「……ぶぇっくしょん!」
春の温かい気候。
花粉症持ちの俺は、今日何十回目か わからないくしゃみをした。今年は忙しくて対策の薬飲むのを怠った弊害だ。
学園の屋上にいるのだから、室内より当然浴びる花粉は多くなる。それでも、俺はここから眺める景色が好きで定期的に訪れていた。
眼下に広がるのは、今日も元気にトレーニングに励むウマ娘達。
みんな、楽しそうに走っている。
――――あれから。
俺達が思案した新曲『うまぴょい伝説』が公式に認可されてから、初めてのURAファイナルズが終わった。
今年度一番のウマ娘が決定したことより、その楽曲が
……俺としては、相棒のテイオーが長距離部門で優勝したことをもっと見て欲しかったけれど。
テイオー自身が、それよりも。と話題を譲ってくれたのは、有難いことこの上なかった。
『うまぴょい伝説』が、全てのウマ娘に行きわたるようになると、環境は変わった。
歌って踊る練習をするだけで、自身の能力が上がるのだ。加えて、他者と共にレッスンすることで効果はさらに増す。
一度やればいいものではないけれど、時間を重ねれば確実に効果は出る。みんな、積極的にトレーニングの一環として取り入れてくれた。ライブの練習そのものにもなるし、一石二鳥なわけだからデメリットなんてないしな。
そうそう。試験段階では報告されたことのない効果もあって。
何故だか知らないが皆、年度明けの春ごろに一気に身体能力や適性が伸びたそうな。
元々期待されてる、緩やかな変化とは別に、いきなりドンとあがった子も居るらしい。
中でも、奇妙なことに……三女神様の声を聞いた。という事例が数多くあった。
なんでだろう。因果関係はあるかどうかわからないが、とにかく確実に『うまぴょい』の効果が出てくれたのは良かった。効果がないのは困りものだけど、逆なら良いことだろう。まだまだ運用は始まったばかり。少しずつ謎が解明されて、全ウマ娘が幸せになれる未来が訪れればいいなぁ。
「……は……はっくしょん!! ……あ゛ーしんど……」
もう一度大きくくしゃみをして、鼻を啜る。
ぽかぽか陽気に当てられて、手すりに両肘をかけて体重を預けていると。
「暇そうだね、トレーナー」
と、後ろから声をかけられた。
「良いだろぉ。今は何も予定入ってないんだからさ」
「ちょっと前は、あんな忙しそうだったのに」
「そうだな。23年生きてきて、一番密度の濃い時間だったかなぁ」
「ふーん……」
声の主、トウカイテイオーが横に並び立つ。
いたずらっぽい笑みは変わらない、いつもの彼女だ。
「……」
「……」
特に話す内容があるわけでもない。俺は黙って景色を眺める。テイオーも
「あ、ファル子だ」
「今日はダートを走ってるみたいだな」
「URAファイナルズもダート枠だったし、やっぱダートが好きなんだね」
「リベンジしたかったか?」
「一緒のレースで走るなら、とーぜん! 今度は絶対負けないから!」
「……そうだ。逆に、お前がダート走ってもいいんだぞ?」
「やだー! 砂埃の中走るの嫌いだもん。重バ場だって苦手なのにさ」
「そうか」
「うん」
風が舞う。桜の混じった穏やかな気流は、平和になった俺の心の内のよう。
「…………テイオー」
「ん?」
「みんな、楽しそうに見えるか?」
「……うん。楽しそうだよ。『うまぴょい伝説』のおかげで、出来なかった挑戦ができるようになった。って、みんな喜んでた。カイチョーも嬉しそうだったよ」
「……そっか」
思わず笑みが零れる。
『うまぴょい伝説』という新しい『うまぴょい』で、世界は広がった。才能の差で苦しむことがなくなった。当然だけど、それだけで勝てるわけではないけれど……それでも、挑み続ければ先が見える。という光明を作れたのは、本当に良かった。
俺自身への直接『うまぴょい』をする必要性がなくなったので、一時期の過密スケジュールは瞬く間になりを潜めた。自身の担当を見るだけで良くなったからだ。つまりは、いつも通りというわけ。
たくさんの人に必要とされる経験は、なんだかんだ嫌いではなかったけれど。俺には重荷でもあったわけだし。分相応の状態に戻っただけだ。
平和で平穏。これで良い。
「こちらにいらっしゃったのですね、トレーナーさん。」
フラッシュが、ネイチャとクリークを連れてやってきた。
お昼時なのに、トレーナー部屋に居ないから不審に思ったのだろうか。
「やあフラッシュ。どうしたんだ?」
「特に要件はありません。お部屋にいらっしゃらなかったので、どちらにいるのかと思いまして。」
「クリークさんが、きっと屋上だよって言うから来てみたんだ」
「冷蔵庫にデザートがありますから、ってお伝えしましたよね。トレーナーさん」
あー、そうだった。いつもネイチャが差し入れしてくれるお弁当を洗った時点で、すっかり頭から抜けていた。見越したように、クリークの手には箱に入った手作りのシュークリームがある。
「じゃあ、せっかくだし。みんなで食べようか。ありがとな、クリーク」
「いえ~。そのつもりで持ってきましたからね~」
優しく微笑むクリークから、一つ菓子を受け取る。広い屋上で、小さく輪を作った俺達は甘く蕩けるようなクリームに舌鼓を打つ。
いつもはタイシンとかブライアンが居たりするのだけれど、珍しく誰も居ない。俺達だけしかいない、朗らかで緩やかな時間。
「……俺さ」
「ん?」
包み紙を綺麗に折りたたみながら、ごちそうさまをしてから口を開いた。
話題の切り出しに反応するテイオーだけでなく、みんなに向けて続ける。
「改めて思ったんだけど。これぐらいの人数がちょうどいいや」
クリークが手を差し伸べてきたので、甘えて俺はゴミを受け渡した。
「どういうこと?」
「たくさんのウマ娘と、たくさん関わったんだけど。やっぱり、それぞれ皆、大事な夢と意志を抱いてトレセン学園に来てるんだなぁってわかってさ。それを支えるのがトレーナーなわけだけど……。出来る限界ってあるんだよ。どうしても」
身体が一つしかない以上、見据える夢の全てを掬い上げることは出来ない。どれだけ頑張っても、どれだけ身を削っても、時間だけは公平なのだから。
「だから。俺には、テイオー、クリーク、ネイチャ、フラッシュ。キミ達だけで手いっぱいだわ。自分がいかに平凡か、今回の件でよーくわかったよ」
申し訳なさそうに笑うと、みんなは不思議そうに顔を見合わせた。
「トレーナー、さっきも言ったでしょ。そんなことないよ」
「え?」
「トレーナーさんが、たくさんのウマ娘と『うまぴょい』をしてくれたこと。『うまぴょい伝説』で、これからのウマ娘たちの道を作ってくれたこと。みんな、と~~っても感謝してるんですよ~?」
「一部の界隈では、新曲に重ね合わせて、トレーナーさんを『伝説のトレーナー』と呼ぶ方もいらっしゃいます。」
「ま、言い過ぎな気もするけど……。間違っちゃいないんじゃない? アタシらも、そんなトレーナーさんに担当してもらえて……感謝してるわけですし?」
大げさな呼び名を陰でされていることに驚きつつも、それだけ『うまぴょい』が受け入れられたことに歓喜する。
元々の計画ではあったとはいえ、『うまぴょい』を連続でする日々は辛かった。そこに至るまで、皆の為に出来ることはないかって、苦労して悩んだことも……。
そうか。全部、無駄じゃなかったんだな。
急に報われたことに対する実感が湧き、思わず目元が熱くなる。
「あれあれ~? トレーナー、泣いてるぅ?」
「ばっ……! か、花粉症だ! へっくし! あ゛ー! 今日は一段とキツいな~~?」
「ふふ。はい、ティッシュですよ~」
無理やり誤魔化しながら、鼻をかんで目元を拭う。大人なのだから、少しは威厳を保ちたい見栄だって俺にもある。……まあ、何度も情けない姿を見せているから、今更だけども。
「テイオー。次は天皇賞の春だ。春の三冠狙っていくぞ。目指すは年間無敗の最強王者だ!」
「うん! 今回はマックイーンも出てくるからね! 今度こそ、『絶対』のボクが、絶対勝つよ!」
「クリーク。色々と助けてくれてありがとう。これからも、世話になるだろうけど……。俺も頑張ってキミを支えるから。頑張ろうな」
「はい~! 辛いときは、い~っぱい甘えてくださいね~」
「ネイチャ。安心沢より、絶対俺の方が良いって思って貰えるよう頑張るからさ。テイオーにも負けないよう、一緒にやってこう!」
「……トレーナーさん、割と鈍いよねぇ……。まぁ、そこがいいんだけどさ。はいはい、頑張らせていただきますよ~」
「フラッシュ。皐月賞はもう間近だ。クラシック三冠、特にダービーは絶対手にしよう。時間もたくさん作れるようになったし、管理も完璧になったキミなら必ず勝てる!」
「そのようにスケジュールを組んでいますから。後は実行するだけです。体調もメンタルも、問題ありませんから、ご期待に副える結果を出してきます。」
それぞれに激励の言葉を渡し、最後にもう一度。俺自身の思いを込めて。
「みんな、大好きな俺の愛馬だ。これからも、どうかよろしくな!」
「「「「はーい!」」」
綺麗な合唱と、突き上げた拳。
春の空に、俺達は誓う。
全てのウマ娘が自由に走れるようになったこの世界で、まだ見ぬ未来はどうなるのか。
レースの結果は残酷だから、きっと楽しいことばかりじゃないのに変わりはないかもしれないけれど……。
それでも、絶対。
今までより明るい道で照らされていることに、違いはないはずだ。
『ヒトがウマ娘に敵うわけがない』 おしま「ところでさ、トレーナー」
「ん?」
凄く爽やかに締めようとしたところ、突如テイオーが思い出したように聞く。
「もう、『うまぴょい』はしなくっても良いんだよね」
「まあ、そうだな。『うまぴょい伝説』があるんだし……みんなも、効果あったろ?」
頷く一同。何か気になることでもあるのだろうか。
「けどさ、『しなくていい』ってだけで……『しちゃいけない』わけでもないんでしょ?」
「あー。どうだろ? みんなに知れ渡ったからといって、厳密にどうするとかは言われてないな」
「じゃあ、別に問題ないんだね」
「なに……が……」
気付いた時にはもう遅かった。
俺の周りは囲まれている。
後ろは空中だ。屋上からの落下なんて、人間では即死だろう。逃げ場は前にしかない。
けれど……そこには、俺の数倍の力とスピードを持つウマ娘で塞がれているのだ。
「他の子たちに時間を取られる心配もなくなったわけだし。思う存分、出来るわけだよね? ボクたちと……『うまぴょい』を♡」
「そ、そういうわけじゃ……!!」
「ダメですよ~トレーナーさん。ちゃんと私たちの気持ちを受け止めてくれなきゃ~」
真っ先に助けを求めようとしたクリークも、もうだめだ。
完全に『うぴうぴ』している。
「最近ご無沙汰だったわけですし。……い、いいよね?」
「ネイチャ、みんな居るんだぞ。いいのか? なあ?」
「まあ、ここに居るみんななら別に」
「トレーナーさん、一つだけお伝えしておきます。逃走経路はありません。この屋上に、他のウマ娘が来ることも、昼休みの間は無いでしょう。」
「なんで!?」
「そのように、管理したからです。ご指導の賜物ですね。」
「そういう目的で、フラッシュをスカウトしたわけじゃないんですけど~~!?」
「まあまあ、トレーナー。諦めなよ。どうしたって、逃げられないんだから」
「そうそう。皆を幸せにするのが、トレーナーさんの目標なんでしょ?」
「でしたら、しっかり責任を取って貰わないと。ですね~。うふふ」
「昼休み終了まで残り42分。トレーニング開始まで1時間33分。共に成長したトレーナーさんならば、我々4人を相手をしても7分の余裕が出来るはずですよ。」
テイオーに身体を掴まれる。
迫る様に、他の3人からの湿っぽい熱い視線を感じる。
抵抗できない力に押さえつけられた俺を見上げてから。
「さ、トレーナー」
あの時と同じように、テイオーは耳元で囁いた。
「ボク達と『うまぴょい』……しよ?」
「やっぱこうなるのかよーーーー!!」
むなしい叫びが空に溶けていった。
ウマピョイ! ウマピョイ!
『ヒトがウマ娘に敵うわけがない』 おしまい
ご愛読ありがとうございました!