一緒に笑っている少女がいた。
一人で泣いている少女がいた。
そんな少女たちの姿は蜃気楼の如く薄くなっていった。これは夢なのだろうか。それとも現実なのだろうか。それすらも分からないまま、朧気なまんまで、時間がゆっくりと過ぎたような感じがして。自分がどこにいるのかも分からないまま、熱に浮かされたように意識が遠のいていく。
そして視界は一気に真っ暗になった。それまで見えていた人影も、どこか緑を感じさせる背景も、全て真っ黒に染まってしまった。
嗚呼、そうか。
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重い瞼が徐に下がって光が飛び込んでくる。真っ白な部屋の天井。見覚えの全くない景色に戸惑いながらゆっくりと視線を横に動かす。赤い花が挿された瓶の向こうには、緑の集合体にしか見えない葉っぱどもを揺らす大木の並ぶ姿が辛うじて見える。窓は開いていて、そこから生温かくて気持ち悪い風が吹き込んできていた。ジワリと暑さの滲む晩夏の風だろうか。吹き込む風に押されるように僅かに動く首を反対に寝転ばせた。
なぜ気づかなかったのだろう。ベッドに寝ている自分の横に人影があった。プラチナブロンドの髪を垂らせるその人影はどうやら意識を飛ばしているらしく、こちらが目覚めたことに気づく様子はない。声をかけようと思ったが、声を出そうとしても、なぜか声が喉から出なかった。喉から聞こえるのは声ではなく、ただ息が掠れるだけの音。そもそもその人に声をかけたところでどうしようというのか。名前すら分からないその人に。
少し時間が経っただろうか、喉は相変わらず声とは形容しがたい掠れた息の音を出すばかりだが、どうやらその声は僅かに音として届いたらしい。ベッドの隣の椅子に腰掛けるその人が首をゆっくりと持ち上げた。
「……楓?」
純白の声が耳に通ってくる。自分の頼りない声にはなかった、はっきりとした声だった。その人はきょとんとした目をこちらに向けている。
「……起きたの? 楓なの?」
「……ぁ」
楓。今この人は俺をそう呼んだ。言われてみればそんな名前だった気もする。だが、生憎俺の持ち合わせた全ての記憶を辿っても目の前にいるその人には辿り着かなかった。返事をしようとしてもまともに声も出せず、もどかしさが募った。
まるで信じられないものを見たかのように、少しだけ虚ろな目をこちらに向けたその人のパープルの瞳からは、一筋の涙が流れ出ていた。
「……かえっ、楓ェ……ッ!」
がばっと、何も分からない俺を急に抱き込んだその人は、暫く顔を埋めたままその顔を上げようとしなかった。
先程から出そうともがいていた声が、漸く形を持った。突然のことだった。
「えっと」
「……っ。いきなりごめんなさい。目を覚まして……良かった……!」
言動から察するに、俺は長い間寝込んでもいたのだろうか。会話の糸口を掴もうにも、今自分が置かれた状況もよく分からず、もっと言えば目の前のその人が誰かすら分かっていなかった。
「えっと……」
「あっ、今すぐ看護師さん呼んでくるから、ちょっとだけ待っていてくれるかしら」
慌ただしく今度は部屋の外へ駆けていった。余りにも色々と何かが起こり過ぎて、自分の周りの状況が整理すらできていない。どうして俺の体はこんなにも動かないんだ? どうして俺の頭はこんなにもぼうっとしてるのか? 疑問が湧いてはふつりと消えの繰り返しだった。
そうこうしているうちに、さっきの女性が帰ってきたのかドアの開く音がした。足音は複数響いている。
「起きてすぐで悪いけれど、この後検査があるみたい。花音ももう少ししたら来るから待っていてね」
「え、はい」
看護師さんとやらは何かを話し込んでいるらしく、こちらを一瞥してすぐに慌ただしく一人、また部屋の外へ出ていった。
もう少しで来ると言っていた花音という名前。思い出せそうで思い出せず、その響きが脳のシナプスを駆け巡るだけで割れそうなぐらいに痛かった。
ダメだ。一旦忘れよう。そう思って、いつのまにか瞑ってしまっていた目を開いた。そうすると、心配そうに少女がこちらを覗き込んでいたのが視界に入った。
「大丈夫? どこか痛い?」
「いえ……」
「そう……。本当に良かった」
不安そうな顔がくしゃりと綻んだ。思わず見惚れてしまった自分に気づいて、慌てて目をそらす。
「……楓? さっきから挙動不審だけれど、どうかしたのかしら?」
「……えっと」
先ほどから様々に問答を繰り返すうちに自分の状況はなんとなくわかった。そして、ずっと聞きたかった、その一言を弱々しく紡ぎ出した。
真っ白な箱庭の燻んだガラスは、音を立てて割れてしまった。