マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル   作:neo venetiatti

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第十三話 指先の感触

フロントクラークの制服を身にまとった水無灯里は、そのトランクから伸びた取手を持って、アレッサンドラ・テスタロッサの少し前を歩いていた。

 

フロントのそばでアレッサンドラに挨拶した時、軽く会釈だけ返してきた彼女の姿に、灯里は改めてそのオーラを感じずにはいられなかった。

 

エレベーターが到着すると、アレッサンドラに続いて灯里も乗り込んだ。

 

近づいた時から気になっていた香りが、二人っきりになったエレベーターの中に一気に充満した。

 

〈ああ~いい香りぃ~!やっぱり女優さんて違うんですねぇ~〉

 

心の中で思わず呟いていた灯里は、一瞬口から漏れていたのではないかと気になっていた。

 

「あの」

「は、はい!」

 

押しボタンの方に向いて立っていた灯里は、背後から声をかけられ、不意を突かれたように驚いていた。

 

〈やっぱり聞かれてたのかも・・・〉

 

灯里は振り返ると、とてもいい印象の笑顔で答えた。

 

「いかがなさいましたでしょうか?」

「ちょっと気になることがあるのだけど」

「はい。えっと、どのような件でしょう・・・」

 

アレッサンドラは、おもむろにその顔の半分を隠していた大きなサングラスを外した。

灯里に向けられたその瞳はとても大きく、輝きに満ちていて、相手を圧倒する力強さがあった。

 

「あなた、ARIAカンパニーの方よね?」

 

その一言に、灯里の身体は固まってしまった。

思わずクルリと反転し、押しボタンの列に額をぶつけた。

 

「あ、いえ、そのぉ、人違いではないかと・・・」

「先日は、アリスさんに大変お世話になって。ちゃんとお礼も出来てないの」

「はぁ」

 

アレッサンドラは、一生に一度しか手にすることができない、ネオ・ヴェネツィア国際映画祭の新人賞を獲得していた。

 

その時のプレゼンターが、ウンディーネの歴史で初の大役を担うことになった、オレンジぷらねっとのアリス・キャロルだった。

 

授賞式の後で、アレッサンドラは過去ウンディーネを目指していたことを明かしていた。

そして、残念ながらそのウンディーネにはなれなかったアレッサンドラが憧れていたのが、アリスだった。

 

そのアリスから受賞のトロフィーを受けとる。

 

アレッサンドラがアリスを、半分無理矢理ハグした時の写真が、その当時、かなりの話題となっていた。

 

「あなた、アリスさんとお親しいのよね?」

「ええ、まあ、親しいといいますか、なんといいますか・・・あっ!」

「違うの?」

「私はただのフロント係で・・・」

「あのARIAカンパニーの水無灯里さんでしょ?」

「まあ、そんな名前だったでしょうか・・・」

「てっきりそうだと思ったのだけど・・・」

 

アレッサンドラは、手に持っていたサングラスを再びかけ直した。

 

灯里はアレッサンドラに背をむけたまま、ゆっくりと息を吐き出した。

 

エレベーターが最上階のスイートルームに到着した。

 

カードキーを差し込み、ドアを開けると、ストッパーで固定して中に入っていった。

アデリーナにレクチャーを受けた通り、部屋の中を一通り見回し、異状がないかを確認した。

 

後に続いて入ってきたアレッサンドラは、サングラスを外し、中の様子をぐるりと見渡した。

 

「いいお部屋ね」

「ありがとうございます。お荷物はこちらに置いておきます」

「ありがとう。ご苦労様。これ、気持ちだけなんだけど」

 

アレッサンドラは灯里にチップを渡そうと、そのすらりとした白い手を差し出した。

 

「えっと、これは受け取ってもいいのでしょうか・・・」

 

戸惑っている灯里を前に、アレッサンドラはじっと灯里を見つめたまま、身じろぎもせずに立っていた。

 

「それでは遠慮なく、ちょうだいします」

 

灯里は丁寧な口調で、遠慮がちに両手を差し出した。

 

その手の上に、アレッサンドラはそっと数枚のコインを置いた。

 

その瞬間、アレッサンドラの指先が灯里の手に触れた。

 

灯里は、そのほんの指先ひとつの感触に表情が変わった。

 

「ありがとう。もういいわ」

 

アレッサンドラの言葉に、灯里は、はっと我に返った。

 

「失礼します」

 

灯里は、ドアのストッパーを外し、振り返って一礼しながら、ドアを閉じようとした。

 

すると、ドアが閉じるその寸前、その隙間からアレッサンドラの声が聞こえた。

 

「アリスさんによろしく」

 

 

 

 

灯里は、一階のロビーに戻ってきた。

 

そこで「ふぅ~」と大きく息をついた。

 

「灯里さん、お疲れ様。どうだった?」

 

アデリーナがそばまで来ていた。

 

少し心配そうにしている表情だったが、灯里の顔を見て、安堵しているようだった。

 

「少し緊張しました」

「そうね。アレッサンドラ・テスタロッサ様のような、著名なお客様は、これからもお越しになる機会があると思うの」

「そうなんですねぇ~」

「そうね。でもいつも通りやっていれば大丈夫だから」

 

アデリーナの言葉を聞いてはいたが、灯里はどこか上の空といった顔をしていた。

 

「ほんとに大丈夫?何かあったの?」

「あった、というほどではないのですが・・・」

「どういこと?」

「指が」

「指?」

「はい。チップを渡そうとされたのですが、受け取ろうとして手を出した時に、アレッサンドラ様の指が私の手に触れて、それで・・・」

「それでどうしたの?」

「いえ、別に何もなかったのですが、緊張したと言ったらいいか、なんていうか・・・」

 

灯里は、どう言えば上手くアデリーナに伝わるのか、言葉が見つからなかった。

 

「でも、灯里さんもプリマ・ウンディーネとして、いろんなお客様と接してきたわけでしょ?」

「それはそうなんですが」

「まあ、アレッサンドラ様のような方は、そう滅多に遭遇することはないかもだけど」

 

アデリーナはそんなこともあると言いたげな顔をしていた。

 

「冷たかったんです」

 

灯里は、アデリーナが続けようとした言葉を遮るように呟いた。

 

「冷たいって、アレッサンドラ様が?」

「指です」

「さっきの指のこと?」

「はい」

「それがどういう・・・」

「心の底まで見透かされたような、と言ったらいいでしょうか」

 

アデリーナは少し困惑している灯里の顔を、まじまじと見つめた。

 

「灯里さんて、詩人ね」

「わ、わたしがですか?」

「そうよ。いくらアレッサンドラ・テスタロッサが目の前に現れたからといって、そんなふうに表現しないわよ。私なら尚更だけど」

「そう言われれば、そうかもしれませんが・・・」

 

灯里はアデリーナに言われた言葉に、苦笑いの表情を浮かべていた。

 

「でも、灯里さんがそう感じたのなら、何かあるのかもしれないわね」

「何か、ですか?」

「だって、灯里さんがなぜここにいるのかという理由。それがあるわけでしょ?」

「はぁ。それはそうですけど」

 

その時、アデリーナが何かに気付いて、ロビーの中央付近に目を向けた。

 

「あの人、また!」

「はひっ!」

 

アデリーナの目線の先には、アロンソがいた。

 

アロンソのそばには、にこやかに微笑んだ中年の男性がひとり立っていた。

だが当のアロンソは、その男性に背を向けて、無愛想な表情をしている。

なのにその男性は、そのアロンソの背中にむかって、にこやかな表情のまま話しかけていた。

 

「ちょっと、行ってくる」

 

アデリーナは、まるでヒールで床を蹴るように、つかつかとアロンソ目掛けて進んで行った。

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