マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
アロンソと、そのアロンソと親しげに話す中年の男性は、そのままロビーを抜けて、関係者入口の方へと向かって歩いていた。
アデリーナはアロンソの後をロビーの途中まで追ってきたが、片方の眉毛を上げて、不思議そうにその二人の姿を目で追っていた。
「なにあれ?なんであんなところに向かってるの?」
その後を追っていこうかとしたアデリーナは、呼び止める声に思わず足を止めた。
「ちょっと、いいですかな?」
振り返ったところには、数日前にアデリーナ自身が応対したあの老紳士アダルベルトが立っていた。
「失礼しました、お客様」
「お忙しいところ、申し訳ないのだが」
「いえ、どうぞ何なりとお申し付け下さい」
「そうですか?それなら少し頼みたいことがありましてな」
アデリーナは、アダルベルトとすこしばかりその場で話し込むと、そのままエレベーターホールへと向かった。
二人は笑顔のまま、楽しそうな表情でエレベーターに乗り込んだ。
灯里は周りを見渡すと、そのままゆっくりとロビーの中央付近に出てきた。
まだ誰が捜査員で、誰がホテルの従業員なのかハッキリとはわかっていないため、周辺にいるホテルの格好をしている人物が目に入ると、どうしても気になってしまう。
「あの人は確かホテルの人で、こっちの人は警察の・・・」
もし何かあったら、誰に何をいえばいいんだろう。
アデリーナもアロンソも姿が見えないことに気づいた灯里は、いっぺんに不安な気持ちが押し寄せていた。
だがそれでは、ホテルの従業員には見えない。
灯里は、気を引き締めるように、背筋をピンと伸ばした。
その時、正面のガラス扉が開いた。
少し小柄な、銀色の長い髪の少女と、そのすぐ後ろに寄り添うように、二十代半ばくらいの女性が姿を現した。
少女は水色のミニハットを頭に付け、膝下まであるスカートの、同じ色のドレスを着ていた。
ロビーには一輪の花が咲いたように、華やいだ雰囲気になっていた。
それに比べると、「お付きの人」という印象の女性は、黒のワンピースを身にまとい、少女とは対照的にとても地味だった。
物怖じすることなく歩くその少女は、ロビーの真ん中を悠然と歩いていた。
そして、灯里の前までやってくると、ピタッと動きを止めた。
「ちょっとそこのあなた」
少女は前に顔を向けたまま、横に立つ灯里に話しかけた。
灯里はというと、女の子の姿に口を開けて見とれていた。
「ねえ、ちょっと、そこ・・・聞いてるの!あなた!」
「はひっ!」
「はひって何?」
「私ですか?」
「あなたよ、あなた!決まってるでしょ!どういうおつもり?」
灯里は恐縮しまくっていた。
ホテルの従業員の中で、敏感に反応する姿が何名かいた。
その中のひとりのベルボーイが、イヤホンに指を押し当てていた。
「あなたにお尋ねするわ」
「は、はい」
「いいかしら?」
「どういったご用件で?」
「ご、ご用件でって、あなた、ホテルに来た客にどういった用件があるというの?」
「ああ~それは~失礼しました~~」
「いったいこのホテルはどうなってるのかしら?」
その少女は見た目とはかけ離れた高慢な物言いが、ものすごい違和感を醸し出していた。
いったいどうしたらこんな少女が生まれるのだろう・・・
その少女を見た誰もが、きっとそう思うに違いない。
それくらいインパクト大だった。
「じゃあ言うから、ちゃんと聞いてるのよ。いいわね?」
「はい!どうぞ!」
「なんか、調子が狂うわよね」
「大丈夫です」
「何が?」
「ちゃんとお聞きしていますから」
「当たり前よ!」
少女はため息をついた。
「それで」
「アリーチェお嬢様?」
「そう、私はアリーチェお嬢様・・・アルマ!なんでそんなタイミングで入ってくるの!」
アリーチェと呼ばれた少女は、くるっと振り返ると、その呼んだ本人をにらみつけた。
「あなたはいつもそう!大事な時にタイミング悪く話に入って来る!いったいどういうおつもり?」
アルマと呼ばれたその女性は、申し訳なさそうにゆっくりと頭を下げた。
「お嬢様?お怒りになられるのは、ごもっともではございますが、そろそろお時間が迫って来るかと」
アリーチェはその言葉を聞いて、アルマが差し出した懐中時計に目を向けた。
「アルマ?なぜもっとそれを早く言わないの?」
「お屋敷を出る前に、お嬢様が熊のぽーちゃんのぬいぐるみを、お持ちになるかどうかを1時間悩まれたことが主な原因でございます」
「なんでそれをここで言うの!」
近くのソファーに座っていた男性が、手に持っていた雑誌で顔を隠しながら、思わず吹き出していた。
「ちょっとあなた!」
「はいー!」
「時間が迫ってるから手短に申し上げるわ!いいわね?」
「はい。ですが、何かお急ぎなんですか?」
「もう間もなく、お嬢様のおねむの時間でございます」
「オネム?」
「アルマ!余計なこと、言わなくていいの!」
そう怒鳴りながら、後ろからアルマが再び差し出した懐中時計に目を向けた。
「ゴ、ゴホン!じゃあお望みの用件を言うから」
アリーチェは、灯里を見上げるようにして顔を向けた。
「このホテルの最高級ルームを用意してちょうだい。今すぐ」
「最高級ですか・・・」
「そうよ」
灯里はどう返事していいか迷っていた。
アデリーナからネオ・ヴェネツィアーティーの保有している部屋の構成は、一応は耳にしていた。
だが、観光シーズン真っ只中の繁忙期となると、アクア全土だけでなく、マンホームからの観光客も激増している。
そうなると、最高級スイートなどは、確保するのがむずかしくなってくる。
しかも最後の砦だった最高級エグゼクティブ・スイートは、アデリーナが先日の、傲慢な客をなだめるための方法として使ってしまっていた。
「お嬢様?そろそろおねむのお時間です」
「だからアルマ!言い方!」
灯里は、二人の間で額から汗を流しながら、あたふたしていた。
「もうその辺でよろしいんじゃなくて?」
紫色のワンピースに身を包んだ女性が、ロビーの空気を一変させるほどのオーラを放って、目の前に立っていた。
「ちょっと、あなた、なんなの?」
アリーチェは、自分を見下ろすように悠然と立つその姿に、明らかに苛立ったいた。
「お嬢様?アレッサンドラ・テスタロッサです」
「わかってるわよ!それくらい!」
顔の全てを隠さんばかりの大きなサングラスを、アレッサンドラはゆっくりと外した。
その大きく、そして輝きを放つ威圧的な目が、アリーチェを視界に捉えていた。
「お部屋なら、私が譲って差し上げてもよろしいですわ」
「なんですの、その言い方は!」
「お部屋が無くて、お困りなんでしょ?」
「別に困ってるわけじゃありません!」
「そうだったわね。困ってるのではなく、困らせている方だったわね」
「なんなんですの、このひと!」
アレッサンドラは、両手を腰に当てて、余裕のポーズを決めていた。
アリーチェは、大声を出しながらも、そのアレッサンドラに押されるように、少し後退りしていた。
「アレッサンドラさん!いくら名家の出身だからって、いい気になってるんじゃ」
「お嬢様?タイムアップです」
「なくて・・・」
アリーチェは、目をパチクリとしばたかせ始めた。
「お、お客様!大丈夫ですか?」
「お気になさらず。いつものことです」
「いつもの、なんですか?」
そうしているうちに、アリーチェは足下からガクッと崩れ落ちた。
「はひっ!」
だが、その小さな身体をアルマはスッと抱き上げた。
「タイムアップって、本当だったんですね」
アルマは冷静な眼差しで灯里の前に一歩歩み出た。
「フロントクラークの方?どこでも構いません。お部屋をご用意していただけますか?」
「それなら、私の部屋を使ってください」
アレッサンドラはサングラスをかけながら、さりげなくそう言った。
「今からお部屋を用意するの、面倒でしょ?」
「でもお客様が」
「私のことは気にしなくていいの。別になんとでもなるから」
アレッサンドラは、そう言ってホテルの外へ向かって歩きだした。
「灯里さん?今度、時間を作っていただけませんか?」
灯里のそばを通るとき、灯里の耳元にそっと呟いていった。
「アレッサンドラさん・・・」
灯里は茫然とその美しすぎる後ろ姿に見とれていた。
「ああ、いい匂いですぅ~~」