銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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外伝第一話 クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーの死(下)

 その部屋は、薄暗かった。

 

 窓はなく、壁の一か所に換気扇があるだけ。うすら寒いのは、今のヤンにとっては救済といっていいだろう。天井には長方形のライトが二か所、これだけでは室内全体を照らすのに不十分である。ヤン・ウェンリーはここで一週間を過ごしている。朝早く宿舎代わりの営倉からここに連れてこられて、夜になったら営倉に連れ戻される。尋問がある時もあれば、放置されることもある。真夜中にたたき起こされて、朦朧とした意識の中で尋問を受けたこともあった。

 

「それでヤン中尉。供述書にサインする気にはなったかね」

 机の向こうの尋問官が無表情で言う。この尋問官とは結構な時間を共有しているが、階級が大尉であること以外何も分からない。尋問官とヤンが座っている椅子は、安物ということだけは分かるスチール製のもので、とにかくギシギシと嫌な音をたてる。

 

「結論は、変わり、ません」

 ヤンはぽつぽつと答えた。陳述書とは、ヤンと尋問官が向かい合って座っている机に広げてある数枚の紙のことである。何と書いてあるか、最初に尋問官が一通り説明したはずだが、ヤンはほとんど聞き流していた。結論だけ分かっていれば十分だからである。その陳述書は、ヤン・ウェンリーがジェニングス少佐を殺害した、ということが書いてあるからである。

 

 いったいぜんたい、どうしてこうなってしまったんだ──

 

 ヤンはここに来てから何度も繰り返した、回想をはじめることになる。

 

 

 

 一週間前──

 

「ジェニングス少佐が殺害!?」

 ヤンの大声に受付係は、中尉殿、大声はやめてくださいとこたえた。

 

「ともかく中尉殿、副所長に会いに来て、他に用事がないのであれば、すぐに帰った方がいいですよ。これは危険です」

 ここでヤンは、受付係の忠告を有難く受け取り、すぐさまUターンすべきであったろう。しかし、実に残念なことに、任官して間もない青年士官にありがちな、任務に精励する精神がそれを邪魔した。それに、殺人事件(まだそう決まったわけではないのだが)という日常にないトラブルが野次馬根性をかきたてた、というのもあったかもしれない。

 

「そういうわけにはいかない。自分はここに収容されていた捕虜の調査をしている。ジェニングス少佐に詳しく話を聞きにいくところだったのだ。無関係とは思えない」

 受付係の軍曹は眉をひそめ、それであれば表にいる治安警察に話をきけばいいと言った。とにかくですな

 

 ここで軍曹は一段声を小さくした。

 

「コステア所長に関わってはいけません。詳しくは言えませんが」

 

 

 

 それからヤンは表の治安警察に話を聞きに行った。対応した警官はこれまた塩対応で、現場検証を行っている以上のことは何も話してくれなかった。しかし、ジェニングス少佐の件について、場合によってはコステア大佐に話を聞きにいかなくては、とヤンが言い出すと途端にびっくりして

 

「中尉殿、それは本気ですか」

 警官の言葉に、さすがのヤンも認識せざるを得なかった。どうやら、所長のコステア大佐と副所長のジェニングス少佐には、何か良からぬ方向の関係があったらしいことを。といっても、今のところヤンが会ったことがあるのはジェニングス少佐だけで、会話もごく短時間。収容所の職員とも話をしたことはない。どのような関係なのかは分からないが、これだけ地元の人間に知られているということは、何かしらの政治的な対立関係なのであろう。そうでなければ、ヤンを立ち入らせないように試みることはないからだった。

 

 警官はそれから何か話そうとしたが、コミュニケータに着信が入り、何かを話すと、突然ぴしっと敬礼をして、収容所の入り口を指さした。

 

「コステア大佐が入り口におられます。中尉殿からお話をお伺いしたいと」

 

 

 

「君が……ヤン中尉かね。私は所長のコステアだ。階級は大佐だ」

 コステア大佐は目尻がわずかに下がった茶色の目、黒髪のあちこちに白いものが交じる老齢の高級士官だった。

 

「マスジット憲兵分隊のヤン・ウェンリー中尉であります」

 ヤンの敬礼にコステアは答礼し、まぁ、入り口で話すのもなんだ、ということで応接室に案内された。いくつかのやり取りの後、ジェニングス少佐に面会を希望した目的を聞かれて、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー元捕虜の死亡原因について、とヤンが答えると、コステアのそれまでの、どちらかといえば柔和な表情が硬くなった。

 

「クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーで、あるか」

 

「はい。元捕虜の死亡原因について、帝国から再調査の依頼がありましたので、調査しております」

 

「死亡原因、とな。重ねて聞くが、捕虜の死亡原因など、帝国が知ってどうなる。知ったところでそれが真実であると判断できるわけでもあるまい」

 

「それはそうですが、帝国軍はどうか分かりませんが、帝国の保険会社はそう思っていないようです。こちらとしては、書類を整え、帝国──いや、保険会社に返答しなければなりません」

 

「それで死因は分かったのかね。いや、再調査とは何をしようとしていたのかね」

 

「いえ、死因を掘り下げるのではなく、裏付けを取りたかったのです。ちょうどこちらに、ケーフェンヒラーさんの自宅を調査したギルフォード中尉殿がおられるので、その人にお話をということで」

 

「ギルフォード」

 コステアは低く、うなるような声で言った。

 

「ギルフォードとは、どこのギルフォードだ」

 

「第7警備分隊のジャック・ギルフォード中尉であります」

 ヤンは胸ポケットのメモを取り出しつつ答えた。メモを見ながら答えるヤンは、コステアの表情が急変したことに気づくのが少し遅れた。コステアが手元のインターホンボタンを押すと、いきなり警備兵が二人、応接室に入ってきて、ヤンにブラスターをつきつけた。

 

「ヤン・ウェンリー中尉。お忙しいところ恐縮だが、ジェニングス少佐の死亡原因について、いくつか聞きたいことがある。君は拒否する権限もあるとは思うが、辞退してくれるな」

 さすがにブラスターを突きつけられたら、うなずくしかなかった。

 

 

 

 それから尋問がはじまった。収容所内の営倉に放り込まれ、手錠をつけられたままの生活を強要された。営倉の中にはトイレとベッドしかなく、はるか高い天井から、ライトが一つ吊るされているだけであった。これが24時間点灯しているので、ヤンにはたまらなかった。いや、手錠をつけられたままなので、トイレの後に尻を拭けないのがもっと苦痛だったが。

 

 まず、ヤンがエコニアに来た目的、行動内容について執拗に尋問が繰り返された。供述のわずかな矛盾も容赦しない、そういう態度だった。特にジャック・ギルフォードという名前とアルバート・ワイスマンという名前には敏感に反応した。誰から名前を聞いたか、データグラムは受け取ったか、何を話して何を聞いたか、そういう質問が繰り返された。

 

 ヤンにとっては不思議なことであったが、ワイスマンについては執拗に質問が繰り返されるものの、ワイスマンとヤンが話した内容のことについては、尋問官は興味を示さなかった。話している途中に貴様の話はもういい、とさえぎられた。

 

 もちろん、質問は許されなかった。何故、こんな目に遭わなければならないのか、何故、外部との通信は許されないのか、ジェニングス少佐の死とどういう関係があるのか。何度かヤンも質問したのであるが、答える義務はない、という返答の後時には鉄拳も飛んでくるとあってはヤンも黙るしかなかった。そういう尋問が朝早くから夜遅くまで続けられた。朝と夜が分かるのは、営倉では時刻を告げるチャイムが聞こえてくるからである。

 

 尋問の内容が切り替わったのは三日目からであった。不毛なやり取りに苛々したのか、尋問官は「単刀直入に、ジェニングス少佐との取引内容を話せ」と言ってきたのである。驚いたヤンは、ジェニングス少佐を認識したのは今回が初めてだ、と言うと、驚愕の事実を話し出した。エコニア捕虜収容所にはジャック・ギルフォードなる人物は存在せず、第7警備分隊なる部署も存在しないというのである。そして、ケーフェンヒラーの自宅から消えた資料については、捕虜収容所側も行方を追っているとのことであった。そして、ジェニングス少佐は捕虜収容所の不正に関与しており、ケーフェンヒラーがその証拠を握っているというのである。

 

 捕虜収容所での組織的な横領──

 ケーフェンヒラーはその証拠を握っている──

 

 ヤンの中で何かが繋がった。捕虜収容所で横領があり、ジェニングス少佐がその元締めということなのであろう。もしかして、その横領が露見しそうになり、首謀者としての立場をジェニングスがコステアに押し付けようとした、ということなのであろうか。その証拠となりそうな資料をケーフェンヒラーが握っており、死後、資料はジャック・ギルフォードを名乗る謎の人物によって持ち去られた。コステアとしては、その資料を見つけて事実を明らかにしない限り、自分の政治的立場(どころではない)が危うくなる。

 

 これはとんでもないことになった──

 

 ヤンは青ざめた。単なる資料調査であったものが、いつの間にかとんでもない組織不正に知らずのうちに首を突っ込んでしまったことになる。ヤンは言った。その横領については噂を聞いたことがある。もっと詳しい情報はアルバート・ワイスマンという男が知っている。マスジット自治大学の講師をやっている。とにかくその男を探し出した方がいい。

 

 ヤンの言葉を全く信じたわけではないだろうが、尋問官は引き揚げていった。そして、半日ほど経った後、もともと赤ら顔の尋問官がさらに顔を赤くして、ヤンを尋問室に引っ張っていった。

 

「貴様どういうつもりだ」

 尋問官はヤンにつかみかかった。そこからの話はヤンですら腰を抜かしそうになった。アルバート・ワイスマンという人物はマスジット自治大学の職員に存在せず、ヤンが話した特徴の人物についても心当たりがないというのである。そもそも史学科では、職員と講師を兼任すること自体がないというのである。

 

 ヤンは混乱した。あれだけ饒舌にケーフェンヒラーのことを話していた人物が、氏素性も分からない謎の人物? 確かに受け取ったデータグラムは、偽造しようと思えばできないことはないが、何故そこまでやる必要があるのか。それにケーフェンヒラーとは何度も面会していたと、死亡診断書を書いた医師が言っていたではないか。偽の身分で何をしていたのだ? 

 

「ともかく中尉。貴様の話は嘘だらけだ。信用できん」

 尋問官はそう言って出て行った。そして二日放置されてしょっぴかれた結果、提示されたのが供述書というわけである。もちろんヤンは抗議したが、貴様の話は信用するに足りん、ならこうするしかないと言われてしまった。マスジットの憲兵隊と連絡を取らせてくれとも言ったが返答はもちろんノー。そもそも連絡も取れず一週間近く経過していたら、連絡を取らない方が不審というものだろう、そう反論したが、マスジットの憲兵隊には収容所の重大問題について任意の取り調べ中と回答した、と言われてはそれ以上何も言えなかった。

 

 しかしヤンはサインするわけにはいかなかった。というかサインしてしまったらその先に何が待っているというのか。まぁ普通に考えれば口封じ一択である。こういう供述書には生体認証資料だけではなくサインも必須であるのが軍法の基本原則なわけであるが、そういう法的制度がヤンを生かしているのであった(これについては法的議論が何十年にもわたって続いている)。

 

 とにもかくにも、今のヤン・ウェンリーについては、時間を稼ぐ以外の選択肢はなかった。取り調べといっても無制限にできるわけではなく(確か長くても三日間ではなかったか)、そうなればマスジットの憲兵隊も動かざるを得ないはず。いかに暇を持て余していた中尉であっても、放置するわけにはいかないはず。もし、ヤンが数年経験を積んでいた憲兵であれば、異常事態に際して先に手を打っておくとか、情報の提出に慎重になるとかでコステア側の譲歩を引き出す腹芸ができたのかもしれないが、今のヤンは唯々諾々とカードを切って、そのいずれもが空振りに終わってしまったわけだ。

 

「ヤン中尉。何度も言うようだが、時間は貴様の味方ではない。もし、マスジットの憲兵隊が動き出したとなれば、こちらで確実に検知できる。そうすれば貴様の運命は定まったも同然だ。それが分からないわけではあるまい」

 要はサインのない供述書で見切り発車をするということであろう。署名(予定)者が死体となって発見された状況では、証拠能力については大きく減じることになるだろうが、それはそれでいたしかたないことだ。ここまで頑なな態度というのは、もしかしたらジェニングス少佐が不正に関与していた、というのも嘘で現実は正反対、ということもあり得る。コステアが不正の首謀者であれば、この尋問官も、不正に一枚嚙んでいるのかもしれない。だからといって、ヤン・ウェンリーがそんな集団犯罪の隠蔽に協力する義理などないのだ。命を奪われるとなってはなおさらだ。

 

 そうやってサインをする、しないの問答が続き、尋問官からは手を替え品を替えサインを促すための要求なり恫喝なり哀願なりが行われた。ヤンが首を縦に振らないと見るや、今度は食事が供給されなくなった。警備の兵は居たが、ヤンが何を言ってもそういう指示だと言うばかり。流石にここまで法を無視した扱いを受けるとは、とヤンは憤慨した。かなり前からそういう扱いは受けているのであるが。こうなったら汚名を被るか、干し殺しのいずれかか、どちらか一つを選択せざるを得なくなる。いよいよか。

 

 

 

 絶食状態が始まった翌日──

 

 朝、起き上がったヤンは備え付けの便器で用を足していた。食べるものや飲むものがなくても、出るものが出なくなるまではしばらく時間がかかる。両手が不自由な状態での用便にも慣れた。けっして慣れたくはなかったが。

 

 それが起きたのは、ヤンが用を足し終えた直後のことだった。突如轟音と共に、営倉の壁に大きな穴が開く。何が起きたのかヤンが理解する前に、何か石のような物体が転がり込んできた。これまたヤンが正体を判断する前に、煙が勢いよく噴き出した。あまりの刺激臭にたまらずむせる。状況の激変に全く対応できないままに、ヤンは腕を掴まれて引っ張り出された。

 

「ヤン・ウェンリー中尉ですか」

 営倉の外でヤンが対面したのは大男だった。顔はガスマスクを装着しているので多分大男と言うべきかもしれなかったが。ヤンはうなずいた。正体を示す唯一の情報は肩にある軍曹の階級章のみであった。

 

「中尉殿を救出しに参りました。走れますか」

 ヤンはああ、ちょっとズボンを穿かないと──そう言ったつもりだったが、軍曹はヤンが手錠のせいで自由に行動できないと思い込んだらしい。手錠を掴むと

 

「中尉殿。ちょっと失礼します」

 軍曹はヤンの手錠、電子チェーンの根元部分を掴むとぐっと引っ張った。途端にばちっと派手な音を立てて、電子チェーンは粉々に崩れてしまった。

 

「これで問題ありませんか」

 とんでもない怪力だとヤンは背筋を震わせた。だが、後で知ったのだが、手錠を交換もせず着けっぱなしにしておくと、二、三日で手錠自身のバッテリーがあがってしまい、素人でもちょっと力を入れれば壊れてしまう状態になってしまうのだそうだ。ヤンが一週間以上も手元不如意だったのは、ヤンの思い込みによるところが大きいといえた。もっとも、手錠が壊れてしまえば交換されただろうから、怪我の功名と言ってもいいかもしれない。あるいは収容所側の管理不足と言うべきか。

 

 ヤンが営倉から連れ出された直後、収容所のサイレンが鳴り響いた。何か遠くで爆発音のようなものも聞こえたが、正体を確かめるすべはなかった。軍曹は正門とは反対側の方向に走り、外壁に垂らしてあるロープに駆け寄った。ロープの先端にある金具をヤンが穿いているズボンのベルトに固定すると、ヤンにロープをしっかり持つように促す。途端、ヤンはものすごい勢いで引っ張り上げられ、数秒もしないうちに数メートルもある外壁の櫓に到達した。ヤンは、今後ズボンを穿くときには必ずベルトを着けるようにしようと心に誓った。

 

 

 

 ヤンに突如降りかかった災難は、こうして急速に去っていった。地上車でエコニア宇宙港に連れていかれたヤンは、何故ここにあるのか分からないシャトルに乗せられて惑星エコニアを脱出、明後日には惑星マスジットに到着していた。マスジット港には指導役のバーベンジャー大尉が出迎えに来ていたが、歓迎の言葉もそこそこに、港にある軍の施設に誘導された。通された会議室には既に先客が居た。ヤンの直属の上司、ブルックリン少佐だった。

 

「中尉、無事に帰還できて本当によかった」

 少佐も、ヤンが無事に帰ってきたことを歓迎したが、直後言い訳を並べ始めた。中尉、連絡が取れなくなった直後に我々も調査を開始したのだが、捕虜収容所側が何も知らないの一点張りでな。しばらくしたら、中尉が殺人事件に関与しているので取り調べのために拘禁すると言ってきおった。もちろん我々は中尉の無実を信じていた。だがな──

 

 ヤンはそれからも続く少佐の長広舌を途中から聞いていなかった。助けにいかなかった理由をずっと並べ立てているだけだ、そう判断したからだった。その割にはあの救出劇は──待てよ。あれは一体何だったんだ? 

 

「少佐。自分を収容所から救出したのは、憲兵の特殊部隊なのですか?」

 ヤンの言葉に少佐はぽかんとした。特殊部隊? 一体何のことだ? ヤンが脱出時の一部始終を話して、とんちんかんなやり取りがいくつか行われた後、突然何かを思い出したように

 

「そうだ。中尉に言っておかねばならないことがある。この件については他言無用とする。同僚に経過について一切話してはならない。調査のために長期、エコニアに赴任したことだけを話せばよろしい」

 

「……なぜですか」

 一応、ヤンも軍隊の不条理は心得ているつもりだったが、さすがに一片の言葉だけで黙るわけにはいかなかった。

 

「惑星エコニアの帝国軍捕虜収容所で、重大な規律違反が発生したことは、軍上層部も把握している。中尉が巻き込まれて不利益を被ったことは承知しており、そうであるが故に必要な処置が取られた。だが、細部を明らかにすることはできん」

 重大な規律違反? 汚職が軽犯罪だとは思わないが、そこまで隠し通すことなのか? 第一、軍の兵士や士官が横領だの物資の横流しだの、そういうニュースは普通に報道されるものであり、わざわざ隠すに値するとは思えない。

 

「では、自分を救出してくれた部隊の正体ぐらいは教えてくれませんか」

 

「それも言えない。だが、他言無用を厳守するなら、端緒を明らかにすることはできる。本当の本当にだぞ、中尉。誓えるか」

 

「誓います」

 

「憲兵隊の上層部を通じて、救出の申し出があったのだ。詳細を明かさないことを条件に、身柄を確保すると。秘密裡に動かないと、身の安全は保証できないともあった。ヤン中尉に明かせるのはここまでだ。自分だってそれ以上のことはほとんど知らない」

 ヤンは混乱した。あの軍曹は、あるいは軍曹が所属する部隊は、味方に正体を明かすことすら憚られる特殊な存在だと言うのだろうか。

 

「ともかく、規律違反については軍が調査を行う。軍律を犯した者は、しかるべき処罰を受けるだろう。これは約束してもいい。他に質問がなければ、今日は帰ってよろしい」

 ヤンに降りかかった災難については、これにて一件落着となった。もっとも、コステアに没収された私物が返ってくるまでに何週間かの時間を要したのではあるが。

 

 

 

 宇宙歴789年3月某日(騒動から三か月後)──

 

「社会人聴講生のヤンさんですね。こちらが聴講案内となります。お持ちください」

 マスジット自治大学のキャンパスで、ヤンは係員から書類を受け取った。四月から聴講生の資格でヤンは大学での学習をスタートさせるのである。もちろん仕事の傍らであるから、普通の学生と同じように学べるわけではない。だが、現役軍人の再学習(リスキリング)となると学費は無料同然となるし、何より自治大学の図書館を自由に使えるのはありがたい。さらに資格を取得しておけば、いずれ来る退役後の人生設計にも役立つ。ヤン以外にも大学で学ぶ軍人は多いのだ。

 

 ヤンが選択した講座は、タナトス星系の歴史であった。植民の開始から自治政府の成立、自由惑星同盟への編入、コルネリアス一世の大親征、そして現在に至るひととおりの歴史を学べるわけである。講座には特定の分野を専門に学ぶものもあるらしい。

 

 ヤンは書類の講座一覧をぺらぺらとめくりながら内容を読んでいった。ふと、あるページに目が止まる。そこには「エコニア捕虜収容所の設立・利用・変遷」とあった。ヤンにとっては思い出したくもない事件の起こった場所であったが、これも立派な一つの学問となっているらしい。ヤンは係員に、この講座が受講可能であるかを聞きに行った。

 

「申し訳ございません。この講座は受講できないですね」

 係員は済まなそうに言った。この講座を担当している先生が、つい最近退官してしまったんですよ。おかげで資料の更新が間に合わなかったのですと弁明した。もともと人気のない講座でしたし。受講希望者がゼロの年もありましたね。第一、捕虜収容所は今となってはほとんど用無しですし、その歴史を知る意味もあまりないでしょう。

 

「そういうものですか」

 ヤンはそう応じながら、ふと、かつて惑星エコニアで歴史談義を交わした一人の人間を思い出した。この大学に、ワイスマンという講師はいらっしゃいますか。同時に、ヤンが受け取った名刺(データグラム)も提示する。

 

 うーん。そのような人は居ませんね、係員はそう答えた。史学は専門色の強い学問ですし、講義希望者もそれほど多くありませんから、講義専用の講師は所属していませんね。このデータグラムも、大学で配布するものと全く違います。なんでこんなものがあるのでしょうね。

 

 かつて捕虜収容所の尋問で聞いた内容と一致していた。だが、ヤンはもう一歩踏み込んで質問してみる。では、帝国軍や帝国史を学ぶために、マスジット自治大学で研究する人はいるのですか。

 

 あんまりそういう話は聞いたことがないですね。というか、それこそこの講座を担当していた先生に聞いた方が早いんじゃないでしょうか。でも、帝国史を研究したかったら、ハイネセンに行った方がずっといいでしょう。確かに、エコニアには捕虜収容所はありますが、こんな過去の遺物にこだわっていてもねぇ。もしご興味がおありなら、先生にコンタクトをお取りになりますか? 

 

「可能なのですか」

 ヤンは目を瞠った。

 

「史学のためですからね。熱心な生徒は大歓迎でしょう」

 

「是非紹介願います」

 

 

 

「ワイスマン? うーん。残念ながら思い出せない。いや、申し訳ない。退官してからもの覚えが少々悪くなったのだ。資料もずいぶんと処分してしまった」

 紹介された元教授、ウィリアム・カウワー氏は、蓄えた口髭をいじりながら答えた。いまだ存在感がある髭とは裏腹に、頭髪は随分と後退して、そして白い。

 

「それはそうと、何故私にそんなことを聞くのだ? 何か捜査でもしているのかな」

 元教授の視線は鋭い。現役の憲兵が、個人名まで出して過去の関わりを聞いてきたとなれば、誰でもそうなるであろう。一応、大学を介しているので面倒な件ではない。そのはずではあるが、相手は憲兵、それも士官である。

 

「お礼を言いたいのです」

 ヤンは言った。エコニアの捕虜収容所の仕事で、随分と助けてもらったのでお礼を言いたかったのだが、連絡先を聞いていなかったのだと。

 

「知というものは、分け隔てなく人と分かち合うものだ。建前論といえばそうなのだが」

 おそらく本人はそんなことを気にしてはいないだろう、とカウアー氏は続けた。

 

「とはいえ、学生の個人情報は別だ。それは君も同意してくれるだろう。名前ぐらいは答えてもいいが、連絡先を知っていても教えるわけにはいかん。ならば話は最初に戻る。何故、私にそんなことを聞きに来るのだ」

 

「別にすぐ、お礼を言いたいのではないのです」

 ヤンは答えた。

 

「私は憲兵として軍に勤務している傍ら、マスジット自治大学で国史を学んでいます。退役した後は、教師になろうかと考えていますが、研究者になることも選択肢の一つと考えているのです。もし、その時に先人の足跡を一つでも知っていれば、足がかりとして大いに役立つだろうと思いまして」

 ヤンの話は、素人からすると何を言ってるのか不明瞭なところはあったが、カウアーはそれを聞いて、自分の中で何か結論を得たらしい。ヤンを、見どころのある研究者の卵と見做したらしかった。

 

「そうだな。ならば、答えられる範囲のことは答えよう」

 カウアー元教授が話の分かる人で、ヤンはほっとした。

 

 

「我が国の歴史というものは、ひどく歪んでいる。君も知っていると思うが」

 カウアー氏はそう切り出した。もちろん、国史が自由惑星同盟の研究界で大きな勢力を保持していることは言うまでもない。自由惑星同盟の建国にあたって、アーレ・ハイネセン率いる長征(ロング・マーチ)船団がバーラトに到達し、そこから独力で発展していったなどという歴史を信じる歴史学者は極少数と言っていい。自由惑星同盟の建国と発展には、様々な外部勢力が絡んでおり、その多数が後のフェザーン自治領と密接に関わっていたことは常識だ。国史学者の間では。

 

「だが、公的な国史では認められることはない」

 カウアーの言葉にヤンはうなずいた。もちろんヤンもそれぐらいのことは知っている。

 

「私が国史の道に進み始めたころの歴史教科書など、噴飯ものだった。国が多産を奨励して人口が急激に増加し、16万の民衆が100億の人民に膨れ上がった等と戯けたことが平然と書いてあったものだ。何故だか分かるな」

 

「帝国と戦争状態にありますからね」

 

「その通り。帝国との戦争に勝つために、情報は統制されうる。だが、歴史は遺さなければならない。国家にとって都合のいい歴史は尚更だ。だから、ある歴史は密度が濃く、別の歴史はそうではないわけだ。ついでに密度の濃い方も薄い方も歪んでいく」

 

「私はタナトス星系、それも惑星エコニアの惑星開発史が専門だった。だから、学生でエコニアに関する論文を書きたい人は、私のところに来ることになる。いろいろツテも先行研究もあるからな。人数はそれほど多くなかったがね」

 ヤンは目をそらした。それも国史にまつわる歪みのひとつなのだろう。

 

「私のところに来て、捕虜収容所に関する論文を書きたいから紹介状を用意してくれ、というのは居たかもしれない。いや、学生ではなくて研究者だったかもしれない。詳しいことはあまり思い出せないのだが、資料を掘り出せば思い出せるかもしれん。でも、今から思うに捕虜収容所に関する研究など、軍機密に関わる範囲が大きすぎて、調べるのも大変だと思うのだが。戦争状態が今も続いていれば、一介の学生には手に余るだろう」

 

「そうかもしれません。何か思い出せるものはありませんか」

 ヤンは身を乗り出した。いずれ自分が軍を辞めた時、教育者か研究者かどうかは分からないが、国史に関係する職業に就くだろう。その時に、今の体験が活かせるかもしれない。どういう風に体験を活かすかどうかは……まぁ、その時に考えるべきか。

 

 カウアー氏は腕を組んで、天井をしばし眺めながら考え、やがて、いや、申し訳ないが今は思い出せない。もし思い出せたら連絡することにしよう、と答えた。ヤンとしてはそれ以上は何も聞けないので辞去することとした。

 

 

 

 あの「騒動」があってから、ヤンの担当する業務も少しずつ増えていった。小人閑居して不善を為す──ではないだろうが、口封じを万全にするには忙しくさせておいたほうがよい、という上層部の思惑かもしれない。それでも、ヤンの頭の中で、口封じされた事件の真相を想像する暇ぐらいは十分にあった。

 

 そもそもあれは汚職だったのか──

 

 まず第一の疑問がそれだ。組織ある限り汚職は避けては通れない、それは事実だ。だが、汚職が露見したら大きなペナルティを背負う羽目になるのは、軍隊であろうと民間組織であろうと変わらない。となると、人が汚職に手を染めるのは、よほど大きな利益を得られる場合に限られることになる。一般的には。

 

 では、捕虜収容所では、そのような利益が得られるのだろうか。

 

 それはノー、と言うべきであろう。資料にあたって確信したが、今の捕虜収容所はごく少数の捕虜しか在住していない。同盟が情報収集のために、特殊部隊を編成して帝国に潜入し、拉致同然に連れてきた『捕虜』のみが収容されている。そのため、警備している人員も、あの収容所の広さに似合わない数しかいない。情報さえ吸い出せば用済みなので、南北の帝国が要求すれば送還してしまう。だから数が増えることもない。

 

 そもそも、収容所自体、予算の関係で閉鎖の話があがったことは、一度や二度ではなかった。収容所が存在しているのは、惑星エコニアの主要産業が収容所であり、せめて他の基幹産業を育成するまで、収容所という産業が存在していないと、可住化(テラフォーミング)が中途で頓挫してしまうという事情が大きかった。

 

 では、一体あそこで何があったのか。ただの汚職で、人が一人死ぬようなことが起きるのか。あるいはもう一人、口封じで殺されるようなことが起きるものなのだろうか。汚職が単一の人間だけではなく、大人数が関与しているからか? それにしてもリスクばかり大きすぎて、リターンとまるで見合ってない。それに加えて、事を収拾するためにタナトス星系以外からの介入があるのだ。

 

 事は単純な汚職ではない。

 

 そう判断するのが妥当、ということになる。汚職というと、本来そこにあるべき金、あるいは物資の一部を誰かが頂いてく、というのが定番になるのだが、捕虜収容所にはそのいずれもない。ワイスマンは、ケーフェンヒラーが汚職の証拠を握っている、そう話していた。それは信じていいものなのだろうか。

 

 いや、もし、汚職の対象がいずれでもなかったとしたら。今、捕虜収容所に居るのは南北両軍の捕虜が大半だ。捕虜の尋問から得られた情報を横流しにする、代わりに金銭か何かしらの対価を受け取るというのは考えられるが……いや、だめだ。収容所の外に居住しているケーフェンヒラーが、捕虜の何を知っているというのか。それに、情報を金に換えるというのは、情報の価値を見定める目利きの才能が不可欠。コステアやジェニングスにそういう才能があるものだろうか。

 

 そうすると、残る疑問はあと一つということになる。ケーフェンヒラーが所持していた資料はどこへ行ったのか。何が書いてあったのだろうか。

 

 そもそもケーフェンヒラーとはどういう人物なのだろうか。興味を覚えたヤンは、帝国軍に勤務していたケーフェンヒラーの足跡を調べようと思ったが、いかにティアマト大会戦といえど、艦隊の幕僚、それも一介の幕僚とあっては大した情報が得られるはずもなかった。

 

 ダメでもともととばかりに、ヤンはマスジット自治大学の図書館を頼ることにした。それも空振り。でも、ヤンは諦めることなく、そこで得られた論文、書籍リストから、自治大学ネットワークで取り寄せることのできる資料をピックアップし、他星系から資料を「借りる」ことを試みた。結果は当たり。一冊だけ、ケーフェンヒラーが所属していたコーゼル艦隊の高級将校、それが一堂に会した集合写真を掲載しているものがあった。

 

 本当だ──

 

 ヤンは息を呑んだ。そこに写っているケーフェンヒラーの顔は、年齢の差を考えても、ヤンが見せられた写真の顔とは全く別物だったのである。そうだと分かっていたら、あの帝国の保険会社から顔写真の一つぐらい貰っておくんだった。ヤンは臍を嚙んだが今更である。

 

 ヤン・ウェンリーが追っていたケーフェンヒラーは、ケーフェンヒラーではない別の誰かであった。その事実はヤンを打ちのめした。話は振り出しに戻ってしまった。ケーフェンヒラーが帝国軍の捕虜でない、謎の人物であるとすると、横領の事実があるかどうかそれ以前に、ありもしない横領の事実を誰かに押し付けることだってできる。いや、コステアが語っていた話からすると、横領? の事実は存在したと考えた方がよさそうだ。だとしたら、

 

 ケーフェンヒラーが話していた横領の噂──

 ケーフェンヒラーの死──

 

 この二つが合わさることは本当に偶然なのだろうか。

 

 衝撃の結果に到達してから数日の後、ヤンにカウアー元教授からの連絡があった。ヤンが問い合わせた内容について、思い出したことがあるとのことだった。

 

 

 

 宇宙歴789年7月22日、リオヴェルデ星系、惑星アロヨ・ド・モリノ──

 

 隣同士の星系なのに、ここまで違うものか。

 

 歓楽街の賑わいぶりにヤンは感心した。タナトス星系が、星系全体で1億に満たない人口しか持たないのに対し、リオヴェルデ星系の主星、アロヨ・ド・モリノだけで人口は3億を超える。歓楽街の大きさもその人口に比例するものであろう。実際、マスジットの憲兵隊スタッフにしても、休暇のたびにリオヴェルデ星系に「足を延ばす」人は結構多い。

 

 今日のヤンもそんな人間の一人だった。表向きは。

 

 ヤンは地図を頼りに、指定された住所を目指す。あった。歓楽街に数百はありそうな、小さなバーだった。中に入り、従業員に二言三言話した。お客様は奥の個室でお待ちでございます。ヤンは言われた通りに、奥に進んで個室のドアを開けて入った。

 

「ヤン・ウェンリー中尉であります。ウィザースプーン少佐」

 ヤンは敬礼した。もっとも服はタートルネックシャツにジャケット姿であるから、似合わないことこの上ない。嫌味の表現であることは言うまでもなかった。

 

「やはり驚いてはくれなかったね」

 相手は座ったまま敬礼のまねごとをして、ヤンに座るようすすめた。

 その男は、もう会うことはないはずの、アルバート・ワイスマンだった。

 

「教授が言ってたよ。いや、元教授なのか。若い者にしては珍しく執念深いと」

 ヤンとウィザースプーンが何回か杯を交わした後、ウィザースプーンは話し出した。同じ顔のはずなのに、かつて会った時と雰囲気がまるで違っていた。声色が同じなので同一人物であることは分かるが、もしそれが変わっていたら別人と判断したかもしれない。

 

「で、本題は何だね。もちろん、私が何を話そうと、それが事実であるかどうかを確かめる術はないことは承知だと思うが」

 

「はい。少佐が表向き、ハイネセンの外国語大学(帝国公用語という名前が憚られるのでこういう名称が用いられる)で教鞭を執っておられることは確認できましたが、軍の情報部に勤務していることは、カウアー教授から知らされました。私も他言無用を命じられた事項について暴こうという気はありません。周りに迷惑をかけますから」

 

「では、これは何だね」

 ウィザースプーンは紙片をテーブルに置いた。それは、ヤンがウィザースプーンに送ったショートメッセージを印刷したものだった。曰く、元銀河帝国軍捕虜、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーの同盟軍軍事機密の不正な隠匿・消滅について告発する、そう書いてあった。

 

「同じことをカウアー教授にも話しました。そしたら、貴方の正体について教えてくれたという次第です。直接会いたいならその方法は自分で考えろとも」

 

「全く、先生も余計なことをする」

 ワイスマンは額を揉んだ。

 

「私が調査を命じられた人と、銀河帝国軍コーゼル艦隊に勤務していたクリストフ・フォン・ケーフェンヒラーは全くの別人です。その問題が端緒となり、自分は殺されかけました。カウアー教授は最初、貴方のことは知らないとおっしゃっていましたが、それは嘘でした。自分の調査結果をお話したら、少佐のことを教えてくれました」

 

「ふむ。確かに、カウアー教授とは一緒に仕事をしたことはある」

 ウィザースプーンは手をこすりあわせた。

 

「中尉。君が聞こうとしている話は、軍の機密、それも高度な機密に触れるものだと思うのだが。ケーフェンヒラーの正体を知って何になる」

 

「何もならないでしょう。知ったところで他人に言うわけにはいきません。そもそも信じてもらえるかもわかりません。言っちゃなんですが、単なる知的好奇心です。でも、自分は知りたいのです。あの収容所で、過去何があったのか。あと、それと教授曰く、世話になった人間には義理を通すものだそうですが」

 

「なるほどなるほど」

 ヤンの言葉にウィザースプーンはそれだけ言った。水割りのグラスをあけると、おかわりをオーダーする。数分ほど逡巡した後、ウィザースプーンは低い声で話し出した。

 

「ここで『物語』を一つ披露したい。君がこれから聞く物語は、どれほど周囲に吹聴すれども、それが真実と認められることはない。誹謗中傷であると非難されることはあっても、それを回避することはできない。それを認めるならば、この話を始めてもよいが、どうする?」

 ヤンは、お願いします、と答えた。

 

 

 

「宇宙歴745年12月11日、ティアマト星域での会戦終結寸前に、一隻の帝国軍戦艦が我が軍に投降し。戦艦は既に大破状態で、乗組員の半数以上が戦死、軽傷で済んだ幸運な人間は数名に過ぎなかった」

 

「偶然にもというかそのフネは、交戦していた帝国軍艦隊の一つ、コーゼル艦隊の旗艦だった。捕虜の中には、高級参謀が多数居り、そこにクリストフ・フォン・ケーフェンヒラー大佐も居たのだよ」

 

「投降した際、ケーフェンヒラーはほぼ無傷で、運がいいと周囲は考えていた。だが、それは大きな間違いだった。艦が大破した際の衝撃か、脳に障害があったのだ。医師の診断は、外傷性の脳梗塞だった。実際、頭痛、混乱、一時的な記憶喪失がひどく軍病院での治療を受けたが芳しくなかった。それどころか余命いくばくもないと診断された」

 

「治療の傍ら、情報部はケーフェンヒラーへの尋問を行った。成果は上々と判定された。元々、帝国のあり方に疑問を抱いていたケーフェンヒラーは、前の上司クリストフ・フォン・ミヒャールゼンに勧誘されて、ミヒャールゼン提督が組織していた諜報網の一員となっていたのだ」

 

「ケーフェンヒラーは、ミヒャールゼン提督の諜報網に関する詳細な情報を遺してくれた。ミヒャールゼンとの連絡方法、組織の内容、その他いろいろだ。そして、ケーフェンヒラーは、死の間際に遺言を遺した」

 ヤンはグラスに口をつけることなく、ウィザースプーンの次の言葉を待った。

 

「死んだことを帝国に公表するな。と。ケーフェンヒラーは、妻の不倫と事実上の離婚に悩んでいたからな。我々はそれに従った。影武者を立て、エコニアの捕虜収容所からミヒャールゼンの『機関』を操縦することにした。元々、『機関』を操縦していたのは、君が知る通りジークマイスター提督なのだが、ブルース・アッシュビーのアドバイザーになってからは帝国からマークされるようになったからな。役割を引き継いだのだよ」

 

「ブルース・アッシュビーの活躍には、ジークマイスター提督はじめ、帝国に張り巡らされた情報網が貢献しているという説は根強いです。それがさらに強化されたということでしょうか」

 ヤンは聞いた。

 

「君もそう思うのか。確かに、これだけ聞けば人類史に残る諜報網を完成させることができると思うのであろうな。当時の情報部もそう思ったらしい。ケーフェンヒラーは外見こそ五体満足で他の捕虜から隔離されたから、影武者にすり替わっても疑われることはなかった。我々は連絡網を活用して、ミヒャールゼンを軍務省の顕職に就けることに成功した。もちろん、ミヒャールゼンには情報保全に関する『身体検査』が行われたが、ミヒャールゼンは検査をパスすることに成功した」

 

「でも、その情報網は期待したほどの成果はあげられなかった。それは帝国の要因というよりは我が軍の事情、という方がいいだろう。何故なら、戦争そのものがなくなってしまったのだから」

 

「そうか。アッシュビー・ライン──」

 ティアマト会戦の後、同盟は帝国に対し国境を閉ざし、守りに入る選択をした。そうなれば、帝国『軍』に関する情報は、それも作戦計画に関する情報は価値が低下することになる。恐らく、ミヒャールゼンが得意とする情報収集はそういう方面のものなのだろう。

 

「もちろん、帝国の侵攻が完全に無くなったわけではなく、『機関』の情報は大いに活用された。だが、崩壊は突然訪れた。宇宙歴761年、わかるな」

 

「はい。帝国の内戦です」

 

「そうだ。内戦は帝国そのものの様相を一変させたが、情報保全についてはそれが顕著だった。苦労してスパイ網を張り巡らさなくとも、北軍なら南軍に、南軍なら北軍に取引を持ち掛ければ、ある程度の情報は苦も無く得られてしまうのだ。いや、フェザーンで新聞を読んでいるだけでもよいかもしれないのだ。『機関』も南北両軍に分裂せざるを得なかった。その影響で、諜報の世界から退出していった人間も、正体が露見し命を落とした人間も居た。『機関』全体が明るみに出ることは避けられたが」

 

「ここで軍の情報部は『機関』の役割を変える決定を下した。軍の情報を収集することに変化はないが、それは政治的なものに変化した。具体的に言うと、二つの帝国で対立を終息させようという動きを牽制、あるいは打撃を加えるための役割に、だ」

 

「帝国の内輪揉めを引き伸ばし、規模を大きくするということですか」

 

「そう思ってもらっていい」

 ウィザースプーンは水割りを一口、口に含む。

 

「汚いですね」

 

「中尉は正直だな」

 

「でも、効果的でもあります」

 敵対勢力が内部分裂状態になれば、脅威が大きく低下することは常識である。自分が弱小であり、敵が強大であれば、敵の内紛が一日でも長く続くように工作するのは当然であろう。

 

「内戦勃発直後、ミヒャールゼン提督は高齢で退役した。主を失った『機関』は能力を大きく減じた。だが、それでも問題はなかった。二つの帝国を争わせる手段はいくらでもあったからな。『機関』はつけた火を延焼させる、それぐらいの役割で十分だった」

 

 実際その通りだった。ティアマト大会戦で帝国が被った大損害は、単に人命、物資というだけに留まらず、それまで帝国の指揮系統を作り上げてきた人材のプールを、それを生み出す教育システムと共に葬り去ったも同然だったからだ。それを補うために、帝国軍は平民の士官を高級幹部に登用したわけだが、それは平民の意識をも変革してしまった。一軍の将になるにはフォンだのグラーフだのバロンだの、そういう肩書が不可欠だったはずなのだがそうではなくなってしまった。それは貴族が支配する軍と、平民達が支配する軍との軋轢を生み出し、その軋轢が破綻したのが内戦ということになる。人が利益で争うなら和解することは簡単だ。しかし、イデオロギーで争う時、闘争は容易に終息しない。イデオロギーの勝利とは、対立するイデオロギーの消滅でしか得られないからだ。

 

「だが、時が経つにつれ、そうも言っていられない事態が発生していることが分かった。それが何か分かるかね」

 

 ヤンはしばらく考えたが、何も思い浮かばなかった。わかりませんと降参することにした。

 

「帝国の南北共に、馬鹿げた内戦を終わりにしたい勢力が少しずつ大きくなっていたのだが、その中で、『機関』の存在を嗅ぎつけた輩がいた。何故そうなったのか、そこが肝心だ」

 

「そうか」

 ヤンは手を叩いた。当事者が、今は矮小化しているものの過去には強勢を誇った諜報組織を何故知ったのか。それは、組織を利用していた側が情報を流出させたと考えるのが妥当だ。

 

「もしかして、少佐がワイスマンと名乗ってエコニアに行ったのは、その捜査のためですか」

 

「それもある。だが、それは余技にすぎない」

 

「情報部が本当にやりたかったことは、『機関』を秘密裡にクローズさせるための工作だった。『機関』を手仕舞いさせても、同盟が帝国軍内に構築した諜報のための資産はいずれ必要とされる時が来る。そのためには、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーが死ぬことが周知されること。そして、遺品の『資料』の存在が不可欠だった。君は実物を見ることはなかったが、ケーフェンヒラーが遺した『資料』は存在し、いずれ帝国、南北どちらかの手に渡ることになる。そして、解析の結果」

 

「『機関』の実像を見誤ることになる。帝国内の『資産』について安全が確保できる」

 ヤンの回答にウィザースプーンは微笑んだ。

 

「人には二つの死がある。一つは肉体としての死、もう一つは存在が忘れられた時の死だよ。ケーフェンヒラーは、肉体としての死を恐れず、『存在し続ける』ことを望んだ。そして、見事に人生を全うしたのだ。クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー元銀河帝国軍大佐は、確かに宇宙歴788年12月8日に死亡したのだよ」

 

「だが、見当違いもあった。ジェニングス少佐が主に金銭を目的として、『機関』に関する情報を帝国に売っていたことは、早々に見当がついていた。本当はこちらも工作の対象にするつもりで放置していたのだが、そこにコステアという邪魔者が入った。長年ここに居るジェニングス少佐とは違って、コステアが赴任してきたのはつい二、三年前のことだ。当然、二人の間には感情的な対立が発生した。ジェニングスに何かあると思い込んでいたコステアは独自に探っていたそうだが、ジェニングス少佐と数人の協力者が汚職を行って金銭を得ていると勘違いしていたらしい。ジェニングスはジェニングスで、自分の工作をコステアが首謀したことにしようとしたらしいが、そこでトラブルになったらしい。後は君の見ての通りだよ」

 

「コステア大佐がジェニングス少佐を殺害したのですか」

 ヤンは詰め寄った。

 

「すくなくとも情報部は関知していない」

 

「コステア大佐は逮捕されましたが、軍法会議にかけられることなく不起訴処分となり、今は辺境星系の兵站基地に居るそうですね。これが答えなのではないのですか」

 

「後は君の想像で補いたまえ。まぁ、コステアという人物はそもそも捕虜収容所の所長としては不適格だった。悪い人間ではなかったと思うが、目の前の状況がどうして成立しているのか、そういう想像力に欠けた人間だったと思う。目の前に積まれた書類の山の処理、捕虜収容所の運営こそが自分の役割だと信じていた男だよ。ああなったのは必然だったかもしれない。考えてもみたまえ中尉」

 ウィザースプーンはそれまでやや猫背で水割りをすすっていたが、いきなり背筋を伸ばしだした。

 

「この惑星、この同盟で『戦争』を感じることはあるか」

 

「ありません」

 ヤンは正直に答えた。

 

「でも戦争は続いている。我々の業界だと、戦争は今でも、ずっと、ここにある。誰にも知られず『戦場』に赴き、傷つき、死んでいった男女を、私はたくさん知っている。違うのは『名誉の戦死』などというお飾りがないことぐらいだ。しかし、戦争は戦争だ。勝たなければならない。そのためには何だって利用する」

 

「それは、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーという、既に死んだ人間でも?」

 

「そうだ。コステアという生きている人間でも、だ」

 

 

 

「これで全て。以上が私が話せる『物語』だ」

 ウィザースプーンの話が終わった後、二人は水割りをさらにおかわりして飲み干した。最初に口を開いたのはヤンだった。

 

「すごく……壮大ですね」 

 

「そういうことだ中尉。ロマンがあっただろう。歴史というのは楽しいな」

 

「そうですか。歴史なんですか? これは『物語』ではなかったのですか」

 

「多分、今の話を一般人に披露したら、十人に九人は真実だと判断するだろう」

 そう話すウィザースプーンの唇は少し歪んでいた。

 

「でしょうね。大多数の人は、筋が通っているストーリーを『歴史』だと判断しがちです。でもそれは理解しやすいからです。時に歴史は、偶然、非合理、感情がまじりあった箇所があることもまた事実です」

 

「そうだな」

 ウィザースプーンはそれだけを言って横を向いた。

 

「正直、我々の業界では『機関』が成功なのか、失敗なのか、評価は定まっていない。種を播き、育て、刈り取るところで全てが無に帰した。一般的なプロジェクトでは失敗と判断されるだろう。だが、情報作戦というのは目的が達成し得たかどうかで成功・失敗を判断すべきではないという側面もある。君は戦史研究科で戦場心理を専攻していたから分かると思うが」

 

「……なんでしょうか、分かりかねます」

 ヤンはしばらく思考をめぐらせたが降参した。あまり諜報(インテリジェンス)の方面には手を出していなかったなぁ。

 

「情報作戦とは幽霊のようなものだ。教官の誰かがそう言っていなかったか?」

 ウィザースプーンの言葉に、ヤンの中で何かが繋がった。

 

「……そうか。情報作戦とは幽霊のようなもの、そこにたどり着くのですか。諜報という本来の目的を達せずとも、敵組織を弱体化させるという目的のために、全く別の用途に再利用されることが認められる。そして成果があがれば、情報作戦そのものが成功と判断される。それは結果のみが評価されるのが情報作戦だからだ。まさに幽霊だ」

 ヤンの言葉にウィザースプーンは何度もうなずいた。

 

「よろしい。大変によろしい。ところで、だ。中尉。ここで本題に入りたいのだが」

 ヤンは困惑した。ここから本題? 

 

「何でしょうか」

 

「君は、我々と共に仕事をする気はないかね?」

 ウィザースプーンの申し出に、ヤンはしばらくあんぐりと口を開けたままだった。

 

「本当……なのですか」

 

「一応。私がここに来た表向きの理由は、人材確保のためなのだよ。情報部は、高いスキルを持つ人材を常に欲しているが、そういう人材は常に希少でね。中尉、君は見どころがある……というか、我々の『仕事』が君を選んでいるような気がするのだが。ある意味、スキルよりもっと大きな適性と言えるのだよ」

 

「私は軍にいつまでも居る気はないですが」

 

「別に私だって、常に情報部の仕事をしているわけではない。表芸は一介の教師だ」

 ウィザースプーンにそう詰め寄られて、ヤンは困ったような顔をしたが、数秒後、ぺこっと頭を下げた。

 

「お断りします」

 

「なぜ?」

 

「今、一瞬でも少佐の言葉を信じてしまいました。恐らく、それでは諜報の仕事はつとまらないでしょう。そして、少佐の話が事実でも、そのようなハードワークにはついていけません」

 ウィザースプーンは一瞬困ったような表情になったが、すぐに笑みを浮かべ、やはり口説き文句というものは適当に考えてはいけないな。今の話は忘れてくれ、と言った。とりあえずこの場はお開きにしたいと思うがどうかね。

 

 ヤンはそうしましょうと答えた。席から立ち上がる直前、ヤンは何かを思い出したようで、あ、そういえば、とウィザースプーンに話しかけた。

 

「忘れていました。一つだけどうしても聞きたかったことがあるのですが」

 

「何だね?」

 

「少佐がワイスマン氏だったときに、いろいろと帝国の裏事情を話してくれたでしょう。あれは本当の話なんですか?」

 

 ウィザースプーンは何かを思い出すように部屋の隅を見つめていたが、やがてにやにやと笑って言った。

 

「中尉。歴史を職業にしたいのであればもっと勉強したまえ。史料批判こそ史学の第一歩ではないか」

 

 ウィザースプーンは、そう言うとヤンを置き去りにして立ち去って行ったのだった。

 

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