彼にとって、社会はまだ生まれたばかりの幼虫のように未熟に見え、これからどのように変化していくのか皆目見当がつかなかったために、変化を好まない彼は、どんな職に就くべきなのか決心出来ずにいた。その頃には、少しではあるが執筆活動の真似事をしてみたりもしていたが、だれの目から見てもその作品は陳腐で、あまり期待はできないのかもしれないと考えている時期であった。そのため、彼には結婚願望というものが存在せず、普段よく耳にする少子高齢化という陰気臭い単語も相まって、人類という生命体は自分たちの時代で絶滅するのではないかと本気で考えていた。
正直なところ、最初のうち、彼は墓参りを断ろうと思っていた。もちろん、祖父に対しては偉大な敬意を持っていたが、時間の変化というものは残酷で、当時の彼は重度のゲーム依存症になっており、周りの人たちからどんな助言をされようとも、固く心の扉を閉ざし、彼にとって救いになるはずの言葉を見事に門前払いしていた。そのために、父から誘われた今回の話しに対しても、即座に否と返した。そもそも、墓参りというもの自体がひどく非効率なものであるし、そんなことをするくらいなら、家に引きこもってゲームをしている方がましだと思った。しかし、父からの強い説得があり、長子として彼には次期の墓守りの役割があったために、最終的にはしぶしぶ了承することになった。なにより前職を体調不良でやめた彼にとって、時間の余裕はあまりにもあったのである。
次の日からというもの、日に一度は、墓参りに一族を代表して行かなければならないことに反感を覚えはしたが、いちど承認したものを後日に蔑ろにすることは、さすがに先祖に申し訳ない気持ちになったし、なにより、彼の小さな自尊心に傷がつくような気がしたので、これ以上余計な事を思いめぐらすのをやめ、徐々に気持ちを前向きにしていくように努めた。
そうして嫌々ながらも指折りしているうちに、あっという間に当日の朝を迎え、そのころには彼なりに心の準備が整っていた。彼は、父から堅苦しい恰好をする必要はないと言われていたので、特に背広を着たりするようなことはせず、春の陽気に合わせた黒ズボンと白シャツといった、フォーマルな格好で墓参りに向かうことにした。その上には、黒いジャケットを羽織り、いつかの機会に父から譲り受けた、安物の黒数珠を腕にはめて実家を後にした。
まず車に乗り込んだ彼は、ブルートゥースを起動して携帯と同期させ、車内スピーカーから好きなお笑い芸人のラジオを見逃し配信で聴き始めた。
---次へつづく---