「北軍、第三艦隊の模様です……後方部隊より返信来ました!」

 

「読み上げろ」

 

「ワレ、第三艦隊分遣隊也。らいんはると大将ノ密命ヲ受ケ、派遣サレタモノナリ。貴艦隊ノ事情ハ承知シテイル」

 

「密命とは何だ。問い合わせろ。いや、とにかく止まるように言え。これが終われば密命でも何でも聞いてやる」

 エルラッハは指示を出して、参謀長にささやき声で問いかけた。戦力はどれだけ残っている。参謀長は答えた。2500あたりかと。

 そうか。ならば、これが終わったらアレも潰さなければならんかもな。

 

 エルラッハの悲劇は、後方の部隊に対してある意味「話が分かる」と思い込んでしまったことかもしれない。前方の同盟艦隊は中央突破寸前にあり、それさえ成れば後はどうとでもなる。エルラッハの意識は突破寸前の同盟艦隊に移ってしまい、後方部隊の接近に対して対応する時間を浪費してしまった。

 

 十五分後、オペレータの叫び声が戦艦ハイデンハイムの艦橋に響き渡った。

 

「エネルギー波、急速接近!後方部隊からの砲撃です!!」

 

 

 

「敵後方の中央から突破する!敵の艦列の疎な所を見つけ、食い破れ!!」

 戦艦チューリンゲンの艦橋で、ジークフリード・キルヒアイスが指示を出す。こちらの戦力は800隻であり、敵(キルヒアイスは南軍艦隊をそう言い切った)は三倍ではあるが、上手く隙を突けば、無警戒な所を奇襲できる、そう考えたのだ。密命を受けているのは嘘ではない。南軍の艦隊を撃滅しろ、という命令である。

 

 800隻という少数の戦力であったが、予備部隊をそのまま引き抜いただけあってまとまりは良かった。800隻はエルラッハ艦隊を後方から攻撃すると、とにかく敵集団の抵抗の弱い所を即席で判断し、そこを突破することに専念した。敵も反撃しようとしたが、味方の内部を食い破っているだけに応戦がやりづらい。そうでなくとも、艦隊の前方は同盟軍に包囲されつつそれを突破しようとしているところだったのである。結局、キルヒアイス艦隊は、エルラッハ艦隊を後ろから前に食い破って、さらに後ろに戻るということを三度繰り返したのだ。

 

 戦況は一挙に逆転した。今や崩壊しようとしているのはエルラッハ艦隊の方であった。

 

「各自反撃しろ。獅子身中の虫を潰すのだ。敵のいる方向に撃て!」

 エルラッハはなおも叱咤していたが、聞こえてくるのは味方の悲鳴とオペレータが報告する味方の損害ばかりだった。戦艦ゴスアール撃沈、戦艦ドルトムント大破、戦艦……

 

 それでもいくつかの艦は、内部を食い破る北軍の艦を狙おうとした。だが、誤射の危険性無く射撃することはほとんど不可能だった。無視して砲撃し、味方を誤射する事例が続出したのである。北軍の艦は損害に構わず突進を続ける。一部の艦は、正面の敵に体当たりをしながら突破することまでやった。

 

 エルラッハ艦隊は、あまりの事態に急速に統率を失いつつあった。艦列は崩壊し、逃亡する艦が続出した。だが、彼らの試みはうまくいかなかった。前面に居る艦は、勢いを盛り返した同盟軍に狙い撃ちにされたし、後方の艦はキルヒアイスの艦隊に捕捉撃滅された。

 

「5時方向に敵部隊。本艦に向けて発砲する模様」

 戦艦ハイデンハイムでは、オペレータ以外声を出す者がいなかった。悲鳴も怒声もない。オペレータも抑揚のない報告を機械的に告げるだけだった。緊張の糸が切れてしまっていたのだ。

 

 ハイデンハイム後方下部から射撃された五発のレーザー水爆は、ハイデンハイムの前方から後方までまんべんなく命中し、宇宙戦艦を粉々の粒子に還元していった。

 

 

 

 戦艦サートゥルナーリアで砲撃の一時停止が命じられたのは、午後八時近くであった。対峙していた帝国艦隊はほぼ殲滅され、脱出できたのは300隻も残っていないだろう。ただ、こちらの損害も決して少なくはない。残った船は戦闘前の半数を切っているはずだった。生き残った艦についても、残弾は少なく、将兵は疲労している。

 

 そして、問題はもう一つある。目の前に居る、500隻程度の帝国艦隊である。別働隊だと思われたその艦隊はそのままエルラッハ艦隊に突っ込むと、艦隊を滅茶苦茶にかき回した。それにより、帝国艦隊は四分五裂となり、第7艦隊はすんでのところで敗北を免れ、大逆転勝利が達成できたわけである。

 

「艦列の再編成まで、三十分ほどかかります」

 ヴァーリモント大尉が報告した。ホーウッドは、目の前に残った謎の敵艦隊に対して、戦闘態勢を取るように命じていた。だが、あまりに損害が大きすぎるため、包囲の陣形はあきらめ、単純な横方形陣を採用した。そのために、組みなおしの時間が必要だった。

 

「うむ」

 ホーウッドはうなずくと、紙コップのコーヒーを飲み干した。どんなコーヒーでも、12時間ぶりに飲むコーヒーはうまいものだ。勝利のコーヒーであればなおさらだろう。

 

「提督は、知っておられたのですか」

 参謀長がおずおずと尋ねた。

 

「何をだ」

 

「目の前のことです」

 

「厳密に言うと、知らなかった」

 

「でも、提督はあの部隊のことを気にするな、とおっしゃいました。実際、その通りになった」

 

「だが、グリーンヒル総参謀長は言った。敵の敵は味方だと。わざわざそう言い添えるということは、何かあると思った。というか、あれが本当にこちらを襲ってくるのならば、我々にできることなど何もあるまいよ」

 

「それはそうでしょうね」

 

「帝国艦隊から通信が入っております。対面での通信を希望しておられます」

 オペレータが報告した。

 

「どこからだ」

 参謀長が訊く。注意を引き付けて奇襲する可能性は無いとはいえない。

 

「艦隊内の戦艦の模様」

 オペレータが返答した。どうやらその可能性は低いようだ。

 

「応答しよう」

 ホーウッドの返答に、通信手が準備を始めた。

 

 

 

 スクリーンに現れた帝国軍の将官は、見事な赤毛の、若い少将だった。眉目秀麗で、役者と言われれば信じたかもしれない。

 

「帝国軍少将、ジークフリード・キルヒアイスです。ご協力感謝致します」

 

「自由惑星同盟、第7艦隊、司令官のホーウッドであります。こちらこそご協力感謝致します」

 

「最初に申し上げますが、当方は貴艦隊に害意はありません。自分は、上官のミューゼル大将から、帝国外にて狼藉に及ぶ軍を処罰せよとの命令を受けております。当然のことをしたまでです」

 

「そうですか。我々はフェザーン行政府の要請の下、フェザーン軌道上への戦力展開を阻止する目的で出動しました。帝国、同盟、フェザーンの協定により、惑星フェザーンの軌道上に戦力を配置しないことになっております。貴艦隊が同様の手段をとらないのであれば、こちらも攻撃することはありません」

 ホーウッドは内心ほっとした。第7艦隊は傷つき過ぎて、これ以上戦えない。

 

「了解しました。まぁ、睨み合いも不毛なものですので、当方はこれより撤収致します。ホーウッド提督。貴方を信用して」

 

「信用が大事なのは、同盟でも同じです。命令を受けていれば話は別ですが」

 

「なるほど、命令ですか。信用を損ねようと、納得がいかずとも、命令があれば人は動きます」

 目の前の赤毛の将官は、謎めいたことを口にした。

 

「いえ、そのようなことは……」

 ホーウッドは困惑した。

 

「いえいえ、失礼致しました。では、失礼致します。貴方を信用して」

 通信はここで切れた。実際、帝国軍は一発の砲弾も発射することなく、第7艦隊の目の前で背を向け、去って行った。

 

 

 

「いい人そうですね」

 ヴァーリモントがホーウッドに言った。

 

「そう見えるか」

 ホーウッドはつぶやいた。

 

「あの年で、少将だよ。我が宇宙艦隊司令長官殿より、昇進が早いというわけだ。おまけに、貴族でもないらしい。あの赤毛の少将殿がどのような修羅場を潜って来たのか、拝見したいものだな」

 

「提督は、あの少将に裏があると」

 

「あるよ。問題は、我々にとって害になる『裏』かどうかだよ」

 ホーウッドはそれだけ言って、艦隊に対し、第二種戦闘配置を発令した。とりあえず今日の戦争は終わったのだった。そのはずだった。

 

 

 

 ホーウッドの予感は当たっていた。

 

 戦闘が終わる直前、エルラッハ艦隊の残党が四分五裂で逃走する丁度その時、キルヒアイスの分遣隊から3隻の強襲揚陸艦が離脱していた。彼らは艦体に南軍のマークをペイントしており、外見からは惑星フェザーンに強行着陸、あるいは投降しようとする艦のように見えた。フェザーンもそのことは把握していたが、惑星フェザーン近辺で行われた戦闘の影響はあまりにも大きく、航路の混乱の沈静化、損傷したインフラの把握と応急処置に忙殺されていたのだった。敗残兵の捜索は後回しにされていた。

 

「あと1時間で大気圏に突入します、目標到着まであと3時間」

 

「うまくいきそうですね」

 オペレータの報告に、艦橋に居るキルヒアイスはうなずいた。

 

「貴方らしい悪辣なやり方だ。何が起きようとリッテンハイム侯のせいにするんでしょう」

 キルヒアイスの右後ろに立っている男が言った。

 

「利用できるものは誰でも利用します。シェーンコップ中佐、貴方のようにね」

 

「私を利用できるとお思いで?」

 シェーンコップは苦笑しつつ言った。右目に眼帯を着け、右腕が義手になっているシェーンコップであったが、それでも諧謔の精神に変わりはないようだ。オフレッサーとの一騎打ちの最中、脆くなった足場を踏んでしまい、十メートル以上下のデッキに転落しなければこんなことにはならなかった。

 

「私は貴方を利用し、貴方に戦争の無い世界を見せる。滅多にない体験ができることは保証しますよ。私についてくる限り」

 

「そうですか。ですが、あくまで私は貴方に、私自身の意志によって協力していることを忘れないで頂きたい。もう捨てた命だ。私を自由に操れるとは思わないことだ」

 キルヒアイスはこくこくと頷いたが、内心、口の減らない男だ、そう思っていた。

 

「フェザーンの宇宙港に続く商用航路、それを徐々に離脱する形で大気圏に強行突入します。目標は設定した通り、フェザーン行政府から見て惑星の反対側、アッシニボイヤ渓谷」

 

 そう、彼らは来た。最終決戦の幕はまもなくあがる。

 

 




次回タイトル

第二十三話 ラグナロク(5)

(次話はエピローグとの同時投稿を予定しておりますので、今しばらくのお時間を頂きたくお願い申し上げます)
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