清々しい、けれども少しだけ憎くもある朝がやってきた。ベッドの横にある窓の、カーテンの隙間からは朝日が差し込んで、部屋を四角く照らしている。カーテンをゆっくりと滑らせて外を見ると、もう道路にはちらほらと人の姿が見える。奥の方には華々しいピンク色をした桜並木が頭を突き出していた。
「今日から二年生……かぁ」
去年も色々あったけど、なんだが今年の一年はもっともっと色々なことが起こる予感がした。予感がしただけだけど。毎日が充実するのは楽しみだけれど、大変なことにならなければいいなぁ。
「……あっ?! 千聖ちゃんと約束してたんだった!」
朝日を浴びながら少しセンチメンタルになっていたが、そういえば今日は千聖ちゃんと朝から一緒に学校に行こうって約束してたんだった。枕元の時計を見れば、そこまで時間の余裕がないことはすぐに分かった。慌てて制服を引っ掴んで、リビングに降りていくのだった。
靴を履いて玄関のドアを開ける。向かいのブロック塀のところに、約束の相手はいた。朝もかなり早いのに全く眠そうな様子を見せない千聖ちゃん。その隣には朝の早さにすでに負けてしまっている長年の想い人が塀によりかかっていた。
「おはよう千聖ちゃん! 楓くんもおはよう!」
「えぇ、おはよう花音」
「ん、おはよ……ふぁ〜……」
「あはは……楓くんなんだかとっても眠そうだね……」
大きな手でも覆いきれないほどの大きなあくびからは、その気だるさと眠気が十分に伝わってくる。それでも一応もたれかかっていた体を起こして、なんとか立っているらしい。長かった休みの期間、会うことが出来ずに悶々としていた私の心はそんな彼にこうして会うことが出来ただけで晴れやかになった。けれど、やっぱり複雑で、特に千聖ちゃんと楓くんの距離が目に焼き付けられるだけで、私の晴れた心はまた曇り始めるのだった。
「ってもう……こんなところにも寝癖ついてるじゃない……」
「ん……」
まるでお母さんみたいに楓くんの頭の横の、ぴょんと跳ねた髪の毛を抑えて寝癖を直そうとする千聖ちゃん。どうやらしぶといらしく、何度抑えても抵抗してくるらしい。
「もっとシャキッとする! そんなんだから高校生にもなって彼女の一人も出来ないのよ?」
「……余計なお世話だっての」
「あはは……千聖ちゃんもそこまでにしてあげよう?」
「……花音がそう言うなら」
渋々といった様子で小言を言うのはやめたらしい。
楓くん彼女いないんだね。千聖ちゃんはそれをまるでダメなことのように言うけれど、私は正直それが少し嬉しかった。だって自分の好きな人に、他に好きな人が居たら嫌だもん。……なんて心の奥で思うだけで、言葉には出せないけれど。本音を言えば、さっきみたいな千聖ちゃんと楓くんのやりとりが羨ましく思う自分がいた。けど、それはあまりに醜くて、見ないフリをしていた。幼馴染という関係性に甘えて何もしてこなかった自分の八つ当たりでしかなかったから。
「……花音? どうかしたか?」
グイッと、急に楓くんの顔がどアップになって、思わず仰け反る。
「……ふぇっ?! な、な、何もないよ?!」
「ふふっ、びっくりする花音も可愛いわね」
「か、からかわないでよ〜」
「おー、可愛いぞー?」
「楓くんまで……」
結局、学校までの少しの時間は終始それをネタにからかわれ続けたのだった。恥ずかしいけれど、不思議と悪い気はしない。……Mじゃないよ? ただ、そんなやりとりが心に安らぎをくれるの。上手く言葉には出来ないけど、とっても暖かい癒し。そんな当たり前の幸せを享受しながら、桜の花びらが降る川沿いの通学路を歩いた。
こうしてこの三人で過ごす登下校、いや、ほとんどは登校の時だけではあるけれど、その僅かな時間は私にとって癒しをくれるだけでなく、少しばかりの緊張と、ほのかな焦燥を抱かせてくれる。
きっと私の心の内を見通せる人がこの世にいるのだとしたら、私の淡いけれど濃くなってしまった乙女心はいとも容易く見抜かれてしまうのだろう。私は彼、島崎楓くんに恋をしているのだ……と思う。これがはっきり恋だってことはあまりよく分からないけれど、きっと恋なんだ。恋だったらいいな。そうだとばかり十年以上自分で思い込もうとしてる。
けど、この思いを告げるには私はあまりにも臆病すぎて、きっとこの思いは私の頭上を舞っているソメイヨシノの花弁のように散ってしまうのだろうって、半ば諦めている自分もいた。恋をしている自覚はあるし、その恋が叶って欲しいって思ってるはずなのに、その恋を早く諦めたいという、真っ向から矛盾する感情が、この通学路を歩いているとなぜか無性に沸き立ってしまう。
「……はぁ」
暖かくなってきたとはいえこの時間帯はまだ肌寒く、少し上がった息に情けないため息を混じらせた。息遣いは自分でも届かず、隣を流れる小さな川で透き通る水の流れる音と、アスファルトに響く三人分の足音だけしか聞こえなかった。そんなものだから、そのため息が他の人に届くはずないと思っていて。
「やっぱり花音、朝からぼーっとしてるけれど大丈夫? 何か悩み事でもあるの?」
「……えっ?」
次に自分の意識が現実に戻された時には、感傷的な桜並木を通り過ぎた所で、千聖ちゃんにさっきの楓くんよろしく顔を覗き込まれていた。
「何でもないよ?」
大丈夫かなぁ。声、震えてないかなぁ。何でもないと平静を装ってるつもりだけど、果たして千聖ちゃんにそんな付け焼き刃の仮面で騙し通せるのか。透き通っていて女の私でもその美麗さに貫かれそうな濃紫の双眸には、きっとその仮面を外してくるのだろう。
「……ここじゃ話しづらいことよね、後でもう一回話しましょう?」
「何で俺を睨みながら言うんだよ……」
右隣の楓くんを一瞥すると、またこちらに振り返って柔和な笑みを浮かべる千聖ちゃん。普段は凛として、私には分かるはずもない芸能界の厳しさを泰然と眺めているその表情が潰れて、女の子の顔になる千聖ちゃんのその雰囲気が、私はとても好きだった。勿論その
「女の子には男には知られたくない秘密もたくさんあるのよ?」
「……ふーん」
千聖ちゃんのそんな発言も興味がなさそうに受け流す楓くんは、ちょっとだけ拗ねたように口を尖らせる。
「……やっぱり向こう十年楓がモテることはなさそうね」
「あはは……」
「モテたいなんて誰も言ってないですー」
「……ふふっ」
苦笑いしか浮かべられない私と違って、千聖ちゃんはそのやり取りを本当に楽しんでいることが容易に伝わってくるぐらい、この三人の他には中々見せない笑顔を浮かべている。その笑顔はテレビで見られる笑顔とも違う。そして、楓くんも自然体でいるように笑っていた。それを微かにでも感じ取るだけで、胸が縛り付けられたように苦しくなって、けど、それがどこか暖かくて心地よくもあった。
私は一体、どうしたいのかな。
『女の子には男には知られたくない秘密もたくさんある』
私にも、楓くんには知られたくないけど、知って欲しい、そんな秘密もあるんだよって、臆病な私には言えるわけないのだった。
そして、この秘密は、できることなら千聖ちゃんにも知られたくはなかったのかもしれない。けど、やっぱり自分からはそんなこと、言えるわけがないのだった。少なくとも、それだけの長い時間溜め込み続けた思いの丈の葛藤を打ち明けるには、それ相応の引き金が必要で。何より、自分がそんな醜い感情をかけがえのない親友に抱いていることをその当の本人に告げられるほど私は勇敢ではなかったのだ。
校門脇の桜の花は散り始めたばかりだった。