マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第一話 黒ずくめの男

その日の予約をすべて無事終わらせたARIAカンパニーのプリマ・ウンディーネ、水無灯里は、沈みかけている夕日をふと振り返り、目を細めた。

 

「明日も晴れるといいなぁ」

 

このままゴンドラを進めれば、暗くなる前にARIAカンパニーに到着しそうだと、灯里は少しの安堵を抱えていた。

 

少し前方に見える船着き場のそばに、誰かひとり、人が立っていた。

黒いジャンパーに黒いズボン、黒いニット帽を被っていた。

その上、近づくことでわかったのだが、黒い大きなマスクを着けていた。

 

まさに全身黒ずくめだった。

 

灯里のゴンドラが近づくと、うつむいていた顔をあげた。

視線が灯里に向けられる。

 

灯里は、その目に魅入られたように見つめ返していた。

オールを漕ぐ手は止まり、ゴンドラがゆっくりと進んで行く。

 

そして、そのままその男の前を通りすぎようとした。

 

「ちょっと」

「はひっ」

「そこの」

「はぁ」

「ウンディーネさん」

「はぁ」

「ちょ、ちょっと!」

 

ゴンドラは、その黒ずくめの男の前を完全に通りすぎようとしていた。

 

「ああ~スミマセン~~。ついうっかりしてしまいました~」

 

灯里は、急いでゴンドラをその男の前まで戻した。

 

「ウンディーネさん、こんな時間に悪いけど、乗せてもらえないだろうか?」

 

その言葉は、見た目の印象とは違い、優しく丁寧な口調だった。

 

「そうですねぇ。このあとは特に用事もありませんので、構いませんけど」

「よかった。助かる」

「ちなみに、行き先はどちらですか?」

「サンミケーレ島」

 

灯里はギクッと固くなっていた。

灯里の脳裏に過去の記憶が甦ってくる。

 

こんな時間に、なんで墓地の島へ?

 

「ウンディーネさん?僕は幽霊でもなんでもないから心配いらないよ」

「えっ?」

 

まるで灯里の心の中を見透かしたようだった。

 

「いいかな?」

「は、はい。それでは、お手をどうぞ」

 

灯里の差し出した手の上に重ねられた手は、黒の皮の手袋がつけられていた。

夜風のせいなのか、その男の冷えた指先が、まるで灯里のからだの芯まで凍らせるようだった。

 

ゴンドラに乗り込んだ背中は、最初の印象よりも痩せた感じに見えた。

だが、静かに座るその後ろ姿は、なぜかとても存在感が感じられ、気になってしまい、目が話せない。

 

すっかり暗くなった海を進む灯里には、水を漕ぐオールの音だけが聞こえてくる。

進路を知らせる誘導灯が点滅し、その唯一の道しるべが心の頼りとなっていた。

 

まるであの時のよう・・・

 

不安な気持ちのまま、前方に船着き場を知らせる灯りが見えてきた。

ゆっくりとゴンドラを寄せた灯里は、安堵のため息をついた。

 

「お客様、サンミケーレ島に到着です」

「ああ、そうだね」

 

灯里の手を借りて船着き場に降りた男は、スッとその場に姿勢よく立った。

 

「ありがとう、ウンディーネんさん。ご苦労さま」

 

そう言った男は、ズボンのポケットから、折り畳んだ数枚の紙幣を取り出すと、そのうちの一枚を灯里に渡した。

 

「お客様、これは頂きすぎです」

「別に構わない。無理を聞いてくれたお礼だと思ってくれたらいい」

 

灯里は手にした高額紙幣と男を交互に見つめていた。

 

「それとウンディーネさん?」

 

男は灯里の手首をぐっと掴んだ。

 

「えっ?」

 

灯里の脳裏に悪夢が甦る。

 

「明日の朝、迎えに来てもらえないだろうか?」

「はひっ」

「今日はこのままお墓の前で夜を明かすつもりなんだ」

「そ、そうなんですか・・・」

 

翌朝迎えに来る約束をして、灯里はサンミケーレ島を離れた。

ゴンドラの上で、安堵のため息をついた。

 

だが、約束通りに翌朝サンミケーレ島に来た時には、男の姿はどこにも見当たらなかった。

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