スマートファルコンと、『うまぴょい』についての一通りの会見が終わり。場内にざわめきを残したまま、俺は通路を一人歩いていく。
色々と考えてしまうことはあるけれど、上手く言葉や対応が出てこなくて。
下手に準備をすると、これは無駄に待たせてしまうと思い、ただただ足を動かすことにした。
「……あっ。」
目的地の傍まできた時、遠目で気付いていた。純白の勝負服を纏ったままのメジロマックイーンが、困ったように扉に背を預けていることに。
俺の接近する足音が、人間の可聴域ぐらいの距離になってようやく耳に入ったのだろう。止まった革靴が視界に入ると同時に、短く声をあげた。
「好井さん……。あの……。」
「ありがとう、マックイーン。後は俺に任せてくれるかな」
最大のライバルとして、そして大事な友達として。彼女も心配して、駆けつけてくれていたのだろう。着順で言うならば、マックイーンの敗北なのに。
思うこともあるけれど、今はただ感謝を述べるだけに留めよう。ライブの準備もあることだし、そろそろ安心沢も心配していることじゃなかろうか。
「すみません。お力にもなれず……差し出がましい真似をしてしまって。」
「何を! テイオーはキミが居たから走れたんだ。謝ることなんて一つもないよ。気にしないで」
「……ありがとうございます。それでは、失礼いたします。」
綺麗なお辞儀を見送ってから、俺も改めて深呼吸をした。キッチリ締めていたネクタイを少し緩ませ、普段なら絶対沸くはずのない緊張感を覚えながら、戸に指を当てようとした時だった。
「ん?」
胸元のポケットに入れていたスマホが振動した。このタイミングで一体誰が? と想像する間もなく。画面に表示されている、テイオーの名前と『良いよ』という一言で俺は全てを察した。
LANEに既読だけをつけてから、俺はもう一度スマホをしまうと。ゆっくりドアノブを回し、部屋に入っていった。
天井の灯りはついておらず。ただ一人しかいない、その室内を照らしているのは化粧台のライト一つだけ。何か作業をするにあたっての光量を確保するにしては、少々心もとない。
それでも、今のテイオーにとってはそれで十分なのだろう。ぼんやりと鏡に映る自分を、ただただ見つめている。反射している表情から、心の内を読み取るのは難しそうだ。あえて無理に、何もそこに乗せないようにしているのがわかる。ただそれだけ。
「……」
「……」
互いに無言のまま、俺だけが足音を室内に響かせる。それから、鏡台ではない方の机の椅子を引いて座った。
背もたれに片腕を垂らし、胸を反りながら天井の暗いライトを眺め続ける。
何かを言いたいのに、何も言えなくて。
暖房の音が響く薄暗い密室に居ると、時間の感覚さえ薄れてしまいそうだ。これからウイニングライブもあるんだから、本当は悠長にしてもいられないというのに。
「トレーナー」
「ん?」
そうこうして悩んでいると、テイオーが口を開いた。抑揚のない、淡々とした呼び掛け。首を向け、俺も何の気なしに返事をした。
「……ボク。」
「……」
「…………はぁ……。」
「……テイオー?」
「……うん。……あのさ、ボク……。」
震える小さな背中だけを見つめ、鏡に映るその表情を見ないように懸命に努めて言葉を待った。
「……負けちゃった……んだね」
絞り出した言葉を受けてすぐ『マックイーンには勝ってただろ』と言う慰めは根本的に間違っていると理解し飲み込む。
グランプリ制覇したかったよな。また、センターで踊りたかったよな。
……違う。
そんなんじゃない。
テイオーが今、必死に涙を堪えてまで言いたいことは、そんなキラキラした内容じゃないんだ。
徐に俺は立ち上がり、ゆっくりとテイオーの後ろへ立つ。
今度も鏡の中を見ないように、けれど視線を下げてから言った。
「ファル子に、勝ちたかったよな」
「……」
しゃくりあげている肩と共に、ポニーテールが縦に揺れる。
マックイーンとの対決が決まってから、テイオーは通常のトレーニングだけで過ごしてきた。もちろん、通常と言っても軽いものではない。
有馬記念に出てくるウマ娘は、今年一年活躍してきた強豪ばかり。流すような調整だけで勝ちを掴めるほど甘くはないのだ。
だから、そんなウマ娘達に負けないように必死に懸命に、限界のその先を目指すかのようにテイオーはたくさん練習と経験を積んできたつもりだった。
去年の奇跡とも呼べる勝利を手にした時より、もっとずっと。傍で見てきたから、よくわかる。
……それでも。勝てなかった。
俺がファル子に施した『うまぴょい』は、トウカイテイオーの才を上回ってしまったから。
……どこかでわかってたつもりだったのだろう。だけど、挑まない理由にはならない。
以前、最高峰の逃げウマ娘、サイレンススズカさんとトレーニングした時も、テイオーは勝てなかった。
芝に身を置いたファル子は、スズカさんと同級の仕上がりになったと言えよう。
そんな背中を目指して、たくさんたくさん。負けないように、自身の存在を……絶対無敵のトウカイテイオー様であることを示すために。頑張ってきたはずだったのに。
「……ごめんね、トレーナー」
遂にこちらを向いたテイオー。歯を食いしばり、大きな瞳には涙が溢れそうになっている。
無理に笑ったせいで、その堤防はすぐに瓦解し床に吸い込まれていった。
ごめん、って。なんだよ。
おかしいだろ。
謝るのは俺の方なのに。
……そんな顔、俺に見せたくないはずだろ、お前。
間髪入れず、俺は腰をかがめ。
まだ勝負の後で、ほんのりと熱いテイオーの小さな身体を抱きしめた。
「……勝ちたかったよ」
「ああ」
「ボクが……最強なんだって、知らしめたかった」
「そうだな」
「……『うまぴょい』なんかに負けないんだって……証明したかった」
「……」
「……トウカイテイオーは……ひっく。ソーくんの……最高のウマ娘なんだ、って……ぐすっ……。いっ……言いたかった……のに……!!」
「テイオー。もういいよ。ごめん」
俺の身体なんて片手で持ち上げられるぐらい力のあるテイオーが、弱々しく服を握りしめてくる。震える小さな頭をぐいぐいと俺に押し付けてくる。火照った熱でない、じんわりとした温かさがスーツに広がっていくのを感じる。
本当に、俺ってバカだ。
テイオーのこと、なんでもわかってるつもりだったのに。
……いいや、わかってたはずなのに。
今日の勝負、ファル子が勝つことは既に確信していた。
テイオーなら、きっと受け止めてくれるって。
大丈夫だろうって。思ってしまっていた。
でも、当たり前だよな。
才能だけに溺れない、努力家で負けず嫌いのお前が。最大のライバルとの、ようやくの再戦を迎えられたお前が。
敗北という事実に対し、何も思わないはずないのに。
「……ぐすっ……うぅう……!! 悔しいよぉおお……!!」
胸の中で押し殺した感情を爆発させ、テイオーは泣く。
自らの無能さを呪い、後悔しながら。俺はクリークがいつもしてくれるみたいに、優しく背を撫で続ける。こんなことで贖罪にはならないけれど。それでも、何かしてあげたかった。
――――。
時計を見ると十分な時間が経過していた。泣き終わったはずのテイオーは、動かずにじっと頭を押し付けたまま。満足するまでは、と黙ってそのまま受け入れていると細腕による力強い抵抗があった。
「……はー、すっきりした」
「そうか」
「……あーあ。ソーくんのスーツ、べとべとにしちゃった」
「会見は終わったから、もうどうなっても関係ねーよ」
「……えへへ。ありがと、トレーナー。もう大丈夫だから。ライブの準備しなくちゃね!」
赤い目を擦り、晴れ晴れしたような顔で見上げてくる健気なウマ娘。普段はわがまま言ったり、時にはキリっとした目つきで勝負に挑んだり。表情豊かなテイオーの、あまり見ない様相。
身体から名残惜しそうに手を離し、気持ちを切り替えるように振り返るテイオー。
「テイオー」
「え?」
後ろ手を、俺は思わず掴んでしまった。
気持ちの切り替え方も、絶望からの奮起の仕方も、すっかり学んで力にしてしまった。だからちょっと手を貸す程度で、今は心配いらない。
だけど。
それでも。
俺は……。
「俺さ。今年だけでたくさんのウマ娘と密に関わることになって、改めて思ったことがあるんだ」
「なに、トレーナー? かしこまっちゃって?」
疑問符を浮かべながら首を傾げるテイオーへ、俺は真っすぐ言う。
「俺……好井ソウマにとって。やっぱり、トウカイテイオーが一番のウマ娘なんだ。他の誰でもない、キミが一番……」
「トレーナー」
掴んだ手を少し痛いくらい握られる。何かを警告するような意味が籠っていたのは明白で、表情からも見て取れた。
「わかってるから、大丈夫だよ。トレーナーはさ、ボク達ウマ娘全員を大事に思ってくれてるでしょ。そんな人ってわかってるから……みんなキミのことが好きなんだよ」
だから。
と続けるテイオー。
俺は構わず、ぎゅっと痛くなるぐらい強く手を握り返す。
「その上で、俺にとって。トウカイテイオーが一番のウマ娘だ。それは絶対に変わらない。これからも、ずっとな」
あんまりしない真剣な顔をしたからなのか、テイオーも思わず驚いた表情を見せる。
俺の熱くなった耳と同じぐらい、照れたように頬を染めてから。
「……トレーナー、それどういう意味で言ってるのかわかってるの~?」
「ああ、もちろんだ」
「……えへへ。そっか、わかったよ」
手を握り直し、俺としっかり握手をした。
「それじゃ、最強無敵のテイオー様の伝説。最後の最後まで、絶対見届けてよね。トレーナー!」
「おう、任せておけ!」
もう一度、俺達は気持ちを伝えあうように手を握り合う。
見上げてくる瞳に、もう迷いも弱さもなかった。
嬉しそうに、不敵に笑ういつものトウカイテイオー。
その強さに甘えないよう、俺もより一層決意を固めるのだった。
何があっても、絶対傍に居てあげよう。
「よーし、じゃあライブ行ってくるね! またね、トレーナー!」
「ああ、最前列で応援してるからな」
無邪気な笑顔を見送り、俺も部屋を後にする。
迷いも、不安も。これからの起こることも全部。
この控室に置いて。
俺とテイオーは、再び歩み出すのだった。
これにてホントにお終いです。ご愛読ありがとうございました。