銀河英雄伝説 ファニー・ウォー   作:ブッカーP

4 / 32
 惑星エル・ファシルで行われる新型戦艦の選定会議、そこに国防委員を名指ししたテロが予告された。警備に参加するヤン・ウェンリーは、父親の知り合いだった政治家と出会うことになる。


第四話 新型戦艦ヨブ・トリューニヒト

<1>

 

宇宙歴796年12月31日、ヤン・ウェンリーの官舎ーー

 

「さぁ、いよいよ宇宙歴796年もあと一分、まもなくカウントダウンです。今年は皆様にとってどんな一年だったでしょうか。来年は今年よりよい一年になりますように……」

 

 テレビではアナウンサーが今年への別れと来年への期待を述べている。年末おなじみの光景である。ほとんどの同盟市民にとって、12月31日と1月1日は特別な日となる。皆、深夜まで起きて、年が切り替わる瞬間を迎えるのが、全国的な風習となっている。恐らく帝国もそうであろう。人類が地球から宇宙へ雄飛してこのかた、宗教的な儀式はほとんどが失われた。祝祭は人工的なものだけが残り今に至る。いや、年数のことを考えれば、かつて人工的なものだった祝祭が、宗教的で伝統的なものになりおおせたと言うべきか。

 

「15…………10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0!新年おめでとうございます!!ようこそ宇宙歴797年!!」

 

 アナウンサーの声と同時にぽん、と間の抜けた音が室内に響いた。スパークリングワインの栓があけられ、グラスに注ぎきれなかったワインが盛大に床にこぼれる。それでもスパークリングワイン用のグラスにワインが注がれた。グラスは2つある。なぜか。

 

「先輩。どうぞ。新年おめでとう!」

 

「ああ、おめでとう……」

 

 グラスを差し出したのはアッテンボローである。差し出された方のヤンは、気が進まないようだがグラスは受け取る。乾杯し、一気飲みの要領で二人ともグラスを空けた。

 

「先輩、辛気臭いですよ。もっと景気よくいかなきゃあ」

 

「折角の新年に乱入しておいてよく言うよ……」

 新年のこの瞬間、ヤンがアッテンボローと一緒に居るのは、ヤンが望んだわけではない。アッテンボローがヤンを拝み倒したからである。アッテンボローは取材でエル・ファシルを訪れているのだが、新年だけはどうしてもホテルが取れず、仕方なくヤンの官舎に転がり込んだのである。

 

「本当にホテル、取れなかったんだろうな」

 

「先輩、その質問、五度目ですよ。ホテル予約サービスの画面、見せたでしょう?まぁ、取れますよ。取ろうとすれば。ビジネスホテル一泊に500ディナールかかるといって、しょうがないって言ったの、先輩じゃなかったんですか」

 

「やっぱり後悔してる。男二人で新年なんか、迎えるんじゃなかった」

 世の中には、異性の交際相手が居ないことを、人生の損失のように捉える人間がいることは知っていた。今、この瞬間はそれに同意できる。ヤンはそう思うのである。

 

「それは同感ですが、新年祭を楽しまないのは損ですよ。去年はいい年だったんだから、今年はもっとよくしないと。そのためには、まずは楽しむ、でしょう?」

 

「それは私のことかい」

 ヤンは聞いた。まるで冗談を聞いたような顔をしている。

 

「それ以外の誰がいるんです」

 

「796年がいい年だった、なんてこれっぽっちも思っていないのだが」

 

「憲兵隊本部から感状もらったんでしょう?ボーナスもはずんでもらったって、聞きましたよ」

 

「課長がボーナスはずんでもらって嬉しいわけないだろ。金額は雀の涙、それも結局忘年会で全部差し出すんだから。第一なぁ、折角のキャリアプランが危機に瀕していることは、昨日話さなかったかい?」

 

「まぁた。出世が嬉しくない人間なんて、この世にいやしませんよ。このまま軍人やってればいいじゃないですか。天職なんですよ。て・ん・しょ・く」

 そう言われてヤンはげんなりした。アッテンボローはもう3杯目を空にしようとしている。きょろきょろしているのは、新しいワインかビールを物色しているのだろうか。結局スパークリングワインはアッテンボローがほとんど飲んでしまった。そのワインは他と違って結構なお値段するやつなんだがな。ヤンは残念に思ったが、後の祭りである。

 

 

 

 ヤン曰く、宇宙歴796年は厄年だった。大過なく憲兵隊の職務を勤め上げ、大学卒業資格を取ったら(順調にいけば797年の7月が卒業である)、軍隊を辞めて教師にでもなる、それが前から決めていたキャリアプラン、そのはずだった。

 

 それが危機に瀕しようとしている。春は、ユリアン・ミンツ少年の事件(どうやらミンツ少年は、あれから正式にプロ入りしたらしい)、空母コロッサスでの演習事故騒ぎ、秋になったらなったでゴールドバーグ老人の怪事件と、事件事故の方がヤンを捕らえて離さない、そんな感じになっている。そして、事件を何とか片付けると、憲兵隊内でヤンの評価が上がっていく、というスパイラルになっているわけである。

 

 そうすると何が起きるか。

 

「君は自分の才能をもっと活かすべきだ。憲兵隊の総務課ではなく、刑事畑を指揮してみるのはどうかね。あるいは艦隊勤務の適性があるかもしれんぞ。軍指揮官にとって、敵の心理を読み取るのは必須の才能だ。もちろん昇進だって期待できるぞ」

 ヤンはパエッタの声真似をして、ぶるぶると背筋を震わせた。年末にそのようなことをパエッタに言われたのである。年末の人事面接で退役の撤回または延長を薦められ、パエッタ司令に抗議に行ったらこの仕打ちである。

 

「先輩なら刑事課だってやれますよ。そんなに軍がお嫌なら、治安警察に掛け合って引き取ってもらうというのはどうですか?」

 

「治安警察がそんなの認めると思うのかい」

 アッテンボローは何も言わず、肩をすくめた。憲兵隊よりずっと大きく、複雑な組織である治安警察には、憲兵隊とはまた違った文化というものがある。ヤンがそこでうまくやっていく保証など何もない。

 

「まぁまぁ、そんなのくよくよしていてもしょうがない。今日くらいは楽しまないと。酒に対してはまさに歌うべし、でしたでしょ?」

 アッテンボローはヤンのグラスにワインを注ぎこんだ。どうやら、一日居候としての義理を、賑やかし担当として果たそうとしているらしかった。

 

 

 

宇宙歴797年1月4日、憲兵隊本部総務課ーー

 

「皆さん、新年おめでとう。では、給料分の仕事を果たしてくれ」

 

 ヤンのスピーチは「なるべく早く、なるべく短く」がモットーだ。スピーチというのはTPOに即して、とはよく言われるけど、ヤンはそれを顧みることなどない。まぁ、ラオ大尉以下課員の方もとっくに慣れっこである。何しろ、新年からやることは山のように積もっているのだ。新年の休暇が取れただけまだましと言わねばならない。

 

 とりあえずの今のヤン(と総務部企画第三課)の悩みは、新年早々に行われる会合、同盟軍新装備選定会議、である。

 

 

 

 同盟軍新装備選定会議とは何か?

 

 まぁ読んで字の如く、なのだが同盟軍の装備全般に関する見直しと新規選定を行う会議である。年によって規模はかなり変わってくるけど、年明けすぐに開催される、ということだけは決まっている。何故なら、予算編成に関連する話だからである。装備といっても戦艦や空母といった戦闘ハードウェアだけではない。軍服、ボールペン、コーヒー用紙コップに至るまでの全てが対象となる。

 

 いつもは首都ハイネセンで行われているこの会議が、何故エル・ファシルで行われるかというと、一つは辺境星域(アウター・リム)のロビイング活動のおかげであり、もう一つは今年の会議では、宇宙艦隊の花形、新型戦艦の選定が行われることになっていたからだった。機密漏洩の可能性は少しでも低い方がよいとされる。

 

 とはいえ、軍の重要会議であるから、報道陣は山のように押しかける。そうすると、彼らが宿泊する施設はなくなるか、大幅に値上がりするか、そのどちらかになる。記者のはしくれであるアッテンボローがヤンの官舎に潜り込んだのも、そういう経緯があったりする(そうでなくとも新年は宿泊施設に対する需要が大きい)。

 

 押しかける報道陣、そして会議に出席する軍の要人、国防委員会を始めとする議員と随行者、これが何を生み出すか?

 

 何を生みだすかというと、ヤンの仕事である。会場の手配に警備の手配、交通規制にマスコミ対応に予算のチェック、それぞれ主体的にこなすわけではないが、逆に何でも手伝いをやらされるのが総務である。恐らく、新装備選定会議が人の形をしていたら、ヤンでもブラスターの一発や二発ぶちこんでいるであろう。

 

 年末も準備でおおわらわで、死にそうになりながらも年末の休暇は何とか確保し、現実逃避で紅茶入りブランデーをすすりつつ本の虫となる……つもりが転がり込んできたのがアッテンボローである。そしてアッテンボローもこの会議の取材のためにやってきているのだ。ヤンの気分がささくれ立っていたのはそういう事情がある。(まぁ、取材する方のアッテンボローからすれば、知っておいて当然なわけで、本来なら別をあたるべきなんだろうけど)

 

「プレスルームが満杯?増設の手配をやってくれ」

「警備の応援用宿舎が足りない?兵舎は余裕があったはずだけど……人数が間違ってた?今すぐ空き兵舎を確保してくれ」

「政治家秘書用のホテルが取れない?五人も秘書連れてくるなよ……ホテルに掛け合ってくれないか。何とか空き部屋を捻出できないかなぁ」

 ヤンだけではない。後方支援部門の大体がこんな感じである。

 

 

 

「さて、今年の同盟軍新装備選定会議では、新型戦艦の採用に関する話し合いが行われる予定です。新型戦艦は現在の用兵思想の転換点となると、スポークスマンは表明しております。今のところ3社が試作艦を提示しており、その共通するところと異なるところを見ていきたいと思います。解説は軍事評論家のアレクサンドル・ビュコックさんですーー」

 

 エル・ファシルのローカルチャンネルでは、今回の新型戦艦選定に関する話題が大きく取り上げられている。軍都エル・ファシルでは、装備に関する関心は、ハイネセンと比べてずっと高い。エル・ファシル市民の大半が、将来的にその戦艦に関わるわけだから、それは当然だ。

 

 ヤンは、オフィスの休憩室で紅茶を飲みながらチャンネルを眺めている。夜は10時を回っているが、まだ帰れそうにはない。ラオが必死でまとめているプレスルーム増設に関する見積もりにチェックを入れ、承認するまで帰るわけにはいかない。おかげでかどうかは分からないが、こうやってぼーっとテレビを見る時間が取れている。

 

「ビュコックさん。今度の新戦艦、用兵の転換とは何を指すのでしょうか」

 

「あー、今度の新戦艦のキーワードとして、MPS、Multi Purpose SHIPというのがある。同盟の機動戦力は、主に旧型艦の新規改造、あるいは、艦の構造はそのままに、機能をグレードアップする形で近代化を行っておる。これは、少ない予算で戦力を揃えることが目的だが、帝国と比べて汎用性に劣るという問題は解決できんかったのです」

 

「汎用性に欠けるということのデメリットは何でしょうか」

 

「汎用性に欠ける場合、本来なら一隻でできる任務に、三隻、五隻であたらなければならないことがある。特に、通信機能、センサー機能で制限がある場合にこうなる。単艦でのコストが低くても、全体的なコストで帝国に劣るということになるわけだ」

 

「だからこそ、一隻でなんでもできるようになる、ということですね」

 

「左様。多用途性を追求すると、どうしても単一の艦としては大きくなり、コストも上がる。だが、今回、艦政本部と国防委員会新戦艦プロジェクトチームは、大型化に舵を切った。画期的なことだ」

 テレビでは、アナウンサーと老齢の評論家が話をしている。評論家の方は、第二次ティアマト会戦に参戦しており、退役後に出版した体験記が大ヒットを飛ばしたはずだった。こういう番組によく出てくるから、ヤンも見覚えがある。

 

「では、候補にあがっている三種類の艦艇について概要を見てみましょう。あらかじめ視聴者の皆様にはおことわり致しますが、軍事機密の関係上、お見せできない箇所がございますこと、ご了承ください。まずは、クワット・ドライブ・ヤード社提案の『コードネーム、スターデストロイヤー797』、帝国軍戦艦と似た四角錐型のフォルムとなっておりーー」

 

「あー、形は似ているが、中身は異なる。艦の前方に武装と格納庫、後方にセンサー、シールド制御部、推進部という住み分けを行い、安全性を向上させておる」

 

「ありがとうございます。次はエレシュキガル・インダストリィの『モバイルバトルシップ・ディアンサス』です。戦闘ブロックを左右に配し、挟み込むようにセンサー部と艦橋を配置する構造は、これまでの同盟、帝国両軍に見られない、極めて独創的なデザインです」

 

「今までと同じ、ブロック生産に適した構造をしており、量産性はそのままになっておる。大出力スラスターで機動力を確保し、データリンクとの連動で隊列を組んだ時の運動性が増大しているのも特徴だ。被弾しやすいブロックと艦橋を分けるのはリスク回避としては優れておるが、防御がシールドに頼りすぎと言われておる。正面が幅広いのも気になるところじゃ」

 

「そうですね。最後に、キタザキ=アームストロングJVより提案されているのが『コードネーム・トライアングルアロウ』です。こちらは、空母の艦体を使用し、攻撃力を従来艦より大幅にアップさせております」

 

「堅実な設計、という意味では一番かもしれん。核融合炉の出力に余裕があり、三つの砲塔からの一斉射は破壊力抜群だ。前方の戦闘ブロックと推進部は分離可能で改造が容易、というのが提案側のコメントにあるな」

 

「ありがとうございます。国防委員会は、今回の選定に関し、生存性、運用性、将来性等多数の観点から評価を行うとのコメントを発しております。プロジェクトチームのアイランズ委員はーー」

 あまりに休みすぎたので、ヤンはあわててテレビの電源を切った。いくら書類待ちとはいえ、だらだらしていては示しがつかない。それにヤン自身にもやらなければならないことが沢山あるのだ。

 

 

 

<2>

 

三日後ーー

 

「皆様、本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます。自由惑星同盟新装備選定会議は、軍の進化に必要不可欠な役割を果たしております。軍の隅々まで現状を見つめなおし、改革の必要性があればメスを入れることを躊躇しないーー」

 ヤンはテレビ中継を見ながらため息をついた。裏方にとって、真の仕事の終わりはイベントの終わったそのまた後だけど、イベントが始まってしまえば後はなるようになる、何か心のつかえが取れたような気分になるものである(もちろん十分に準備をしていれば、だが)。

 ここ数日の深夜残業の末、ようやく会議の開始までこぎつけた。会議に参加する側からは山のようにクレームが来たが、何とか対応することができた。ヤンとしては、いや、憲兵隊や第二艦隊の後方支援部門としては、二度とエル・ファシルでこんなことをやらないで欲しい、というのが総意である。

 

 テレビでは、一人の政治家が開会のスピーチを行っている。テロップには国防委員会、ヨブ・トリューニヒトとある。

「あー」

 ヤンはため息をついた。トリューニヒトという名前には見覚えがある。彼の秘書と名乗る人からクレーム通信があり、ホテルが行政府から遠い、何とかしろと言われたのである。そら期限ぎりぎりに随行員一覧をねじこまれたらそうなりますわな、そう言いたかったが、その後上層部を動かされてはどうしようもなかった。おかげで総務部企画第三課が総出でホテルの空き部屋を調整する羽目になったのである。これで貴重な半日が失われた。

 

「オリオン腕に存在する、銀河帝国という圧政組織を駆逐することは、全ての同盟市民の願いである。かつてブルース・アッシュビーは、自由と民主主義の旗を打ち立てるためには、自由惑星同盟が力強くあらねばならぬと言った。それは強盛な国家および、強力な軍隊の建設である……」

 見てくれは悪くない。まぁほとんどの人が眉目秀麗と言うであろう。顔で政治をするわけではないが、人というのは見た目で中身を判断しようとする。人は見た目が9割、というのはいつの時代でも通じる法則だ。

 

「国家と軍隊は車の両輪の如し、古来からの法則である。軍隊の論理は常に外部から検証されねばならず、国家の進むべき道が正しいかどうかも常に検証されねばならないのである。その精神が最も必要とされるのが本会議であり、参加者は偏見なく自らの意見を述べ、真摯な討論の後に結論が出されねばならない。聞くところによると帝国では財閥と政治が結託し……」

 

 まぁよくも現実と乖離したことをべらべらと喋れるものだとヤンは感心する。確かに最終結論が確定するのは今回の会議だと思うが、大体の装備品について、方針は会議の前に決まっているものである。今回の目玉である新型戦艦においても、本命はどうのこうのという話はあちこちで乱れ飛んでいる。

 

 まぁ会議する分には構わないさ。会議場とホテルを往復している分にはこちらの仕事はしてみせる。そのための準備はしてきたつもりーー

 そんな時、コミュニケータが着信を知らせてきた。

「はい、ヤン・ウェンリーです」

 聞こえてきた言葉に、ヤンは思い切り表情を曇らせた。

 

 

 

「一体何なんでしょうね」

 同行するラオが聞いてきた。

 

「呼ばれただけなのに、私に何が分かるというんだい」

 ヤンはそれだけ言った。

 

「だが、パエッタ司令が私と大尉を呼んでいる。そして、通話では何も言わなかった。まぁ、悪い想像をするには十分だ」

 軍用コミュニケータには、音声暗号化が施されている。そのため、軍事機密でも話して構わないことになっている。だが、「密談」という風習はなかなか根強い。遠隔通話は録音されているかもしれない。回線が暗号化を突破して盗聴されるかもしれない。もちろん、盗聴に関する研究は(いろいろな非難とか法的問題をさておいて)行われているのである。

 

 エル・ファシル防衛軍司令長官(兼第二艦隊司令官)室に到着した。ノックをして二人は入った。

 

 

 

「殺害予告?」

 聞いたヤンは鼻を鳴らそうとしてあわてて止めた。

 

「そうだ。エル・ファシル共同通信社に声明が届けられたそうだ。警察は送信元を当たっているが、まぁ無駄だろうな」

 パエッタはスクリーンに声明文を表示する。声明には、経済格差の拡大と帝国の脅威低減にも関わらず国防費増大が続く現状に対して一通り抗議が綴られ、

 

「不必要な軍備拡大を推進する国防委員ヨブ・トリューニヒトに対し、新装備選定会議にて鉄槌を加えるものなり……これだけですか?」

 ヤンの質問にパエッタはうなずく。

 

「この団体名は?」

 ヤンは声明文の最後に署名してある団体名を読み上げた。

 

「治安警察がマークしている団体とはヒットしないが、名前からしてハイネセンで活動している反政府ゲリラを気取っている連中だろう。既存の団体から分離したはねっかえりかもしれない。帝国が仕込んだスリーパーの可能性もある」

 パエッタは最後に舌打ちをするのを忘れない。

 

「犯行予告一つでびびるわけにもいかないですけど……裏付けもなく大規模なアクションを起こそうとしているわけではないでしょうね。そうじゃないか、大尉」

 

「あ……ですね。というか、何故ウチに話が回って来たんですか。捜査課ではなく」

 ラオの言葉にヤンはうんうんとうなずいた。

 

「君達に捜査をしろと言うつもりはない。捜査は治安警察が担当する。警護も治安警察が担当する」

 

「では何故」

 

「国防委員会の方からクレームが入った」

 ヤンとラオの背筋が震えた。捜査でもないのに自分をわざわざ呼び出すということは……

 

「憲兵隊は警護に参加しないのか、だそうだ」

 

「いや、あの、その……」

 

「分かっておる。憲兵隊も機動隊が出動しておる。捜査課も総動員で警備に当たっておる。だからこそだ。象徴だよ」

 

「……」

 

「ヤン少佐。君がトリューニヒト議員について警備に当たってくれたまえ」

 

「あの……司令。私はSP資格など取っておりませんが」

 ヤンは反論したつもりだったが、パエッタは当然のように聞き流した。

 

「そうだ。向こうもそれは承知だ。少佐、向こうが君を指名してきたんだよ。何、警備というのは形式的なものだ。向こうは君と一緒のところを写真に撮ってもらい、記事にしてもらいたいんだ。ちょっとしたストーリーと共に。まぁ、有名税というやつだ。」

 ああ……ヤンは肩を落とした。

 

「ところで、向こうがこんなことを言っていたのだが、少佐。君のお父上はトリューニヒト議員と親交があったと聞いたのだが、本当かね?」

 

 

 

「スターデストロイヤー797は、今までの同盟艦船の概念を全く変える、新しい宇宙戦艦です。余裕のある船腹および効率的な機材配置は、これまでの戦艦と異なり改造の余地が十分にありーー」

 

 議場では、メーカーの担当者がプレゼンテーションのビデオと共に、新型戦艦の売り込みにあたっていた。ビデオそのものは美麗なことは分かるが、ヤンとしてはどうしても見る気になれない。ヤンは警護の目的でここに来ているし、艦隊勤務の経験はほとんどない。資料のデータパックを渡されても見る気になれない。ヤンが見ているのは、トリューニヒト議員に関する資料である。

 

 ヨブ・トリューニヒト。ハイネセン出身、47歳。国民共和党、当選6回。初当選からこのかた落選なし。

 徴兵経験はない(トリューニヒトの年代では徴兵は停止されている)が、なんと短期勤務志願兵として、ハイネセン防衛地上軍に勤務。3年間の勤務で体力検定1級(ゴールデンキャップ)1回、特級射手(マークスマンメダル)授与者。ほぉ、自分より頼りになりそうだ、ヤンはそう思った。

 スキャンダルに関する資料はなかった。いやいや、逮捕とかそういうのはいいから噂話ぐらいつけておいてくれよ。警備ロボットじゃないんだから、何でも警備できるわけじゃないのに。

 

 新型戦艦の選定会議は、会議会場の最も大きい会議室で行われている。プレゼンテーションの前は、各候補の担当者がいろいろな機材を持ち込んで、選定プロジェクトメンバー(特に議員)に売り込みを行っていた。ちょっとしたワークショップ状態だった。

 

 今は、候補ごとに時間が与えられ、プレゼンテーションの時間である。午後の会議から急遽警備として潜り込んだが、ヤンとしてはやることがない。トリューニヒト議員はSPが取り巻いているし、会議の時間帯は人の出入りは厳重にチェックされる。これでは暗殺者など入り込みようがない。会議場全体を爆破するならまだしも、爆発物や薬物のチェックは厳重に行われている。

 だから、ヤンはとりあえずトリューニヒトの資料を見つつ、会議の状況を見ながら、警護する「ふり」をするしかない。ヤンは暇が苦痛というタイプではないが、今現在は苦痛そのものである。あくびをしていないだけ称賛してほしい、とすら思った。暇と付き合うだけならまだしも、自分が受け持つはずだった会議中の仕事をラオに押し付けているのが申し訳ないのである。あの時のラオの恨めしそうな顔といったら!

 

 だからといって自分が楽していると思うなよーー

 

 ヤンはそう思うのである。第一、会場の隅で縮こまっているのは、やることないし居心地が悪い。時々、議員秘書とか警備担当者がこちらを見てヒソヒソするのが目に入ってくる。まぁ、どう見ても場違いである。少佐という階級がまず場違いじゃないか。将官(意思決定者)でもないし、下級士官や下士官(警備担当)でもない。少佐はこの会場でやるべき仕事はないのだ。管理職が一人でぽつんといても意味がないのだ。

 

 もちろん、ヤンとしては陰口を叩かれたからといって気にすることはない。せいぜい、会議の内実を見分するぐらいだ。もちろん、会議場内ではトリューニヒトにそれとなく付いていかなければならないが。

 

 

 

 そんなこんなでプレゼンテーションが終了した。今日のスケジュールは全部おしまいで、後は議員を宿舎にお見送りするだけである。

 

 これはスターデストロイヤーに決まりかなーー

 

 プレゼンテーションの反応を見ていてヤンはそう思った。明らかに雰囲気が違うからそう思えるのである。やはり、この会議の前に結論は出ているのだ。他の二候補も頑張っているようだが、徒労に終わりそうだ。申し訳ないなぁ、ヤンはそんな気がする。

 スターデストロイヤーが新戦艦に決まったらどうなるだろうか。ウェブ上の意見はあまり良くない。フォルムが帝国軍戦艦に似ているからだ。テクノロジーを盗用しているだの、フェザーンが同じ戦艦を帝国と同盟に売りたいからだ、だの、陰謀論じみた意見まで見る。まぁ、陰謀論で政治をするわけじゃないけどね。

 

 そんなことを考えていると、後ろから肩を叩かれた。見ると、トリューニヒトの秘書と名乗った男が厳しい顔でこちらを見ている。

 

「委員がお呼びだ」

 秘書はそれだけ言ってすたすたと歩いていく。

 

 やれやれ。

 ヤンはすごすごと後をついていった。全く、この会議では少佐の階級章があっても、ただの鼻たれ小僧扱いだ。まぁ、事実なんだけどさ。

 

 

 

「エル・ファシル憲兵隊本部、ヤン・ウェンリーであります」

 

「やぁやぁ。君が例の名刑事君かね」

 トリューニヒトはヤンからの敬礼を受けるなり、にこやかに握手を要求してきた。行きがかり上拒否するわけにもいかないので、ヤンも手を差し出した。握手が行われ、付いてきた記者やカメラマン達がシャッターを切る。まさかアッテンボローはいないだろうな、ヤンは密かに視線を動かしたが、どうやらそれはないようだった。

 

「事件捜査、お見事だった。帝国の陰謀を未然に防ぐとはお手柄だな」

 

「捜査に協力してくれた部下や関連部署のおかげです。自分のしたことはわずかです」

 

「そうかそうか。確かに、軍や市民、皆が協力し合うことによって、共和国は一枚岩となる。アッシュビー・ラインの中枢に帝国が浸透していたことは遺憾だが、それを取り返したな、少佐」

 

「はっ」

 ヤンにはそう答えるしかなかったが、なるほどそれがトリューニヒトの本音か、そうも思った。首都星ハイネセンからすれば、こないだの事件は惑星エル・ファシルという、いけすかない税金喰らいの失態と映ったのかもしれない。

 

「これからの警備もよろしく頼むよ。少佐」

 トリューニヒトはそれだけ言って、ぽんぽんとヤンの肩を叩くと会議場外へ歩いて行った。ヤンもあわててそれについて行くのだった。

 

 

 

 ヤンは自宅に帰るなり、軍服を脱ぐ間もなくベッドに倒れ込んだ。こういう時軍服はありがたい。ズボンはともかく、上着は少々扱いが雑でもしわが目立たない。士官というのはズボンのストックがあってなんぼである。

 

 気苦労の多い一日だったーーヤンはそう思った。デスクで書類仕事をしている方がはるかに楽だとさえ思った。今は夕食もそうだけど、酒すら飲む気にならない。紅茶なら喉を通ってくれるだろうか、そんな気分だった。

 

 トリューニヒトか。

 ヤンは昼間の光景を思い返した。直接会う分には悪くない。少なくとも二言三言交わす分には。でも、政治家本人はショーウィンドウのようなものだ。スタッフや後援会や派閥、そういうものが渾然一体となって政治というものはできあがる。トップは鷹揚に接するが、本音というか汚れるところは部下がやる、それが組織というものだ。多分、トリューニヒトの本音は秘書達を見れば分かるのだろう。

 

 寝てしまう前にーーヤンは明日の予定をチェックした。午前中に他の会議に少し出て、新戦艦そのものに乗り込んでの実地確認があるらしい。へぇ、政治家なのにそんなこともするんだ、ヤンはそう思った。

 

 

 

<3>

 

翌日ーー

 

「スターデストロイヤー797にようこそ。トリューニヒト委員」

 シャトルから降り立つと、戦艦の建造会社であるクワット・ドライブ・ヤード社の社員に迎えられた。人数と年恰好を見ると、直接トリューニヒトに売り込みをする管理職が1名に、部下2名といったところか。

 

 トリューニヒトとSP(とヤン)は、社員に艦橋まで案内された。予定では、艦橋でこれまた一通りのプレゼンが行われ、兵士の個室や食堂、一部の機能や機関室を視察し、帰還することになっている。戦艦といっても、まだ艤装は中途半端だから、軍人のヤンからするとがらんどうというか、だらしないというかそんな感じに見える。あって当たり前の装備がまだ配置されていないのだから当然だ。

 

 ヤンの予想通りというか、社員の方は余裕の表情でプレゼンを続けている。トリューニヒトの方は、むっつりといった表情でこれを聞いている。機嫌が悪いのだろうか、ヤンは思った。

 

 艦橋でのプレゼンが終わった後は、食堂、兵員室と見て回り、機関室へ移動することとなった。見る限り、今までの設備よりずいぶんと広い。余裕のある艦というのもいいものだな、とヤンは思っていた。

 機関室へ続く長い長い廊下を歩いているうちに、何かが近づいてきた。

 

「何だねあれは?」

 管理職が側にいる部下に聞いた。大型の円筒形ゴミ箱に、半球型の蓋をつけたような物体が接近してくる。

 

「??警備ロボット??何故動いている。ちょっと調べます」

 そう言って、部下が端末を操作した。異常に気が付いたのか、二度、三度操作する。

 

「おかしい。警備ロボットが何故稼働している」

 大型建造物を引き渡し直前まで作成し、そこに部外者が立ち入ってほしくない場合、自動警備ロボットを巡回させることは珍しくない。警備員を常駐させるのは費用対効果が悪いからだ。だが、このようなイベントの時には、当然ながらロボットは撤去されるか、非稼働状態に設定される。こんな場所にのこのこ移動してくることがおかしい。

 

「おかしい。停止信号に反応しない」

 端末から操作しようとして失敗したようだった。部下はロボットに接近し、直接停止しようとしてーー

 

 ロボットから光線が発射された。当たり所が悪かったのか、部下は言葉を発することもできず崩折れた。

 

 

 

「ひっーー」

 悲鳴をあげたのは管理職だった。もう一人の部下、トリューニヒト、ヤンは状況を受け入れ、行動することができず固まっている。さすがにSPはそれほど間抜けではなかった。ブラスターを取り出し、目の前のロボットを滅多撃ちにした。間もなくロボットは動作を停止する。

 

「一体どういうことです。警備ロボットに殺傷機能があるなんて」

 SPは管理職を詰った。

 

「わ、私は何も知らない。サイモン君、一体これはどういうことだ!」

 

「いや、私も、というかあれ!」

 

 もう一人の部下の絶叫に、全員が振り向いた。動くゴミ箱ーー警備ロボットが後ろから近づいてくる。

 

「伏せて!」

 

 三人いるSPの一人が、トリューニヒトを地面に引き倒した。ヤンとサイモンと呼ばれた社員は床に伏せるが、管理職は動きが鈍く、一人立ちんぼすることになった。結果、警備ロボットに目標を提供することになった。

 

 警備ロボットが光線を発射する。光線は管理職の心臓を貫通し、管理職は悲鳴をあげながら倒れ伏した。言葉にならない悲鳴をあげながら、間もなく死体となった。その復讐というわけではないが、SPがブラスターで応戦、ロボットを動作停止させた。

 

「トリューニヒトさん、逃げてください!」

 

 SPは叫ぶ。だが、一体どこへ逃げればいいのか。新造戦艦の中、逃げる場所などそうあるわけがない。だけど、ここに伏せていても状況が改善するわけではない。やってくる警備ロボットがあれで終わりであれば話は別だが。

 

「あそこまで行きましょう!あそこは副制御室です!!」

 サイモンと呼ばれた部下が言った。トリューニヒトとヤンものろのろと立ち上がる。サイモンは全速力でその部屋に向かった。トリューニヒトとヤンも駆け足でその部屋に向かう。

 後ろで銃声が聞こえた。どうやら、ロボット側に増援があったらしい。悲鳴が聞こえたかもしれないが、二人とも無視して、その「部屋」に飛び込んだ。

 

 

 

 部屋は大型ディスプレイが壁に掛けてある端末が一つあるだけで、他は可動式の折り畳み机や椅子が少しあるだけの部屋だった。部屋にたどり着いたサイモンは、大急ぎで端末を立ち上げるとあれこれ操作した。しばらくして監視カメラの映像と思われるものがディスプレイに映る。副制御室の外の様子が映った。3人居たSPは後退しながら戦闘を続けているものの、二人は既に斃れ、もう一人も制圧されかかっていた。外れたブラスター光線が当たったのか、一部のスプリンクラーが作動し水をまき散らしていた。

 

「嗚呼。もうダメだ。これではーー」

 サイモンがうめいた。映像では最後のSPが致命傷を負い、斃れて動かなくなっていた。これでロボットとこちらを隔てるものは殆ど無いと言っていい。

 

「少佐。一体どうすれば」 

 すがるような目でサイモンがヤンを見つめる。ロボットはスプリンクラーの水を浴びながらくるくると動いている。どうやら、こちらを見失ったらしい。だが、こちらに来ないという保証はない。

 

 ヤンは思考をめぐらせた。絶体絶命のピンチ。とにかくあのロボットを何とかしないことにはどうにもならないが、武装はヤンが持つブラスターだけ。そしてヤンは射撃が下手である自覚がある。ロボットと撃ち合いをして勝てる自信など全くない。火力があれば話は別だが、そんなものはーーそこまで考えてはたと気が付いた。

 

「サイモンさん。あれは?」

 ヤンはディスプレイに映る何本かの線を指し示した。

 

「艦内電線です。まだ工事途中で暴露状態です」

 

「なるほど。後は、上手くアレに落ちるようにすれば……ちょっと、トリューニヒトさん」

 

 

 

 ロボットは周囲を検索していた。ロボットは人間を捜索して殺害する使命を与えられている。だが、その人間が見つからなくなった。人間側の抵抗を排除しているうちに見つからなくなったらしい。

 戦闘中の流れ弾によるものか、上からはスプリンクラーが水を浴びせかけてくる。ロボットとしては防水加工が施されているから、特に問題はないのだが、視界がぼやけているのが問題だった。

 

 前方に熱源ーーロボットのセンサーが感知した。50メートル先ほどに、人間と思われる熱量を感知したのだった。早速装備したブラスターで排除しようとしたその時ーー

 高圧の電流がロボットに流れた。ロボット側はこれに対応することができず、動作を停止した。

 

 

 

「ロボット一体が活動停止。残りのロボットも後退していきます」

 サイモンがほっとした表情で報告した。

 

「お見事でした、トリューニヒトさん。さすが特級射手(マークスマン)

 ヤンが半分本気半分追従でトリューニヒトを褒める。トリューニヒトはまだ震えが止まらないらしい。腕はあっても腹の据え方は軍人らしくないということか。民間人だからそれはしょうがないことなのだけど。

 ヤンはトリューニヒトに、天井の配線を狙撃してもらったのだった。ブラスター光線によって切断された電線は、スプリンクラーの水たまりに落ちて、そこに居たロボットは見事感電したのだった。

 

「これであのロボットは来ないのかね」

 

「多分そうはならないでしょう。」

 ヤンの言葉にトリューニヒトは思い切り表情を曇らせた。トリューニヒトとしては、軍人が民間人に危険な仕事を押し付けた挙句、軍人の方は時間稼ぎにしかならないと言い放ったのだ。

 

「スプリンクラーはそれほど大量の水を出すわけではないですし、漏電も止まるかもしれません。我々としては時間を稼いでいる間に手段を講じなければなりません。サイモンさん、そこからロボットの制御を奪還することはできないですか」

 

「無理だと思います。警備ロボットの制御は艦でやるものではないです。もともとあれは軍の装備品ではありませんから。強制クラックも無理でしょう」

 サイモンが首を振りながら言った。

 

「そうかぁ」

 ヤンはため息をついた。それがトリューニヒトの癇に障ったのか

 

「少佐、何か手はないのかね。市民の危機にそんな悠長なことを……」

 トリューニヒトの癇癪に、ヤンは目を丸くした。同時にぷっと噴き出す。憲兵の管理職ともなると、トリューニヒトのような無理筋のクレームは日常茶飯事ともいうべきものだ。もちろん、慣れたくてそうなったわけではない。職業病のようなものである。

 

「少佐!!」

 

「落ち着いてください。トリューニヒトさん。手はあるはずです。我々にはサブですが制御室がある」

 ヤンは落ち着きはらった調子でそう言った。もちろん確信があるわけではない。そう言わざるを得ないのだ。士官学校での教育、任官後の教育で繰り返し叩き込まれるのが、率先してパニックに陥らないことである。

 

 しかしどうしたものか。ヤンは副制御室の中を見回した。せめてバリケードの一つも築きたいが、室内には使えそうなものがほとんどない。折り畳み机など使っても、ブラスターの前には穴ぼこになるだけだ。反撃用の警備ロボットも、擲弾兵用の装甲服もない。あっても、ろくに使いこなせないだろうけど。

 

 どうも万事休す、らしい。急ごしらえの防壁をこしらえたとしても、しばらくすると効果が無くなるだろう。そのうち残りの警備ロボット改め殺人ロボットが殺到し、3人共に切り刻まれることになる。ヤンとしては死というものに実感は湧かなかったが、軍人のまま死ぬというのはどうにもやりきれない。仕事の山の中で死んでしまうのも勿体ない。これなら、休暇中に流れていたどうでもいい映画もしっかり見ておくんだった。酔っぱらって途中で寝てしまったんだった。漂流する宇宙船のパニック・ムービー……待てよ?

 

「サイモンさん、ロボットは操作できないとして、ここから艦はどの程度制御できますか?」

 

 

 

<4>

 

「ええ。やれます。自動制御で回復するまで15秒といったところですが……ですが、本当にやるんですか?」

 

「使えるものは何でも使うしかない。数でも劣り、武器もブラスターが1挺あるきりじゃ、まともにやりあっても勝てるわけがない。何もしなければロボット相手に死ぬだけです」

 

「しかし、本当にできるのかね」

 ヤンの案を聞いたトリューニヒトは顔面蒼白だ。

 

「他に手はありません。というか、チャンスは一度、これで全部倒せなければそれこそジ・エンドです。リスクを取るのは……自分ですね。トリューニヒトさん、合図があったら、何でもいいから掴まれるものを掴んでおいてください。いいですね」

 

「あと、サイモンさん、ロボットの総数は5で間違いないですか」

 サイモンははいと答える。

 

「分かりました。では、こちらの合図で動いてください」

 そう言ってヤンは副制御室から飛び出した。

 

 

 

 ヤンは水たまりを転ばないように注意しながら渡った。電源ケーブルは垂れ下がったままだが、給電をカットしたので漏電の心配はない。予想では、角を曲がった向こう側にいるはずだ。居た。

 

「やい!ロボットめこれでも食らえ!!」

 ヤンは大声でそう叫ぶと、ブラスターを構えるふりをして、撃つふりもした。ヤンのブラスターはトリューニヒトに渡してあるのでここにはない。丸腰で殺人ロボットに対抗するなど狂気の沙汰だが、生き残るためには仕方がない。

 

 ロボットに動きがあった。どうやらこちらを向いたようだ。恐らく、他のロボットにも警報が伝わったであろう。それならーー

 ヤンは元きた方向へ逃げ出した。

 

 ヤンは走る。ブラスターを構える相手から逃げる時、なるべく小刻みに角度を変えながら逃げるべし、というのが同盟の教本だ。そもそもそんな局面に陥らないようにするのが最優先だが、ヤンはその原則にも従っていない。ヤンは水たまりを飛び越えると、副制御室に向けて一目散に走っている。戦闘のロボットが角を曲がり、ヤンに向けて狙いをつけようとした時、光線がロボットの頭部を吹き飛ばした。トリューニヒトが制御室の中から援護しているのだ。

 

 ヤンは走っては止まり、振り返っては撃つふりをした。ふりをしたら再度逃げる、それを何度か繰り返す。単に逃げてはいけないのだ、全部のロボットを引きずり出すのが必要条件。トリューニヒトもそれは分かっている。ブラスターの射出エネルギーを絞り、とにかく数を撃って援護するやり方に切り替えている。目的は同じ、ロボットが全員この廊下にやってくること。

 

 副制御室の直前でヤンが振り返る。破壊されたロボットも含め、1、2、3、4、5。

 

 ヤンは副制御室に飛び込むと叫ぶ。

「今だ!それと何かに掴まれ!!」

 

 

 

 ロボットの重力センサーが異常を感知した。艦内に存在するはずの重力が低下している。車輪で移動するロボットでは、無重力状態でできることなど存在しない。5台のロボットがどうもできずにふわりと浮かぶ。

 

 ロボットは現状で実施すべき選択肢を検索したが、何もない。それまで自分達を挑発していた人間は室内に逃げ込み、目的達成のためには室内に侵入するしかない。侵入してしまえば、目的は達成できるだろうが、そのためには、重力が回復するしかない。

 

 ほどなくセンサーが重力の回復を検知した。だが、重力の指し示す方向が先ほどと違っている。それまで接地していた床ではなく、遥か向こうの壁の方向に重力が発生している。

 五台のロボットは、重力が作成した井戸の底に落下していった。ちなみに、廊下改め井戸の深さは100メートルほどもある。

 

 

 

「カメラ回復します。1、2、3、4、5。全台動作停止の模様」

 

「賭けに勝ちましたね」

 ヤンの言葉にトリューニヒトの頬が緩む。まぁ、軍隊というのはTVドラマと違って、ロボットの群れをたった三人で相手するようなことはやらないから、正直、怖かったのであろう。第一、武器はブラスター1挺しかなかったのだ。

 

「確信があったのかね」

 咳き込みながらトリューニヒトは聞く。重力方向が変化した時は何とか手すりに掴まっていたのだが、重力が正常回復した時に油断し、床にたたきつけられたのだった。まぁ、咳き込む程度で済んだのが不幸中の幸いか。

 

「あったわけではありません。新年に放映されていたどうということのないパニック・ムービーを思い出しただけです。お礼ならエル・ファシルの放送局に言ってください。」

 重力制御機構を無力化し、実際とは異なる方向に重力を設定し再起動する。普通の宇宙船ではあり得ない機能だが、戦艦となるとこのような機能がある。恒星等の重力に掴まって脱出できない時、これで一時的に平衡状態を作り、脱出までの時間を稼ぐのだ。

 映画の方は、重力制御コンピュータが動作異常を起こし、滅茶苦茶な方向に重力を作成したため、豪華客船が一瞬にして地獄と化すものだったが、ヤンはここからアイディアを取ったのである。

 

 制御卓ではサイモンがへなへなと崩れ落ちている。サイモンとしても、ヤンの無謀なプランが成功するか、半信半疑だったのだ。

 

「で、少佐、これからどうするんですか」

 しばらくして、立ち直ったサイモンが聞いてきた。

 

「んー。まぁ、これで落ち着いて考えることができるなぁ。ともあれ、艦橋へ行こう。艦の制御を取り戻すんだ」

 ヤンはそう言った。しかし

 

「いえ、少佐。少佐は議員と一緒に脱出してください」

 サイモンがヤンとトリューニヒト、両方を見ながら言った。

 

「艦橋の端末を動かすのは一人でできます。それに、自分一人ではできることに限界があります。ここを脱出して、支援を呼んでほしいのです」

 

「それなら私が行こう。サイモンさん、貴方がトリューニヒト議員と脱出すべきだ。民間人を守るのは軍人の使命だ」

 

「ここが軍艦ならそうでしょう。でも、まだ、この船は我が社の所有物です」

 

 ヤンは困ったような顔をした。サイモンの話は筋が通っている。だが、民間人を見捨てて脱出するというのは、軍人としての行動原則に反する。今のように、軍の肩身が狭くなりつつある時勢では、あまり褒められる話ではなかった。

 

「少佐、サイモン君の言う通りだ。助けを呼んだ方がいい。君は専門家ではないのだろう?」

 トリューニヒトが早口で言った。彼の中では最初から結論が出ていたのである。

 

 

 

 トリューニヒトとヤンはとぼとぼと非常階段を下りていた。艦橋や副制御室があるフロアは艦の上の方、そして、シャトルがあるデッキは艦腹の一番下である。ヤンとトリューニヒトはここを階段を使って移動しようとしているのだった。

 本当はエレベーターを使って移動するつもりだった。だが、先ほどロボットを罠に嵌めるための重力設定の影響か、エレベーターが動作しない。しかるべき対処をすれば動作は再開するはずだったが、そのしかるべき対処が分からない。仕方がないので、非常階段を使っているのである。ちなみに、艦の上層部と最下部では、40階建ての高層ビル並みの高度差がある。 

 

 お互い、むっつりと黙りながら、階段を下りている。言いたいことはまぁ山のようにあるだろうが、今は脱出するのが最優先だ。

 

「少佐……その」

 そんな中、トリューニヒトがおずおずとヤンに語りかけてきた。

 

「先ほどの件は悪かった。君はよくやってくれた。感謝する」

 ヤンは何が悪かったのかはよく分からなかったが、とりあえず好意を受け取ったことだけはわかったので、うんうんと何度かうなずいた。

 

「いえ。こちらこそご迷惑をおかけしました。民間人を守るのは軍の義務です。ところで……」

 

「ところで?」

 

「あれがうまくいかなかったら、我々はもうこの世にいないと思われるんですが、だとしたらどうなるんでしょう」

 ヤンとしては場をほぐすために言ったつもりだった。だが、トリューニヒトは少し考えた後、

 

「調査委員会が立ち上げられ、周囲が好き勝手に口を出し、皆が納得する結論を出す。結論がどう出るかはその時の状況次第だろう。まぁ、一つ確実なことはある」

 

「何ですか」

 

「新型戦艦一番艦の名前は、ヤン・ウェンリーとなる」

 ヤンはトリューニヒトの冗談?をどう受け取っていいものか困惑した。ただ下手な冗談と思いたかったが、政治というものの醜悪さを要約した発言のようにも聞こえた。

 

「戦艦ヨブ・トリューニヒトではないのですか」

 

「無いな。政治の世界にもいろいろ序列というものがある」

 トリューニヒトは、ヤンの冗談(というか嫌味に近い)を即座に切り捨てた。

 

「まぁ、私がブルース・アッシュビーを超える大政治家になるのであれば、話は別だろうけどね」

 そらそうだな、ヤンは得心した。自由惑星同盟中興の祖、みたいな扱いをされているブルース・アッシュビーであるが、軍の艦船に命名されたということはない。アッシュビーが心血を注いで作り上げたのは要塞網であり、軍艦ではなかったからだ。そして、要塞網の実現のために、アッシュビーは機動艦艇を目の敵にした。艦名に使用されるはずもなかった。ただ、政治家としての序列は依然有効だ。アッシュビーも艦名にないのに、と言われれば反論するすべもないだろう。

 

 

 

「あと一つ、いいですか」

 

「何でも」

 

「私の父と親交があると聞きましたが」

 

「……御父上から聞かなかったのかね」

 

「何も。政治家の知り合いが居るなんて聞いたことがありません」

 

「そうか。まぁ、あの時はこの業界に入る前だったから、そうなるのか」

 

「??」

 

「趣味の知り合いだった。直接顔を合わせることはなかったが、美術品の紹介や、目利きについて話し合ったことがある。年齢差はあったが、分け隔てなく接してくれた。ただ、あの人は、人としては悪くなかったが、残念ながら……おっと失礼」

 

「いいのです。父の美術品はほとんど全部、偽物でした」

 

「でも、全部偽物とは限らないはずだ」

 

「本物はごく一部でした」

 

「その本物の中に、壷はなかったかね。宇宙歴より前、西暦17世紀の陶磁器(チャイナ)、確かそのはずだ」

 

「どうしてそれをーー」

 ヤンは目を見開いた。確かに、万暦赤絵はヤン・タイロンの遺品の内、数少ない本物の美術品である。ヤンの官舎、そのどこかに仕舞っているはずだが、何故それを知っているのか。

 

「それは当然だ。あれは、私がヤン・タイロン氏に譲ったものだったからな」

 

「……そうなんですか」

 ヤンは驚愕した。あの壷にそんな来歴があったなんて。

 

「私が最初の選挙に挑戦する時だったが、資金が不足していてね。ヤン氏に売ったのだよ。市場価格よりかなり色をつけてくれた。まぁ、今の私があるのは、あの壷のおかげといえるかもしれない」

 

「それはーー」

 ヤンは言葉を失った。父親のヤン・タイロンは、金さえあれば嫌な奴に頭を下げずに済むとは言っていたが。どんな心境であれを買い取ったのであろうか。義を重んじ財を疎んず、そんなタイプでは絶対ないのだが、ヤン・ウェンリーの知らないヤン・タイロンがどうも存在していたらしい。

 

「何というか、初めて知りました。今まで、あれはガラクタの一つだと思っていましたが、そんなエピソードもあったんですね。売らなくてよかったーー」

 ヤンの言葉を、サイレンが搔き消した。その後、合成音声が鳴り響く。

 

 

 

「警報、警報、本艦はこれよりワープシークエンスに移行する。各員は所定の位置に移動し待機せよ。繰り返す、警報、警報、本艦はこれよりワープシークエンスにーー」

 

「まずいぞ少佐ーー」

 トリューニヒトの顔から血の気が引いた。もちろん事態のやばさはヤンも承知である。ワープ機能自体は宇宙船なら標準的に装備するものであるが、指定された宙域でなかったり、恒星系から十分離れていない状態で行うワープなど自殺と同義語である。もちろん自殺には、亜空間から永久に出てこれないものも含まれる。

 

「どうしました。何故ワープが始動しているんですか」

 ヤンは艦橋にいるはずのサイモンに通信した。

 

「分かりません。端末を操作していて突然、コンピュータが再起動したと思ったらいきなりワープ警報が鳴り出して……こちらで解除できるようにやってみますが……糞、機関部が動作を受け付けない。これもテロリスト連中の罠か。少佐、一刻も早く脱出してください」

 

「サイモンさんはどうするんですか!」ヤンは叫ぶ。

 

「ワープが停止できるかどうか、やってみます。少佐は脱出したら、外に助けを求めてください。機関部に異常があれば、ワープも中止になります」

 

「了解。死ぬなよ!」

 ヤンはコミュニケータの通信を切って、トリューニヒトに言う。

 

「まずいですね。ワープ警報からワープまで一時間ぐらいしかないはずです。周囲の艦艇が異常に気づいてくれればいいんですが。助けに来てくれるんでしょうか」

 

「それは一般的なワープの話だ。それに通常のワープと思わない方がいい。諸条件を無視した緊急ワープなら、実行まで時間は半分だ」

 

「なんですってーー」

 トリューニヒトの言葉に、今度はヤンが真っ青になった。今や脱出の手段は、目標のシャトルに限られている。三十分のうちにデッキにたどり着き、乗ってきたシャトルで脱出するよりない。いや、それだけではない。脱出したら外と通信して、この船を止めてもらわなければならない。民間人を見捨てて脱出する軍人などあり得ないからだ。

 

 ヤンとトリューニヒトは、今度こそ全速力で階段を駆け下りはじめた。

 

 

 

「やった……」

 階段にして40階分を下りきって、ヤンとトリューニヒトはようやく船腹のデッキに到着した。二人とも肩で息をして、膝が笑いかけている。全速力を出したのは20階分だったが、階段を下りるという作業は、早かろうと遅かろうと膝に負担をかける。

 

「少佐」

 トリューニヒトがデッキを眺めながら、恐る恐る聞いてきた。

 

「あまり言いたくはなかったが、射出口は閉鎖されている。どうするつもりかね」

 シャトルは確かにある。だが、外に出られなければ意味はない。シャトルが外へ出るための射出口は扉が閉鎖されている。これではどうしようもない。

 

「それよりも先に、シャトルを起動させましょう。緊急脱出モードにしておけば、スイッチ一つで艦から出られます」

 ヤンはトリューニヒトの言葉を無視して言った。

 

「だから、射出口が閉じているのにどうやってーー」

 

「いいですか」

 ヤンはトリューニヒトの質問を遮った。シャトルデッキの上にある管制室を指し示した。

 

「あそこに管制室がある。射出口の扉はあそこでしか開けられません。管制室で、自分が射出口の解放コマンドを入力します。一般的に、射出口の扉が開き切るまで30秒ほどもあるでしょう。減圧でもって吸い出されることを考えると45秒程度の猶予がある。トリューニヒトさんには、シャトルの扉を開けて待っていてもらいます。自分が飛び込んだら、このスイッチで扉を閉めてください」

 

「それでは君がーー」

 

「あの管制室から階段1つと30メートルほどです。30秒もあればいけるでしょう。万が一自分が間に合わなかった場合……扉を閉めて、緊急脱出の始動スイッチを押してください。モードさえ起動しておけば間違いはありません。外との通信ができたら、救助に来てください。もしかしたら助かるかもしれない」

 ヤンは最後に思ってもないことを言った。トリューニヒトはがくがくとうなずいた。

 

「少佐、恩に着る。もし帰れたらなんでもーー」

 トリューニヒトの声は裏返りかけていた。

 

「その話は後でしましょう」

 ヤンはシャトルの操縦席に座る。指紋と虹彩認証で、シャトルは無事起動した。後は、正面スクリーンにある動作モードを操作し、緊急脱出を指定する。後は、始動のスイッチを押せば、シャトルは船外に脱出し、救難信号を発信してくれるはずである。

 

 ヤンはそこまで確認した後、シャトルを出て管制室に入った。艦を放棄する時の緊急脱出スイッチがーーあった。三重の蓋で守られているが、押して扉を開けることに何か支障があるわけではない。緊急脱出の時に権限や何やらで扉を開けられなくては意味がないからだ。ヤンは蓋をむしり取ると、ボタンを押し込んだ。アラームが鳴動し、扉がわずかに開くのが見えた。それを見て駆け出す、が、脚がうまく動かない。疲労のため、筋肉が痙攣しかけている。ヤンは太ももを叩きながら管制室を飛び出した。階段を下り、30メートル、30秒あれば余裕の距離のはずだがーー

 

 疲労しきった脚が言うことを聞かず、ヤンはデッキに投げ出された。客観的に見れば、勝手に転んだ、ということになろうか。ヤンはのろのろと立ち上がり、シャトルの扉へ向けて走ろうとした。扉の方では、トリューニヒトが手を大きく振って手招きしているが、減圧が始まったデッキでは風の音がすさまじく、何を言っているか分からない。

 

 あと5メートル、その距離がすさまじく遠い。既に向こうでは閉鎖扉が半分以上開いて、固定処置が行われていない物体を遠慮会釈なく吸い出そうとしている。ヤンもその例外ではなく、宇宙空間へと吸い出されそうになりーー

 

 腕を掴まれた。

 

 トリューニヒトだった。何か叫ぼうとしているがヤンには聞こえない。だが、ヤンの目の前がシャトルの扉だったことが幸いした。何とか脚を扉の入口にひっかけ、シャトルに飛び込むことに成功した。

 

 シャトルの扉が閉められる。ほどなく、シャトルは緊急脱出シークエンスを実行した。

 

 

 

<5>

 

「今回の事件については、悪辣なる陰謀の放つ凶弾に斃れた、クワット・ドライブ・ヤード社の社員および、治安警察の方々にお悔やみを申し上げる。彼らの犠牲に報いるためにも、真相究明と再発防止が最優先であることは言うまでもない。だが、今回の陰謀劇に、クワット・ドライブ・ヤード社および警察・軍が一体となって立ち向かい、これを阻止したことは不幸中の幸いと言わなければならない。最後まで艦内に残り、脱出に協力してくれたエドワード・サイモン君には最大級の感謝を申し述べるーー」

 

 ヤンは官舎でなんとなくテレビをつけていた。テレビでは、トリューニヒトがいつもの調子で演説をぶっている。例の事件があってから軍はもとより、治安警察、惑星エル・ファシル政府まで騒然としている中、トリューニヒトだけはいつもと変わらない調子だった。

 

 戦艦からの脱出時、シャトルを操縦したのはトリューニヒトだった(緊急脱出シークエンスの実行ボタンを押すのが操縦であれば、だが)。脱出後、緊急信号を受信したスパルタニアン部隊によって、イオン電障魚雷が発射され、強烈なイオンパルスを浴びせられた艦の動作は一時的に停止、艦のワープも中止となった。ヤンとトリューニヒトは救命艇に救助され、艦に一人残ったサイモンも救助された。

 

 救助後、ヨブ・トリューニヒトは健康状態のチェックで三日入院した。ヤン・ウェンリーも同様に検査入院したが、一日で退院となった。差別ではないかと内心憤慨したが、取り調べが待っているとなるとどうしようもなかった。もっとも、取り調べといってもヤンは事実を話すしかなかったし、艦の状況を把握するには、稼働していた監視カメラの記録やセンサー記録を見る方がよかった。結局、ヤンはただの被害者ということになり、取り調べは終了した。

 

 事件についてはいろいろな噂が飛び交っているが、未だ結論は出ていない。この事件が、クワット・ドライブ・ヤード社他数社を巻き込む新戦艦導入にまつわるスキャンダル、そして中枢星域と辺境星域の対立の一つへと発展するのはかなり先のこととなる。

 新装備選定会議は一応、全日程を無理矢理消化したが、附属するはずのレセプションだとかパーティーだとかは軒並み中止となった。経済効果を当て込んだエル・ファシル経済界は地団駄を踏んだそうだがこれは仕方ない。

 

 この事件で結果的に一番得をしたのは、サイモンということになりそうだった。身を挺してトリューニヒト(とヤン)を守ったということで、会社からは表彰を受け、マスコミからも引っ張りだこ、CMの話すらあったそうである。

 トリューニヒトもそれに負けないほどの果実を獲得した。マスコミを駆使し、自分の冒険譚の宣伝にこれ努めた結果、一気に次代の国防委員長候補筆頭にのし上がることに成功したのだった。

 

 同じく冒険の結果、死にかけたヤンの方は特に褒章はなかった。逆に処分もなかった。

 市民を守るのが軍、そういう建前だからなのだが、それだけではなかった。

 

 

 

「少佐……本当にそれでいいのかね」

 

「はい。自分は元々、退役するつもりでした。就職先も決まっています(嘘)。ですが、ちょっといろいろありまして、軍がお節介を焼きたがるので。何もない方がいいのです」

 

「……君が本当にそう思っているなら、それでいいが。だが、褒賞は受け取っておいたほうがいいと思うのだがね」

 

「いいのですよ。公僕は市民に奉仕する、それでいいのです。それに、これ以上昇進しても、自分の身の丈に合いません」

 

「ならば、国防委員会から通達を出すことにしよう。士官のキャリアプランについては、本人の希望を尊重するように。それだけ書けば効果があるはずだ」

 

「有難くあります」

 シャトルの中でヤンとトリューニヒトが交わした約束がそれだった。まぁ、SPが殺害された治安警察と、護民のヒーロー憲兵隊、という図式となれば、治安警察と憲兵隊のしこりはより大きなものになったろうから、その点でも都合が良かった。 

 

 

 

 今日は、新年になってから初めてのまともな休日である。土日返上で新年このかた二週間を過ごしてきたが、ヤンにとっては、今日こそが新年、その始まりだった。というわけで、ヤンは一人きりの新年を祝おうとしている。テーブルにはスパークリングワインが一瓶、そしてシャンパングラスが一つ。リビングボードには、それまで倉庫の中に埋もれていた万暦赤絵が埃を払って置いてある。ヤンが探し出したものだった。

 

 ヤンはワインの栓を抜き、シャンパングラスに注いだ。そして、グラスを掲げる。

 

「では、ヨブ・トリューニヒト氏に二回万歳をしよう。一つは、私のキャリアプランの実現支援のために。そして二つ目は」

 

 ヤンはスパークリングワインのラベルを見つめた。惑星カッシナで生産される最高級のスパークリングワイン、手に入れようと思ったら1本200ディナールは下らないだろう。トリューニヒトの秘書ズの一人が、わざわざヤンの官舎を訪れ、押し付けるように置いていったものだ。

 

「このスパークリングワインに。アッテンボローよ。これは独占させてもらうよ」

 

 ヤンは、スパークリングワインを一息で飲み干した。

 

「だが、万歳は二回で十分だよな」

 




 次回予告

 ヤンは憲兵隊本部から極秘の捜査依頼を受ける。内容はとある士官の汚職調査である。しかし、捜査対象者が問題だった。対象は、ヤンの旧友ジャン・ロベール・ラップだったのだ。

第五話「エリート士官と下水道」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。