山田さんは幽霊が見えるが、田中さんは幽霊が見えない。そんな二人が怪異に出会う話。

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口裂け女

 傾き始めた太陽が照らすアスファルトの上を二人の少女が歩いている。

 片方の少女の名前は山田雪乃(ゆきの)。日本人らしい黒髪を肩口ほどで切り揃えていて、彼女の通っている高校の制服であるセーラー服を着ている彼女は高校二年生に上がったばかりの高校生だ。

 

 そして、彼女の隣を歩いているもう片方の少女は田中(ゆう)。雪乃と同じ黒髪を腰の辺りまで伸ばしていて、どこかぼんやりしているように見える少女だ。彼女は雪乃の幼馴染で、昔から登校も下校も雪乃と勇の二人で歩いていた。

 

 そんな仲の良い二人組だが、雪乃には一つだけ昔から不満に思っていることがあった。それは、雪乃はとても霊感が強いが、勇には霊感がまったく無く、まさに零感であったということだ。勇はもはや霊感がないとかじゃなくてマイナスに振り切っているのではないかというくらいに霊感がない。そのうえ、勇は幽霊を引き寄せやすい体質らしく、たびたび何かに憑りつかれているのだ。そして、勇が悪霊に憑りつかれるたびに雪乃は近所の神社になにかと理由を付けて連れていき、除霊をしてもらっていた。そのため、勇は雪乃は神社が好きだという勘違いが生まれているのだがそれはまた別のお話である。

 

 雪乃は勇と歩いている中、彼女はこれまでのことを思い出していた。

 勇は今まで何度も憑りつかれてきた。酷い時では彼女に憑りついた幽霊達の行列ができてパレードか大名行列のようになっていた。それを見たときは笑いと恐怖の感情が混ざりあい何とも言えない気持ちになり、そんな様子のおかしい雪乃は勇に心配されてしまったこともあった。そのときはあまりの霊の多さに手を引っ張て強引に神社に連れて行った。

 

 しかし、仲のいい幼馴染と歩いているにもかかわらず、なぜいままで勇が憑りつかれてしまった時のことを思い出しているのか。それは……

 

「ねぇ、私、キレイ?」

 

 勇のすぐ隣にくぐもった声で勇にそう聞いている若い女がいるからだ。

 その女は顔を見るには少し見上げなければいけないほど背が高く、目が痛くなるほどの鮮烈な赤いワンピースを着ていて、その顔には大きなマスクをしている。

 

 そう、都市伝説として有名なあの口裂け女だ。

 口裂け女といえば大きなマスクで口を隠した女性が「私、綺麗?」と聞いてきて、綺麗と答えると「これでも?」と言ってマスクの中の大きく裂けた口を見せてきて、綺麗じゃないと答えると、答えた人は殺されてしまう。そういった都市伝説が有名だろう。

 

 多くの人はただの都市伝説として信じていないが、人一倍幽霊を引き寄せやすい勇はとうとう口裂け女というビックネームでさえ引き寄せってしまったようだ。有名な存在に出会ったときはたいていうれしいものだが、この場合は全く持ってうれしくはない。むしろ、会いたくないだろう。

 しかし、すぐ隣に口裂け女がいるにも関わらず、引き寄せた本人は霊感がないために口裂け女の存在に全く気付かずに私とのんきに雑談をしながら歩いている。だが、雪乃は残念なことに霊感が強いために口裂け女の存在に気付いてしまっている。雪乃だけが魑魅魍魎の存在に気付くとういうことは今までも何回もあり、その対処の仕方はもはやベテランと言ってもいい領域にあった。

 

 雪乃は今までの経験を思い出し、いつも通り雪乃も同じく気付いていないフリをし、神社に勇を連れていくことにした。その作戦の通り、雪乃は勇に神社に寄っていこうと誘おうとする。しかし、雪乃が話しかける前に勇がぽろりと口から言葉がこぼれ落ちるようにつぶやく。

 

「綺麗だね。」

 

 もしかして勇は口裂け女のことが見えてるの!? 雪乃は驚愕した。今までいくつもの幽霊にまったく気付かないうちに憑りつかれ、数々の霊障を受けても尚その存在に気が付かないほど霊感がない勇が幽霊側の存在である口裂け女に返事をしたのだ。それは空が落ちてくるような、あるいは地面がなくなるような、雪乃にとってはそれほど現実感のないことであった。

 

 しかし、勇が霊感を得たということに対していつまでも感動しているわけにはいかない。彼が返事をした相手は口裂け女。都市伝説通りであればこの後マスクを外し、その耳元まで大きく裂けた口を見せつけてくるはずだ。

 

 今まで幾度となく霊的な存在に出会ってきた雪乃だが、実際に彼女が害を受けた経験はなく、勇に憑りついた霊に雪乃が彼らの存在が見えていることに気付かれずに神社に連れていくだけであった。

 口裂け女にこちらが見えてしまっていることが知られてしまったことで、彼女も本格的にこちらにアプローチをしてくるだろう。そんな予感に雪乃は思わず恐怖から立ち止まってしまった。

 

「ん?雪乃、どうしたの?」

 

 急に立ち止まった雪乃に不思議そうな様子で勇が問いかける。

 

「いま、綺麗だねって……。」

 

 その問に対して雪乃は震えた声で先ほどの言葉について聞く。

 

 冷や汗が流れる。

 

「うん、ちょうど見えたから。つい言っちゃったんだ。」

 

 この勇の答えに雪乃は確信する。やっぱり、勇は——

 

「あそこの花屋の綺麗な花がさ。とっても綺麗じゃない?」

 

 花の話かい! 心の中で突っ込んだ雪乃は紛らわしいやつめと思いながら脱力してしまう。やはり勇はまったく霊感のない零感男であった。雪乃はその事実に少しの安心と今の自身の行動を口裂け女に不審に思われていないかという不安を覚える。

 

 気付かれていませんように。 そう祈りながらちらりと気が付かれないように口裂け女に視線を送る。

 

「ねぇ、私綺麗?」

 

 口裂け女は雪乃に1ミリの興味を示さず、元気に反応のない勇に対して質問を続けていた。

 

 口裂け女が雪乃が見えていることに気が付いていないことと、いまだに勇に対して質問を続けていることを確認した雪乃は神主にいつものように除霊をしてもらうために、勇を神社に連れて行こうとする。

 

「へ、へぇ。確かに綺麗な花だね。あっ、そうだ。綺麗なお花といえば、いつも行ってる神社にとっても綺麗なのが咲いてたんだ!ちょっと見に行かない?」

 

 そう雪乃は勇に提案する。自分でも急展開が過ぎると思うが、先ほどの心臓に悪い勇の言葉と口裂け女という有名な存在を前にいつものように自然に神社に連れていくように話すほどの余裕は雪乃にはもはやなかった。

 

「相変わらず雪乃は神社が好きだねぇ。いいよ。家に帰る前にちょっと寄り道していこっか。」

 

 突然神社に行こうと言い出した雪乃に対して勇は笑いながらもそう返す。

 

 無事に勇を神社に行かせるようにできた雪乃はほっと胸をなでおろし、これで今回も無事に除霊できそうだ。 と思っていると、勇が遠慮がちにに話し出す。

 

「雪乃。ずっと黙ってたんだけど、実はね……私、「私、綺麗?」なのかもしれないの。」

 

 勇がなにやら重要そうな告白をするが、その隣には口裂け女がおり、相変わらず「私、綺麗?」と質問し続けている。そのため、ちょうど重要そうな部分が聞き取れず、勇がこじらせたナルシストのようになってしまっていた。

 

「ご、ごめん。もっかい言ってもらっていい?」

 

 雪乃はじわじわと上がってくる笑いをこらえながら正しい言葉を聞くためにそう言う。

 

「私ね、神社が嫌いなのかもしれないの。」

 

 どうやら勇は神社が嫌いだったらしい。

 

 勇の突然の告白に雪乃は思わず えっ と声を上げそうになるが、それを何とかこらえ訳を聞いた。もし彼女が本当に神社が嫌いならばこれから除霊をするのが難しくなるのかもしれない。単なる彼女の勘違いでありますようにと雪乃は半ば祈りながら勇の話を聞く。

 

「えっとね、私はぜんぜん嫌いだなんて思ってなかったんだけど、いっつも勇と神社に行く前はなんだか体が重くなるの。それで神社で神主さんと話してたらなんともなくなるんだけど……。体が重くなるのってやっぱり実は神社が嫌いだからなのかなぁって。」

 

 勇は全く的外れな推理を話す。体が重いのは神社が嫌いだからではなく、その背中に幽霊を背負っているからだ。精神的なものではなく霊的なものだ。第一、体調に影響が出るほど嫌いであれば自覚がないということはまずありえないだろう。答えは明らかだが、霊感のない彼女に素直に伝えるわけにはいかない。勇が数多くの霊に憑りつかれているのにもかかわらずあまり被害を受けていないのは、雪乃がすぐに除霊に連れていているというのもあるが、勇が憑りついている霊の存在に気が付いていないということは大きい。そんなことを思いながら雪乃はうまく説得するために口を開く。

 

「え、えっと、気のせいじゃない?」

 

 しかし、雪乃にはうまく言いくるめるほどの言葉は出てこなかった。もともと彼女は口がそれほどうまくないということもあるが、それよりも口裂け女の存在が彼女の気を散らせた。

 

 先ほどまでは、雪乃から見て右側に勇は歩いているが、そのさらに右側に口裂け女がいた。しかし、今は何を思ったのか口裂け女は勇の右側に移動していた。つまり、勇と雪乃の間に口裂け女がいた。百合に挟まる口裂け女である。

 

「そっかぁ。気のせいか。」

 

 普通なら全く意味のない説得であるが、相手は天然疑惑のある勇。レベル1の説得に言いくるめられる少女である。雪乃は勇のあまりのチョロさに一抹の不安を覚えるが神社に除霊に行けないという事態を防ぐことができたということにひとまずは安心することにした。

 

 そこで一度会話が途切れる。傾いた日の光が照らす住宅街を歩く少女二人。その光景は一枚の油彩画のような、懐かしさすら覚える光景だが、残念ながらそこにいるのは少女だけではなく、二人の間に挟まるようにマスクをした背の高い女がいるために『下校する女子高生』というよりも『不審者に連れていかれる女子高生』というようになっている。

 

「そういえば、学校の近くにできたスイーツ屋さんのシュークリームがすごくおいしいんだって。」

 

 話題がないのか突然スイーツの話をしだす勇。口裂け女とスイーツのあまりの温度差に風邪をひきそうになる雪乃であったが、いや、口裂け女も女子だし女子会といっても過言ではにのかもしれない と若干正気を失いつつも女子会に参加する。

 

「へぇ。おいしいなら今度行ってみたいね。」

 

「そうだねー。友達がほっぺたが落ちるくらいおいしいらしいよ。」

 

「私、綺麗?」

 

 落ちるほっぺたがない女は会話に参加できていない。

 

「じゃあ神社行った後に行ってみる?」

 

「行く!」

 

 勇の提案に半ば食い気味で返事をする。

 人ならざる者をはさんで友人と会話をすることは雪乃にとって苦痛な時間であった。勇の方を見るとすぐ隣にいる口裂け女が目に入り、それに気が付いていないフリをしながら話さなければならず、除霊をした後にご褒美があると半ば現実逃避でもしなければやってられないというような気持ちであった。

 

「あっ、ちょうどこの近くなんだよ。神社行く前に寄っていく?」

 

 先ほどは雪乃にとってありがたい提案をしてくれた勇であったが、次の瞬間、雪乃にとって全くうれしくない提案を始める。

 

「じ、神社に行ってからにしない?歩いた後の方がシュークリームもきっとおいしいよ。」

 

 シュークリームは確かに食べたいが、それよりもまず勇に憑いている口裂け女を除霊しなくてはいけない。そう思いとっさに神社に早く連れていくためにそう言った。

 

「ふふっ。やっぱり雪乃は神社が好きだねぇ。神社行ってからにしようか。」

 

 勇は微笑ましいものを見るような暖かい目で雪乃を見ながら雪乃の若干苦しい反論に答える。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 口裂け女は獲物を見るかのようでニヤニヤしているような目で勇を見ながら己の容姿を聞く。

 

 口裂け女で勇の姿は全く見えないが、その声色から先に神社に行くと悟った雪乃は、おとなしく神社で除霊してもらってよ。 と心の中で愚痴をこぼしながら歩いていく。

 

「でも、なんで雪乃は神社が好きなの?」

 

 勇は雪乃が頻繁に神社に勇を連れていきたがることを疑問に思ったのかそんな質問をしてくる。

 

 べつに神社が好きなわけではないよ。勇があんまりにも憑りつかれるから仕方なく行っているだけだよ。 そう心の中では素直に答えるが、そのまま答えて目の前の口裂け女に気付かれるわけにはいかない。雪乃は自分が神社好きだと勘違いされたままのほうが都合が良いかもしれないと思い、神社が好きなのだということにする。

 

「神社のね、中に入った時の下界とは隔絶されたような静かで神聖な雰囲気が好きなんだよ。あとね、ほら、憑りついているものとかが全部なくなる感じがして好きなの。」

 

 思わず最後の部分に力が入ってしまう雪乃。実際に勇の除霊のために神社に行っているため、的外れな理由ではなかった。

 

 ほんと、幼馴染の勇じゃなかったらこんなに気を使ってないよ。 そう思い疲労感を隠せない雪乃は若干17歳にしてすでに苦労人の風格を漂わせていて、誰かがその内情を知っていたならば雪乃に対しての同情の念を禁じ得ないだろう。しかし、この場にいるのは雪乃と勇。そして口裂け女の三人だけだ。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 もはや口裂け女の声にも慣れ始めてきた雪乃はその声を小鳥の声のようにBGMだと頭の中で処理をし、無視ができるようになっていた。

 

 そうして、二人は他愛ない会話を続けていると、ふと勇がつぶやく。

 

「あっ、三坂だ。」

 

「三坂がどうかしたの?」

 

 なぜ急に三坂という地名を言い始めたのか訳を聞かれた勇は少し勿体ぶり、にやりとして若干低めた声で話し出す。

 

 ちなみに、その彼女の姿は雪乃からは見えておらず、見えているのは口裂け女の真っ赤なワンピースだけである。

 

「知ってる?三坂とか三のつく場所ってね……。口裂け女が出やすいんだって。」

 

 いや、もういるよ。勇の隣にもう口裂け女いるよ! 雪乃は叫ばない自分ほめてやりたかった。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

「友達から聞いた話なんだけどねぇ、口裂け女って真っ赤な服を着ていてメスとか持っているんだって。怖いよねぇー。」

 

 怖いよねじゃないが?いま君の目の前にいるが? 雪乃は勇に問い詰めたかった。わざとやっているのか?と。勇は実は口裂け女のことが見えていて、私をからかうためにそんなことを言い始めたのではないか。そういう考えが雪乃の頭をよぎるが、しかし勇は長年一緒にいた幼馴染であり、そんなことをする人ではないとすぐに思い直し、話の続きを聞くことにする。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

「口裂け女って有名な話だけど、実際に出会ったとしたら結構怖いよね。」

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 口裂け女も自分の話が話題になったことがうれしいのか心なしか質問の頻度が上がる。しかし、哀れなことにもはやキスができるような至近距離にいても勇は全く見えない。それほど勇に近づいていることが雪乃からは見えていないことは不幸中の幸いだろう。

 

「うん。怖いよ。」

 

 怖いかと言われればとても怖い。その雪乃の答えはまさに現在進行形で味わっている感情であった。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

「ふふー。だよねー。大丈夫、安心して?勇はちゃーんと対処法も聞いてきたから。」

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

「対処法ってなに。」

 

 即答である。雪乃は都市伝説には詳しくなかったため、口裂け女の対処法は知らなかったのだ。それこそ今まさに雪乃が求めているもので、それを知っている勇は雪乃にとってもはや英雄だった。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

「えーっとねぇ。「ねぇ。私、綺麗?」んー。たしかー。」

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 いい加減口裂け女がうるさくなってきた。やはり自分の話をされているからなのか先ほどからテンションが上がっているのだろう。その口裂け女のテンションと反比例するように雪乃のテンションはどん底へと落ちていく。

 

「ボ、ボム……って三回言うんだったかな?」

 

 ものすごく不安げにいう勇のことは全く信用できなかった雪乃だが、もしかしたら本当にそれが対処法なのかもしれないと思い直し、早速実行してもらうことにする。

 

「試しに今言ってみてよ。」

 

「いいよー。ボムボムボムボムボムボムボムボムボムボム!」「ねぇ。私、綺麗?」

 

 効果は全くないようだった。何なら食い気味で口裂け女も喋っていた。

 やっぱり除霊してもらうしかないかぁ。 そう半ば諦めの気持ちを抱く雪乃であった。

 

 

 

 

「あっ、神社着いたよ。」

 

 勇の少し弾んだような声で雪乃は現実へと戻ってきた。ようやく目的の神社に辿り着き少しほっとした雪乃は勇の方に「ねぇ。私、綺麗?」顔を向けるために口裂け女の真っ赤な服に顔を向けて、微笑みを浮かべる。

 

「じゃあいつもの所に行こうか。」

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 この神社は日本の中でも古い歴史を持つ神社で起源「ねぇ。私、綺麗?」は平安時代まで遡る「ねぇ。私、綺麗?」という。さらに、祀られている神も魔を払う力を持つ神で、雪乃にとって勇の除霊を頼むには最適の場所であった。二人「ねぇ。私、綺麗?」がいつも除霊のために行く場所は神社の中でも特に神聖な場所で、並みの幽霊ではその場所にいるだけで成仏するような場所である。そこで事前に連絡を入れておいた神主にお祓いの儀式をしてもらうことがいつものパターンであった。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 口裂け女もこの神社がどのような場所なのか気が付いたのか先ほどから更に口調も激しくさせており、危険度は道を歩いていた時よりもずっと増していた。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 しかし、その時の雪乃は油断していた。下校中ずっと口裂け女に気付かれないようにずっと気を張っていたのだからそれは無理もない話だった。

 あまりに異様な雰囲気を放つ口裂け女に気を取られ、雪乃はついどのような様子なのか確認しようとちらりと視線を向けてしまった。除霊させまいと気が立っている今、視線を送ってしまったのだ。

 

 雪乃は視線を向けた瞬間、彼女の背筋に鉄棒を入れられたような寒気が走る。彼女が送った視線は口裂け女の視線と交わった。交わってしまったのだ。雪乃の視線の先には新月の暗闇よりも尚暗く、生命への憎しみのみが星々のように爛々と輝く双眸が、そこにはあった。その瞳が孕んだ狂気は人間の脆弱な精神の防壁を容易く貫き、少女の無垢なる精神を黒く蝕んでいく。

 

「ひっ」

 

 交わされた視線に含まれるあまりに深い狂気に、雪乃はもはや喉を引き攣らせて声にならない悲鳴をあげることしかできなかった。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 それは福音であった。口裂け女にとっては悲鳴は彼女の食事を彩る音楽であり、恐怖に染め上げられた顔は至上のスパイスであった。口裂け女は久しぶりの良質な食事の気配にその異形の相貌笑みの形へと歪ませる。

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?ねぇ。私、綺麗?

 

 

 

「ねぇ。私、綺麗?」

 

 雪乃の体はもはや言うことを聞かなかった。心は逃走を望むが、口裂け女への莫大な恐怖が体を地面へと縫い付けていた。

 

 

 

 

 

「……ぃゃ。」

 

「雪乃……?どうしたの?」

 

 勇も雪乃の様子がおかしいことに気が付く。雪乃の瞳はもはや焦点があっておらず、そのては小刻みに震えていた。

 

「雪乃!!」

 

 霊感のない勇であってもその様子のおかしさに何かがあったのだと気付く。勇はとっさに雪乃の手を握り駆け出す。

 

 いつも神社に行った時にあっている神主さんに聞けば何かわかるかもしれない。 そう考えた勇は雪乃を連れて必死に走る。走っている間にも雪乃の顔色は徐々に悪くなっていき、勇の手を握る力も次第に弱々しいものになっていく。

 

 がんばって。雪乃! 半ば祈るように勇は走る。雪乃にとって大切な幼馴染であるように、勇にとっても雪乃はかけがえのない幼馴染であった。

 

「あとちょっとだからっ!耐えて!雪乃っ!」

 

 走る。絶対に手遅れにはさせないという強い意志を抱きながら走る。勇の耳には己の足音と雪乃の走る音しか聞こえない。だが、彼女には聞こえないが多少でも霊感のある人であればもう一人の足音と「ねぇ。私、綺麗?」という狂気に染まった声が聞こえるだろう。その声が勇に聞こえていれば彼女も狂気に飲まれ、走ることはできなかっただろう。日頃から雪乃の悩みの種であった勇の鈍感さが、今雪乃を生かしているのだ。

 

「見えてきたっ!」

 

 境内の中を走り木々の間を駆け抜けると少し開けた場所が見えてきた。木々に囲まれたその場所は中心に泉があり、神社のどの場所よりも神聖な空気に満ちていた。

 

 そして、泉の畔には白い装束に身を包んだ壮年の男性が一人立っており、勇達の姿を目にすると大きく瞳を見開らく。

 

「早くこちらに来てください!今すぐ除霊します!」

 

「はいっ!」

 

 神主の切羽詰まったような声を聞き、勇はすぐに返事をし彼の下へ駆けていく。

 すでに彼女の手を握っている雪乃の手は死人のように冷たく、その力も箸も握れないような弱々しいものであった。

 

「神主さんっ!お願いします!」

 

 勇がそう頼むと神主は祈祷を始めた。

 

御霊よ。この世ならざる異形の者よ

空へ海へ地へかへりたまへ

其の怒りを鎮め 其の嘲笑を鎮めたまへ

日より夜より夕より広き調和の神よ

光より音より風より偉大な其の御心をもって

外なる者より我らを守りたまへ

外なる者より我らを守りたまへ

 

異形なる者よ 我らの現世よりかへりたまへ

汝らが世 幽世へとかへりたまえへ

 

 神主が唱え終わると、雪乃の体からふっと力が抜け倒れる。

 

「雪乃!?」

 

 雪乃が地面に体を打つ前に咄嗟に勇が彼女の体を支える。

 

「雪乃は……大丈夫なんですか?」

 

 勇は倒れた雪乃を見て不安を堪えきれず、神主にそう聞いた。

 

「恐らく、精神的に疲れてしまっただけでしょう。彼女に憑りついていたのは大きな力を持つ存在でしたから。」

 

「そうですか……良かった……。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このシュークリームおいしいねぇー。」

 

 煌びやかでお洒落な店内で二人の少女が名物であるシュークリームに舌鼓を打っている。片方はのほほんとした雰囲気でシュークリームを頬張っており、もう片方の少女はシュークリームを食べながらも相手の頬に付いたクリームを拭ってやったりなどとしている。

 

「ふふっ。ありがと。でも、私のこと気にしないでたくさん食べていいんだよ?今日は私が奢るんだからね。」

 

「もう、別に気にしなくてもいいのに……。私が好きで勝手にやってたことなんだし。それに……大切な幼馴染なんだから、守るのは当たり前でしょ?」

 

「じゃあ私もお礼がしたいだけなのー。」

 

「まったくもう……。」

 

 日常とは誰もが明日も当たり前に続くと思っているものである。それがどれだけ薄い氷の上に築かれたものなのかを知りもせず。なにか、ふとした切っ掛けで容易く平和な日常は崩れ、狂気彩られた非日常は顔を出す。例えば、電車に乗る。トンネルをくぐる。通学路を歩くだけでもだ。

 我々は忘れてはならない。私たちのすぐ隣に、非日常は常に潜んでいる。

 

 しかし、だからこそ日常とはこんなにも輝かしく、暖かいものなのだろう。狂気に染まった非日常を覆い隠し、疲弊した精神を癒してくれるそれは、神からの一つの贈り物なのかもしれない。

 

「じゃあ、守ってあげる。だから、ずっと一緒にいてね?」

 

「もちろんだよ。」



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