Resets   作:敷き布団

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第13話 花音の落胆と楓の傾動

急がなきゃ、そんな焦りが私の心を背後から追い立てる。どうして楓くんはかつての記憶を思い出してくれないんだろう、というもどかしさが私をせき立てていた。最近はハロハピの活動が忙しくてこの病院にもなかなか来ることが出来なかった。そんな色んな想いが混ぜこぜになったまま、あの白い病室のドアを開けた。

 

「楓くんっ」

 

やはり冷房が効いていて、涼しすぎるほどの病室のベッドの淵に腰掛けている楓くんに声をかけると、楓くんはゆっくりとこちらを見上げた。

 

「あぁ、久しぶり、花音」

 

「最近来られなくてごめんね? 体調はどうかな?」

 

いつかの私がずっとしていたようにベッド側の椅子に腰掛ける。少し冷たく、無機質な椅子だった。涼しい部屋も相まって、私の心は氷漬けにされたように痛んでいた。

 

「体調は……まぁまぁ」

 

「そっかぁ、記憶は、どうかな?」

 

訊きたくて仕方がなかったこの質問、半ば戻っているはずがないと分かりつつもつい訊いてしまった。だってそんなこと、この反応を見れば分かりきったことなのに。

 

「……ごめん」

 

「そ、そっか。気にしないでね」

 

私がそう答えると、また沈黙がやってきてしまった。何を話したら良いのか分からないのだ。楓くんが記憶を無くす前であればその日あった面白いことだとか、そんな取り留めもないことでも話して笑い合えていたはずだったのに。そんな後悔をしても最早後の祭りで、今はただ楓くんが記憶を取り戻せるようなエピソードをなんとか振り絞って捻り出すしかないのであった。

 

「あっ、桜が散る頃に河川敷を2人で一緒に歩いた時のことなんて覚えてるかな?」

 

正直楓くんと付き合いだしてからのことは殆ど全て喋ったような気もする。幼い頃の記憶も印象に残っているような話はいっぱい話した。けれど、楓くんにはそのどれもが分からないみたいで、かつての戻らない過去を話せば話すほど無性に虚しくなるだけだった。

 

「いや、覚えてないかな……ごめん」

 

「そっか……、うん、仕方ないよね」

 

かつて感じたことのないほどのもどかしさを味わった。私がこれまで一緒にいた楓くんの姿が、まるで波風に削られる砂の城のように徐々に崩れ去っていくようだった。一度崩れ去っていったその城は、どんどん見る影もなくなって、周りの何の変哲もない砂に変わっていってしまいそうだった。楓くんの心が波に押し流されてしまったように、遠ざかっていくような気がした。

 

「……うぅ」

 

「……花音?」

 

「……ううん、なんでもないよ、えへへ」

 

そのあまりの無情感に涙が溢れそうになってしまう。咄嗟に楓くんから視線を逸らして顔を隠した。この秘密の涙は楓くんに知られていないだろうか。

戻って欲しいのに、またあの時のようにそっと優しく抱きしめて温かな愛を注いで欲しいのに。そんな理想と相反する無慈悲な現実が突風となって脆い城をどんどんと壊していく。潮風のようなしょっぱさが、この真っ白い箱庭にいやに沁みたのだった。

 

 

 

──────────────────────────

 

 

 

ドアの外からコツコツと言う足音が聞こえてきた。その足音からはその足音の主が歩いているわけではないことが容易に伝わってくる。あぁ、またあの時間が来たのかと、辟易してしまう自分が一番嫌で堪らなかった。

当初の予想通りガラガラと引き戸の開く音がする。このドアの開け方にはデジャビュを感じた。

 

「楓くんっ」

 

息を切らして駆け込んできた花音。急いできたことを如実に物語る額の汗を見ると、頭のどこかが割れるように痛くなり、少しだけ目線を花音から外した。

 

「あぁ、久しぶり、花音」

 

「最近来られなくてごめんね? 体調はどうかな?」

 

あぁ、またこの質問がされるのか。一時期来なくなった花音が、その前も繰り返ししてきたこの質問。きっと俺がどのように返そうとあの質問が飛んでくるのだろう。

 

「体調は……まぁまぁ」

 

「そっかぁ、記憶は、どうかな?」

 

その質問が花音の口から発された時、ああまたか、という感情だけが俺の心を支配した。しかし、その何度も繰り返されたこの質問を目力の篭った真剣な眼差しで投げかけられると、いい加減に答えることは許されないのだろう。

 

「……ごめん」

 

とどのつまり、こうやって謝ることしかできないのだ。落胆に暮れる花音に罪悪感を抱きながら、ただどうしようもないことを謝るほかない。幾度も繰り返されたこの問答に嫌気が差してしまったのも、必然であったのかもしれない。

花音がいつものように思い出を語り、それで思い出すことがあるかと問われ、ないと答えれば花音は悲痛な表情で、俺は無力感に打ち拉がれながら価値のない謝罪の言葉を口にするほかなく、俺が花音の期待に応えられることはない。このループが嫌で嫌で堪らなかった。

花音は必死に俺の記憶を取り戻そうと色んな話をしてくれている。花音が必死で俺の記憶を取り戻そうとしてくれるのは痛いほど分かるし、それに報いたいとも思っている。

 

……けれど、けれども、その花音が見ているのは、俺じゃない俺だ。島崎楓であって、島崎楓じゃないのだ。

いや、花音は俺を見て話してくれている。そんなのは屁理屈だってのは分かっている。けれど、花音のその悲哀の瞳の深淵に映し出されているのは、今の俺じゃない。記憶を失う前の島崎楓なんだ。

きっとこのやりとりに嫌気が差してしまったのは、それに気づいてしまったからなんだ。気づかなければ、いや、もっと言えば、記憶を失わなければ、こんなことにはならなかったのに。

俺は、花音の望む'島崎楓'にはなれないよ。

 

ずっとぼやけていたのだろう。もう病室には花音の姿はなかった。思えば数度言葉は返した覚えがある。けれど、どんな言葉をかけたかは記憶になかった。

外を見れば陽はとうに暮れてしまっている。もうすぐで退院できるというのに、俺の心は全くもって晴れそうになかった。また退屈な夜の時間が始まる。そんな虚無の精神がこの空間を覆っていた。

 

こんこんこん、という甲高いノックの音がした。

あまりに突然聞こえたその音にびっくりして小さく声を上げてしまう。続け様にあの冷たく透き通るような声で、部屋に入ることを告げられた。

 

「こんばんは」

 

「……おう。こんな夜に来てくれるんだな」

 

改めて病室の壁にかかった単調な時計を見れば、その短針は9の手前を指している。健全な高校生であればとうに自宅に帰っているような、そんな時間だった。

 

「えぇ、それともお邪魔だったかしら?」

 

「……いや、別に」

 

いつものように佇む千聖は何を言うでもなく、ただ静かに座っているだけであった。つまりそれは沈黙が続いていることを意味するのだが、その沈黙は何故か居心地が悪いと言うほどのものではなかったのが、やけに不思議だった。

 

「もうすぐ退院できそうね」

 

「ん、おかげさまで。お見舞い何度も来てくれて、ありがとな」

 

「……えぇ。礼を言われるほどのことでもないわ」

 

テレビや雑誌に引っ張りだこであるはずの千聖はここのところ健気に見舞いに来てくれた。その時間がかなりバラバラで、それでいてそう見舞いの時間が長くないのはきっとその多忙なスケージュールの中を縫うように来てくれているからであろう。以前千聖になぜそうも見舞いに来てくれるのかを問おうとしたが、どうやら千聖に答えてくれる様子はないようだった。

今日も多くを語ろうとするわけではないらしくて、やけに沈黙の時間が多い。いつにも増して、千聖は何も話そうとはしなかった。

 

「……何も訊いてこないんだな」

 

「あら、質問攻めにでも遭いたいの?」

 

「いや、……遠慮しとく」

 

「……そう」

 

やはり会話が続くことはなくて、それどころか千聖は俺に目を合わせようともしなかった。

 

「そろそろ帰るわね」

 

「え、あぁ」

 

千聖は軽やかに腰を上げてスタスタと部屋から出て行こうとする。ベッドサイドに腰掛けた俺からどんどんと遠ざかっていく。

 

「……千聖、待って」

 

何も言いたい言葉なんて分かってないのに、気持ちもまとまってすらないのに、思わず千聖を呼び止めてしまった。もう松葉杖などなくても歩ける足は、そんな俺の衝動を叶えてしまった。

俺って、最低な、クソ野郎だ。










自分で書いておいて言うのも何ですが、嫌な予感しかしないですね。
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