銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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外伝1 憲兵中尉ヤン・ウェンリーの事件簿
外伝第一話 クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーの死(上)


 宇宙暦788年12月、タナトス星系 惑星マスジット──

 

 タナトス星系の行政府がある惑星。中核星域南方部に所属し、リオヴェルデ、トリプラ、エリューセラ星域と接続する。行政府の正式名称はマスジット連邦共和国。人口は8600万で隣接星域には劣る。同一星域にはもう一つの惑星エコニアがあるが、可住化が遅れているために、行政機能はマスジットに委託している。産業は、農業、鉱業(特殊合金用原料が豊富に産出する)、観光等。

 

 

 

 ヤンは端末の惑星案内アプリを閉じると、メールをチェックした。何もなし。座学研修の資料は、もう十回以上読み返した。周りにいる士官や下士官達は働いていることはいるのだが、緩い空気が蔓延しているのはヤンでもわかる。経済成長の緩い、なんにもない星系ではこんなものか。ヤンは勝手に想像した。

 

 端末の情報閲覧アプリを再度立ち上げると、部内回線から憲兵隊本部の情報を呼び出す。マスジット星系憲兵隊本部、その下にあるマスジット星系防衛軍(但し、実体は同盟軍第三艦隊)付憲兵隊、その下にあるアヤソフィア憲兵分隊本部(警察で言う所の警察署にあたる。ちなみにアヤソフィアというのは、マスジットの行政首都の名称)、憲兵分隊本部刑事局第三課、そこまで来てようやく出てくる。書記官補、ヤン・ウェンリー中尉の名前が。

 

 今のヤンは何者でもない。木っ端役人という言葉すら似つかわしくない。それもそうだ。士官学校を昨年卒業し、ハイネセンで一年間の専門教育と実地研修を受け、つい一か月前にここマスジットに着任したばかりなのだから。憲兵中尉の肩書きすら大仰に見える。それが今のヤン・ウェンリーである。少尉から中尉に昇進したのは、別に功績を挙げたとかそういうことではなくて、士官学校を卒業し、専門教育を受ければ全員が昇進するのだ。ヤンにとって士官としてのキャリアのスタートは、中尉から、ということになる。

 

 で、この一か月で何をしたかといえば、指導役の先輩についていく(ついていくだけ)、掃除、挨拶回り、事務の下士官兵からの頼まれごと、オンラインの研修、そんなところである。指導役の先輩(名前はまだ覚えられない。長すぎて読みづらいのだ)は、ヤンを指導するというよりは、後をついていればそのうち何とかやってくれるだろう、そういうスタンスだった。

 

「憲兵は永遠のドサ回りだ。どこでも歓迎はされない。だが、軍隊でも法律は必須であるが故の宿命だ。公正な立場で仕事にあたる、そのために転勤は必須なのだ。それを肝に銘じるように」

 

 憲兵の専門教育課程で、教官の一人が口にした言葉である。だからこそ、ヤンがタナトス星系という、いまいちな星系に飛ばされたとしてもそれを恨みに思ってはいけない、というわけだ。もっとも、ヤンとしては田舎に飛ばされることは別に何ともない。家族や恋人がいるわけでもなく(それでもジェシカ・エドワーズと離れるのは惜しかったが)、都会でないと生きられないというわけでもない。だが暇すぎるのも考えものだ。

 

 あと10年──

 

 10年辛抱すれば、退役しても恩給が貰える。もちろん、恩給だけでその後の人生が生きられるわけではないが、不労所得があるとないとでは大違いである。適当な職を探し、日銭を稼ぎながらのんびり暮らす。それがヤンの人生プランである。

 

 そのためには、ここタナトス星系で3年、どこぞの星系でもう3年、最後に別の星系で3年、そんな感じで勤務するのだろうなぁ、ヤンはそんな想像をめぐらせた。軍人で士官ではあるものの、戦うべき相手である銀河帝国は内輪揉めで大忙し。おかげで前線で命の心配をすることはない。憲兵課なら尚更である。まぁ、精々他の兵に恨まれ過ぎないように立ち回る、そこに気をつけていればいい。

 

 この世の中は、なんとも奇妙(ファニー)だなぁ。そう思わざるを得ない。国というものがある限り、軍隊というのは無くてはならないのが基本原則だけど、幸いなことに、本当に幸いなことに、それが無くてはならない状態にはなっていない。第一の幸運は、死の国への扉を開ける寸前に、そこから引き返してきたブルース・アッシュビーの方針である。民力の涵養という名目の下、彼は自分を英雄に持ち上げてくれた軍隊に大ナタを振るってしまった。帝国との国境地帯に大要害を造り、帝国が攻めてこられないようにした。第二の幸運は、帝国の内輪揉めである。先代の皇帝、オトフリート五世の二人の子供、長男のリヒャルトと三男のクレメンツが、次こそが俺の時代と名乗りをあげ、内戦が始まってから二十年以上が経つ。それだけ長い間、互いに傷つけあっているというわけだ。もっとも、二人の功名心や自尊心が肥大化したからそうなった、というわけではない。先代皇帝オトフリート五世が内紛の種を播いたという側面も大きい。財政再建の名のもとに、オトフリート五世は帝国のいろいろな権利を、民間に売り払った。平民の地位の向上を、貴族が面白く思わないのは当然だ。そして、内戦に勝てば、勝者に付いた側は敗者の権益を総取りにできる。これは大きい。そして、だからこそ和解に至らないわけだ。

 

 そういう状況であるからこそ、同盟は経済成長への投資を行うことができている。それは人口の増加と経済力の増強というサイクルを回すことにつながっている。実にありがたいことだ。惑星マスジット最大の産業である鉱業も順調に成長しており、ハイネセンにある鉄鋼会社大手がマスジットに工場を建設するらしいという噂が流れていた。もし話が決まったら、マスジットには莫大な資金が投資されるだろう。いまいち垢抜けないマスジット宇宙港ももう少し洗練されればいいなぁ、ヤンはそう思うのだ。

 

 もっとも、そういう景気のいい話は軍隊には関係ない。そういう公共インフラへの投資の少なくない部分が、国防予算を削って捻出された資金だからである。今日も軍隊は敵ではなく貧乏に耐えつつ日々を送る。トイレットペーパーの使いすぎを注意された時は、ヤンも頭を抱えたものである。少なくともハイネセンではそういうことがなかったから。

 

「中尉、ちょっといいか」

 指導役の先輩(バーベンジャー大尉という名前は後で名札を見て確認した)がヤンに声をかけた。

 

「私、でありますか」

 ヤンは当惑してそう言ったが、他に誰が居ると言われて、引きずられるように会議室に連れていかれた。

 

 

 

「捕虜の死亡診断書?」

 会議室でヤンはそう言った。なんでも、タナトス星系、惑星エコニアに収容している、とある帝国軍捕虜が病死したので、死亡診断書を作成するという任務らしいのである。

 

 随分と妙な話だった。帝国との戦争がなくなって随分と経つのに、帝国軍の捕虜というのがまだ存在するのである。いや、「帝国北軍」「帝国南軍」の捕虜ならわずかながら存在するのである。同盟は、情報収集の一環としてイゼルローン回廊の機雷網を抜け、帝国領内に特殊部隊を送り込むということを結構やる。そして、哨戒部隊をこっそり捕まえて同盟領内に連れてくる。彼等「北軍の捕虜」は、情報収集やさらなる秘密工作の道具となる。南軍の場合、同盟と秘密裏ではあるが協力体制ができている。でも、捕虜という存在がないわけではない。表向き敵国なのだから。

 

 しかし、北軍でも南軍でもなく帝国軍の捕虜となると、帝国が内戦に突入する前から捕虜になっていたということになる。一体何年捕虜生活を送っていたというのか。そして何故自分がそんなことをしなければならないのだろう。捕虜収容所の担当者がやればいいことではないのか。

 

「何、簡単な仕事だ」

 刑事局第三課の課長、ブルックリン少佐はそう言ってのけた。軍の義務として、捕虜が死亡したら証明書と一緒に敵に通知しなければならない。そういうルールなのだ。医師に話をつけて、書類にサインしてもらえばいい。中尉、暇なんだからそういう仕事をやってみたらどうかね。いつまでも座学では退屈だろう。

 

「ところで質問なのですが」

 

「出張の手続きなら総務に聞き給え」

 

「いえ、それもそうなのですが、証明書を作ったら北軍と南軍のどちらに送るのでしょうか」

 

「それを知ってどうする」

 

「課長は知りたくないのですか」

 

「知ってもいいことなどない」

 ブルックリン少佐はそう断言した。そんなことは軍の上層部に考えさせればいいのだ。我々は片付けなければならない問題が山のようにある。そんなことを考える暇はない。いいか、中尉。お前にもじきにわかる。半年もすればな。

 

 ヤンはとりあえず、わかりました、と答えた。ヤンにとってすれば憲兵生活を当たり障りなく過ごすことが最優先事項である。揉め事の種を今、播くわけにはいかなかった。

 

 後を引き取ったのは総務課の面々だった。ヤンに書類の山を押し付け、提出期限を守るように念を押した。出張命令書、移動経費申請書(軍の輸送船を使うより、民間船を使う方が安くて便数も多いのだそうだ)、エコニアでの宿舎申請書その他いろいろ。なるべく急いでそれらの書類を用意すると、総務課より連絡船のチケットをもらい、ヤンは惑星エコニアに旅立っていった。結局、何故自分なのか、そこを聞くことはできなかった。

 

 

 

 ほこりっぽい──

 

 ヤンが惑星エコニアの地に降り立った時の第一印象である。無理もない。可住化(テラフォーミング)が中途の惑星エコニアでは、人類が生存可能な地域はごくわずかであり、そうでない場所は砂漠状態だからである。

 

 可住化に必要なもの、それは人類が生活するのに適切な温度、そして適切な量の水、である。可住状態にするにあたり、まずは温度の調整が行われ、そして水の供給が行われる。この二要素が十分達成されると、後は惑星外からあれこれ介入せずとも可住化が進行する。ごく単純に説明するとそうなる。

 

 だから、水の供給が十分ではない可住化惑星では、人類居住域以外は荒地か砂漠が広がることになる。人が住む分の水は供給されているから、住むことは問題ないが、外部から絶え間なく供給される砂塵には慣れなくてはいけない。それでも居住地が地上にあるということは、可住化は比較的進行しているということでもあるのだが。

 

 ヤンは無人タクシーを拾うと、第一の目的地である惑星エコニアの捕虜収容所へ向かった。道中、その帝国軍捕虜についての情報をチェックする。

 

 クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー

 

 氏名欄にはそう書いてあった。爵位は男爵、大学を出て内務省に入省、地方自治に携わる傍ら22歳で結婚、そのまま内務官僚の出世コースに乗るかと思いきや、24歳で内務省を退職、士官学校のUコース(高等教育を受けた社会人を対象としたコース)に入学。成績はよかったようで、25歳に少佐として情報分析担当の参謀職に就く。さらに28歳の時、彼の運命が激変する事件が待っていたのだった。

 

 ティアマト大会戦(読者に分かりやすいように言うなら「第二次ティアマト会戦」である)──当時、帝国宇宙艦隊で勤務していたケーフェンヒラー大佐は、乗艦の大破により降伏を強制されることになった。そして、ひぃふぅみぃ……43年もの間、捕虜生活を送っていたということである。

 

 ファイルに添付されていた写真は、70という年齢にしてはいささか若い、豊満ではあるが矍鑠たる老人男性のものだった。おや、ヤンは不思議に思った。写真のケーフェンヒラーは、上半身しか写っていないがシャツにネクタイ、ジャケットを着用している。およそ一般的なイメージである囚人服のような格好ではない。背景も白い壁紙が貼ってあるようだ。

 

 まぁ、聞けばわかるさ。

 

 ヤンは端末をしまうと、捕虜収容所に到着するまでの間、しばし昼寝をすることにした。連絡船はどうにも五月蠅くて、眠るのに苦労したのである。

 

 

 

「ここには居ないのですか?」

 捕虜収容所の副署長、ジェニングス少佐に面会したヤンは、意外な事実を聞かされ、そう言い返した。

 

「そうだ。ケーフェンヒラー元大佐は十年前にここを出所している。確か住所はエコニアポリス郊外のペルージアに住んでいるはずだ」

 ジェニングス少佐はそう言って、ヤンの端末を見せろと要求した。ヤンの差し出した端末を見るなり、なんだこれは。何も書いていないじゃないか。最近のマスジットの連中は仕事が雑でいかん。君はブルックリン少佐の部下だって?マスジットの仕事がこれじゃあ先が思いやられるな。

 

 ジェニングス少佐の話を総合すると、そもそも現在のエコニア捕虜収容所は、主に帝国北軍または南軍の捕虜で同盟にとって「価値のある」捕虜を収容しておく場所なのだそうである(大体こういうのは特殊作戦の成果や南北帝国軍との取引で得られる)。確かに43年前、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーはその他大勢の捕虜と共にこの場所に連れてこられて、捕虜生活を始めたわけだが、ある捕虜は帝国に帰り、ある捕虜は同盟に亡命しとその数は減ることはあっても増えることはなかった(戦争がないからしょうがない)。帝国が内戦に突入すると、人的資源が必要な北軍、南軍は捕虜の交換や送還を頻繁に申し入れるようになった。同盟はそれに対し、基本的に応じており、軍の捕虜は急減することになった。

 

 ケーフェンヒラーはその例外といえる存在だった。送還の話に同意することなく、さりとて亡命をする意志もなく、獄を抱き続けて日々を送っていた。状況が変わったのは十年前だった。エコニアの捕虜収容所がその運営方針を転換させることになり、施設の大規模改造が行われることになった。収容所側は、それまで収容していた「帝国軍」捕虜に対し──といってもケーフェンヒラー含め数名しかいなかったのだが──帝国に戻るか亡命するか、それも嫌なら監視付きの自活を行うように要求したのだった。

 

 ケーフェンヒラーは最後の選択肢を選んだ。自由に外に出歩くことができ、自由な生活ができる──ように見えて、定期的に所在を報告しなければならないし、エコニアから出ることもできない。だが、ケーフェンヒラーはその生活を楽しんでいるように見えた。というか、捕虜生活も十年を過ぎると、ケーフェンヒラーは模範的捕虜と認定され、定期的に外出することができるようになり、外でレクリエーションを楽しんだり、ボランティア活動を行うことができるようになっていたようだ。もちろん活動内容にはチェックが入るのだが。

 

 ケーフェンヒラーの死亡が報告されたのは一週間ほど前であった。ジェニングス少佐が言った通り、エコニアポリス郊外の小都市、ペルージアにあるケーフェンヒラーの自宅で、巡回の健康診断をしていた医師が死亡しているケーフェンヒラーを発見したそうである。バイタルデータや既往症のデータにより、急性心不全と診断されたそうだが、詳しい話は担当医ではないと分からないとのことである。

 

「では、診断書はその医師に書いてもらうといいのですか」

 

「そういうことになるな。来て早々申し訳ないが、エコニアポリスに戻ってもらうことになる」

 

「分かりました。こちらで調査しますので、もし分からない箇所があったらご協力願います」

 ヤンはジェニングスに一礼した。

 

「お役に立てる事なら何でも。おおそうだ、確か君は収容所の宿舎の借用願いを出していたね」

 

「はい」

 ヤンの返答にジェニングス少佐はうなずいた。私の想像が正しければ、もうここに来ることはない。エコニアポリスのどこかでホテルを予約してそこに泊まり給え。経理部に私の名前を出せば、後で必要経費は精算してくれるだろう。そちらの方が都合がいいはずだ。

 

「ありがとうございます!」

 ヤンは再度大きく礼をした。ジェニングス少佐は意外と話のわかる人らしい。ラッキーだった、ヤンはそう思った。その時までは。

 

 

 

「ケーフェンヒラーさんの死因ですか。あ、ここに入力しておけばいいのですね。あとサイン?分かりました」

 

 ケーフェンヒラーの死亡診断書を書いた人はすぐに見つかった。驚くべきことにケーフェンヒラーの住んでいたペルージアでは、ケーフェンヒラーは一種の名士であり有名人だった。まぁ、可住化が進行するエコニアでは、40年も同じ惑星に住み続けている人は少数だと言っていいだろう。

 

 トゥルビスキーというその医師は、今の今までケーフェンヒラーを帝国軍の捕虜だとは思っておらず、何故か帝国から亡命してきて、こんな辺境の開発途上惑星に住みついている男だと思っていたと言った。でも、人付き合いは悪くなく、近所からの評判も上々。自治会の会長を務めたことがあったそうだ。ペルージアは最近になって人口が増えた場所なので、そう思われても仕方がないというのはある。近隣の住民によれば、ケーフェンヒラー氏は惑星エコニアの生き字引という存在だったそうで、何か困ったことがあればケーフェンヒラーに話を聞きに行くのが定番だったそうだ。

 

「ああそうだ」

 

 死亡診断書の手続きを大体終えたところで、トゥルビスキー医師がこんなことを言い出した。そういえば、ケーフェンヒラーさんに何度も会いに来ている人が居てですね。そういえば最近あまり来ていないですけど。その人からは、ケーフェンヒラーさんについてもう少し詳しい話が聞けると思いますよ。もしかしたら、帝国時代の話も聞けるかもしれないですね。

 

「ほぅ」

 ヤンはトゥルビスキー医師にその人を紹介してもらうことにした。どうせ仕事を早く切り上げてもメリットがあるわけでもなし、それなら少しは面白い話でも聞かせてもらおうか、そう思ったのだった。

 

 

 

「ヤン中尉ですか。トゥルビスキーさんからは話を聞いてますよ」

 エコニアポリスのとある喫茶店で待ち合わせた男は、四十歳台半ばと思われる外見の中年男だった。送信されたデータグラムによると、名前はアルバート・ワイスマン、マスジット自治大学の史学科に所属している職員兼講師だという。

 

「まぁ、担当している講義はあまりないんですけどね」

 ワイスマンは自嘲気味にそう話を始めた。自治大学では実学ばかりが人気があって。おかげで史学科はメインディッシュの添え物のような扱いです。学生からの人気もない。教員資格の単位のために講義を受講している学生がほとんどですよ。

 

「それはいけないですねぇ。賢者は歴史に学ぶ、ですよねぇ」

 ヤンの言葉にワイスマンはうんうんとうなずいた。ヤンも戦史研究科卒業ということもあって話は自然とはずんだ。いつしか場所はビヤホールに移り、互いの研究内容、同盟史、帝国史と話は尽きなかった。

 

「いやぁ、こんな楽しい酒は久しぶりです」

 

「それは私もです。なにせ赴任して一か月ですから。右も左も分からない次第で」

 

「そうですなぁ。もしよろしければ、マスジットの案内をしてもいいですよ。どうですか」

 

「その節には是非」

 そんな会話を交わしてしばらくして、ワイスマンが話し出した。そうそう、言い忘れていましたが、私の研究テーマは帝国史、詳しくは帝国軍でして。それも内戦が始まる以前の帝国軍の構造についてです。ケーフェンヒラーさんの話は興味深いものばかりで、随分と参考にさせていただきました。いずれ論文を書くつもりですよ。実はですね、研究テーマをケーフェンヒラーさんご本人に絞るべきか、結構悩んだのです。

 

「そうなのですか」

 ご本人がいるとこういう話もしづらいのですが、お亡くなりになられたということで、もう話してもいいでしょう。そもそも、何故ケーフェンヒラーさんがこのエコニアに骨を埋めることになったか。そこが非常に興味深い。

 

 そこからの話は確かに興味を惹かれるものだった。内務省に入省し、その年に結婚、そこまでは良かったが、一年もしないうちに伯爵家の子息と妻が不倫関係となり、離婚を要求されたそうである。ケーフェンヒラー本人はそれを拒否したが、向こうは伯爵でこちらは男爵、爵位の差は歴然としていたそうだ。程なくして妻は家を出ていき、伯爵家で同居を始めたということであった。

 

 ケーフェンヒラーはそれでも諦めなかったそうだが、妻が男子を出産したと聞いてある意味心が折れたのであろう。内務省を退職し、軍人に転身したのだそうだ。皮肉なことに、帝国の、それも貴族の結婚制度は杓子定規なところがあり、男性の側が死亡するか、あるいは亡命して帝国の籍を失わないでもしない限り、同意なき離婚はできないそうなのである。

 

「だからケーフェンヒラーさんは帝国に帰ることも、亡命することもなかったわけですか」

 

「人によって評価はまちまちでしょうね。見上げた根性と言うべきか、諦めが悪いと言うべきか」

 ワイスマンはそう答えた。ケーフェンヒラーさんに話を伺う時、どうしてもあのティアマト会戦のことを聞きたくなるんですけど、こういう話も結構面白いのです。本人は面白いとは思っていないでしょうけどね。でも、法制度の話はさておくとして、こういう話に裏付けを取るのは不可能でしょう。帝国に居ても調べられるかどうか。相手は伯爵家ですからね。

 

「でですね。こういう話を聞くときは、ケーフェンヒラーさんに酒をおごるんですよ。向こうもこっちがそういう下心があるのを分かってますから、遠慮なく飲むんです。あの人、結構酒量が凄くてですね。安月給のこちらとしては辛かった。もちろん、その分話してもらうんですけどね」

 そういえば、と、ワイスマンは話を続けた。最近こんな話をちらっと聞いたんですよね。

 

 ヤンはその話を聞いて背筋を震わせた。酔いもかなり吹き飛んだ。ワイスマン曰く、ケーフェンヒラーは捕虜収容所で組織的な横領が行われており、そのことについて証拠を握っているというのであった。

 

 

 

「それ、本当なんですか」

 

「それは憲兵隊の領域だと思うのですが」

 ヤンの問いにワイスマンはそう答えた。酔っぱらいの戯言を真に受けるのは賢明な態度ではありません。そして惑星エコニアでは可住化と捕虜収容所は重要な産業です。この二つしかないと言っていいでしょう。敢えて捕虜収容所を敵に回すと思いますか。もっと具体的な情報があれば話は別でしょうが。

 

「まぁ、それはそうでしょうね」

 確かに、ケーフェンヒラーのような立場に居れば、捕虜収容所で何が行われているか、何を隠そうとしているか容易に把握できるだろう。捕虜収容所の人員は何年かごとに入れ替わるが捕虜の当人はそうではない。収容所そのものに精通しているのは捕虜の方、というのは十分あり得る。外出だってしているのだから、調べる方法はいくらでもあるだろう。収容所側の追及を躱す方法だって心得ているに違いない。

 

 だが、酔っぱらいの戯言だ。今のところはそれ以外の何物でもない。第一、証拠を握っているなら何故それを暴露あるいは通報しないのだろうか。公金の横領という犯罪に興味がないからなのか、それとも通報しても利益が得られないと思っているからなのか(確かにケーフェンヒラーは金銭や名誉というものには興味が薄そうだが)。そもそもこの話が与太話だという可能性も十分あり得る。

 

「だからですよ。捕虜収容所には定期的に監査が入りますから、そこで分かります。事実が明らかになったら、ああ、あの話は本当だったんだと得心すればいいだけのことですよ」

 ワイスマンの答えは確かに当を得ている。もし不正があるならば、それは監査が明らかにすればいいだけのことだ。部外者がどうこう言っても仕方がない。

 

「まぁ、ちょっと変な話をしてしまいましたかね。ケーフェンヒラーさんは、あまり捕虜収容所の内情については話をしない人でした。私もそれは専門外なので聞かなかった、というのはありますが。でも、どうにもこの話が頭に引っかかっていてですね。それで、ヤン中尉はマスジットの憲兵分隊所属ということなのでお話させてもらいました。これをもう少し突っ込むか、流すかは憲兵分隊の判断になるでしょう。中尉が悩むことじゃないと思いますよ」

 

「ああ、そうですね」

 ヤンはうなずいた。

 

「それよりですね、ちょっと話は戻りますが、オトフリート五世の税制改革、あるでしょう?そこに関しても面白い話が出ているんですよ。その後の内戦に繋がる布石が打たれているというか、そんな話です。実はですね……」

 ヤンとワイスマンの話は河岸を変えること三度、結局朝の五時まで続いてしまった。外は寒さが厳しいが、あと一時間もすれば明るくなるだろう。朝まで飲むというのは、マスジット赴任前にジャン・ロベール・ラップと飲み明かした時以来だろう。

 

 大学の職員兼講師、か。ヤンは思った。金に不自由しない、とはいかなそうだが、なかなか面白そうな職業だ。准教授というような、教授の名前がついてしまうと研究成果を挙げることが求められる。仕事だからそれは仕方がない。だが、職員を兼業した講師であれば、そういうチェックも緩そうだ。だから、ケーフェンヒラーという人間にスポットを当てた研究ができるのかもな、ヤンはそう思った。将来の職業として考えても悪くないかもしれない。こちらには恩給があるのだから。だが、まず何はともあれ、目の前の書類を片付けることだ。

 

 ヤンはホテルに戻ると、私服を脱ぎ、軍服に着替えてシャワーを浴びた。コーヒーを飲めば酔いは大体飛んでいく。マスジットの憲兵分隊本部が業務を開始する時刻を見計らってブルックリン少佐に連絡を入れた。

 

 

 

「追加調査ですか?」

 ブルックリン少佐からの命令は思いがけないものだった。

 

「そうだ。ケーフェンヒラー元大佐の死亡通知について、フェザーンの南北双方の弁務官事務所に既に送ってあったのだ。そうすると、北朝の弁務官事務所から問い合わせが来てな、その追加調査を中尉にやってほしいのだ」

 

「それは……いいのですが私で務まりますでしょうか」

 

「四十年以上前の話だ。誰がやったって務まるものは務まるし、務まらないものは務まらない。ならば君がやっても問題なかろう。実際時間はあるし、この調査で一週間潰しても何の問題もない。でも調査でトラブルが起きると方々が迷惑する。そういうわけで君に頼むのだ」

 

「はぁ……」

 ヤンのため息とも判別がつきがたい反応を同意と受け取ったのか、ブルックリン少佐は一つのコミュニケータIDを送信してきた。詳しくはそこと話をしてほしいとのことだった。ヤンがあれこれ質問しようとする前に、ブルックリン少佐は通信を切ってしまっていた。

 

 

 

「自由惑星同盟のヤン憲兵中尉ですね。こちら、ラインフォルト軍人保険フェザーン支社のメッテンベルガーと申します。よろしくお願いします」

 超光速通信(FTL)で通信した先は、帝国北朝にあるとある保険会社の社員のようだった。話によると、帝国の士官は大抵、死亡保険に入っていて、戦死または捕虜の間に死亡すると保険金がおりるのだそうである(同盟の場合は、政府から戦死弔慰金が支払われるため、このような制度はないわけではないが普及していない)。同盟から死亡の通知が来たため、担当の保険会社が調査を行ったところ、データにおかしいところを見つけたとのことだった。

 

「顔がおかしい、ですか?」

 

「はい。軍務省から送られてきたデータと照合しているのですが、似ている似ていないレベルではなく、骨格レベルで人相が違います」

 

「ですが、四十年以上前のデータでしょう?」

 ヤンは反駁したが、メッテンベルガーは引き下がらなかった。大佐で四十年以上捕虜生活を送り死亡、となるとこちらが支払う額も相当なものになります。別に支払わないというわけではありませんが、本人確認はそれなりにさせていただかないと。そちらが送ってきた写真が間違っている可能性があります。なにせ四十年以上前の話ですからねぇ。どこかで話が食い違っていても仕方ないでしょう。

 

「生体情報はないのですか」

 そう聞かれてヤンは口ごもった。ヤンの知る限り、ケーフェンヒラー老人は既に埋葬が済んでいる。それさえなければ遺伝子情報を取得することができただろう。それが必要だからと言って墓を掘り返せるかというと、それは非現実的と言わざるを得ない。裁判所の令状が必要なレベルである。帝国の会社があれこれ言っても認められる可能性はゼロだ。

 

「例えば、過去の写真とかそういうものは。ケーフェンヒラーさんはスマート端末を持っていたのではないのですか。あるいはソーシャルネットワークに個人情報がある可能性は」

 

「ケーフェンヒラーさんの端末は、キャリアからの貸与品で、もう初期化されたそうです。また、ソーシャルネットワークというものを嫌っておられたそうで、ショートメッセージサービスぐらいしか契約していなかったと」

 これについては、ヤンが事前に準備していたことであった。というか、診断書を書くために調査したことに含まれていたのである。ケーフェンヒラー老人が犯罪に巻き込まれていないとは限らないからだ。

 

「では、実地調査ということになりますね。同盟には捕虜の記録というのは残っていないのですか」

 いや、出したそのデータが記録だろう。ヤンはそう言いたかったが、中尉になりたてのヤンは、まだ交渉術というものを十分会得できていなかったことも確かである。それに、ケーフェンヒラー老人に対する興味が湧いてきたという側面もあった。

 

「とりあえずこちらで調査をしてみますが、成果は期待できないかもしれません。クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー元大佐は心不全により死亡、それが今のところの公式見解です」

 

「そこのところは問題ありません」

 メッテンベルガーは即答した。ですが、ご遺族がそれで同意されるかどうかは、我々にも何とも言えません。最近の帝国は、貴族も手元不如意であることが多くてですね。軍人保険の保険金は誰でも欲しがるものです。ごく一部の門閥貴族を除けばですが。もしかしたら、顧問弁護士経由で調査を要求されるかもしれません。そんなことをしても、もらうものより出ていくものの方が多いと思うのですけどね。

 

 メッテンベルガーの話し方から、北朝を支配するとされる大財閥と貴族の力関係が窺えるというものである。

 

「では、良い返事をお待ちしております」

 メッテンベルガーはそう言って通信を切った。ヤンはブルックリン少佐へ通信をかける。

 

 

 

「で、どうしたいんだね」

 ヤンの報告にブルックリン少佐は投げやり気味にそう言ってきた。追加で2、3調査するならまだしも、ケーフェンヒラー本人の情報に疑義が呈され、考えが変わったようだった。どうやらブルックリン少佐は、帝国の保険会社をあしらう役目をヤンに押し付けた、そのつもりだったようだ。帝国がそう言ってきたから調査をしたいのかね。これでも我が同盟と帝国は交戦中だ。隙あらばこちらを殺しにやってくるかもしれない敵のことを聞くのかね。そこまで帝国に義理立てする必要もないだろう。

 

「でも、おかしくはありませんか」

 ヤンは言った。帝国が持っている情報と、同盟が持っている情報が食い違っている。それだけでも何か謀略が進行していると考えるのが筋ではありませんか。

 

「どういう謀略かね」

 

「例えば、我々がケーフェンヒラー老人だと思っていた人は、全くの別人であったと。帝国が情報工作の一環としてすり替えを行ったわけです」

 ヤンはそう言ったが、そのようなことを信じていたわけではなかった。

 

「そのような可能性があるとしたらだ」

 ブルックリン少佐は言った。だとしたら、帝国がこちらの情報調査能力を調査するための謀略、と考える方がずっとまともだ。あれこれ調査して報告してみろ。帝国はその結果を見て、どんなスパイを送り込むべきか決めるだろうよ。

 

「もし帝国がそういう目的で本気なら、保険会社ではなく、弁護士を使ってくるのではないでしょうか。ケーフェンヒラー老人はあれで男爵家の一族です。跡目争いと無縁ではありますまい」

 ヤンはメッテンベルガーの言葉を一部援用して反論した。ヤンとすれば、調査が必要か不要かというより、調査に興味があるかそうでないか、という視点で話をしている。第一、調査を適当に切り上げて戻ったとしても、しばらくは無聊をかこつしかないのである。

 

「なるほどわかった」

 ブルックリン少佐は半ば呆れたように言った。ヤンの言葉を、職務遂行意欲の発露と見なしたようだった。まぁ、しばらくは中尉にやってもらう仕事もなさそうだからな。とりあえず三日間、その間好きにするがいい。だが、定時連絡は欠かすなよ。それと、

 

「経費は使い過ぎるな。ちゃんと経費の規定を読んでおけ。分からなければ総務に相談しろ」

 やっぱりその一言であった。

 

 

 

 翌日、ヤンはケーフェンヒラーの自宅を訪れた。ケーフェンヒラーの自宅は、丁度ヤンがマスジットにて借りている士官用官舎と同じような構造をしていた。寝室と書斎用の部屋が1つずつ、キッチン、シャワー、トイレと洗面所他。3階まである集合住宅の1階に老人の自宅があった。

 

「ケーフェンヒラーさんは本当にいい人でしたよ」

 そう話すのは、集合住宅の大家であるマッケンジー夫人である。家賃は滞納しないし、掃除もこまめにやってくれて、人当たりもいいのよ。70近いって聞いたけど、とてもそうは見えなかったわね。それで独身でしょう?ウチのろくでなしがいなければほっとかなかったんだけどねぇ。

 

「綺麗に片付けられているようですが、どなたがこれを?」

 マッケンジー夫人に少々気圧されつつ、それでもヤンは何とか質問した。ケーフェンヒラーの自宅には私物と呼べるものは全くなかった。書斎として使っている部屋が、壁一面本棚であるので、生前はさぞかし本や資料で埋め尽くされていたのだろうなぁと想像するぐらいである。実に惜しいことだ。

 

「そうそう。十日前ぐらいかしら。ケーフェンヒラーさんが亡くなったのが分かって、どこからか兵隊さんがやってきたのよね。捕虜収容所から来たって言ってたけど。で、私物をみんな箱に入れて持って行ってしまったのよ。何でもケーフェンヒラーさんは帝国軍の人で、軍にとって大事な捕虜だったんですって?その時初めて知ったのよね。てっきり亡命した人だと思ってたのよね。まぁ、いずれにせよ、こちらとしては有り難かったわ。最初どうやって片付けようか悩んでいたから」

 やはり資料類で足の踏み場もなかったということか。それにしても収容所が何故出てくるのだろうか。

 

「あの、その軍人から名前を聞きませんでしたか?あるいはデータグラムを受け取りませんでしたか」

 ヤンの質問にマッケンジー夫人は、ああそういえばと言って、スマート端末を取り出してヤンに見せた。エコニア捕虜収容所第7警備分隊 ジャック・ギルフォード中尉、とあった。年齢はどれくらいですか?中年の男性。軍人はどれくらいいましたか?4、5人ね。なるほど。私物というと、食器とかはどうされましたか?そういうのは置いていった。コミュニケータやスマート端末はどうしましたか?置いていった?そうなんですか。

 

 ヤンは首をひねった。そういう端末は情報の宝庫のはずで、情報が欲しい時にそこを押さえないのはどういうことか。ただ、他人のコミュニケータを理由もなく持ち歩くのは、それはそれで剣呑な行為ではある。でも捕虜収容所が捕虜の資産についてそんなことを考えるだろうか?

 

 

 

「ジェニングス少佐が不在?」

 捕虜収容所に問い合わせたヤンは、思いもしない回答に面食らった。副所長のジェニングス少佐は、突然所用と称して出て行ったそうなのだ。行先も用事も何も告げずにである。

 

「いつ頃戻られるのですか?」

 ヤンは聞いたがそれも分からない、という回答だった。この捕虜収容所以外大したものがない惑星において、行先も用事も言わずに出かける用事とは何であろうか。愛人の所に通う時だって、堂々と言ったって問題はないだろうに(もちろん、奥さんには隠しておかなければならないが)。

 

「こちらはとある調査業務に従事しておりまして、エコニアの捕虜収容所に収容されているとある捕虜についてです。ジェニングス少佐は、ここに勤務して長いそうですが、同じようにここに精通している人とか居ませんでしょうか」

 ヤンはダメ元で受付に聞いてみた。受付は、調べてかけなおすので待つようにと言って通信を切ってしまった。ヤンとしては、収容所からイエスかノーの答えを早くもらいたかった。そうでないと、捕虜収容所行きの公共バスに乗れないからである。そうそう経費を無駄遣いするわけにもいかないのだ。

 

 収容所からの返信は三十分後にあったが、結果はノーだった。ヤンとしては残念だったが結果オーライと言えないこともなかった。収容所行きのバスは数分前に出てしまっていたからだ。となると、別の方面から調査を進める他はない。

 

 

 

「ケーフェンヒラー老人の資料ですか?もちろん見たことありますよ。本棚にぎっしりとファイルや資料を詰めていましたなぁ」

 幸いなことに、ワイスマン氏とは簡単にコンタクトを取ることができた。ワイスマンもエコニアに用事があるらしく、二、三日はここに居るとのことだった。ヤンが知りたいのは、ケーフェンヒラー老人が生前どのような活動を行っていたのか、ということである。それは帝国の保険会社への回答にも繋がるし、自身の知的好奇心を満たすことにもなる。どちらかというと、後者を達成することの方がヤンにとって重要だった。

 今回の会談は、ケーフェンヒラー老人が好きだったというステーキハウスだった。別にケーフェンヒラー老人は健啖家というわけではないが、付け合わせ用に置いてあるソーセージと帝国産のビールで結構な時間粘ったそうなのである。

 

「それで、ヤン中尉が今日訪ねて行ったら、何もなかった、と。それは奇妙なことですねぇ……と言いたいところですが、それは詐欺か何かじゃないでしょうか」

 

「詐欺ですか?」

 あるいは白昼堂々窃盗をやったというべきか。独居老人が死んだという話を聞くと、そういうハイエナがやってくることがあるらしいんですよ。金目のものを根こそぎ持っていくというか。大家もそれに協力してしまうことがあるんだそうですよ。引き取り手のない私物を無料で持っていくというのは願ったり叶ったりですからね。

 

「でもおかしいですよ。コミュニケータやスレート端末はそのまま置いていったそうですよ。真っ先に狙われるものが何故放置されるんですか」

 ヤンがそう質問すると、いや、中尉殿は憲兵になってまだ間もない。まだ分かっていないですねぇとワイスマンは答えた。確かに、コミュニケータや端末類は金になる。だからこそ、それが判明すれば治安警察が動くじゃないですか。そうなると途端に身動きが取れなくなる。結構な確率で逮捕もされるわけですよ。でも、紙の束はそうじゃない。それに価値があると思っているのは、それに気づいている人だけです。本人か、詐欺師ですよ。そんなものが無くなったって誰も気にしないですからね。惑星エコニアは産業がない。だから治安も悪くなりようがないんですよ。こんなところですぐ足がつく詐欺なんてやれないですよ。

 

「なるほどなぁ」

 確かにそれは迂闊だった。ヤンは己の不明を愧じた。悪人が生き残る時、それはその人なりのリスクヘッジがあればこそ、というわけだ。

 

「ところで、ケーフェンヒラー老人は、一体何故そんなにしてまで資料を集めていたんでしょうか」

 ヤンは聞いた。そもそもケーフェンヒラー老人が何に情熱を傾けていたのか、それに関して何ら情報がないのである。

 

「ティアマト会戦のことですね」

 ワイスマンは天井を眺めながら答えた。何か、あのご老人は、自分の人生を振り返るような、そんなことをしていました。自分と同じく捕まった捕虜からの聞き取り調査もやってたようですし、同盟の元軍人から話を聞いたりしていました。もちろんオンラインでですよ。だから、近傍の星系に居る人しか話を聞けなかったのではないでしょうか。そういえば、ケーフェンヒラー老人の手帳を見ましたか?おや、なかった。確か、一度見せてもらったんですよ。アルフレッド・ローザス大将のサインをですね。たまたま、ローザス大将が視察に訪れた時に貰ったと言っておりました。他にも、いろいろ集めていましたよ。ケーフェンヒラー老人はその時大佐でしたから、当然、帝国軍側の幹部なわけですよね。参謀として、艦隊司令官とも付き合いがありました。流石に、最高幹部とは付き合いがないのですけど、ティアマト会戦時は、あのコーゼル大将の艦隊に勤務していたそうですね。

 

「コーゼル大将ですか」

 ヤンは目を瞠った。コーゼル大将といえば、当時珍しかった平民出身の大将で、その剛毅さ、大胆不敵さで同盟にもファンが多い。ティアマト会戦を題材にしたドラマでも、帝国軍の勇将といえば真っ先にその名前があがる。冷静沈着な智将シュタイエルマルクと共に、ヴィランとして非常に目立つ存在だ。

 

「丁度、コーゼル大将の艦隊に転属になって、最初に臨んだのがティアマト会戦だそうです。コーゼル大将は戦死してしまいましたから、上司部下の関係はそれほど長くなかったんですけどね。で、転属する前に居た艦隊が、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督の艦隊だったそうです」

 

「ミヒャールゼン提督……ですか」

 ヤンは首をひねった。いかに歴史好きのヤン・ウェンリーといえど、帝国軍の高級将校を全員覚えているわけではない。

 

「マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター元提督と個人的な交流があった方ですよ」

 その言葉にヤンは、ビールグラスを取り落としそうになった。

 

 

 

 マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター。

 

 もちろん、名前から帝国人であることは自明なのだが、大抵は「元帝国人」として知られている。帝国騎士の家に生まれ、軍官僚として出世し大将の位まで昇った。そして、当時は機雷堰もないイゼルローン回廊を十日間かけて通り抜け、自由惑星同盟に亡命したのである。その冒険行も有名だが、ジークマイスターが何でもって知られているか、というとブルース・アッシュビーの外交面でのブレーンとしてである。ブルース・アッシュビーが、ティアマト会戦で重傷を負い、奇跡的に復帰した時、同盟軍は帝国に対し攻勢に出るか、守勢を続けるかの二つの選択肢があった。選択したのは後者であったのだが、ジークマイスターの献策があってのことだとされている(もっとも、現在においても諸説はある)。

 

 このジークマイスターには裏の顔がある。銀河帝国に対する諜報網の元締めである。もちろんアッシュビーもジークマイスターも、730年マフィアの面々も認めたことはないが、ジークマイスターがティアマト会戦より前から、アッシュビーに対して帝国内の情報を流していたと思われる状況証拠がいくつか提示されているのも事実であった。

 

 アッシュビーをアッシュビーたらしめていた男、陰に隠れたキーマン、ジークマイスターという人間を語る時、そういう言い方がよく使われる。

 

「ケーフェンヒラーさんは、何か宿命じみたものを感じていたようですね。長い長い捕虜生活、自分の生きてきたこれまでの道、そこで出会った人々が織りなす歴史。それをまとめあげることに生きがいを感じている、そんなことを話しておられました。私も、聞かれたんですよ。こういう資料はないか、とか。確かにハイネセンでは手に入るかもしれませんが、ここはエコニアですからねぇ。通販も万能ではありませんし。それでですね……」

 

 ワイスマンとの話は、予想通り脱線した。双方とも歴史好きだけあって、一度脱線すると元に戻ることは難しい。その後、ティアマト会戦前後の同盟政治について延々と討論が行われ、結局そのビアレストランの閉店まで粘ることになった。

 

 さすがにその日は徹夜飲みにはならなかった。ヤンにもワイスマンにも翌日の予定があったからである。

 

 それにしてもケーフェンヒラーという人は、掘れば掘るほどいろんな面白い話が出てくる。それがヤンの印象だった。コーゼル大将の配下で、その前はミヒャールゼン。もし、ミヒャールゼンとジークマイスターとが交流があったという話が本当なら、もしかしたら、ジークマイスターはミヒャールゼンから帝国の情報を流してもらっていた。そういう可能性すらあり得る。自分は、帝国史の裏、それに触れているのかもしれない。

 

 だが、それはヤンが掘り当てた情報ではない。全て、ワイスマンから聞いた伝聞情報ばかりである。結局、ケーフェンヒラーという男がどんな人間なのか、その実像は杳として知れない、そう言うほかはない。

 

「情報作戦とは幽霊のようなものだ」

 士官学校時代、戦史研究科のとある教授の言葉をヤンは思い出す。軍隊というのは結果で評価される環境だが、通常の軍事作戦ではプロセスも重視される。軍法に違反すれば軍法会議にかけられるのは知っての通りだ。だが、情報作戦とは結果に至るまでのプロセスというのはほとんど無視される。幽霊と同じで、人は幽霊を怖がるが正体を気にすることはない、そういうことだ。さらに言うと、幽霊はその外見で人を恐怖に陥れるが、実際に手を出すことはない。これも情報作戦と類似している。種明かしを見れば大したことはないが、イメージを駆使して成果をあげるのが情報作戦である。

 

 どの教授がそう言ったのか、ヤンは思い出せなかったが、その言葉だけは妙に印象強くヤンの頭に残っていた。もし、ミヒャールゼンとジークマイスターの間に情報のコネクションがあったとしたら、二人のスパイマスターの接点となり得る男は、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーだったかもしれない。だが、未だそれは想像に過ぎないのだ。その実体がすぐ目の前にあるように見えて、手を伸ばそうとしても掴みどころがない。まさに幽霊の名に相応しいと言えるだろう。

 

 

 

 翌日──

 

 ヤンは捕虜収容所行きのバスに乗っていた。ジェニングス副所長に面会し、ケーフェンヒラー老人が残した資料を回収していったという軍人?について調査するのが目的だった。後は、ケーフェンヒラー老人の為人についても、もし分かれば調べるつもりだった。もしそこまで踏み込むことができれば、帝国側にも確たる自信を持って対応できるだろう。ヤンはそう考えていた。

 

 バスから降りたヤンは、何ともいえない違和感を覚えた。収容所の前に治安警察のパトカーが駐まっている。それも三台も、である。さらにその横には救急車が駐まっている。これはただ事ではない。何か収容所内で事故が起きたのだろうか。もしかしたら大規模な事故かもしれない。

 

 まぁ、事の次第は後で詮索することにして、ヤンは入口の受付に行った。だが、誰も居ない。本来なら入口に何人か詰めていなければいけないのに、誰もいないのである。貼り紙に連絡先が書いてあったので、ヤンは通信を入れた。随分と待たされて、何者かが通信に出た。

 

「あん?すまんが今日は誰も入れない。明日以降にしてくれ」

 

「ちょっと待ってください。一体どういうことですか」

 つっけんどんな対応にむっときたヤンは、珍しく即座に反論した。

 

「とにかく、今日は収容所には誰も入れない。納品業者も今日は帰ってほしい。表のパトカーを見ただろう」

 通信相手はそれだけ見て理解しろ、という感じだった。

 

「私は業者ではありません。マスジット憲兵分隊のヤン・ウェンリー中尉です。軍の任務でジェニングス少佐に面会に来たのです」

 ヤンがそう言うと相手の態度が変わった。いや、相手が反応したのはジェニングスという単語だったかもしれない。え、ジェニングスだって?

 

「中尉、もしかしてまだ知らないのですか」

 コミュニケータの向こうで、態度がおどおどしているのがヤンにも分かった。

 

「知らないです。一体何が起こったんです」

 その後、コミュニケータの向こう(後で聞いたところによると総務課の軍曹だったらしい)から聞こえた事実に、ヤンは言葉を失った。

 

「ジェニングス少佐の死体が発見されたのです。あれは間違いなく他殺ですよ」

 

<後編に続く>

 

 

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