12月下旬。トレセン学園、ある日のこと。
「有給休暇を取ります」
トレーナーは担当するウマ娘にそう告げた。
「有休休暇?」
それに首を傾げたのは彼の担当するウマ娘、ぶかぶかの白衣を纏った彼女、アグネスタキオンである。
「はい」
そんな彼女に真顔でトレーナーは首を縦に振る。
「民間企業では年間最低5日間の有給休暇の取得が義務づけられました。これを以て、少しはトレセン学園も世の流れに沿わねばと、有給休暇を取るよう指示が出ました。理事長が考えられたようです」
「ふぅん・・・」
少しだけアグネスタキオンは頭を巡らす。
確かに考えてみれば、目の前のトレーナーはおろか、他のトレーナー達も休んでいる素振りを見せたことがない。そんな記憶がぼんやりと彼女の脳裏を漂う中
「そういう事で、私は早めの冬休みをいただきます」
とトレーナーは静かに声をかけ、スケジュール帳のカレンダーを彼女の目の前に出す。
そこには有給休暇と正月休暇をつなげた連休の日程が現れていた。
「・・・トレーナーくん」
「はい」
「休み・・・長いねぇ」
「そうですね」
そこから二人の間に沈黙が流れるが
「今日の打合せは以上です、お疲れ様でした」
とトレーナーが頭を下げた。
しばらく目を瞬かせたアグネスタキオンだったが
「うん、分かったよ」
といつものように薄笑いを浮かべて席を立ったのだった。
そしてトレーナーの有給休暇1日目。
「やぁ、おはよう。トレーナーくん」
トレーナー寮の前にて、待ち構えたように私服姿のアグネスタキオンが立っていた。
「・・・何でここにいるんですか、貴方」
肌寒い空の中、少し厚着をしたトレーナー。リュックサックを背負ってどこかに泊まり込みで出かけるような格好だ。
彼はそんな彼女に少し低めの声で話しかけるが
「別にいいじゃないか!私がどこに居たって!」
と両手を広げて彼女は笑ってみせる。
そんな彼女に少しだけため息をつくと
「では私はこれで・・・」
トレーナーは駐車場の方に向かい始める。
「おおっと、どこに行くんだい?」
それを追いかけるようにアグネスタキオンが彼に続く。
敢えてそんな彼女を無視するように歩みを進めていた彼だったが
「実家ですよ」
遂に自分の車の前、リフトアップしたジムニーの前につくと、ぽつりと呟いた。
「そうかい」
と彼女は言い首を傾げて薄笑いを浮かべてみせる。
そして
「じゃぁ、私もついていこうかな」
変わらぬ調子でそう告げる。
その言葉を聞いた彼は
「本気ですか?」
あからさまに眉間に皺を寄せて彼女に話しかける。
だが
「当然さ」
そんな彼の態度などどこふく風。一切調子を変えず、アグネスタキオンはそう頷いてみせる。
「絶対後悔しますよ」
「どうしてなんだい?」
「私の実家はものすごい田舎です。止めた方がいい」
「構わないさァ。第一、トレーナーくんが居なくなったら私の食事は誰が作るんだい?」
何度か押し問答を繰り返すが、アグネスタキオンの意思は変わらなかった。
その鋼の意思の前に
「・・・・・・寮に寄ります。着替えや必要と思うものを出来る限り取ってきて下さい」
遂にトレーナーの心が折れた。
「わかったよ」
満足そうにアグネスタキオンが笑うと、二人は車に乗り込み、栗東寮の方へ向かったのだった。
そして二人の旅が始まった。
「郊外に出たねぇ」
「そうですね」
首都高速を抜けて、郊外の高速道路へ車は向かう。
「昼はここで食べましょう」
とトレーナーはSAに寄り、食事をするその最中
「トレーナーくん、まだ走るのかい?」
アグネスタキオンは彼に話しかける。
「そうですね、まだ走りますよ」
「ふぅん」
思ってみればトレーナーの実家がどこか知らない。ものすごい田舎と彼は言った。しかしその田舎像がいまいち想像がつかないアグネスタキオンである。
そして食事とトイレを済ませると、再び車は走り出した。
走り出して2時間程経過し
「トレーナーくん」
助手席のアグネスタキオンは彼に話しかける。
「まだかな?」
と。それに
「まだです」
と彼女と一切目を合わさずトレーナーは運転に集中する。
それから1時間ほどが経過し
「おっ・・・!」
アグネスタキオンが声を上げた。
「ようやくだねぇ」
それはようやく高速のICを降りることに対する言葉だった。
しかし
「?」
トレーナーは首を傾げる。
「高速、降りたじゃないか」
「あぁ・・・そうですね」
トレーナーは淡々とその言葉に応える。
アグネスタキオンは少し心が躍っていた。高速を降りたのだ。もうすぐトレーナーの実家だと、彼女は確信していた。長旅が遂に終ると。
窓から見える景色は地方の田舎のそれ。低い山に狭い空。そして広がる畑に、ドラッグストアやスーパー、やたら広い駐車場のコンビニ。
田舎といってもこんなものだろう。そうアグネスタキオンは思った。思っていた。
1時間後。
「トレーナーくぅん!」
「はい」
「まだなのかい!?」
「まだです」
一向に車は止まらなかった。それどころかどんどんと人気の無い方に景色は移っていく。周りは木々に覆われ、車線は1台がどうにか通れるもの。ヒビ割れたアスファルトが車体に伝わり車を揺らす。
気づけば日は沈みかけ、ヘッドライトが道を照らしている。
「どこまで走るんだい!?」
「もうすぐです」
「何か雪降ってきてないかい!?」
「この辺は降りますからね。タイヤはスタッドレスに変えてますから安心して下さい」
淡々と応じるトレーナーの顔を見て、思わずアグネスタキオンはため息をついた。
そして気を紛らわそうとスマートフォンを手に取って、
「トレーナーくぅん!!!」
彼女は叫んだ。
「はい」
「電波通じないんだけど!?」
「通じませんよ、この辺」
それにも『当たり前だ』と言わんばかりに淡々と言葉を彼は続ける。
あんぐりと口を開けた彼女だが
「返してくれよぅ!!!車を!!!」
すぐに言葉が口から出た。
「もう戻れませんよ」
そう言うトレーナーは続けて
「言ったじゃないですか。ものすごい田舎だって」
と、乾いた笑いをアグネスタキオンに向ける。
暗に『諦めろ』と言っているようなその視線を受けて
「こんなの田舎じゃないよ!!!未開の地じゃないか!!!」
「未開の地って・・・失礼な」
「あり得ない!!!こんなのあり得ない!!!」
「うるさいですね・・・もうすぐですから」
騒がしくアグネスタキオンの声が響く車内。人気無き道に、車は止まることなく進み続けていった。
「着きましたよ」
そう言われてアグネスタキオンは無言で車を降りた。
山奥にぽつんと古い家が一軒。周りには一軒の家もない。切り開かれた畑が少し広がり、トタン張りの小屋があり。その周りには木々が茂っている。
「トレーナーくん」
「はい」
「限界集落を越えているね、あっ、一軒だから集落ですらないね。限界突破孤立住宅だねぇ」
「何言ってるんですか貴方」
そう言って二人がそれぞれに荷物を持ち、家へ歩みを進める中、
「ただいま」
引き戸を開けて、トレーナーはそう一言。
それに
「あー、おかえりー」
一人の少し老いた女性が笑顔で彼を出迎えた。彼の母親だった。
「あ・・・そっちの子が」
そう言ってトレーナーの後ろにいたウマ娘の方に母親の視線が向く。
「うん、急にごめんね。母さん」
どうやら出発前にトレーナーはアグネスタキオンが同行することを連絡していたらしい。
そんな母親の視線に少し自慢気に
「やぁ、アグネスタキオンだ。お世話になるよ」
いつものように、いつもの調子で。アグネスタキオンは母親にそう声を掛ける。
自分は腐っても皐月賞ウマ娘。名は通っている自信はあった。
しかし
「アグ・・・タキ・・・?」
母親は首を傾げた。まるでその名前を初めて聞いたかのように。
「外国人みたいな名前なのね、よろしくね、タキちゃん」
そして困ったかのように微笑んだ。
「えっ・・・あっ・・・」
思ってもみない反応に言葉が出てこないアグネスタキオン。
「言ってませんでしたが」
トレーナーは小声でアグネスタキオンに話しかける。
「私の両親はトゥインクルシリーズの事を殆ど知りません。ルドルフ会長ですら知っているか怪しい。NHKで偶に映るスポーツ選手程度としか考えていないのです」
「へ・・・?」
その言葉に呆気にとられているうちに
「二人とも長旅お疲れさま。おあがりなさい」
と母親の言葉に促され、トレーナーは靴を脱いで家に上がろうとする。
(私を・・・知らない・・・?)
その事実に少しだけショックをうけつつも、気づけばアグネスタキオンも彼の背中を追いかけるように、自然と靴を脱ぎ、家にあがっていたのだった。
その夜は、トレーナーとその両親と、一緒に鍋をつついてあっという間に就寝となった。
テレビはNHKしか映らない。スマートフォンの電波は通じない。インターネットなど無論通っていない。電気は通っているが、下水道はない。何せこんな環境だとやることがない。長旅の疲れを言い訳に彼女は早々に枕に頭を預けたのだ。
翌朝。
「ん・・・」
アグネスタキオンが目を覚ます。鼻に入るのは畳の匂い。そして耳に入るのは静寂。
「寒いねぇ・・・」
ふと身を震わせて窓の外を見ると、雪が降り積もっていた。
時計に目を移すと、11時前。すっかり寝坊である。
だがそれでもいいのだ。今日は遅刻を叱る者もいなければ、興奮気味で起こしてくれるルームメイトもいない。
しかし特にやることもない。このまま布団に転がっていても仕方が無い。
そう思い、身体を起こし居間に向かおうとした。台所から何か音がして、そちらの方に向かうと、一人の女性が料理をしていた。
「あ。おはよう、タキちゃん」
そして彼女も、トレーナーの母親もアグネスタキオンに気づくと彼女に微笑みかける。
『タキちゃん』。アグネスタキオンにとって、その呼ばれ方は少々とも気恥ずかしさがあるものだった。だからと言って目の前の女性に「こう呼んで欲しい」という呼び方もない。
「あぁ。おはよう、・・・お母さん」
そして、アグネスタキオン自身もまた、トレーナーの母親にどう話しかけて良いか分からずにいたのだった。
「よく寝れた?」
「うん、まぁ・・・・」
母親の言葉に声を濁す中、アグネスタキオンは知らず知らずのうちに一人の男性の姿を探していた。トレーナーである。
それに母親は気づいたのか
「あ、あの子なら・・・雪かきにいったから。とりあえずゆっくりしてて」
と一言。
その言葉に少しいつもの調子を取り戻して
「そうさせてもらうよ」
と言うと、彼女は居間に向かい、こたつの中に脚を入れたのだった。
しかし
「やることが・・・ないねぇ・・・」
何もすることがないことに、彼女は少し途惑っていた。とりあえずNHKしか映らないテレビをつけてみるが
「・・・飽きたねぇ」
すぐにテレビを消してしまった。
何も映らなくなったテレビをぼんやりと見ていたが、何を思ったか彼女は立ち上がり台所に向かって行った。
12時になった。昼食時である。
雪かきから返ってきたトレーナーとその父親、トレーナーの母親、そしてアグネスタキオンが席を囲む。
ご飯に野菜炒め、おこわ、そして漬物などが並ぶ食卓。
「何だこりゃ」
トレーナーの父親が、声を上げた。
そこにあったのはリンゴの入った一鉢。だが剥かれたリンゴが妙に不揃いなのだ。
「あぁ・・・それね」
と母親は少し笑った。
「それ、タキちゃんが剥いてくれたの」
と彼に向かって話しかける。
一方でアグネスタキオンは無言で下を向いていた。
「ほぉ~~~・・・・・・」
と父親が神妙な声を出す一方
「貴方が・・・リンゴを・・・?」
トレーナーがアグネスタキオンを凝視する。信じられないという声色で。
「・・・何だい」
「いえ・・・」
「何か文句でもあるのかい?」
「いえ。特に」
そのアグネスタキオンの顔は、どこか決まり悪そうである。しかし
「リンゴは誰が剥いてもリンゴですから」
と言い、彼は一つアグネスタキオンが剥いたリンゴを口にする。
「そりゃそうだな」
彼の父親もそれに応じ、彼も一欠片を口にした。
「何か・・・ひっかかるねぇ・・・」
不満そうに視線を逸らすアグネスタキオン。
「タキちゃん、はじめて料理したんだから。もっと褒めてあげて」
それをフォローしたつもりだろう。しかしそんな言葉にもどこか気恥ずかしさを覚えながら、アグネスタキオンは少しだけ頬を赤らめるのだった。
日々は進む。
正月になり、寒さは一段と強くなり、毎日のように雪が大地を覆う。
トレーナーは感じていた。日に日にアグネスタキオンの様子が大人しくなっていることを。
やることがないのもあるのだろう。出来ることがないのもあるのだろう。普段の余裕ぶった態度は影をひそめ、研究に対するエキセントリックさも無くなりはじめ。
流石に暇を潰すのにも飽きただろう、と頃合いを見計らい、アグネスタキオンを雪かきに連れだそうとしたことがあった。レースに出ていないとはいえウマ娘。人間よりも身体能力は高いはず。気晴らしにもなるし、雪かきは速く進むから一石二鳥だとそう思い。しかし、そんな思いも裏腹に、思いも寄らぬ反対者が現れた。
「ダメよ」
「ダメって、何でだよ、母さん」
「当たり前じゃない!タキちゃんは女の子なのよ!」
自分の母親にそう言われ、何も言えなくなったトレーナーである。
その言葉をアグネスタキオンの目の前で言われ、いつものように見下げた笑みを浮かべているな、とトレーナーは思ったが、なんとそうでもなかった。
彼は覚えている。その時の彼女の顔を。
女の子。そう呼ばれて、どこかぽかんとした、そして宙に浮いたような表情をした彼女の顔を。
ふと、雪かきから返ってきたトレーナーがアグネスタキオンを探すと、彼女は椅子に腰掛け、ストーブにあたり、彼の実家にあった古い百科事典を読んでいた。
無言でただそれに目を通す彼女に、
「面白いですか?」
とトレーナーは話しかけた。
「いや・・・古いだけあって、割と間違ってる所があるよ。この辞典」
彼女は彼に向かわず、そう話す。
「そうですか」
トレーナーはそう言うと、一旦その場を去る。しばらくすると本と椅子を手にし、ストーブを囲むように腰掛ける。
「何だい、その本」
「昔、中途半端に読んでた小説です」
「そうかい」
短い会話を経て、二人は本に視線を落とす。
ページのめくれる音と、雪が溶けて屋根から落ちる音。それだけが響く空間。
そんな最中
「ここは静かだね」
アグネスタキオンがページを捲りながら話しかける。
「そうですね」
トレーナーが本に視線を落としながらもそう応えた。
「何もないねぇ」
「そうですね」
二人がそう言葉を交わす。
灯油の燃える明かりが広がる部屋で
「いつか、さ」
「はい」
「いつか。私もこんな穏やかな暮らしをする日が来るのかな」
透き通ったアグネスタキオンの声が響いた。
ふと、トレーナーが視線を上げると、端麗で落ち着いたウマ娘の横顔が目に入る。自分のウマ娘の姿だとは思えない、普段の印象とは全く異なるその顔が。
「いつか・・・そうなるのかも知れませんね」
トレーナーが発したその言葉に
「そうかい」
アグネスタキオンは静かに返事をしたのだった。
正月休みが終わった。
そして
「やぁやぁトレーナーくん!!!見てくれよ、この新薬を!!!」
怪しげな蛍光色の薬品を手に取り興奮するアグネスタキオン。
すっかり元に戻った担当するウマ娘の姿。そんな彼女に、死んだような目をしたトレーナーはただただ視線を向けていた。
アグネスタキオンがいつもの調子を取り戻すまで時間はかからなかった。
まず彼女が歓喜したこと。それは実家からトレセン学園へ向かう車中、スマートフォンに電波が入ったことを確認したその瞬間だった。
「やったよ!!!トレーナーくぅん!!!これこそが文明の光だよ!!!」
やたら興奮した調子で、彼自身にとって失礼な言葉を言ったことを彼は覚えている。
そして帰り道の彼女はやたらに饒舌だった。コンビニを指さし現代経済の恩恵を口にし、高速道路を走る最中はインフラの素晴らしさを口にして。
あのときの静かなタキオンはどこに行ったのだ、そう彼が思う最中だった。
「あ、あとだねぇ。良い物を買ったんだよ!」
自信満々に口をにやけさせるアグネスタキオン。
明らかに『聞いて欲しい』という態度をする彼女に
「はい、何でしょうか」
と応じるトレーナー。
そんな彼女が自信満々に取り出したものは、安っぽいプラスチックの器具だった。
「ほら見なよ!!!リンゴの皮むき器だよ!!!これさえあれば誰だってリンゴの皮がキレイに剥けるんだよ!!!」
そう興奮した調子で話す彼女に
(あ・・・気にしてたんだ、アレ)
と彼女の不揃いなリンゴを思い出した彼である。
そしてまたフラッシュバックしたのは別の記憶。古い百科事典を読むアグネスタキオンの横顔。
いつか、彼女もこのトレセン学園を去るのだろう。今以上にレースとは無縁の生活を過ごし、いつかはウマ娘とも関わらなくなるのかもしれない。
そしてその果てに、彼女の言った落ち着いた日々が来るのかも知れない。それが、果たしていつ来るのか、それは彼には分からない。彼女にも分からないのかもしれない。
「良い物を買いましたね」
「そうだろう!?」
興奮気味のアグネスタキオンに声を掛け、自信満々に高笑いをする彼女にトレーナーは視線を向ける。
そして、いつかその日が来るときまで、この変人のウマ娘に、もう少しだけ付き合おうと考えたトレーナーなのだった。