マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第十二話 初仕事と深紅のドレス

朝からよく晴れ渡った陽の光が、表の通りからロビーへと差し込んでいた。

 

ホテル・ネオ・ヴェネツィアーティーは、ここ最近の出来事が嘘のように、穏やかな雰囲気で包まれていた。

 

ロビーの一角でぎこちなく立っていた水無灯里は、昨晩アデリーナから受けたレクチャーを、朝から頭の中で何度も繰り返していた。

 

普段プリマ・ウンディーネとして観光案内をしている灯里にとって、客と接すること自体は難しい話ではなかったが、それがホテルとなると勝手が違う。

 

唯一頼りになる言葉が、アデリーナからもらったアドバイスだった。

 

「いつもプリマとして接客しているときのようにやってもらえたら問題ないと思う。あなたならきっと大丈夫」

 

当初灯里のことを疑問視していたアデリーナから、そんな言葉がかえって来るとは思ってもみなかった。それだけに灯里のとってはうれしい誤算だった。

 

「あのー」

「はひっ」

「ちょっと、いいですかな?」

「あわわわ~」

「あわわ?」

「あ、あの、どうぞ!」

 

突然客から声をかけられ、戸惑う灯里。

いつものプリマの姿はどこかへ行ってしまっていた。

 

「ちょっとお訪ねしますが、あなたとどこかでお会いしたことはなかったですかな?」

「私とですか?」

「そうなんだが。さっきからその事が気になっていてね」

「はぁ」

 

もちろん、ここで灯里が本当はウンディーネだと言えないことはわかっていた。

 

だが、おそらくこの客は、どこかでARIAカンパニーのプリマ・ウンディーネ、水無灯里と会っていたのだろう。

あのアリシア・フローレンスの後を継いだだけに、最近は徐々にだが、世間に知られる存在になっていた 。

 

灯里は、その客とは適当な世間話を交わしてその場で別れた。

 

「あれ?灯里ちゃん?」

「いえ、人違いかと・・・」

 

今度ははっきりと名前で呼ばれてしまった。

 

「やっぱり、灯里ちゃんだ」

「似ているんですかねぇ、その人と」

「何してるの?こんなところで」

「いえ、あの~」

「もしかして、バイト?」

「えっ、そんふうに見えますか?」

「なんかね。上手くいってないのかい?仕事の方は」

「そんなことはないです・・・はっ!」

 

灯里は思わず両手で口を押さえていた。

 

「頑張ってね。応援してるからね」

 

最後は慰められてしまった。

 

灯里はその場でぐったりとうなだれてしまった。

 

その時、休憩から戻ったアデリーナと目があった。

カウンターのところから、灯里に向かって微笑んでいた。

 

灯里は、何事もなかったように微笑み返した。

自分でもぎこちない笑顔だと感じるほどだったが。

 

だが、アデリーナの前には、すぐに客が現れた。

アデリーナがそちらに集中し始めたことに、灯里は、少しほっとしていた。

 

「ウンディーネさん?」

「はい、いかがされ・・・はひっ!」

 

灯里は反射的に答えてしまった。

額から汗を流している灯里の前には、あの老婆が立っていた。

 

「あの~なんで私のこと、ウンディーネだと・・・」

「やっぱりそうだったのですね?」

「知ってるんですか、私のこと?」

「そうじゃないかと思ったんだけど、違ってたら悪いと思ってね。だから言わなかったんだけど」

 

灯里は、その老婆とロビーの端の方のソファーに腰かけた。

 

灯里が手を貸そうとしたが、その老婆は大丈夫と言わんばかりに手を大きく振って断り、自らソファーに座った。

 

灯里はそのそばのソファーに座った。

 

「ネオ・ヴェネツィアにはこれまで何度も来ているの」

「そうだったんですか」

「主人が旅好きだったこともあって、ここには思い出も多いわ」

「それでは今は・・・」

「今はひとりで、旅行をしながら余生を楽しんでいるところよ」

 

その老婆はソファーにゆったりと座りながら、外から差し込んでくる陽の光に目を向けていた。

そして、ゆっくりとロビーの様子を見回した。

 

「ここはいいわね。ゆっくりと落ち着いていられる」

「そうですね。私もそう思います」

「そう?」

「はい!」

「それでウンディーネのあなたが、どうしてここにいるのかしら?」

「ああ~~それは~~なんと申しましょうか~~」

「はははは!」

「どうも、すみません」

「別に謝らなくてもいいわ。何か理由があるのよね、きっと」

「はい・・・」

 

灯里は恐縮しきりだった。

老婆はその灯里の困った顔を見て笑っていた。

 

「あなたのような人と、もっと早く出会ってたらよかったのかも・・・」

 

その老婆は、ぼんやりとそう呟いた。

 

灯里はそんな老婆の横顔を見ながら尋ねた。

 

「お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、なんでも聞いてもらっていいわよ」

「わたし、お客様をゴンドラにお乗せしたこと、ありましたでしょうか?」

「あるわ。もちろん。だから覚えていたんだと思う」

「それって、いつ頃のことでしょうか?かなり以前のことですか?」

「そうね。結構前だったと思う。はっきりしなくて悪いのだけど」

「いいえ、こちらこそ失礼なことをお聞きして申し訳ありません」

 

灯里は、恐縮した表情でその老婆の方に顔を向けた。

だが、なぜかすっきりしない何かを抱えているような顔だった。

 

「どうかしたの?」

「あ、いえ、その・・・」

「何?」

「一度だけですか?お乗せしたのは」

「そうね。たぶんだけど。それがどうかしたの?」

 

灯里は少しためらうような仕草をみせた。

 

「私の勘違いだと思います」

「勘違い?」

「はい。何度か私のゴンドラにに乗っていただいたような気がしたもので」

 

そう言った灯里は、穏やかな表情でその老婆に微笑んでみせた。

 

老婆は、そんな灯里をぼんやりと見つめ返していた。

 

「そうなのね」

 

その時、フロントの方から何やらざわついた様子が聞こえてきた。

 

灯里はその場で立ち上がって、フロントの方に目を向けた。

 

カウンターの中央に位置するところで、アデリーナが応対してる目の前に、一際目立つ姿の女性が立っていた。

 

長い黒髪とつばの大きい帽子、大きめのサングラスで顔は覆われていたが、遠目からでもわかるくらいの存在感が、多くの人の目を引き付けていた。

 

アレッサンドラ・テスタロッサ。

 

新進気鋭の女優がホテルのロビーに姿を現せば、いやがうえにも注目の的となってしまう。

アレッサンドラのトレードマークとなっている色の、深紅のドレスがその美しさをよりいっそう際立たせていた。

 

「初めて目の前で見ました。やっぱりキレイですねぇ」

 

灯里はうっとりした表情で見とれていた。

 

「私のウンディーネの友人が、実は直接会ってるんですけど・・・」

 

そう言って灯里が振り返ったところには、いるはずの老婆の姿が、そのソファーから消えていた。

 

「すみません!灯里さーん!」

 

フロントからアデリーナの呼ぶ声が聞こえた。

 

「灯里さん、お願いします!」

 

カウンターでは、新たな客に追われているアデリーナの姿があった。

 

そしてそのすぐそばには、小さめのトランクから長く伸びた取手に手を置いたアレッサンドラ・テスタロッサの姿があった。

 

灯里は焦りの表情で周りをキョロキョロ見回していた。

 

ロビーにいた従業員の誰もが忙しく動き回っていた。

 

手の空いているのは、当然自分しかいないとすぐにわかった灯里だったが、アデリーナが自分に対して、必死な声で呼んだ理由も、その周りにはベルボーイも誰もいないアレッサンドラの姿を見れば、察しがつくのも当然といえる状況だった。

 

「やっぱりそうですよね」

 

灯里は意を決したように一歩前に踏み出した。

 

だがその瞬間、その視線の先に立っている人物の真っ赤な色が、急激に鼓動を早くさせるのだった。

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