障子から漏れ出す柔らかい日差しと、小鳥たちの鳴き声。
さわやかな朝の中、博麗神社の部屋の一つで、もぞもぞと動き出す者が居た。
「……ふぁ? うー、なんだあ? 」
寝相が悪かったのか、その小さな体が布団の中に埋まりきっている所為で、手で押せども一向に布団が退かない。
「ううう、ひかりあれー! 」
いい加減鬱陶しくなったのか、手を上に突き出しながら一気に立ち上がり、布団を払いのけて現れたのはチルノだった。
「……ここどこ。」
仁王立ちのまま正面を見て、上を見て、後ろを見て、馬鹿を見――
昨日と同じく、目が覚めたら知らない場所に居た事に、不安を感じ始めたチルノがぎゅっと手を握ると、何かを持ってる感触が伝わってきた。
「なにこれ。」
手に持った白い布を、広げたりひっくり返しながら眺めて、それが服である事に気付く。
自分の服ではない。
ならば誰の服なのか。
自分以外の誰か、それを思い出そうとして、相変わらず働かない頭を駆使してなんとか思い出す。
「そーだ……、れーむ……。」
呟きながら改めて周りを見渡すも、誰か居る訳でもなく。
大妖精の様に、霊夢も居なくなってしまったのか。
そんな不安な気持ちを抱き始めた頃――
トントントン、とリズミカルな音が聞こえてくる事に気付いた。
「れーむ? 大ちゃん? 」
音がするという事は、誰か居るのだろう。
それを求めて抱きしめるように服を持ちながら、チルノは部屋の外へと出た。
チルノは眩しい陽光に目を細めながら不安そうに廊下を歩き、徐々にはっきりと聞こえてくるようになった音の方へと向かう。
途中、いくつかの部屋を覗きながら探し続けて、ようやく人の居る部屋を見つけた。
「おっ? お前がチルノか。妖精のくせに起きるのが遅いんだぜ。」
しかしそこに居たのは大妖精でも霊夢でも無く、初めて会う人間だった。
「あんただ……れ? 」
そう言おうとした途端、昨日の様にチルノの頭が働きだした。
黒い服に白いエプロン、金髪、傍らに置かれた三角帽子、そして一見関係ないのに浮かぶ霧雨。
「お、おい、大丈夫か? 」
突然頭を抱え蹲ったチルノに驚いて声を掛ける魔理沙。
妖精の奇行なんてものはよくある事なのだが、昨夜に霊夢から聞いた話もあって何事かと様子を伺う。
そんな中、チルノは暫くして立ち上がり、そして勢い良く魔理沙を指差した。
「あんた! キノコね! 」
ξ
「何時から妖精はキノコが好物になったのかしら。」
「人をキノコと間違えるぐらいだから、きっと大好きなんだぜ。」
口からキノコを溢れさせながら倒れているチルノを見ながら言う霊夢と、それに返す魔理沙。
食卓の上には、三人分のキノコご飯にいくつかの焼いたキノコと、汁物に漬物、そして湯飲みが置かれていた。
まったく……、とため息を付く霊夢。
「私の時は白菜だったわよ。」
「何がどうして白菜になったんだ? 」
ここにキノコを持ってきた魔理沙は兎も角、全く関連の見えない白菜に不思議そうに問う。
「そこなのよね。」
湯飲みへとお茶を注ぎながら、呆れていた顔に少し真剣みを帯びさせながら霊夢は言う。
「言われた時は先に手が出たから気が付かなかったけど、今考えると多分博麗を間違えたのよ。」
「あぁ、言われてみれば簡単な話だな。……という訳でも無いのか? 」
その霊夢の表情から、何かを感じ取る魔理沙。
「妖怪は兎も角、たかが妖精が一度会っただけで、博麗の名を覚えているものかしら? それに、巫女である事も知ってたみたいだし。もちろん私は名乗ってないわよ。」
「そういう事もあるんじゃないか? うちの近くにもそこそこ力のある妖精が三匹居るけど、その辺の妖精よりは知恵があるみたいなんだぜ。」
「えぇ、私だけならね。」
意味深に語る霊夢に益々不思議に思う魔理沙。
「魔理沙からキノコを連想するのも簡単だけど、それは私が魔理沙をよく知っているからよ。」
「そりゃまぁ……、次はなんか別の持ってくるんだぜ。」
「料理に使う分以外は仕舞っていたから、ここにキノコは無かった。そして魔理沙はこの子と初対面なんでしょう? 」
「こいつが何処からキノコを連想したのかが分からないって事か。」
「そうよ。」
「それにしても、《この子》か。 随分と気に入ったみたいだな。」
「茶化さないでよ。 はぁ……、まぁいいわ。 本人に聞けば良いんだし。冷める前に起こしちゃって。」
「はいはい。ほらチルノ、何時まで寝てんだ。」
乱暴に揺する魔理沙をよそに、全員の湯飲みに茶を注いだ霊夢はチルノが起きてくるのを待つ。
暫く口から溢れたキノコを撒き散らしつつ、揺すられていたチルノが起きる。
「ぺっぺっ! なんだー!? てきしゅーかー!? 」
「お前は何を言ってるんだ何を。」
「おはようチルノ。一応あんたの分も作ったけど、食べる? 」
「あ……、れーむ……、れーむ! 」
霊夢が声を掛けた途端、ぴたりと動きを止めたと思うと、突然起き上がり霊夢へと向かうチルノ。
そのまま座っている霊夢の腰に飛びつきしがみ付いた。
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい! 」
「あっはっは! 随分と懐かれているじゃないか霊夢。」
「れーむ! れーむ! 」
「もう……、なんなのよ一体。」
しがみ付き、離れようとしないチルノを見て笑う魔理沙と呆れる霊夢。
静かな朝が一転して騒がしくなった。
「チルノ、いい加減落ち着きなさい。それと、その服そろそろ返してもらえる? 」
諭すように話しかけながら、握り締められてしわくちゃになった上着の返還を求めると、ようやく落ち着いたチルノは手にした服と霊夢を交互に見ながら、名残惜しそうにそれを返した。
「それで、ご飯つくったんだけど、食べるの? というか、妖精って食事するのかしら。」
「ごはん? たべる! 」
妖精というのは自然現象の様なものであり、その生態は謎に包まれている。
いや、妖精だけでなく、人間にとっては人外全てが謎といっても過言ではない。
幻想郷には、妖怪の種族や能力、性格など、表面的なものを記録している者は居るが、その生態といった深い部分まで研究するような奇特なものは居ない。
霊夢の様に人外と数多く関わる立場の者でも、それは変わらなかった。
霊夢自身がそういった事を気にしない、というのも大きな理由だが。
なので聞いてみた所、元気の良い返事が返ってきた。
どうやら少なくともチルノは食事をとる妖精のようだ。
しかし――
「う、うう……。」
「やっぱり氷精ってのは熱いのがダメなのか。」
散々笑い転げていた魔理沙が起き上がり、ご飯を前にして唸るチルノを見て言う。
チルノが霊夢の隣、魔理沙の向かいに座り、さぁ食べようとした所でいくつか問題が起きた。
まず、箸が使えない。
それもそうだろう、箸というのは人間が使う為に作り出したものだ。
扱いが難しく、人外にもあえて使う者も居るが、そうで無ければ文化的な者達はナイフやフォークなど別の食器を使い、それ以外は基本的には手掴みだ。
妖精などが使えるものではない。
見かねた霊夢が台所へと向かう。
霊夢自身は今まで箸しか使わなかった為、他の道具は無かったのだが、先日の異変解決後に何度かした宴会の席にて、異変を起こした側に所属する者からナイフやフォークなどの西洋食器一式を贈られていたのを思い出したのだ。
最初に使うのが妖精になるとは、贈った側も予想出来なかった事だろう。
いやしかし、その異変の首謀者は自称だが《運命を操る程度の能力》とやらを持っているらしい。
まさかこれを見越して――
などと考えつつ、持ってきた食器をチルノへと渡そうとした所で、霊夢は気が付いた。
先程まで箸を一本ずつ両手に持ったり、はたまた逆さに持ったりと、使い方が全く分かってない様子だったチルノが、今ではちゃんと手に持って使おうとしていた。
使い方どころか、それが何なのかすら分かって無さそうだったのが一転、まるで長年使ってきたかのように堂に入った持ち方をしているのだ。
「あんた普段お箸使っ―― 」
「う? ……あちー! あちゃー!? ふじやまぶぉるけいのー!? 」
それを霊夢が聞こうとしたところで、振り向きながらご飯の入った茶碗を持ち上げようとしたチルノが突然叫びだした。
右利きだったのか、茶碗を持とうとした左手を振り回しながら熱い痛いと叫ぶチルノ。
その騒ぎに何事かと起き上がった魔理沙がチルノを見、霊夢を見、そして料理を見て、ははぁとなにやら納得していた。
そして話は――
「う、うう……。」
「やっぱり氷精ってのは熱いのがダメなのか。」
という部分へと戻る。
「そういえば忘れてたわ。触っても冷たくないものだから、気にしてなかったんだけど。」
「氷精って言うぐらいだから、冷たそうなのにな。」
何も無かったかのように落ち着いて食事を始めている二人に、食べたいのに食べられないというジレンマを抱えながらチルノが問いかけた。
「ひょーせーってなに? 」
「あぁ、自分の事はそう言わないか。お前の事だよチルノ。そして私は霧雨 魔理沙だ。」
「あたいひょーせー? 」
「そうそう、氷の妖精だから氷精。」
「あたいよーせーじゃないよ? 」
こいつは何を言ってるんだ。
そんな目をしてお互いを見る霊夢と魔理沙。
馬鹿だし仕方ないのか? と思いつつ霊夢が続ける。
「あんた、妖精じゃなかったら何なのよ……。」
「そうなんだぜ。それすら分からないほど馬鹿になったか? 」
「よーせーは大ちゃんだよ。 あと⑨っていうな魔理沙! 」
「まるきゅーってなんなんだぜ……。」
昨日も言っていたなと思いながら茶を啜る霊夢。
続く魔理沙とチルノの言い合いを尻目に、霊夢は食後の人心地に浸っていた。
ξ
「うー! 魔理沙きらいだ! 」
「お、おう……。いや何か悪かったな、言い過ぎたよ。」
「きらいきらい! 」
何を言い合ったのか、霊夢が視線を二人に戻すと、叫ぶチルノに魔理沙が謝罪をしていた。
それを見て、じとりとした目で魔理沙を見る霊夢。
魔理沙はなんだかよくわからないが、自分が悪者にされ、妖精とはいえ小さな姿をした者にストレートに嫌いと告げられ、挙句に霊夢からは嫌な目で見られて困り果てていた。
「あー、じゃあチルノ、良い事を教えてやろう。」
「……いらない。」
「まぁそう言うな。熱くて食べられないなら冷やせば良い。氷精なんだから簡単だろ? 」
苦肉の策なのか、当然の事を素晴らしい事の様に語る魔理沙。
そう言われたチルノはその通りにするのかと思いきや――
「冷やして。」
なんと、魔理沙へと頼んできた。
「いや私がやってもいいけど、私はどちらかというと燃やす方が得意なんだぜ。お前が自分でやった方が早くないか? 」
「あたいが? どうやってするの? 」
「どうやってって……。え? そこからなのか? そこから分からないほど馬鹿になったのか? 」
「あー! また⑨っていったー! 魔理沙きらい! 」
「え、ちょっ、おまっ。」
また始まった言い争いにため息を付きつつ、霊夢はひとつの事に気が付いた。
(理由は分からないけど、馬鹿って言われるのが異常に嫌みたいね。)
そう、チルノが言う⑨とは馬鹿という意味だったのだ。
それに気付いた所で、だからどうしたという話なのだが、言う度に話が進まなくなるので、今後は気をつけた方が良さそうだと霊夢は思った。
それが結果的に事態を良い方向へと進ませる事に、気付くことは無く。
それはさて置き、霊夢は気になった事が一つある。
藪を突いて蛇を出す事になるかもしれない。
そんな予感がしつつも、チルノへと問いかけた。
「ちょっとチルノ。」
「魔理沙なんか……う? 」
霊夢が呼びかけた途端に、言い争いを止めて霊夢を見るチルノ。
その反応に霊夢は妙に懐かれたな、と苦笑しつつ話を続ける。
「さっき、冷やし方が分からないって言ったけど本当? 」
「うん。」
「でもあんたは氷精でしょう。 力の使い方を忘れたって言うの? 」
「ちからってなに? あと、あたいひょーせーじゃないよ。」
思った通り、どういう訳か氷精としての力を使えなくなっている上に、自分が何者なのかを理解していない。
「そうは言ってもあんたは氷精よ。そしてその名の通り、力を使えばご飯を冷やすなんて簡単な事なのよ。」
「うー……ひょーせーじゃないのに……。」
力なく項垂れながら呟くチルノに、昨夜魔理沙に頼んだ事を急ぐべきかと考える霊夢。
とりあえず、昨日あれだけの事が出来たのだから、少し教えれば力を使えるようになるかと、霊夢は楽観的に考えてチルノに助言する。
「ちょっと見てなさい。」
そう言って右手の手のひらを上にして前に出す霊夢。
すると手のひらの上に白く光る玉が浮かび上がった。
「こんな風に、自分の中にある力を集めれば、何らかの形になって現れるわ。」
「おっ、おおー! れーむ! すごい! 」
目を見開いて驚きながら光る玉を見るチルノに少し得意気になりながら、その玉をチルノの方に飛ばしてその周りをくるくると移動させる。
「私は人間だから、使ってる力は霊力ね。 あんたは妖精だから……、自然の力かしら。なんにしろ、自分の中の力を使うのは変わらないと思うわ。」
「おおー……、えいっ! 」
「ちょっと! 」
「いたー!? 」
チルノが自分の周りを回っていた玉を、その場でくるくると回りながら目で追いかけていたかと思えば、手を伸ばして捕まえようとした。
そして手が当たった瞬間に破裂する玉。
はじかれた様にチルノの手が跳ね上がり、茶碗に触れた時の様に痛がる。
「もう、力で作ったって言ったでしょう。当然他人が触れば、その力を受ける事になるわよ。」
「うう……。いたかった……。」
「おいチルノ、ちょっとこっち見てみろよ。」
「う? 」
黙っていると思えば何かしていたのか、魔理沙が呼びかける。
言われた通りにチルノがそちらを見ると、魔理沙は両手を広げて周囲に色とりどりの玉を浮かべていた。
「どうだ、綺麗だろ。私は魔法使いだからな、使ってるのは魔力なんだぜ。」
「ふーん。」
得意げに語る魔理沙に冷たく返すチルノ。
その反応に魔理沙は玉を消してがっくりと肩を落とした。
「この差はなんなんだぜ……。」
「日頃の行いでしょ。」
「くそー……。」
霊夢にとどめを刺されて魔理沙はひっくり返って動かなくなった。
「あれはほっといて、チルノ、分かった? 氷精であるあんたが力を使えば、それは自然に氷の力になるはずよ。だからあんたの場合は、力を使うだけで冷やす事が出来る。」
「ひょーせーじゃないのに……、うん、わかった。」
本当かしら? そう思う霊夢をおいて、チルノは手のひらを見つめながらうんうんと唸り始めた。
そして――
霊夢が突いた藪に居たのは、蛇ごときでは無かった事を知る。