ヒトがウマ娘に敵うわけがない   作:背水 陣

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第六話「驚愕、これが『うまぴょい』の圧倒的な力!」

爪をとんとんとトレーナー室の机で鳴らしながら、スマートフォンを耳に当て続ける。コール音は何度もなるのに、通信が可能にならない。また留守か、と切ろうとした時だった。

 

【はぁい、好井(よしい)先輩! 久しぶりぃ♪】

 

通話相手の安心沢(あんしんざわ)育功美(いくみ)が、ようやく出た。やけに高いテンションは相変わらずで、ちょっとだけ安堵しつつも俺は要件を伝える。

 

「しばらくだな、安心沢。ナイスネイチャの件で話があるんだが」

【あら、どんなこと? 好きな食べ物? 嫌いなメニュー? それとも、ナッちゃんだけの卓球技『ゼロバウンド』の動画でもみたいのかしら?】

「そんなことはどうでも……いや、最後のは普通に気になるけども! あのな、安心沢。なんであの子、ウチに来ることになってんだ?」

 

しかも特別移籍枠だ。そんなもの出した覚えもないのに、一体どんなトリックを使って滑り込ませたんだろう。思いがけず、返事は淡々とされた。

 

【なんでって、先輩。普通に申請してるわよ、特別移籍。去年の春に】

「え? マジ?」

 

通話をハンズフリーモードに切り替えて、書棚を漁る。ありそうなファイルを開いて見ると、確かに俺の名前で押印した申請用紙の控えが出てきた。条件は『重賞レース勝利者』というだけの簡素なもの。けど、こんなもの一体なんで……。

 

「……あ。スズカさんと先輩が居なくなって、不安になったから出したんだ」

 

テイオーも怪我してた頃で、クリークぐらいしか担当ウマ娘の居なかった時期だ。忘れてた。

しかし、結果的には不必要だった。テイオーのリハビリに、クリークの世話。更に新学期でスカウト成功者も普通に出て来て、首も回らないくらい忙しかったのを覚えている。そうか、あの時のか……。

 

「しかし、よく見つけたな。こんな古いもの」

【先輩、紙媒体ばっか使ってるから知らないだろうけど。データの方だと、ずーっと一番古い記録に残ってるのよ。無期限で申請してるせいでね。さらに、自動承認制だから署名とクリックだけで契約完了しちゃうの。今後、気を付けておいた方がいいんじゃない?】

「そ……そうだったのか」

 

パソコンでの作業が苦手なわけではないが、紙の方が個人的には好きでファイリングなどは全部紙面に起こして管理している。大体のことは覚えているつもりだが、たまにこうやって記憶の欠落により引き起こされるトラブルがあるのは悩みどころだ。

 

「……で、どうするんだ」

【どうする、とは?】

 

再びスピーカーに切り替えて、スマホを耳元に当てつつ喋る。俺の質問が思いがけないのか、訝しむ声で返事がくる。

 

「あの子を騙して寄越したようなもんだろ? それは流石に悪いよ。お前のこと、信頼してるだろうし」

 

直接、ちゃんと話したことはないが。テイオーを意識していたことは知っている。更に、デビューからずっと横に安心沢が居たことも既知の事実だ。

俺をからかうためか、ナイスネイチャをからかう為かは知らないが、流石にタチの悪い冗談だ。契約は破棄して、元に戻すべきだろう。

 

【違うわよ、好井先輩。本気も本気で、あの子はアナタの所へ移ってもらったわ。次のステージに引き上げてもらうためにね】

「はぁ? なんで?」

 

悔しいが、安心沢はトレーナーとしては一流だ。名門の桐生院さんとはまた違うアプローチで、ウマ娘達の潜在能力を引き上げて、勝利を手にさせている。無理と限界のギリギリを見定め、なおかつ体調管理も常にベストを維持できる手腕は、俺では絶対敵いっこない。

彼女に出来て、俺に出来ないようなこと。そんなものがあるわけ……。

 

「……おい、まさか」

【お気づき? そうよ。好井先輩には、是非ナッちゃんと『うまぴょい』してもらいたいの」

「おばか!! お前、仮にも元担当ウマ娘相手に何させようとしてんの!?」

 

大声をあげてしまったことに気付き、俺は慌ててトーンを落とす。安心沢の方は、まるで意に介さぬように続けた。

 

【冗談でも何でもないわよ。もう、それしか手段は残っていないの】

「……どういう意味だよ」

 

ふざけたハイトーンではない、冷静な口調で安心沢は淡々と理由を述べた。

ナイスネイチャは、実はそこまで身体が強くない。壊れないように、いつも細心の注意を払ってトレーニングをしてきたらしい。重賞こそ手にしているものの、大一番で勝ちきれないのは、その限界を越えないようにするため。

本来ならば、もっともっと上のポテンシャルを持っていてもおかしくないウマ娘なのだ。

 

【普通のやり方として、あたしは出来る全てをナッちゃんに捧げたわ。その結果を、あの子が満足するのであれば、これからも一緒に行くつもりだった。でも、ナッちゃんは今も先を望んでる。少しでも速く、あの子より強く、誇れる自分になりたいって願ってる。だから、好井先輩の所へ向かわせたのよ】

「安心沢……」

 

なんかメチャクチャ良い話にしようとしてるけど、その理由が『うまぴょい』ってお前……。

 

「……その件について、ナイスネイチャは知ってるのか?」

【もちろんよ。だから、好井先輩が後ろめたさを感じる必要はないわ。大体、もう二人……トッテー(トウカイテイオー)とスパーク(スーパークリーク)とは、したんでしょ、『うまぴょい』を】

「なんで知ってんの!?」

【おほほほ! 安心沢の情報網を甘くみないことね」

「いっそ怖いわ、お前……」

【……ああ、そうだ。一つだけ。ナッちゃんについて、ちょっと気になることはあるわね】

「気になること?」

【ええ。その、実は……】

 

言いかけて、安心沢の背後で別の着信音が鳴った。

 

【あら、ごめんなさい。そういえば、こんな時間だったわ。これから、くりぬいたドーナツの穴を用いたワームホール実験をゴップ(ゴールドシップ)とする予定があるのよ】

「え? おい、そんな はちゃめちゃに気になる理由で切るつもりか!?」

【また連絡するわ。ナッちゃんをよろしくね、先輩!】

「安心沢? もしもし!? もしも~し!! せめて成果を教えてくれよ!? おい!」

 

電子音が鳴り、スマートフォンは沈黙した。画面に映る、ニヤけた笑顔のプロフィール画面に不満を覚えていると、扉からノックが聞こえてきた。

 

「どうぞ、開いてますよ」

「失礼しま~す。こんにちは、トレーナーさん」

 

物怖じしない態度で、まるで旧来の友人のような声のままナイスネイチャが入ってきた。会話を聞かれていたかもしれないと身構えるが、きょとんとした表情を見る限り大丈夫そうだ。

揺れるツインテールに、俺は無理やり笑顔を作って挨拶する。

 

「やあ、こんにちは。どうしたんだ? トレーニングは、放課後からって伝えてたはずだけど」

「ああ、そう。それです。それについて、相談したいことがありまして……」

 

なんだろう。安心沢の所でやってた、ルーティンとかあるんだろうか。メニューに、気に入らないものとか、苦手なものがあったりしたんだろうか?

距離適性はテイオーと同じだし、まずは俺と彼女の力量を測るために無理のない練習メニューを、先日渡したつもりだったが……。

 

「何回読んでも、『うまぴょい』のことが書いてないんですけど。いつするんですか?」

 

一昔前なら、足を広げてひっくり返るリアクションをしていたことだろう。

それぐらい衝撃的な発言をされ、そこまでやらずとも思わず腰から力が抜けかける。

 

「な、ナイスネイチャさん……? 何を……?」

「? ああ、長いから呼びやすい呼び方で良いですよ。初対面でもないわけですし」

「……まあ、そうだな。お互い、顔見知りではあるし。キミも、安心沢と話してる時みたいにリラックスしてくれて良いよ」

「お気遣いどもども。なら、そうさせてもらいまーす」

「……んんっ。……それで。えー、なんだっけ?」

「うん。『うまぴょい』はいつするの? 明日? 明後日? やるなら、早くしたいんだけど」

 

おいおい、現代の子ってみんなこんなもんなのか?

臆面もなく『うまぴょい』を連呼するのは結構なもんだぞ。テイオーでもやや恥じらいと躊躇いを持っていたし、クリークだって『うぴうぴ』してる時以外は少し頬を染めて話していたぐらいだ。

 

…………ん? あれ? ということは……?

 

俺の中で、何かが組みあがっていく。桐生院さんやたづなさん、大人達だって言い淀むものを、いくら剛毅な者でも出来るか? 俺だって、知った上では軽々しく口にすることは出来ない。

 

ということは、つまりだ。

 

「なあ、ネイチャ。一応、確認なんだが」

「うん」

「キミは『うまぴょい』が何か、知っているのか?」

「え? ……ああ、まあ。詳しくはないけど、特殊なトレーニングなんでしょ? 安心沢さんから、何となくは聞いたよ」

「そうか」

 

おっしゃあああああ!!

心の中で、とてつもなく大きなガッツポーズをぶちかました。こういうこともあるんだな!

 

『うまぴょい』をネイチャは知らない。ウマ娘にとっては、周知の事実なんだと勝手に思っていたが、そうじゃないのか!

なら、いくらでもやりようはある。ようやく、俺は担当ウマ娘と正しい道を歩めるのかもしれない。後ろめたさを感じずに、真っすぐ彼女らと向き合うことが出来るんだ。

 

「まあ、その。『うまぴょい』はやっぱり、信頼関係がないと成立しないものでな。まずは、通常トレーニングで体を慣らしていかないとダメなんだよ」

「へー、そうなんだ」

 

嘘は言ってない。

 

「それに、まだ俺はキミの実力を知らない。安心沢からバトンを渡された以上、慎重に扱うつもりだ」

「なるほど~……。なんか、安心した。安心沢さんが言ってたように、好井さんって結構アタシらのこと、しっかり考えるタイプなんだね」

「おいおい、この真面目が服着て歩いているような男掴まえて、何故そう穿った評価をしちゃうんだい?」

「いやいや。だって、スーツはいつもちょっと気崩してるし。無精ひげだし。髪だけはいつもピシッとしてるけど……。なんか、だらしない大人の代表みたいな感じするじゃん」

「そ、そんな風に見られてたの俺……?」

 

女の子らしいというか、中等部らしい指摘というか。身だしなみについて、思うことがあったようだ。ちょっと反省しなくてはな。否定できないのが恥ずかしい。

アイロンのかかってないシャツの襟をピシッと伸ばしながら、俺は意気揚々と告げる。

 

「まあ、見た目はともかく。俺は真摯に、キミと向き合って指導していくつもりだ。大船に乗ったつもりでいてくれたまえ」

「わー、嬉しー」

「もっと心を込めてくれない?」

「いやいや、真心しかないですって」

「その気の抜けた返事でか?」

「これはそういうもので~す」

 

二人の笑い声が、室内に響き渡る。まともな会話を交わすのは、今日が初めてだったが、案外上手くやっていけそうだ。

『うまぴょい』のことで怯える必要もない。……『うぴうぴ』する可能性は捨てきれないが、それでも強制的に『うまぴょい』される可能性がないだけ、胸の軽さは段違いだ。

 

「楽しそうだね、二人とも」

「よお、テイオー。今日の昼はなんだった?」

「いつもの丼だよ。なにさ、ボク抜きで盛り上がっちゃって~。ご飯のことなんて普段聞かないじゃん!」

 

不満そうに頬を膨らませて、テイオーが部屋に入ってきた。

いつものように、食後の飲み物を片手にしているが、機嫌は良くないらしい。やや投げやりな態度で、目の前に座っているナイスネイチャの隣に腰をかける。

 

「ネイチャ」

「な、なに?」

「同じ担当になったからって、仲間だとは思わないでね」

「え?」

 

珍しく棘のある物言いに、俺も驚く。気に食わないことがあるなら、しっかり伝えた方が良いとは思うが……これから、共に上を目指すもの同士でもある。慣れあえとは言わないけれど、少しは仲良くやって欲しいのだが……。と、勝手にハラハラしていると、テイオーは二の句を継ぐ。

 

「せっかくのライバルなんだもん。変に気遣いとかしないでよ?」

「……テイオー」

「トレーナー。ネイチャ、次のレースは何に出るの?」

「天皇賞・春だ」

「へぇ~。なんだ、ボクと同じじゃん。最初から、そのつもりだったってわけ?」

「まあ、ね。この前のリベンジってヤツですよ」

「ふぅん。ま、前ならどうかわかんないけど。今のボクなら、絶対負けないよ。……マックイーンも居ないなら、尚更ね」

 

テイオーのライバル、メジロマックイーン。彼女は今、故障してレースから離れている。本来なら有記念にも出走するはずだったのだが、見送りになった。勇気づけるためにも、テイオーは怪我明けにも関わらず走ったんだと思う。調整に熱が入ってた理由は聞かなかったけど、そういうことなんだろうな。

その後、マックイーンがどうしてるかまでは知らない。けど、ちょっと陰りのあるテイオーの表情が、あの日から明るくなって、レースに出ることにも積極的になったのは間違いないと思う。この子自身も、優勝トロフィー以外に手に入れたものがあったのだ。

 

「……アタシも」

「ん?」

「アタシだって、あんたに負けない。その為に、安心沢さんの所から来たんだから。情けない姿なんて、見せらんないのは同じ」

「……えへへ。良かった、ネイチャはネイチャなんだね。ずっと」

 

テイオーの挑発的な笑顔を、余裕なさげな笑みで返すネイチャ。俺の知らないところで、様々な経験をしてきた二人は、やはりライバルであることに変わりはないのだろう。

青春劇を目の当たりにし、俺は嬉しくてちょっとだけ目に汗を浮かべながら腕を組み、うんうんと頷く。

 

「だからさ、トレーナーさん。そういうわけだから、アタシと『うま「響けファーーンファーアーレ!! とどけゴーオルーまーでー!」

「え……何トレーナー。いきなり歌い出して。気持ち悪……」

 

危なかった。俺が今、突発性ウイニングライブ復習症候群という仮病になってなければ、テイオーと修羅場が出来上がるところだった。ドン引きする二人の、痛々しい視線を目に留めず、俺はネイチャの手を取り部屋の隅まで連れていく。

 

「ネイチャ、そのことはまたな」

「え? なんで?」

「……あー。一応、秘密の特訓なんだから。そういうのは大っぴらに言うもんじゃないんだよ」

「あ、そうなんだ」

 

耳の位置が違うので、いちいち小声で話すにしても体勢を変えないといけないのが辛い。

とにかく、テイオーのことだ。ネイチャと『うまぴょい』なんてことが知られれば、多分とんでもないことになると思う。クリークとのことですら、まだ秘密にしているというのに。

余計な情報で、二人の関係性が崩れるのだって良くはないだろう。とにかく、他言無用にしてもらわねば。

 

ちらりとテイオーの方を見ると、ソファーの背もたれで半身になりながら……怒ったようにジュースを飲んでいた。

これ、意外と俺……大変かもしれん。

 

先行きを懸念しながらも、俺は今度こそ絶対に『うまぴょい』をせずに、純粋にネイチャをトレーニングしてあげることを誓ったのだ。

 

 

誓ったのだが……。

 

 

 

 

【ここでトウカイテイオーがあがってきた! ぐんぐんと先頭との差を詰める! 並んだ、並んだ! トウカイテイオーが、再びビワハヤヒデに追いすがっている! やはり皇帝を継ぐウマ娘の名は伊達ではないのか!! 抜けたーーー!! トウカイテイオー、有記念に引き続き、春の盾を手にしました!!!】

 

「……すげえな」

 

大歓声の響く阪神レース場の観客席で、俺は思わず声が漏れていた。

最終コーナー、必勝の形と言われるビワハヤヒデのコース取りを、有記念と同様に真っ向から打ち破って見せた。急追していたナリタタイシンに目もくれず、残り400mから一気に加速。最終的には2バ身差という、圧倒的レース展開でGⅠ最長のレースは幕を閉じた。

トレーニングの中でも、何度も何度も見てきたあの追い上げ。今までのテイオーにはない、スパートの持続力。わかっていたつもりだが、いざ現実に強者をなぎ倒す姿を見ると震えてしまう。

これが……これが『うまぴょい』の効果なのか。

 

「ブイブイ! どう? トレーナー! 勝ったよー!」

 

無邪気な笑顔で汗を光らせるテイオーが走ってきた。全力で3200mをこなした後とは思えないほどの余裕っぷりで、少し俺はたじろいだ。

 

「ああ、凄かったな。おめでとう! 流石は無敵のテイオー様だな」

「ありがとー! これもトレーナーのおかげだよ!」

「……そうか」

「うん! じゃ、ウイナーズサークルで待ってるね!

 最強無敵のボクと♡♡最高最愛のトレーナー♡♡のインタビューをしてこよ~!」

「過剰なハートで囲むな、誤解を招くだろ!? ……ったく。テイオーは、先行っててくれ。すぐに行くから」

 

王子様を意識した青い貴族服の赤いマントを翻し、元気いっぱいの笑顔で走り去っていく。

そんなテイオーの進む方向と反対へ、辛そうな顔をして歩いていくウマ娘が俺の目に入った。

 

「ネイチャ!」

 

呼ばれて、少ししてからゆっくりこちらを見る。尋常じゃない汗と、肩で息をする姿に、弱弱しい表情。負けたことが悔しいのだろう。有記念の時は、テイオー奇跡の復活という名目があったから良かったものの。今のように、何もない純粋な力の勝負で劣っていることを証明されては、落ち込むのも頷ける。

 

「トレーナーさん……」

 

とぼとぼと歩み寄り、近くに来てもネイチャは俯いたまま何も話さなかった。

トレーナーの担当代わりたてとはいえ、勝利を挙げられなかったのは素直に悔しい。テイオーの強さも知ってたが、それでもネイチャが劣っているとは言いにくいほど、彼女の状態はとても良かった。流石は安心沢の指導と唸るほど。

 

「……!」

 

せめて労いの言葉をかけようとしたのだが、突然ネイチャは顔を上げて遠くを見た。そして零れそうな涙を隠そうともせず、唇をかみしめるとそのまま地下バ道へ走り去ってしまったのだった。

あっけにとられていると、運営からインタビューの催促を受けたので一旦離脱。破顔して受け答えするテイオーの横で、俺はどうにも煮え切らずに生返事をしてしまった。

 

その後、ウイニングライブの準備があるのでネイチャの控室を訪ねようとした時だった。

綺麗にまとめた金髪と尖った眼鏡、俺と対照的な皺ひとつないのに年季の入ったスーツの女性が居た。安心沢だ。

 

「あれ、お前も来てたのか。担当の子、居たっけ?」

「こんにちは、好井先輩。会うのは久しぶりね。ちょっと背が縮んだんじゃない?」

「そこは普通伸びた? って聞くだろ。縮んでねえよ」

「おほほ。相変わらず、美しい返しね。衰えてなくて安心したわ」

「俺に対して、どういう知見を持ってるんだお前は……」

「……ナッちゃん、残念だったわね」

 

突然、本題を切り出してくるこの話し方。こいつも、何も変わってないな。一息ついて、仕事モードにスイッチを切り替えて答える。そうか、こいつ。ネイチャを見にきたのか。……ネイチャも、さっきそれで……。

 

「調子も悪くなかったんだがな……。ちょっとテイオーが強すぎたわ。トレーナーとしては嬉しい限りなんだけどさ」

「そうでしょうね。だって、あの子は『うまぴょい』してるんだもの」

「…………」

「好井先輩、単刀直入に聞くわ。ナッちゃんと『うまぴょい』はしたの?」

 

こんな誰もが通るかもしれない地下バ道で、なんつーことを聞いてるんだこの女。

理性がツッコミを入れる中、俺の心にはその言葉がチクリと胸を刺す。

 

「……その反応は、してないわね。ねえ、どうしてなの? ナッちゃん、嫌がったりした?」

「そういうわけじゃねえよ。ただあの子、『うまぴょい』のことを何も知らなかったんだ」

「……気にはなってたけど、やっぱりそうだったかぁ……。あたしが『うまぴょい』してきなさいって言った時、きょとんとしてたから。わかってなさそうと思ったけど……」

「なんで教えておかなかったんだよ」

「好井先輩なら、教える? 事細かに?」

「…………無理」

「でしょう? まともな神経している人なら、いくら大事な担当ウマ娘相手でも、そこまで手取り足取り指導しないわ」

(俺は、担当ウマ娘に手取り足取り教え込ま(わからせら)れたけど……)

 

口が裂けてもそのことだけは言えないな、と思っていると安心沢が詰め寄ってくる。

 

「何のために、あたしが断腸の思いでナッちゃんを手放したかわかってるの?」

「わかってるよ。でもよ、今日のテイオーをお前も見ただろ? あんな劇的に強くなるような行為、やっぱ俺には反則にしか思えねえよ」

「それはあなたの中の倫理観よ。ウマ娘が強くなりたい気持ちに、どうしてあなたは向き合わないの? そもそも『うまぴょい』は違反行為ではないわ」

「……それは……」

「特別移籍の破棄は、ナッちゃんが『うまぴょい』するまで絶対しないから。頼むわよ、先輩」

「……別に、移籍までする必要なかっただろ。押しつけじゃねーか」

「『うまぴょい』した先輩なら、わかるでしょ。そんな軽々しい気持ちで送り出したんじゃないわよあたしも。せめて、アナタと言う人間のことを知ったうえで、『うまだっち』になって欲しかったのよ。……大事な妹みたいなものなんだから」

「……安心沢」

「頼んだわよ、好井ソウマ」

 

肩に手を置かれ、神妙な顔のまま安心沢はヒールを鳴らして去っていく。

 

残された俺は、自問自答を繰り返していた。

本当に、ウマ娘にとって大事なことって、なんなんだろう。

俺がしていることは間違いなんだろうか。エゴなんだろうか。そんなわけがないだろう。だって、誰にだって出来ることじゃないんだ……。でも、クリークにも言われたように……これは俺の才能でもある。だったら……。『うまぴょい』は……。『うまだっち』になるのは……。

 

ぐるぐる回る頭の整理がつかない。

 

結局、『白昼堂々なんということで悩んでいるんだ俺は』と冷静な判断が下されたことで、一旦思考は打ち切られる。まずはネイチャと話そう。全てはそこからだ。

 

控室の前に立ち、俺はノックで扉を鳴らす。

 

 

「…………はい」

 

掠れた返事に心を痛めながら、俺はゆっくりドアノブを回した。

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