銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

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外伝第二話 彼岸花の少女(上)

 士官になりたての(といっても配属から一年近く経つが)士官、それも憲兵の士官に押し付けられる仕事とは何か──

 

 それは夜間の駐屯地警備である。平たく言うと、脱走兵の取り締まりである。

 

 軍というのは、どう言い訳をしてもストレスフルな職場である。特に、入隊したての新兵達がしごかれる教育隊は、ごく一部の例外を除き、それまで体験したこともないストレスが新兵を襲う。しごき、怒号、懲罰、いずれもそれまでの人生で体験したことがないものである。当然ながら、そのようなストレスフルな環境についていけない人は居る。

 

 だが、ついていけません、だから、はいさようなら、とはいかない。

 

 今の自由惑星同盟軍は、徴兵制が機能していない。だから軍組織を維持するためには志願に頼るわけだけど、当然ながら確保できる人員は減ることになる。これはしょうがない。そんな貴重な人材だから、入隊してきた新兵は絶対逃してはならないということになる。軍入隊時の宣誓で、契約期間(いろいろ条件はあるが大体2年)は軍を無許可で離脱することはないことになっているので、兵は合法的に逃げることはできない。ならば、無許可で逃げるしかないことになる。つまり脱走だ。

 

 まぁ気持ちは分かる。ヤンはそう思うのである。

 

 入隊してきてしばらくの間は、まぁ娑婆と大して変わらない環境ではあるが、ある日突然それが変貌する。整理整頓、時間厳守、そして朝から晩まで続くしごき。いずれも、人間を効率的に兵士へと仕立て上げていく仕組みである。そんなものに平然と適応できるのは、よっぽどの変人に違いないとヤンは思っている。

 

 そうやって新兵を痛めつけるのは、別に軍がそういう趣味の持ち主だから、というわけではない。むしろ正反対だ。教育隊は、入ってきた新兵を決められた期間でいっぱしの兵士にしなければならない責任がある。教官達は、そのための訓練を受けているし、経験も積んでいる。経験と研究があみだした、もっとも短期間でもっとも成功率が高く兵士を『生産』する仕組みがそうだった、というだけである。

 

 でもやりようというものはあるだろう。ヤンはそう思う。例えば、新兵のほとんどはプライベートのある環境に慣れ切っている。それをいきなり一分隊一部屋の集団生活にぶちこんだらどうなるか。おまけにそういう宿舎は、予算不足で施設は故障だらけ襤褸だらけというのが定番。これでは落伍者を出すなという方が無茶というものであろう。ヤンの場合、士官学校の初年兵教育は確かにきつかった。だが、あちらは試験をパスした人間が入学したし、部屋も最初から二人一部屋だった。自分が落伍しなかったのは、ルームメイトのジャン・ロベール・ラップのおかげと言うべきだろう。本当にその点は恵まれた。

 

 話を元に戻そう。そういうわけで脱走を防止する警備は十分に行われなければならない。脱走したところで、すぐに連れ戻されるのがオチではあるのだが、脱走されたという事実は軍にとってよろしくない。軍の治安に責任を持つ憲兵ならなおさらだ。

 

 となると、憲兵や教育隊は夜間にパトロールを行う必要が出てくる。まとめ役として宿直する士官が居なくてはならない。こういう、誰もやりたがらない仕事は下っ端の士官に押し付けられるというわけだ。つまり、ヤン・ウェンリー中尉の登場である。

 

 

 

 十月初旬のとある日──

 

 巡回から戻ってきたヤンは、休憩所に戻って腰をおろした。右手には長方形の紙箱を持っている。中央のテーブルに箱を置き、蓋をあけた。中にはドーナツが大量に入っていた。ヤンがどうぞと声をかけると、休憩所に居た巡回の兵達がぞろぞろと寄ってきて、ドーナツを持って行った。何も言わずに持っていく人もいれば、頭を下げてありがとうと言ってくる人もいる。ここに居る中で、ヤンが階級最上位者だが、彼らを無礼だとは思わなかった。そもそもこの差し入れは、ヤンがいつも自分のポケットマネーで行っているもので、深夜でストレスの溜まる巡回を行う兵達を慰めるためのものだった。ヤンからすれば、兵の人気取りをしておくのは決して悪い投資ではないし、ヤン以外の士官も、量や回数の大小はあれ同じようなご機嫌取りをやっている(ちなみにやりすぎるとこれはこれで法規に触れる)。

 

「いつもありがとうございます」

 ドーナツを取りながらヤンの側に座ったのは、教育隊に所属する軍曹で、ヤンも顔見知りの人だった。軍曹という階級をそのまま絵にしたような、経験豊富な下士官であった。

 

「いやいや。大したものではありませんが」

 

「恐縮しなくてもいいですよ。中尉。口に入るものならなんでも」

 ヤンの謙遜を軍曹はかわしてみせた。今は新兵教育の中盤ですからね。新兵達もこれからがきつくなる。そして、我々の仕事もこれから忙しくなりますよ。栄養補給はいつでも有難いです。

 

「私も士官学校で一番最初に入隊新兵教育を受けましたけど、今から思うとあれが一番きつかった。二度とやりたくないですね」

 

「新兵教育をまた受けたい、なんて言い出す人間が居たら連れてきて欲しいですね」

 

「どうしてですか?」

 

「見たことがないので」

 そう言って、軍曹は自らの冗談で笑い出した。ヤンもそれに付き合う。

 

「まぁ、今年はやりにくいですね。今まで使っていた演習場が、急に閉鎖になってしまった。新しい演習場は設備も作ってる最中だし、距離も遠いです」

 

「わかりますよ」

 ヤンは言った。今まで新兵教育を行っていた、基地にすぐ近い場所の演習場が突如閉鎖されたのだった。なんでも、企業の誘致のために演習場の土地も提供するのだそうだ。もちろん、代替地は提供されたのだが、どうしても便利さは落ちる。

 

「そうそう。そういえば、例の噂、本当なんですか」

 軍曹が声をひそめて聞いてきた。

 

「うん?噂?」

 ヤンは聞き返した。

 

「なんでも、情報部がここに出張してきて、憲兵隊と共同作戦するそうじゃないですか。中尉が担当なんでしょう?」

 

「ああ」

 ヤンが嫌そうに、実に嫌そうに相槌を打った。

 

「顔合わせがあったのは今日なんだけど、もう噂になってるんですか?」

 

「それはもう」

 軍曹はうなずきながら言った。

 

「あんな美人の副官を連れて、刑事の真似事をするなんて。できるなら代わってやりたい、みんなそう言ってます」

 

「あの人は副官でもなんでもないんだけどな。上がいいと言うなら代わってやってもいいのだが。どうせ捜査は彼女がやるのだし」

 ヤンは夕方の会議室を思い出した。

 

 

 

「情報部との合同捜査ですか?」

 

「合同『調査』だ。中尉」

 ヤンの言葉をブルックリン少佐は訂正した。仕事の最中、突然会議室に呼び出されたと思ったら、上司のブルックリン少佐が居て、そこでヤンに新しい仕事を命じてきたのである。

 

「いや、自分は教育隊の深夜当直中ですが」

 

「当直は別の人間に引き継がせる。というか夜間の当直など、教育隊の連中でも十分こなせると思うがな」

 ヤンの反論には、当然のようにカウンターが用意してあった。 

 

「その合同『調査』というのはどういうものでしょうか。フォン何とかとおっしゃいましたが」

 

「フォン・クラームだそうだ」

 ブルックリン少佐は嫌そうに応じた。

 

「フォン・クラームなる人物の安全を確保せよ、受領した命令書にはそう書いてある」

 ブルックリン少佐は紙を一枚差し出した。見ると、統合作戦本部付情報部の名前で、そのようなことが書いてあった。そして、本作戦は情報部と現地憲兵本部との合同作戦で行う。憲兵本部は情報部の指導のもと目的の達成に尽力されたし──そう書いてあった。

 

 ブルックリン少佐が不機嫌なのも分かる。ヤンはそう思った。指導のもと、ということはマスジットの憲兵本部は余計な口を出さず、情報部の御用聞きをしてろということである。ということは、よほど情報部の重要人物がやってくるということになるが、自分はそれに釣り合うのだろうか。

 

「このような重要作戦、自分に担当がつとまるのでしょうか」

 

「もちろん務まるさ。ハイネセンから来た情報部の顔を見れば、な。丁度時間だ」

 会議室のドアがノックされた。入れ、と少佐が言う。音もなく自動ドアが開いた。

 

 その姿を見たヤンは、目をむいた。

 

 

 

「イノウエ・タキナ伍長であります。よろしくお願します」

 情報部の担当者は、まるで高校生のような──後で知ったことだが、彼女は19歳だったが16歳のように見えた──容姿だった。中肉中背で、黒のロングヘア(新兵教育中なら間違いなく教官から目をつけられる)、顔立ちは間違いなく美人の範疇で、これに愛嬌が備われば世の中の男子をまとめて虜にすることは請け合いである。

 

 だが、これから自分がやることは、この伍長の後についていって御用聞きをする、ということである。伍長の御用聞きを中尉が、である。

 

 ヤンは、多分生まれて初めてブルックリン少佐に同情した。どこからこのような命令書がやってきたかは知らないが、一人の伍長が指示を出し、それにマスジットの憲兵が合わせて動けというわけである(もちろん限度というものはある)。こんな命令を受けてやる気を出せ、という方が難しいだろう。

 

「一つ伍長にお聞きしたい」

 

「何でしょうか」

 

「情報部は、ある人物、フォン・クラームなる人物の安全を確保したいと考えているようですが、なぜ治安警察に頼らないのですか。憲兵よりずっと人数が多いし、頼りになるはずです。軍の敷地内で事が起きているなら話は別ですが、そうとは限らないのでしょう?」

 

対象(オブジェクト)は、軍の任務実行中に行方不明となりました。任務の性格上、こちらからコンタクトを取ることはできません。治安警察を頼れば、任務の遂行は不可能です」

 イノウエ伍長はつっけんどんに応じた。

 

「なるほど。作戦中であると。では、その内容はお聞かせ願えますか」

 ヤンの口調は柔らかいが、もしノーと言ったらちゃぶ台をひっくり返すぞ、と言外に言っていることは誰でも分かる。

 

「本来、情報部の作戦を口外することは禁じられていますが──」

 イノウエ伍長はわざわざそう言った。

 

「これは緊急事態だから仕方ありません。対象(オブジェクト)は、帝国の亡命者、それも価値のある亡命者の生命を守る任務に従事していました。ですが、故あって本人の生命が脅かされる事態となりました。我々は対象を支援し、安全を確保、任務の完遂を支援することになります」

 

「なるほどなるほど」

 ヤンは相槌を打ったが、内心、いや、そうじゃないだろ。と思っていた。もっと具体的な情報がなければ、そのフォンなんやらを見つけられないじゃないか。

 

「あとこの」

 ヤンは受け取ったデータグラムにある所属情報を読み上げた。

 

「この『リコリス』という部隊名はどういう意味ですか」

 ヤンの質問に、イノウエ伍長はわずかな感情のゆらぎも見せず答えた。

 

「それに関してお答えする必要はありませんし、お答えする権限を与えられてはおりません。調査はいつ始めましょうか」

 

 

 

翌日の昼──

 

 マスジット憲兵隊本部の前に地上車が止まった。運転しているのはヤンであった。入り口にはイノウエ伍長が立っている。ヤンは彼女に対し、敷地外の調査だから軍服を着用せず、社会に溶け込める、目立たない服装をするように指示していた。

 

 ヤンは窓を開け、入ってくださいと言った。イノウエ伍長がドアを開け、助手席に座った。

 

「……どうしましたか?」

 イノウエ伍長は怪訝そうに言った。ヤンが彼女のことをじろじろと眺めまわすからである。彼女は、ネイビーブルーとグレーを基調とした、ワンピースにしては生地がごつすぎる服を着用していた。革製で小ぶりな背嚢を背負っている(さすがに地上車に乗る時は外している)。そしてサングラスを着けていた。ちなみにヤンの方はどうということのないスーツ姿である。

 

「あ……ああ。何でもない。出発する」

 ヤンは地上車を走らせた。軍施設の衛門で止まる。衛兵に外出許可証を提示した。衛兵もこの奇妙な組み合わせの二人を眺めまわした後、背筋を伸ばして敬礼した。

 

 二人の最初の目的地は、マスジットの行政首都、アヤソフィアにある警察庁舎だった。治安警察から調査委託票を受領するためである。これから、フォン・クラームのためにいろいろ歩き回り、聞き込みも行うわけだが、これがないと治安警察にしょっ引かれる可能性がある。不法侵入で拘束という可能性だってある。表向き、治安警察から調査を『委託される』という形式を取ることで、そういうリスクを回避するのであった。ちなみに、有効期限は設定されているので、売り飛ばしたりすることはできない。

 

 調査委託票の受領自体は『おおむね』順調に終わった。申請そのものは先行して軍から治安警察に届けていたので、あとは許可証を受け取るだけだった。二人は許可証を受け取り、庁舎から退出した。一応、最初の調査場所は決めてある。マスジットの宇宙港であった。

 

「マスジットの人々は失礼ですね」

 宇宙港への道すがら、イノウエ伍長が話しかけてきた。

 

「どうしてだ?」

 

「あそこまで自分のことをじろじろ見る必要はないはずです。役所の受付まで、何が珍しいんでしょうか」

 ヤンは落胆した。イノウエ伍長は分かっていなかったのか。なれば言わなければならない。ヤンは地上車を路側帯に停車させた。

 

「伍長」

 

「何でしょう?」

 イノウエ伍長はヤンの方を振り向いた。

 

「これは君に含むところがあるわけではないが……君は目立ちすぎなんだ。もう少し目立たない服装にしないと」

 

「これがですか?目立たないようにとの指示でしたので」

 イノウエ伍長はサングラスを外した。

 

「そうじゃない!その服は一体なんなんだ。どこの……どこの誰がそれを着ろと指示したんだ」

 

「これはごく普通の学生服を模したものです。ですが、両腕と右胸部に対ブラスターエネルギー中和コーティングが施され、負傷が軽減されるようになっています。背嚢には予備のエネルギーパックがあり、背嚢の外皮そのものが硬化仕上げになっていざとなれば敵に投げつけて制圧することが可能です。我々リコリスの隊員はDAから需品を貸与されており、これもその一つで──」

 

「伍長。私はそんなことを言っているんじゃない。我々の任務は何だ?」

 

「フォン・クラームの安全を確保すること」

 

「で、そのフォン・クラームはどこにいるんだ?」

 

「分かりません」

 イノウエ伍長は悪びれもせず、そう答えた。

 

「では、安全を確保するには探さなければならないな」

 

「そうですね」

 

「なれば目立つのは禁物だ。惑星マスジットには、制服を着るような学校はごく一部しかない。君の服装を見れば、他所から来たか、偽装しているか、誰でもそう思う。そんな服を着るぐらいなら軍服の方がずっとましなんだ!」

 

「この服は目立つ。そうおっしゃるのですか」

 

「その通りだ。私服とかは持ってきていないのか」

 

「ありません」

 イノウエ伍長が即答したので、ヤンは頭を抱えた。ま、まぁ、今日は仕方ないが明日は土曜日だ。君はまず、当たり障りのない服装を揃えるのが先だと言ったのである。今日は宇宙港の調査で終わりにする。それでいいね。

 

 ちなみに、イノウエ伍長に『当たり障りのない服装を用意する』作業も困難を極めた。イノウエ伍長は本当に私服を持参しておらず、購入してきたと思ったら運動着と大して変わらないジャージの上下。どうしようもなくなったヤンは、再度イノウエ伍長を連れ出してファストファッションの店に飛び込むことになった。例の『ワンピース』姿で市街を歩く間、たっぷりと視線を浴びて、店員にあれやこれやと説明して何とか誂えてもらおうと思ったのだが、事情をおおむね理解した店員の方が吹き出してしまう始末。さらにさらに、この一連の話が何故か憲兵隊や教育隊に尾びれを付けた噂話として流れてしまい、しばらく肩身の狭い思いをしなければならなかったのだが、この話はここまでとする。ヤン・ウェンリーの財布から出て行ったポケットマネーは150ディナール也。

 

 

 

それから三日ほど経過し──

 

「うーん」

 憲兵隊本部の会議室で、ヤンはうなった。『調査方針検討会』ということで、ヤンとイノウエ伍長の二人で今後の方針を決める──はずだったが、そもそも調査が全くと言っていいほど進んでいないので、方針を決めるどころではないのである。最初は宇宙港の旅客船、そのデータや公的な転居記録等から当たろうとしたが空振り。マスジットにもごくわずか存在する、帝国亡命者のコミュニティに聞き込みを行っているが、これも成果は絶望的というところである。

 

「伍長、あらためて聞くが、フォン・クラーム本人にコンタクトを取ることはできないのか」

 

「できません。少なくとも、上層部から許可を得ていません」

 

「とするとコンタクトを取る手段はあるのか」

 

「分かりません」

 にべもないイノウエ伍長の返答に、ヤンは目を閉じて額をもんだ。これでは任務を遂行できず恥をかく、いや、それ以前の問題ではないか。

 

「中尉。これは提案なのですが」

 

「どうした」

 

「そろそろ手分けして調査をしてもいいのではないでしょうか。中尉も、通常の業務と並行して調査をするのは負担が大きいはずです。外出許可証と、地上車借用証を発行して頂ければ、独力の調査は可能です」

 

「しかし、危険ではないのか」

 捜査の世界では、最低でも二人一組で行動するのが鉄則である。それだけ、単身では対処しづらい危険に満ちているということだ。そうでなくとも、若い女性を一人で行動させること自体が剣呑と言うべきである。

 

「訓練は受けていますし、資格もあります。いざとなったら、中尉をお呼びします。中尉はもっと、データサイエンティストのようなやり方が向いていると思います」

 外回りが苦痛なわけではない。幸いまだ季節は秋である。だが、たまっている仕事の事などをいろいろ考え、ヤンはイノウエ伍長の提案に乗ることにした。確かに、この問題の背景をもっと調査したかったのだ。

 

 

 

「キャゼルヌ先輩。どうもお疲れ様です」

 FTL通信の向こうに居るアレックス・キャゼルヌに、ヤンはぺこりと頭を下げた。

 

「よう、ヤン・ウェンリー。全くお前と知り合いだと苦労が絶えん。いきなり連絡してきて何だと思えば」

 

「友とすべきは物をくれる人、医者、そして知恵ある人ですよ。友達は利用しないといけません」

 

「まったく、口だけは達者なんだから。いいか、貴様と友達になった覚えはないぞ」

 キャゼルヌはため息をついた。アレックス・キャゼルヌは少佐で後方支援本部に勤務していたが、兵站部門のエリートらしく、憲兵隊に出向している。大きな金──それも税金──が動く所であるから、不正を取り締まる側の経験も積ませるのである。ヤンはそれをあてにして、イノウエ伍長の身分、その裏取りを依頼したのであった。

 

「まぁいい。で、お前の頼み事であるイノウエ伍長の身上、というかDAについてだけど……ところで最初に聞いておくが」

 キャゼルヌはそう前置きした。

 

「人助けというのは殊勝なことだが──お前の言ってることが正しければという前提だけど、たかが一介の伍長に何故そこまでするんだ」

 

「相手が大将なら問題ありませんか」

 

「そういうことではない」

 キャゼルヌは断じた。まさか……お前

 

「まさかぁ」

 キャゼルヌの言わんとすることに気づいたヤンは、笑って否定した。

 

「五歳も年の離れた相手に手を出すなんて。それは犯罪というものですよ」

 

「……人がそこまで単純明快なら問題ないんだが。で、本題に入るぞ。そのイノウエ伍長とやらが言っていた『リコリス』という特殊部隊、存在する。伍長が所属していたというのも多分本当だろう。DAというのは、正式な名称ではないが、そういう組織が情報部内に存在する」

 

「あるんですか」

 2割ぐらい嘘じゃないかと思っていたんですけどね、ヤンはそう答えた。

 

「リコリスというのは……辞書ではリコリス・ラジアータという現在は存在しない花の名前しか出てこなかったですが」

 

「それでいいんだ」

 キャゼルヌはヤンを指さした。どうもその花は根っこに強い毒性があったらしい。だから、畑の周りに植えておくと、害獣がそこを避けて畑は守られる、というわけだ。

 

「リコリスとは外敵に備えるための毒の花、ということですか。ずいぶんと詩的なネーミングですね。彼女の個人情報を閲覧してみましたが、閲覧制限ばかりで何も分かりません。そもそもDAって何なんですか」

 

「秘密のレベルが大した事なくとも、誰かが秘密だと思えば閲覧制限がかかる。お前さんには見せたくないんだろう。ところでヤン、DAってのは何だと思う?」

 

「質問に質問で返すのはマナー違反ですよ」

 

「俺は聞いている」

 

「うーん。Direct Attack?それともDirect Approach?」

 

「不正解。Definitive Agreementのことだ」

 

最終的合意(Definitive Agreement)?」

 

「元々は経済用語なんだ。企業買収が行われるときに、買収先の企業に出される契約書だ。これにサインすると買収は完了、二つの企業は一つとなる。転じて、帝国の亡命者を保護するという隠語にもなっている。二つの政治体制が一つに結束するという意味で、同盟は帝国からの亡命者を命にかえても守る、ということになる。亡命者の生命を守るための体制というわけだ」

 

「そんな言葉があるとは知りませんでした」

 

「まぁ、同盟が価値あると判断する重要な亡命者相手のプログラムだがな。それこそ、帝国の閣僚とか高級官僚とか、そのレベルを相手にする。そういう亡命者だと、亡命した後でも命を狙われるからな。情報が欲しければ保護しなきゃならん。秘密裡に警護もつけないといけない」

 

「なるほど──」

 ヤンは手をこすり合わせた。そのための毒花リコリスというわけか。

 

「それだけじゃない。快適に生活できるための環境も整え、必要と判断されるサービスも提供するのがDAの役割、そういうことになっている」

 

「召使も仕事ですか」

 

「問題の要約ありがとう。亡命者側からの要求があれば、同盟市民からは過剰と見なされるサービスを提供する場合もある。そして代金は税金から出るんだ。まぁ、俺がいちいち説明するよりも、資料を見た方が早いと思うな。いい本があるが、読むか?」

 

「是非」

 

 

 

 その本がヤンの官舎に届いたのは、キャゼルヌとの会談から2日後の夜のことだった。通販会社はいい仕事をしている、ヤンはそう思っている。これがハイネセンなら1日、いや半日で届くとは思うが贅沢を言うべきではない。

 

『亡命 〜 今横たわる深い闇』

 

 ハードカバーの表紙にはそう書いてあった。同盟の国章である五角形と、帝国の双頭蛇が並んでデザインされている。ヤンはページをめくる。巻頭にはこう書いてあった。

 

EXILE(亡命)とは何か。かつて、この言葉は、ある人物を共同体から追放する意味で使用されていた。それが全く正反対の立場、追放する方から追放される方に意味を変えて現在に至る」

 

「銀河帝国南北朝の内戦が続く今、帝国からの亡命者(以後、特に断りがない限りこれを『亡命者』と省略する)は増加の一途をたどっている。ダゴン会戦から百五十年あまり、亡命者は同盟領内に定住し、子を産み、育て、死んでいった。亡命者のコミュニティは拡大を続け、同盟政府の調査をもとに推定すると、亡命者およびその子孫の人口は、近いうちに五億人を突破することが確実である。同盟政府は、帝国の圧制に迫害された人民を救う、という名目のもと、亡命者を丁重に受け入れてきた。少なくとも政府はそう宣伝していたし、全てが間違っていると言うつもりはない」

 

「だが、帝国との自然休戦が継続している昨今、同盟市民、亡命者共に意識の変化が生じていることも確かである。財務委員会では、亡命者の増加にともない、受け入れるための予算が膨大になっているとして、予算の低減、そうでなくとも増加のストップを主張する声が大きくなっている。また、亡命者の中には、亡命を政治的迫害から逃れるためのやむを得ない手段というよりは、より安全で、よりビジネスチャンスのある土地への移住と考える傾向があるという調査結果もある。本書では、亡命者とそのコミュニティを、いろいろな角度から眺めることによって、亡命者問題は一般的に言われるような単純なものではないと主張していく」

 ヤンはさらにページをめくる。目次には、亡命者の問題について、人口、居住、生活、職業、安全等いろいろな観点から分析しているようだった。今回ヤンが知りたいのは、この『安全』の項目なので、他はざっと読み飛ばすことになる。『居住』の項目にはこうある。

 

「亡命者は、同盟政府の数々の政策に反して、特定の地域に集合して居住する傾向にある。これは、同じ元帝国人同士という地縁の近さを彼らが重視するからである。同じ惑星の出身者だと、さらに関係は深いと考えるようになる。もちろん、亡命者で最も大きなコミュニティは、惑星オーディン出身者のコミュニティである。そして、いくらかの例外はあれど、元貴族、元軍人、元商人等、亡命前の職業でコミュニティは分割される。例外とは、亡命に至った理由によるものであり、帝国の政治批判等、帝国側が重大な犯罪であると認識する罪を犯して亡命した場合、コミュニティに合流することはない。それは、コミュニティ側の重大な生命、財産のリスクとなり得るからである」

 

『職業』の項目にはこうあった。

 

「亡命者は、同盟領内においても亡命前の職業を希望する人間が多い。しかし、亡命者が同盟の公的職業──公務員、軍人等──に就くにはハードルが高い。亡命者の子孫についてはこのような制限が無く、敢えて亡命者の子孫を隊員に集めた薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊という存在もある。同盟政府は、様々な教育・訓練プログラムによってこれら亡命者の職業転換をうながし、実際に亡命者を受け入れる企業も複数存在する。しかし、同じ職業にこだわり、公的職業への就業を望む声、また同盟市民から、帝国の思想的浸透を警戒する声、どちらも大きくなりつつある。テルヌーゼンでは、試験的に亡命者の公的職業受け入れに踏み切った。これは、増大する亡命者とその親族に対して行う定住プログラム、教育プログラム、職業訓練プログラムの人員を確保するための、所謂苦肉の策であるが、市民からの批判がないわけではない──」

 

そして『安全』の項目にはこう書いてあった。

 

「亡命者の最大の関心は身体および財産の安全である。同盟市民においても、これらが十分保障されているかどうかは、居住地その他の要因によって状況が異なるわけだが、亡命者にはもう一つリスクがある。それは、帝国による『処罰』である。帝国から同盟への亡命が目立つようになってから、帝国は同盟に暗殺者を送り込み、亡命者を『処罰』するという噂は根強かった。同盟政府は、亡命者の安全は十分に確保されていると主張していたが、宇宙歴701年のモントリオール事件(惑星ネプティスの地方都市モントリオールにて、三十名近くの亡命者とその家族が虐殺された事件)を受けて、その主張を取り下げた。政府は、亡命者再教育プログラム等を通じてこのような『暗殺者』の洗い出しを行っており、内部通報も奨励しているが、成果が挙がっているとは言い難い。少なくとも、亡命者側はそう思っているのである」

 

「そんな中、亡命者側でも政府機関に頼らず、自衛を行うべきだという意見が強まるようになった。同盟政府はそのような動きに対して一貫して反対していたが、治安の確立という政府の宣伝は信用できない、そういう意見が強くなり、自衛団が立ち上げられた。そして、その自衛団のうち一部は、ギャングへと発展したのである。有名なところとしては、金獅子(ゴルデナレーヴェ)黒槍騎兵(シュヴァルツランツェンレイター)、ベオウルフ等があげられる。彼らは表向き、亡命者の安全を保障する自警団であると宣言しているが、その実帝国の機関と取引をしているのではないかという声もある。ただ、ギャングからの圧力は強く、自由な議論、検証ができないのも事実である」

 

「同盟政府にとって価値が高いと判断される亡命者には、特別な保護プログラムが提供される。帝国内の政治的、軍事的動向に精通しているとされる亡命者は、特別な住居や資金の提供、サービスの提供が行われる。これは、情報の取得が同盟の国益となるためであるが、過剰なサービスの提供が行われているとの声もある。実際、761年にサージェント・ハート氏が公開したルポルタージュでは、本名こそ明かされていないが、帝国内務省に勤務していた高級官僚が同盟に亡命し、保護プログラムによって高級車、豪邸、豪華なパーティーを享受していたことが明らかとなり同盟内で大きな議論を巻き起こした。近年、このような保護プログラムが必要であるかという声が大きくなっている。さらに先述のギャングがこのようなプログラムから利益を得ているという可能性も指摘されている」

 

 その他、いろいろ興味深いことが書いてあったが、まずはざっと流し読みをして、ヤンはあとがきを見ることにした。

 

「以上、帝国からの亡命者について、その現状をいろいろな視点から検討してみた。亡命者とその子弟は、その数が増すにつれ、政治的影響力が増していくのは当然の帰結である。文化的観点から言うと、帝国から持ち込まれたいろいろな文化、風習が浸透するにつれ(収穫感謝祭(オクトーバーフェスト)がその代表例である)、それに反発する声があがり、心理的な溝ができているという言い方ができるだろう。しかし、戦争が本当の終結を迎え、全人類が一つの屋根の下に集うその時に発生しうる問題と比べれば、これらの軋轢もほんの入り口に過ぎないはずである。大多数の亡命者、あるいは同盟市民にとっては基本的常識であると確信しているが、改めて問い直したいのである。

 

 亡命者にとって、自らその選択を行うに至った背景には何があったか。

 同盟市民にとって、何のために帝国と戦う必要があったのか」

 

 

 

 なるほどねぇ。ヤンは本を閉じながら思った。後でさらに読み返すとして、なかなか読み応えのある本らしい、そう思った。帝国からの亡命者が増えるにつれ、同盟の世論にも変化が生じたという話はよく知られている。ダゴン会戦からコルネリアス帝の親征まで、同盟内には帝国との戦争を避け、サジタリウス腕のさらに奥、帝国との接触が制限される星域まで退避しようという意見が根強かった。コルネリアス帝の親征とその中断により、そういう意見は非現実的と見なされるようになったが、ブルース・アッシュビーの登場により、同盟の世論は帝国との拮抗から、帝国の打倒へと変化していった。アッシュビーは帝国との戦争を中断させたわけだが、帝国亡命者とその子孫を支持母体とする政治勢力が、戦争の再開を叫んでいることは、ニュースを見れば分かることである。亡命者達にとって、帝国の打倒はやるかやらないか、という以前に、今やらなければいけないことなのである。そして、DAやイノウエ伍長は、そういう戦いの最前線に立っていると言えないこともない。

 

 翌日出勤したヤンは、イノウエ伍長がメッセージを残していることを確認した。

 

 

 

「フォン・クラーム名義の電子決済記録だって?」

 

「はい。情報部の支援も得て、決済記録を調査したところ、フォン・クラームの名義による決済が、あのコーヒースタンドで行われていました。昨日の夜のことです」

 イノウエ伍長はとある通りの十字路で、はす向かいにあるキッチンカーを指さした。ここは帝国亡命者が多く居住する場所で、前に聞き込みをした時は空振りに終わっていたはずだ。

 

「しかし、フォン・クラームという人物は、危険を感じて潜伏しているのではなかったのか?電子決済なんて使用したらすぐに足取りがばれるだろう。今回のように」

 

「普通はそう考えます。だから逆を突くという考え方もあります。我々のような情報部門でも無い限り、膨大な決済記録を調べることはできないでしょう」

 なるほどそういうものか、ヤンは得心した。まずは聞いてみよう。

 

 ヤンと伍長は通りを渡った。ああどうも。いや、私達は警察じゃないですよ。ああ、営業許可証なんか見せなくていい。このような決済記録を見つけてね、その時の状況を聞きたいんですよ。昨日の午後八時ぐらい。あ、電子事前注文か。声とか聞かなかった?聞いていない。ああ、いいですよ。注文は?ホットコーヒーとサンドイッチ。一人前ね。顔形は?

 

 

 

「どうにも手ごわい」

 

「そうですね」

 近くの喫茶店に入った二人は、同様に肩を落とした。店主曰く、確かに商品を渡したが、顔はよく覚えていないとのことだった。サングラスで口元は暗くてよく分からない。身長は高くもなく低くもない。電子注文なので、注文画面さえ見せれば、商品を渡してそれで終わり。つまり声も聞かなかったというのである。次につながる手がかりはゼロ、ということになる。

 

「こういうことを聞くのもなんだが、本当に連絡を取る手段はないのかい?」

 

「ありません」

 イノウエ伍長はきっぱりと答えた。

 

「まぁ、連絡を取ったら自分の居場所がばれるかもしれない。それはそうだろう。だが、自分の安全の確保以上に、自分の居場所を隠す方が重要なのか?まぁ、それは場合によるのかもしれないが」

 

「場合によります」

 ヤンの質問に、伍長はうなずいて答えた。

 

「でも、そんなに居場所を隠したいのに、電子決済を使った。居場所を見つけて欲しいのか欲しくないのか、分からなくなってきた」

 

「でも、これで確認はとれました。フォン・クラームは、この惑星(ほし)に存在するのです。私達は任務を果たさなければなりません」

 ヤンはうなずいた。

 

 

 

 次の手がかりがイノウエ伍長経由で飛び込んできたのは、それから三日後のことであった。

 

「はい。確かにフォン・クラームと名乗っていました」

 そう答えたのは、これまた帝国亡命者相手に不動産の紹介をしている不動産屋だった。何でも、音声通信で物件の申し込みをしていたというのである。不動産屋の担当者は、応接机に紙を一枚差し出した。ひどく古ぼけた、ワンルームの物件である。借り手がつかずに困っていて、これはチャンスと意気込んだとのことであった。

 

「で、その男はここに来たのですか?」

 ヤンは聞いた。

 

「いえ、昨日の午後六時に相談に訪れると言って、なしのつぶてです。最初は手の込んだいたずらだと思ったのですが」

 

「どうしてそう思ったのですか?」

 そう聞いたのはイノウエ伍長だった。

 

「いや、声がちょっと割れてて聞きづらかったんです。私共も客商売をやっている以上、音声通信の品質が悪いと商売に差し支えますし、最近はマスジット公社の無線もいろいろ問題を起こしていますからね。それですっぽかされたら、やむを得ない事情といいますか、いたずらといいますか。一体、私共のような零細業者をいじって何になるのやら」

 

「通話のログはありますか?録音していますか?」

 

「通話のログはここに」

 不動産屋はヤンのコミュニケータにデータを送ってきた。

 

「なるほど。IDはある。調べてみましょう。音声の録音は……ないですか」

 ヤンにそう言われた不動産屋は、通話の録音は、特別な理由がないとできないんですよ。ほら、去年あったでしょう?録音データをもとに偽の会話を作って偽の契約っていう事件が。あれから、いろいろ厳しくなってですね……

 

「では、声の特徴は覚えていますか?」

 その質問に対しても、いやぁ。男であること、どちらかというと成年男性であること以外は大して……と済まなそうに答えた。

 

「そうですか。失礼しました。イノウエ君、君はなにか気づくことや、確かめてみたいことはあるか?」

 そう言われてイノウエ伍長は一瞬きょとんとし、しばらくして答えた。

 

「いえ……特にありません。今日はありがとうございました。失礼します」

 

 

 

「結局手がかりはほとんど得られず。フォン・クラームが男であることが分かったのが成果と言えば成果か」

 ヤンは憲兵隊会議室でひとりごちた。机の向こうにはイノウエ伍長がいる。不動産屋から貰った通話ログのIDは当然のように偽造だった。これでは通話相手を追跡することなどできない。

 

「調べる対象が8600万人から4300万人に減った。そう考えれば大した成果かな。一体いつになったら、4300万が1になるのやら。さてさて」

 

「そうでしょうか?」

 そう言ったのはイノウエ伍長だった。

 

「どういうことだい?」

 

「中尉は、フォン・クラームが男であると考えているようですが……そうですね。中尉のコミュニケータに通信してもいいですか。レシーバを耳に付けてください」

 そう言われ、ヤンは音声レシーバを耳に装着した。着信が入ったので受信する。イノウエ伍長はコミュニケータのマイクに口を近づけた。

 

「音声通信の声色は自由に変えられます。このように」

 目の前のイノウエ伍長の声は、レシーバから完璧な成人男性の声として聞こえてきた。

 

「声色を変えるのは自由にできます。そのように使える通信アプリが何十種類もあるのです。昨日の不動産屋の話から、フォン・クラームが男であると判断するのは早計です。録音データがあれば」

 

「あったらどうなんだい?」

 

「音声データの乱れ方から、元の音声が復元できたかもしれません。そしたら正体も分かったでしょう」

 

「そうかぁ」

 ヤンはがっくりと肩を落とした。目標は8600万から4300万に絞られ、また8600万人に戻った。そろそろブルックリン少佐に調査経過を報告しなければならない頃合いなのだけど。

 

「考え方を変えるべき時なのかもしれません」

 

「というと?」

 ヤンの問いに、イノウエ伍長は振り向かずに答えた。

 

「我々の任務は何でしょうか?」

 

「なんでって、フォン・クラームの安全を確保する、ではないのか伍長」

 

「そうです。フォン・クラームを探せとは命令されていません」

 

「だからどうした」

 

「例えば、惑星マスジットで民間人が所有している銃を皆取り上げれば、安全は確保できます」

 

「おいおい」

 ヤンは目の前で手のひらをひらひらさせた。

 

「銃を取り上げれば銃殺はなくなるだろう。でも、ナイフでも鈍器でも人は殺せるし、銃を取り上げてもナイフを取り上げるわけにはいかない。それは論理の飛躍というものだ」

 

「そうですね。論理の飛躍でした」

 イノウエ伍長はぺこりと頭を下げた。

 

「とすると逆も真であるはずです。フォン・クラームを見事に発見できたとして、それが安全を確保することにはつながらないわけです。完璧な警護など現実にはあり得ないのですから」

 

「それはそうだ……」

 ヤンは目を閉じた。だが、話がそのレベルに入ったとしたら、それは我々の責任だと言えるのだろうか?

 

「いずれにせよ、発想の転換は必要です。我々はフォン・クラームという人物を探していましたが、そこを転換しないといけないのかもしれません。いいですか」

 

 

 

 それから四日後──

 

「伍長の勘が当たったな。お手柄だ」

 ヤンの声に、イノウエ伍長はこくっとうなずいたように見えた。今は午後九時、惑星マスジットでも一番治安が良くない街区、その雑居ビルの中に二人は居た。イノウエ伍長は、フォン・クラーム当人ではなく、フォン・クラームが潜伏している場所を特定すべきだと主張したのである。ヤンとイノウエ伍長は、フォン・クラームが不動産屋に申し込んだワンルームの物件を元に、同じような家賃や広さの空き物件をピックアップし、不審な情報がないかを聞いて回ったのである。結果、一つの物件にあたりがついた。空き家なのに最近カーテンが着けられ、人の出入りが多過ぎもせず少なすぎもせずあり、監視カメラ等が存在しないものである。それに加え、この街区は再開発の予定があり、人の出入りもそれほど多くないというのだ。

 

「中尉。これからは会話は最小限に願います。足音も立てないように」

 イノウエ伍長は、先導して歩き出した。目的の部屋はこのビルの四階にある。二人は足音を立てないように、慎重に階段を上っていった。ヤンとしては、成果が出る、出ないにかかわらず、これで何とか言い訳ができると内心ほっとしていた。世の中、成果が出ないという結論が同じでも、あくせく働いていたかそうでないかで評価が違ってくるというものだ。

 

 これで目的のフォン・クラームにたどり着くことができれば、自分の任務はほぼ終わりだろう。ヤンはそう考えていた。目標を確保したら、それをどう取り扱うか、それは情報部かマスジットの軍が決めることになる。中尉一人の手に負えるものではないのだ。

 

 階段を上り、あと少しで四階にたどり着くと思われたその時、イノウエ伍長が静止した。ひそひそ声で話す。

「中尉、何か変です。何か臭いませんか」

 

「こちらは何も……いや、何か生臭い」

 ヤンの背筋に冷や汗が流れた。戦争をするための軍隊に所属しているヤンにとって、生臭い臭いが指し示すものは一つしかない。それでも二人は慎重に、慎重に目的の場所へ近づいて行った。生臭い臭いはさらに強くなる。部屋の中は真っ暗のようだ。

 

「中尉。自分が先に突入します。ついてきてください」

 目的の部屋、その入り口でイノウエ伍長が言った。直後、伍長はドアを盛大に蹴り飛ばした。安普請のドアは彼女の蹴りに屈してあっけなく道を開いた。迷わず伍長が突入する。ヤンも遅れじと続いて部屋に入っていった。ひっ、と短い悲鳴が聞こえた。伍長が懐中電灯で照らしだした先には、おびただしい量の血が、血だまりを作っていたのである。

 

 

 

「伍長……これは」

 ヤンの声は震えていた。

 

「分かりません。ですが、死体がありません」

 そう言われ、ヤンも手持ちの懐中電灯を点け、部屋を照らして探してみる。確かに、人間らしきものを見つけることはできなかった。というか、机も椅子も寝具も存在しない、何もない部屋であった。直後、背後からごとりと音がした。慌てて照明を後ろに向けると、一人の男性が外に出ようとしていた。

 

「君!何をしている!!」

 ヤンの誰何に男は答えず、走って外へ逃げ出した。ヤンが反応するより早く、イノウエ伍長が飛び出し、ヤンもそれに続く。男は、ヤン達が上ってきた階段を駆け下りていく。イノウエ伍長は待て!と叫びながら三階まで駆け下り、今度は階段ではなく通路を走っていった。伍長は外の通りに繋がる非常扉を開け、そこから迷うことなく飛び降りていった。

 

 

 

 その通りは、何か月かぶりに大量の人間で埋め尽くされた。治安警察、憲兵隊、そしてヤン・ウェンリーとイノウエ・タキナ伍長である。二人は治安警察と憲兵隊の事情聴取を受けていた。ええ、こちらは情報部からの指令で行動し、あの部屋に突入したのであります。そうすると中には大量の血がありました。人は見ませんでした。いえ、死体を見なかったのであります。その直後、背後で物音がしたのでライトを向けたら、男が逃げようとしていたので追跡し、捕獲しました。挟み撃ちであります。イノウエ伍長が非常口階段、あそこから飛び降り、入り口を塞いだのであります。伍長のお手柄であります。

 

 ヤン達が突入した部屋は、治安警察の現場検証が行われていた。鑑識が入り、証拠物件がないかを探し回っている。一番の問題はやはり死体の行方であった。血の量は致死量をはるかに超えていて、人がこれで生きていられるとは思えないというのが警察の見解だった。だが、あるのは血の海だけで、そこから運び出した跡が存在しないというのである。死体を引きずる、あるいは持ち上げて運んだだけでも、血痕が残るはずなのだが、それがないというのである。

 

「ボディバッグに死体を入れるとかすれば、血痕を残さず死体を搬出できます。謎と決めつけるのは早計です」

 イノウエ伍長がぽつりと言った。顔色が青ざめているようにヤンには見えた。さすがにこのような凄惨な光景には慣れていないのかもしれなかった。ヤンも先ほど、喉元まで出かかっていた酸っぱい物体を何とか胃の方に押し戻したばかりであった。

 

 誰かがヤンの肩を叩いた。振り向くと、ブルックリン少佐が居た。

 

「任務失敗だな、中尉」

 

「自分の責任であります」

 

「いや、君は十分やってくれた。恥をかくのは情報部にさせておけ」

 あるいはあの伍長のお嬢ちゃんに。ブルックリン少佐は小声で付け加えた。

 

「これからどうなるのでありますか」

 

「恐らく、事件捜査は治安警察がやるだろう。だが、容疑者の捜索より被害者の捜索の方が優先だろうな。容疑者を探すのは情報部がやるだろう」

 ブルックリン少佐は腕を組んで答えた。彼にとってすべては他人事なのであった。恐らく憲兵隊も同様であるだろう。わけのわからない調査任務を押し付けられて、必要な情報もなく、それで保護対象が死亡したから責任を取れ、などと言われても、はいよろこんでなどと応えられるわけがない。

 

「中尉。とりあえず今日は帰れ。こんな意味の分からない任務に時間を割く必要などない。敢えて首を突っ込むとしてだ。治安警察の情報を手に入れてからだろう。いいな」

 ブルックリン少佐の言葉にヤンははい、と力なく答えた。

 

 

 

「帝国からの亡命者?」

 翌日、治安警察からかかってきた通話相手に対して、ヤンはそう聞き返した。昨日、ヤンとイノウエ伍長が共同で逮捕した男は、帝国からの亡命者だったというのである。なんでも、フォン・クラームという男から(容疑者はそう言っていた)投資話を持ち掛けられて応じたところ、結果は大損で、抗議したところ、あの時間にあの場所まで来ることができれば損害を補填すると言われたのである。しかし、部屋に入ったところ、男もあの血だまりを見てびっくり仰天したのであった。直後、ヤンとイノウエ伍長がドアを蹴破って入ってきて、身の危険を感じた容疑者は密かに逃げようとしたが、失敗し、現在に至るとのことだった。

 

「それは確かなんでしょうね」

 ヤンの質問に、治安警察の担当者はもちろんです、と即答した。DNA情報から身元は確認できました。亡命者達が組織したギャング、その下っ端です。今裏付けを取っているところですが、間違いはないでしょう。持ち物は、コミュニケータと小銭入れ、身分証明書とナイフが一本、それだけです。

 

「ナイフには血がついていましたか」

 ヤンは訊いた。そこは重要なはずだ。

 

「いや、まったく。なんでも、どうしても金を返してもらいたかったから、念のために持って行った、そう言ってます。自分は断じて殺してないし、殺す相手も見ていない、そう言っているそうです」

 

「そうかぁ」

 確かに、自分に後ろ暗いところがあるとするならば、止まれと言われて止まる義理はない。そして、ヤンは一番大事な質問をした。結局、死体は見つかったのでしょうか。

 

 担当者は意外な返答をした。死体は見つかっていません。というか、あの部屋は家具一つない部屋で、電気もガスも止められています。死体を隠す場所なんてありませんよ。どうなってるんでしょうね。

 

 

 

 翌日、ヤンは心ここにあらずという感じで勤務していた。情報部との共同作戦は、正式に任務終了の通達が来ていた。ヤンはもうあの事件にかかわる必要がないのである。イノウエ伍長との別れもあっけなかった。メッセージで『今までのご助力に感謝します。これからもよろしくお願いします』という、実にそっけない文章が送られてきただけだった。話によると、任務の跡片付けをして、数日後の民間船にてハイネセンへ帰るとのことだった。

 

 ヤンにはどうしても分からなかった。一番分からないのが、憲兵隊の誰もが、分からないことを分からないまま放置していることである。誰かイノウエ伍長やフォン・クラームの心配をしてあげなよ。そう言いたかったが、言っても仕方のないことだった。

 

 何故、血があるのに、死体がないのか。いや、死体を密かに運び出すことはできるだろう。だとしたら、何故そうしなければならなかったのか。

 

 ヤンは考えをまとめようとして、胸ポケットのペンを取り出そうとした。ない。ポケットをまさぐったが、どこにもなかった。軍服のポケットを全部あらためる。どうやら落としたようであった。いつ落としたのだろう。ヤンは考えをめぐらせた。確か昨日、あの部屋に突入するまではあったはずだ。ヤンは突然席から立ち上がり、外へ出ていこうとした。同じ部屋の事務員がどちらへ、と聞いてくる。ちょっと落とし物を探してくる、ところで君、私のペンを見ていないかい。士官学校卒業の時のもので、ヤン・ウェンリーと刻印がしてあるはずだ。

 

 

 

 昨日、あの惨劇があったビルは、いつもの静かな姿を取り戻していた。入り口には見張りがいたが、ヤンが身分証を見せると通してくれた。四階の例の部屋に入る。現場検証が行われた形跡はあったが、確かに何もない、がらんどうの部屋だった。昨日見た血だまりも、ほとんど乾いている。

 

 ヤンは電灯をつけようとした。つかない。何度かスイッチをオン・オフした後に、そもそも電線にランプがついていないことに気づいた。そういえば電気もガスも止められていたんだっけな。ちょっと緊張がほぐれたその時、ヤンは尿意を感じた。トイレを探して見回すと、入り口から一番奥にトイレがあった。拝借しても問題はなかろうとヤンはトイレに駆け込んだ。何とか出すものを出し切って、流そうとした時、これまた排水レバーが反応しないことに気づいた。そうか。水道も止めてあるんだ。電気もガスも通ってないんだからそりゃそうだよな。でも、ここにフォン・クラームが潜伏していたとしたらさぞかし不便だろう。電気やガスはどうにかできたとして、上下水道を人力で何とかするのは困難だ。困難だよな…… 

 

 

 

 突如、ヤンの脳にひらめくものがあった。……もしかして!いや、まさか、そんな馬鹿な!!

 

<解決編へ続く>

 




<作者より>

 このお話から、実際に何が起きたのかを大体類推することはできるかもしれません。ですが、このお話がどういうストーリーなのか、全体像をつかむのには(下)をお待ちくださいませ。
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