入学式などの行事も終わって、普段通りの授業が帰ってきたある日の放課後。私は自分の芸能事務所から呼び出しを受けた。マネージャーから、テレビドラマへの出演が決まったとの連絡を昨晩受けたので、その打ち合わせかと思ったが、どうやらそういうことでもないらしい。
本当はお仕事が入っていなかったから花音とお茶をする予定だったはずが、突然の呼び出しによってドタキャンすることになったせいか、私の心はどことなく落ち着きがなかった。いつもよりも数倍重い足取りながらも事務所に辿り着いて、ミーティングルームの扉を開いた。
これが、私、白鷺千聖がPastel✽Palettesというアイドルの一人として歩みだす、その第一歩であった。
「そっか……、じゃあまずはドラムをしてくれる人を探すところからだね!」
Pastel✽Palettesとして活動することの概要を私はここで初めて知らされたわけだが、その計画はなんともお粗末なものだった。最近流行りのガールズバンドに乗っかるべくアイドル×バンドというジャンルを切り開こうと銘打った割には、私含め楽器を演奏した経験がまともにあるのは四人中たった一人。それどころかドラマーがそもそも不在。検討されている初めてのライブでは当て振り&口パク。確かに私も数ヶ月で他のバンドのベーシストと遜色ない程度にベースの技術を向上させろと言われれば、はっきり言って難しいだろうから仕方ない部分でもあるが、はっきり言って私には不安しかなかった。
「でもドラマーなんてそう簡単に見つかるのー? アタシみたいにオーディションで探せばいいと思うな!」
「今からもう一度オーディションで候補者を選抜する、というのは少し時間が厳しそうね。とにかくスタジオミュージシャンとか、経験者を当たってみるほかないでしょうね」
「そういえば先程スタジオからドラムの音が聞こえてきました! 皆さんで行ってみませんか?」
「そうだねイヴちゃん! 行ってみよっ!」
私以外の集められた三人は経歴こそ違えど、みんな元気一杯で、アイドルとしての活動に目を輝かせているように見えた。そう見えたのは私がこのアイドルという道に迷いがあるからなのだろうか。正直、自分の心すら分からなかったが、みんなについていくようにスタジオへ向かい、そしてスタジオで機材を調整していたドラマー、麻耶ちゃんを勧誘して、なんとか五人揃うことになるのだった。
今後の活動のことや、メンバー同士の自己紹介なんかを全部済ませてから家路につくと、すでに夜も遅くなっており、月も高くまで昇っていた。
「それじゃあまたね! 千聖ちゃん!」
「……えぇ。気をつけてね」
途中まで帰り道が一緒だった日菜ちゃんとも別れて、赤みも残っていない黒い道をひたすらに歩く。その間も考えることはただアイドルとして自分がやっていけるかどうかということだけであった。キャリアアップに繋がるのであれば、それは私にとってチャンスなのであるから是非とも大いにトライしてみるべきだろう。しかし……お世辞にも万全とは言えないような内容がスカスカのプロデュースで果たして私の求めるものはあるのだろうか。それに、私の顔はアイドルとしての顔だけではなく、心にも余裕がないというのが本音のところであった。
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『え……、私がヒロインって本当ですか?』
『はい、白鷺さんがヒロイン、主役も主役です』
『主役……』
Pastel✽Palettesの結成と同時にマネージャーから私に伝えられたのはあるドラマへのキャスティングだった。原作が相当有名な作品ということもあり、話題性もあるに違いない。これを成功させれば、間違いなく女優としてその名を馳せることだって出来るだろう。是が非でも、受けたい。……それが例えPastel✽Palettesというアイドルのお仕事が増えたとしても。
『それは……今の舞台のお仕事と、その、Pastel✽Palettesの活動と並行して、ということでしょうか』
『そうですね。ブッキングは避けるように調整はします』
勿論ブッキングなどはもっての外だが、果たして私に全てをこなせるキャパシティーはあるのだろうか? 問いかけてみても、全く答えは浮かばないけれども、私にこの大舞台を断るなんて考えはなく、お受けすることにした。
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「千聖? こんな夜に何してんだ?」
「えっ、……楓?」
私がそんなつい先程の悩み事を改めて悩んでいた時に、ふと交差点の街灯の明かりの下に現れたのは楓だった。予想だにしない人物の登場に驚きを隠せなかった私の顔はきっとひょうきんなものだったろう。
「……しかも何か浮かない顔してんだな」
「浮かない……顔?」
どうやら私は不安に押しつぶされそうな顔をしていたらしい。私は必死に表には出さないようにしていたはずなのに、付き合いが微妙に長くなりつつあるこの男には見抜かれてしまったのか。
「なんか悩みでもあんだろ。時間あるならちょっと公園でも行くか?」
「えっ、えぇ……」
私が断る暇もなく歩き出した楓の後を追って、曲がり角を曲がってすぐにある小さな児童公園に向かった。公園はすでに薄暗く、小さな子どもが遊んでるようなこともなく、ただ寂寥感の残る無機質な遊具だけがポツリと立っている。楓はブランコの近くまで寄ると、右手に吊るしていた食材やらの入ったビニール袋を脇に置いて、座ってゆっくりと漕ぎ出した。私もその隣のブランコに同じように座るのだった。
どちらからも言葉を発さない無言の時間が暫くすぎたころ、痺れを切らしたように楓が口を開いた。
「で、何があったんだよ?」
「……特に何かがあったと言うわけではないのだけれど」
そもそもPastel✽Palettesが始動することを部外者に教えていいのか分からなかったので、なんとなく暈して言ったつもりだったが、隣から飛んでくる目線は訝しげで鋭いもので、私は観念して話し始めた。
「今度ね、私、アイドルグループに入ることになったの」
「ふーん、そうか、それで?」
「……けど、私には他のお仕事だってある。女優としての仕事もこなしながらアイドルができるのか私には分からない……。だから、正直に言ってその話を受けようか断ろうか迷っているわ」
「……なるほどなぁ」
またもや暫く無言の時間が続く。こんな話楓にしたって解決するはずがないのに……大人しく話してしまった私がバカなのかもしれない。そう思ったところで、楓の口が開いた。
「まぁ、千聖のことだから、また損得勘定で考えてるのかもしれないけどさ、とりあえず頑張ってみればいいんじゃないか?」
「……口では頑張るとは簡単に言えるのだけれどね」
ちょっと分かられたような発言が気に障って、嫌味のように返してしまう。本当は親身になって話を聞いてくれるだけで心臓が飛び跳ねるほどに嬉しいというのに。
「ま、それはそうだけどな。でもさ」
「……でも?」
急に暗い夜空を見上げて、目を細めた楓の横顔をじっと見つめた。次に紡ぎ出される言葉を静かに待った。
「俺は、そうやってストイックというか、ひたむきな千聖がかっこよくてなんか好きだな。そっちの方が良いと思うぞ」
「……楓」
一体何に私は悩まされていたのだろうか。しかし私はなんと単純なのだろうか。楓からその言葉が聞けただけで、アイドルになる覚悟ができてしまったというのだから。それぐらい嬉しかったんだもの。仕方がないわよね。アイドル失格なのかもしれないけれど。
「千聖が頑張るってなら応援するぞ、俺はな。その代わりちゃんとやり切らなきゃダメだぞ?」
「……ふふっ、えぇ、分かってるわ。話を聞いてくれてありがとう」
「ん」
自然と顔の筋肉の力が抜けた。楓はこちらを見ることもなく、脇に置いていた買い物袋を手にとって立ち上がった。今はそれで良い、いつか、いつかきっと振り向かせてやるから。
「帰るか」
「……えぇ」
私も立ち上がって、先に歩き出した楓に追いつくように早歩きで歩き出す。
二人で歩く夜空には星が僅かに瞬いていた。