<1>
「ほら、こちらがジャックで、こっちがジャンヌだ」
男がヤンに写真を見せた。二人の赤ん坊が写っている写真である。
「わかったわかった」
ヤンは見飽きたと言わんばかりに嘆息して答える。
「わかってないだろ。わかっているなら、どっちがジャックだ」
ヤンは左側を指差した。たちまち男の表情が曇っていく。
「ヤン~~~さっき説明したばかりだろう」
「いや、だからといって、生まれたばかりの子供の見分けなんかつかないぞ。ラップは何で分かるんだよ。着ている服だって一緒じゃないか」
「そんなの見ればわかるじゃないか。いいか……」
三月某日、エル・ファシル・シティの繁華街のバルで、ヤン・ウェンリーとジャン・ロベール・ラップは杯を酌み交わしていた。ラップはハイネセンからエル・ファシルまで長期出張でやって来ているのだった。早い話が二人だけの歓迎会である。
士官学校のルームメイトで、なおかつ階級も同じ少佐同士(但しこれから昇進の可能性もあるラップと違って、ヤンの場合は打ち止めが濃厚である)、積もる話は沢山あるし、遠慮もいらなかった。
ただ、今のラップを相手にすると、どうしても話題は生まれたばかりの子供のことになってしまう。ジェシカ・エドワーズと結婚して2年、待望の第一子と思ったら出産したのは双子だったのである。男の子と女の子の二卵性双生児で、それぞれジャックとジャンヌと名づけられたのである。
待望の子供となれば、大抵の親は親馬鹿を発動するものであるが、それでもジャン・ロベール・ラップの親馬鹿ぶりは常軌を逸しているのではないか、そういう評判だった。実際、ヤンの元に毎日写真を送っては、今日はこれがあった、あれがあったと報告する始末である。どうやら、ヤン以外にもそうしている人がいたらしく、後でそのことに気づいたジェシカ・エドワーズ(本当はジェシカ・エドワーズ・ラップなのだがこう書く)本人から丁重な謝罪が来たほどであった。以後、毎日写真が送られることはなくなった。一週間に一度は来るのだけど。
子供はおろか、結婚の予定もないヤン・ウェンリーとしては、なんで人はああも変わるのか、それが不思議でならない。ヤンとしては、あそこまで大変なら、産休とかそういうのを粗略に取り扱うことはできないなぁ、そういう風に(ビジネス方面に)考えるしかない。
「しかし、そんなに可愛いなら長期出張なんて嫌だったろうに」
「そうだよ、その通りなんだ。」
涙目になるラップ。そんな感情を表に出さずとも、そうヤンは思ったが口には出さないでおいた。
「遠隔通信で何とかならないか考えたんだが、こればかりはどうもな。監査はリモートではできないよ」
今回のラップの目的は、惑星エル・ファシルに建設する新工場の監査、ということらしい。本格的な生産が始まる新装備(詳細は教えてくれなかった)の生産ライン立ち上げ状況を監査に来た、ということだった。監査のスケジュールは向こう一か月まであるらしい。ハイネセンとの往復を考えると、二か月近く自宅を空けなければならない。
「ジェシカ一人では大変だろう。一人ならともかく二人だぞ」
「ジェシカの母親が手伝いに来てくれることになっている。助かってるよ」
「軍人一家のメリット、ということかな」
宇宙軍に勤務するとなると、長期にわたって家を空けることは日常茶飯事である。二か月ならまだ短い方だと言わざるを得ない。酷い時だと家を出てから帰るまで半年かかることすらある。
軍の宿命ともいえる話だが、これが宇宙艦隊勤務の不人気の大きな理由だから、首脳部としては頭の痛いことである。ジェシカの父親は士官学校の事務長だから、そこらへんの事情は知悉しており、父母がなにくれなく世話を焼いてくれるのである。そうでなくとも初孫というのは可愛いものなのだけど。
「宿舎の方は、ちゃんと準備しておいたと思ったんだけど、どうだった?」
「ああ、申し分ないな。感謝しているよ」
ラップがエル・ファシルに滞在する間、軍の出張者用宿舎に寝泊りすることになる。民間のホテルとは違って、こういう宿舎は当たり外れが激しい。ヤンはラップが来るにあたって、なるべく状態のいい宿舎を手配したのである。
「今は艦政本部で装備品の取り扱いをやる仕事をしているけど、これが終われば転属だろう。いつまでも金の取り扱いをしているわけにはいかないからな」
軍に限らず、外に注文を出す仕事をしている人間は、いつまでも同じ仕事をすることはない。発注先との癒着が生まれるからである。ラップも、次の転属先について、裏でいろいろ交渉しているはずだった。なるべくハイネセンで勤務できる仕事がいいなぁ、ヤンはそう思っていた。
「まぁ、仕事の話などつまらんつまらん。話を元にもどすことにしよう。それでな、出発前に宇宙港でな、ジャックが……」
翌日、ヤンはいつものように憲兵隊本部で勤務していた。宇宙歴796年とは違って、797年は立ち上がりこそ大騒動があったものの、それ以後は概ね平穏に過ぎている。年末年始とは違って、上層部も退役を撤回しろだの転属しろだの言うことはなくなった。トリューニヒトが出した通達が効いているのだろう。ヤンとしてはありがたかった。
今後のビッグイベントとしては、まずは五月にある建軍祭、それが終われば新年度に向けての予算編成に関するあれこれとなる。それが終われば士官学校を卒業して十年が経過する。そうなれば、軍人恩給の受給資格を手に退役ができるわけだ。夜学で聴講している大学の卒業資格ももらえるはずで、新たな人生の第一歩、それを踏み出せることになるはずだ。
課員の表情も心なしか緩んでいる、ヤンにはそう感じられた。去年から今年にかけて、ヤン自身は向こうからやってくる難事件に振り回されているばかりだった。振り回されるのは課員も同じで、ヤンとしては迷惑をかけて申し訳ないという気分で一杯だった。
コミュニケータが着信を告げる。ヤンはレシーバーをOnにすると通信を開始した。しばらくして通信を切断すると、席から立ち上がった。
「課長、どちらへ」
第三課の女性職員がヤンに聞いてきた。どうやら、決済を求める案件があったらしい。
「ああ、来客だ。多分、一時間もしないで戻るだろう」
ヤンはそれだけ言ってオフィスから出ていった。
憲兵隊本部の会議室には、既に人が居た。
「総務部企画第三課、ヤン・ウェンリーであります」
指令室に入ったヤンは、入るなり敬礼した。来客の階級章は大佐であるから当然のことだ。
「憲兵隊本部内部調査室、エベンスだ」
エベンスが握手を求めてきたのでヤンは応じた。同時に自己紹介データグラムが送信されてくる。装着したスマートデバイスが握手を検知し、自己紹介データグラムを交換するのは一般的な機能である(もちろん、それ以外のやり方で交換する、送信することは可能であるが)。
内部調査室というのは、憲兵隊の中でも極秘調査を担当する部署として知られている。同盟軍の中に潜む問題がないか、常に気を配り、事前に芽を摘み取ることが任務だ。特に、
「ああ、座り給え」
エベンスがそう勧めてきたのでヤンはソファに座った。すぐに事務員が入ってきて、コーヒーを配ってすぐ出ていった。エベンスはコーヒーを一口すすると切り出した。
「君の噂は聞いている。新戦艦の件、お手柄だったじゃないか」
「トリューニヒト議員に多大なご協力を頂きました。民間人の護り手としてはお恥ずかしい限りです」
「謙遜するな。もし、トリューニヒト議員に何かあったら、騒動どころでは済まなかった。軍全体に波及する話だった」
「恐れ入ります」
それだけ言うとヤンもコーヒーをすすった。別にコーヒーが飲みたかったわけではない。それ以外で会話を「切る」方法を思いつかなかっただけだった。
「ところで、君は今年の夏で退役する予定だそうだね」
「その通りであります」
「惜しいことだと思うがね」
「ありがとうございます。ですが、決めたことですので」
ヤンはなるべく無礼にならないように応対する。会社であろうと軍隊であろうと、円満な退職というのはそれなりに大変なものがある。
「まぁそれは仕方のないことだ。だが、今回はその君の才能を見込んで、とある調査を依頼しに来たのだ」
「調査?」
ヤンは聞き返した。
「そうだ。内部調査室では、軍の内部で汚職が行われている可能性を掴んでいる。それも大規模な可能性がある。少佐には、その一部について、調査を行ってもらいたいのだ」
「あ、あの」
ヤンはおずおずと聞いた。
「何だね」
「失礼ですが、おっしゃっている意味が分かりません。汚職や組織犯罪であれば、捜査部捜査第三課の職分ではありませんか。当課は総務部企画第三課です」
「問題ない。これは極秘の調査依頼だからだ」
当然のことだとばかりにエベンスは言う。
「極秘?」
「まだ容疑が完全に固まっていない状態、ということだ。しかし、時間をかけてもいられない。察知されて証拠を隠滅されてはかなわないからな。だから少佐に調査を依頼するのだよ。こちらの調査資料を送る。これを参考に調査を実行してくれ」
ヤンはエベンスからデータを受信した。ファイルを開く、しばらく中身を眺めてはっとした。
「こ……これは……本当なのですか」
「我々が嘘をついているとでも思うのかね」
エベンスはヤンの言うことを先回りした。
「いや。ですが信じられません……ジャン・ロベール・ラップが汚職に手を染めているなどとは」
資料の概要欄には、軍が発注する施設の見積価格を業者側に漏洩し、バックリベートを受け取る汚職が行われており、容疑者としてジャン・ロベール・ラップの名前が挙がっていたのである。
「少佐がそう思うのは無理もない。だが、事実は事実だ」
エベンスの口調は淡々としている。
「ですが、ジャン・ロベール・ラップは汚職をするような男ではありません。士官学校では率先してリーダーシップを発揮し、最近子供が二人生まれたばかりです」
ヤンはそう反論したが、頭の中では反論になっていないな、と思う。
「士官学校でリーダーシップを発揮すれば汚職はしないのかね。子供が生まれれば汚職はしないのかね。第一、君は卒業してからのジャン・ロベール・ラップをどれだけ知っているのかね」
「それは……」
ヤンは口ごもる。中の下の成績で卒業し、憲兵として辺境星域のドサ回りをやっていたヤンとは違って、統合作戦本部に配属されたジャン・ロベール・ラップはまさに別世界の住人である。艦政本部所属で、新装備関連を取り扱うプロジェクトメンバーとして勤務するラップは、まごうことなきエリート士官だ。
「人生というのはいろんな分かれ道がある。ある時ふと道を誤り、戻れなくなることは十分あり得る。君も憲兵勤務なら分かることだろう。それに容疑者はここ、エル・ファシルに出張している。決定的な証拠を掴む絶好のチャンスだ」
「ええ。ですが……」
「ならば少佐、予断を持たず捜査にあたるべきだ。事実は常に一つ、そうであろう」
エベンスはヤンに反撃の隙を与えず、押して押しまくっている。
「……一つ質問させてもらっていいですか」
「何だ」
エベンス大佐は早く言えと態度だけで示した。
「何故、私なのですか」
ヤンの声はかすかに震えていた。理由は言わずもがなだが、エベンスはそれに斟酌する気はないようだった。
「ヤン少佐がジャン・ロベール・ラップと同期、それもルームメイトであることは知っている」
「ならば何故ですか。士官学校同期の紐帯は永遠、大佐もそれは御存知でしょう。さらに言うと、ルームメイトの絆は自分達だけでなく、家族同士も巻き込んで続くものだと、そう教えられました。今も昔も同じはずです」
「だからこそだ。これはチャンスでもある」
エベンスはそう断じた。
「ジャン・ロベール・ラップはあくまで入口、取っ掛かりに過ぎない。こちらは、もっと大規模な汚職の可能性を追っているのだ。こちらで情報を入手し次第、少佐にも提供する。少佐も何か掴めたら、細大漏らさず報告してもらいたい。調査内容次第では、司法取引だって選択肢に入ってくる。そうではないか」
「だからこそ、ルームメイトを裏切れと」
「裏切るのではない。救うのだ」
エベンスの口調はあくまで上から目線だ。まるで他の選択肢はないぞと言わんばかりに。
ヤンはもう一つ質問しようとして止めた。ヤンの中では既に結論が出ているのである。
<2>
「うーん」
ヤンはオフィスで、エベンスから渡されたデータを眺めていた。データは主に、ラップが扱っている発注案件の情報と、過去の統計データとの比較、後はラップの通信記録やら、民間会社の人間の面会記録やら、そんなところである。もちろん、データはエベンスによって取捨選択が行われている。
「しかしこんなもので」
何が見えてくるのか、ヤンは疑問でならない。もちろん人間の社会であるから、不正や汚職と軍が無縁であるとは言わない。だが、このような不完全な情報で汚職を暴き出せるかというとそれはないだろう、と言わざるを得ない。汚職を摘発する一番の方法は、内部からの告発であるというのが常識だ。次いでは(できれば抜き打ちで行う)内部監査となる。今のヤンができることといえば、その「内部」に切り込むためのとっかかりを探し出す、それぐらいである。
「でも、ならば自分がやる必要はないんだよなーー」
ヤンは紅茶をすすりつつ呟いた。エベンスは何を考えているのか、それがヤンには見えてこない。まさか、ラップに直接聞くわけにもいくまい。やぁ、君に汚職の嫌疑がかかっているんだけど、僕に真相を語ってくれないか。ルームメイトだろう?
ヤンは再びデータに目を落とした。グラフを見る限り、ここ最近、発注案件の落札価格と軍の想定した最低入札額との差分がかなり縮まっている。
最低入札額とは、発注する側(この場合は同盟軍)が内部で見積もっている価格である。例えば、ある製品を軍が民間企業に発注するとしよう。入札する企業は、それぞれ〇万ディナールだとかなんだとか金額をつけて入札するわけだが、それと並行して、軍は内部で見積もりをする。この製品を製造するなら最低でもこれだけの値段はするだろう、そう考えるのである。そして、その内部見積価格以上で、一番価格が低い企業が落札、となるわけだ。
見積をするのは、
この見積価格は当然ながら極秘である。だが、この価格を事前に知っていれば、企業側としては極めて有利に入札ができることになる。だから、この情報をラップが漏洩したのであれば、企業から何らかの見返りを得ることは十分に考えられる。
ヤンはリストにある企業の名前を読んでいった。ハイネマン・インダストリィ、ジェイドメタル・インダストリィ、ディアブル・アビオニクス、ゼンダー……軍にいなくとも、工業の世界で働いているなら、いずれも聞いたことのある大企業ばかりである。一般的なイメージとは違って、大企業ほど汚職に縁が遠いものだ。内部が官僚的、というのは逆に言うと内部統制がしっかりしている、ということである。
「漏洩案件なら、確かに汚職なんだ。漏洩しているなら、ね」
そう、そこである。軍想定の最低入札額を入手することができずとも、推測することはできる。過去の入札情報は公開されているから、経験のある人間なら、次の入札はこれぐらいで、という数字をはじき出すことは十分できるはずだ。つまり、これだけでは汚職の証拠になどならないのである。
一体エベンス大佐は何を考えているのかーー
ヤンは考える。専門的な調査能力を持つ人間は沢山いるのに、わざわざ容疑者のルームメイトに話を持ち込む理由、それは、調査情報を容疑者に漏らすためにやる、というのが合理的な考え方だ。情に絆されたルームメイトが、容疑者にそれとなく情報を漏らす。はっきり言わなくても、何か疑われているという情報を容疑者に伝えるわけだ。そして、容疑者が通常と異なる行動パターンに出たら、それが貴重な調査情報となる。
今、ラップにも監視がついているのだろうか。もしかしたら自分にも。
ラップが何をしているのか、監視されているのか、それができるほどヤンは暇ではないし、そんなことに使える人員はいない。ただ、自分に監視がついている可能性は高くないだろう、ヤンはそう思った。エル・ファシルの憲兵隊が動いているならともかく、外部の人間が動いているなら、エル・ファシルの憲兵隊の方が先に気づくからだ。となると、自分が何を期待されているのか、それ次第で次の動きが決まることになる。
「エベンス大佐を突っついてみるしかないかーー」
ヤンは独り言を言って、コミュニケータを手に取った。
「動きはなしかね。怪しい所も無しか」
一週間後に会ったエベンスの口ぶりは、人を馬鹿にしているようだった。どうやら向こうは、時間をかけたんだから、それらしい成果を期待していたようだった。
「はい。もちろん、頂いた資料については精査致します。ですが、資料ではあたりをつけることはできても、決定的な証拠を押さえることはできません。容疑者が動かないと証拠は得られない、基本中の基本です。帝国ならともかくーー」
「あー、ジャン・ロベール・ラップを監視するのであれば極秘にやってもらいたい。特にヤン少佐、貴官が独自に動いている、そういう体でやってもらいたいのだ」
「??内部調査室は監視をしていないのですか?折角の機会のはずなのに、容疑者を自由に泳がせてそれに任せていると?」
「そうではない」
エベンスは慌てて言った。
「無論、調査はしておる。だが少佐、最初に言ったように、この問題は想像より大規模、そう見られておる。だからこそ、慎重に事を運ばねばならん。それはそうとーー」
「何でしょうか」
「少佐。こちらで調査を続けているのだが、新たな人物が捜査対象として浮かび上がった。少佐は、マッツ・フォン・クラインシュタイガーという名前に覚えはないか?」
マッツ・フォン・クラインシュタイガーーー
もちろんヤンは知っている。クラインシュタイガーは帝国風の姓を持っているが、生まれも育ちも自由惑星同盟である。クラインシュタイガーの祖先が同盟に亡命したのは、ダゴン会戦の直後だと言うから、所謂「亡命者第一世代」の子孫ということになる。ヤンやラップと士官学校の同期にあたり、卒業成績もヤンに比べればずっと良かったはずだ。
熊のような巨体と赤土のような髪からは想像しがたいが、クラインシュタイガーは計数に明るく、趣味も料理と、およそ外見からはかけ離れている。
実はヤンもラップもクラインシュタイガーとは付き合いがある。士官学校時代、クラインシュタイガーには知り合った女性がいたのだが、プレゼントを送りたいと考えていたのだった。それもクラインシュタイガーらしく、自作の菓子を作って送るということだったのである。ヤン、ラップ、そしてジェシカ・エドワーズは、レシピを研究したり、試食に付き合ったりといろいろ骨を折ったものである。
そういった努力の甲斐あってか、クラインシュタイガーはなんと士官学校卒業直後に、その女性とゴールインしたのである。今でも、妻のジル・フォン・クラインシュタイガー(旧姓フォン・ロイポルツ)含め、交流がある。特にジェシカ・エドワーズとジル夫人とは親しくやっているとのことだった。
クラインシュタイガーはフェザーンとの船舶の取引、その作業に従事している。フェザーンは通商による利益で生きる国家だから船舶の需要は常にある。だが、軍が取引に介入するのはフェザーンというよりも、その背後にいる帝国がメインターゲットだ。フェザーンを経由して、二つの帝国に船舶を供給することにより、内戦の泥沼化を維持しようとしているのだった。
そのクラインシュタイガーに嫌疑がかかっている。輸出した船舶を書類とは別の相手に転売しようとしている、ということだった。もし事実なら汚職とかそういうレベルではない問題となるが……
「書類のミスなんじゃないかなぁ」
ヤンは提示された資料を見ながら思う。ヤンも管理職だから、手慣れていない仕事や取引先と仕事をする時、書類を取り違えてしまうこともある(部下のミスも含め)。そういうのが周囲に明るみになると、しこたま怒られるからあまりやりたくないミスではあるが、クラインシュタイガーの嫌疑とやらも、そのレベルなのではないか、そう思えてならない。少なくとも、エベンスがこの程度の情報で嫌疑と言い張るのは何なのか。
「どうも、問題がすり替わっているような感じがする」
ヤンはつぶやく。同期で、ヤンからするとそれなりに親交のある二人に降ってきたスキャンダル。問題は、三人共に付き合いがあるということだ。単に偶然が二つ重なった、というわけにはいかない。何か裏があることを考えなければならない。
「話してみるしかないか……」
「よぅ、ヤン。お前から通信してくるとは珍しいな。どうした」
FTL通信の向こう側では、クラインシュタイガーが快活な笑顔を見せていた。クラインシュタイガーもハイネセン在住である。お決まりの世間話を一通りした後、ヤンは切り出した。
「ところでクラインシュタイガー。ラップのことなんだが……何か接触してきたとか、そういうことは」
「おいおいヤン。接触ってなんだそりゃ。憲兵用語か。ラップならいつでも接触してくるさ。一週間に一回、アレを送ってくるだろう。そういえば最近送ってこないな。あ、そうか、出張してたんだな。それもご丁寧に。ともかくあいつの親馬鹿にはしばらくつきあわなければなるまいよ。で、どうした?それでいいのか」
「あ、いや、ううん……」
ヤンとしては、会話の主導権を握られるとどうにもやりづらい。何かを秘密にしつつ、その秘密に関わる情報を聞き出すというのは高等スキルであり、ヤンはそういうものを有していない。
「何だ、その奥歯に物がはさまったような言い方は。ははーん、お前さん、何か隠しているな」
「あ、いや……」
ヤンは背筋を震わせた。まさか、クラインシュタイガーにこちらの調査のことがばれている?
「その感じだと……そう!ジェシカに出産祝いを贈り忘れたんだな。駄目だぞ。ああいうのはタイミングが重要だってジルも言っている。何でもいいからすぐ贈るんだ。いや、何でもというのも駄目だな。どうだ。ジルと話をしてみるか?」
「あ、いや、いいんだ。それは自分で考えるから。ところで、仕事のことなんだが」
「仕事?折角休みの日に通信してきたと思ったら仕事の話かい。勘弁してくれよ」
クラインシュタイガーは嫌そうな顔で応じる。
「こないだも、書類のミスで会計に散々絞られたんだ。まぁ、会計が悪いというよりもフェザーンが良くない。よく分からない、似たような取引先が山ほどあってな、あれじゃ間違えない方が不思議だ。うちだって部下が気づいてくれなけりゃなぁ……」
その後は仕事の愚痴を散々聞かされることになった。肝心の話は聞くことはできなかった。全く期待してはいなかったが。
三日後ーー
「それで、クラインシュタイガーも空振りかね」
エベンスの顔は苦虫を噛み潰したようだった。
「はい。クラインシュタイガーの動きに不審なところはありません。頂いた情報に、不審な点は何か所かありますが、いずれも単純ミスというものでしょう。どうとでもなります」
「つまり、クラインシュタイガーに後ろ暗いところはないと」
「こちらで調べる範囲は、です」
そんなに怪しいならお前が調べてみろ、ヤンはそう言いたかったが言わないでおいた。やはり気になるのはジャン・ロベール・ラップである。何故、彼が最初のキーマンなのか。
「まぁいい。調査を続行してくれたまえ。だが、手を抜くんじゃないぞ。事態は深刻になりつつある。新たな調査対象が出てきた」
エベンスがデータを送信してきた。中身を見たヤンは、思わず目を見張った。
「ワイドボーンねぇ……」
ヤンは頭を抱えた。ヤンの同期でワイドボーンの名前を知らない人はいない。卒業生総代(首席)で十年に一人の逸材と言われた人物である。もちろん出世も早く、現在は階級は大佐、統合作戦本部で対帝国の防衛計画立案に従事しているらしい。それも、防御基地の設置業務を受け持っているということだった。ヤンやラップと比べると責任は段違いにでかい。
ただ、このレベルになると、小手先で書類を誤魔化して金を掠め取るということなどできない。というわけで、資料では、防衛基地の設置に便宜をはかり、リベートを受け取っているという内部通報がある、と書いてある。
「内部通報があるなら、自分で調べりゃいいじゃないか」
ヤンはぼやいた。ラップ、クラインシュタイガーもそうだが、ワイドボーンとなると格が違う印象だ。ワイドボーンにスキャンダルが出るとなると、軍内部の問題では済まなくなる。動くマスコミの数も違うだろうし、仮に逮捕となると国防委員会も出張ってくるだろう。自分に調査させることに意味があるとは思えない。
第一こんなあやふやな情報で、部外者の自分に何ができるのか。いっそやめてしまおうか。そうも思ったが、乗りかかった船となればしょうがない、とも思うのだ。
「もう、これは思惑に乗るしかないか。あまりやりたくはなかったが……」
「ヤン・ウェンリーか。久しぶりだ。体調はどうだ、風邪なんかひいてないだろうな」
ワイドボーンの多忙さを考えると、どうでもいい同期生の一人ひとりに構っている暇などないわけで、コンタクトを取るのも困難だろう、ヤンはそう思っていた。あにはからんや、ワイドボーンはあっさりこちらの通信に応じてくれた。
「ああ、突然の話で済まない。実は……」
「だろうな。憲兵が出てくるとしたらいつも突然だ。それで何の用だ?」
おや。ヤンは首をかしげた。もっとぞんざいに扱われると思ったらそうではないのだ。まるで、こちらが出てくるのを予感しているようだ。そんな感じなのだ。
「いや、ちょっとジャン・ロベール・ラップの件でな。知っているだろう?」
まだワイドボーンに嫌疑が及んでいることは言わない。
「ジャン・ロベール・ラップ?ああ、もちろんだ。艦政本部にいるんだろう?」
ヤンは舌を巻いた。さすが首席様となると、見どころのある同期ぐらいはちゃんと動向を把握しているということか。
「ちょっと、ラップの件で調査している」
「ラップ?何を調査しているか知らんけど、俺は何も知らんぞ。何を聞かれても答えることは何もない」
ヤンがそう言うと、ワイドボーンはあわてて言った。やはり、ワイドボーンは何かを待ち構えている。ヤンはそう思った。
「いや、何か思い当たることはないのか。例えばーー」
「知らんな。それはそうとーー」
ワイドボーンの返答はにべもない。
「こないだハイネセンの同期が集まることがあったんだが、貴様の話も出ていたぞ。そのうち昇進してハイネセンに来るんじゃないか、そう言っていた」
「昇進?」
ヤンは聞き返した。
「エル・ファシルで随分と活躍しているそうじゃないか。例の新型戦艦の件、マスコミは無視しているがこちらでは評判だぞ。このままやっていれば、昇進もすぐだろうさ」
「いや、そのつもりはないんだが」
「は?」
ワイドボーンは意外そうな顔をした。
「もう昇進することはないんだ。今年度末(8月)で退役することになっている」
「ならば何故……いや、何でもない」
ワイドボーンが言葉を濁した。ヤンの中に何か閃くものがあった。
「ワイドボーン、何か知っているなら言ってくれ。私のためじゃなくて、ジャン・ロベール・ラップのためだ。お願いだ」
「俺は何も知らん」
ワイドボーンは何かを知っている。ヤンは確信した。だが、守りに入った相手を崩すのは簡単にはいかない。もうこうなったら、懐に飛び込むしかないのか。
「実はこれを言うのは止められていたんだが、調査のリストにワイドボーン、君も入っている」
「なっーー」
聞かされたワイドボーンは絶句した。
「ワイドボーン。君がそういう反応だということは、どうもそちらではこちらの想像もしない事態になっているということだな。ならば、ますます協力してくれ。どうやら、自分と君、どっちも想像していない事態が進行している。そういうことなのかもしれない」
しばらくワイドボーンは黙ったままだったが、やがて口を開いた。
「言っておくが、これは他言無用だぞーー」
<3>
「どうしたんですか?」
ヤンに手招きされ、会議室に入ったラオはそう言った。窓もブラインドを下げて、薄暗くなった室内に、ヤンが一人で座っている。机の上には、A4サイズの紙が一枚置いてある。それを見てラオは顔をしかめた。ヤン・ウェンリーとよく分からない紙、それに散々振り回されているから当然の反応だ。
「ああ、これは別に怪しい紙じゃない。私が書いたんだ」
「まったく……噂になってますよ。今度は何に首を突っ込んだんだって。名探偵ヤン・ウェンリーとか呼ばれてるの、知ってるでしょう」
「知ってるさ。もちろんいい意味じゃないこともね」
「で、何ですか、これ。”EOWS”?」
紙には、太字のペンでEOWS、それだけ書いてあった。
「大尉はこのEOWS、何か知っていることはないか。ウェブで調べようと思ったんだが、検索してもろくに痕跡が残ってないんだ。活動を停止してかなり時間が経つんだろうな。情報の消去も念入りにやっている」
「活動?政治団体ですか?」
「たぶん」
ヤンはそれだけ言った。
昨日のワイドボーンの告白は衝撃的なものだった。どうやら、ラップ、クラインシュタイガー、ワイドボーンそれだけではなく、同盟軍の中堅士官、それもヤン達と同じぐらいに士官学校を卒業した士官に、同時に調査が行われているらしかった。おかげで、ハイネセンでは誰もが疑心暗鬼になっているらしい。憲兵であるヤンから通信が来たことで、憲兵隊方面の情報を引き出そうとワイドボーンは思っていたらしいのだが、思ってもみなかった嫌疑に仰天したとのことだった。
「最近はなぁ。軍への風当たりも強いからなぁ。恩給に関しても削減すべきだって声が強くなりつつある。ヤン、お前にも関連する話じゃないのか」
「それはそうだが……」
「後は妙な噂を聞いているんだが……調査対象になっている士官に接触している連中がいるらしい。いや、連中かどうかも分からん。向こうはこっちを知っているらしいが、正体が分からんのだ」
「何かが起きている。何かは分からんが」
ワイドボーンが伝えてきたのは、EOWSの四文字。どうも、メッセージの署名欄にそれだけ書いてあるらしいのだった。
「EOWS……なんでしたっけねぇ。どっかで聞いたことがあると思ったんですけど」
ラオはしばらく首をひねった。ふと何か思いついたのか、手を叩く。
「そうだ。
「仮想史?」
「ほら、前に流行ったことがあったでしょう。歴史のIFを想定して、その後の歴史を想像するってやつ。あ、あれは単にEoWか。エンド・オブ・ザ・ウォーって本がありませんでしたっけ」
「それを採用するとして、エンド・オブ・ザ・ウォー・ソサエティってことか。仮想史といえば確かに流行っていたな。10年ぐらい前か」
「ですね。課長がまだ士官学校に居た頃でしょう。そうそう。銀河帝国に生まれた一人の男子が軍に入って戦功を挙げて、いつの間にか軍のトップになって南北朝を統一する、って奴ですよ。コミックやドラマにもなりませんでしたっけ」
「ああ、あったなぁ」
「そうそう。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを想像させると言って騒動になったんですよね。で、作者がその通りだ、でも、お話の中なら自由だって記者会見で言って、それでさらにヒットしたんですよ。課長もお好きなんではないですか?歴史、好きでしょう?」
「ああ、いやー。そういうのは好きじゃないんだよな」
ヤンは頭をかいた。
「どうして?」
ラオが怪訝な顔をして聞く。
「なんというか、人が歴史を変える、という考え方が私にとっては合わない、というか」
「そうなんですか?」
「だってさぁ。人はテクノロジーを進化させてきたけど、それを使って火山を噴火させないようにしよう、とは思わない。ハリケーンを消滅させよう、とも思わない。せいぜい火山の近くに住まないとか、川に堤防を作るとか、その程度だよ。それに歴史を変えると言っても、その人が思うように歴史をコントロールできるか、というとそうはならない例がほとんどだ」
「そんなもんですか」
「まぁ、でも歴史のシミュレーションというのは一種の沼のようなものだよ。歴史を紐解けば紐解くほど、奥深さが分かってくる。でも、あれはいいや。何というか、派手過ぎる。まぁ話を戻すとして、確かに宇宙歴780年代後半、仮想史は流行ったよな。確か、帝国の南朝が北朝を押しまくっていて、このままだとオーディンが陥落するんじゃないか、そんなことまで言われていたよな」
「そうでしたっけ」
「そうそう。『出口戦略』とか、流行語だったよな。帝国の再統一が為った場合、どうやって帝国を打倒するか、そんな話もいろいろ出たもんだ。結局、すんでのところで北朝が攻勢をしのぎ切って、膠着状態に逆戻りするわけなんだが」
「あー。そうでしたっけ」
「まぁ、こちらとしては助かったよ。帝国との戦争が再開、なんてことになったら自分も大尉も前線に出なきゃいけなかったろうな。戦艦と一緒にあの世行き、なんてことになってたかもしれん」
「そうですねぇ。で、エンド・オブ・ザ・ウォー・ソサエティ……どっかで聞いたなぁ。どこでしたっけ」
「そうなんだよ。そう言われれば聞いたような気がするんだ。ワイド……おっと失礼、情報提供者も、どこかで聞いたとか言ってたんだ。でも、思い出せないんだよ。どこだっけなぁ」
ヤンは貧乏ゆすりをするが、だからといって閃くわけではない。
「課長と自分が聞いたことがあるなら、士官学校がらみじゃないですかねぇ。自分は確か、課長の二期後ろですから、同じ体験をしててもおかしくないです」
「士官学校……待てよ、そうか!それだよ!!」
ヤンは椅子から飛び上がると、ラオの両手をがっしりと掴んだ。
「確かにそうだ。そこから当たってみる。大尉、この借りは必ず返すから。じゃ、仕事に戻ってよろしい」
ラオは肩をすくめると、会議室を出ていった。別に借りはいいから、課長の仕事を押し付けないでくれればいいんですけどね、と呟きながら。
三日後ーー
ヤンは官舎で腕組みをしながらうなっていた。今日は休暇を取って、一日中官舎にこもっている。目の前には大きな紙が広げられている。その紙には沢山の人名と矢印、そして書き込みがある。ヤンが作ったものだった。紙の周囲には、プリントアウトした紙が散らばっている。
ヤンは紙に何やら書き込みながら、×をつけ、別のところに何やら書き込みながら×をつけることを繰り返している。紙が真っ黒になったらそれを放り投げ、再度書き込みを始める。それをもう三度繰り返していた。
「EoWSか……確かにここから始めなければならない。あれは偶然じゃない。そう思うべきだ。だが……」
ヤンは端末を手に取ると、軍のDBにアクセスした。休暇中の仕事など、それまでのヤンからしたら考えられないことだが、今は仕方のないことだ。
ジャン・ロベール・ラップの汚職に関する疑惑ーー
マッツ・フォン・クラインシュタイガーへの嫌疑ーー
マルコム・ワイドボーンへの嫌疑と、そこから出てきた新情報。謎の組織EoWSーー
最後に、士官学校のデータベースから出てきた意外?な名前ーー
調査のかいあって、何とか真相らしきものは掴みかけている。だが、それだけでは足りない。ラップの汚名返上となるかどうか、そして、ラップに汚名を着せた人間を撃破できるか、そこが肝心だ。取り逃がしてしまっては意味がない。この場できっちりと落とし前をつけてもらわないとならない。
やはり話をしなければならないか。
ヤンは、ソファに放り出していたコミュニケータを手に取った。
「ラップか。ヤンだ。実は折り入って話があるんだが……」
翌日ーー
「ということは、間違いないのだな」
締め切った会議室の中で、エベンスは確認するように言った。
「はい。間違いありません。ジャン・ロベール・ラップについては容疑が固まりました。新型装備の立ち上げにおいて、取引先のジェイドメタル・インダストリィ、外商部のヒーバート氏と、何らかの合意に達した模様です。今日または明日にジャン・ロベール・ラップの銀行口座に一万ディナールの振込が行われるとの情報、入手しました」
ヤンの表情は微動だにしない。少し青ざめているようにも見える。
「そうか。お手柄だった、少佐。しかし、少し前まで手がかりも見つかっていなかったようだが」
「状況が変化しました。ラップにそれとなく自首を勧めましたが、拒否されました」
ヤンはそれだけ答える。
「そうか。分かった。少佐、本当にいいのだな?ラップ少佐は士官学校で君のルームメイトだったはずだが」
「おっしゃっていることの意味が分かりません。それに、これはルームメイトを売るのではありません」
ヤンの声は抑揚がなかった。
「救うのです。ジャン・ロベール・ラップを。今なら、まだやり直せる」
<4>
二日後ーー
ジャン・ロベール・ラップはいつものように6時半に起床した。エル・ファシルでの業務は概ね順調ーーと言いたいところだが、監査で発見したトラブルとその対応のため、設定した予備日がもう尽きかけている。日程をずらすことは無理な相談なので、無理矢理にでもスケジュール通り監査を進めるしかなかった。
シャワーを浴び、髭をそり、制服に着替えた上で、さてこれから朝食ーーというところで、宿舎のドアが荒々しくノックされた。
ラップは不審に思いつつもドアを開けると、いきなり外から一人の人間が入ってきた。
「ジャン・ロベール・ラップだな」
「……お宅は?」
「憲兵隊内部調査室のエベンスだ。ジャン・ロベール・ラップ少佐、貴官をジェイドメタル・インダストリィとの収賄容疑で逮捕する」
「収賄?一体なんのことだ」
「口のきき方に気を付けたまえ、少佐。申し開きは取り調べの時にやってもらおう、とにかく来るんだ」
エベンスはラップの右腕を掴み、手錠をかけようとした。
「ま、待ってくれ。収賄ってどういうことだ。何かの間違いじゃないのか」
「往生際の悪い奴だ」
エベンスはラップの腕をねじりあげ、無理に手錠をかけようとしてーー
「そこまで」
扉の向こうから声がした。開けっ放しの扉から、ブラスターを構えたヤンとラオが入ってきた。振り返ったエベンスは、ヤンの顔を見て不審をあらわにした。
「ヤン少佐ではないか。何故ここにいる」
「そんなに怪しまないでください。ここは官舎で私は憲兵です。通りががっても何の問題もないでしょう?」
ブラスターを構えながらのその物言いはかなり無理があるが、ヤンもラオも気にする風はない。
「そんなことはーー」
「折角の機会です。拘束する前に、ラップ少佐の弁明を聞いてみてはいかがでしょうか。それに、調査に協力した私としても、一つ二つ言っておかなければならないことがあります。それがあれば、真相の究明もやりやすくなる、というものです」
ヤンの言葉は穏やかだが、ブラスターを下ろそうとはしなかった。
「そんなものは必要ない。確かに貴官に調査協力は依頼したが、拘束に介入する権限はないはずだ。総務部の憲兵はそんな権限を持っていないだろう」
「ええ、もちろん」
ヤンは抗議を受け流した。
「ですが、ここはエル・ファシルの軍施設内部です。そして、施設内の治安維持については、エル・ファシルの憲兵隊に権限があります。私が一言言えば、一日ぐらいは貴方はここから出られない。もちろん、危害を加えることはできませんが」
「……」
「どうです。お時間はいただけませんか。なに、一時間もあれば終わるでしょう」
エベンスはしぶしぶうなずいた。
「……よかろう。話だけは聞いてやる。話だけは、だ。結論は変わらんが」
ヤン、ラップ、エベンス、ラオの四人は憲兵隊の会議室に入った。ヤン以外の三人にはコーヒーが、ヤンには紅茶が配られる。ヤンがそうオーダーしたのだった。事務員が外に出たのを見計らって、ヤンは話し出した。
「で、ラップ少佐。こちら、エベンス大佐は、少佐がジェイドメタル・インダストリィから賄賂をもらった、と言っているが、本当のことですか」
「まさか。収賄なんて考えたこともない」
ラップは頭をぶんぶん振って否定した。
「だ、そうですが」
ヤンはエベンスに話を振った。
「見苦しいぞ、少佐。我々は少佐を内偵していた。少佐の銀行口座に一万ディナールが昨日の晩に振り込まれていることは分かっている。これが何よりの証拠ではないか」
「そ、そんな、何かの間違いーー」
「今更しらを切るのか。見苦しい」
エベンスが吐き捨てるように言う。
「大佐、そうでしょうね。何故なら、この一万ディナール、ラップ少佐は何も知らないからです。否定するしかないですよね」
ヤンの言葉に、エベンスは振り返った。ヤンは一口紅茶をすすって話し出した。
「大佐から調査依頼を受けたこの事件、本当に難しかった。調べても調べてもすぐ行き詰まり、そして全く想定もしない展開になっていくのです。調査対象者は三人、まずジャン・ロベール・ラップ、そしてマッツ・フォン・クラインシュタイガー、最後にマルコム・ワイドボーン。三人の共通点は、外部の企業との取引に関連する仕事をしていること、そして私の同期だということです」
「私は、汚職の疑惑ということで三人を調査しました。そういう容疑があると言われたからです。提供される証拠を精査すると、確かに怪しい点はある。でも、直接の調査は控えるように、と言われましたし、調査に値するか疑問のある嫌疑ではありました」
エベンスは目をむいたが、ヤンはそれを無視した。
「三人の調査に二週間をかけました。もし、ラップが汚職に手を染めているのが事実なら、そして、三人が大規模汚職の細胞だとするならば、動きがあってもおかしくないのです。一人の捜査官が三人、いや、二人の容疑者に接触する。これは偶然といえません。少なくとも、そこで気づいて監視しなければならないのです。ですが、そんな動きはなかった。この件でアクションがあるのは私だけでした」
「さらに言うと、二週間かけて三人を調べているのに、二人目のクラインシュタイガーはもとより、ワイドボーンにもコンタクトが取れる。これもおかしなことなのです。もし、犯罪組織の自覚があるなら、自己防衛の機能が働きます。人間として当然のことです。ですが、それもなかった」
「となると、組織犯罪という前提が怪しくなる。そうなると、同期ばかりを三人調査しているのは何故か、ということになる。本当になぜ、どうして、なんです。ですが、調査の結果、話は私の同期だけに限らないことが分かりました。私の代から前後して合計数年ほど、その士官学校卒業生でも同じような調査が行われているらしい、という情報を掴んだのです」
「だから言ったであろう。大規模な事件になると」
エベンスは何を当たり前のことを、という口調で言った。
「そして、調査の過程でEoWSという組織が出てきた。戦争後の社会、と銘打ってはいますが、我々の士官学校在学中前後で流行した、仮想史をネタにして活動していた、過激な戦争遂行派組織、というのが正体です。この組織を元に今回の事件を見つめなおすと、様相が一変するのです」
「……私には何のことだかさっぱり分からない。何が変わるのだ。それにそのEoWSというのは」
「今までの調査ですが、調べると新しい容疑者が出てきた、ということで三人まで調査を行いました。ですが、容疑者が三人いるから調査するのではなく、調べる過程で新たな容疑者が『用意』されるとしたらどうか。そして、調査の目的が、真相の究明や逮捕ではなく、調査そのものにあるとしたら、それこそがEoWSの目的だとしたら、どうか」
それを聞いたエベンスの顔色が変わるのを、ヤンは見逃さなかった。ラップは少し青ざめている。ラオは事件の真相究明に立ち会う、何も知らない一般人のような顔だ。
「ジャン・ロベール・ラップの汚職疑惑調査、それが成果をあげるとは限らない、ということは貴方は分かっていた。でもそれで問題なかったのです。ラップを調べること、その本当の意義は、かつて隆盛を誇っていたEoWS、その復活だからですよ」
「EoWS、かつて流行した仮想史の時に、ずいぶんと派手に行動していましたね。士官学校でも講演会をやったりしていた。構成員の中に軍の士官や元士官が居たからです。だから、士官学校のネットワークにも入り込めた。その過程で、士官学校の成績優秀な生徒に接触し、
エベンスは机をどんと叩いて、強制的に会話を打ち切った。
「少佐、いい加減にしないかね。その組織とこの事件、何の繋がりがあるのだ」
「行動記録を削除したからといって、過去の活動を無かったことにできるわけではない。士官学校で講演会をやるとなると、団体の情報を詳細に調べられる。当然のことです。そして、調査データにあったのですよ。貴方の名前と、ラップ少佐の上司、ブロンズ准将の名前が」
「貴様!一体何を言いたい!!名誉毀損だぞ」
エベンスが真っ赤になって叫んだ。
「かつて活動に参加していた人間、少なくともそう見なされている人間が捜査を受けている、そして一斉捜査が始まるらしい。そう言われればどうなるでしょう?もし、事前に調査の内容と対応策が詳細に示されたとしたら?そして、その見返りを求められたならどうなるでしょう?さらに言うと、言うとおりにせず、逮捕されてしまったという事例があったとしたら?」
「こうなると、黒幕としては、誰もかれもいちゃもんをつければ良いことになる。容疑すら必要ない。クラインシュタイガーは恐らく単なる書類のミスだ。ワイドボーンに至っては、同期生を揺さぶるための広告塔、そうでしかない。ワイドボーンが疑われるなら自分だって、そう思う同期生は沢山いるんでしょう。そして、ジャン・ロベール・ラップ、これはブロンズ准将の部下で勤務しているから、ただそれだけで疑惑がでっち上げられたのだと思います。単なる、同期生を揺さぶるための導火線、そうでしかないんですよ。火をつければ、いつしか誰もが靡いてくれる」
「組織を強くすること、そしてまとめるのに一番有効なのは共通の敵を作ること、ですが、そのための手伝いを私にやらせようとしましたね。だが、貴方達にはそれ以外の目的もある。それは発注を担当する、現場で権限を持つ士官をコントロールして、株式市場に混乱を発生させることだ。エベンス大佐、貴方もジェイドメタル・インダストリィに限らず、いろいろな会社の株式での空売りを仕掛けていること、もう既に分かっているんですよ、さらにですね」
「最初に大佐が私に提供した資料、実際の資料と突き合わせてみたら合わない箇所がありますね。元の資料を見る限り、疑惑すらないに等しい。火のない所に煙は立たぬ、どころか火すらないじゃありませんか。これは、最初からジャン・ロベール・ラップ他複数の士官をターゲットにした陰謀論、そう断じざるを得ない」
エベンスは何も言えぬまま固まってしまった。だが、しばらくして不敵な笑みを浮かべて言う。
「なるほど。よくそこまで妄想したものだ。だが、少佐。ラップ少佐の銀行口座に振込があること、そしてラップ少佐がジェイドメタル・インダストリィのヒーバート氏と接触があること。これだけで拘留まで持っていくことはできる。第一、この情報を提供したのは少佐ではないか。証拠がある嫌疑なら、逮捕するのは当然のことだ」
「証拠はありません。第一、この一万ディナールは、私のポケットマネーです。銀行の取引記録を見れば分かることです」
「なっーー」
エベンスがのけぞった。
「エベンス大佐、その逮捕状は軍法会議事務局に証拠を提出して取得したもののはずだ。いや、もしかしたら、後で辻褄を合わせるつもりで持ってきた、ただの紙切れですか」
「内調を甘く見るなよ。振込記録は作ることなど造作もない。振込元を書き換えることだって可能なのだよ。そうすれば、拘留して有罪にすることなど簡単だ。そしてヤン少佐、貴様はルームメイトを売った狗ということになる。それとも、退役するから関係ないのか?」
「貴方がそう思うならそうなんでしょう。貴方の中では。下種な物言いだとは思いますが」
ヤンも知らず知らずのうちにボルテージがあがっている。
「どういうことだ」
「大佐、そこまで追い詰められて降参しないのは、ある意味大したものです。ですが、貴方が偽の証拠を作ることができるなら、私も作れるんですよ。但し、私の証拠は本物です」
「ほぅ、証拠を作れるのか。エル・ファシルの憲兵隊は随分と勝手なことができるものだ」
エベンスは嘲るように言った。
「ええ。今貴方は、ヒーバート(Hebert)という人物との贈賄の疑惑、それが存在するとおっしゃいましたね」
「そうだ。それがどうした」
「ラオ、聞いたな?ラップも」
ヤンの言葉にラオとラップは同時にうなずいた。
「……何がおかしい」
「もし、ヒーバート氏という人物が存在しないとしたらどうでしょう。大佐は、架空の人物との贈賄の証拠がある、そう言っていることになる。これは、誤魔化そうと思っても誤魔化せない話ですよ。架空の取引と架空の人物、二つもあるとするならば」
「馬鹿な。ヒーバートという人物は存在するではないか。ジェイドメタル・インダストリィに存在が確認されている。ウェブサイトにも載っているぞ」
「本当に?」
「何が言いたい」
エベンスの口調にはイラつきが混じっている。
「では言いましょう。ヒーバートなる人物は存在しません。断言します。ジェイドメタル・インダストリィに存在するのはエイビア(Hebert)さんです。これをヒーバートと読むのは私だけなんですよ。そして、貴方はそれを鵜呑みにして、ラップ少佐を拘束しようとしたのです。軍法会議で一体何を主張するのですか?相手がエイビア氏ならともかく」
エベンスはしばらくの間、目をぱちくりとさせていたが、ようやく真意を理解したのか、顔を真っ赤にして言った。
「ヤン・ウェンリー!!!よくも……だが、そのような小手先のペテンが通じると思うなよ。巻き返す手段ならーー」
「私はともかく、ラップ少佐を罠に嵌めようとした罪は大きい。観念するんだ」
ヤンの言葉は氷のように冷たかった。
「エベンス大佐、貴方を文書偽造とインサイダー取引疑惑で緊急逮捕する。ラオ大尉、大佐を捜査三課に引き渡してくれ」
<5>
「ヤン、今回の件まことにーー」
「いいんだいいんだ、ラップ。君は職務熱心なエリート士官、それ以上でもそれ以下でもない。下水管を覗いて陰謀のタネを探すのは、憲兵隊に任せておけばいいのさ」
その夜、歓迎会を開いたバルでヤンとラップは再度乾杯をしていた。ラップが何でもするというから、ヤンはその店で一番高いワインを開けてもらうことにした(それでも100ディナールはしないのだが)。本当はそんなことすら辞退したかったのだが、ラップに是非にとせがまれたらどうしようもなかった。
エベンス大佐はエル・ファシルの憲兵隊に拘束された。大佐は大佐で容疑を、いや、容疑の存在そのものを否定している。だが、容疑そのものは何とかできたとしても、株の空売りの方はどうにもならない。このままいけば、巨額の損失を負って、破産の止む無きに至るはずである。ブロンズ准将も同様の運命、となるはずだ。
「俺が抱え込んでいたのがいけなかったんだ。何か怪しいところがあれば、すぐ周囲に話しておけばよかった」
「憲兵隊としてはその通り、だけど。今回の件だとどうかな。ラップがそんな陰謀に気づけたとは思えないし、トカゲの尻尾切りにならないとも限らない。むしろ、相手が戦線を広げてくれたからこそ、EoWSの幹部を拘束できた、というのはあるんだ。ラップ、クラインシュタイガー、ワイドボーン。みんなの力があってできたことだ」
「それに、取引記録をラップが見せてくれなかったら、エベンスをやっつけることもできなかっただろう。確かになぁ、エベンスが出してきた情報、あれは疑うべきだった。状況が変わったんだから、信用すべきじゃなかったんだよ」
ヤンはかぶりをふりながら言った。敵と分かったのに、その敵から提供された情報を信じ込んだことで、解決に回り道をすることになった。
「というか、今回の件、最初から突き返しておけばよかったんだ。ルームメイトだから、極秘任務だから、そうやって仕事を受けたらこのざまだ。人間、仕事に励んでいいことなんかないな」
「驚いたよ。いきなり仕事中に連絡してきたと思ったら、機密情報を見せろと言われたんだからな。おまけに、改竄されているとはいえ、ヤンが取引情報を持っているのも驚いたさ」
一昨日、ヤンはラップと連絡を取り、情報を提供してもらったのである。そこから、偽の情報をエベンスに流し、偽の逮捕令状を作らせて逆襲する、というアイディアを思いついたのはラップだった。取引先の個人名がよく間違われることを逆手にとって、罠をかけるのはヤンとラップの合作で思いついたものである。
「それにしてもだ」
ヤンはワイングラスを空にすると鼻を鳴らした。
「EoWSとやら、随分と迂遠なことをするもんだ。同盟のエリート士官を、それも何人も意のままにコントロールしようとするなんて。私だったら面倒臭くてやってられないなぁ」
「俺にはわかる」
ラップがぽつりと言った。
「宇宙歴8世紀の後半、同盟は戦争と無縁の日々を過ごしてきた。いつの間にか、軍は必要のないものになっていった。ヤンはエル・ファシルに住んでいるから実感できないのかもしれないが、ハイネセンでは軍への風当たりは強くなれども弱くなることはない」
「そうなのか」
ヤンがラップのワイングラスに新しいワインを注いだ。
「もちろん、大多数の軍人は社会に順応して生きていく、それを疑うことはない。だが、本来軍はもっとリスペクトをもって接せられるべきだ、と考える人は結構多いんだ。それがさらに過激になると、現実の方がおかしいと考えるようになる、のかもしれない。実はな、俺もそういう思考がないわけじゃないんだよ。毎日のように財務委員会とやり合う身になるとな、或いは、こちらの些細なミスを突つかれて、クレームに対処したりとか、そういう仕事を続けているとな……クソッ、こんなことを考えちゃいけないんだが」
「ラップ」
ヤンはラップにミネラルウォーターのグラスを差し出した。
「どうやらちょっと飲み過ぎのようだな。酒も弱くなったかい?」
「ヤン……」
「まぁストレスは人を蝕むと言うけど、軍隊は道具だ。そして、無い方がいい道具だ。それを踏まえてなるべく無害な道具にならなきゃいけない。まぁ、確かに軍都エル・ファシルに住んでいると、ハイネセンで見るような光景は見なくて済むのかもしれない。だから自分が言うのもなんだけど、原則は曲げちゃいけないと思う。それに、だ」
ヤンもグラスにミネラルウォーターを注ぐと、一気に飲み干した。
「昔の人曰く、歴史とは、そのほとんどが人類の犯罪・愚行・不運の登記簿にほかならないそうだ。不運はともかく、犯罪や愚行をラップが犯すことはない。君がやるべきことは何よりも、ジャックとジャンヌの良き父親であること、そうじゃないのかね」
次回予告
エル・ファシル最大のお祭り「建軍祭」。そのお祭りの最中、ヤン・ウェンリーはエル・ファシル、いや、自由惑星同盟の中に潜む
第六話「建軍祭」