第一話「衝撃、トレセン学園最後の男性トレーナー!」
年度明けの、暖かい陽気に包まれた季節。
桜並木を歩きながら、今日も緩やかにトレセン学園へ向かっていた。
担当のウマ娘達の成績も上々。自身の評価も悪くない。
新しい季節に相応しい、とても穏やかな日々の始まりを告げるかのよう。
俺……『
「危機ッ!! このままではマズいぞ、好井トレーナー!」
そんな生易しい状況は、一瞬で崩れ去ってしまう。
学園に入ろうとするや否や、毎日ウマ娘達に挨拶を交わしているトレセン学園理事長秘書『
いや、本当に連行だったんだよ。
有無を言わさず、袖をつかまれそのままの勢いで理事長室へ放り込むんだから。
途中、ウマ娘たちの怪訝な視線を痛いほど受けた。
思春期の子たちに、朝から刺激的すぎるんじゃ? なんて心配は全くしてないのか、真っすぐ連れていかれたんだ。
そして、学内でもかなり荘厳な造りのドアの中へ放り込まれると同時に、「火急」と書かれた扇子を開いた理事長……『秋川やよい』氏に、説明もない謎のセリフをふっかけられたのである。
「……えっと……。ど、どうしたんですか?」
朝の挨拶も忘れるほど、俺は動揺していた。
だが、後ろ手に聞こえる鍵の閉まる音だけはしっかり耳に入っている。大声で話しかけた割には、極秘の内容らしい。
「うむ。好井トレーナー。キミも聞き及んでいることかもしれないが……新学期に入り、年度末で引退や異動したトレーナー達が居るのは、知っているな?」
当然だ。各担当の引継ぎ、チームの状態等など。
様々な業務の受け渡しが、2月から3月に向けて行われた。俺自身も何人か、適正のありそうな子を受け持つことになっている。顔合わせもまだのウマ娘だっているが、珍しいことではない。
「驚愕ッ!! 先ほど資料整理をしていて気づいたのだが……どうやら、それによりこの学園の男性トレーナーはキミ一人となってしまったのだ!!!」
「……? それが、何か……?」
ウマ娘のトレーナー自体が居なくなるのは困るが、別に俺以外が一斉に退職したわけでもあるまい。
仕事の負担はそりゃ増えるには増えるが、首も回らない状況になるようなことは、決して……。
「トレーナーさん、もしかして……『あの噂』をご存じないのでしょうか?」
おずおずと伏し目がちに尋ねつつ、緑のスーツが今日も決まってるたづなさんが俺の前へ立った。
「あの噂……?」
「はい。その様子だと、ご存じないみたいですね」
「噂と言っても、そんなものたくさんありますからね。
後ろ向きで走るサンタクロースとか、夜の練習場で延々と走るウマ娘とか……」
「もしかすると……意図的に耳に入らないようにされていたかもしれませんね。
では、お話しましょう。どうか、心して聞いてください」
「は、はい……」
いつにもない真剣な眼差しで、たづなさんは口を開く。
生唾を飲み込み、どんな恐ろしい話が飛んでくるのだろうと俺は身構えた。
「異性のトレーナーと『うまぴょい』したウマ娘は……最高の肉体を得ることができる」
「…………は?」
余りに突拍子のない内容で、噤んでいた口がだらしなく開く。
力んでいた肩の力が抜け、猫背のような姿勢になってしまった。
なにより、脳が意味を理解できていない。
「うま……ぴょい? って?」
「静粛ッッ!! 好井トレーナー! それ以上はいけない!!」
センスで赤くなった顔を隠す理事長の怒号が飛ぶ。
驚いて視線を動かし、もう一度たづなさんに返すと、たづなさんも頬を染めていた。
もじもじとしている様子は、普段の彼女とは程遠い様子でとても加虐心がそそられる。
……じゃない、じゃない。
「あの、なんですか? うまぴょい、って」
「と、トレーナーさん……。その……何度も言わないでください……」
「全く、まだ早朝だぞ。好井トレーナー!」
「ええ~……」
理解できない状況な上、問おうにもまともな返事がこない。
俺は一体、何を聞かされ、何に危機を抱けばいいのだ?
「と、とにかく! キミはこの学園最後の男性トレーナーになった、ということは先ほども伝えたな?」
「ああ、はい」
「つまり、噂の対象はキミしか居なくなってしまったわけだ!」
「……なるほど?」
「もしかしたら、トレーナーさんに対して噂を強引に実行するウマ娘さんが、これから押し寄せるかもしれない……ということを、忠告したかったんです」
「??」
忠告されても、そもそも『うまぴょい』とやらが何かわからない。
危機を抱けばいいのか、はたまた別の方法で撃退? すればいいのか。
「禁忌ッ! 噂の実行は、いくら自由な校風の我が学園においても、目に余る! 好井トレーナーは、鋼の意志を持って、その行為を防いで欲しい!」
「……うぅん、よくわかりませんが……。俺も一人のトレーナーですから。ウマ娘が強くなろうとする要望に、応えないのはどうかと思いますが……」
「確かにそうですけれど……。いえ、やっぱりダメです。まだ思春期のウマ娘さんたちが、そんな……そんな!」
私だって、まだなのに。という たづなさんの小さな声が届いたが、結局のところ何がなんやらわからない。
ただ、学園を運営管理する立場の二人から、直々に言われた以上は、俺も従わないのは流石に大人として間違っているか。
「わかりました。いや、わからないままですけど。とにかく、普段と違うことをウマ娘達が求めてくるかも、ってことですかね?」
二人が頷く。
「強くなりたい。速くなりたい。あの子より先にゴール板を駆け抜けたい。そんなウマ娘たちが、何かを求めて俺の下を尋ねてくるのに、無碍にするのは少々気が引けますけど……。他でもない、二人のお願いですから。気がかりはありますが、ともかく了解しました」
肯定の動作をする俺を、たづなさんは不安げに見る。
「トレーナーさん、本当に気を付けてくださいね。うま……いをした子は、一度ならず二度、三度目を要求してくるそうですよ」
「因果! 何より、数々の男性トレーナーが引退している理由の一つでもあるからな。噂、というが間違いなく事実なのだ。
「はい、わかりました」
なんか最後にとんでもないことを言われた気もするが、キリっと返事をして、俺は礼を尽くした後に部屋を出た。
……結局、なんの話だったんだ?
頭の中に浮かぶ単語は「うまぴょい」「危険」の二つぐらいだ。
後は雲をつかむような話で、要点を得ずに終わっている。俺は、何をどうすればその「うまぴょい」が回避できるのか、未だわからない。
腕を組みながら、理解できない命令を下されたことに疑問を抱きつつトレーナー室に向かうため廊下を歩いていると、目の前によく知る後姿が見えた。
そうだ。彼女に聞くのが早そうだ。
「桐生院さん!」
振り向きながら、顔にかかった髪を手で押さえつつ、呼ばれた女性がこちらを見た。
彼女は
彼女自身は、力量に対する評価を謙遜しつつもしっかり受け止めて、専属担当している白毛のウマ娘、ハッピーミークと共にトゥインクル・シリーズを
「あ、好井トレーナー。おはようございます」
「おはようございます」
丁寧な会釈と、にこやかな笑顔。良い家の出身にも関わらず、この人あたりの柔らかさには何度も助けられた。悩みを共有し、たくさんの話をして、一緒に解決してきた。俺にとって、ウマ娘とは違う方向で信頼のおける相棒である。
「……? どうしました? 何か悩みでも?」
「あー、やっぱりわかります? いやぁ、それが朝から意味わからない命を受けまして。しかも理事長から」
俺の発言に目を丸くする桐生院さん。何か悪いことでもしたのだろうか、と聞いてきそうだったので、先手を打って口を割る。
「なんか、噂の対象になるから気を付けろ、って言われたんですよ」
「噂?」
「はい。桐生院さん、『うまぴょい』って知ってますか?」
その単語を聞いた途端、彼女の耳は真っ赤に染まった。手にしていたバインダーで、顔を隠しながら辺りを伺う。
「な、何を朝っぱらから言ってるんですか!!」
「ウソォ!? なんで桐生院さんもそんな反応なの!?」
「当たり前じゃないですか!! 私じゃなかったら、セクハラで訴えてますよ!」
「そんなに!?」
ぷりぷりする桐生院さんを見下ろしつつ、頭を掻く。どうやら、『そういう系統』の話らしいが……。これは、聞くより自ら動いた方が良いのかもしれない。
「すみません、変なことを聞いてしまって。ちょっと自分で調べてみますね」
「ちょっ! 学園のパソコンで調べるおつもりですか!?」
「そのつもりでしたけど……」
「履歴、残りますよ? 理事長に知られたら、職務中に何をしているんだ、って怒られるに決まってます!」
「もう、どうしろっていうのさーー!!」
俺は半泣きになりながら、桐生院さんを置いて廊下を走っていく。
謎が深まるばかりの状況は、精神的に苦痛と疲労をひたすらに与えてきた。
悶々としながら、俺は普段の仕事を熟していく。
トレーナー室には、ウマ娘達は基本立ち寄らない。特に午前中は座学をしていることが多く、午後も依頼や申請がなければ、誰にも会うことはない。
「トレーナー、やっほー! 今日も元気かねー?」
と言うのは、多分一部の人だけだろう。俺の場合は、昼休みの時間をこうして担当するウマ娘にいっつも入ってこられる。
「テイオー。入る時はノックしろって言ってるだろ~?」
「えー? 別にいいじゃん。それともなに? ノックしないと困るようなことしてるの~~?」
「あのなぁ……」
にしし、と笑いながら食後の炭酸飲料を片手に笑う。
彼女は、トウカイテイオー。俺の担当ウマ娘の一人だ。
小さな体と幼げな言動。子供っぽさと元気が有り余ってる、中等部らしさ全開の子だ。
普段はこうして、親戚の子供と遊ぶようなやりとりをしているが、ことレースになれば話は変わる。
彼女は、トゥインクル・シリーズで輝かしい戦績と汚点(本人談)を同時に残してきた。クラシック2冠、ダービーまで無敗で突き進むも、骨折により菊花賞は断念。その後、復帰してGⅡのレースで一着を取るが、春の天皇賞……ライバルのメジロマックイーンと、無敗と連覇を天秤にかけた勝負をするが5着と惨敗。
秋の天皇賞も結果が振るなかったが、続くジャパンカップでは1着。有馬記念に勢いそのまま向かうが、やはり長距離は不得手なのか11着。更に、再び骨折。
折れたのは骨でなく、心もだったが……。彼女には、支えてくれる仲間が居た。挫折を味わい、何度も泥水を啜りながらも、目標とする精神的支柱、皇帝シンボリルドルフを越えるために立ち上がり、翌年の有馬記念で中364日と言う前代未聞のGⅠ制覇を果たした。
あの時の姿を、俺は今でも忘れない。
いつもの軽々しいステップと、矢のように飛んでいく凄まじいスパート。だがあの日、あの時だけはその技術を忘れ、ただ彼女の中にある才能だけで走り切り、勝利をもぎ取った。中山レース場が、歓声で割れそうなほど、俺も一緒に熱狂して涙を流したものだ。
その頃のような、凛々しい顔立ちとは程遠い緩んだ顔で、今日も他愛ないやりとりをする。
あの時のテイオーも好きだが、このだらけきった素の彼女も俺は好きだ。担当として、誇りに思っている。
「そういえばさ、トレーナー。今朝、たづなさんに捕まってなかった?」
「ああ、見てたのか」
「そりゃ、あの時間にあんなことしてたら目立つよ~。なに? お説教でもされてたの?」
「そういうわけじゃないんだがな……」
ため息をついて、パソコンから目を離す。眉間に指をあてて、眼精疲労で凝り固まった肩を鳴らした。その様子から見て取れる、疲れた様子を察してかテイオーが机に寄ってきた。
「お疲れだね、トレーナー」
「まぁな。つっても、こんなのいつものことだよ」
「それにしては、ふっかぁ~いため息だったけど?」
「ふっかぁ~い悩みを持ち込まれたんだから、しょうがないだろ」
「ほーん。どんな悩み?」
「それは……うま」
危うく、いつもの調子で口にしかけた。慌てて口に手を当て発声を止める。『うまぴょい』のことは、桐生院さんですら赤面するようなこと。ましてや、ウマ娘と関係することなのだから、テイオーに向かって言うのは明らかに悪手だ。ややこしい事態になる前に、胸に秘めねば。
「うま?」
「うま……娘のことでな。色々とあんだよ。大人には」
「ふぅ~ん……。大変だね、大人は」
それ以上、興味を持たないのか。テイオーは離れ、部屋内にある武骨なソファーに寝そべった。スマホを取り出し、無言で画面をタップしていく。普段通りの、昼休みの過ごし方だ。特にずっと会話などしなくても、そこにいるだけで良い。気の置けない仲になっている俺達には、とても自然な時間の過ごし方。
「ねえ、トレーナー」
「ん? なんだ?」
だから、その言葉には驚いた。思わずパソコンのディスプレイに頭をぶつけてしまいそうな一言だったから。
「あのさ……『うまぴょい』の噂って、知ってる?」
「うま……!? テイオー、知ってるのか!?」
「えっ!? あ…………まあ。うん。」
作業内容を保存することすら忘れ、俺は立ち上がる。質素な椅子が自由にくるくる回るのにも気に留めず、真剣な目でソファーに居るテイオーを見た。
少し照れながら、スマホに注視しつつ言っていた。恥じらいがある、ということに流石に何も思わないわけではないが。手が空いた時にでも調べようとしていた、謎の行為――そもそも行為かも不明だが――を既に知っている者がいるとは。いや、桐生院さんも知ってるぐらいだし、割と当たり前なのか? 俺が単純に、そのことに触れない人生を歩んできたことが異端なのだろうか。
「なに、トレーナー。もしかして知らないの?」
「う……。……ああ。そうだ。トレーナーとして恥ずべきことなんだが……その……。知識も経験もなくてな。その噂のことも、今朝がた聞いたばかりなんだ」
「そうなんだ……。あ、ってことは。理事長に呼ばれたのって?」
「その『うまぴょい』のことだよ。とにかく、ダメだって釘刺されたんだが……内容がわからないものを禁止しろ、って言われても、中々どうしていいかわらかなくて……」
担当の前で、自らの不勉強を晒すのは余りに情けない。なにより、彼女らにとっても大事なことらしい。そんな重要なことを、誰よりも詳しくないといけないトレーナーが無知であるのは、自堕落と思われても仕方がない。しかし、知らないなら知らないで、これから知ればいい。
特に、テイオー自身に知識があるのは幸いだ。俺とテイオーは、長い付き合いによる硬い絆で結ばれたバディ。贔屓をするわけではないが、贔屓をしたくなるほどの経験を積んできている。
「へぇ~……。そっか。トレーナー、知らないんだ。」
スッとテイオーが立ち上がる。手を後ろに回し、逸らしていた赤い顔をこちらに向けてくる。いたずらっぽい笑顔を見せるが、普段の元気はそこになかった。
「じゃあさ、教えてあげようか。ボクが」
「い、いいのか!? よくわからないが……なんかこう……センシティブなんだろ!?」
「んん~? まあ、そうかもだけど……。それより、知らないことの方がダメだよ。トレーナーならさ」
「そ、そうか……。やっぱり、そうなんだな。すまん、テイオー。恥を忍んで頼む! 俺に、『うまぴょい』を教えてくれ!」
手を擦り合わせ、年端も行かない少女に向かって頭を下げた。
「うん、わかった。二言はないね、トレーナー?」
「当たり前だ。お前に『うまぴょい』のことを教えてもらえるなら、そんな良いことはない!」
「ふぅ~~ん。ふぅ~~ん? そっか~~。わかった。じゃあ、放課後のトレーニング前にまた来るね。そしたら教えてあげるよ」
「おお、助かる! ありがとう!」
何やらテイオーの持つスマホから小さな音が鳴っていたが、着信だろうか。やけにタイミングが良かったが。まあ、いい。
とにかく、俺はこれで未知に対する知見を得られるわけだ。青春を謳歌する年齢でもないのに、放課後が楽しみになるとは。人生わからないものだ。
……そういえば、理事長達からはウマ娘とそういったことは原則禁止と言われていたな。
まあしかし、相手はテイオーだ。何ら問題あるまい。何かしらマズイ事態になりそうでも、話せばわかってくれるだろう。
重かった肩が軽くなった気がして、俺は一層職務に励んだ。早く時間が過ぎてくれないだろうか。