第五話「願望、アタシだってキラキラしたいから」
「はぁ! はぁ! ハァッ!!」
腕を振る。地面を蹴る。今持てるありとあらゆる、全ての力と技術を使ってアタシは懸命に走っていく。
でも……届かない。
風切り音と観客席から響く地鳴りのような歓声。抉れたターフの先の先。二人のウマ娘が、歴史に残る大接戦を繰り広げていた。
下の世代で注目されていた『BNW』という三人のウマ娘。菊花賞を手にした、最後の一人。ビワハヤヒデ。クラシック路線を突き進み、『強さ』を手に挑んだ有馬記念。
誰もが勝利を疑わなかった。調子の良さ、成績、何もかもが一段階違う。
でも。
【トウカイテイオーが来た! トウカイテイオーだ! トウカイテイオー、奇跡の復活!!!】
結果は、もっと劇的だった。
皇帝シンボリルドルフを敬愛し、その背を追って走り始めたクラシックロード。日本ダービーまで無敗で駆け抜けた先、骨折が判明。治療も空しく、菊花賞には間に合わなかった。テイオーが出ていなかったから、菊花賞では勝てたなんて言われたくなくて、アタシも気合入れて走ったけど……結局4着。その後、天皇賞秋や去年の有馬記念なんかで当たったけど、全然本調子に見えなかった。
だから、今日もそうだと思っていた。なんせ、一年振り。前回11着だからね? 骨折明けだよ? いくら無敵のテイオーでも、出来ないことぐらいあるって思うもんでしょ。
「……はは」
まだ熱い身体で掲示板を眺める。映る景色は、御なじみ3着。GⅠレースはいつもそうだ。良くて3着。ブロンズコレクターなんて揶揄されるのも仕方ない戦績。
でも、だけど。
あの子は違うんだ。
歓声が、いつの間にか『テイオー』のコールに変わっていた。
信じられない光景を目の当たりにし、驚愕が会場全体を満たした後のことだ。いつものテイオーらしくない、落ち着いた感じでファンの皆に応えている。嬉しい気持ちと、まだ本人も上手く受け止めきれていない様子が見てうかがえる。
そんな姿が、キラキラした主人公にはふさわしくないと思って。アタシは駆け出した。同じことを考えているウマ娘が、周りにはたくさんいた。だから、一緒になって走った。
「テイオー! おめでとー!」
抱き着いて、一斉に祝福の声を浴びせる。
共に走ったライバル達に、もみくちゃにされながら、うっすらと涙を浮かべながらも
「ありがとう、みんな」
と、少しだけ震えたトーンでお礼を言ってくれた。『絶対』を超える為に、頑張って頑張って。苦労して、苦難を乗り越えて。最後には掴んだ、最高の栄誉。みんな、辛かった時期の姿を知ってるから。こんな奇跡の復活劇の主役へ、同じ競技者として嬉しくて。素直に言えたんだろう。
『おめでとう』って。
「なんて! 簡単に受け止められる子じゃないわよね、ナッちゃん!」
「うわ、テンション高……。なんなの、いきなり」
有馬記念が終わって、少ししてから。春も近い時期に、夕焼け色の学園屋上に呼び出された。
相手はアタシのトレーナー。
アタシ……『ナイスネイチャ』のことを、『ナッちゃん』という誰も使わないあだ名で呼ぶ、変わり者のトレーナーさんだ。
「この前のレースは残念だったわね」
「え? またその話します? まあ、ちょっと有馬記念の疲れも残ってましたし。仕方ないかな~、なんて」
「そのややぷにっとしたお腹周りも、原因の一つよ!」
「うっ!? な、なんでそんな言いにくいこと言うかな~? そりゃ、お正月で油断したのもあるけど……。というか、もう流石に戻ってますって!」
「体型管理もアスリートの大事な要素よ。トレーニングメニューだって、最近は気持ち半分になってるじゃない」
「うぐぐ……返す言葉もありません……」
「それならお友達にも、負けて当然ね。おほほ!」
「て、手厳しいな~。トレーナーさんは……」
グサグサと忌憚なく、アタシの心を抉ってくる。仰る通りで、お正月は商店街のみんなに甘やかされて過ごしてしまった。みんなが、あの日の有馬記念の3着を祝ってくれるもんだから、どうしても断れなくて。3年連続3着は、前人未到の大記録だーって言われちゃうと、反論する力も失せるってもんですよ。あのレースは、もっととてつもない記録を生み出したウマ娘が居たってのに。好きだよねぇ、みんな。
「……けど、その怠惰は今までのアナタにはなかった。なんでもないフリして、影で努力して。強くてキラキラしたウマ娘たちにだって、自分は負けていない。そう信じて頑張ってきた、アナタらしくないわ」
「……!」
「燃え尽き症候群になってないかしら? どう?」
「……それは」
おかしな風貌と、歯に衣着せぬ言い方から誤解されがちだが。トレーナーさんは、いつだって本質を見抜いて発言している。親族も、ウマ娘に関係する職についているみたいだし、アタシたちについての理解は思っているより深いのかも。
指摘をされて、心当たりがないわけでもない。
あの時、アタシは眩しい現実を見た。
テイオーが、ターフに戻ってきて嬉しかった。誰もが……正直言えば、アタシもそう思ってたぐらい、一番強いとされてたビワハヤヒデ先輩に、文句ない勝利を挙げたことが、本当に素敵だと思った。
だけど、同じくらい実感してしまった。テイオーより、多くのレースを走ってきたのに。ハヤヒデ先輩より、長い時間トレーニングしてきたのに。
それでも、アタシの実力は3着なんだ。掲示板入りするだけでも、大したものだって言う人もいるけれど。アタシたちウマ娘は、やっぱりどうしたって一着が欲しい。特に最高峰のGⅠレースで。
ウイナーズサークルで、汗を滴らせて、どんなもんよ、って気分でインタビューに答えたい。ウイニングライブの真ん中で、今まで練習しかしてこなかった振付を、最高な想いでお披露目してあげたい。
トレーニングもダンスも……なんなら、質問に対する答えもたくさんシミュレーションして、レースに挑んでいる。
そんな熱い思いが叶わず。キラキラした主人公の横で、こっそり踊っているのがアタシの限界なんだ。
「……どう、なんだろう。別に、走るのが嫌になったわけじゃないんだけど」
「どこを目指せばいいのか、わからなくなってるんじゃないかしら?」
「…………たぶん」
目標の定め方が、難しくなった気がする。一番になりたいって気持ちに揺るぎはないのに。どこか、無理だって諦めたがる自分が居る。葛藤に耐え切れなくて、周りに流されて。その結果がこの前の7着。
最近一緒に居る、ツインターボやマチカネタンホイザにすら後れを取る、惨敗も惨敗だ。中途半端な気持ちのせいなのかな。あの子たちは、いつだって前を向いている。アタシと同じ、GⅠにはまだ勝ててない仲間同士なのに……。
「まあ、でも。アタシは所詮わき役ですし。そんなもんでしょ、って感じもするけど」
「自虐して予防線張っても、なんの身にならないわよ。いつも言ってるでしょ」
「……たはは。ホント、きっついなあ。トレーナーさん」
癖になってるからしかたない。どうせ頑張ったって、夢がかなわないなら。最初から届かないと理解しているぶんだけ、落ちた時のダメージは低い。勝ち星が取れないうちに、身に着けてしまった本当に要らない自己防衛機能。
「勝ちたいと思ってるんじゃないの?」
「……」
「トウカイテイオーより、強くなりたくないの?」
「……それは……」
「あなたは、何のために走ってるの?」
「…………」
なんのため?
今更ぶつけられる、当たり前の質問が胸に重くのしかかる。
たくさんの重賞レースを走ってきて、それでも1番が届かなくて。挫折するたび、摩耗してしまった精神を自虐して守ってきたから、忘れてしまっていた。
アタシ……アタシは、どうして……。
「さあ、言いたいことがあるなら! あの夕日に向かって叫びなさい!」
「ええ~? いやいや、そんな主人公みたいなこと……」
「ナッちゃん」
「…………」
いつも眼鏡が反射して見えないトレーナーさんの瞳が、今日はハッキリ見えた。
吊り上がった形のレンズで、厳しい人だと思ってたけど。やっぱ、そんな優しい眼してるんだね。ホントは知ってた。
後押しされた以上、やらないわけにはいかない。
柵に手を掛け、思い切り息を吸う。何を言おうか、考えるよりも先に。アタシは声を大にして叫んでいた。
「アタシ!! 一番になりたい!! みんなの期待に応えられるような!! 最高にキラキラしたウマ娘になりたい!!」
普段出さないせいか、声が上ずる。それでも、もう一度息を吸って続ける。
「だから、誰よりも強いウマ娘に!! 素晴らしい才能って名前に恥じないアタシに!! なってあげたい!!」
走るときよりも精神的に疲弊してしまった。肩で息をしながら、脂汗が頬を伝う。なんか、とてつもなく恥ずかしいことを叫んでしまった気もする。聞いてる人、きっとたくさんいた……よね。
「うぅ~~ん! サ、イ、コー! やっぱ、アナタは素晴らしいウマ娘ね。ナッちゃん!」
「……あ゛ぁ~~! なんか乗せられてつい言っちゃったけど! 全然アタシのキャラじゃないって、こういうの!」
「まったく、最後までその癖は治らないわね。誰だって、夢を追いかけたいに決まってるのよ。それに向かって頑張るヒトを、誰が笑うのかしら」
「だけどぉ~~……。…………ん?」
照れてる中で、聞き逃してしまいそうになったが。なんだか、聞き捨てならない言葉を言われた気がする。
「トレーナーさん、今……最後って言わなかった?」
「ええ、言ったわ」
「ど、どどどういうこと!? アタシ、なんかしちゃったとか!? 前のレース、斜行してた!? その制裁!?」
「落ち着きなさい、ナッちゃん。アナタは何もしてないわよ。第一、斜行や進路妨害をしたところで、まず制裁はトレーナー側に行くものよ」
「……ってことは、トレーナーさんが!?」
「違うわ。もう、落ち着きなさいって言ってるでしょう」
まくしたてて詰め寄るアタシの両肩に手を置き、はやる気持ちを抑えられる。いや、全然だけど。
なんで、そんな悲しいことを言うんだろう。最後……最後? アタシ、レースに出られないの? それとも、トレーナーさんに何かが?
「ナッちゃん。アナタの才能は、あたしが誰よりも知ってるわ。デビューからここまで3年間。ずっと側で、一緒にやってきたんだもの。今日着てるインナーの柄だってわかるぐらいだわ」
「それはわからなくていいんですけど……」
「三毛猫の白いワンポイントシャツよね?」
「当たってるし! いや、そうじゃなくて! どういうことなのか、説明してよ!」
置いた手を離し、トレーナーさんは懐からスマートフォンを取り出した。何度か操作をしてから、目線をこちらに移して言う。
「……正直に言うわね。ナッちゃん。あたしは、アナタじゃなくて……。あたし自身の才能に限界を感じてしまったの」
「トレーナーさんの……?」
「厳しいメニューを課したこともあったわ。怪我だけはしないように、細心の注意も払ってた。それでも、少しだけでも昨日より誇らしいアナタにしてあげたくて。少し無理をさせたこともあった。だけど、ナッちゃんはいつだって、腐らずにあたしの言うことを聞いてくれた。本当に感謝してるわ」
「……だって、アタシはそうするしかなかったし……」
「こっそり自主トレしてたのも知ってるわよ」
「げっ! そこまでお見通しなの!?」
「当然よ、アナタのトレーナーなんだから」
いつもテンションの高い話し方をするトレーナーさんが、少し寂しそうにしてるのが印象的だった。
『最後』という単語も相まって、沈みゆく夕日に照らされる表情は……まるで、お別れを言いに来たかのよう。
ううん、よう、じゃなくて……。まさか、本当に……。
「だけど、あたしの理論じゃ……これ以上、アナタを強くすることは出来ないの。例えば、リスクを恐れずにトレーニングすれば、一回ぐらいは勝てるかもしれないわ。でも、そんな破滅の道を選ぶトレーナーは、人間として、指導者として失格よ」
「……じゃあ、どうしたら」
「あたしじゃない人なら、アナタを強くできる。そう言ってるの」
スマートフォンの画面を見せてきた。
そこには、『特別移籍』という単語と、相手のトレーナーさんの名前……
「この人……テイオーのトレーナーさんじゃん。特別移籍ってことは……このトレーナーさんの所で、トゥインクル・シリーズに出ろって?」
「ええ、そうよ」
「あはは。トレーナーさん、流石に無理がありますって。テイオーが強いのは、テイオー自身が天才だからだよ? 同じトレーナーさんに指導してもらえば、更に上を目指せるって言いたいわけ? そんなわけないじゃん。アタシは、普通のモブキャラなんだから」
流れるように出てくる捨て台詞が、嫌になる。自虐より、なにより。苦楽を共にしてきたトレーナーさんに、見捨てられてしまうかも。という事実が怖かった。
「……ナッちゃん。好井先輩は、とっても素敵な人よ。ウマ娘のことをよく考えてくれてるし、前任者から引き継いだ天才たちをしっかりコントロールして、ちゃんと成績も収めてる。胸を張って言えるわ。この人は信頼できる、って」
「……だけど、アタシ……」
出来るなら、安心沢トレーナーと上を目指したかった。選抜レースで3着なんて成績の中、アタシを一番最初に見初めて勧誘してくれた。いつも元気な姿に助けられたし、厳しい言葉に教えられたこともたくさんあった。GⅠでは確かに勝ててないけど、GⅡまでならちゃんと勝ててる。それは、トレーナーさんが居なければ実現しなかったと言える、立派な強さの証明だ。
急に思い出が頭の中を駆け巡ってくる。
こんな話をされると思っていなかったから、気持ちの整理がつかない。
「アタシ……トレーナーさんと一緒が良いよぉ……」
スッと本音が出てきた。声は震えてるし、視界は涙でぼやけてる。だって、だって。こんな面倒くさいアタシを信じて、考えて、一生懸命指導してくれたんだもん。せめて、一回ぐらいは
「……ありがとう。ナッちゃん。とっても嬉しいわ。あたしも、アナタと一緒に居られて、本当に楽しかった。出来なかった料理も、アナタが教えてくれたしね。あたしの不摂生を治してくれたのは、他でもないナッちゃんよ」
「……トレーナーさん……」
「……だから。本気で勝ちたいと思ってるアナタを、あたしも本気で勝たせてあげたい。そう思ったのよ」
「…………」
頭を撫でられながら言われても、上手く決心がつかない。
「ナッちゃん。あともう一つ。……これが凄く重要なことなんだけど……。好井先輩なら、アナタを絶対に強くしてくれるのよ」
「え? なんで……?」
思う、とかではなく。強くしてくれる、と断言した。
そんな秘訣を、あのトレーナーさんは持っているのだろうか。
「ええ。それをすれば、必ずアナタもGⅠに手が届くようになるわ」
「……? なら、トレーナーさんがそれをしてくれればいいんじゃ?」
「あたしではダメなの。意味がないわけじゃないけど……効果は薄いわ」
「? トレーニング……なんだよね?」
「トレーニングと言えばそうなるわね。程よい疲労感と……あと幸福感が得られるらしいし」
「らしい、って……トレーナーさんもわかってないことなの?」
「おほほ! 手厳しいわね、ナッちゃん!」
何だかはぐらかされている。絶対という割には、ふんわりした物言いが理解できない。
別の人の下でお世話になるかもしれないのだから、もう少しハッキリして欲しいものだけど。
「不安になるのも当然だけど。安心して。特別移籍は、アタシと相手のトレーナー間で交わす特別な契約なの。お互いの同意があってこそ結ばれるものだし、仮に移籍した先で意にそぐわないようなことが判明すれば、すぐに戻ってこられるわ」
「ほえ~。そういうものなんだ」
「ええ。だから大丈夫。ちょっとお試しで行ってみる、ってのもアリなのよ」
「…………」
星が飛んできそうなウインクをするトレーナーさんを見て、少し安心した。
それなら怖くないかも。テイオーと一緒にトレーニングする、ってのだけでも本当は劣等感に圧し潰されそうで、無理だと思ってたけど。
「…………わかった。でも、本当にダメだったら言うからね?」
「いつでも言いなさい。夜中だろうと駆けつけるわ」
「……へへ。ありがとう、トレーナーさん」
信頼してる人が、ここまで言うのだ。
殻を破るのであれば、新しいことに挑戦してみるのも一つ。保険もあることだし、それならば。
「わかった。アタシ、好井さんの所にお世話になってみる」
「よく言ったわナッちゃん! ありがとう!」
その場でスマホに署名を始めていく安心沢トレーナー。
待っている間、袖で濡れていた頬を拭いつつ、疑問をぶつける。
「そういえば」
「ん? なぁに?」
「結局、どんなことをすれば強くなれるの?」
「……いい、ナッちゃん。耳を貸して。『これ』をしたいです、って好井先輩に言えばわかってくれるはずよ」
「?」
トーンを突然抑え、アタシの耳元でとある単語を呟く。
「わかった。それを言えばいいんだね」
「ええ」
反応が意外だったのか、トレーナーさんはちょっと不安げにアタシを見た。でも決まったものは決まったんだ。後はやるだけ。
拳を小さく握り、アタシは誓う。背中を押してくれた安心沢さんに、絶対恥をかかせない。最高のウマ娘になることを証明してみせる!
「だから、好井さん! アタシと『うまぴょい』してくださいな!」
(飛び切りやべぇ子が来たな)
二人きりのトレーナー室に、気まずい空気が流れた。