10月下旬、土曜日。夜、トレセン学園栗東寮にて。
「ただいまァ」
そう気だるそうな調子で一人のウマ娘が自室に帰ってきた。袖がぶかぶかの白衣。寝不足気味のような瞳。アグネスタキオンである。
「おおおおかえりなしゃい~!タキオンさぁん!」
それに眼を輝かせ、一人のウマ娘が彼女を迎え入れる。アグネスデジタル。ルームメイトとしてアグネスタキオンと暮らしてしばらく立つにも拘わらず、その態度は依然として挙動不審なままだった。
「随分と落ち着いてるねェ」
とアグネスタキオンは彼女に呼びかける。
「落ち着いてえ?!」
その言葉に素っ頓狂な声を上げるアグネスデジタル。
「いや、言葉を誤ったねぇ。デジタル君はいつもと変わらないってことさ」
右手を右頬にやり、そして少しだけ顔を傾けて、どこか意地悪そうな目つきでタキオンはそう話した。
「明日、天皇賞なんだろ」
そう、明日は天皇賞(秋)。アグネスデジタルにとって一世一代の大舞台。そしてこのレースに参加すると決めるまで、紆余曲折、荒波を一身に浴びた経緯があった。
「貴方を天皇賞に出します」
そうアグネスデジタルのトレーナーが言い出した時、アグネスデジタルは言葉を失った。
四角いフレームの眼鏡を通して、目つきのきつい彼女のトレーナーの視線がそそがれ、ただ彼女に刺さりこむ。
「あ、あの・・・トレーナーしゃん・・・」
「トレーナーさんです。ちゃんと発音しなさい」
「アッハイ、すみません・・・」
このドSトレーナーが、乙女ゲーの二次創作だったら薄い本が大量に発行されてるぞこの、と脳内で毒づき、アグネスデジタルは床に視線を落とす。
「それで、どうしました?」
「あの・・・デジたん」
「一人称はちゃんと言いなさい」
「・・・わたしの聞き間違いで無ければ・・・天皇賞に出るって」
少し怯えた様子で上目遣いにアグネスデジタルはトレーナーの顔をのぞき込む。
「はい、そうです。天皇賞(秋)、貴方は出走します」
憮然とした、顔色を一切変えない態度で彼はそう言った。
「出たくないのですか?」
「い、いえ滅相もごじゃません!!!」
「なら結構」
話が終わるような雰囲気の最中、アグネスデジタルはトレーナーの前に依然として立ち尽くしていた。
「何か、言いたいことがあるのですか?」
それを察してか、トレーナーが声を掛ける。
「い、いや~~~そのぉ・・・。デ・・・わたしにとって大変たいへんありがた~ぁい話なんですけどぉ・・・わたしぃ芝のレースは」
ちょっと苦手と言おうとしたその時
「マイルチャンピオンシップ」
とトレーナーが遮るように一言発した。
「・・・ウス」
その言葉に死んだ眼でアグネスデジタルは頷く。それは紛れもなく、昨年彼女が1着を取った、芝1600mのG1レースである。
「これからは芝の練習を中心にしていきます。まぁ、本番前に慣れるという意味合いでですね。最後の追い切りです。厳しく行きますよ」
「・・・かしこまりましたぁ」
諦めたようにアグネスデジタルは項垂れた。厳しいのはいつものことじゃないか、と彼女は思う。
夏合宿だってそうだった。憧れのスペシャルウィークをどういう伝手か連れてきて、ここから秘密の花園の合宿が始まると期待したら、現実は昭和のスポ根アニメびっくりの超絶ハードな2ヶ月間。
どうせ芝に慣れるためだけとか言っても、実際はとんでもなくきつい練習が待っている。そうアグネスデジタルは思い浮かべる。
そしてそれは現実のもとのなった。
そうして練習を繰り返し毎日を過ごす中、アグネスデジタルの耳にある噂が入ってきた。
クラシッククラスのウマ娘の一人が天皇賞に参戦する予定だったと。彼女もNHKマイルを制した立派なG1ウマ娘。だが、それが叶わなくなる見通しだと。
そしてそれは、アグネスデジタルのせいだという、そんな噂。
話をまとめればこうである。
天皇賞(秋)に参戦できる椅子は残り1つだったらしい。そしてアグネスデジタルとその子が一つの椅子を巡って争うことになった。
そしてトゥインクルシリーズはアグネスデジタルを選んだ。今までの参加したレースの実績から判断してである。
しかし学園内ではその日から厳しい視線がアグネスデジタルに注がれることになった。
「ダートのウマ娘が天皇賞(秋)に出るなんて」
「勝つ気がないなら登録なんてしなければいいのに」
厳しい声が、アグネスデジタルを締め付けるように、遠回りに漂っている。
そしてその事実からもたらされたどうしようもないフラストレーションが、些細なことをきっかけに爆発した。他ならぬ、彼女のトレーナーに向かって。
「どうしてですか!?なんでデジたんが天皇賞に出るんですか!?」
いつもの繕った態度を投げ捨て、怒りを爆発させるアグネスデジタル。
しかしその声に平然とした態度でトレーナーは彼女を眺めていた。
「な・・・・・・!!!」
なんとか言ったらどうなんですか、と彼女は言おうとしたが、言葉が詰まって出てこない。そんな最中、トレーナーがため息をつく。
それに更なるいらだちを覚える中で、遂にトレーナーが口を開いた。
「貴方が天皇賞(秋)で勝てると思ったからです」
その言葉を受け止めて、彼女の胸に重たいつっかえが漂い出す。
「アグネスデジタル、貴方何か勘違いしてませんか?」
「か・・・?」
「レースは必ず敗者を作ります。そして事前登録も同様です。実績の無いウマ娘はいつまでも重賞に出ることは出来ません」
その言葉は正論だった。しかし正論故に腹ただしさをアグネスデジタルは覚え続ける。
「前走の南部杯。貴方は一着でした。そうですね?」
「・・・はい」
「その前の日本テレビ盃でも貴方は一着でした」
「・・・はい」
「その一着の栄光の陰には、無数のウマ娘の涙があったことを、貴方は覚えていますか?」
その言葉に彼女は応えられなかった。言葉が詰まり、ただうつむく彼女に、尚トレーナーは言葉を続ける。
「勝者は敗者を作ります。それがレースの掟です。そして今回の天皇賞の事前登録だってそうです。彼女の他にも出たいと思うウマ娘は山ほどいます」
トレーナーはただ彼女を見据え、なおも言葉を紡ぐ。
「もし誰も傷つけず、他のウマ娘のことだけを考えて、ただヘラヘラ笑って生きていきたいなら、すぐにトレセン学園を辞めなさい」
流石にその言葉に頭にきたのだろう、アグネスデジタルの顔が、きっ、と上向く。
しかしその視界の先にあったのは、今まで彼女が出会った誰よりも真剣な顔をした男性の顔だった。
「私は貴方が負けるなんて思っていません。必ず天皇賞(秋)で勝てるモノと、そう確証を持っています」
その真っ直ぐな言葉が彼女に浴びせられる。そして彼女の胸に巣食った怒りの蜘蛛の巣に穴が空いていく。
「だから勝ちなさい、アグネスデジタル。誰がなんと言おうとターフに立ち、貴方の強さを証明しなさい!」
力強い言葉。誰よりも自分の事を信じている、そんな意思。
同時に彼女の胸にあるモノが宿り始めていた。あたたかいような熱いような、胸を焦がすその衝動が彼女の身体を駆け巡り始めていた。
10月下旬、日曜日。東京レース場、第11レース。
芝2000m、G1、天皇賞(秋)。
天気は雨、バ場は重。
『土砂降りの雨の中!13人のウマ娘!吹きすさぶ雨風に向かって!!!秋の盾の名誉を賭けて!!!ゲート開いた!!!』
遂にアグネスデジタルの運命のレースが幕を上げた。
「うわっ!」
一人のウマ娘が足を滑らせて出遅れる。
『おおっと、サイレントスナイパー出遅れた!?』
それに被せる実況。
(え・・・?)
(マジで?)
そしてその動揺は他の12人のウマ娘にも伝わった。
ただの出遅れではない。出遅れたのは逃げウマだったのだ。ペースを引っ張るウマ娘が不在となったこのレース。皆がどうしようかと足を泳がす中、
『まさかのメイショウドトウが一番手!第二コーナーのカーブに入っていきました!』
(わたしが先頭ですかぁ~!?)
先行が得意なメイショウドトウが先頭に立った。
『その後ろにぴったりとつけましたテイエムオペラオー!そしてその内にはキンイロリョテイ!三強が先団を作ります!』
そしてその後ろにつけたのは彼女のライバル、テイエムオペラオー。
(ふふっ・・・!面白いレースになったね!)
そう思い瞳を輝かせメイショウドトウの背中を追いかける。
一方でアグネスデジタルは九番手・外側に位置取りをした。そしてトレーナーにレース前に言われたことを思い出す。
「今回のレース、最高の天候になりました」
そうトレーナーは彼女に告げた。
(どこがだよぉ!こんな雨の中ぁ!)
瞳に雨が刺さるようなそんな中、ターフを切り進めるアグネスデジタル。
「今回のレース、注目すべきはテイエムオペラオーとメイショウドトウです」
こうもトレーナーは彼女に告げた。
(わかってんの、そんなことぉ!)
悪態をつきながらアグネスデジタルは前を向いて走る。
この二人、この1年のトゥインクルシリーズを引っ張ってきた、誰もが知る英雄である。常にテイエムペラオーが一着、メイショウドトウが二着。ウマ娘であれば、誰もが認める実力者。
「そして、この二人は負けるんです。強すぎるが故に、ね」
そしてトレーナーはアグネスデジタルに企んだような笑みでそう言い放った。
(中二かよ!!!いくつなんだよアンタ!!!)
その記憶に脳内で突っ込むアグネスデジタル。
そうこうするうちに、レースは進み向こう正面へ入ろうとしていた。
『さぁ、第二コーナーから向こう正面!ウマ娘達、一団となり駆けていきますが・・・これはかなりのスローペース!今年の天皇賞、スローペースで進んでいます!』
これは無理も無いことだった。東京レース場といえば、最後の500mを超える長い直線がある。そしてその直線には心臓破りと称される急坂。レースになれたシニア級であれば、誰もが最後のホームストレッチを意識して脚を溜め、レースに臨むのが定石。
なおかつ今回は雨で重バ場。さらにレースをひっぱる逃げウマ不在。どうしてもスローペースにならざるを得ない、そんな展開になっていたのだ。
『第三コーナー!依然先頭はメイショウドトウ!そして、その後ろは団子状態!ウマ娘達、一団となりそこまで差がありません!!!』
(どうしましょうかぁ~・・・)
メイショウドトウは迷っていた。どこまで脚を使えばいいのか。慣れないペースメーカーになった彼女の後ろをウマ娘達が虎視眈々と狙っている。
そして、メイショウドトウも抜かれるのを臨んでいた。正直体力に余裕はある。ここで誰かが追い抜いてくれれば多少楽になる。
外からウマ娘が仕掛けてくるのを感じると、少しだけペースを上げてウマ娘を引っ張る。すると彼女もメイショウドトウを追い抜かず、少し後ろで併走する体制を取り始める。
(なんでですかぁ~・・・)
それに心の中で落胆するメイショウドトウ。
その様子を後ろからテイエムオペラオーはたたじっと観察していた。
(これは・・・皆、けん制しあってるね・・・)
テイエムオペラオーの考えは当たっていた。団子状態になったバ群。そしてペースメーカー不在の中で進むレース。
第四コーナーに差し掛かろうとしている最後の局面。最後の直線に向けて全力を出す準備をするために、好ポジションを獲得することが肝となり、余計な体力を使わないのが重要。だがペースが遅すぎるため、多少無理をし、他のウマ娘の余力を推し量りたくなるそんな局面だった。
そして状況は変わらず、第四コーナーが終わりを迎え始める。、
『さぁ第四コーナーを抜けて!最後の直線!!!ファン達の声援に彩られ!!!ウマ娘達が躍り出ます!!!』
実況が叫ぶ。観客も叫ぶ。雨の音にも、風の強さにも負けない声援が、13人のウマ娘に一斉に浴びせられた。
『先頭は依然としてメイショウドトウ!!!このまま行ってしまうのか!?』
(ここまで来たら・・・!最後まで・・・!!!)
ぬかるんだ重バ場を懸命に駆けるメイショウドトウ。
『ウマ娘達、横一線に広がった!!!これは大混戦の予感です!!!』
しかしその後ろには彼女を差しきろうと一線に並んだウマ娘達。
『空いた外からテイエムペラオーが伸びてくる!!!テイエムオペラオーが追い込んでくる!!!』
(今日こそはボクが勝つよ!!!)
テイエムペラオーの脳内によぎったのは宝塚記念の思い出だった。
この時、テイエムオペラオーは初めてメイショウドトウに敗北した。グランプリウマ娘の栄冠を手にした彼女の後ろで踊らされた悔しさを、テイエムペラオーは忘れていなかった。
だからこのとき、このレース中、テイエムペラオーはメイショウドトウを徹底マークしていたのだ。
『内ラチ沿いにはキンイロリョテイ!!!』
内側から伸びてくるウマ娘の陰があったが、そんなことテイエムオペラオーは気にしていなかった。
狙うはメイショウドトウだけ。その彼女の見立ても当たっていた。依然先頭を切り進めるメイショウドトウだが、脚色に一切の衰えがない。粘り強く先頭を保ち、差を縮めさせてくれない。
(これだから・・・!!!ドトウ・・・!!!君は最高のライバルなんだ!!!)
テイエムオペラオーの心が高ぶる。脚色がさらに輝きを増す。
(今日も・・・!!!負けません・・・!!!オペラオーさん!!!)
後ろからのプレッシャーを感じてか、メイショウドトウの脚色も輝き始めた。
『坂を登り切った!!!残り200!!!ドトウか!?テイエムか!?』
きつい坂を登り切り、最後の平らな直線。後はここで全力を出し切るだけ。
そんな最中だった。
「うおぉぉぉぉおおおお!!!!」
雨をもろともせず、泥だらけになったテイエムオペラオーの末脚が炸裂する。
「わたしだってぇぇぇええええ!!!!」
それに必死に先頭を保とうとするメイショウドトウ。
しかし
『先頭はテイエムオペラオーが抜けた!!!メイショウドトウ二番手!!!』
遂にテイエムペラオーがメイショウドトウを躱し先頭に立つ。
(勝った・・・・・・!!!)
その時、テイエムペラオーはそう思った。最大のライバル、メイショウドトウを下した。後は残りの直線を走り、それで終わりだと。
そしてその考えが、大きな誤算だった。それに彼女が気づくことなく
『大外からアグネスデジタル!!!大外からアグネスデジタル!!!』
ターフの外側を駆けたアグネスデジタルが迫っていた。
「テイエムオペラオーとメイショウドトウは、確かに強い。この1年間のG1戦線は、この二人のワンツーフィニッシュばかりでした。だから見誤るんです。テイエムオペラオーはメイショウドトウを下せば終わりだと。メイショウドトウはテイエムオペラオーに勝てば栄光を手にできると」
トレーナーの言葉を思い出しながら彼女はターフを切り進める。
七万人の大観衆の声を受け、彼女はゴール板めがけて一直線に脚色を輝かせる。
「ダートウマ娘の貴方が、外から強襲してくるなんて、そんな事一切想定しない。これは賭けです。特に宝塚の後で、二人の意識は一層それぞれに向いている」
アグネスデジタルにとって、その言葉は非常に身につまされる程に納得できるものだった。
(あぁもう!ムカつく!!!ムカつく!!!ムカつく!!!)
全てがトレーナーの言ったとおりレースが運んでいることに不満をまき散らかしながら、泥だらけになりターフを切り進めるアグネスデジタル。
いつも余裕たっぷりで、つんとした態度で、自信に溢れていて、そしてドSで。トレーナーの事を思い浮かべては心の中で毒を吐く。
しかし目の前の展開が、トレーナーとアグネスデジタルの想定通りになっていることに、自然と心が踊り始めていた。
「そして、今回の重バ場。貴方が勝てるレースです。私はそう信じています」
(かっこつけて!!!もう・・・!!!)
アグネスデジタルの脚色が一層輝く。一文字にターフを切り進めていく彼女。
『アグネス!!!差を詰めてくるアグネス!!!アグネス!!!アグネスデジタル!!!』
「なっ・・・!!?」
そしてこの局面でようやくテイエムオペラオーは気づいた。大外からとんでもない伏兵が飛んできていることに。
急いで脚色をさらに輝かせるが既に後の祭り。乗りに乗ったアグネスデジタルの脚色がどんどんと迫り、そして
『届くか!?届くか!?届いた!!!届いた!!!』
ゴール板、30m前
『アグネスデジタル、差しきりました!!!!!』
アグネスデジタルは、秋の天皇賞を一着で駆け抜けた。
『文句なし!!!文句なしの一着です!!!アグネスデジタルです!!!!!』
実況がそう叫び、7万人の観客がアグネスデジタルに声援を送る。
第一コーナーまで走り抜けたアグネスデジタルは
「・・・・・・マジで?」
その勝利をまだ信じられていないようだった。
しかし掲示板の一着は『10』の文字。観客席からはアグネスコール。紛れもない一着の祝福の証である。
身体中は冷たい雨滴で濡れている。泥だらけの勝負服が身体を冷やす。
しかしその胸の内に渦巻くのは熱い熱い鼓動。それは紛れもなく、勝利の喜びだった。
この後、ウイニングライブで歌の合間にトレーナーがステージに現れて
「今回の天皇賞、アグネスデジタルと私に対して、心ないことを色んな人が言いましたが、そんな言葉を吐いた人たちは皆恥かいたんじゃないですか」
と、観客の目の前で言い放って、アグネスデジタルの顔面を蒼白にさせた。
そして
「次のレースでもこの子は勝ちます。見ていて下さい。アグネスデジタルは私の一番のウマ娘です」
と続けざまに言い放って、アグネスデジタルの顔を真っ赤にした。
そして12月の中旬、まさにその宣言通りに、あるG1レースで大勝利を収め、歴史的快挙とアグネスデジタルが喝采を浴びるのはまた別の話。
実装おめでとうございます