Resets   作:敷き布団

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第1話 楓の日常

爽やかな緑の風が吹き、足元の草木が靡いていて心地よい。叢に沈み込んだ脚のひんやりとした感覚に身を落としていると、急に視界が真っ暗になった。まるでものすごいスピードで自分が落下しているかのような、そんな感覚に襲われる。独特の浮遊感で居心地が悪いのにもかかわらず、どのように足掻き、身体を捻ろうとしても、俺の体が動くことはなかった。体は動かないのにどういうわけか思考だけが冴え渡って、感覚と思考の乖離がさらにこの状況を気持ち悪くさせていた。

 

「楓、起きなさい」

 

「……んんぅ」

 

ふと、落下していく自分の体の姿が薄くなっていく。先程まで感じていた光景も束の間、霧の晴れるように消えていき、ぼんやりとした視界の中で俺の名前を呼ぶ声が響いた。ああよかった、さっきの光景は夢だったらしい。けれども絶え間なく襲い掛かってくる眠気に抗うのはむずかしく、その声に反応しようという気持ちはなかなか起こらなかった。

 

「もう……起きなさいっ!」

 

「……ん、寒っ」

 

バサァッ、という音とともに掛け布団は完全に剥ぎ取られてしまった。途端に周囲にまとわりついていた生暖かい空気はなくなって、少し冷気の混ざった空気が流れ込んでくる。その空気に完全に先程の夢は消散してしまい、声がはっきりするとともに視界がはっきりしてくると、俺はいつものようにプラチナブランドの友人が起こしに来てくれたことを悟った。

 

「……おはよ千聖」

 

「えぇおはよう。下で待ってるから早く準備して降りてきなさい」

 

「……はい」

 

凛とした声は寒々しい部屋にメスを入れるように飛んでくるのだが、どこかそんな声に暖かさを覚える自分がいてびっくりする。しかし、そんな暖かさがあろうとも春の朝の眠気を完全に吹き飛ばすまでには至らない。そんなことが出来ているのであれば、毎朝遅刻なんか考えなくても千聖が完璧に起こしてくれるはずである。

……まぁ、とは言っても、逆らったら後が怖いことはよく知っているので、敢えて刃向かいたい訳はないのだが、今日から新学期ということもあり、些か腰が重い。足首から少し先にどさりと落とされた掛け布団はわずかに熱を持っていて、どうしてもその熱に縋りたくなってしまう。詰まるところ二度寝がしたいのである。

 

「はぁ、ねみぃ」

 

噛み殺すことのできない欠伸が誘う誘惑になんとか抵抗して、上体を起こす。今度はあの夢のように体が動かないなんてことはなかった。むしろあの時以上に感覚は鋭敏に働いて、千聖から発された甘美で高貴な残り香が鼻腔を漂っていた。

そして、着替えを軽く済ませると、香ばしい香りが漂ってくる一階のリビングへと降りるのだった。

 

 

 

「おはよう千聖ちゃん! 楓くんもおはよう!」

 

「えぇ、おはよう花音」

 

「ん、おはよ……ふぁ〜……」

 

ありがたいことに簡素ながらも朝ご飯を頂いたこともあり、すぐに眠気が蘇ってきてしまい、花音のふわふわとした眠気を誘う声にも欠伸しながら返事をする。学期始め、それも二年生になって初めての登校日であり、こうやって三人一緒に登校で揃うというのは久しぶりなのだが、積もる話もある、という風にはいかない程度のテンションだったのだ。

 

「あはは……楓くんなんだかとっても眠そうだね……」

 

そうは言われてもどうしても朝の弱さには勝てるはずもないので、うつらうつらとしながら、力なくブロック塀にもたれかかる。朝の涼しい空気の染み込んだブロック塀はとても心地よかった。

 

「ってもう……こんなところにも寝癖ついてるじゃない……」

 

「ん……」

 

そのようにブロック塀に気怠い体を預けていると、千聖が俺の頭のてっぺんより少し後ろの寝癖をそっと撫でた。さっき朝ごはんを食べている間に寝癖は直されていたはずだが、まだ寝癖の生き残りがいたらしい。どうやらこいつはなかなかの曲者のようで、何度抑えつけも跳ね上がってくる。千聖も何度か直そうとするも直らなかったらしく、仕方ないと言わんばかりに息を吐いた。正直寝癖の一つや二つ付いていても気になるような性分でもないので、そんなふうにため息を吐かれるのも複雑な気分である。

 

「もっとシャキッとする! そんなんだから高校生にもなって彼女の一人も出来ないのよ?」

 

「……余計なお世話だっての」

 

別に彼女を作りたいわけでもない俺にとってはどうでもよい。が、まぁ敢えて正確に事実を突きつけられると煩わしい。そりゃ千聖ほどの美貌と努力できる才能があれば、恋人を作ることなど造作もないのだろうが、俺に敢えていう辺り当てつけか何かだろうか。ともかく文字通りの余計なお世話である。恋人を作るぐらいならもう少し朝を優雅に、いや、悠長に過ごせる時間の方がよっぽど作りたい。

 

「あはは……千聖ちゃんもそこまでにしてあげよう?」

 

「……花音がそう言うなら」

 

花音が千聖からのありがたいご指摘の連打を止めてくれたのだが、ひたすら俺に手厳しい千聖とは対照的に、花音は朝っぱらから何か小難しい顔をしている。いやまぁ、千聖は千聖で俺の寝癖とかと格闘して難しい顔してたけども。何やら目の焦点が合ってないように、こちらの視線など意にも介さないほどだったから、思わず声をかけた。

 

「……花音? どうかしたか?」

 

そんな声は無事届いたらしく、覗き込んでみると花音の目線はちゃんと俺の目をしっかりと捉えていた。

 

「……ふぇっ?! な、な、何もないよ?!」

 

そのままやけに高い声を上げて思いっきり仰け反った。その顔を見ると先程までの悩み事を抱えていそうな、そんな顔もなく、いつも通りの花音がそこにはいた。

 

「ふふっ、びっくりする花音も可愛いわね」

 

「か、からかわないでよ〜」

 

千聖に揶揄われる花音は暗い雰囲気など何も感じさせない笑顔で大ぶりな反応をしている。こう言うのを見ると無性にいじり倒したくなるんだよな。

 

「おー、可愛いぞー?」

 

「楓くんまで……」

 

花音の顔はボッと紅くなる。この反応を見るのが、悪趣味だとは自分でも思いつつも楽しくなっている自分がいた。

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