湖に効果的に引き寄せられた雷鳴は、辺りにぐるっと聳えている木々に跳ね返って、何重もの深みを備えて湖の畔にいる観客の好奇心をほしいままにした。しかし、そんな協奏曲でさえも、まだ序章を奏でているにすぎず、この後に待ち受けるクライマックスに向けて、それぞれのパートが少しずつピッチを上げている段階であった。やがて、一瞬オーケストラの音が消失したかと思うと、一呼吸ためた後に、巨大なイカズチが何重奏もの響きをともなって、最大音量で、一発どかんと水面に音速で衝突した。辺りには、衝撃波とともに焦げ臭い煙が充満して、三人の視界は完全に視認できなくなり、彼らが次に目を開けた時には、湖とほぼ同等の全長を誇る、角がオレンジ色の白き竜が姿を現した。
彼は、竜の大きさに初めのうちは圧倒されていたが、竜の彼を見つめる巨大な瞳には、我が子を見つめているような愛情とやさしさがこもっており、少なからず彼を困惑させた。なぜなら、彼は目の前の竜に会ったことがないのである。しかし、なぜかわからないが、彼の両手には竜の角の感覚がありありと蘇ってきて、それは彼が過去に竜の角に触れたことがあるという動かぬ証拠であった。
「はやく俺に乗れ、上で皆がお前を待っている」、彼女の先導で竜の頭まで登っていくと、彼らはしっかりと白竜の角につかまった。やがて、竜はゆっくりと天空へと昇って行ったが、その時の不思議な感覚は、彼にとっては懐かしさを感じるものであった。
彼は、生まれて初めて雲の上に降り立ったが、雲の感触はイメージしていたふわふわとしたものではなく、地上とほぼ同じような感覚であった。
「ここは特別な場所だ。他の雲に乗ろうとするならば、八百万の神でもない限り、たちまち装備なしのスカイダイビングになる」、彼の頭上から竜の声が脳内に直接響いてきた。どうやら、竜の前では私的な思考は全部筒抜けになっているようで、竜は続けてこう言った。
「本来、生者はここに立ち入ることは不可能であるが、お前はここに来る条件を満たしている稀有な存在だから、特別に連れて来てやった。もちろん、その条件というものは決して生易しいものではなく、だがしかし、それほど険しい条件だからこそ、それを備えた者たちは、人類史の節目で英雄と呼ばれ、史に名を刻んできた。また、それを備えたにも関わらず、あまりにも人間的な些事な欲望に敗北して、身を滅ぼしてきた選ばれしものも何人と見てきた。重要なことは、自分のために生きることではなく、人類のために奉仕しようとする高邁な気持ちが重要だ。まあ、今のお前に、これを伝えたところで、俺が何を言っているのか理解することはできないに違いない。とにかく、この領域にたどり着けただけでも驚くべきことだ。あくまで始まりにすぎないが、もしかすると、これは偉大な始まりになるのかもしれないな」
「なるほど」と、彼は相槌を打ったが、その役割はあまりにも荷が重すぎるように思われた。
---次へつづく---