梅雨の入りにしては珍しく晴れた日。俺は駅前の噴水手前のベンチに座り、一休みしていた。駅前を歩く人たちはみなよそ行きの格好をして、駅に次々と入線してくる電車の方へと向かっている。
「あっ楓くん、お待たせ!」
「おう、かの……おお」
「えっ、ええ?」
今日は花音とデートの約束をしていた。告白されて付き合ったはいいものの、碌に彼氏彼女らしいこともせず、ただ学校の行き帰り手を繋いで歩いていたぐらいの、初心なカップルをしていた。花音は俺にとって幼馴染の延長線、ということもあった、はずだったのだが。
普段見る制服姿とは打って変わり、髪色と同じ色のワンピースに身を包み、その開いたところから覗く首筋には急いで来たのであろう証がたらたらと光を反射して煌めいていた。それすらも普段あどけなさを感じさせる花音に艶やかな雰囲気を加えていた。端的にいうと、素晴らしい。
「えっと、楓くん?」
「ああいや、ごめん、なんでもない。それじゃ行くか」
「うんっ!」
なんとか脳に浮かんだ劣情的な煩悩を押し殺して悟られないようにして、花音の手を取って歩き出す。
「……えっち」
だから、ぼそっと耳元で呟かれた甘い吐息は、俺の心臓をえらく飛び跳ねさせた。
「ふぅ……今日も暑いね」
隣を歩く花音の額には暑さを象徴するような汗が垂れている。こちらを見上げる花音の上目遣いに心が奪われながらも、疲れたであろう花音を労うためにどうしようかを考えた。
「だな……。そろそろ疲れたからお昼食べるか?」
「そうだね、食べたいものって、あるかな?」
時計の針が12を過ぎた頃に、花音から問いかけられた俺は食べたいものを思案し、それが食べられるお店を調べる為にスマホの地図アプリを開いた。検索の枠に考えられたファストフード店の名前を打ち込むと、赤いピンが地図上に刺される。
「……よし、ここ行こうか」
「うんっ、……あれ?」
花音は少し思うところがあったようだが、すぐ近く、徒歩3分ぐらいのそのお店に向かって歩き始めた。
「……やっぱり」
「花音、どうかしたのか?」
「ここ私のバイト先」
「え?」
目の前に聳え立つ赤い看板のお店は、どうやら花音の口からたまに聞くバイト先だったらしい。
「あー、そうだったのか。店変える?」
「ううん、大丈夫」
全く意図していなかったが、それでもたまの休日にバイトを思い起こさせる場所に来てしまって申し訳なさに浸っていると、花音が俺と繋いだ右手を引っ張り上げた。
「ほら、行こう?」
手を引かれるままに自動ドアの先に進む。お昼時のファストフード店は案の定人の入りはすごく、注文カウンターの人の行列の奥では制服を着た店員さんが明るい髪を振り回して忙しそうにしている。
「んじゃ、俺が注文してくるから、席取っといて」
「え、でもお金が」
「いいんだよこれぐらい、何食べるんだ?」
「えっと、じゃあポテトのMサイズとウーロン茶を」
「りょーかい」
流石にデートということもあって、これぐらいは見栄を張らせてほしい。まあいっぱしの高校生程度の見栄では情けないことは否めないが。花音を席に向かわせて、俺は先程の行列の最後尾に並ぶ。そこから店を埋め尽くさんとするほどの行列に並んでいると、ファストフード店と雖も、20分ぐらいかかって、漸く注文から受け取りが済んだ。お盆にはいっぱいのハンバーガーやらドリンクが窮屈そうに並べられている。
「と、花音は、ん?」
店舗の奥の方の座席の上から水色の髪がはみ出していたので花音がいることはすぐに分かったのだが、そのさらに奥の席、花音の座る対面の席のところから、ピンクというド派手な色の髪がはみ出ている。
「でね~、聞いてよ花音ちゃん……、千聖ちゃんが本当に練習に来てくれなくって」
「うん……、大変だね、あっ、楓くん」
「よっ、持ってきたぞ」
俺が声をかけると二人はどうやら気づいたようで、このピンク髪の少女は俺を見て、わずかばかり赤く腫らした目を大きく見開いた。
「え? あれ花音ちゃん今日一人で来たんじゃなかったの?」
「あ、いや、えっと。紹介するね? 私の恋人の島崎楓くん」
「……どーも」
恋人と改めて口に出されると少しだけ照れ臭くて、けれどもそれを悟られるのは憚られて、頭をさっと下げる。顔を上げると、そのピンク髪の少女は少し気まずそうに周囲の客席を一瞥した。
「あっ……私は丸山彩です。よろしくお願いします」
「丸山彩ってパスパレの……」
千聖と一緒のアイドルグループの子だったか。確かにアイドルをしていそうな華々しい容姿をこのファストフード店の制服と帽で隠す丸山さんは、そのワードを俺が口に出した瞬間、分かりやすくその美麗な顔に影を落とした。
「楓くん……その」
「ねぇ島崎くん? 島崎くんも千聖ちゃんと仲良いんだよね?」
「えっ、まぁ」
さっきこの座席の近くの時に聞こえた名前は、どうやら俺の聞き間違いじゃなかったらしい。千聖の名前を出した途端に、自分の周りの空気がガタンと冷えたような気がした。
「……ひぐっ、なんで、千聖ちゃん、パスパレの練習来ないのかなぁ……?」
「……千聖が?」
「わ、わたし……もう分かんないよぉっ……」
「ちょ、えっ」
「彩ちゃん?! えっと、一旦場所変えよう?」
俺が事情もわからず慌てふためく間に、どうやら先に話を聞いていたらしい花音がどうにか泣い始めた丸山さんを宥め、荷物を持って店から連れ出す。そこから向かった近くの公園はすっかり木々が緑になっていて、ジリジリと日差しが降り注いでいたが、藤棚に隠れるように物陰になっているベンチに丸山さんを連れて、なんとか落ち着かせた。
「うぅ……ごめんなさい」
「それで、千聖と何があったんだ?」
「……私たちPastel✽Palettesが今活動休止してるのは知ってるよね?」
Pastel✽Palettesの活動休止。勿論知っている。ちょうど数週間前にそのことで千聖を慰めたばかりだったから。でもその時、俺は千聖が一念発起してPastel✽Palettesを全力で頑張るように励ましたつもりだ。千聖がこれまでの演劇の舞台だけでなく、アイドルのステージで輝いてる姿が本当に綺麗で、好きだったからだ。だからこそ、なおのこと丸山さんの話と合わないような気がした。
「今Pastel✽Palettesは復活ライブしようと、今度は本当に凄い演奏に心に響く歌で、復活しようとしてるのにっ、でも上手くいがなぐてぇっ」
「彩ちゃん、大丈夫だよ……、落ち着いて?」
「うん……うん」
花音は赤子をあやすように丸山さんの背中を叩き、なんとか話を続けられるようにしてくれているが、丸山さんの涙は引きそうにないものだった。丸山さんは振り絞るように言葉を紡ぎ出すが、その叫びは痛いほどに胸を打った。
「千聖ちゃん、誘っても練習来てくれなぐっで、ぐすっ……日菜ちゃんもパスパレつまんないっでぇっ!」
「……そっか」
千聖。こんなにパスパレを、お前の居場所を愛してくれる人を悲しませちゃダメじゃないか。
「花音ちゃん……島崎くん……、わたしぃ……どうしたらいいのかなぁっ」
「俺に、任せて」
千聖だって、俺の大事な友達だから。
「……え?」
「俺が、話つけてくるよ」
だから俺がなんとかしないと。そんな約束を取り付けて、ジメジメとした昼の時が過ぎてゆくのであった。
──────────────────────────
なんとか忌々しい迷子癖を乗り切って芸能事務所にたどり着いた私は、担当の人から呼び出されて、小部屋に入った。既に先ほどからの雨のせいで服までずぶ濡れで、気持ちは沈み続ける一方だった。
「あの……すみません。話って、なんでしょうか?」
頭の中ではつい先程の舞台の、監督からの叱責が嫌というほど反芻されていた。女優としてのプライドだとか、そんなものが全て壊れてしまいそうなほどに、心までズタズタになっていた。
「その、申し上げにくいのですが」
やけに焦らしてくる。早く家に帰ってシャワーでも浴びて、なんとか気分転換したいのに。
「以前決まったドラマの話、覚えているでしょうか?」
「あっ……あの、ヒロインをさせて頂ける予定だったあの?」
私が静かに野心を燃やしていたあのドラマ。アイドル業でタレントの顔に泥を塗った私が再起のためにかける、舞台ですら失敗してしまった私が、起死回生を果たすための、あのドラマ。
「……先方から、断りの連絡が」
「……えっ」
あぁ神様。私はこれ以上、何を失えば良いの?
腹這いペンギン様、評価していただきありがとうございました。