銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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エピローグ ファニー・ウォーの終焉

 

 宇宙暦799年8月15日 フェザーン宇宙港、宇宙側待合室──

 

 その日、フェザーン宇宙港の待合室は閑散としていた。フェザーンの宇宙港といえば年がら年中混雑しているというのが評判であるが、例外となる日や時間帯というのはある。明後日に自由惑星同盟航路警備隊と、フェザーン航路警備隊の合同演習が行われるとあって、大体の船はフェザーンを出ていくか、あるいは入港を済ませてしまうかのどちらかだった。それに加え、ビジネスクラスの専用ラウンジであれば、さらに人は少ない。ラウンジに居るのは、ヤン、フレデリカ、それに加えてビジネスの用事で同じ宇宙船に乗り込む二、三人の人物だけだった。

 

 ヤンは備え付けのドリンクバーで紅茶を淹れて飲んでいる。ブランデーを入れることができないのは痛恨だが、紅茶の質はまぁ悪くない。フレデリカは先程からスレート端末で熱心に何かを読んでいる。ヤンはそれが何か分かっていた。

 

「別に、君が帝国軍の分析を熱心にやる必要はないんじゃないかな。軍広報誌に書かれている分析レポートなんて大したことないよ。どうせ情報部でもっと詳しいレポートを纏めてくれるんだから、それを読めばいいと思うよ。大尉」

 

「中佐は何故、そこまで泰然自若としていられるんですか」

 

「泰然自若とすべき時はそうすべきさ。忙しくなる時はそのうち必ずやってくるからね」

 

 そう。二人は昇進したのである。ヤンは中佐に、フレデリカは大尉に。そして胸には新たな略綬が追加されていた。一つは、一等自由戦士勲章、もう一つはフェザーン功労者章である。両方ともよほどのことが無い限り授与されないもので(後者は、大使館武官のトップに贈られるぐらいなので、同盟軍で受章者は数名ぐらいだと言われている)、軍人ならそれを見ただけで相手に一目置くはずである。それが二人にとっていいことなのかどうかは、これから分かるだろう。

 

 いいことか悪いことか、それ以前にヤンは自身の昇進を歓迎していなかったのは確かだった。中佐昇進の内示が出る直前に、ヤンは退役願いを出していたからだった。

 

 だが、退役は受理されなかった。帝国の内戦終結に伴い、同盟は戦時状態への移行を決断したからだった。そのためには、そうそう将校を辞めさせるわけにはいかなかった。中佐昇進の内示が出た一日後、退役願いの却下が通知され、さらに二日後、正式に昇進が通知された。少佐と中佐、階級こそ一つしか違わないが、その差は結構ある。少佐までは昇進や退役は統合作戦本部人事部が取り扱うが、中佐以上の階級については、統合作戦本部幹部会議にて調整が行われる(ちなみに将官は国防委員会の取り扱いになる)。中佐になると完全に幹部側の人間になるから、待遇も結構変わってくる。それになにより、中佐以上になると、15年勤務しないと恩給受給資格を貰えないのである。今現在、ヤンは勤続13年であるから、恩給が欲しかったらあと2年勤務しないといけない。ヤンが内心、昇進を嫌がっていたのはそういう事情がある。

 

「というかさ、大尉、なんで転属先が同じ職場なんだ」

 

「さぁ、私に聞かれても」

 

 昇進と共に、二人には転属命令が下されていた。転属先は、第8艦隊の司令部幕僚本部であった。任地は艦隊が駐留するガンダルヴァ星域惑星ウルヴァシー。二人共に情報分析担当幕僚ということになっていた。辞令を渡すムライ中佐がにやにや笑いをしていたことをヤンは忘れていない。

 

「なぁ。グリーンヒル大将から何か言われなかったか」

 

「いえ、何も」

 ヤンの質問に対し、フレデリカは実にそっけない。ヤンは確信している。絶対父親から何か言い含められているに違いない。

 

「そういえば」

 

「そういえば?」

 

「いい式でしたね」

 

「式……ああ、そうだったな」

 ヤンは同意しつつも、内心の疑問について確信を抱いたのである。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年6月22日 惑星フェザーン──

 

「「「ご結婚、おめでとうございます!!」」」

 

 アリッサ・ラインフォルトとシュヴァルツァー大尉の結婚式は惑星フェザーンの観光地、フェルライテン渓谷にある高級ホテル「デア=ヒンメル」にて行われた。参列者は二十名に満たない、実に小ぢんまりとした式だった。シュヴァルツァー大尉自身、天涯孤独の身で、友人はほとんどがクーデターがらみで参加できないので、こういうことになってしまった。もっとも、アリッサの方も参加したのは父母とその親族とごく近い関係者、そしてシャロン、ヤンとフレデリカにカリンといったところだったので、つつましい式になるのは必然だった。

 

 式自体も実に質素なものだった。新郎新婦の入場、結婚宣誓、指輪の交換と接吻、そしてパーティー、それだけだった。帝室を除けば、宇宙で最も金持ちといっても過言ではないラインフォルト家であったが、セレモニーに対する意識はそんなものだった。いや、新郎新婦の次に主要なメンバーである花嫁の親、ラインフォルト夫妻がどっさり仕事を抱えていたことも理由の一つだったかもしれない。

 

「ほら、泣いてばかりじゃいけませんよ。折角の美人が台無しです」

 フレデリカがウェディングドレス姿のアリッサの涙を拭っていた。確かに、アリッサは宣誓の後から終始泣き通しで、化粧もかなり崩れている。女性陣はそういう共通認識だった。お世話係状態のフレデリカとカリンは礼装用の軍服を着用している。本当はドレスを着て出席する気満々だったそうだが、ムライ中佐が軍人として参加するように、と命じたためにそういうことになっていた。ヤンとしては有難かった。今更タキシードなど新調して出席するなど、面倒臭いにもほどがある。

 

 アリッサはアリッサで涙声で方々にお礼を言いつつ、その度に涙を流しては拭くを繰り返していた。ヤンはそれを見ながらウィスキーをロックで飲んでいる。質素なパーティーではあるが酒の質は超一流だ。できればここにある酒を全部飲んでしまいたい。多分この一杯で100ディナールは下らないだろう。

 

「ヤン……中佐ですか」

 そんなアリッサを遠目で眺める一人の青年がヤンに声をかけた。

 

「そうですが」

 ヤンは振り返った。目の前に居たのは、帝国軍の軍装(恐らく礼装)に身を固めた大尉だった。勲章も正式なものを着用している。ヤンはその男の正体を知っている。というか、今日の式で最も重要な人物だ。

 

「シュヴァルツァー大尉。ご結婚おめでとうございます」

 

「あ、ありがとうございます」

 シュヴァルツァー大尉は敬礼した。ヤンは答礼する。そういえば、こんなことが前にもあったな。ヤンは思い出した。あの時は、相手がジークフリード・キルヒアイスだったのだが、縁は異なものである。あの時とは立場が逆だけどね。

 

「アリッサさんからはお話は聞いておりましたよ。想像通りでした」

 

「一体何を話していたのかは、聞かない方がいいのでしょうね」

 ヤンとシュヴァルツァーはお互い苦笑した。

 

「まぁ、ご想像にお任せします」

 

「それにしても、この度、アリッサが大変お世話になりまして、お礼の言葉もありません。貴方の行ったことに比べれば、自分のやっていることがどんなに卑小で愚かなものだったか。リッテンハイムの本心に気づくこともなく、野心に利用されるだけでした。結果として、同期や親友、かけがえのない人々を巻き込んでしまった。慙愧の極みというものです」

 

「そうですねぇ」

 ヤンは言葉を切った。

 

「大尉が何故そこまで気にするのか分かりませんね。結果として、帝国の戦争は終わりました。我々がそれをどう思うかは別にして、戦争を終わらせたことは大いに誇っていいのではないかと。それに、巻き込んでしまった人々をどうするか、もうすでに考えているのではないのでしょうか」

 

「何故それを」

 

「アリッサさんのことですから。想像しただけです。まぁ、大尉としてはこれからが大変なのではないのですか。オーディンに行かれると聞きましたが」

 

「そうです。この軍服を着るのも今日が最後です」

 本来なら、クーデターに参加した士官は全員が軍法会議にかけられ、処罰が課されるはずであった。だが、南朝が崩壊した今、南軍そのものが存在しないのである。結局、シュヴァルツァー他の士官たちには何の処罰もなかった。だが、今後シュヴァルツァーが新生銀河帝国の軍人になることはあり得ないだろう。軍にとっての危険人物であることは間違いないのだから。

 

「生きてここに居るだけで幸運と思わないと」

 そういうシュヴァルツァー大尉の両目には涙が溜まっている。

 

「そうですね。ところでお聞きしたかったのですが。一体、大尉はどこでアリッサさんとお知り合いになったのですか。アリッサさんはどうしても教えてくれなかったので。パーティーの挨拶でもその話は全くありませんでした」

 

「……残念ながらそれはできません」

 

「そりゃどうして」

 

「教えたのがばれたら、アリッサに殺されてしまいます」

 シュヴァルツァー大尉が震えるのを見て、ヤンはさぞかし最悪の第一印象(ファーストインプレッション)だったのだろうなぁと察した。男女の縁とは不思議なものだ。つい最近まで戦争をしていた北と南、大財閥のご令嬢と、士官とはいえごくごく普通の一般人。今日この日を迎えるまで、波乱万丈のストーリーがあったと思うが、いつか知る日が来るだろう。そう思いたい。

 

 

 

「ヤン中佐でございますか」

 シュヴァルツァー大尉が去ってすぐ、中年の夫婦がヤンに声をかけてきた。

 

「はい。ヤン・ウェンリーです」

 

「ああ。この度は娘が大変お世話になりました。厚くお礼を申し上げます。何とお礼を言ってよいものやら」

 男が涙を拭きつつぺこぺこと礼をした。女性の方は無表情だったが、深く深く礼をした。

 

「いえいえ。当然のことをしたまでです。お礼を言われるなんてとんでもない」

 ヤンは慌てた。今、ヤンに頭を下げている男女は、アリッサの両親にして帝国一の大財閥を率いる、フランツ・ラインフォルト、イリーナ・ラインフォルトの夫婦なのだから。

 

 ヤンとラインフォルト夫妻(親の方)はしばらく取り留めもない話をした。ヤンが新しく貰った勲章の話であるとか、次の任地の話であるとか、シュヴァルツァー大尉の話とかである。ヤンはそれとなく話を振ったが、やはりアリッサと大尉の馴れ初めは聞かせてもらえなかった。多分知っているはずなのだが。

 

「ご理解頂けるとは思いますが」

 フランツ・ラインフォルトがシャンパングラスをウェイターに返しながら言った。

 

「このような商売をしておりますと、いろいろと敵も多いものです。娘も同様です。安全な場所というのはまぁ、ないと言っていいでしょう。帝国が激動する時、それを利用しようという輩が現れる。その危機を救ったのは、叛乱を起こした徒党の一人であるというのは、何ともこの世は奇妙で、驚きに満ちていますなぁ」

 

「そうですね。自分もこんなことに巻き込まれるとは思っていませんでした。ほんの二年前まで、こうして帝国人と話をしていることすら想像しませんでした。それがラインフォルトさんとなれば尚更です」

 

「まさに、まさに。大きな声では言えませんが、我が社も自由惑星同盟に提携先を持っていましてな、商売をさせてもらっております。ごく最近のことです。それまでは、我々も自由惑星同盟というのは、共和制という邪念に取り付かれた拝金主義、享楽主義、刹那主義の連中だと思っていたものですよ。ヤン中佐や他の方々にお会いして、認識を新たにしたというものです」

 

「過分なお言葉、痛み入ります」

 ヤンは頭をかきつつ謙遜した。内心、フランツ・ラインフォルトの言葉が単なるリップサービスではなく、そのごく一部でもいいから真実を語っていてくれればいいな、そう思っていた。

 

「そうだイリーナ。例のものはどうした」

 フランツの言葉に、イリーナと呼ばれた女性(花嫁の母親としては随分と若そうに見える)は、ウェイターを呼び止めるととある荷物を持ってくるように命じた。フランツはそれを聞くと、アレを人に持ってこさせるなんてとんでもない、と言い出したがイリーナの方は別に気にしていないようだった。しばらくして、ウェイターが厚めの黒い、古風なアタッシュケースを持ってきた。フランツ・ラインフォルトがそれを受け取る。

 

「今日は娘の晴れの日です。ささやかながら、我が家から贈り物をさせていただきたい」

 フランツはそう言ってアタッシュケースを開けた。中には保護材にくるまれたブラスターとエネルギーパックが数個入っていた。

 

「我が社の新商品、ラインフォルトP490、ヤン中佐向けの特別カスタムタイプです。銃身には認定証が入っております。こちらに入っております保証書を同盟内の提携ショップに持ち込めば、整備、修理は無料です。ヤン中佐のお仕事に役立つように。是非お納めください」

 

「そ……それはありがとうございます」

 ヤンは辛うじてお礼を述べることができたが、顔は思いっきりこわばっていた。娘の一番大事な日なのに、引き出物に人殺しの道具かい、内心そう思っていた。ヤンはアタッシュケースを受け取ると、早々にウェイターに預けてしまった。それについてはフランツもイリーナも何も言わなかった。やっぱりこの夫婦、変わっている。

 

 この話には後日譚がある。ふとしたことでヤンとフレデリカ、カリンの三人で結婚式の話になったとき、ヤンがこのことを話すと、フレデリカはクロスカントリー仕様の地上車をプレゼントしてもらったというのである。カリンに至っては単座の水上オートバイを貰ったそうである。どうも、二人に対してはアリッサが事前に欲しいものを聞いていたとのことだった。なんで自分だけ除け者なんだ、とヤンは大いに憤慨したが、この話はまだ終わりではない。さらに後日、アッテンボローと飲み会をした時この話をしたら、アッテンボローは大いに驚いて言った。先輩、ラインフォルトのスペシャルカスタムモデルって、ラインフォルト財閥に多大な貢献を為した人だけに送られる幻の銃ですよ。全宇宙で所有者は十人そこそこなんじゃないですか。もし、ちゃんと整備して二、三十年おいといたら天井知らずの値がつきますよ。宇宙船だって楽勝で買えます。それを聞いて、慌てて自宅の倉庫からアタッシュケースを掘り出したという話である。

 

 

 

「そういえば、お二方はこれからどうされるのですか」

 

「今夜の便でオーディンに戻ります。仕事が待っておりますのでな。私も、イリーナも」

 

「別にいいのですよ、貴方は。一日ぐらいアリッサと過ごしたらどうなのかしら」

 イリーナはそう言ったが、いや、そういうわけにもいかん。シルヴァーベルヒが首を長くして待っている。早く帰らないと首が麒麟になってしまうだろう。第一新婚家庭に邪魔者は不要だ。

 

「シルヴァーベルヒさんですか。一度お会いしてみたかった」

 ヤンは本心を口にした。

 

「ああ、仕事をしているならシルヴァーベルヒに会うことはそれほど難しくありません。ですが、プライベートのシルヴァーベルヒに会うことは困難でしょう。私も滅多にお目にかかったことがない。今日は恐らく、一日中軍の会議でしょう」

 

 

 

 同日 帝都オーディン──

 

「本日より一か月の間に、召集された兵は、召集を解除し帰郷を命ずるものなり。退役を希望する志願兵については、自動的に一階級昇進し、退役することになる。退役を希望しない場合においても、特別報奨金が支払われる予定である。軍での勤務を希望するが、現在の配置に不満がある場合は、理由を添えて申し出よ。専門の人事担当者が聴取し、新たな配属先を決定するであろう。士官については追って通知があると思うが──」

 

 軍務尚書ラインハルト・フォン・ミューゼル元帥がカメラに向かってメッセージを録画していた。内容は、一言で言えば動員の解除と、軍の希望退職者募集である。軍の統合に際し、余分な人員を削減し、人件費を抑えなければならない。内戦は終わったが、タイミングは北、南共にぎりぎりだった。どちらももう少し戦闘が続けば、戦力を維持することはできなかっただろう。確かに内戦を終わらせたのは、南北それぞれの政変だった。だが、北、南双方が戦争を終わらせることを希求していたからこそ、終結に持って行けたのだともいえる。戦争を終わらせるまでには、いろいろな障害があるのだから。

 

 少し前、新たな帝国軍三長官による最高幹部会議が開かれていた。議題は、帝国軍の再編成と人員削減の話であった。

 

「基本的には12個艦隊と統帥本部直属の部隊編制とします。現状の兵力から換算するとおよそ7割の戦力となります。本当はもっと削減したいところですが、帝国内の混乱やブラウンシュヴァイク派の残党を考えるとこれが精一杯です。今後、国債の強制引き受けや臨時の戦争税もできなくなりますから、この範囲でやっていくしかないでしょう」

 軍務省の会議室で、統帥本部総長シルヴァーベルヒが報告している。会議室には、帝国軍三長官、つまり、ラインハルト・フォン・ミューゼル元帥、そしてシルヴァーベルヒ、最後に新宇宙艦隊司令長官のアイヘンドルフ元帥がお供の官僚達を引き連れて参加していた。

 

 表情に余裕があるミューゼル、シルヴァーベルヒに比べ、アイヘンドルフと部下達の青ざめっぷりは痛々しいほどだ。先程シルヴァーベルヒが発表した、帝国軍の削減方針は、当然ながら高級士官のポストを削減することになるわけだ。とすると、どこが真っ先に削られるかというと、トップが消えてしまったオーディン軍管区や、旧南軍の艦隊ということになる。旧南軍はともかく、オーディン軍管区でポストを失った士官達の恨みは、宇宙艦隊司令部に向くことになるだろう。

 

 ブラウンシュヴァイク公の行方は未だ不明である。政変のあの日、脱出を図ったブラウンシュヴァイク艦隊をラインハルトは痛撃し、再起不能の打撃を与えた。だが、旗艦ベルリンそのものは取り逃した。そうすれば、ブラウンシュヴァイク公の捜索という名目を手に入れることができるからだ。ブラウンシュヴァイク公は、新政府の停戦命令に従わず、それどころか抗戦した。宇宙の果てまでも探して捕まえる必要がある。それに伴い、一時的、限定的な規制の導入はやむを得ないことである。フェザーンや同盟に対する交渉でも便利に使えることだろう。

 

 

 

 ビデオメッセージの撮影を終えたラインハルトは、オーベルシュタインが抱えてきた山のような書類の決裁に取り掛かった。しばらくはこのような激務が続く。帝国軍はトップとそれを支えるスタッフが一気にいなくなったことで、どこもかしこも仕事が回らなくなっている。スタッフは適宜補充されることになっているが、それまではラインハルト自身が軍務省庁舎の補修稟議を決裁するようなことが行われる。

 

 ラインハルトは書類にいちいちサインしつつ、一つの書類に目をとめた。

 

「……これは?」

 ラインハルトは書類情報をオーベルシュタインの端末に送信した。

 

「ウォルフガング・ミッターマイヤー大佐の昇進に関する書類ですな。統帥本部から認可がおりています」

 

「それは昨日やったでは……ああ、こちらか。これは本人に説明が必要かもしれないな。オーベルシュタイン。ミッターマイヤーを呼んでくれ。二つまとめて説明してしまおう」

 

 

 

「ミッターマイヤーであります。この度は──」

 軍務尚書就任おめでとうございます、と言おうとしてラインハルトに押し止められた。

 

「挨拶はいらんミッターマイヤー。そこに座りたまえ」

 ラインハルトはミッターマイヤーに執務机の前の椅子を指し示した。ミッターマイヤーはゆっくりと腰をおろす。

 

 ミッターマイヤーはどうにも落ち着かなかった。オーディンのクーデターから三か月以上、ミッターマイヤーはずっと新無憂宮の管理人のような仕事をしていた。本来ならすぐに引き継ぎが来るはずだったのだが、代替要員の手配がつかなかったのだ。それに加え、宮廷で不都合が起こると誰もかれもがそれをミッターマイヤーに押し付けた。他の部署が大小の差はあれど混乱している現状においては仕方ないことではあったが、それはミッターマイヤーの仕事量を際限なく増大させた。ようやく、宮内省への仕事の引き継ぎが終わったのは三日前のことである。

 

 ラインハルトの素っ気ない対応にミッターマイヤーは不安になったが、その必要はなかった。

 

「今回の件、ご苦労だった。随分と長い間、苦労をかけてしまった」

 

「いえいえそのようなことは」

 ミッターマイヤーは表面上謙遜して見せたが、内心何を言われるのか不思議でならなかった。しばらく、これまでの任務についてのいろいろな話をした後で、ラインハルトは本題を切り出した。

 

「帝国の一統は成った。政治的にはまだまだ先があるが、それは置いておく。そういうわけで、軍も大きく変わる。内容については卿も知っていると思うが」

 

「軍管区制の廃止とオーディンでの艦隊集中運用ですか」

 

「そうだ。帝国軍は全く新しく、生まれ変わるのだ。そのためには新たな人材が必要だ。ミッターマイヤー、卿には新しい軍で働いてもらわなければならない。旧軍の習慣は捨てろ。軍がやることは大きく変わる。それを吸収し、我がものとするのだミッターマイヤー」

 

「は、はい」

 

「というわけでミッターマイヤー、卿は明日、少将となる。新しいポストは正式決定ではないが、新編成艦隊の編成委員長となるだろう。楽な仕事ではないが、頑張ってほしい」

 

「え、あの……少将でございますか?」

 ミッターマイヤーは混乱していた。

 

「そうだ。何か?」

 

「あの……私はこの通り大佐であります。生者に複数階級の特進無し、は軍の原則であります」

 ミッターマイヤーは肩の階級章を指し示しながら言った。

 

「特進、ねぇ。例外はあると思うのだが。まぁいいオーベルシュタイン!」

 オーベルシュタインはスレート端末に表示されている辞令を読み上げる。ウォルフガング・ミッターマイヤー大佐、本日付で帝国軍准将に任じる。辞令は電子により発行され、階級章は軍務省の人事局にて受領されたし。

 

「ああ、人事局に行く必要はないぞ」

 ラインハルトは机の抽斗を開けて何かを取り出した。准将の階級章だった。まぁ、これを使うのも今日限りなのだがな。

 

 ミッターマイヤーの混乱はさらに大きくなった。いろいろなことがいっぺんに起きて理解が追いつかない。次のポストが新艦隊の編成委員長ということは、編成完了の暁には艦隊司令官に就任することが確実になる。軍人なら誰もが夢見る、皇帝を守護する騎士の一人となるのだ。こんなに早いとは思わなかったが。

 

「編成委員長になるのだから」

 ラインハルトが笑いながら言った。

 

「スタッフは早めに固めた方がいい。一丸となって動けるチームを作るのだミッターマイヤー。有為な人材は少ないぞ」

 

 

 

 それから三日後、6月25日──

 

「ミッターマイヤー少将とは。最初は冗談かと思った。どうやら本当だったようだな少将閣下」

 

「その閣下はやめてくれロイエンタール。まだ慣れないんだ」

 オスカー・フォン・ロイエンタール中佐は一ヶ月ほど前にフェザーンからオーディンに呼び戻され、とは言っても与えられる仕事はなく、暇を持て余していたら、ミッターマイヤーから突然呼び出され、今に至っている。場所は、宇宙艦隊司令部の「艦隊編成研究室」と呼ばれる所だったが、名前に似合わない、矢鱈と広いがらんとした空間だった。無理もなかった。ここは将来、新たに編成される新艦隊の司令部になる部屋なのだから。それにしても、2年前までは少佐だった男が将軍になり艦隊司令官とは!御伽噺が色褪せるというものだ。

 

「今までと全く異なる軍になる。これからの新儀が未来の前例になる、というのが軍務尚書の意向さ。それについていかなければならない。楽ではないな。エヴァンゼリンをアムリッツァから呼び戻せるのは有り難いがね」

 

「それで何の用ですかな」

 

「分からないか?」

 

「部下に忖度させるのは、上官の悪い癖だそうだ」

 

「そうかいそうかい。では俺から言うことにしよう。ロイエンタール、貴様は俺の艦隊のスタッフ、その第一号だ。恐らく幕僚チームの席と副官を兼務してもらうことになるだろうな」

 

「おいおい」

 ロイエンタールは肩をすくめた。中佐の階級を持つ人間が副官をやって、幕僚チームにも席を持つとなると参謀長の立場が無くなるではないか。

 

「いつまでも貴様が俺の命令を聞くとは思っていないんだ」

 ミッターマイヤーは話し出した。副官はとっかかりで、すぐに分艦隊を率いることになるだろう。場合によっては艦隊司令官まで一直線かもしれない。とにかくな、俺は貴様と肩を並べて戦いたいんだよ。いろいろ便利だろうからな。

 

「ご配慮誠にありがたいが」

 ロイエンタールはおどけた。そこまで厚遇されたら、お前の上に立ちたくなってしまうじゃないか。

 

「ご自由にどうぞ。だがな、そう簡単に上に行けると思うなよ。俺だって日がな寝ているわけじゃないんだから」

 

 

 

 同日、オーディン、新無憂宮、民政尚書公邸──

 

「まだ臍を曲げるつもりか」

 

「何度も言ったつもりですわ。5月に卒業資格証明を取ってそのまま帰ってこいだなんてなんて仕打ちですの。別に卒業式に出るつもりはなかったですが、アリッサ姉様の結婚式にも出られないだなんて」

 ヒルダはマリーンドルフ伯の前で不満を並べてみせた。本人にとっては、結婚式に参加できなかったのはよほどの痛恨事であったらしい。

 

「時間がないのだよ。今の一か月は来年の一年よりずっと重要だ」

 

「ずっとそうおっしゃられてましたけど、で、大学卒業寸前の私を呼び戻して、一体何をなさるおつもりなの?まさか、また見合いとか言うんじゃないでしょうね」

 

「それは一時保留だ。とりあえず、お前の就職先を決めてきた」

 

「就職先?」

 ヒルダは訝しんだ。確かに、大学を卒業して何をするかは決まっていなかった。故郷の惑星テレジエンシュタットに帰って領地経営でもやるのかと思っていたのだが、父親には父親の考えがあるようだった。

 

「軍務尚書がな、書類整理の秘書官を探している」

 

「軍務尚書?あのミューゼル様がですか?」

 

「そうだよ。お前にはマリーンドルフ家と軍の懸け橋になってもらうのだ」

 またそれか。ヒルダは心の中だけで落胆した。懸け橋とは体のいい修辞だ。結局見合いと変わらないのではないか。

 

「ああ、だからといって手を抜くのはなしだぞ。ミューゼル様は厳しい人だからな。なめた真似をするとマリーンドルフ伯爵家が侮られる。それにな、これはまだ内々の話だが、ミューゼル元帥にどこぞの門閥を継承させる話があるらしい。来年には我々と同格だ。いや、より上の爵位かもしれない。向こうもまんざらではないらしいからな」

 

「そうなのですか」

 ヒルダは驚いた。ラインハルト・フォン・ミューゼルという人はそういう爵位とか門閥とか、そういうのを嫌っていると思っていたのだが。

 

「もし橋渡しというのであれば、統帥本部だと思っていましたわ。あそこにはシルヴァーベルヒ様もいらっしゃいますし、ラインフォルトとも直接繋がれます」

 

「おいおい」

 マリーンドルフ伯はヒルダの前でひらひらと手を振った。

 

「お前は私の一人娘だぞ。過労死させに送り込む人間がどこにいる」

 父親の言葉にヒルダは苦笑した。ひどい物言いだが、評判から考えるとまぁそんなものか。

 

「というわけでお前を早々に呼び戻したのだ。愚図愚図していると秘書官の席は埋まってしまうからな。ヒルダ、近くでラインハルト・フォン・ミューゼルという人物をよく観察するのだ。興味深い人物であることは間違いないぞ」

 

「それはそうですわね」

 ヒルダはそう応じると、マリーンドルフ伯が淹れた紅茶に口をつけた。お父様は随分と研究したと主張しているが、私から見るとまるで上達していない。今度シャロンを呼んで紅茶の淹れ方を指導してもらった方がいいのではないか。いや、訓練してもらうのは自分の方かもしれない。ミューゼル元帥の好みはどうなのかしら。

 

 

 

 宇宙暦799年8月15日 フェザーン宇宙港、宇宙側待合室に戻る──

 

 話すことのなくなったヤンとフレデリカは、互いにスレート端末を眺めつつ時間を過ごした。ヤンのスレート端末には、最近就役した新型戦闘艇母艦の話題が表示されていた。一番艦が「ラザルス」と命名されたこの母艦は、搭載する戦闘艇の7割が完全自動操縦の無人戦闘艇になるらしい。残り3割の有人戦闘艇は、この無人戦闘艇を「指揮」する立場になるそうだ。

 

「カリンが言っていたのはこれか」

 ヤンは独り言を言った。あの結婚式の後、カリンは慌ただしくフェザーンを去って行った。なんでも戦闘艇学校で再教育を受けるということで、その後は戦闘艇部隊に転属するとは聞いていたけど、こんな仕事になるとはね。うまくやってくれるといいが。

 

 パトリチェフとムライはそれぞれ昇進し、フェザーンの同盟大使館に残った。ただ、パトリチェフの方は負傷した脚の回復が思わしくなく、荒事からは引退することになったそうだ。プライス大尉以下の特殊作戦グループも壊滅状態だから、特務支援課は新たな活動の場を模索することになりそうだ。三日前の送別会で、冗談交じりに第八艦隊に何かポストを用意してくれませんか、とそう言われたのだが、もしかしたら結構真剣な話だったのかもしれない。

 

 そんなことを考えていたヤンであったが、スピーカーからチャイムが流れてきたのに気が付いた。

 

「ご案内致します。ネオユニヴァース通運、サウンズオブアース号、只今より搭乗のご案内を開始致します。ファーストクラス、ビジネスクラスのチケットをお持ちのお客様、27番ゲートにお越しくださいませ。繰り返します、ネオユニヴァース通運、サウンズオブアース号にご搭乗のお客様──」

 

 スピーカーからアナウンスが聞こえてきた。ヤンとフレデリカが乗船する宇宙船の搭乗案内が始まったのだ。

 

「惜しかった」

 結婚式のことを思い出していたらしいフレデリカが言った。

 

「どうしたんだい、大尉」

 ヤンが努めて明るく、声をかける。

 

「アリッサさんやシャロンさんとは、もう会うことがないんだと思うと、そんなことを考えてしまいました。戦争なんてなければ、いつでも会いにいけるのに」

 

「だったら大使館に残ればよかったのに。そういう話もあったんじゃなかったのかい」

 

「そういう話じゃなくて!」

 フレデリカの反応に、ヤンは目を閉じた。まぁフレデリカの言うことは間違っていない。戦争とはかけ離れた戦争、それでも五十年は続いたこの奇妙な戦争(ファニー・ウォー)。でも、それは終わってしまった。我々が立ち向かわなければならないのは、命の奪い合いとなる本物の?戦争となるだろう。一体それはどれだけ続くのだろうか。というかこれから先、戦争が終結することなどあるのだろうか。もしかして、あのシュヴァルツァー大尉と刀を交える時が来るかもしれない。戦争の世の中には無限の可能性がある。ろくでもないことだが。

 

「でもさ。本当に帝国と同盟が和議を結ぶ可能性がある、そう信じているのならば、君は軍服を脱いでそれにチャレンジするべきだと思うよ」

 

「中佐は信じていないのですか」

 

「何を?」

 

「帝国と同盟が手を取り合う可能性を」

 

「どうだろうかね」

 いつの間にかラウンジはヤンとフレデリカ以外、誰もいなくなっていた。乗船できるようになったのだからある意味当然だが、まるで二人の密談の場を作ってもらったかのようだ。

 

「もし和議を結ぶならばだ。早めにやったほうがいい。まだ誰も死んではいないからね。でも、戦が始まったら、しばらくは無理だろうね。敵と味方、どちらもが戦争に熱中してしまう。疲れ果て、失うものの大きさに気づくまで待つしかないだろう。でも、チャンスは常にあると思うよ」

 

「じゃあ、中佐は何故チャレンジしないんですか」

 

「それは、まぁ」

 ヤンは頭をかいた。手についた抜け毛の一本が白くなっているのを見て顔をしかめる。これから先、白髪が増えるなんて御免だなぁ。

 

「面倒臭いからね」

 

「面倒臭い?」

 

「だって、中佐風情が帝国と和議なんて言ったって、誰も話を聞きやしないだろう?そもそもだ大尉。何故、私に何でもやらせようとするんだい?」

 

「それは……」

 

「それは?」

 

「……中佐がやれば、世の中が面白い方に転がるから、そう思うからですよ」

 

 ヤンはフレデリカがこちらに表情を見せないようにしていることに気づいていた。だがヤンがフレデリカの「本心」に気づくことはなかった。どうして誰も彼もが自分をおもちゃにしたがるんだ、そう憤慨さえしていた。

 

 ヤンは立ち上がると、手提げかばんを持って搭乗ゲートの方へ歩き出した。フレデリカの表情を確認することもないままに。

 

<銀河英雄伝説 ファニー・ウォー 完>

 

 

 





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