マスカレード・ヴェネツィアン・ホテル 作:neo venetiatti
アロンソは、ロビーで一緒になった中年の男とホテルのバックヤードにいた。
アロンソより少し背丈が低く、その背中越しに、とても親しげに話しかけていた。
「あんた、よく我慢してんな?以前のあんたからすると信じられないよ」
「アールド、あんまり大きな声を出すな」
アロンソは、そのアールドと呼んだ男に、邪魔者でも見るかのような視線を向けた。
「なんだ、久しぶりなのに冷たいなぁ」
「用件は?」
「そんな急がなくてもいいじゃないか?」
「わかってるんだろ?ここで何が行われているのか」
「だから顔を拝みに来たんだよ」
「相変わらず悪趣味だな。あんたって人は」
「まあ、そんなカリカリしなさんなって」
アールドはアロンソの肩を軽く叩いて、辺りに視線を巡らした。
「もう現れてるんじゃないの?」
「何が?」
「何がって、犯人に決まってるでしょ?」
「なんでそれを・・・」
「図星か」
「ちっ」
アロンソは横目でアールドを睨みながら舌打ちした。
「それで目星はついてんの?」
「なんであんたに言わなくちゃいけない」
アールドはニヤッと笑うと、怖い顔をしているアロンソの方に顔を向けた。
「最初は冷やかしだったんだけどね。あんたのその顔を見てると、なんかちょっと昔を思い出しちゃってね」
「昔?」
「あんたとバディ組んでた頃のこと」
「確かに昔のことだ」
「でもこの件は、ちょっと違うって顔してる」
「あんたに何がわかるっていうんだ?」
「わかるさぁ!いろいろ苦労させられたからね。でも、楽しませてもらったことも多かった」
「これ以上用がないなら戻るから」
アロンソはそう言ってその場から行こうとした。
「ちょっと待ちなって」
アールドはアロンソの肩を掴んで引き留めた。
「ウンディーネが目撃者なんだろ?しかも、ほぼ唯一の」
「あんた、いったいどこまで知ってるんだ?」
「まあ、そこは詳しくは話せないところだけどね」
「それで?」
「それでね、その目撃された翌朝、まだ暗いうちにゴンドラを見かけたっていう話があるらしいんだけど・・・」
「あのウンディーネが迎えにいくという約束でって」
「ウンディーネさんが働く時間じゃないんだよ、それって」
「じゃあなんなんだ?」
「それ以上はわからない」
「本当なんだろうな?」
アロンソは怖い表情でアールドに詰め寄った。
「どっちが?時間?それとも話そのもの?」
「どっちもだ!」
「おお、怖い怖い。ここまで来て、なんでウソなんかつく必要があるの?いい情報だと思ったんだけどなぁ」
アロンソはアールドから離れると、ふぅーっと息を吐いて通路の壁にもたれかかった。
「なんでそんな情報をこっちに流すんだ?」
「だから言ったろう?あんたの顔を見てたら、なんかおもしろくなってきたからだって」
アールドはそう言って背を向けると、手を振りながらその場を去っていった。
アデリーナは、老紳士アダルベルトの部屋の前でじっと待っていた。
アダルベルトとにこやかな表情でロビーからエレベーターに乗った彼女は、彼からの頼みを聞くため、部屋の前までやって来たわけだが、思ったよりも時間がかかっていることに、少しため息をついていた。
〈何かあったのかしら・・・〉
すると、その目の前のドアがおもむろに開けられた。
「すまないねぇ。時間がかかってしまって」
「いえ、お気遣いなさらずに」
そう言ったアデリーナは、手ぶらのアダルベルトの、その手元を不思議そうに見ていた。
「アデリーナさん、申し訳ない。予定が変わりそうなんだ」
「と申しますと?」
そもそもアデリーナがアダルベルトに呼ばれたのは、孫へのプレゼントを一緒に考えてもらえないかという相談のためだった。
以前からネオ・ヴェネツィアに行った際には、何か買ってきてほしいとせがまれていたという。
だが、部屋まで来てみると、仕事の連絡があるから少し待っていてほしいとアダルベルトがそう言ってきた。
そのため、アデリーナは部屋の前でまちぼうけを食らうはめになっていた。
「実は急用ができてしまってね」
「そうなんですか」
「だから時間が取れそうにないんだよ」
「それはご心配なく。お仕事のほうが大事です」
「こちらから頼んでおいて悪いねえ」
「またいつでもおっしゃって下さい」
「そうだね。そうさせてもらうよ」
「その時はまた、お孫さんの話を聞かせてください」
アデリーナは、アダルベルトのすまなさそうにしている表情に笑顔で応え、その場をあとにした。
灯里は、ロビーの真ん中で必死の表情で汗をかきまくっていた。
「あのートイレどこですか?」
「ああ、それはあちらの方へお進みください」
「お土産って、どこに売ってるんですか?」
「それは~、ええと~、お土産屋さんへ行ってください~」
「ここって、何がおいしいの?」
「それはもう・・・おいしいもの、いっぱいですよ~~」
「アレッサンドラがここに泊まってるってホント?」
「そ、それは、どうなんでしょうかぁ~~エヘヘヘ」
「ネオ・ヴェネツィアって、どこ?」
「ココですぅ~~!」
灯里は、立っている場所が災いしてか、とにかく質問攻めにあっていた。
「フロント係の方、ちょっといいかしら?」
「はい、どうぞ!」
「明日一日、観光を楽しみたいのだけど、あまりネオ・ヴェネツィアのこと、よくわからなくてね」
婦人会の旅行だという数名の女性たちの、その中のひとりが灯里の前にいた。
「是非、ゴンドラでの観光をオススメします」
「やはりそうなの?」
「はい!ゴンドラに揺られながら運河から眺める風景は、とても素敵なんですよ!」
「じゃあ、ゴンドラは絶対ね」
「はい!それはまるで、このネオ・ヴェネツィアがお客様のご旅行を祝福しているかのようなんです!」
「旅行を?」
そこには、まさにいつもの水無灯里がいた。
「どこかお目当ての場所などございますか?」
「そうねぇ。ため息がでるほど素晴らしい橋があるって聞いたのだけど、ほんと?」
「それはため息橋です」
「ほんとにあるの?」
「あるにはあるのですが、名前の由来は、実は他にあるのですが・・・」
「わかったわ。じゃあそれは、その時の楽しみに取っておきましょう」
「はい!」
「他にはおすすめはあるの?」
「あります。そのまま運河を進んで行くと、ネオ・アドリア海に出るんです。いきなり、パァーと視界が広がって、とても気持ちがいいんです。すると、目の前の海に教会が現れるんです!まるで、海の上に浮かんでるように見えるんですよ!」
灯里の、まるでその場にいるかのような、うっとりとした表情で話していた。
その様子に婦人は ニッコリとほほえんで聞いていた。
「そしたら是非その教会の鐘楼にのぼってください。対岸のネオ・ヴェネツィアの風景が一望できて、もうそれは感動的で・・・」
灯里はそこで我に返った。
ずっと一人でしゃべり続けていることに、やっと気がついた。
「す、すみません。私ばかりしゃべってしまって」
「いいえ、とてもよく伝わってくるお話だったわ」
「お褒めに預かりまして・・・はひぃ~」
灯里は、水先案内店やレストランの案内、予約の取り方を説明すると、そのままフロントまで行って、一通りの手続きを行った。
これで安心したといった婦人会の一団は、その足でホテルのレストランで食事をすると言って、賑やかにエレベーターホールへと向かった。
「さすがですね」
灯里のそばにはいつの間にか、フロントクラーク姿の女性が、その屈託のない笑顔で立っていた。
「確かあなたは」
「ちゃんと自己紹介、できてなかったわよね?」
「えっと、そうでしたですか・・・」
「はい!できてませんでしたっ!」
「はひっ」
「私、このホテルの期待を一身に引き受けています、フロントクラークのアガタです。よろしくね!」
「は、はい!」
アガタは自信満々の表情で、まるでアニメのセリフをそのまま口にしたかように、「エヘン!」と鼻の下をこすってみせた。