若き日の彼は、非常に気難しい少年で、しかしながら、色々な問題が発生したために、その気難しさは、すぐに封印されることになってしまうのである。
当時の彼は、保育園という制度を全く受け入れることができず、頑なに登園拒否をし続けていた。とうとう、信頼していた大人たちから、この子には社会性がないのかもしれないという、話しをしているのを、偶然耳にしていしまい、一晩悩んだ末に、彼は、芽生え始めたエゴイストとしての才能を育んでくれていた、読書という行為を完全に捨て去る決心をした。元来、マルチタスクをするということが一切できない彼にとって、唯一伸ばすべきであると考えていた、知性を捨てるということは、彼にとって死と同義ではあったが、それでも彼は、個性より社会性の方を選び、社会の立派な歯車の一員となるべく、自分の主張は決して口に出さず、全部相手の意見を取り入れるという、韜晦者としての日々を始める準備を少しづつ整えていた。しかし、そんな馬鹿げた選択肢を、そこまで思考能力のある者が選ぶわけないだろうと、人は言うかもしれない。だが、そこには彼にとって、唯一の長所になりうる個性を、捨ててまで、手に入れたいものが存在していたのである。それは、母親の元気が、日に日になくなっていくということであり、彼はこの重大な問題を解決すべく、日々試行錯誤を繰り返していた。ちょうど、その頃の彼の家庭というのは、一般的な家庭の事情とは、少し異なる悩みの種を抱えていた。それは、ただの労働者のひとりであった父が、前の会社を辞め、新たに、雇用者としての第一歩を歩み始めたところから端を発していた。
独立した会社が、初期の頃に必ず通らなければならない道のひとつに、安定した仕事の供給がなされないという困難がある。父の会社も、その例に漏れず、事務所の屋根では、閑古鳥が自らの使命を果たすために、きれいな声で鳴いていた。当時は、従業員に支払う給料すら稼ぐことができず、会社は赤字続きで、両親は周りの親族たちに、数百万の借金をしていた。日に日に、借金の額が増えていくのと比例して、彼の母親の顔からは、徐々に生気が失われていった。彼が、そのことに気づいたのは、桜のきれいな町に、引っ越してきた、三歳くらいのことで、彼は毎日保育園から帰ってくると、その日読んだ本の話しを、好んで母親に聞かせていたのだが、母は、彼の話しに相槌を打ってはいるものの、目線は宙を向いて、定まることはなく、頬はやせ細り、目は虚ろであった。それは、彼の人生に訪れた最初の困難であり、今でも彼の心の底にトラウマとして残っている。繊細な心の持ち主であった彼にとっては、相当つらい日々であり、そのくせ、母は、父がパチンコから帰ってくると、自分の心労を見せまいと、気丈に振る舞ったので、父はなかなか、母の変化に気づかなかった。彼には、母のその健気な姿が、余計に辛く感じられた。
---次へつづく---