<1>
「なんですそれ?」
ヤン・ウェンリーのデスクに広げられた一枚の紙、それを見てラオは声をかけた。ヤンは一時間前ほどに来客があるといってオフィスを出ていき、ついさっき帰ってきたのだった。そして一枚の紙を前にうんうんうなっている。
「紙だよ」
「そら紙でしょうねぇ。って、何て書いてあるんですか?」
ラオは文面を見て首をかしげた。アルファベットらしき文字が大きく書きつけてある。
「大尉。士官学校で帝国公用語は必修のはずだぞ」
「ああー。そうでしたねー。でもこの読みにくい文字は……」
「フラクトゥールだ。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが復活させた古式ゆかしい書体さ。勅書とか、皇帝にまつわる書面にはこれが使われるらしい」
「はー。手の込んだ悪戯だことだ。で、何だって……『警告、灰色計画に注意せよ』……何ですかこれ!?」
「それが分かれば苦労は要らないさ。大尉には分かるのか?」
「全然」
「なら、私にも分からない」
「何かの怪文書ですか?」
「今のところは」
「怪文書ならうちの管轄じゃないでしょう。捜査二課か三課にでも持っていけばいい、というか憲兵隊じゃなくて治安警察の領分だ」
「だよなぁ」
「だったら何故?」
「いやぁ、それがねぇ」
ヤンはそれまでの経緯を話し出した。
二週間ほど前ーー
「それでは、カーライル先生、そして皆様方の益々のご活躍を祈念し、乾杯!」
「乾杯!!」
ヤンはとあるホテルのパーティー会場でぽつねんと立ち尽くしていた。エル・ファシル市民大学の一学生であるヤンだったが、たまたま所属している研究室の教授が、教授就任20周年ということで、パーティーの準備に駆り出されていたのだった。準備が完了すれば楽しんでくればいいーーそう教授は言っていたが、一介の学生であるヤンには楽しみようもない。せいぜい、酒と料理を適当につまんで退散するか、そう思っている所に、一人の人物から声をかけられた。
「もしもし」
「はぁ、何か御用でしょうか」
声をかけたのは、一人の老人だった。年齢はもう60は確実に過ぎている、体が自由に動かせるのもあと数年、という感じの好々爺。頭髪、眉、口髭は当然のように真っ白である。幸いなことに?頭髪はそれほど後退していなかった。
ヤンは何か御用聞きを命じられるのかと身構えた。それまで準備にあれこれ駆り出されていたのだから、それぐらいは想定しておかなければ、と思ったのだが、話は全く異なるものであった。
「先ほどのシンポジウムで質問をされていた方ですかな」
「質問?」
パーティーの前のことを思い出して、ふと思い当たるところがあった。いかにも歴史学の教授らしく、パーティーの前に公開討論会が開催されていたのである。題材は「王朝の持続性と革命の論理」というものだった。
「質問ーーああ、そういえば。大変失礼致しました。それで御用は何でしょうか」
「いやいやーー」
老人は満面の笑みを浮かべていった。
「確か、最後に質問をされておられた、そうですかな」
「……はい。よく覚えておいでですね」
「妙に記憶に残りましてな。この年になると珍しいものです」
ヤンはこの老人に対する認識を改めた。確かに最後の質問時間にヤンは質問していた。それまで題材に上がっていた、地球史時代の王朝の歴史を挙げつつ、王朝の持続性と、王が有する実力は反比例しているのではないか、そういう質問をしたのである。
「いや、確かな裏付けがあるわけではありません。あれは、ほとんど思い付きのようなものです」
「ほほ。
「はぁ」
そうですね、とヤンは言った。だが、一体老人の目的が何であるか、それは分からない。
「ところでーー」
「ところで、貴方はただの学生ではないようだ。社会人、それも軍人ではありませんかな」
「そうですがーー」
ヤンは驚いた。普通のスーツ姿で来ているのに。
「ほほ。そのピンバッジを見れば分かることですぞ」
そう言われてヤンはあっと気が付いた。前にスーツを着た時、何かの事情で憲兵隊所属を示すピンバッジを着けていたのだった。外すのを忘れていた。
「はい。その通りです。憲兵隊に所属しております」ヤンは頭をかいてそう言った。
「
言われるがままに、ヤンはスマートデバイスを取り出し、個人情報データグラムを送信した。警察もそうだが、憲兵だと公的な個人情報の拡散は奨励されているのである。まぁ、それが良いことばかりではないのだが。
「では」
老人からもデータグラムが送信されてきたので受信した。
「ほぅ」
ヤンは口をすぼめた。フレデリック・ゴールドバーグ、スザンヌ種苗株式会社相談役、エル・ファシル市民大学名誉理事、そう書いてあった。どうもこの老人は、結構なお偉いさんであるらしい。
「あ、これは失礼致しました。御来賓の方とは知らずーー」
「いいのですよ」
ヤンが恐縮したので、老人は手で押しとどめた。
「若い頃、小さな会社を興しましてな。今ではそこそこ大きくなりましたが、大学にはお世話になったものです。わずかですが、恩返しをしようと思った次第」
「あ、ありがとうございます」
「はははは。では、また会うこともありましょう」
そう言って老人は去って行った。別の大学関係者の所に歩いていく。対応している方がへこへこ頭を下げているのを見ると、偉い人であるのは間違いないらしい。
まぁ、もう会うことはないよな。ヤンはそう思った。とんでもない間違いだったのだが。
「それで、そのご老人がやって来たのですか?」
「いや。やって来たのはその老人の顧問弁護士、そう言っていた」
ラオの質問にヤンは答える。
「こんなわけのわからない紙切れを渡すために?」
「そうだよ」
「その弁護士は何も不思議に思わないのですか」
「金さえ貰えばメッセンジャーボーイだって苦しゅうない、そういうもんだろ」
「突き返してもいいのに。第一、うちは市民相談受付じゃないですよ」
「だがなぁ。前に一度会った人の依頼と言われれば、それも無下にできないじゃないか。それに相手は弁護士だ。こちらに落度があれば地獄の底まで突っ込んでくるような連中だぞ」
ヤンの口調はいつしか、ラオをなだめるようなものになりつつあった。
「それに、事情を聞きたいなら訪ねてこい、だってさ。民間会社の偉いさんの家、何かいいことあるかもしれないよ。根拠なんてないけど」
ヤンは地図サイトを開き、老人の住居、その場所を指し示した。
「住所はーーへぇ、ムルマンスク郊外ですか。いいですなぁ。今頃紅葉が見頃ですよ」
<2>
惑星エル・ファシルーー
かつては自由惑星同盟の辺境惑星に過ぎなかったこの惑星は、ブルース・アッシュビーによってその姿を一変させられた。ハイネセンからイゼルローン回廊までの航路上に位置し、
アッシュビー・ラインーー対帝国防衛用総合要塞区域、公的にはそういう名前がつけられたはずだが、もう誰も覚えていない(実際、現在の公的文書にすらアッシュビー・ラインと書かれているので、以下その名前を使用する)。それは、イゼルローン回廊近辺の8つの星域を丸ごと使用した要塞網を指す。ティアマト、ヴァンフリート、アルレスハイム、ダゴン、アスターテ、パランティア、ドーリア、そしてエル・ファシルがそれに当たる。
それぞれの星域には防衛基地、補給基地に観測設備、防衛用機雷網が設置され、イゼルローン回廊の同盟側には、特にびっしりと機雷が敷設されている。まるで帝国の侵攻を防ぐ蓋のように、である。
当然ながら、惑星と防衛網だけでこの宙域を防衛するわけではない。後詰となる機動艦隊が配備され、有事とあらば敵の後背を突くわけである。
そして、これらの宙域の最も後ろ(つまり首都寄り)に存在するエル・ファシルは、要塞網を統括する役割を与えられたのだった。ということは、艦隊や防衛網といったハードウェアを保守、整備、生産する役割が与えられた、というわけだ。他の惑星は現地住民の退避が行われたが、エル・ファシルにはそれもなかった。
それまで人口200万にも満たない小惑星(惑星の生産規模という意味において)であったエル・ファシルが、人口5億7300万という中央星域にも匹敵する人口を得たのにはそういう理由があった。アッシュビー・ライン計画が動き始めるや否や、エル・ファシルには大規模な軍事補給施設が整備され、それに付いて行くように、同盟の主要な軍需企業はエル・ファシルに支社を設置した。さらにそれに引きずられるように、一般消費財を生産する会社も支社や工場を設置するようになった。これで人口が増加しないわけがないのである。
人口増加に伴い、エル・ファシルの可住区域に都市が建設され始めた。建設された工場の周辺にも城下町都市が建設され、惑星エル・ファシルはその様相を一変させた。各都市は、いずれも過去に栄華を極めた軍港の名前が付けられることになった。曰く、ノーフォーク、チャールストン、ポーツマス、マルセイユ、タラント、ヨコスカ、コロンボ、アレキサンドリア等々である。
人口の増加に伴って、第三次産業も整備されている。元々、エル・ファシルという惑星は人類の居住環境としてそれほど悪くない所だったし、平均気温もまずまず温暖といえた。ただ、惑星の性質上、軍事と関係のない、純粋な居住地としての開発はさほど活発ではない。惑星エル・ファシルはあくまで軍都なのであった。
それでも例外というものは存在する。ヤンが訪れようとしているのは、そういう所だった。
行政府エル・ファシル・シティから地上車を走らせること一時間、郊外都市ムルマンスクのさらに奥の山中といっていい場所に、ゴールドバーグ邸宅は存在した。でかいーーそういう形容詞すら不足するような邸宅だった。手入れのコストを心配したくなりそうな広大な庭園、高級ホテルを思わせるような四階建てのクラシカルな屋敷、屋敷の外壁は白とピンク色で塗装されている。大型スタジアムより広いんじゃないのか、ヤンはそう思った。丘一つを占領していると言われても信じたくなる。
ヤンは弁護士経由でコンタクトを取り、この邸宅を訪れていた。私服姿なので、憲兵とかそういう関係を伏せた、私的な訪問という形だった。わざわざ日曜日の午後を潰して訪問している。
入口では執事に出迎えられた。執事なる人間と会うのは、生まれて初めてじゃないかとヤンは思った。執事も主人と負けず劣らずの爺さんであったが、主人よりも少しは若そうに見えた。妙に愛想のない執事であったが、目的を伝えると主人の元に案内してくれた。とある一室に案内されると、中には、パーティーで見た老人が椅子に座っていた。
「お忙しいところ、お呼びだてして申し訳ございませんな」
「いえ。面会を希望したのはこちらの方なので」
ゴールドバーグ老人に勧められるままに、ヤンは椅子に座った。座ればわかる、がっしりとした椅子の感触から、この老人の財力というものが推測できた。
「ウォード君からは説明を聞きましたかな」
「え、ええ。ですが……」
金持ちの老人にニコニコと応対されると、ヤンも恐縮せざるを得ない。だが、内心は不信感で一杯だ。説明?一体何を?あのわけのわからない怪文書を渡されただけなのだが。
「あ、あの、大変申し訳ないのですが……」
「どうしましたかな?」
「警察と同じく、憲兵も市民の利益を守るのが職務でありますが……情報が無いと判断に困るのです。ウォードさんからはこの紙を渡されただけでして……」
ヤンはおずおずと『灰色計画』の紙を差し出した。
「ふむ……不足でしたかな?」
「えっ」
老人の言葉にヤンは絶句した。一体これだけで何を判断しろというのか。
「警察の皆様なら、これで理解して頂けると思ったのですが」
「あ、あの……一体何のことでしょうか」
「同盟市民の住居に、帝国公用語で記された伝単が投じられた。これ、帝国が同盟市民を脅迫している何よりの証拠、そうではありませんかな」
そう言われてヤンの頭は混乱した。この老人には常識がないのか、そう疑いすらした。ダゴン会戦からこのかた、同盟は大量の帝国からの亡命者を受け入れている。アッシュビー政権とアッシュビー・ラインの成立、帝国の内戦勃発、帝国からの亡命者は増加の一方なのだ。帝国公用語の走り書きが犯罪の証拠ーーそんな論理があってたまるものか。
「あの……大変申し上げにくいのですが、帝国公用語の文書だからといって犯罪の証拠とはなり得ません。弁護士の方にもお聞きになってはいかがでしょうか。この紙に、何か犯罪を示唆する語句が書いてあればまた話は別ですが」
「例えば?」
「あくまでも一例ではありますが、『拉致する』とか『殺す』とかですね」
ヤンは汗をかきつつ答えた。やっぱりラオの言う通り無視すればよかったかな、そう思い始めていた。
老人はため息をついた。そして言う。
「……帝国はかつての故郷でした……」
「もしかして亡命?」
ヤンの言葉にゴールドバーグは頷いた。道理で、とヤンは思った。室内の雰囲気がなんとなく資料映像で見る帝国様式に似ていたのだった。祖国は遠くとも、故郷の雰囲気は忘れられない、そういう元帝国人は多い。
「とある事情がありましてな。名前を変えて過ごしております。帝国人は帝国人同士で固まる傾向があるそうですが。自分は、それも極力避けてきました。帝国時代の私は、もういなくなりました」
そこまで言われて、初めてヤンは合点がいった。この帝国語の怪文書、その裏の意味は
「お前の秘密を知っている」
そういうことなのだ。帝国に居た過去を消す男の元に届く帝国語の文書。それの指し示すものはそれしかない。
「なるほど。過去のとある事情に関して、トラブルを抱えている。そう考えてよろしいのですか」
ヤンの言葉に、ゴールドバーグはうんうんとうなずいた。
「分かりました。そういうことであれば、調査を始めることができます。まずは、そのトラブルについて教えていただけますか」
「それはならん」
ヤンの言葉に老人はかぶりを振った。
「どんな人間にもプライバシーというものがある。そうではありませんかな。私個人のプライバシーを明かすかどうかは、自分が決めること。過去のことを話す気はありませんな」
ヤンは辛うじて顎を外さずに済んだ。
秋の日は釣瓶落としーーというのは、夏と比べての感想であろう。強烈な日光はある日突然、柔らかな秋の日に取って代わる。夜7時まで明るかった庭園も、5時を過ぎたら暗くなってしまう。
この屋敷の書斎、主人の居場所に執事が訪れたのは、そんな夕暮れの時間帯だった。ヤンが屋敷を去ってから二時間ほど経過していた。
「何用だ、リヒャルト」
「よいので、ございますか」
リヒャルトと呼ばれた執事は、ゆっくりと、なるべく力強い口調で話す。主人も執事も老人と呼ばれるようになって久しい。それは、聴覚能力が心もとなくなっているということである。
「何がだ。」
「この度のはかりごとにございます」
「その話は何度もしたはずだ」
主人が執事の方を向くことはない。
「ですが、事態が如何様に転びましても、我々の命運は極まったも同然。それに、あの者はなかなかの切れ物にございます。いずれ、真実の一端に辿り着きましょう」
「間に合うか」
「はい。それに」
「それに」
「御真意については未だに伺っておりませぬ。何故、部外者を巻き込むのでございますか」
「……リヒャルト」
「はい」
「『あれ』はな、水の中の牢獄なのだ」
「……」
「煌びやかなように見えて、あらゆるところに死が転がっている。生きるためには、わずかな空気を探さねばならぬ。牢の中で、だ。もちろん牢から出ることは許されぬ。国を捨てても、牢獄から出ることにはならない。違うか?」
「儂の場合はもう手遅れだ。だが、だからこそ他の者は守らなくてはならん。かれらは牢獄を知らぬ。牢獄を知らぬのに『あれ』のために死の定めから離れられない、そのようなことは許されぬ。少なくとも私が許さぬ」
「そのためのはかりごとでは……」
「そうだ。そのためには、我等が燃えねばならん。誰の目にも見えるように、盛大にだ。そのためには薪が必要だ」
「薪をくべるのでございますか」
執事の声は震えていた。
「そうだ。我々だけではなく、彼の者にも手伝ってもらう。そしてリヒャルト、貴様の命はもらっていくぞ」
主人の声は、氷のように冷たかった。
<3>
「課長、まだそれにこだわっているんですか」
ラオがヤンの机の上にある「灰色計画」の紙を見て、あきれたような声を出した。
「うーん。まぁ、その通りだよ。こいつはミステリとしてなかなか理不尽だ」
「課長は名探偵ですか。TVドラマのような」
ラオが面白そうに言った。
「まさか。私はただの憲兵だ。それも捜査をやるんじゃなくて、総務をやる方だ。でも、捜査課の連中も、こんな問題は付き合いたくないかもしれない」
「でしょうね。第一、事件はまだ起きていないですからね」とラオ。
「事件が起きた後から捜査をするとは限らない。脅迫なら、事件が発生する前に捜査することになる。」
「でも、脅迫があるかどうかは分からない。教えてくれないのでしょう?」
「そうだよ。ないないづくしのないづくしだ。情報さえあれば、捜査もできるし、犯人を捕らえることもできる。なんでこんなに何もないんだ」
ヤンは紙を持ち上げてひらひらさせた。
「やっぱり狂言なんではないんですか」
「手の込んだいたずら、そういうことかい」
「状況から導き出される結論は、ほぼそれですよ」
「そうかもしれない。だが、疑問は残る。一体なにをやりたかったのか、だよ。いたずらなら、意図がある。欲しい結果がある。それが見えてこない。いたずらなら、ちゃんと捜査してくれそうな所に話を持ち込む。ちゃんと捜査してくれそうな話を持ち込む……待てよ」
「??」
「なぁ、ラオ大尉」
「何です」
「もし我々が事件捜査を命じられたとして、だ。捜査が完結した後どうする?」
その男と対面するのはじつに久しぶりだった。超高速通信が普及したとはいえ、相手とカメラ越しに会話するのはいろいろと不便がある(主に費用の面において)。ヤンがビデオ通話を選択したのは、懐かしさという側面が大きかった。
「先輩、お久しぶりです」
「そうだな。一年ぶりかもな。わざわざすまないね」
ダスティ・アッテンボローは、士官学校時代のヤンの後輩である。優秀な士官となって御国の盾とならんーーそういう学生ばかりが士官学校にいるわけではないことは、ヤンを見ればわかる。アッテンボローも同類だった。軍人になるつもりはなかったのだが、士官学校と併願した大学は不合格だったから、士官学校に入るしかなかった、何度もそのぼやきを聞いたものである。
というわけで、士官学校を卒業し、任官してから最低限度の勤務期間が過ぎると、さっさと退役してしまった。ヤンは軍人恩給が惜しかったから軍に残ったけど(軍人恩給の受給資格は、軍に10年勤務しなければ貰えない)、アッテンボローにはそれすら未練はなかった。
もともとジャーナリスト志望のアッテンボローは、退役後、大手の新聞社に入社して、晴れて希望の職につけたーーと思いきや、そこも2、3年で辞めてしまった。今はフェザーンに移住して、経済誌の記者をやっている。
「フェザーンは面白いですよ、先輩。ハイネセンより何倍も面白いです」
「そうなのかい。エル・ファシルよりよっぽど面白いだろうね。」
「ええ。フェザーンで金や物の動きを見ていると、帝国と同盟が戦争状態にあるなんて信じられなくなりますね。まぁ、戦争状態なんですけど」
「それはそれは。ところで、超光速通信をしてきたということは」
「ええ。ご依頼のスザンヌ種苗のデータ、まとまりましたので送ります。先輩、来年の同盟軍新型装備選定会議、優先取材パスお願いしますよ」
ヤンはアッテンボローに、ゴールドバーグ老人が相談役を務めているという、スザンヌ種苗の調査を依頼したのだった。帝国からの亡命者であることを考えると、何か情報が出てくると期待したのである。代償として支払ったのは、来年あたまに行われる軍の新型装備選定会議、その取材許可証だった。軍は大手の顔見知りメディア以外に許可証を出したがらないことで知られている。
「わかったよ。何とかするさ。折角、骨を折ってくれたんだ。ところで、ゴールドバーグ氏については何か分かったかい」
「うーん。そちらはあまり。送ってくれた情報は間違ってないんですよね。スザンヌ種苗の相談役に居るのは間違いないんですが、どうも、会社とほとんど関わり合いがないらしいんですよ。会ったことのある人がほとんどいない」
「そうかぁ。一気に話が怪しくなったなぁ」
「亡命に関しては間違いありません。30年近く前に北朝のオーディンから、フェザーン経由で家族ごと亡命したそうです」
「家族?あの老人に家族はいない……いや、今いないだけか」
子供は親の元を旅立つものだ。それが世界の道理である。
「そこも分かりませんでした。内戦の戦禍を避けるため、だそうです。亡命の理由は」
「月並みだね」
まぁ、それ以上の理由は必要ないだろうな、そうヤンは思う。帝国が2つに分かれ、帝国のあらゆる所で内戦による悲劇が発生している。ちなみに、アッテンボローの言う「北朝」というのはリヒャルト帝が統治する「元の」帝国。クレメンツ帝が統治する貴族連合の方の帝国は「南朝」と呼ばれている。別に、宇宙に南北があるわけではない。クレメンツ帝が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を脱出し、南の離宮で形ばかりの即位宣言を行ったからそう言われているのだった。それに倣って、軍隊も北軍・南軍と呼ばれている。
「でしょう?で、亡命直後に会社を立ち上げたわけですが、スザンヌ種苗もなかなか怪しい所があるんですよ。先輩、スザンヌ種苗って、立ち上げ直後にいきなり新種のバラを発売して、一気に成長した会社なんですよ。おかしいと思いませんか?ベンチャーで一番難しいのは、金になる製品を生み出すまで生き延びることなんですよ」
「そうなのか」
「0から売れるプロダクトを作るのも大変ですけど、周囲の介入を跳ね返すのも大変なんです。そうでしょ。放っておけば自分のシェアを食い荒らす会社を放置するなんて、愚の骨頂です」
「そりゃそうだろうね」
ヤンは相槌を打つだけだ。
「ですがね先輩」
リモート会話のはずなのにアッテンボローは声をひそめた。
「スザンヌ種苗はそれに成功した。ろくに時間もお金もかけず、売り出した花はどんどん売れていく。種苗業界では、結構不思議がられていたようです。何故そんなことができるのか、調べた人もいたようですけどうまくいかなかったようですね。今はさほどでもないですが、あの会社は昔、かなり秘密主義だったようで」
「ですが、調べていくうちに、妙な噂が流れていたことが分かったんですよね」
数日後ーー
「ここを訪ねてきた、ということは」
ゴールドバーグ老人が振り返りながら言った。ヤンはまたも弁護士経由でコンタクトを取り、ゴールドバーグ邸を訪れている。今度は休日がてら、でもなく平日に訪れている。今度は軍服姿である。ヤンは、これで自分の姿勢を示しているつもりなのだった。
「何か、分かったことがあった、ということかね」
ゴールドバーグの声は、なにか疲れているように聞こえた。
「分かりません。いろいろ調べましたがお手上げです。答えの欄にあてずっぽうに答えを書くような感じです」
ヤンの目の下には隈ができている。いろいろ苦労をしたことだけは確かだった。
「なるほど。そろそろ正解が必要かね」
「はい」
「君に私の過去を明かすことはない、そう言ったはずだ」
老人の口ぶりは、頭の回らない学生に対峙する、意地の悪い教授そのものだ。
「ええ。ですが」
「ですが?」
「この数日間、いろいろ調べて参りました。そこから得られた推論、いや妄想を導き出すところまできました。結論に至る道筋はめちゃくちゃです。ですが、結論があまりに衝撃的なものであれば、それを深堀りしてみたくなる、それが人間の知的欲求というものです。ゴールドバーグさん、もし私の妄想が正しければ」
「正しければ?」
「貴方はここから消えることになる。最悪の場合、死ぬことになります」
直後、ヤンはゴールドバーグ老人が笑みを浮かべるのを見た。
<4>
ゴールドバーグ邸の扉が荒々しく開けられたのは、数日後の夜だった。扉がこじ開けられた場合、警報システムが作動するはずだったがそれもなかった。
乱入者がどたどたと入ってくる。人数にして十名を少し超えるぐらいだった。そのうち何名かは何かが入ったバッグを提げていた。
最初に騒ぎに気づいたのは屋敷の執事だった。乱入者の前に立ちはだかり、じろじろと眺めまわし、何用だ、と言った。事件の被害者としては異様なほどの肝の据わりようだった。乱入者がいずれも、帝国軍の軍服を着ていることについても動じることはない。
「この屋敷に殿下がおられると聞いている。お会いしたい」
乱入者のリーダーらしき男が言った。
「約束は」
「残念ながらない。だが、殿下にとって大変重要な話なのだ。是非ともお取次ぎ願いたい」
「約束のない人間と会うことはない。お引き取り願おう」
そう言われて、乱入者のリーダーはむっとしたのか、腰から何かを取り出し、突き出した。
「これでもか」
驚くことに、銃を突きつけられても、執事の態度が変わることはなかった。
「銃で何を押し通そうというのか。自分のやっていることが何か、本当に分かっておるのかね」
直後、ブラスターからエネルギー弾が発射された。2発、3発。執事は今際の言葉もなく絶命した。
「ゼルケ、時間がない。手分けをして探すぞ。殿下はまだここにおられるはずだ!」
乱入者が主人の元にたどり着いたのは、午後8時を回った頃だった。あまりに部屋数が多すぎ、鍵がかかっている部屋もあった。目的の人物を探し出すのに、それだけの時間を必要としたのだった。
ゴールドバーグ老人の書斎を最初に発見したのは、大尉の階級章を着けた乱入者だった。慌ててコミュニケータを取り出すと、何やら連絡を取る。どたどたと足音が聞こえ、たちまち十人以上の人間がゴールドバーグの部屋に入ってきた。有難いことに、この部屋は照明がついたままだ。
乱入者は二列横隊で整列すると、一人が前に進み出た。
「殿下、お迎えに参上致しました」
その言葉が合図なのか、全員が一斉に跪いた。
「さし許す。名を申せ」
部屋の主は三十秒ほども侵入者全員を眺めまわし。そう言った。その言葉に反応したかのように、リーダーとおぼしき、前に進み出た者が答える。
「はっ。小官は、銀河帝国軍務省フェザーン駐留武官、フリッツ・フォン・ヴェルナーであります。階級は大佐であります。ここにおりますのは、皆、現在の帝国を深く憂慮し、帝国の一統を求める者でございます。」
主人はわずかに顎をしゃくった。続きを言え、そういうサインだとヴェルナーは解釈し、再度話し出した。
「大変失礼ではございますが、時間がありません。義挙の概要を申し述べます。先帝オトフリート陛下御崩御より後、誠に遺憾なことに、帝国という家は二つに分かたれました。北軍、南軍共に決定的な決め手を欠いたまま、30年以上にも渡り流血を続けていることは殿下もご存じのこと」
「両軍、いずれも自らの大義を主張しておりますが、あまりにも長すぎる流血により、双方共に帝国のあるべき姿を忘れ去っているのが現状でございます。南軍の門閥貴族は、内部での権力闘争に明け暮れております。北軍は、ラインフォルト、ローゼンタール、バイヤースドルフ、ビッテンフェルトといった財閥共と奸臣リヒテンラーデが手を結び、国を私物化しております。」
「……」
「皇帝陛下の
主人はわずかにうなずく。
「この状況を打開するには、北軍でも、南軍でもない第三の力が立ち上がるべきであります。白でもなく、黒でもない。双方を抱合する灰色の勢力を作るのです。そして、それを率いるのは、もう一人の親王殿下でございますフリードリヒ殿下以外にございません!」
そこまで言い切ってヴェルナーは違和感を感じた。貴方をクーデターの首領に担ぎ上げる、そう言い切っているのだから、言われた方は、喜ぶなりあるいは怒るなり、とにかく感情の揺らぎがあるはずである。しかし、目の前の老人はどうだろう。感情のさざなみすら感じ取れない。まるで、自分の言いたいことなど先刻承知、そんな感じではないか。
「もちろんただ立ち上がるだけではございません。我々には沢山の、志を同じくする同志がございます。殿下の号令一下、行動を起こす準備は整ってございます。北軍、南軍、軍部の枢要に潜入せる同志が一気呵成に軍を、そして宮廷を浄化するのです。準備は完成してございます。このこと必ず成就します」
「続けよ」
「そしてリヒャルト陛下、クレメンツ陛下には帝国一統の大義について、ご説明申し上げます。こちらの真意が伝われば、必ずや我等の計画に同意なさいましょう。両陛下にご退位頂き、殿下が至尊の座にご登極あそばされば、帝国の栄誉は必ず取り戻されるでありましょう!!」
「………………で、あるか」
室内に妙な空気が流れた。この部屋の主人が、話にまるで興味を示していないのである。もしかして、認知能力に異常があるのか。ヴェルナーがそんなことを考え始めたその時、主人がやおら話し始めた。
「どうしてここが分かった」
「はっ。情報提供者がございました。エル・ファシルにお住まいとは想定外でした。ですが、提供された毛髪から取得した遺伝子パターンは、殿下であることを指し示してございました」
「随分と大枚をはたいたであろう」
「恐れ入ります」
それだけ言ってヴェルナーは違和感を感じた。何故それを知っているのか。
「やはり卿らをハイネセンから引き剥がして正解だった。そのまま居座られては不都合なのでな」
ヴェルナーの脳内に疑問符が増えていく。どうにも話が噛み合わない。というか、目の前の殿下は、知らないはずの秘密を知っているとしか思えないのだ。
同じように疑問を抱いていた乱入者のうち、一人があっと声を上げた。震える声を紡ぎ出した。
「恐れながら殿下……殿下は殿下ではございませぬ……」
ヴェルナーは目を見開いた。
ゴールドバーグの拍手が鳴り響いた。
「正解だ。大尉。おめでとう、そう言うべきかな」
ヴェルナーは、大尉とゴールドバーグを何度か眺めた後、老人をじろじろと眺め、愕然とした表情になった。
「ま、まさか……」
「その通りだ。遺伝子照合に頼りきって、単純な人相学も心得ぬとか、卿の計画とやらも、お里が知れるというもの」
「…………殿下を出せ。案内してもらおう。どこに隠したのだ」
ヴェルナーはブラスターを取り出した。
「殿下は逃げも隠れもしておらぬ。分かっていないのは貴様らの方だ」
脅されていても、老人の声には臆したところは全くない。
「では何だ、殿下はどこにいるのだ。お前は分かっておるのだろう」
「……馬鹿者めが」
「五月蠅い!」ヴェルナーがわめいた。
「屋敷に入った時に、執事がおったであろう。執事は貴様らに用向きを尋ねたはずだ」
ヴェルナー一同は視線を泳がせた。何人かがはっとする。今頃気づいたのか、老人はそうつぶやいた。
「そうだ。その執事こそが、本物のフリードリヒ殿下であらせられる!」
部屋の中は固まったようになった。主人の言葉は単純明快だったが、それを解釈するのは知能というより覚悟とか勇気が必要だった。
「な……なんだと……それでは」
ヴェルナーは愕然とした。膝が震え始めている。
「殿下は全て分かっておられた。軍人のクーデター如きで帝国が統一できるはずがない、そう仰せであった。しかし、帝国を憂える思いをただ無駄にするのは忍びない、そうも仰せであった。だからこそ、殿下は最後のチャンスを与えられた。儂が貴様らを馬鹿者と呼ぶのは、そのチャンスを、むざむざ
ヴェルナーは心の中の何かがぽきんと折れるのを感じた。帝国のためにと思って計画すること数年、陰謀が露見しそうになり、その度に隠し通してきた。大義のために犠牲者を差し出したこともあった。そして時は来た。そのはずだった。それが全て掌の上だと言うのだ。これが悲劇でなくて何であろう、いや、喜劇なのかも。
「冥土の土産に教えてやろう。我が名はリヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン、フリードリヒ殿下の侍従武官だ。殿下のご尊顔も分からぬそちらが、何が帝国一統であるか!己の身の丈を弁えるがよい!!」
直後、叫び声があがり、数本の光線がグリンメルスハウゼンの身体を貫いた。グリンメルスハウゼンは叫び声をあげることなく倒れ、動かなくなった。
しばらくの間、居間は時間が止まったかのようだった。十人以上の人間が居るのに誰も身動きせず、言葉すら発しなかった。金縛りが最初に解けたのは、ヴェルナーの側に居た少佐だった。何事かをヴェルナーに囁き、ヴェルナーは頷いた。
「シュライバー、彼奴の遺伝子データを照合しろ。言っていたことが本当か確かめるのだ」
最後尾に控えていた男は、ヴェルナーの指示を受けると飛び出すように走り出て、グリンメルスハウゼンの傍らに駆け寄った。遺伝子検査機器を指に装着し、検査を開始する。
「どうだ。遺伝子データは合致したか」
「はい。間違いありません。リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン子爵。パターンが合致しています。公式記録は内戦勃発直後に行方不明となっていますが、本人に間違いないでしょう」
報告を受けてほっとした空気が流れた。場の勢いで撃ってしまったものの、殿下が嘘をついていた可能性だってあったからだ。奉るはずの玉体を撃ち殺してしまったとなれば、死んでも死にきれないというものだ。
「……帝国の大義を理解しない痴れ者め。所詮、売国奴の取り巻きか……」
ヴェルナーはそう吐き捨てると、グリンメルスハウゼンの遺体を転がし、ブラスターを撃ち込み始めた。ブラスターのエネルギーパックが空になると、今度は唾を吐きかける。
「大佐殿!」
ヴェルナーが死体蹴りをやめたのは、後ろから羽交い絞めにされ引き離されたからだった。
「ゼルケ!何故止める!!こいつが憎くないのか!帝国一統の大義を理解しない耄碌だぞ」
「大佐。それは分かりますが……これからどうするのですか」
そう言われてヴェルナーははっとした。説得が難航する可能性は当然考えていた。いざとなれば無理にでも奉戴するプランもあった。だが、誤って殺してしまうことまでは考えていなかったのだ。奉る玉体は既に無く、自分達は単なるテロリスト集団と化していることを、たった今認識したのである。死にたくなければ、泥縄でもなんでもいい、プランBを考えなければならない。
「殿下のご親族を探すーー」
「??」
「殿下のDNAパターンさえあれば、親族を探し出すことなど造作もない。草の根を分けても探し出す。そして、帝国一統の大義をご説明申し上げる」
「大佐ーー」
ゼルケは絶句した。ヴェルナーの状況把握がまるでなっていないことが分かったからだった。やぁ、君のお父さん(か、お爺さん)は大義を理解しなかったから撃ち殺したよ。でも、君は賢いから当然我々の大義を理解してくれるよねーーそう言って話に乗ってくる人間などいるわけがない。
そんな一同の逡巡を強制中断したのは、外からの大音声だった。
「民間人の住居に不法侵入せる、帝国軍を自称する諸君!!」
<6>
「こちらはエル・ファシル星系防衛軍である!!!諸君らが不法に侵入しているゴールドバーグ邸宅は、1000名の兵士によって完全に包囲されている!!即時に抵抗を中断し投降せよ。しからざれば攻撃す!!10分の猶予を与える。民間人の住居に不法侵入せる帝国軍を自称する諸君ーー」
スピーカーから50メートルも離れていたおかげで、そして指揮官用バンの中に居るおかげでヤンは辛うじて耳栓をせずに済んだ。指向性スピーカーを使えばこんな大声にならないのに、と思ったが、憲兵隊にはそのような装備はなかった。だからとにかく大音量のスピーカーをと言うことになり現在に至るわけである。
「1000名の兵士ねぇ……」
ヤンはひとりごちた。少々考えれば、星系防衛軍が兵を出すなどあり得ないのである。アッシュビー・ラインの最奥で帝国軍の大規模テロがあったとなれば、政治的影響が大きすぎるからだ。これで完全武装の実戦部隊が出動したとなれば、転び方次第では同盟軍トップの責任問題となりかねなかった。一介の少佐が何を言っても軍隊の出動などあるわけがなかった。
それは責任問題そのものだからしょうがないんじゃないか、ヤンはそう思うのだが、憲兵隊に降りかかってくる火の粉のことを考えると、自分達で何とかするしかない。憲兵隊から人員を出すことも相当難しかったが、何とか捜査情報を糾合し、表向き、帝国軍を偽装するテロリストのアジトを撃滅するという名目でやっと1個中隊を憲兵隊の交通機動隊から動員している。後は
「大尉。動きはあるか」
「今のところは特に何も」
ヤンの質問にラオが答える。凶事が行われている部屋は分かっている。ならばこっそりエネルギー感知センサーを付けておけば中の状況は大体把握できる。本当はもっと高級なセンサー、いや、遠隔カメラでも仕込みたいところであったが、用心深いテロリストが居ることを考えて、そのような仕込みは行わないことにしたのである。
ヤンには、中で何が行われているのか手に取るように分かる。本来なら、こんな状況を看過すべきではなかった。しかし、それだけは許されることではなかった。それが、あの老人との約束だった。憲兵としてあるまじき行為、だが、それこそが老人の願いだった。
そう、今になれば全てが繋がるのである。ゴールドバーグ老人の思い。老人が守りたかったもの、それは自分の命ではない。
話は三日前に戻るーー
「正しければ?」
「貴方はここから消えることになる。最悪の場合、死ぬことになります」
直後、ヤンはゴールドバーグ老人が笑みを浮かべるのを見た。ヤンは自分の当てずっぽう推論がどうやら当たっているらしいことを確信した。
「なるほど。ヤン学生。君の推論を聞くことにしよう」
ゴールドバーグ老人に促され、ヤンは話し出した。
「話を整理するために、結論に至るまでの道筋から話したいと思います。この問題が出された時、私には目的というのが分かりませんでした。家に怪文書が投函された、これでは憲兵はもとより、警察も動きようがありません。しかし、ゴールドバーグさんは私をここに招待し、自分が帝国からの亡命者であることを明かされました。そして、怪文書に何らかの意図がある、そう主張されたのです」
「それでも、警察を動かすにはあまりに情報が足りないのです。これは警察という組織を少しでも知っていればわかるものです。ですが、現にこの段階で警察を動かそうとしている、その理由を考えて、この結論に達しました」
「続けたまえ」
「実際に警察が動いたら、捜査し、謎を解き、結論を出します。犯人を逮捕し、罪を償わせるか、脅迫事件なら脅迫の実行を防ぎます。平和が訪れ、めでたしめでたし、となります。今後のために記録が残され、それで終わりです。誰もかれも頭の中から忘れ去り、次なる犯罪に対峙する。ですが、それはクライアントの望むところではなかった」
「……どういうことだね」
「犯罪が行われることを事前に察知していれば、警察には犯罪を防ぐ能力があります。ですが、犯罪は実行されなくてはならないのです。捜査が終了したら、事件のことを忘れます。ですが、事件が風化したり、誰の目にもつかないように処理されてはいけないのです。しばらくの間は」
「自己紹介のデータグラムを頂いた時に、スザンヌ種苗相談役、とありました。もちろんこの会社は存在します。ですが、会社の過去を洗っていく時に、不審な点がありました。スザンヌ種苗は、花の新品種を次々に出して会社を大きくしています。しかし、新品種の開発には莫大な費用と時間がかかる。そして立ち上がったばかりの会社には、そのいずれも不足しています。これを回避して新品種を世に出すには、方法は一つしかありません」
「どうすればよいのかね」
ゴールドバーグ老人の笑みはますます大きくなっていた。
「最初から、新品種を手許に持っておけばいいのです。世の中には、突然変異種というのが存在するそうですね。市井の会社なら、それが金になると分かると、遺伝子データを保存し、大量生産し、販売します。特許も取ります。ですが、新品種を世に出さないのであれば、販売も特許も必要ありません。秘中の秘にしておけばいいのです。ですが、それは金と、何より権力が必要になります。外からの介入を跳ねのける権力が」
「私が実地で確認したわけではありませんが、門閥貴族、それも高位の貴族では、動物の遺伝子改造を実施し、利用している例があるそうですね。犬に角を生やしたり、魚を異常に大きくしたり、とか。こんなことができるのは権力があるからです。」
「論理の飛躍だな」
「はい。論理の飛躍です。ですが、過去、スザンヌ種苗に関して似たような噂はあったらしいのです。新商品は、遺伝子組み換えのような研究努力でできたものではなく、全く新しい突然変異種をどこかで採取したに違いない。そういう噂です」
「そのため、スザンヌ種苗が設立された30年前、丁度、帝国の内戦が勃発した前後になりますが、その時に死亡、行方不明、もしくは亡命した高位の貴族、ということで絞り込みを行ったところ、ある一人の人物に行き当たったのです。当時30歳前後、そして高位の貴族で
「……」
「結論を言います。フレデリック・ゴールドバーグさん、貴方の本名は、フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム。先代皇帝オトフリート5世の次男、内戦の中で誰にも忘れられていた帝位継承者の一人。そうではないのですか。内戦初期に行方不明、公式にはそうなっていますけど」
そこまで言って、ヤンは深呼吸した。相手は帝国からの亡命者とはいえ、お前は銀河帝国皇帝の次男ではないのか、そう断言するのは勇気のいることだった。
「ふっふっふ。ははははは!!!」
ゴールドバーグは笑い出した。一しきり笑った後に言う。
「なるほど。実にユニークな結論だ。だが、それでは『灰色計画』の説明にはなっていない。まぁ、そこまで話を絞り込んでいるなら、ストーリーはあると思うのだが」
「はい。勝手ながら、ゴールドバーグさんの個人情報を調査させて頂いております。表向き、家族は居ないことになっていますが、交渉がないだけで、息子さんが一人と娘さんが二名、ハイネセンで暮らしています。もう既に家庭も持っている。姓すら同じでないので、調べるのが大変でしたが、スザンヌ種苗から資金援助が出ていましたので分かりました」
「交渉がないのは、彼らにゴールデンバウム王朝の血統というものと距離を取らせるためです。お家騒動に巻き込みたくないからだと思います。ですがそうも言っていられない事態となった」
「そこから先は儂が話をしよう」
突然後ろのドアが開き、執事が入ってきた。ゴールドバーグ老人が驚きと共に立ち上がる。殿下ーー老人はそう言っていた。
「いささか飛躍の見られる推論だが、結論は概ね当たっている。見事だ。見事な領解である」
執事がその服装のまま、先ほどまでゴールドバーグ老人が座っていた椅子に座る。ゴールドバーグ老人?の方は当然のように立ち上がって、側に控えた。珍妙な光景だった。
「え、あ、あの……」
ヤンは口をぱくぱくさせた。
「少佐。貴人を前にして、影武者の可能性に思い至らないとは、まだまだだな」
そう言われて、ヤンは殴られたような衝撃を受けた。当然と言えば当然の話だが、本当に思いつかなかったのだ。
「スザンヌ種苗からそこまでたどり着くとは、想定外だった」
本物のゴールドバーグ老人が言った。
「調査した人間が優秀でした」
ヤンはそれだけ答えた。
「それほど優秀なら、気づいているのではないのかね。スザンヌ種苗は技術投資に金をかけているが、投資金額に対してリターンが少ないと言われていることを」
「それはーー」
ヤンはその先を言うことができなかった。確かにアッテンボローの報告書にそう書いてあった。だがその理由も今なら分かる。そしてレポートにはこうも書いてあった。会社の規模に比して投資収入が不自然に多いと。
「そう。種苗会社なら、突然変異種の調査も重要な任務だ。そして、それには人員と費用がかかる。だが、それが別のものに化けていたら、どうかね」
「なるほど」
ヤンはその言葉だけを吐き出した。帝国から亡命せざるを得ない事情を考えると、同盟に亡命しても、未来永劫安全が保障されるわけではない。だからこそ、亡命帝国人は、帝国人同士のネットワークにこだわる。そういう情報が手に入りやすいからだ。しかし、この人だけはそれを利用するわけにはいかない。だから、情報網を自分で作り上げた。
「仔細は省略する。この年になると長話も辛くてな。帝国が2つに分かたれてもう30年、リヒャルトも、クレメンツも内戦に疲れ果てておる。だが、終わる気配は見えない。内戦こそが当たり前の、そういう社会になってしまったからだ」
「二人ともにそろそろ世継ぎの話が取り沙汰されることになるが、世継ぎの争いというのは醜いものだ。そして、犠牲になるのは当の本人なのだよ。そういう風にできているのだ」
「灰色計画、黒と白を飲み込む企てーー所詮誇大妄想の産物に過ぎぬと思うのだが、それが動き出しているのは分かった。くだらぬ。くだらぬことだ」
「かつての儂は、帝位等に興味を持ったことはなかった。今もそうだ。だが、この儂に帝位の冠を押し付けよう、という動きが出てきたことがわかった」
「何故なのですか」
ヤンは訊く。
「現実逃避だな」
ゴールドバーグは言った。
「組織がうまくいかない時、トップを変えれば上手くいく。何故かそういう考え方が流行るものだ。変えて上手くいかなければ、さらに変えようとする。そして、奇跡的に立ち直るか、組織が崩壊するまでそれが続く。組織の中身や外的状況を無視し、トップを変えたところで状況が好転するわけはないのだが、それは都合よく無視される」
「そういうトップを押し付けられる側として、どうやってそれから逃れるか、それは難しい問題だ。儂だけならまだしも、息子に帝位の話が出てくることは耐えられん。折角の自由を捨て、死あふるる牢獄に戻るなど、断じて認めるわけにはいかん。ならば、向こうに諦めさせる他はない」
ゴールドバーグ、いや、フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウムは一度ふうと息を吐き出すと、はっきりとした声で言った。
「だからこそ、我々は死ななければならぬのだ。それも華麗に、だ。帝室からあれを解放してやらねばならぬ」
「降伏勧告に反応あるか」
「ありません」ヤンの質問にラオが答える。
「それも華麗に、かーー」
ヤンは指令車の中でつぶやいた。自分が死んだ後の憂いを断つために、自分だけではなく、自分の家族を担ぎ出そうと考えている人間、それを全て引きずりだして一網打尽とする。それだけではない。自分という存在は完全に消えたのだ、それを全宇宙に認識させるためのセレモニー、それが眼前の光景である。なんという覚悟であろうか。そして、なんと不幸な命運であろうか。
「ならば、その期待に応えないと。一人の学生として」
そうヤンはつぶやくと、ラオに命令を下した。
「大尉。無力化ガス投射用意だ。場所は同じ」
「課長!待ってください!!エネルギー反応、室内でブラスターが使用されています!それにこれは……」
周囲が同盟軍に包囲されていると知った時、ヴェルナー達の反応は2つに分かれた。脱出するか、投降するか、である。もちろんヴェルナーは脱出を主張した。広大な屋敷なら、どれだけ厳重に包囲しようとも穴はあるはず、脱出して次の手を打てばいいと主張した。
投降を主張したのはゼルケだった。グリンメルスハウゼンの言葉が正しければ、陰謀の露見はもはや確実。となると、逃亡しても意味がないことになる。無意味な損耗は避けるべき、そう主張したのだった。
意見の対立は、間もなく言い争いに発展した。愚図愚図していれば同盟軍が突入してくる。本当なら言い争いすらしている暇はないはずなのだが、双方とも譲らなかった。
先に実力を行使したのは多数派ーー投降派の方だった。ブラスターを出すと、ヴェルナーに向けて発砲したのだった。たまらず床に倒れたヴェルナーは、何かを思い出すと胸元からあるものを取り出した。手榴弾だった。脅迫のための手段であって、使用することなど考えもしなかったが、今こそその時だった。
ヴェルナーは最後の力を振り絞り、手榴弾の安全ピンを抜いた。
それから一ヶ月後ーー
「ヤンさんですな。お忙しいところお呼び出ししまして申し訳ございません」
弁護士の言葉にヤンは、いえいえ、と謙遜したが、内心は全く同意だった。テロに殺人。犯人は自爆し屋敷は燃えかける……特殊部隊が消火用ドローンを投入しなければ、あの豪壮な屋敷は完全に燃え落ちていたかもしれなかった。
乱入者11名のうち、6名が死亡し3名が重傷で軽傷2名。発見された死体の解剖結果から、ゴールデンバウム王家の一族であることはほぼ間違いないという見解が出され、軽症者の取り調べから事件の概要が明らかになると、同盟中のメディアが事件の報道に熱中した。
ヤンにとってはどうにも納得ができなかったが、メディアは『先帝オトフリート5世の隠し子、悲劇の王子、フリードリヒ4世』(確かに即位すればそうなるけど。それに隠し子ってなんだよ)という調子で報道した。もちろんヤンにはどうすることもできなかった。できたことといえば、メディアに緘口令を敷き、家族に関する報道を行わないこと、それだけだった。
これを受けた帝国は、南北共にフリードリヒの存在を否定し、三十年前に既に死亡したから、本人ではない、という声明を発表した。老人の計画はここに完結したのである。今頃、両帝国では潜伏している同志の洗い出しと粛正が行われているであろう。
ヤンからすれば、今の状況はいい迷惑でしかない。何しろ仕事が倍増した上に、マスコミからも追い回されるのである。そんな生活が一ヶ月ほども続き、あと少しで仕事も落ち着くだろう。ヤンがゴールドバーグ老人の顧問弁護士から呼び出されたのはそんな時だった。
「ところで御用というのは」
「あー。これはゴールドバーグさんというより、リチャード・グリンメルさんの依頼なのですが」
ヤンはほぅ、と、言った。あの老人(グリンメルスハウゼンの方)は、そんな名前にしていたのか。そうだよね。名前が長いと、覚えてもらうのが大変だ。
「遺産相続の話でございます」
「遺産相続」
ヤンはオウム返しで答えた。
「ああ、期待なさらずとも、現金とか株券とかの資産ではございませんよ。資産と借財は相殺の後、慈善団体に寄付することになっております。ですが、あの日の前日、突然、連絡がございまして、これをヤン少佐に渡すように、とのことでございました」
弁護士は何やら古ぼけた分厚いノートを取り出した。装丁はいかにも古めかしく、紙を見る限り、何年も前に使っていたらしいことが分かる。
ヤンは苦笑した。あれだけの金持ちなら100万ディナールぐらい残してくれてもいいのに。もちろん口には出さなかったが。
「見ても、よろしいのですか」
ヤンの質問に弁護士はうなずいた。ヤンはノートを手に取るとページをパラパラとめくる。
中身は日記だった。今から三十年以上前の日付が記してある。主に書いてあるのは、何かの商店への支払いと、ツケの記録である。後は、ちょこちょこ噂話のような書き付けがある。
日記帳というよりは、借金の台帳、あるいは醜聞のメモと言うべき本だが、こんな本でも帝国史の発展に大いに貢献する資料となるかもしれない。ここに書いてある事が真実であると『みんなが』確信すれば、だけど。
これがゴールドバーグ教授の試験、それの合格証書ということか。
「どうですか。相続は放棄することもできますが」
「いえ、ありがとうございます。ありがたく頂戴致します」
ヤンは、遺産相続に関する何枚かの書類にサインして、ノートを受け取り、弁護士事務所を後にしたのだった。
次回予告
惑星エル・ファシルで行われる新型戦艦の選定会議、そこに国防委員を名指ししたテロが予告された。警備に参加するヤン・ウェンリーは、父親の知り合いだった政治家と出会うことになる
第四話「新型戦艦 ヨブ・トリューニヒト」