ナイツ&マジック ~演算不能の騎士物語~ 作:アルヌ・サクヌッセンム
投稿が遅れましたが、第5話です。
それはある日の夜の事であった。
「や~だ!や~だ!会いたくない!」
オルター家の邸宅の個室にて、そろそろ就寝しようかと思っていた長女エヴァリーナの耳に、彼女の妹の声が聞こえてきた。
騒がしく思い、次女アデルトルートの部屋に向かうとそこには弟にして長男、アーキッドも居合わせていた。
「おーい、お前達。何時まで起きてるつもりだ?あんまり夜更かししてると、お母さんに怒られるぞ?」
「あ、姉ちゃん」「……お姉ちゃん」
長女として、弟妹に注意をする。自分も偶に模型制作のために夜更かしや徹夜をしていることは棚上げである。
ふとアディの方に視線を向けると、その手に部屋のカーテンを繋げて長いロープ状にした物が握られていることに気が付いた。
そんな物を何に使う心算なのか、エヴァは僅かな時間で類推した。
「まさか、それで窓から逃げ出すつもりだったのか?何だってそんな真似を?」
訝しむ姉に向かって、アディは慟哭する。
「だって、今度“あの人”が家に来るんでしょ?会いたくないもん!」
あの人。これが誰の事を指しているのか、エヴァもキッドもよく知っていた。
彼女達の父親であるヨアキム・セラーティ侯爵。彼がもうじき、この街にやってくるのだ。
それはエヴァと異母姉のステファニアの学園への入学手続きも兼ねているのだが、愛人である母と自分達の顔を見る為でもある。
だが、アディは父親に逢いたくないらしい。
「アディ……おまえ、お父さんの事誤解してるよ。この街に引っ越してきたのだって、別に実家から追い出したわけじゃなくて……」
「そんな事解ってるもん!でもあそこで私達、すごい嫌な気持ちになることいっぱい言われたりされたりしたじゃない?お姉ちゃんは平気なの?」
それはもちろんヨアキム本人が行ったり、口にしたわけではない。本妻やその取り巻きとなっている人々の所業だった。
幼い妹にはそれらが父親と強く関連付けられて記憶されているのだろう。だから苦手意識を感じている。エヴァはそう想像した。
だが、確かに正妻と家庭を作って尚且つ愛人も作るというのは、それなりの管理責任を伴う行為だ。
彼には両方の家族が平穏に暮らせるように取り計らう義務があったのだろう。それについてエヴァも思う所がないではない。
「だからこそ、こっちに引っ越すよう取り計らってくれたんだよ。これがお父さんなりの責任の取り方だったんじゃないかな?って、私は思うよ」
同じ場所で暮らすことで衝突が発生するなら、遠ざけてしまえばいい。これが一番手っ取り早い方法だ。
まさか、本妻の方を実家から遠ざけるわけにも行かないだろう。外聞が悪すぎる。
そして何よりエヴァをライヒアラに入学させるためにも都合がよかった。
これらの複合的要因により、自分達はここに越してきたのだ。エヴァはそれに納得している。
しかし、それらを理解して納得できたのは彼女が転生前の大人としての知識や物差しで事態を冷静に分析できたからこそであり、まだ6歳児の妹にそんな分別を求める方がどうかしている。
だから、アディが納得できないのは当然だった。
「そんなの……解んないよ!納得できない!」
そう言って、彼女はカーテンを命綱代わりに窓から出て行こうとする。
当然エヴァもキッドも止めようとしたが、彼女が身を乗り出す方が早かった。
しかし、その命綱は所詮6歳児の子供が即席で作ったロープに過ぎない。その結び目は緩く、容易く解けてしまった。
「「あ、アディィィィィ!」」 「きゃあぁぁぁぁぁぁ!?」
姉兄揃って顔を青褪めさせ、手を伸ばそうとするも間に合わない。
あわやアディは2階の高さから地面に叩きつけられるかと思われた。
その時だった。
「エアロ・スラスト!」
一陣の風が吹き、何かがアディを受け止めた。
それは彼女をちょうどお姫様抱っこするような形で、そのまま邸宅の屋根へと着陸する。
「大丈夫ですか?危ない所でしたね」
その何か……フードを被った小柄な人物は、アディの顔を覗き込んでそう尋ねてきた。
空のような蒼い瞳と紫がかった銀髪が美しい子供だった。
[か、かわいい……]
思わずボーっとしてそれを見ていたアディは屋根の上に降ろされると、先ほど死にそうな目に遭ったという恐怖と、その人物の顔貌や声に対する感動でへたり込んでしまった。
「「アディ!大丈夫か!?」」
エヴァとキッドが屋根へと上がって、駆け寄って来る。
妹の無事を確認すると、エヴァはフードの人物に礼を言った。
「ありがとう!あなたがアディを助けてくれなかったら、今頃どうなってたことか……って、あれ?」
エヴァはその人物が誰なのか、近くにまで来てようやく察した。
「お前、ひょっとしてエルか?」「おや、こんばんは。エヴァ先輩。」
フードを捲ったその人物は前世からの友人、エルネスティ・エチェバルリアだった。
「姉ちゃんの知り合いか?」
キッドが尋ねてきたので、エヴァは彼を紹介する。
「あ、うん。こっちで友達になったエルネスティ君だよ。二人とも、ちゃんとお礼と挨拶をしなさい」
「へぇ。ありがとうな、エルネスティ。アディを助けてくれて。俺、姉ちゃんの弟のアーキッドって言うんだ。お前が助けた方が双子の妹のアデルトルートだぜ」
「あ、ありがとう。エルネスティちゃん……」
キッドが快活な挨拶をする横で、微妙に顔が赤いアディがそれに続いた。
それを受けて、エルも3人に自己紹介をする事にした。
「こんばんは。エルネスティ・エチェバルリアと申します。ところでアデルトルートさん。もしかして僕の事、女だと思ってますか?」
「え?違うの?」「え?お前、まさか男なのか?」
双子が驚きの声を上げる。
「あぁ、二人ともエルの事、女の子だと思ってたのね。アディが“ちゃん”付けで呼んでたのもその所為だったのか。確かにかわいい容姿をしているが、この子は立派な
「……先輩。今、絶対音じゃ解らない呼び方したでしょ?」
「はて、何のことやら?」
「「?二人とも何の話してるの?」」
惚けるエヴァに何故かウンザリしているエル。二人は意味が解らず、首を傾げるしかなかった。
「それにしてもエル、お前こんな時間まで何をしてたんだ?そのお陰でアディは助かったようなものだけど……」
「エル君、体の割に力持ちだったよね。しかも私を抱えて、飛び上がっていたような?」
「そうだよ。お前みたいなチビがなんでアディをあんな風に持ち上げて助けることができたんだ?」
「ち、チビって……たしかにお三方よりも身長は低いですが……」
どうやらエルは自分の小柄な体を気にしていたようだ。
微妙に傷付いたような表情で、エルは自分の事情を話し始めた。
「訓練の一環なのです。この辺の屋根の上を走り込むことで、体力と“魔力”を鍛えてました。昼間にこんな事をしていると目立って仕様がありませんから」
「え?夜遅くにこんな場所を?」
「えぇ。
そう言ってエルは手に持っていた杖をかざすと、凄まじい速度で屋根を駆け始めた。
時々姿がブレて見えるほどの速さで疾走していたかと思うと、屋根から屋根へジャンプして伝っていく。
それだけではない。空中であり得ないベクトルの軌道を描いて跳躍しているのだ。それはもはや“飛翔”に片足を突っ込んでいるような挙動であった。
そして、数百m程屋根の上をマラソンしてきたかと思ったら、あっという間に自分達の所に戻ってきたのだ。
「す、すごい……」
双子は開いた口がふさがらなかった。エヴァも心中穏やかではなかった。
[あ、あれって“魔法”だよな?
羨望と嫉妬、そして今の自分に対する情けなさ。それらが複雑に絡み合ってエヴァの胸を締め付ける。
「さて、さすがに僕も眠くなってきましたし、今日はこの辺で失礼します。皆さん、おやすみなさい」
別れの挨拶と共に、エルは闇夜の中を先程のように猛速で駆け抜け、飛び跳ねて行く。その姿が目視不能になるまでそんなに時間は必要なかった。
「すごい奴だったな。あんな事ができるなら、俺も魔法を使ってみたいな」
「そうだね。そう言えば、お姉ちゃんも騎士を目指してるんでしょ?だったら、魔法も使えるんじゃない?」
「あいつ、俺達より年下か同い年ぐらいだろう?だったら、姉ちゃんならもっとすごい魔法教えてくれるんじゃないか?」
「お姉ちゃん。今度、私達にも教えてよ!ね?」
かわいい弟妹達の健気な願いにエヴァも応えてやりたかった。
しかし、彼女には不可能だった。なぜならエヴァは、
[言えるわけないよぉ……私は
「あ、あはははは。今度、時間ができたら……ね?」
ひた隠しにしたのは、年長者としての意地や見栄というやつである。
我ながらくだらない感情だとは思うが、それでも二人のがっかりする顔は見たくなかった。姉としての威厳を壊すのは嫌だった。
だからこそ、エヴァはとある決断をした。
[こうなったら、エルに教えを請おう!あんな高レベルの魔法を使いこなしていたあいつが、魔術演算領域とやらを意識できて無い訳ないからな。私と同じ“地球の記憶”を持っているあいつだけが頼りだ!]
双子のお願いをなんとか往なしてベッドに向かった彼女はそう決めたのだった。
翌日。
「おはようございまーす。エルネスティ君、いらっしゃいますか?」
エチェバルリア邸の門前にて、エヴァは大きな声で挨拶をしていた。
手には魔法を練習するための杖、筆記用具やノート・スケッチブックや参考書などの今まで魔法勉強のために用いてきた全ての教材を詰め込んだ鞄。
本人にとっては総力戦の構えであった。
「いらっしゃい。エヴァリーナさん。遊びに来てくれたの?エルなら中に居るわよ」
笑顔で迎え入れてくれたセレスティナに礼を返して、エヴァは2階のエルの部屋へと上がっていく。
「いらっしゃい、先輩。今日も遊びに来てくれたんですか?」
確認するように問うてきたエルだったが、エヴァの手に握られていた“重武装”の数々に何やら様子が異なる事を察する。
「あ、あのなエル。今日はお前に頼みがあってきたんだよ。魔法についての事なんだ」
「魔法についての頼みですか?」
「うん。お前はその……魔術演算領域って知ってるよな?」
「えぇ、知っていますよ。魔法を使うのには必須の物ですからね」
「お前にとって、あれの“演算”ってどういう感じにやってるのかな?って気になったんだよ」
「あれ?先輩は魔術演算領域をまだ意識できてないんですか?」
「へ?あ、いや、そういうわけじゃないんだけど……他人がどういう風に使ってるのかな?って気にならないか?」
[何を言ってるんだ私は……『魔法の使い方について教えてくれ』ってその一言が何故言えないんだよ!この期に及んで見栄を張ってる場合かよ!?]
自分を心の中で叱咤する。しかし、エヴァはかつての後輩に情けない自分を知られたくない気持ちに逆らえなかったようだ。覚悟が足りていなかったのだ。
だが、エルはそれを気にせず、己の魔術演算領域について教えてくれた。
「そうですね。僕はパソコンでプログラミングしてるような感覚で演算をしていますね」
「ぱ、パソコン?」
飛び出てきたのは、意外な言葉だった。
「先輩はCUIってご存じですか?」
「……ごめん、知らない」
「
幾つか聞いた事のある単語が含まれていた。
しかし、それが何故“魔法”と繋がりがあるのか。
それではまるで、
「これにこっちで学んだ術式を入力していく感覚ですね。キーボードでプログラム言語を入力していくように、頭の中で術式を入力して組み上げていく。すると
頭の中に、本当にコンピューターでも入っているようなそんな
エルはそんな気の遠くなるような、SFのような“世界観”を感じているというのだ。突き放されたような絶望的感覚の差をエヴァは感じた。
「そんなの……そんなのまるでサイボーグじゃないか!?無茶苦茶だ!」
悲鳴のようなエヴァの言葉。だが、エルはこれを受けても動揺しない。それどころか感心した様子で、
「サイボーグ……言い得て妙ですね」
「え?」
それを
「先輩。サイボーグと言うのは、サイバネティック・オーガニズムの略語なんです。サイバネティックとは制御工学や情報科学・通信工学の産物を指します。それらの技術と融合した
「な、なんだよ?……それ」
エヴァにとっては理解不能な話だった。そんなサイバーパンクな世界は。
「先輩?」
「そんな、そんな感覚を受け入れろって言うのかよ?そんな事できるわけないじゃん!どうかしてるよ!」
限界を迎えた彼女は勉強道具すら置いて、涙ながらにエチェバルリア邸から出て行った。
「せ、先輩?いきなりどうしたんです?ちょっと!置いていかないでくださいよ!どうするんですか、この荷物?」
後に残されたエルは途方に暮れるしかなかった。
エルネスティ・エチェバルリアは困惑していた。
あれから母親に叱られたのだ。『女の子を泣かせてはだめよ。ちゃんと謝って来なさい!』と。
しかし、彼にはエヴァに泣かれるような事を口にした記憶が無い。聞かれたことに素直に答えただけなのだ。
自分の魔術演算領域に関する感覚について、魔法をどう操っているかという事を。
何度考えても、原因が解らない。何が気に障ったのだろうか?
それを知らなければ、謝罪も反省もしようがない。
「解らないことを幾ら考えても、仕方がありません。先輩に直接問い質してみる他ないですね」
エルはそう考えて、オルター家の邸宅を訪れた。すぐに双子が迎え入れてくれた。
「あ、エルじゃん」「エル君、いらっしゃーい」
「お邪魔します。あの……エヴァ先輩いらっしゃいますか?」
二人の顔が困惑の色を浮かべる。
「なんか最近、姉ちゃん元気なくてさ」
「ご飯食べる時ぐらいしか部屋から出て来ないのよね」
「……もしかすると、僕の所為かもしれませんね」
その一言を聞き咎めた双子は矢継ぎ早に質問を始めた。
「そういえば、エル君の御家に遊びに行ってからだったわね。元気がなくなったの……エル君、何か知らない?」
「エル、姉ちゃんに何したんだよ!?」
「僕も具体的な原因については解らないのですが、どんな風に魔法を行使しているかを僕なりの感覚で答えていたら、突然慌てた様になって……」
「やっぱり、そういう事だったのね。あの子ったら、しょうのない子……」
「お母さん何か知ってるの?」
それを奥で聞いていたイルマタルが3人を応接間に上げて、事情を説明し始めた。
「先輩が
「やはりあの子、それを隠してあなたに質問をしたのね。でしたらエルネスティ君、あなたの所為ではないわ。こればかりは仕方が無いことです。“演算”ができない人にあの感覚を教える事なんて簡単な事ではないですもの」
ショックを受けている様子のエル。
自分はこの世界に生まれ落ちてよりすっかり慣れてしまったが、魔術演算領域というこの脳内仮想コンピューターとも言うべき高次な脳活動と、あの時行った“サイバネティック”な説明は演算能力を持たない人間、すなわち普通の地球人にとってはどういう風に感じられるか、やっと考えが及んだのだ。
理解できない世界に突き放されたような気持ちになったのではないか?と。
「よくわからないんだけど、その魔術演算領域ってそんなに難しいものなのか?」
まだ魔法について詳しくないキッドは首を傾げる。アディもよく解らないようだ。
「普通の人は杖を持って訓練をしていればなんとなく存在を感じ取れるものだけど、あの子はそれが全く解らないのよ。“魔力”は感じれるようになったけれども、それも杖だけでは駄目だったし。
もうじき学園入学も近いから、焦っていたのかもしれないわね。あの子も」
魔法が使えないと
もし自分が同じ立場に立たされたのなら?そう想像した時、エルは身震いした。
まるで深い海の底で酸素ボンベを外されたような。
宇宙空間で船外作業中に命綱が切れてしまったような。
冗談でもなんでもなくエルにはそのような深く冷たい絶望感を覚えたのだ。
“ロボット”に恋焦がれる彼にはそんな事は生理的に受け入れられない。
親友であった
それ故にエルの頭脳は猛速で回転を始めた。親友の絶望を払いたいが為に。
そして、彼は一つの疑念を抱いた。
[
この世界の生物は、基本的に自身の魔力と魔法術式に満たされている。
術式と魔力は概念としてはともかく、実際には切り離すことができないものだ。
魔力だけが扱えるなどという事はない筈なのだ。しかし、エヴァは魔力だけは意識できたというのだ。
これは本来おかしなことだ。
[だとしたら、先輩は何らかの形で“術式”を扱ったという事になる。魔術演算領域以外の形で]
エルは思い出す。自分が初めて魔法を使った時、魔術演算領域を意識したとき、
[突破口はそこにある!]
彼は確信を胸に秘めて、エヴァの居る2階に向かった。
自身の部屋の中で、エヴァは今日も絶望に打ちひしがれていた。
エルが明かした“魔術演算領域”その実態について。
[生まれながらのサイボーグ。これがこの世界の“魔法使い”だって……そんなの解るわけないじゃん]
あれから試しに魔術演算領域とやらをパソコンの感覚で起動してみようとイメージ・トレーニングをしてみた。
当然のことながら、デスクトップ画面はおろか起動画面もブルースクリーンすらも、浮かび上がってはこない。テキスト・エディタ?なにそれおいしいの?状態である。
自分の中に、そんなものはないのだと改めて思い知るだけであった。
[そんな能力が無ければ使えない魔法なんて……そんな物で動いている
だが、同時に納得もしてしまう自分がいた。
地球でもロボットとは、コンピューター技術であるプログラムと切っても切り離せない関係にある存在であったことを。
“魔法術式”を言語として駆動している機械。それが幻晶騎士なのだろうと。そう察せられた。
[ずるいよ……そんなサイボーグ専用機なんて、私に真似できるわけないじゃん。手術とかで後付けもできないんだろう?どうしようもないじゃないか]
もし今自分の目の前にマッドサイエンティスト染みた科学者が現れて『脳を改造して魔術演算領域を取り付けてあげる』などと言われたら、断れるか自信がない。
エヴァはそう考えていたが、幸か不幸かこの世界にそんな技術はない。
だが、それはやはりエヴァにとって絶望でしかないのである。
[学校への入学なんて、辞めちゃおうかな?]
あんなに切望していたライヒアラへの入学も今では全く嬉しくない。
ロボットに乗れない騎士になど、全然魅力を感じないからだ。
そんなウジウジとしていたエヴァの耳に、誰かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。
[お母さんかな?それともキッド?アディ?いつまでも部屋に籠ってるから、叩き出しに来たのかな?]
そう考えていたエヴァの耳朶を打ったのは、頭に思い浮かべていたどの人物の声とも違う。鈴を転がすような声。
「先輩?起きてますか?エヴァ先輩?」
エルの声だった。
「なんだ……お前かよ。何の用だよ?さっき下から聞こえてきたよ。お前も知ったんだろ?私が演算不能者だって事」
ぶっきらぼうに答える。
「お前の事だから私を嗤いに来たわけじゃないだろうけど、変な励ましならいらないぞ。
自分の無様さは解ってるつもりだよ。魔法を扱えないのに、
とめどなく流れる卑下の言葉を、扉の向こうのエルは黙って聞いていた。
「私はサイボーグなんかじゃない。魔法使いになんかなれないんだよ。だから騎操士にもなれない。
だから、お母さんとお父さんに言って、学園への入学は取り止めてもらうよ。行ってもしょうがないからな。そんな学校」
そう口にした時だった。
「
凄まじい膂力によって鍵を掛けていたはずのドアが引っ張られ、メリメリと音を立ててドア枠から引きちぎられた。
とても10代にすら届いてない幼子には不可能な筈の所業だが、エルは怒りの表情を浮かべてこれを為した。彼が得意とする魔法の力である事、明白だ。
「な、なにしてるんだよ!?この馬鹿!」
部屋主として当然の抗議であったが、エルは逆にエヴァを叱咤する。
「馬鹿はどっちですか!?自分は魔法使いにはなれない?僕に言わせればね、あなたは立派な魔法使いですよ。それも前世からのね!」
意味の解らない台詞を言われて困惑するエヴァを尻目に、エルは矢継ぎ早に捲し立てる。
「前世であなたは僕の目の前で様々な模型を組み上げていった。プラモデルなんかのキットじゃない!プラ板やパテ、果ては百円ショップで買ってきたプラスチック製品すら加工して、ロボットの部品にしていったんですよ。
あの時の僕にとって、あなたは魔法使いだった。
それまで漫画や模型雑誌でしか知らない、どこか遠い世界の情報に過ぎなかった技術だった自作模型の世界。
それは当時の倉田翼にとって、まさしく“魔法”であった。それを村岡精作は自由に操り、自身の理想となる模型を形作ったのだ。
かっこいいは作れる。与えられた組み立てキットだけでなく自分で選び取った素材や工具の力で。
それこそが倉田にとっての、そしてエルネスティにとっての物造りの源風景。
「知っていますか、先輩?プログラマーの世界でも、システムの完全自作の事を“フルスクラッチ”って言うんですよ?」
エルは思い出す。自身が所属していたソフトハウス、そこに舞い込んできたとある案件の事。
それまで下流工程しか担当してこなかった自企業に、システムのほぼ完全構築の依頼が来た。
これまでに無い大型案件であり、そのうま味の大きい仕事に沸き立つ自分達に、営業から突き付けられた納期はあまりにも短すぎるものだった。
この絶望的な状況に、この案件を持ってきた営業に対する怨嗟の言葉を吐きながら、デスマーチに突入した倉田達。
それでも、彼らは見事に納期までに仕事を間に合わせ、勝利の美酒に酔いしれたのだ。
この頃からだった。倉田翼があの会社で“最終防衛ライン”などいう異名で呼ばれるようになったのは。
「あの苦行を乗り越えられたのは、僕が自分を信じられたからです。ジャンルは違えども
その魔法使いが!この程度の事で!絶望しているところなんて、僕は見たくない!」
無茶苦茶だが熱い情熱の乗った言葉を叩きつけてくるエルに、エヴァはただただ圧倒される他なかった。
その彼が努めて冷静になるように一呼吸置いてから、彼女の肩に手に乗せて、更なる問いを投げかける。
「先輩、僕が先日言った言葉を覚えていますか?」
「……お前は頭の中にパソコンがあるような感覚で魔法を使ってるって言ったあれか?」
「その後です。僕はこの世界では“ヒトは生まれながらのサイボーグ”だと言いました」
「あぁ、そっちか……。」
「先輩。あの言葉の本当の意味はね。“人間は道具を使わなければ、碌にものを考えることもできない”という意味なんです」
「……お前、何言ってるの?」
エルネスティが語ったのは、地球でとある哲学者が言った言葉だった。
「先輩、あなたは複雑な計算をする時、どうしますか?」
「計算?それが今、何の関係が?」
「いいから答えてください。足し算でも掛け算でも構いません。桁の多い数字の計算をするとき、先輩はどうしますか?」
エヴァは少し考えた後、こう答えた。
「……こっちなら、筆算をするかな?地球でなら、パソコンやスマホの電卓アプリでも使うかもだけど」
すると、エルはこう答えた。
「先輩、あなたは筆算をするときでもコンピューターを使っているのですよ。筆算もコンピューターの一種ですから」
「はぁ?お前何言ってるの?それのどこがコンピューターだって言うんだよ?」
「コンピューターと言うのは元来“計算をするモノ”という意味の言葉だったのです。それは
アナログだのデジタルだのの接頭語を使うまでもなく、計算や演算という作業をしていればそれはコンピューターなのです。だから、筆算も紙とペンで作った
そんなの只の屁理屈ではないかとエヴァは思ったが、エルの言葉にはまだまだ続きがあった。
「ですから、先輩も筆算をしている時はサイボーグになっている事になりますね」
「……お前、さっきから言ってる事がめちゃくちゃだぞ?私のどこがサイボーグだって……?」
「何もおかしなことは言っていませんよ?筆算は式単体では計算ができませんもの。実際にペンを動かして数字を紙に書き込む人がなければ、計算などできないのですからね。
だから先輩は筆算をしているとき、紙とペンと“一体になって”コンピューターを形成している事になります。これって実にサイバネティックな行為じゃありませんか?」
「お、おぅ……?」
言われてみればそうなのかもしれないと、エヴァは段々エルの話術に乗せられ始めていた。
「先輩。ここで言っているサイボーグというのは、体にインプラントを埋め込んでるだとか、機械義肢を装備しているだとか、脳内に仮想演算領域があるとか、そういう狭い意味の言葉ではないんですよ。
“道具と一体となり、己の能力を拡張する生命体”。それがサイボーグのもう一つの意味なのです」
地球でもそうだった。素の肉体能力が弱い霊長類の一種に過ぎない人類が、何故あそこまでの栄華を誇る文明を形成できたのか?
それは道具を手に入れたからだ。石器を握り、火を起こし、言葉を話して、他者の力を得て、それらを束ねる。
手に握った道具と一体となり、その道具を進化・発展させて、他の生物を凌駕する力すら手に入れて、その知識を他者と共有する。
それができたからこそ人類はあの惑星で支配的な立場に立てたのであり、それが無ければただの猿に過ぎなかったのだ。
猿は道具を手に入れたことで
そして、それはこの世界の人間にとっても同じだ。
何故ならこの世界の人間も単体では魔法を使えない生物なのだから。
「僕が初めて魔術演算領域を意識したとき、それは“杖”を握った時でした。僕は杖を握った時、“
お母さんからお聞きしましたが、先輩は“魔力”を意識することはできたと伺いました。それは何時でした?
その時、何か道具を使いませんでしたか?魔法に関係のある“
エヴァは思い出す。自分が初めて魔力を意識したとき、その傍らにあったもの。
魔法現象を生まれて自分の手で引き起こすことができた時の事を。それを可能としたその道具の名を。
「シルエット・アームズ……
「そうですか。幻晶騎士の携行火器というあの……。
だとしたら先輩。魔導兵装こそがあなたにとっての
魔導兵装についてもっと調べましょう。僕も俄然、興味が湧いてきました。あの武器とそれを形成する技術について!」
「う、うん……」
差し出して来たエルの手を握って、エヴァは部屋の外に出る。
彼の言葉を完全に理解しているわけではなかったが、エヴァは自分の中でのサイボーグという言葉のイメージが徐々に書き換わり始めていることに気付いた。
絶望はまだ心の内に残っていたが、彼女は再び努力してみようと思えたのだ。この後輩に見捨てられない限りは。
当然のことながら、エルは叱られた。それはそうだ。他人の家の器物を破壊したのだから。
だが、イルマタルだけはその行為を注意はしつつも、どこか嬉しそうに受け止めていたと言う。
今回、すごいややこしい哲学的話になった感が強いですけど、結構大事な話なので、飛ばすわけには行かなかったのです。娯楽性は弱いかもだけど、許してね?