芸能事務所の窓から眺める街はすっかり暗く錆びて、明るいのは等間隔に並ぶ窓からのぽつりと漏れた灯りだけだった。初めてのライブに向けた最終調整、といっても私たちPastel✽Palettesが舞台の上ですることなんてMCぐらいしかないのだけれど。
「お疲れっ、千聖ちゃん!」
「えぇ、また明日ね、彩ちゃん」
無機質なミーティングルームの扉が閉まる音が響く。廊下から聞こえていた彩ちゃんの足音も聞こえなくなって、伸びをした私は窓際の椅子に腰掛けた。ただ一人そんな無機質な部屋に残る私の考えることといえば、既にみんな帰ってしまったPastel✽Palettesの活動のことだけであった。
数日後に迫ったライブも、当てフリだけの空虚なデビュー。私たちはライブに来てくれたお客さんを騙すだけの詐欺師でしかないのだ。正直に言えば、私のモチベーションは過去最低と言っても良かったかもしれない。
「……わっ。楓?」
窓の外の街を見下ろしていると不意に持っていたスマホが振動する。どうやら電話が来たらしく、その画面には『楓』の一文字だけが表示されていた。
「……もしもし」
『あっ千聖。今大丈夫か?』
壁にかかった時計の針は6時10分を指していて、私は肯定の返事をする。確かマネージャーさんと話があるのはあと数十分後だったはずだ。
「それで、急に電話なんて珍しいわね」
『まぁ、用事があったんだよ』
「用事って何かしら? 私も忙しいのだけれど」
本心では嬉しいはずなのに、それを悟られたくなくてあえて素っ気ない対応をしてしまう。こんなところでも、私は仮面を被って演じてしまう女優なのであった。
『へぇへぇ忙しいところにすいませんね、と。それで相談なんだけどさ』
「相談……? 何かあったの?」
楓の口から相談なんて言葉が聞く日が来るなんて、私はそんな呑気なことを考えてしまっていた。だからだろうか、楓の言葉を聞いて、すぐに意味が分からなかったのは。
『花音から、告白された』
「……え」
急に私の視界は黒く覆われて、外の宵闇に紛れ込む。スマートフォンの出す振動が私を揺さぶって、闇の底へと叩き落とした。
花音から、告白された? その文字列だけがひたすら私の脳内を反芻して、いやがおうにも私に残酷な事実を叩きつけた。
「そっか……」
花音が珍しく楓のことを話した、羽沢珈琲店でお茶をしたあの日。あの日の花音の言葉はやっぱりそういう意味だったんだ。花音の背中を押したことに後悔はない。後悔はなかったつもりだけれど、アイドルに恋愛はご法度だなんていう堅くて頓珍漢な理屈で自分を半分納得させたふりをして、自分の気持ちを抑え込んだ自分が、今だけはとてつもなく憎かった。
辛い。胸が内側から食い破られるように痛い。けれど、何か返さなくちゃいけない。楓の答えを聞かなくちゃいけない。そう思って、無理やり腹の底から息を絞り出した。
「それで……どうするの?」
『俺さ、受けようと思うんだ。花音の告白』
「……そう」
私の儚い初恋が砕け散った瞬間だった。こんなにも無常なのね、恋が終わる瞬間って。けれど不思議と嫌になるくらい客観的に恋敗れた自分のことを眺めていた。
『けどさ、花音と関係性壊すの怖いんだよ』
「……えぇ」
何もかも掠れて聞こえる。相談なんて聞きたくなかった。
『微妙な距離感とかなんねぇかな、大丈夫かな』
知らないわよ。自分で考えなさいよ。
『……? なぁ千聖、聞いてるか?』
「白鷺さん、お疲れ様です」
ノックの音とともにマネージャーさんが入ってきた。咄嗟に窓に映った自分の顔を澄ました顔に戻して、スマートフォンに視線を戻す。
「……大丈夫よ、きっと」
『うん、だよな。ありがとな千聖』
「……えぇ」
ぴっ、と力なく通話を切る。私だってこの燃え上がるような恋の気持ちを楓に伝えたかった。伝えることが果たして許されるかどうかなんて分からないけれど、それでも願わくはこの恋が叶って欲しかった。
けれど私は白鷺千聖だから。Pastel✽Palettesの白鷺千聖だから。そんな淡くて儚い気持ちはさっきまで黒いガラスに映った悲壮な顔と一緒に霧散させた。仮面を着けようにも、酷く落ち窪んだこの顔を隠せる仮面などなかった。
どうして、私に相談なんてしたのよ。
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夜の住宅街を足早に行く。花音に返事を告げに行くためだった。
俺がずっと気がかりだった、今の心地よい距離感を壊さないかどうかの不安は、千聖の言葉で一気に掻き消されてしまった。
ものの5分も歩けば、新しめの一軒家にたどり着く。ぼんやりと街灯に照らされた表札には『松原』の文字が刻まれており、その隣の呼び鈴をそっと押した。途端にドタドタと音がして、玄関の扉が開く。
「……えへへ、待ってたよ、楓くん」
「花音」
石段を降りる花音のサイドテールは縦に大きく揺れていた。それに見惚れているとすぐに触れられる距離に、花音はいた。
「……返事が欲しいな」
「花音、俺は」
ゴクリと生唾を飲み込んだ。告白って、こんな緊張するのか。花音の不安げな瞳が俺をじっと見つめていた。
「俺、花音のこと、好きだ」
「……うんっ、ありがとぉっ」
花音の目は閉じた瞬間、大粒の涙が溢れていた。勢いよく体重を預ける花音の肩をそっと抱き留めた。
「楓くんっ、私も大好きっ!!」
恐らく嬉しさからきたであろう花音の涙は温かいまま俺の羽織る上着に染み込んでいく。花音の柔らかな体を、俺の腕が全て包み終えた。逆に俺の背中は花音のか細くて折れそうなほど華奢な腕によって包まれていた。けれど、その腕は不思議と力強かった。
「ん、ありがとな、花音」
俺がそう短く礼を返すと、花音の腕の力は一瞬強くなったが、やがて抜けてしまって俺の体に引っかかるだけとなってしまっていた。花音の頭は俺の胸へと完全に埋められてしまっていて、髪の一本一本が見えるほど近くにある淡水色の頭をそっと撫でた。
「……ふふ」
「……ん」
撫でられたからか、やたらと上機嫌な花音は首を上げて、透き通るような瞳が俺の目を刺した。純粋無垢なその視線は心の奥底まで貫いてくるにいたった。
どれほど見つめあったか分からなかったが、まるで俺たちは予定調和の如く導かれるかのように、深赤の誓いを立てた。触れなさそうで触れるような、微妙な距離を楽しむように、唇は重なり合った。