第十一話「当然、そろそろ怒られろ、好井ソウマ!」
シャツの皺を伸ばしながら、冷や汗を鬱陶しく思いつつ歩いていく。激しい運動をしていないのにも関わらず、息は浅く心臓の鼓動はうるさいほど聞こえる。
「ねー、ボクもついていこうか~?」
「いい。お前は部屋に戻ってろ」
少し後ろをちょろちょろとテイオーが伺うように歩いていたが、俺は制して待つよう伝えた。
「でもさ~。カイチョーがわざわざ呼び出すなんて、普通じゃないってー。エアグルーヴも、なんだかすっごい怒ってたじゃん」
「だからだよ。お前を連れてきたら、それこそ保身に走ったように思われるだろ」
「……確かに」
シンボリルドルフをよく理解してるからこそ、テイオーは納得してくれた。歩みを止め、心配そうにこちらを見上げる。
「なにかあっても、後でボクがフォローしてあげるからさ。トレーナーも、そんな緊張しないで行っておいでよ」
「……おう。ありがとな」
後ろで手を組み、少し無理にテイオーは笑った。いくらこいつでも、多分できる限界はある。何事かはわからないが、それでも力になってあげたいという気持ちは十分に伝わった。俺も、胸元で拳を握りしめて意志の強さをアピールする。
相棒を背後に、俺は再び歩き出す。少しだけ気分が安らいだような気がした。
「……」
生徒会室の扉の前には、もう一人の副会長ナリタブライアンが居た。自家栽培と噂の草の枝を口にし、鼻にテープを張り付けた容姿は学園でもひときわ目立つ。特に鋭い眼光と堂々とした態度から、勝手に恐怖を覚える子も少なくないとか。
他の子に向ける視線と同じ、冷たさを覚える瞳がこちらを捉える。
「ルドルフ。来たぞ」
「ああ。ありがとう、ブライアン。通してくれ」
面倒くさそうな顔をすると、ナリタブライアンは扉を開けてくれた。特に仕草はないが、中へ入れと言わんばかりの表情をしている。俺は軽く会釈をしてから、室内に入っていった。
ピリピリした威圧感が、空間から放たれているようだった。フローリングの床を歩く足音一つすら、何かを刺激してしまいそうで、踵からゆっくりと接地するよう促されているみたいだ。とにかく気の張りつめた雰囲気が満たされている。生唾を飲み込みながら、俺は部屋奥に堂々と座っている大きな流星が特徴のウマ娘の前へ立った。
「遅い。呼びに行ってから、どれだけ待たせるつもりだ。たわけ!」
「まあ、そう言うなエアグルーヴ。
その攻撃的な圧力を出していたのは、エアグルーヴのみで。呼び出した当の本人、生徒会長シンボリルドルフは、困ったように笑っていた。とても、これから何かを諫める雰囲気には見えない。
「急に呼びつけてしまい、すまないね。好井くん」
「あ、ああ。小さい会議をしてたぐらいだから、問題ないよ。キミからの呼び出しだったし、みんなも離席を納得してくれてた」
「そうか。その件については、後程私から謝罪しておくとしよう」
「……会長」
そんな甘いことを言うなと訴えんばかりの、しかめ面でルドルフを見るエアグルーヴ。椅子に楽な姿勢で腰をかけていたルドルフは、徐に立ち上がり俺を応接用の椅子へ座るよう促した。
「エアグルーヴ。手筈通りにお願いできるだろうか」
「……」
俺が座ったのを確認すると、副会長へ目配せをしながら席へ向かう。その言葉の真意はわからないが、どうやらとても不服らしい。言いたいことを我慢しているのは、会長を思ってのことなのか。
きっと彼女の中では途方もない時間の自問自答が終わると、意を決したようにルドルフを強く見つめて口を開いた。
「やはり、納得できません。何故、このような男と二人きりで話す必要があるのですか?」
一応、俺トレーナーなんだけどなぁ。雑に指をさされながら言われるが、まあエアグルーヴはこういう子なのだから仕方ない。不器用で一生懸命で、生徒会長のシンボリルドルフが大好きなだけなのだ。言い方に棘はあれど、悪意はないはず。
「さっきも話したはずだ。私はこれから、おそらく長話をすることになる。その間、生徒会の業務を君に一任したい」
「ですが……私は、こんな野獣と密室になることを容認できません」
……悪意はないはず。
「あまり過ぎたことを言うな、エアグルーヴ。いくら好井くんでも、その言い方は流石に傷つくと思うぞ」
そうだそうだ!
……ん? なんか微妙に引っかかる言い方だね、ルドルフさん?
「……しかし!」
「君が心配するようなことにはならないさ。何かあればすぐに声を上げればいいだけだ。ブライアンも近くに居てくれる」
「……」
しゅんとしおれた耳になったエアグルーヴの、肩に手を置きながら言う。
「夏合宿に向けて忙しい時期だ。君の助けが欲しいだけなんだよ。わかってくれるな?」
「…………定刻になりましたら、何が何でも部屋に入りますよ」
「ああ、構わない」
「……では。打ち合わせに行って参ります」
最後まで、心から賛同できない様子でエアグルーヴは部屋を去っていった。ちらりと俺を見てから歩きだしたのだが、その際の視線はとても直視できるものではなかった。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。腕を組んだまま座ったルドルフがそれを確認すると、ふっと軽く息を吐いた。
「改めて、急に呼び出して済まない。好井くん。こちらも火急の用だったものでね」
「いや……良いんだけど。状況の説明をしてくれると助かるな」
「そうだな。単刀直入に話させてもらおう」
緩んだ空気が再び引き締まる。レースに出ている時のような、どんな相手も真っ向から打ち崩すような強い視線がこちらを射抜く。物理的には何もされていないはずなのに、胸の辺りが急に苦しく思えた。気管が詰まったかのように、短く呼吸をする俺に、ルドルフは恐ろしい言葉を放ってきた。
「君……『うまぴょい』をしているだろう?」
……多分、もう手遅れだ。瞳孔が開き、視線は思わず空を見つめる。そんな細かな動きを、彼女が察知しないわけがない。何か適当な虚言でその場を凌ぐ選択肢は、刹那の間に封じられてしまった。まずい、と思う前に詰んでしまったのだ。
そんな俺を見て、確信したのか。ルドルフは答えを聞いてもいないのに続けた。
「一部の生徒たちの間で、既に噂になっている。今は我々生徒会が察知し次第、出来るだけ内輪で収まるように対処しているが……このままだと、いずれ経営団にも知られることになるだろう」
このトレセン学園は、数あるウマ娘教育機関の中でも最新鋭にして最大級の規模を持つ、名門だ。入ることも難しく、入ってからも成果があげられずに涙と共に去るウマ娘も少なくない。そんな伝統ある校内で、平然と得体のしれない行為が繰り広げられてしまっている事実。
普通に考えて、目を瞑れる状況なわけがない。だから、ルドルフは警告をするため呼び寄せたのだろう。
「それに対し、君は何か考えでもあるのかな?」
浅い気息を続けながら、俺は思う。
……ない。あるわけない。そんなものがあるのであれば、とっくに公にして肩の荷を下ろしていただろう。だけど、現状では秘匿する以外の行動は起こせていない。
始まりはテイオーから、無理に強いられたとはいえ……その後のことについては、自己責任以外何物でもない。そもそも、テイオーの件についても俺の不勉強さが招いた結果だ。彼女に悪い点は一つもない。
いつも俺はそうなんだ。後になってから、悔いる。テイオーが怪我をした時、もっとちゃんと見ていれば気付けてたかもしれない。クリークが抱えていた悩みも、すぐに解消できなかった。ネイチャに辛い思いをさせてから、初めて行動に移った。いつもいつも、後手になって悪い結果を見てから動いている。だから、俺はダメな奴なのだ。
…………でも。それでも。
「……すまん。特に……ない」
「ほう。
ちょっと使われた言葉が難しすぎて3割ぐらいしか理解できないけれど……。言いたいことはわかる。
逸らしていた目線を戻し、射抜かれそうな瞳に負けないよう俺も力を込めながら返す。
「でも……俺は、どうしても無視できなかったんだ。『うまぴょい』は確かに、ちょっと不適切なことかもしれないけれど……救われたウマ娘も居たはずなんだ。俺だけじゃない、過去にそうしてきた人たちも、きっと同じことを思って……!」
「一面的な考え方だよ、それは。確かに、『うまぴょい』をした子は強くなった。が、逆を言うならば出来なかった子はどうした? 勝てるはずだったかもしれないレースで、涙を飲んだかもしれない。明確に禁止されていないとはいえ、反則行為に近いものだと私は捉えているが?」
ぐうの音も出ない正論を、歯を食いしばって堪える。それは、俺が何度も自問自答を繰り返して、何度も目の前で苦悩する子を見てきたから。俺としての答えは既にある。
「そうかもしれないが……明確に禁止されていないのであれば咎にもならないはずだ。俺の軽薄さが、学園に迷惑……いや、被害を与えているのは事実かもしれないけれど。でも……それでも、俺は。一人でも多く、ウマ娘の笑顔が作りたかった。それだけなんだ」
俺の述懐はすぐに言い返されるだろうと予想できていた。なのでルドルフが間髪入れずに口を開こうとする前に、重ねるよう続ける。
「特殊な機材を使ったトレーニングをさせてあげられるトレーナーと、走り込みや自重トレーニングしか選択肢のないトレーナーを比較して、差別だというか? そりゃあ、自分の境遇に不満を言うこともあるだろうけどさ。でも、使えるものは全て使って、その上で口にしたいじゃないか。『ダメだった』って。だけど俺は、その言葉をウマ娘たちに言って欲しくない。俺だって、言いたくない。だから、出来る限りのことを、出来る限り努めたいんだよ」
ただの言い訳なのはわかってる。俺が美辞麗句を並べたところで、学園の風紀が乱れていることに変わりはないのだから。だけど……今の俺に出来ることは、ただそれだけ。
大好きなウマ娘の、笑顔を一つでも作り出すために。俺は出来ることを、してきた。
「……なるほど」
変わらぬ姿勢のまま、ルドルフは俺の言葉を瞑目しながら反芻している。俺の出せるカードはここまでだ。もうこれ以上、何かを突かれても大した返答はできない。固唾を飲んで見守っていると、目を開いたルドルフが、冷淡な口調のまま言った。
「嘘はないのだな?」
「キミに嘘をつく理由がない」
「…………そうか。わかった」
と言うと、肩を撫でおろしながら息を短く吐いた。
「君が暴走しているだけかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。安心したよ、好井くん」
いつも見せる柔和な表情に戻ったのを確認した俺も、大きく息を吸ってから冷や汗と共に重い吐息を零す様に出した。
「試すようなことをして済まない。噂を耳にしたエアグルーヴが、どうしてもと聞かないものでね。私は、いずれ対処するから問題ない、と言っていたのだが……。中々食い下がってもらえず、こういう形で対処を取らせてもらったんだ」
「……そういうことかぁ。あー、寿命縮まったよ……」
「とはいえ、私も易々と看過できる問題でもなかったわけだから、一応真に迫る形で問答したかったんだよ」
「ルドルフのマジの目はホント怖いんだからさぁ……もうちょっと、加減してくれよぉ」
「ふふ。そうもいかない状況だったのだから、仕方ないだろう」
シャツのボタンを一つ外し、ソファーの背もたれに汗ばんた身体を預ける。なんとか修羅場は乗り越えられたみたいだ。ルドルフ自身が本気で怒っていたら、どうしようかと思ったが。
飽くまで副会長の懸念事項らしい。他人をコントロールするためのダシにされただけみたいだが、まあ自らの行いが招いた出来事なのだから、文句は言えまい。
このやり取りでのことを交え、エアグルーヴが納得できる形で答えておくことをルドルフは約束してくれた。これで一安心……なのかと思ったのだが。
「しかし、一つだけ大きな疑問が残っていてね」
「え?」
ここにきて、何やら不穏な言葉が出てくる。何か、他に問題があったのか?
「確認なんだが、好井くん。君が今まで『うまぴょい』したのは、テイオー、スーパークリーク、ナイスネイチャ、ダイワスカーレット、ウオッカ。この5名で間違いないかな?」
指を一つ一つ立てながら、最後にこちらへ手のひらを向ける形で尋ねる。なんでそこまで情報を握っているのかわかんないけれど……いや、逆を言うならそこまで知れ渡っているということか。
ともあれ、事実は事実だ。頷いて返答する。
「やはりか……。ふむ」
ルドルフは、物憂げな様子で口元に指をあてて考え込む。下ろした視線が再び俺の目に向けられると、驚くべき言葉を口にしてきた。
「好井くん。これは、ウマ娘達もほとんど知らない事実だと認識しているのだが……」
「な……なに?」
「普通、『うまぴょい』は多人数に効果が発揮されないはずなんだ」
「…………?」
どういうこと?
「『うまぴょい』は、基本的に最初の一人にのみ効能が出るはずなんだ。続けて別のウマ娘としても、効果は非常に薄まる。トレーニングに時間を費やした方がマシなぐらいにね」
「…………ちょっ……と。待ってくれ」
それはおかしい。だって、俺と『うまぴょい』した子たちは、余さず効果を発揮していた。時間経過による効能劣化で、二度目を要求してきたテイオーも、次の日にはまた長距離を好タイムで走れていた。その理論は、適用されない。
「噂になった時、少し疑問に思ったんだよ。今やこの学園に男性トレーナーは君一人。辻褄が合わない」
「…………」
「しかし、起きた事実に変わりはない。となれば、考えられることは一つ……」
まさか。
「好井くん、君の『うまぴょい』は他のトレーナーとは違う。きっと、複数相手でも効果が衰えない……
知らない所で、次々に新しい俺の設定を付け加えるのをやめてくれないかなぁ~~!? 先輩には『うまぴょいの天才』なんて言われるし。今度は新時代の担い手だぁ~~? どういうことだよ!?
「そもそも、聞く限りではテイオーとスーパークリークに『うまぴょい』をした期間の空きもおかしい。ウマ娘側はともかく、常人ならばもう少し期間が空いていないと、体力的に出来るはずがないんだよ。発露までの時間も、異様に短いように見えるしね」
ああ~~まだ増えるの!?
「……まとめると。君の『うまぴょい』には即効性があり、連続で可能で。複数人相手でも効能が薄まることはない……。という感じだろうか」
「……それで、俺にどうしろと?」
何かを探っているようなのだが、話が見えない。俺の『うまぴょい』の履歴と彼女の口にする事実が、従来のものと噛み合ってないのは本当だ。だけど、だからって……。
「……好井くん。まだこれは決断には早いと思ってはいるが……。もし、君にそれを背負う覚悟があるのであれば、私は全力で応援するよ」
「……どういう?」
扉の裏で見張りをしているナリタブライアンに聞こえぬよう、ルドルフは席を立ち俺の耳元で『ある提案』を述べてきた。
内容を聞くと、あまりにも突拍子がないし、現実的に考えれば不可能だ。だけど、ルドルフは無理なことは言わない。
彼女は、いつだってトレセン学園に通うウマ娘たちが幸せであることを願い、その為に身を粉にして動いて考えているのだ。確かに、実現できるなら……誰も涙を流すことはないだろう。
「……俺に……出来るかな……」
「荒唐無稽と笑うには、その才能は惜しいと思う」
「……」
「とりあえず、対外的な面に関してある程度は任せてくれ。理事長やたづなさんには、下手に知られぬよう努力しよう」
凄く。
凄く、無茶苦茶なことを言われた。押し付けられたと言っても過言じゃない。ルドルフの描く理想郷を実現するための、道具のような考えだ。
…………でも。
シンボリルドルフという、輝かしい栄誉と高貴な思考を持つウマ娘と対等ではなくっても。
それでも、俺だって。ウマ娘達、全員の幸福を願っている。そこには、ルドルフだって入っている。
彼女の願いの延長線上に、俺と同じ願いがあるのであれば。手を組まない理由はないだろう。ある程度のサポートを生徒会側がサポートしてくれるなら、そんな有難いことはない。
「少し、考えさせてほしい」
「どれぐらい?」
「……年内にはケリをつけよう」
「随分と悠長な計画だね。仔細を訊ねてもいいかな」
「スケジュールの組み方を、まずしっかり整えたい。その上で……『出来ないことを可能にする』という事実を、公にする」
「ほう。それで?」
「そこまでくれば、上も認めざるを得ないんじゃないか? 俺の『うまぴょい』を」
なんて言葉を口にしているんだ俺は、と一瞬素面に戻りかけるが、それでも自信を持ってルドルフに伝える。少し驚いたような顔をした後、堪えきれずに噴き出した。
「やはり、君は面白いことを考えるね。流石はテイオーのトレーナーだけある」
「動きがある場合は相談させてもらうよ。……あと、エアグルーヴへの説得は任せてもいいかな? 多分、俺には無理だと思うし」
「なら、彼女と『うまだっち』になればいいんじゃないかな?」
「話を悪い方向に持ってかないでくれる!?」
「ふふ。済まない、ジョークだよ。ともかく、要望は理解した。連携を取り合って、計画を進めようじゃないか」
「ああ」
「!」
「?」
何かを思いついたルドルフは、少し興奮気味に発言した。
「……これで内容に問題は『ないよう』だが……。呼びつけの話は終わりでいいかな?」
ホントに言うんかい。
「……ああ。かまわないよう」
「おおっ……!」
やや呆れながら返事をすると、見たこともない明るい表情でルドルフは喜んでくれた。お堅い性格なのを、少しでも和らげるためにこうした小粋(本人談)なギャグを挟むようにしているみたいだが、高次元過ぎて俺にはついていけないよう……。あ、ちょっと移った。
……さて。
とりあえず、一旦話はついただろうか。時計を見ると、結構な時間が経過していた。最初にルドルフが言っていた通りになったな。すぐ終わると思ったんだが。
ルドルフは、会話中に溜まっていたメッセージの返信をするからと、スマートフォンを取り出して雑務を始めた。俺は押し寄せた緊張とこれからのことを考えるため、ソファーの背面に頭を置きながら天井を眺めて思考を開始する。
「……ところで」
「ん?」
突拍子もなく、ルドルフはやや控えめな口調で声をかけてきた。小声で会話するために、横に座っていた彼女は、さっきまで話すときには必ず揃えていた目線を壁の方に向けながら続ける。スマホは既にポケットの中だ。
「君は、『うぴうぴ』というものを知っているか?」
んなッ……!?
時すでに遅し。俺の腕は掴まれ、身動きすることも出来ない。だが声を上げれば、そこにブライアンが居るはずだ。入り口の扉に顔を向けて口を開こうとするが。
「残念だったね。彼女は一旦、外してもらったよ」
「へあっ!?」
妖艶さすらある目が、こちらを見ていた。叫びの代わりに出てきた情けない声と、用意周到な計画にまんまとハメられたことに、脂汗が噴き出す。テイオーもそうだったが、キミらは本当に人を騙すのが上手ですね!! いや、でもこれはルドルフの意志じゃあないはずなんだ。この感じは、覚えがある。クリークの時と同じだ……! 『本能』なんだ!
「ウマ娘と二人きり、しかも男女で。何も起きないわけがないだろう?」
「起きないのが普通なんですけど!?」
すっかりスイッチが入っているように見えた。あの皇帝が、こんな……こんな!
「まっ……待つんだルドルフ……!」
「待てない。諦めるんだな、好井くん。これで、テイオーや私とも『うまだっち』になれば……おお、晴れて君は『はぴはぴダーリン』じゃないか」
「なんで該当する単語があるんだよ~~~!?」
ルドルフのしなやかな指が俺の肩に触れる。垂直方向に身体を押さえつけられ、袖も掴まれた俺は完全に逃げ出すことは不可能だった。テイオーの時と同じ。力でウマ娘に敵わないのが人間なんだ。
もう、終わりだ。
ぎゅっと目を瞑っても伝わる、ルドルフの熱い吐息。近づくにつれ、艶っぽい呼吸が俺の耳に届き……。
そして…………。
「なんてな」
「!?」
一気に身体が楽になり、細やかな抵抗をしていた反動でソファーに倒れこむ。もちろん、俺だけ。
何事かと目を見張ると、おどけた顔をしたルドルフがこちらを見ていた。
「冗談だよ。いくらなんでも、私が君に手を出したとあれば、テイオーが黙っているはずもないさ」
と言うが。彼女の顔は、相変わらず赤いし呼吸も浅いまま。『うぴうぴ』しているのは間違いないはずなのだが……。
まさか、皇帝シンボリルドルフは
「……さて、好井くん。要件は済んだ。もう退室してくれたって、構わない」
「ああ、そうするよ」
頬に滴る汗を見て、俺はすぐ立ち上がって部屋を後にした。戸を開けると、壁にもたれて暇そうにしているブライアンと目が合った。
「……なんだ?」
「いや……。会話、聞こえてたか?」
「さあな。途中までは何となく聞こえたが」
「……そうか」
他のウマ娘が不用意に近寄らぬよう、ブライアンはずっと見張りをしてくれていたのだろう。それも、本当に今の今まで。
ルドルフの言葉の真意が理解でき、やはり彼女は他のウマ娘と一線を画す存在なのだと改めて認知する。そんな子に、頼りにされては俺もトレーナーとして腕を振るわなくてはならないじゃないか。ルドルフの担当はもちろん別にいるが。それとこれとは別問題だ。彼女と俺が見る、同じ夢を叶えるために。
「あ、トレーナー!」
廊下を一つ曲がると、テイオーが座って待っていた。俺を見るなり明るい顔をして駆け寄ってくる。なんとなく、実家で飼っていた子犬が脳裏に思い浮かび、懐かしい気分になった。
「生徒会室に、こっそり行こうとしたらブライアンが怖い顔してきてさー! 全然近寄れなかったんだよね~。ねえねえ、大丈夫だった?」
「ああ。なんとかな。心配かけた」
安心させるため、テイオーの小さな頭に手を置きながら返事をする。どかそうともせず、そのまま受け入れながらも、テイオーは会話を続けた。
「それで、なんだったの? 呼び出しの内容って」
「戻りながら話すよ。みんなも心配してるだろ」
トレーナー室までの距離はそこまであるわけではないが、ゆっくり足並みを揃えながら俺は包み隠さず話した。これは、俺だけの問題ではもう無くなっているから。
一頻り聞くと、テイオーは頭に人差し指を当てながら首を傾げた。
「ん~? じゃあ、トレーナー。スケジュール管理してくれる、サブトレーナーでも雇うってこと?」
「いや、それじゃダメだ。お前たちウマ娘に対し、俺達ヒトは余りに弱い。『うまぴょい』を管理するには、どうしても力不足なんだ」
「……だったら、どーするの?」
「管理が上手な子に手伝ってもらうだけさ」
「あ、イクノとか?」
「いや、イクノディクタスは眼鏡をかけた脳筋だから……」
「そうかなぁ。数字の管理とかは上手だと思うけど……」
「適任なら、目星はついてる。事情を話せば、きっと協力してくれるはずさ」
「えー、誰だろ〜?」
それは、黒い髪とミリ単位の調整で切り揃えられた尻尾が特徴的で。常に時計と共に動き、寸分狂わぬスケジューリングで、向こう十年の計画すら立てていると噂の、まさに完璧を体現しているウマ娘。
まだデビュー前だが、その末脚の切れ味と先述の性格でひそかに話題になっている子。
エイシンフラッシュ。
この子を、俺のサポーターとして引き入れれば、新しいステップが踏み出せるのだ。
「お断りします。私の予定は既に埋まっていますので」
……出鼻をくじかれたけど、俺はめげないゾ!!
――――おまけ
「そういえば、ルドルフ」
「なんだい、好井くん」
「やけに『うまぴょい』に詳しいよな。資料とかもないのにさ」
「ああ。まあ私は経験者だからな。詳しくもなるよ」
「そうだったのか」
「隠していたつもりはないんだが……気に障ったか?」
「いやいや、そういうわけじゃ…………ん?」
「どうした?」
「あれ、ルドルフのトレーナーって……女性だよね?」
「それが何か?」
「……」
「……」
「……まあ、出来ないわけじゃ……ないもんな」
「何かおかしなことを言っただろうか?」
「いいや。……うん。大丈夫。ありがとう。ホントに。」
「?」