睡蓮の中心付近は、鮮やかな朱色に染まっていて、外へ向かうにつれてだんだんと色彩はその効力を失っていき、一番外側の花弁に至っては、一度手を触れてしまったら、即座に崩れ落ちてしまいそうなほど儚い、純白をしていた。それらは、彼女の近くから、湖のより遠くへとだんだん拡がっていき、最終的には、その広大な湖全てを紅蓮の主張で埋め尽くした。
一瞬何が起こったのか、彼らには理解できなかったが、目の前の湖が、紅蓮に染まっている以上、何らかの法則が作用したものであると考えるしかあるまい。森の中は、霊力が満ちていて、人ならざる者たちの力が影響を及ぼしているのだ。
心なしか、曇天がこの湖に向けて集まってきているように彼らには思われた。もしかしたら、この森には、何か不思議な力を集める役割をしているのではないかと思われた。
そうして、彼らが集まってくる雲を眺めていると、気がついた時には、湖の睡蓮は、全て姿を消していた。
彼らは唖然とした。自分たちが、つい今しがたも網膜に焼き付けた光景は、一体どこへ消えてしまったのだろうか。もしかして、全ての花たちは、何らかの理由によって、自らの浮力を喪失して、湖の底へ沈んで行ってしまったのだろうか。それとも、直前に起きた出来事は、実際には現実に起きていなくて、彼らの瞳に映る虚像が、何らかの障害を受けて、脳に信号が伝播しきる前に何者かの介入があったのかもしれなかった。
そのとき、湖の対角線上で巨大な鯉が、華麗な跳躍とともに、派手な水しぶきを上げ、全身を水面にたたきつけて小気味のいい音を湖畔に響かせた。それは、彼らの気を引きはしたが、ほんの一瞬のことで、また元の興味に意識が向かっていった。
結局のところ、彼らにその答えを解明する手立てがないということだけは明白であった。彼にしてみても、彼女にしてみても、ほんの少しでいいから、お互いの表情の中に、この心の喪失感を埋め合わせられるような手がかりを探し求めていた。しかし、それはいくら要求したところで、彼らのほかに解を持っているものと言えば、周りを取り囲む、口の堅い大自然たちだけであった。それらは、人の気配がするときには決して相互に語り合うことはなく、その知らせは人間が森の入り口に足を踏み入れた瞬間から、またたく間に森全体に知れ渡るようにできている。そこで彼らは、人語で話すを中止して、我ら人間がその場を立ち去る時まで、まるで、わたしたちは人語とは無縁の存在であるというのを、主張するかのように、毅然とした態度で、そして徹底的に無関心に沈黙しているのである。
---次へつづく---