ヒトがウマ娘に敵うわけがない   作:背水 陣

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第七話「決断、『うまぴょい』で、きっとその先へ…!」

「……ネイチャ」

「あー、トレーナーさん。いやー、また勝てませんでしたわー。ま、やっぱテイオー相手じゃ、こんなもんですよ」

 

入室すると、やや慌てた様子の潤んだ瞳で、こちらに笑いかけるナイスネイチャ。口元にはハンカチが当てられていて見えないけれど、多分その布の下は赤い鼻があるんだろう。

移籍してからまだひと月に満たない時間。それでも、たくさん話をしてきた。彼女の性格も大体理解したつもりだ。だけど、だからこそ。今はなんて声を掛けていいのか、全然わからない。

そんな俺の様子を察してか、ネイチャは自分から……まるで言い聞かせるように口を開いた。

 

「……なんで、だろうね」

「え?」

「アタシも一生懸命頑張ってきたのに。全力を出し切ったはずなのに。いつもいつも『良いところ』で終わっちゃう。今日なんて、3着どころか4着だったし。……ホント、名前負けもいい所だよ」

「GⅠレースで掲示板入りするだけでも、充分凄いんだぞ」

「あはは……。それも聞き飽きちゃったかな~、なんてね」

 

安心沢にも、たくさん言われたんだろう。慰めの言葉も重ねれば、癒しにならなくなってしまう。あいつは別に口の立つヤツではないけれど。それでも、今のように落ち込んでいるネイチャを懸命に励ましてきたんだろうな。

……ああ、そうか。そうだよな。今日のレース、きっとネイチャはテイオーに勝つだけじゃなくて……。

 

「ごめんな。安心沢に、良いとこ見せたかったんだろ?」

「……」

「まあ、まだ俺の担当になって日が浅いから……慣れないこともあっただろうけどさ。それでも、一番取ってやりたかったよな」

 

今の調整は、安心沢から引き継いだものを維持しただけだから。もし仮に、ネイチャが1着を取れていたのであれば、彼女らの努力は実を結んだことになる。

でも……。結果は残酷だった。

安心沢の見切りが、時期尚早じゃなかったとハッキリ理解できてしまう。筋肉の付き方も、フォームも。スパートを仕掛けるタイミングも、完成度はとても高かった。凡人の俺から見れば、これ以上どうすれば先を目指せるのかわからないぐらい。

改めて、テイオーやクリークが天才的な能力を携えているのだと実感してしまうほど。

 

「……安心沢さんに、カッコ悪いとこ見られちゃったよね」

「……実は、さっき会ったんだよ。もう帰っちゃったけどさ」

「そうだったんだ。……アタシには、言うことないってことかな」

「そんなことない。キミのことを心配してた」

「……心配、か」

 

安心沢だって、こんなネイチャの顔が見たいわけがない。自信を無くし、落ち込んでいるウマ娘の姿は本当に……胸を締め付けられる。一生懸命に、ひたむきな表情を知っているから尚のこと。

心配なんて、して欲しかったわけじゃないよな。きっと、勝って称賛の声を浴びて。自分たちは間違いじゃなかったって、お互い納得して、元の鞘に戻れればそれでよかったはずなのに。

 

俺の。

 

俺のせいなんだ。

 

「……はー。ごめんね、トレーナーさんにもカッコ悪いとこ見せちゃって。レースで負けたぐらいでさ。こんなの、今までもたくさんあったことなのに……。変なの……」

 

無理に作る、赤い目をした笑顔を見るのが辛い。拳を握りしめ、俺は言う。

 

「ネイチャ」

「ん?」

「責めるなら、俺を責めろ。自分や安心沢に、暗い気持ちを抱くんじゃない」

「……あはは。なにそれ。難しいこというね、トレーナーさん。アタシが、そんな聞き分けいい子に見えてた?」

「そんなこと百も承知だ」

「……それはそれで複雑なんですけど!」

「けど。キミは期待に応えようと頑張ってた。走りを見れば、二人の凄さがよくわかる。……悪いのは、俺だ」

「それを言うなら、アタシだって。トレーナーさんが、変な指導とかしてたとは思えないけど? 練習メニューもちゃんと専用に作ってくれてたじゃん」

「ああ。けど、本当に求めてたのはそれじゃない。ネイチャに必要だったのは、そんな凡百のトレーニングなんかじゃないんだ」

 

安心沢が、俺に託した願いは『うまぴょい』をすること。それだけだった。

レースまでの期間、するチャンスはいくらでもあった。だけど、俺自身の勝手な想いからそれを封じていた。

何より。

今回、負けたことに対してネイチャは一度も『うまぴょいをしてないから』と言い訳しなかった。ネイチャだって、知らんぷりしていたわけじゃないんだ。いつか、するよ。って話だけして、はぐらかしてた。でも、責めなかったんだ。

 

こんな純粋に、俺のことを。安心沢を。トレーナーを信じて、懸命に頑張っている子に対して。

俺はなんて……!!!

 

「……」

「? トレーナーさん?」

 

ネイチャの声を聞くことなく、俺はゆっくりと壁の方へ向かう。固いコンクリートの材質をしっかり確かめ、一度撫でると。

 

「ふんっ!!」

「ギャーーーー!? な、何してんの!?」

 

思い切り頭を叩きつけた。壁はひび割れ煙を吐き、俺の額の形に陥没してパラパラと破片が崩れ落ちていく。

……わけはなく。鈍い音を立て、とてつもない反動が脳内に返ってきただけ。やばい、意識飛びそう。

 

「……ネイチャ。ごめんな」

「いや、謝るより先に状況の説明して欲しいんですケド……」

 

ギリギリ割れなかったが、しっかり腫れた額を押さえながら青ざめるネイチャに謝罪する。

 

「俺はトレーナー失格だ。ウマ娘を世話し、勝てるように導くのが本懐のはずなのに。俺は、俺自身の我がままで、キミに辛い思いをさせてしまった。それへの罰が、今の頭突きさ」

「えぇ……」

 

物理的な衝撃でふらつく思考を、少しずつ整えていく。その揺り戻しの動作と一緒に、ずっと心に留めてきた言葉を、勢い任せに俺は伝えた。

 

 

 

「ネイチャ。俺と『うまぴょい』しよう」

 

 

 

言われて、少し驚いた表情をした。心配するように差しだそうとしていたネイチャの手は止まり、片手だけが恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「あはは。なんだ、トレーナーさん。忘れてたわけじゃないんだ」

「もちろんだ」

「てっきり、アタシになんてしても意味ないから、やる必要ないかと思ってた」

「そんなわけがない。むしろ、改めて思った。今のキミにこそ、必要なことだ」

「……そっか。そうなんだ」

 

得心がいき、明るい顔が戻ってくる。

 

「……じゃあさ、トレーナーさん。してくれます? アタシと『うまぴょい』」

「ああ。……だが、その前に」

 

決意したは良いが、まず何より。とてつもなく大きな問題が(そび)えていること対し、しっかり向き合わなくてはならない。

控室にある椅子に座るようネイチャを促し、俺も対面するように腰を下ろす。

 

「ネイチャ。もう一度聞く。『うまぴょい』が何か、わかっているかい?」

「前も言ったけど、特殊なトレーニングでしょ? あの後調べてみたんだけど、ちゃんとした情報載ってなくてさー。結局、よくわかんないままなんだよね」

「……誰かに聞いたりは?」

「マーベラスに聞いたけど、ちょっと固まってから『マーベラス!』って言ってどっか行っちゃった。」

「……ふ~~~……。なるほど、よくわかった」

 

眉間に手を当ててから、深いため息を吐く。何度か呼吸で心拍数を整えた後、前を見てネイチャと目を合わせた。

 

「先に言っておくというか……約束して欲しいことが……あるんだけど……」

「? なに?」

「これから、『うまぴょい』のことを話す。だけどさ」

「うん」

「頼むから、通報だけはしないでね」

「どういうこと!?」

 

一息ついてから、俺は出来るだけわかりやすく。要点をしっかりまとめたうえで、誤解のないように話を始めた。

 

 

 

この世の全ての始まりはビッグバンと言われる爆発によるものが起因とされている。小さな火の玉が一気に膨張し、現実ではありえないような速度で一挙に宇宙は広がりを見せた。しかし、そもそもその爆発が起こる前には、インフレーションという予備動作があったという。まだいろいろと解明されていない話ではあるが、俺は思うにそれは俺達人間が『観測』をしたことで初めて生まれたものなのだと思う。二重スリット実験という、隙間に粒子をぶつけて、その拡散する方向を観る実験があるのだが、隙間に対して射出した粒子がどうみてもあり得ない方向に散らばってしまう。どういう理屈で散らばるのか、隙間に近寄って観察してみると、何故か近接前とは全く異なる粒子の飛び方になってしまうそうだ。条件は同じはずなのに。これは『観測』という力がこの世界にはあって、小さなきっかけに過ぎずとも、俺達人間が全ての世界の始まりに対して『観測』したからこそ、四次元的発想であれ宇宙は誕生したのではないかと思っている。

 

 

 

……うん。

全く関係のない、特に理屈すら通ってない難解なことを脳内でまくしあげることで、俺は口に出している爆弾発言の大嵐から感情を誤魔化すことに成功した。

 

『うまぴょい』について話している間、ネイチャの反応はあまりに初々しく直視するのも(はばか)られるものだった。行為やするべきことを言うと、顔を赤くして小さな感嘆の声を漏らしたり。『ばきゅんぶきゅん』の説明するうちに、おさげを両方掴んで紅潮する表情を必死で隠したり。

中等部らしい、とても当たり前な反応に俺は罪を犯しているような気分になりながらも、先ほどの『うまぴょい』とは一ミリも関係ない脳内独白で、表情一つ変えず黙々と伝えることが出来たってわけだ。

 

「……と、これが『うまぴょい』の流れだ。わかったかい?」

「…………はい」

 

合わせていた目は、すっかり地面を見てしまっている。俺だって、こんな話をしながらまともに見られる自信はない。『なんだかよくわからないもの』が、『実はとんでもないもの』とわかった時の衝撃は一体どんなものだろう。……まあ、ネイチャの場合は口伝で良かったね。俺は実演からだったから。もうハチャメチャだったから。

 

「……念のため聞くんだが」

「……な、なんでしょう?」

「これを踏まえたうえで……その。出来そう?」

 

場合によっては俺はこのまま学園追放されそうな質問だが、仕方のないことなのだ。俺だって怖い。今からスマホを取り出されて、ポリスメンされたっておかしくない。頼むからそれだけは勘弁して。

いつの間にか、びっしょりになった背中の汗を鬱陶しく思いつつも返答を待った。

何度か、小さく悩む声を出しながら、ようやく掴んでいたもふもふの髪を離すと俯いたまま、ゆっくり頷いた。

 

 

え、頷いた? マジで? ちょっと考えさせて、って言ってくると思ったのに。

 

「そ、そうか。それならよかった」

「だ、だって、『うまぴょい』すれば、テイオーにだって負けないんでしょ? それなら、アタシだって……が、頑張れるし!」

 

テイオーとクリーク、二人の反応とあまりに毛色が違い過ぎてこちらもドキドキしてしまう。襲われるような形だったから、自ら攻め入るのには流石に慣れてない。俺自身が混乱しちゃってるが、前向きに検討してくれている以上は、ちゃんと応えるのが大人ってものだ。

 

「じゃあ、いつにしようか。心の準備とかいるだろ、スケジュールを組んで……一週間後とか、何なら来月とかでも別に」

「…………ま」

 

ん? 何か言われたが、聞き取れなかった。この距離で聞き逃すのは申し訳ないので、ちょっと近寄って耳を澄ます。

 

 

 

「……今からじゃ、ダメ?」

「ダメに決まってんでしょ!!」

 

控室の鏡に頭から突っ込みかけた。どえらいこと言い出したぞこの子。ウマ娘って、みんなそうなの!?  俺、結構キミ達のこと理解できてたつもりなんだけど!?

 

「だ、だって! 強くなるには、少しでも早い方がいいじゃん!?」

「そうだけど! 流石に時と場合ってもんがあるじゃろがい! あなた、レース直後ですよ!?」

「そりゃあ多少は疲れてますけど……そ、それぐらい別にできないことはないし!」

「どんな気持ちでウイニングライブ出るつもりだよ!? テイオーが前で踊ってんだぞ!?」

「……ふぅん。じゃあ、やっぱ好井さんだって、本当はアタシと『うまぴょい』したくないってこと?」

「そんなこと言ってないだろ!」

「じゃあ、いいじゃん!」

 

くぉ~~!! なぜ、いつもこうなる!?

どうすんのこれ……。テイオーの時とは違う方向性で、俺は追い詰められてしまった。

 

……はっ! まさか、ネイチャ……今の話を聞いて『うぴうぴ』して…………ないですねえ!? クリークの時みたいな、妙に蕩けた目もしてない。自分の発言に恥じて、真っ赤な顔のまま懸命にこっちを見ているだけだ。くそ、子どもの背伸びみたいで、いじらしいなコイツ。

しかし、困った。このまま断るにしたって、ネイチャの尊厳を傷つけることになる。かといって、控室で『うまぴょい』なんて前代未聞だ。俺の倫理観が疑われる。理性と本能の挟み撃ちじゃないか。どうしたら……。

 

「ネイチャ、居るー? ライブの準備行こうよー」

 

その時だった。ドアからノックが鳴り、テイオーの声が耳に届いた。

 

 

――――瞬間。

 

俺の大して領域の広くない脳内メモリーがフル稼働し、あらゆる行動と言動を促した。

スッと立ち上がり、声のした方を確認。すぐさまネイチャに向き直り

 

「とりあえず、また今度な」

 

と優しく言い聞かせ、汗を拭い平静を装い、慌てない足音とゆったりした仕草で扉を開ける。

 

「よう、テイオー」

「なんだ、トレーナーも居たんだ」

「ああ。お前と違って、ケアが要るんだよネイチャには」

「なにそれー。勝ったのはボクなんですけどー?」

「はいはい。テイオーはすげぇよ。……ネイチャ、そろそろ支度しようか」

「あ……う、うん」

 

ちょっぴり残念そうな顔で、返事をするネイチャに申し訳ないと思いつつ。テイオーのファインプレーに感謝した。

 

その後、輝かしいウイニングライブをセンターで歌うテイオー。今回はバックダンサーだけど懸命に踊るネイチャを、両手に携えたサイリウムでクリークと共にたくさん盛り上げた。

しかし、テイオーが春の天皇賞を手にするとはな。前回の出走時は、スタミナトレーニングを重点的に行ったのにも関わらずの5着だったから……。この距離は流石に距離適性が合ってないと思ったんだが。やっぱり『うまぴょい』の効果なんだよなぁ。

リベンジしたいって言われた時は、正直そこまで結果は振るわないと予想していた。記念で出させて、もう一度彼女の合った距離を見定めるつもりでもあったのに。まあ、あくまで『うまぴょい』前の感想だが。

 

……そんな常識を覆す事象について。ナイスネイチャが何も思わないわけもなく。

 

 

【おはよう、トレーナーさん。今日の調子はどう? アタシは元気だよ】

 

【ねえねえ。明日の昼とかアタシ、結構暇なんですけど】

 

【お休みの日、トレーナーさん何してるの? そういえば、今度の休暇は朝から空いてるんだけど。どこか行かない?】

 

 

 

お前は俺の彼女か!!

 

事情を知らない人に見られたら、事案になっちまうぞ!? ……いや、事情を知られても事案になるかもだが。なんにせよ、ふとした拍子に誰かの目に付いたら流石にマズイ。

 

スマホに飛んでくるメッセージに、若干恐怖と申し訳なさを思いつつ。自分で蒔いた種でもあるのだから、そろそろ終止符を打つべきだと判断した。

 

「次のレースは宝塚記念だな。二人とも」

 

ある日の練習前、トウカイテイオーとナイスネイチャに出走レースを告げた。それぞれに練習用のメニューを渡す。内容について文句はないようで……いや、待て。シンボリルドルフがどこかで大きく頷いている……? いかんいかん、幻影だ。

とにかく、不満はなさそうだ。しかし、ネイチャのみがページをめくっていく中で手を止めた。目を見張り、無意識に口が開いている。遅れて顔が紅潮していった。

そんな様子を見ていると、バチっと目が合う。俺は額から零れそうな汗を誤魔化しながら、ぎこちなく笑った。

 

「ネイチャ、どうしたの? なんか顔赤いけど」

「え? あ、な、なんでもない! 無茶苦茶なメニューだから、頑張らないと~って気合入っただけ!」

「ふぅん。へんなの」

 

そうあからさまな反応を取られると、こちらも困る。用紙で必死に顔を隠しながら、ちょっとだけ嬉しそうに俺を見上げる姿は可愛げがあるのだが。

 

それから、初夏の大舞台に向けて練習が始まった。担当は同じだけど、指導は別個に。手の内を明かさないよう、それぞれが課されたトレーニングを行い身体と技術を仕上げていく。時間をしっかり決め、互いの様子を見ながら調整。既にベテランの域にも達している二人だけれど、手を抜いたりはしない。自らの強さを証明することが、ウマ娘の本能なのだから。

 

 

「……」

 

練習が終わったとある日のこと。日没の時間も遅くなり、宵闇に染まる頃合いは一日の終わりと同義になってきた。

普段の俺ならば、もう後は書類整理をして帰宅をするだけ。場合によっちゃ既に寮に戻ってたりするぐらい。遮光カーテンも窓の鍵も閉め、戸締りは万全。机の上の散らばったデータは……まあ、明日の俺が片付けてくれるさ。今日はもうお開きだ。

エアコンの音だけが響くトレーナー室で、そのまま俺は暇つぶしにスマートフォンをいじっていた。仕事も終わったのに、何故かって? なあに、すぐ理由はわかる。

 

コンコン、とノックが鳴る。ちょうど【ドーナツホールとワームホールの因果関係は『ホール』という言葉のみだった】という記事が取り上げられていたので、くだらなすぎて読んでいたところだったのだが。

返事をすると、予想に違わない姿がおずおずと見えてきた。

 

「お、オジャマシマス……」

 

制服姿のナイスネイチャだった。上目がちに、ドアノブをきゅっと握ったまま半身で挨拶をしてくる。

 

「やあ、きたか」

 

俺はいつものテンションで返した。

ぱたんと扉が閉まると、間髪入れずにネイチャは鍵を閉める。言わなくても、これから何をするのか自然と理解できてしまい、ちょっと緊張する。

 

「こんな時間に悪いな」

「い、いえ。ダイジョブです……」

 

はは。全く、俺に負けないぐらい緊張しているな。大人の余裕を見せてはいるが、俺なんて手は冷たいし心臓は張り裂けそうだし、足は震えてるし歯を食いしばってんだぞ。頬の筋肉を緩めれば、下手すると泣いちゃうぐらいだぜ。

 

「えーと……まあ、なんだ。座るか? なにか飲む?」

「お、お構いなく……!」

 

紅潮した顔で必死に手を横に振ってから、そのまま片腕のみを下げて肘の辺りを握る姿勢になる。伏し目がちで、恥ずかしそうなままネイチャは突っ立っていた。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

無言が続く。俺が話題を切り出せばいいんだろうが、雑談なんてしたくないんだろう。いいから今日、こんな時間にこんな所に呼んだ意味を、ちゃんと果たして欲しいんだな。そりゃそうだ。

 

「……それじゃ、いっちょやりますか。『うまぴょい』」

「! ひゃ、ひゃい!」

「硬くなり過ぎだぞ。もう少しリラックスして良いだろ」

「……で、でもぉ」

「……じゃあ、この際だから。俺のことを話しておくか」

「トレーナーさんのこと?」

 

別にフェアにならないとか、そういうわけではなくて。ちょっとでも緊張が解れればいいかな、と思って話をした。

テイオーに襲われたこと、クリークに襲われたこと。俺、襲われてばっかりじゃんってこと。

ネイチャの赤い顔は、どんどん青ざめていき憐れみを帯びていく。それが普通の反応だな。俺、もしかしてようやくまともな担当ウマ娘に会えたのか?

 

「トレーナーさん、結構不幸体質だったりする?」

「どうかな。そうは思わないけど」

 

結果的にテイオーは強くなったし。クリークは……あれ、クリークの方はあれでよかったのか? 今は落ち着いてくれたけど。まだ余波で、膝枕とかされるんだよな。癒されるから良いんだけど。

 

「……ふふ。なんか、安心した」

「ん?」

「いやぁ、てっきりトレーナーさん側から、いっつもお誘いしてるもんだと思ってさ」

「キミは俺に対する認識をそろそろハッキリさせた方がいいね?」

「あはは。ごめんごめん」

「ったく」

「……あのね、トレーナーさん」

「うん」

「アタシ、今日はちゃんと……しゃ、シャワー浴びてきたから! 大丈夫だよ」

 

シャワー浴びる必要ないよね? 大丈夫って何が??

 

「さ、じゃあちゃっちゃか終わらせますかね~。門限間に合わなくなったら大変だし」

「そうだな」

「改めて……よろしくね、トレーナーさん!」

 

人懐っこい笑顔と、やっぱり隠し切れない緊張した身体。

無理をしてでも、それでも彼女らは強くなりたい。純粋な想いと、真っすぐな生きる姿勢はやっぱり好きだな俺。こんな無垢な態度を取ってくれるなら、無駄に悩むんじゃなかった。

大好きなウマ娘という存在に頼られるんだ。最初から俺の意志なんて、決まっていたようなものじゃないか。やはり、ウマ娘には敵わないな。

笑顔に応えるように、俺もゆっくり頷く。

そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウー! スキダッチ!

 

 

 

 

 

 

 

――宝塚記念。

 

その日、俺は信じられない光景を見た。

 

 

【トウカイテイオー、抜け出した。坂を利用したスパートでリードを一気に広げていく! 後続との差は既に3バ身……いや、2バ身! 1バ身! 縮んでいく! 詰め寄っているのは、ナイスネイチャ! ナイスネイチャだ!!】

 

梅雨の時期もあって足場は稍重。ふんばりも利きにくい中の最終直線で、コーナーから先頭に躍り出たトウカイテイオーに、追いすがるナイスネイチャが居た。迫る差に、テイオーも気付いた。信じられない顔をした直後、歯を食いしばり必死に足を動かす。

外から駆けていくネイチャは、それよりもっともっと辛そうだった。今持てる限界の、更にその先の力を振り絞るように走っている。

どっちが勝ってもおかしくない。歴史に残りそうなデッドヒートを、1ハロンの間互いに一歩も譲らない命の削り合いで、魂をぶつけていく。

 

最後の最後、決着はハナ差だった。何がそれを掴み取ったのかは、俺だけがきっと知っている。俺だけで良い。

勝利を勝ち取った少女は、信じられないような顔をして掲示板を見ている。歓声を一身に浴びているのに、それにすら目もくれず。ただただ、現実を受け止めきれずに呆然としている。

 

だから、俺は叫んだ。観客席からだから、届かないかもしれない。でも、それでも。俺は言ってあげたい。彼女に伝えたかった、一番言いたかった言葉を。きっと、お前と共に歩んできたもう一人のトレーナーも、一緒に言っているであろう言葉を!

 

 

「ネイチャーーー!! 1着おめでとう!!!」

 

 

横で悔しそうな顔をしているテイオーには申し訳ないが、今ぐらいは許してくれよ。大きな拍手と、されたこともないコールに、ネイチャは恥ずかしそうに手を振って応える。

これからも、きっとたくさんやるんだよ。ちょっとずつ慣れていこうな。

 

ようやく手にしたGⅠタイトルの重みに、涙を浮かべる姿を見て。俺は自分の行いは間違いではなかったと思うことが出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

――――。

 

 

「……おぉおお! すげー差し方! やべーなネイチャ!」

 

トレセン学園のカフェで、レース映像を見ていたウマ娘が感嘆の声を上げた。

ボーイッシュな髪と言動。彼女も差しを得意とする脚質を持つウマ娘の、ウオッカだ。テイオーの友人でもある彼女だが、今日は同じく知り合いのネイチャも出ているグランプリレース、ということで中継を観ていたわけである。

 

「いったい、どんなトレーニングを積んだらあんなに……」

 

正面に座った席にいるのは、大きなツインテールが特徴な栗毛のウマ娘ダイワスカーレット。ウオッカとは犬猿の仲なライバル関係でありながら、互いに影では認め合う友人である。

 

「なんだ、スカーレット。知らねえのか? ネイチャの噂」

「はぁ? アタシは自分のトレーニングで忙しいんだから、噂なんて気にしてる暇ないわよ!」

「ふ~~~~ん」

「な、なによ!?」

「……別にぃ? 知りたかったら、自分で調べろよ。優等生サマ。んじゃ、俺は先に部屋戻るわ」

「ちょっとウオッカ! 待ちなさいよ!」

 

残されたスカーレットは、もやもやしたまま中継モニターを再び見た。

彼女らは、まだデビューしたて。レース経験も浅く、自分に自信の持てていない頃だ。

だけど、それでも譲れない思いが一つだけあった。同室の、同期のライバル。ウオッカ。性格の不一致から何かと衝突するのに、なぜかいつも一緒にいるから対抗心が芽生えてしまった。

二人の間に常にあるのは『負けたくない』という気持ち。他の誰よりも、この自分の決めたライバルにだけは前を行かれたくない、といつだって闘志をむき出しにし日々の鍛錬に励んでいる。

 

二人とも本格化を終え、伸びしろについて疑問を持ち始めた頃。自分はまだ上にいけるのか、本当はここまでなのか。悩みは尽きない。誰も通る、己の存在価値の再検。

次なるステージへ進むためには、何か新しい試みが必要だ。

 

 

その為には…………。

 

 

 

 

 

(……ん? なんだ……?)

 

 

一方。阪神レース場で湧き上がる熱気の、ど真ん中に居るはずの好井ソウマは、得体のしれない謎の悪寒を感じていた。

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