「ちょっと、まー君も洗濯物しまうの手伝ってよ」そう叫んだ妹の大声は、遠くからでも彼らにはっきりと聞こえた。どうやら、ついさっきまで、妹と一緒にテレビゲームをしていた男の子の名前はまー君というらしい。しかし、開け放たれたリビングから丸見えの男の子は、自分を呼ぶ声には全く反応せず、ひたすらテレビゲームに没頭していた。残念なことに、彼の肉体はテレビの前に実在してはいたのだが、精神は、ある時点からその場を離れ、ゲーム空間の中に幽閉されてしまっていたのである。
もし仮に、彼が、連続して四時間以上、ゲームを継続している状態から、われわれの住んでいる現実世界に、彼以外の人間が、連れ戻そうと試みるならば、もれなく失敗に終わることは明らかである。なぜなら、彼の立場におかれたことのある人間なら共感できることであるが、たとえ、彼の知能がいかに優れていようとも、四時間を超えた段階で、前頭葉の働きは大幅に低下し、精神年齢はいやいや期の子供にまで低下する仕組みになっている。このタイミングで、彼の母親が、ご飯できたわよ、と夕飯に呼ぼうものなら、彼の全身は怒りにおおわれ、奇声を発しながら自室の壁をどんどん全力で殴りつけることだろう。この時の彼は、怒りの獣であり、周りの人の声は、彼の心には届かない。同様の問題は、スマホ依存症やネット依存症によっても引き起こされるのであり、このような人は日々、世の中に増え続けている。そういう人たちが増えた結果、生じることといえば、子供にキラキラとした名前をつけてみたり、会社の上司に向かって、横柄な口の利き方をする若者が増えたり、常識はずれの発言を簡単にSNSで発信したりするような国民性が誕生するのである。
「亜里、ありがとうね。あとの洗濯物はお姉ちゃんが取り込んでおくから、亜里は、すでに家の中にある洗濯物たちをハンガーに掛けてから、室内用の物干しに掛けておいてくれるかしら」
「承知いたしやした。明子殿」
「あんたは一体何時代に生まれた妹なのよ。そのしゃべり方が一般的だったのは、あんたの前々世くらいの話しでしょう」
「へーい」そう妹が、適当に相槌を打つと、そそくさと家の中へと退散していった。
彼は、少女の後ろ姿を目で追いかけ、遠い昔の日の自分を、無意識に小さな背中に重ね合わせていた。すると突然、幼い頃の思い出が、次元の裂け目のように、彼の眼前に現れ、彼の意識を過去の次元へと強く誘っていった。
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---次へつづく---