意外にも、最初にそれに気が付いたのは魔理沙だった。
がばっと跳ね起き叫ぶ。
「霊夢! 」
「っ!? 夢符《二重結界》! 」
魔理沙の叫びに霊夢はとっさにスペルカードを取り出して、宣言すると同時に力を使った。
スペルカードというものは、それそのものに全く力は無い。
いわばただの紙だ。
使い手の中には文字通りカードであったり、葉っぱであったり、ただの白紙というひどい手抜きのものすらある。
ただ相手に見せる事によってスペルの発動を伝えるだけのものであり、それが伝わるのならスペルカード名を言う必要すら無い。
では何故この緊急時に、霊夢がわざわざスペルカードを取り出して、そしてそれを宣言したのか。
スペルカード自体に何の力も無くとも、それを使い、宣言する事によって本人の気合の入り方が違うからだ。
それはつまり――
博麗の巫女である霊夢が、力があるとはいえ、たかが妖精相手に本気で力を使ったのだ。
「お、おい霊夢、一体どういう事なんだぜ。」
慌てて霊夢の近くに避難しながら魔理沙は問いかける。
「……っ。」
しかし霊夢は余裕が無いのか答えない。
それが余計に魔理沙を焦らせる。
あの霊夢が、ここまで本気になるなんて。
信じられない思いで、霊夢から視線を元凶であるチルノへと向ける。
「うーん? こう? 冷えろー? 」
全く気が付いていないのか、チルノは自分の手を見ながら、何ら変わらずにうんうんと唸っているだけだ。
そしてそのチルノを中心として、部屋の中全てが凍り付いていた。
霊夢が結界を張るまでの一瞬の間に、だ。
それぞれ高い霊力、魔力で身を守っている霊夢と魔理沙は幸い無事だったが、もしただの人間が居れば凍死していたかもしれない。
力で身を守っている二人でも、霊夢は上着の袖、魔理沙は帽子とスカートの裾が凍り付いている。
とりあえず軽く一発叩いて、目を覚まさせるか。
そう思い魔理沙はかるい弾幕を、チルノへ向けて放つ。
それに霊夢が合わせたのか、弾幕は結界を素通りし、チルノに当たるかと思われた瞬間――
弾幕の全てが凍りついた。
チルノ自身気がついていないが、以前チルノが使っていた全てを凍らせるスペルカード、
凍符《パーフェクトフリーズ》と同様の、いや、それを遥かに超える効果が発動しているのだ。
その光景に頬を引き攣らせながら、魔理沙は本気でチルノを退治するべきか悩む。
魔理沙自身、結界のような防御といった地味な事は苦手で、弾幕は火力だぜなどと公言している通り、派手な魔法による攻撃を好んでいる。
ゆえに、このような状況で魔理沙が出来る事といえば、元凶であるチルノに大火力の魔法をぶつけて退治する事ぐらいなのだ。
幸いにも昨夜粗末に扱われていた八卦炉は、今自分の手元にある。
すまんなチルノ、あと、部屋吹き飛ぶけど怒らないでくれよ霊夢、と、心の中で謝りつつ、八卦炉を構えて力を込め始めた。
「っ……やめなさい魔理沙。」
「おいおい正気か!? このままじゃ霊夢でも流石に……。」
「大丈夫よ。だからやめなさい。」
「……ええいっ、わかった! 任せたからな! 」
魔理沙からすればぎりぎりに見える霊夢なのだが、本人にそう言われてしまっては引くしかない。
どっかりと霊夢の隣に座り込み、そしてこの白銀の世界の中で額に汗を浮かべる霊夢を、睨み付ける様に見上げる。
(らしくない。らしくないぜ霊夢。)
このままでは押し切られるのは目に見えており、その前にチルノを退治するのが最善だと魔理沙は考えている。
にも関わらず、策があるのか無いのか分からないが、霊夢はそうしようとしない。
たかが妖精に情でも移ったのか。
博麗の巫女が、霊夢が、自分を犠牲にしてまで人外に、妖精ごときに情を掛けて良いのか。
そんな事を考える魔理沙の胸が、チクリと痛んだ。
ξ
一方の霊夢は苦しんでいた。
力の使い方を教えるべきでは無かった。
あまりにも油断していた。
募るのは後悔ばかり。
チルノが力を発動した、あの瞬間。
あとほんの少し早く反応出来れば良かったのだが、一瞬遅れた為に結界を作る為の霊力の練り込みが足りなかった。
しかも、夢符《二重結界》とは、本来は自身を中心に二重の結界を張り、その結界の間の空間を反転させ、それに触れた力、弾幕を外へと飛ばす技だ。
そう、《外へ》なのだ。
本来のまま使えば被害が甚大になる事を見越して、それをあの一瞬の中で変えた。
結界の中心をチルノにして、内から外へとなるものを、内から内へ――
つまり、チルノが出した冷気を、チルノ自身へと反転させる事によって、外への被害を抑えているのだ。
慣れない使い方をした、それもまた霊夢を苦しめている理由の一つであった。
魔理沙がやろうとした通り、チルノを直接叩けば、この状況はすぐにでも解決する。
しかし霊夢が選んだのは、結界による防御だった。
退治するだけなら、あの一瞬でも強力な攻撃を放つ事は出来た。
だが、霊夢の直感がそれを拒否させた。
それが情なのか何なのかは、霊夢自身分かっていない。
けれども、霊夢はその直感を信じた。
きっと大丈夫。
根拠の無い直感を信じて結界の維持に力を込め続けた。
ξ
そしてチルノも苦しんでいた。
といっても、その意味は霊夢とは全く違う。
自分は氷の妖精、氷精などでは無い。
チルノ自身記憶が無いのに、確信するかの様にそう思っている。
けれど……、霊夢がそう言うのだから出来るのかもしれない。
今のチルノは、霊夢に対して全幅の信頼を寄せている。
傍に居ると安心する大妖精と違い、霊夢なら困っている自分を助けてくれる、そんな強い思いの表れが、霊夢が懐かれていると魔理沙に評されている行動の理由なのだ。
だから霊夢を信頼し、その言葉も信じる。
ある種の崇拝に近い。
そんなチルノだからこそ、言われた通り頑張っても一向に手のひらの上に玉が出来ない現状に苦しんでいた。
そして霊夢にとっては残念な事に、先の通りチルノは自分が困っている事を忘れてはいなかった。
「でないよう……。冷えろー! 冷えろー! 」
「……、……。」
「……! ……! 」
何か聞こえる気がするが、チルノはそれどころではない。
普段のチルノなら、ここで霊夢が間違っているのだと判断するだろう。
しかし今のチルノはそうではない。
信じる霊夢に言われた事が出来ない。
それは霊夢に対する裏切りだと思ってしまっている。
出来ないのは自分が悪い。
そう思い込み、周囲に目を向ける事も、耳を傾ける事もせず、一心不乱に両手を見つめて唸り続ける。
「……ルノ! チ……っ! こっ……見なさい! チルノ!! 」
自身のあまりの不甲斐なさに目尻に涙が込み上げ始めた頃、チルノの耳に霊夢の声が飛び込んだ。
「なにれー……む? なんだー!? ここはどこだー!? すきまつあーしたのかー!? 」
「やっと気付いたわね……。良い? チルノ。 余計な事を考えずに、力を抑えるのよ。」
ようやく気付いたチルノに、結界の力は緩めないように気をつけながら、霊夢は安堵した。
「ちから? あたいまだちから出してないよ? 」
「いいえ、チルノが気付いていないだけで、力は出ているのよ。その結果がこれ。 それよりも早く力を抑えなさい。」
「そーなのかー。……どうするの? 」
この状況で相変わらずなチルノは、馬鹿なのか大物なのか。
(両方合わせて大馬鹿者ね。)
余裕が出てきたのか、下らない事を考えつつも結界は揺るがない。
それでも油断はしないように、霊夢は改めて気合を入れつつチルノへ話す。
「力を使おうとした時の逆の事をすれば良いのよ。力を込めてこうなったんだから、力を抜きなさい。簡単でしょ? 」
「うん、わかった。」
そう言ったチルノは伸ばしていた両手を下ろし、座り込んだかと思えば、そのまま寝転んだ。
「ぼくどざえもーん。」
なんだそれは、ふざけているのか。
力を抜くという事なら間違ってはいない――
が、あんまりな行動に霊夢は額に青筋が浮かびそうになった。
しかしその効果は覿面。
それまで吹き荒れていた氷の力は一気に収まり、元の静かな部屋へと戻った。
ただし、白銀の世界なのだが。
ξ
「はぁ……、氷が解けた後を考えると憂鬱ね……。」
ようやく収まった騒動に、張り詰めていた緊張から開放され、霊夢は座り込んだ。
チルノはというと、大きな力を使った反動か、力を抜くために寝転んだまま眠っていた。
「……で? どういうつもりだったんだ霊夢。」
元から座っていた魔理沙が、同じ目線となった霊夢を強い口調で問い質す。
明らかに怒っている。
それに気付いていながら、霊夢は楽観的に返した。
「らしくないわよ魔理沙。この程度、良くある事じゃない。」
「……っ。 状況だけならそうなんだけどな。 らしくないのは霊夢の方なんだぜ。」
人の身で人外を相手にしていれば、これぐらいの危機に遭遇するのは少なくは無い。
命名決闘法《スペルカードルール》があるからこそ、弾幕ごっこにて人間が人外と対等に戦う事が出来るのだ。
いや、それ以前でも博麗の巫女である霊夢は、人外を相手にする事は出来ていた。
博麗の巫女である以上、それが出来なければ話にならない。
しかし今と比べればどうかといえば、今の方が遥かに楽になったのは間違いない。
それに魔理沙は人間にしては強い魔法を使えるが、あくまで人間の範囲内なのだ。
博麗の巫女の様に殊更に大きな力や、受け継がれてきた技術がある訳でもない。
誰かに言う事は無いが、隠れて必死に人一倍努力した結果の今なのだ。
魔理沙が妖怪退治に動くようになってから、実際に命名決闘法《スペルカードルール》が制定されるまで、大して長い期間があった訳では無いが、それでも何度か死線はくぐって来た。
だからこそ、魔理沙には霊夢の言い分も分かる。
しかし今回のこれは、それとは違う。
妖精というのは自然現象の様なものだ。
つまり、自然がある限り、不老であり、不死でもある。
仮にあの場でチルノを吹き飛ばして消滅させたとしても、そのうち何処かで勝手に蘇る、それが妖精という存在だ。
ならば、自分の身を危険に晒してまで守る必要は無い。
そんな事をするのは妖精以上の馬鹿だ。
魔理沙はその事について言っているのだ。
霊夢もその事は分かった上で楽観的に返したのだが、どうやら魔理沙はそれだけでは不満らしい。
仕方なく、霊夢は本音を語った。
「根拠は無いわよ、ただの私の直感だから。」
「うん?」
「あのままチルノを退治したら取り返しの付かないことになってたと思う。」
「どういう事だ? 」
「分からないわよ、ただの直感って言ったでしょ。でも、間違いなく後悔する事になってた。それも致命的にね。」
「情が沸いた訳じゃないんだな?」
「……そうよ。」
理解出来ない言い訳に納得は出来ないが、情に躊躇った訳ではないのなら大きな問題では無いだろう、そう魔理沙は強引に納得した。
「それにしても、とんでもない蛇だったわ。」
「なんだ藪から棒に。」
「その棒は私のよ。」
「なら蛇の居なくなった藪は、私のものなんだぜ。」
「残念ね。蛇が大きすぎて、死体が邪魔で入れないわよ。」
「ならその蛇を酒につけてやろう。これだけの大物なんだ、良い酒が出来そうだ。」
「大きな樽から作らないといけないかしら。」
「余った分は蒲焼にして、産みの親に食わせてやるか。」
「しっかり冷ましてからね。」
「そうしないと、また蛇が出てくるからな。」
突然始まり、軽快に続く二人の会話。
気の置けない者同士の、仲直りの合図の様なもの。
喧嘩をした訳では無いが、これで今回の事は水に流そうという事だ。
「それじゃ、魔理沙。昨日頼んでおいた事やってきてくれる? 」
「あぁ、あれか。その方が良さそうだな。分かった、行ってくるんだぜ。」
食後の一息を入れてからにしようと思っていた事だが、こうなってはそうのんびりとはしていられなさそうだ。
そう思った霊夢は魔理沙に告げ、言われた魔理沙は帽子を被りなおして部屋を出て行った。
「ほんと……、後片付けが憂鬱ね……。」
寝ているチルノを見つめながら、霊夢は再びため息を付いた。